知多鉄道910形のちの返り咲きの姿

関先生の[90983]17.12.08付け知多鉄道デハ910形についてその表題を「知多鉄道デハ910形の成れの果て」としようと思った。先生のご説明の通りTC化されたり、木造車の機器を流用して再びMC化されたりして様々な変遷があったようであるが、最後はパノラマカー色、ミュージックホーンの特急車として使用されたので「成れの果て」よりも「返り咲き」にしてみた。

1972.9.11 名鉄瀬戸線尾張旭-三郷 2301+901← ▼

 

上と同一日、同一区間 特急905+2322 ▼

三江線の話題ほか

芸備線沿線の安芸高田市歴史民俗博物館で開かれていた企画展「さよなら三江線」が明日(12月10日)に最終日を迎えます。開催期間中に会場で図録が販売されているのが普通だと思っていましたが、私が訪ねた10月27日には図録は製作中ということで購入申し込みをして帰りました。そしてようやく図録が送られてきました。

図録表紙

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だるまさん いろいろ

井原殿の廃客車探索旅を驚きとともに楽しませて頂いています。さて客車の廃車体に比べてワムやワラのだるまさんは我が家近くの田んぼのなかで結構見かけますし、ワムやワラにカメラを向けることはまずありませんが、時にはこんなものに出くわすとついカメラを向けてしまいます。

平成29年4月16日 三原市本郷町にて

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客車廃車体訪問記 北海道編3

八雲町、せたな町2題を紹介する。

【八雲町の3扉車 他】

オハ51 5(左)  オハ51 41(右)  2017年5月4日撮影
函館本線八雲駅からせたな町へ抜ける道路沿いの、なんと個人の住宅として使用されている。3扉が特徴のオハ51 41と、2両のオハ51をそれぞれ半分よりやや長く切断した車体が分散して置いてある。切断した方が運搬費用が安いからであるが、41は搬入後再接合したが、残り2両は切断して長い方だけ搬入したと思われる。

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知多鉄道デハ910号

昔の電車は国鉄も私鉄も貫禄と気品がありましたね。
最近の電車は色を塗らないからピカピカで品がない。その上、顔が同じ(に見える)だから形式の違いがわからない。従っておもしろくない。電車ファンの皆様、ゴメンナサイ!

関先生!この当時の国電もお願いします。

客車廃車体訪問記 北海道編2

第1回に続き、道南いさりび鉄道(旧江差線)沿線2題を紹介する。

【ペンション宵の明星 2両】

スハフ44 9(左)  オエ61 50(右)  1997年8月10日撮影  41.746343, 140.601257(Googleマップから取得した緯度・経度の座標である。Googleマップで検索するとピンポイントで位置を特定できる。)

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ここはどこですか

 年賀状の季節となりました。さて古い年賀状を調べていると、今は亡きO君からの蒸気機関車がワフを一両牽引している写真の年賀状がありました。文面に問いかけの文で「・・・ここはどこですか・・・」とあって小さく「答・・・、長崎(本当は京都)」とあります。しかし、長崎でも京都でもないと思うのですが。機関車はC12で昭和48年の消印です。いったい、O君はどこで撮ったのでしょうか。どなたか教えてください。

のどかな風景 ここはいったいどこ・・・

コメントで撮影場所が明智線か高森線かで盛り上がっていますが、やはり機関車のナンバープレートがポイントなりそうなので拡大してスキャンしました。

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -15-

飯田線⑥ 各駅で交換列車を撮る

飯田線は、私鉄が出自のため駅は多いが、交換不能な棒線駅もある。そこで、飯田線唯一の信号場、大沢信号場が、昭和41年、伊那田島~高遠原に設けられた。一線スルーを右側通行して行くED194の牽く下り貨物(昭和45年8月)。

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展望ロマンスカーの本家本流7000形そろそろ引退か

2018年3月に小田急は代々木上原までの複々線を完成させダイヤの大幅改正が行われる。新型ロマンスカー70000形も発表され、1963年(昭和38年)製造の展望席付きロマンスカー3100形NSEの後継車として1980年(昭和55年)に登場した7000形LSEもそろそろ引退のうわさが出ている。関西を始め各地からこの本家本流を記録に留めたいと最近はファンも多い様だ。名鉄パノラマカーの引退の頃には特急運用から離脱して急行や各駅停車運用がほとんであったが、この7000形は特急ロマンスカーのまま最後を迎えると思われる。そこで私自身の最近の記録と撮影地として沿線の印象を述べてみたい。

新松田の西、酒匂川橋梁は小田急沿線では富士山を無難に入れることができる。10両急行編成全体が入るので以前異形式連結の時にも投稿した場所である。開成や渋沢付近でも富士山を入れて撮ることができる。

