◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑩ 

梅小路公園のチンチン電車
平成6(1994)年、京都建都千二百年記念事業がいろいろありました。その一つに、梅小路公園建設がありました。西端部では復元されたチンチン電車が走り出し、大変な人気者となりました。

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湯口先輩の瀬野八に便乗する

湯口先輩に遅れること5年でこれほど変わってしまったのです。

昭和39年2月と4月の撮影です。電化されて変わったことは、美観が天と地ほど悪くなったことは当然ですが、旅客列車が電化されて列車長の長い貨物列車だけが蒸機で残ったため大カーブで補機まで入れることが難しくなったことでした。2月は大雪に見舞われ、4月は架線工事にジャマされました。
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客車廃車体訪問記 北海道編7

小樽市内3題を紹介する。

【小樽市総合博物館前】

スハ43 717  43.211358, 141.002044 2016年7月13日撮影 小樽市総合博物館前 レストラントレノ
小樽市総合博物館前で「レストラントレノ」という屋号のイタリアンレストラン。スハ43は客席で厨房は隣のワフ29688。
◆スハ43 277(1953年新製 日支)→(1976年改造 五稜郭車セ)スハ43 717→1984年廃車。
スハ43 717はスハ43形のラストナンバーである。

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瀬野八本松1959年3月

憎っきネオパンSSのヴィネガー・シンドロームに関してはTSURUKAME氏が総括して下さったのでスルーし、シコシコ修整できた(修整不能も何コマかある)「せのはち」画面をご笑覧賜りたい。この10km区間を短靴で歩いたのだが、上りの機関車が盛大に散布する砂で、全く以て歩きにくく、再々靴に入った砂を排出せにゃならんかったのが未だに記憶に残る。恐らくは保線区が時折砂を撤去していたんじゃないか。何しろ枕木が埋まっていたのだから。

上の地図は当時のもので、今では沿線に家が立ち並び、かつては山陽本線と完全に並行していた国道2号線は、八本松側に4km程バイパスができてショートカットされ、その区間は山陽線と少し離れている。
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◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑨

 京の七口を結んだ京電
京の七口に思いを巡らせてみました。平安京時代からある言葉なのだそうですが、太閤さんが京の町を守るために造らせた御土居によって、その位置が今もはっきりし、史跡として10ヵ所指定され地名となって残っているところもあります。京都電気鉄道(京電)が伏見へ向け走り出た地が竹田口、伸びて行った南禅寺橋近くに粟田口、その途中の木屋町松原は伏見口(五条大橋口)となります。

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今年もサンタがやって来た

デジ青の画面にも雪が降りだして、平成29年もあと半月程度となりました。今年も広電のクリスマス電車が走るということで、INUBUSE氏と撮影に出かけました。昨年のクリスマス電車は広島駅、横川駅、西広島駅での短い折り返し時間を利用して、子供たちにプレゼントを配るという趣向でした。今年はそれに加えて、一般客も乗車できる日が設けられ、夕暮れ時から白島線を3往復します。まずは千田車庫を訪ね、許可を得て出発前のハノーバー電車238号の撮影から開始です。

平成29年12月15日 千田車庫にて飾り付けされて出発を待つ238号と1906号

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◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑧

最近、当欄では音信不通になっている“た~ちゃん”が、病院帰りに訪ねて来られました。体力・気力の衰えから、投稿・コメントが滞っている理由を聞かせてもらったあと、“これなんやけど”と差し出されたのが右の写真の資料でした。聞けば、数年前に京都の染色業界向けの機関誌から原稿依頼を受けて、連載をしたものでした。《路面電車から街づくりを考える》のシリーズタイトルどおり、京都市電の歴史から、欧米のLRTまで、路面電車の蘊蓄が詰まった好個の読み物になっています。
“これを、ぜひデジ青に載せてくれ~。ワシの思いが詰まっているんや”。なるほど京都で生ま育った、電車が大好きな“た~ちゃん”ならではの内容です。“介護投稿”の一環として、しばらく本シリーズを綴ることにしました。来年80歳を迎える“た~ちゃん”、これが決して遺言状ではなく、これから一層の活動を願ったエールとして綴っていきます。

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オエ61309←オハ531はこれでしょうか?

ちょっと旅行をしている間にたくさんの投稿があり今頃読んでいます。なかで気になったのが【91093】客車廃車体訪問記 北海道編4に出ていたオエ61309の現役客車時代で、オロ351の格下げ後のオハ531です。1966年(昭和41年)2月に小山で撮った写真ですが見てください。
字が小さくて見にくいのですがオハ531ではないでしょうか?車体はオロ35でしょう。

井原さん、判定やいかに!