2012.02.20 7004 はこね7号 ▼

新松田-渋沢間は山間部の雄大な風景や山に登っての俯瞰撮影も可能であるが駅間距離が6.2kmもあるので徒歩では少し厳しい。小田急ではトップクラスの撮影地である。

2010.11.5 はこね15号 7804 ▼

東海大前から秦野に向かう大カーブで見上げる形になるが足回りがよく見えて流し撮りにも最適。この色は今は見られない。丹沢山系も見えていい撮影地で車でも行きやすいが俯瞰ができないのが残念である。

2011.01.22 はこね15号 7804 ▼

伊勢原の愛甲石田よりは比較的開けており丹沢山系も入れられる。ここも編成全体が見渡せるが意外と電線等が邪魔になるのでうまく処理したい。

2015.12.08 はこね15号 7804 ▼

 

開けた所では流し撮りも試みた。 なかなか腕が上がらない

2015.12.09 愛甲石田-伊勢原 はこね15号 ▼

 

これも以前5000系で投稿した場所で鶴巻温泉-伊勢原間の踏切で撮影。朝の早い時期に勝負すること。

2015.02.19 はこね6号 7000形▼

 

桜の時期に特徴ある先頭車だけをねらってみた。有名桜名所だが年々撮り難くなっている。

2014.04.02 座間-相武台前 7003 はこね6号 ▼

 

時間があまりない場合編成だけを狙うならここ。 お昼に来るはこね19号は確実に撮れるが複々線のため遅れると被ることがある。

2016.01.25 和泉多摩川 7000系 ▼

 

これも下手な流し撮り。和光大学のあたりは緑も多いが編成全体を入れるには工夫が必要。

2010.12.10 鶴川-玉川学園前 7801 はこね15号▼

 

初代展望ロマンスカー3100形の晩年の姿でこの日は雨だった

1999.06.19 秦野-東海大学前 新宿行き「さがみ」

 地図を携えて線路端を歩いた日々 -14-

飯田線⑤  G地点 上片桐~伊那大島
伊那大島は南アルプスの塩見岳、荒川岳、赤石岳への登山口であり、ホームにも案内の標柱が立っている。朝のホームに到着した電車、先頭クモハ51001から降りてきたのは、元祖山ガールの集団だった(昭和52年8月)。

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故羽村 宏先輩の作品-京都市電運転系統図

最近、故羽村 宏先輩の阪急京都線の画像を投稿し、読者の皆様にご覧いただきましたが、その他の先輩諸氏から連絡が沢山ありました。それは、阪急の写真の他に、羽村先輩の有名な『京都市電運転系統図』も多くの人に見て貰ったらどうか、また、顔を知らない後輩に顔写真も載せて知って貰うのはどうか、とのことでした。

そこで、1961(昭和36)年10月14日発行、青信号8号掲載
『昭和14年7月 京都市電運転系統図』をご覧に入れます。
当時の謄写版印刷でカラー印刷は不可能。現在の標準輪転機印刷機などでもカラー印刷は困難な状況です。これは、予め謄写版印刷で印刷したモノクロ図の上に、黒を含め3色を用い、手書きで彩色したものです。青信号8号は何部印刷製本したのか判りませんが、兎に角発行部数分を彩色、8号に挿入製本されたものです。
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客車廃車体訪問記 北海道編1

2016年3月に急行「はまなす」が廃止されて、汽笛一声以来の定期客車列車の長い歴史が終わり、客車は「SLやまぐち号」や「ななつ星in九州」など臨時列車用と10両に満たない事業用車に残るだけになった。現役客車がこのような状況になり、6月にリタイアしたのを機に、各地に点在している旧国鉄・JRのリタイアした客車-廃車体-を撮影して回ろうと思い立った。廃車体は以前からぽつぽつ撮っていたが、まず北海道を制覇することにしてこの2年間、積雪のない時期に重点的に渡道し、現状ほぼ全車撮り終えたと思われるので発表したい。「ほぼ」というのは、廃車体の全容を完全には把握していないからで、小生の知り得た情報を全部確認したというだけのことである。この報告以外に廃車体の存在をご存じであれば是非ご教示いただきたい。

本題に入る前に、最新の新製客車に少し触れる。
近年客車の新製は大幅に減少し、今年の新製客車はJR北海道のマヤ35-1とJR西日本の35系くらいである。まずここでは趣味誌に紹介記事の少ないマヤ35-1をご覧にいれる。

右側がマヤ35-1札サウ  2017年8月13日撮影 札幌運転所  稲穂駅のホームから見える。
左側はマヤ34 2008札サウ で、日立1978年2月17日新製、2004年にリニューアルしたものの、40年近い歳月が経過しており、マヤ35が登場して来年交代するらしい。
マヤ35は同じく日立2017年5月17日製、今年のゴールデンウィーク後、遙々やって来た。窓・扉が異常に少なく(2-4位側も同様)、車体長は20.8mと少々長いが車高がいやに低いので余計細長く見える。これで定員10なので、内部はどうなっているのであろうか。マヤ34と違い中間台車が無く、積雪時でも検測可能だそうな。台車はN-TR35(総合車両製作所)と称する。

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もっと酷いビネガーシンドローム(2)

前回(1)と同じ車輌の山陽電車の119-118号です。撮影は、1961年2月19日。
被害が進み感光膜とベース(三酢酸セルロース、またはトリアセチルセルロース)の間に空気も入り、今にもベースから剥がれ落ちそうな酷い状態でしたが何とか修復し、過去に一度投稿の上、皆様のご覧に入れた事があります。
before
after

 

2017年晩秋の中国路 Part3 三江線へ その1

第3日目 11月20日

昨夜も朝方に寒さで目覚めました。これ以上の耐寒装備はできませんのでやむを得ずエンジンをかけて暖気で車内暖房です。少し2度寝してから夜明けに吉和SAを出発しました。
7時過ぎに三次I.Cを出て三次市内を走ります。この町は亡き愛妻の生まれ故郷でよく来ましたので市内の道は精通しています。
7:30.、朝マックで朝食をとってから今は住む人もなくなった旧宅に寄ってみました。近くに焼却場ができるために道路拡幅で
旧宅は解体撤去され、残った地も整地されて売られて次の住人が新しい家を建てています。立ち寄って在りし日の思い出に浸りました。

8:48 最初の訪問駅は尾関山駅です。撮影地①
▲ 駅前通りにふさわしい広い尾関山通りの先に尾関山駅があります。
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2017年晩秋の中国路 Part2 山口線へ その2

第2日目 11月19日

宿営地だった道の駅「仁保の郷」では昨夜、警官の巡回がありました。運転免許書の提示を求められましたが、道の駅でこんなことは初めてです。何しろあまり宿営している車が見当たらなかったので、用心のためのようだったようです。
その後は熱燗で温まって早くに寝ましたが午前2時に寒さで起き上がりました。ぶんしゅう7号の上段寝台は車外と車内の間はテント1枚だけですので、車外温度が車内に直結します。この夜は冷えて、何と室内温度3度の激寒です。これでは眠れません。
直ぐに下段におりて寝袋を出して2重にして、ホカロンを貼りまくり寝付きましたが、この時期にこんなに冷えるとは異常な天候です。
8:00 明るくなってきた道の駅「仁保の郷」です。鉄ちゃんらしい車が6台泊っていました。道の駅の営業準備か軽トラックも着きだしました。
洗面後は、最初に撮る予定の宮野~仁保の宮野駅に立ち寄ることにしました。
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ヴィネガー・シンドロームその後(1)

先ずはこの写真をご覧あれ。憎っきネオパンSSのヴィネガー・シンドロームにやられたうちでも、まだまだ、かなりマシなネガのストレートなスキャンである。これを見て、諸兄は修復しようという意欲が湧くか?

1950年代後半以降の35mmフイルムベースが化学分解して酢酸が抽出し、やがてネガそのものを破滅させるヴィネガー・シンドロームは、一旦発生すると止めようがなく、隣接あるいは同梱の健全なフイルムをも共連れにしてしまう。最初は強烈な酢酸匂発散から始まって、次第にフィルム自体がベットリし、こうなっては後の祭りで、早めにデジタル化する以外方策はない。
症状にもバリエーションがあり、さしてベトつきはしないけれど、ネガ自体が保存方法にもよろうが、あたかも丸い塗り箸か、ストローかのように直径数ミリ、縦に丸まってしまうケースもある。これは物理的に拡げる限界を通り越しており、一コマずつに切り離し、強引にスライドマウントに納めてホッチキスで止めてスキャンした奴もいるが、ネガはそれっきりになった。 続きを読む

デゴイチで「これは走りませんでした。」が走った。

 11月におこなった「デゴイチ」さよなら運転で「これは動きませんでした。」の怪しい内燃動車が動くようになりました。証拠に動いている動画を掲載します。掲載する方法は鉄鈍爺さんから伝授していただきました。

お粗末さまでした。

 

阪急803

デカンショまつり号さんのお宝第1号阪急974、853についてその現役時代の姿がまだどなたからも発表されておらず私も探してみたが見つからなかった。大変申し訳ないが853(制御車)の相棒である803(制御電動車)の姿でご勘弁願いたい。何れも神戸線芦屋川-夙川間で撮影したもので各駅停車(普通)である。

1968.04.04 桜の時期であるがまだ満開ではないようだ。大阪梅田行き2両目が853である。3両目が906、4両目916、最後の2両は920形▼ 続きを読む