客車廃車体訪問記 北海道編6

石勝線沿線2題を紹介する。

【安平町鉄道記念館】

スハ45 25  42.877047, 141.806459  2017年8月15日撮影 安平町鉄道記念館
◆スハ45 25(1953年新製 日支)→1964年近代化改造 五稜郭工→1987年廃車。
追分駅裏手に安平町鉄道記念館があり、スハ45 25とワム80000が3両置いてある。駅裏とはいうものの駅には裏口がなく、徒歩なら少し遠回りして歩かなければならない。公園のようになっているが、12時過ぎなのに人っ子一人居ない。前の道路を通る自動車もなかった。

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -17-

飯田線⑧ 中部天竜のバス
飯田線シリーズの最後は久しぶりのバスネタで締めくくります。前回紹介した中部天竜駅前から、たった2台という日本最小の路線バス会社が佐久間ダムの間を結んでいました。
終点「佐久間ダム」で発車を待つ共益バス、前身は長距離用に造られた国鉄バスで、国鉄時代のナンバーは641-7901、昭和42年製造のいすゞ製。共益バスはあと1台所有するだけの事業者で、手許にあった当時の日本バス協会「会員名簿」によると、ともに香川県の鬼ヶ島観光自動車、直島バスも路線バスが2台だったが、両者は貸切バスも保有しており、路線バス2台だけの共益バスが当時、日本最小のバス会社だった(昭和52年8月)。

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客車廃車体訪問記 北海道編5

日高本線沿線3題を紹介する。

【富内鉄道資料館】

オハフ33 1568(左)  スハ45 26(右)  42.782898, 142.219105  1998年9月13日撮影 穂別町 富内鉄道資料館
旧富内駅を活用した施設で、最近は「富内銀河ステーション」と称しているらしい。
旧貨物側線に留置されている客車の用途は、ライダーハウスだったらしいが、車内にはタイヤチューブが積まれていた。なにしろ駅舎は閉まっていて、周りに誰一人いなかったのでわからない。塗装は綺麗である。

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ここは 明智、岩村、、、

国鉄明知線にも明知鉄道にも乗ったことはありませんが、明智(線名と字が違うようです)には6年前に行ったことがあります。明智は古い街並みを活かし、「大正村」として観光地となっています。施設のうちの一つのおもちゃ資料館には古い電車やSLの魅力的なブリキのおもちゃが展示されていました。北原氏ならこれらの素性もたちどころに鑑定されるのでしょうか?

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -16-

飯田線⑦ 中部天竜

伊那路を抜け、天竜川の渓谷美を眺めながら、中央構造線を長大トンネルで抜けて、飯田線は中部天竜に至ります。ここには、中部天竜機関支区があって運輸上の要の駅になっていて、いつも、ひと電車遅らせて、区を訪問したものです。

中部天竜機関支区を横に見て発車する辰野行き1227M、クモハ52004+サハ75102+クハ47108+クモハ54119 “流電”の活躍は中部天竜以南が多く、辰野まで足を伸ばすのは1往復のみだった(昭和45年8月)

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応募してみてはいかがですか

三江線関連の新聞記事が少しずつ増えてきたような感じがします。こんな記事がありました。

平成29年12月12日 中国新聞朝刊

船佐駅から宇都井駅までの間で撮った写真との制限はありますが、結構長い区間ですから 足繁く三江線を訪ねておられる方ならきっと良い写真を撮っておられることでしょう。ぶんしゅう殿はじめ三江線応援団の皆さんは応募されてはいかがですか。さてこんな記事もありました。 続きを読む

半世紀前の阪急神戸線(2)芦屋川-御影間、併せて今昔対比

芦屋川駅です。前回同様、青信号4号、高橋正雄先輩記述『京阪神急行神戸・宝塚線』を参考文献(*)として引用させて頂きました。
▼芦屋川駅、上り4連普通車最後部 1961年3月11日撮影
【920型920-924(M)、950型950-954】951は戦災復旧車で、以前より平シルであったが、車体は終戦直後の復旧であり完全な出来栄えでなく、更新工事で面目を一新した。通風器はガーランド式で中央一列。Tc車のパンタ取付台は撤去された。台車はこの920型のみ汽車会社のL-17(920型)、L-15(950型)である(*)。
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半世紀前の阪急神戸線(1)西宮北口-夙川間、併せて今昔対比

恐ろしく長いタイトルです。お待たせ致しました。阪急920型など1961(昭和36)年の画像が中心です。 また今回、車両解説に使用しました参考文献は、我らが青信号4号1959(昭和34)年12月発行、高橋正雄 『京阪神急行 神戸宝塚線 使用車両の現状について』です。(*)で示します

▼西宮北口-夙川間 925型4連 上り三宮発梅田行き普通車  1961年3月11日撮影
【920型の解説】一般に920型と呼ばれる一連の神戸線車両のうち920~924、950~954はその最も初期に製造されたもので、いずれもMTc恒久連結車である。昭和33年から34年にかけて全10両が提起更新を完了したが、二段シルやリベットは撤去され、雨樋も新しい形のものになっている。(中略)通風器はガーランド式で中央一列、Tc車のパンタ取付台は撤去された。
【925型925-928(M)、955型955-958(Tc)  】 通風器がガーランド式2列になっている事とM車の台車が川崎-16である他は920型と大差ない。現在920,950型に続き更新工事実施中である。(*)  ということから、画像は更新後の姿の様です。  続きを読む

 カラーで振り返る 昭和の気動車 -6-

久しぶりの“カラー版気動車シリーズ”、一般形、準急・急行形のつぎは、特急形の80系(キハ81系、キハ82系)の活躍を採り上げました。室蘭本線静狩~小幌(信)を行く「北斗2号」札幌発函館行き、トンネルを抜けて礼文華海岸沿いを疾走する。これから静狩の大カーブに掛かるところ。近くのジャンクションの長万部をも通過して、函館への道を急ぐ。もっとも、この列車に乗っても上野へ着くのは翌朝だが、まだ本州への移動は鉄路がメインの時代、82系は活躍の舞台を広げていた(昭和47年3月)。

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