四国総局管内の荷物輸送(客車編)

昨年、ヤフオクに四国総局報号外(昭和54年春季荷物輸送)が出品されていた。旅客や貨物の輸送計画の号外は知っていたが、荷物輸送については全く知らず驚いた。

これによると、高知発3/21~4/9の228レに臨南東荷83(マニ、汐留~高知)が増結されており(南東荷3仕業を2車にしたようなもの?)、2024年8月4日に投稿した「讃岐財田駅」(id=153890)での車掌さんの話とも符合してくる。

また、以前に「DF50 18号(その1)」(id=153477)で、1981(昭和56)年10月(正確には同月13日)以降、DF50は貨物列車専用機となったと書いた。DF50の引退イベントである臨時列車以外の旅客列車をけん引していないのは事実なのだが、不定期ながら工場入出場や転配属する客車、あるいは線路検測のためのマヤ34を貨物列車に連結し、客車そのものはけん引していた。 続きを読む

 美祢線の半世紀を回顧する

2023年の水害以来復旧の目処の立たない山口県下を南北に貫く美祢線について、過去の記録もあるので、遅筆であるが先月書きかけた記事を進めてみる。

写真は昨年2024年8月27日に目撃した、美祢線の中間駅於福の運休中の現状である。
線路は1年以上の休止で錆びて、駅の建物内では地元の人たちの会合が開かれていた。話の内容は聞けなかったが、無人駅になり長い時間も過ぎて、諦めムードも強いと思った。


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広島駅ビル開業

広電が新駅ビルの2階に乗り入れることで一躍注目を浴びているJR広島駅の新しい駅ビルが開業しました。但し、広電の乗り入れは工事の遅れのために今年夏頃までお預けです。いつものように中国新聞記事の連射です。

令和7年3月22日 中国新聞朝刊

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リハビリを兼ねた関東からの日帰り旅 9

新緑がまぶしい青梅線ハイク 2008.7.5
青梅線沿線の奥多摩地域は、東京都心から手軽に行け、ハイキングやレジャーを楽しむのにもってこいの場所です。私の住んでいた埼玉からだと武蔵野線を使うと西国分寺で中央本線に乗り換えができますので、直通の電車なら青梅まで1本で行けます。

青梅駅の留置線で休む4両編成E233系

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越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 15 ロンビエン橋、TrainStreet

第9日目 2月24日 後編
▲ 7:45 まず向かうのはロンビエン橋です。GoogleMapで見ると2.4㌔、徒歩34分と表示されました、歩けない距離ではないと思っていましたが駅前の客引きに掴まりました。「Grabと同料金でいいよ」との事ですぐ前にいたTaxiを案内します。50,000ドン(300円)なら安いと乗り込みました。
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越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 14 ハノイへ到着

第9日目 2月24日 前編

昨夜、コンパートメントの同室者の日本人が途中で降りられてからは話し相手もなくなりましたので一人静かに爆睡体制に入りました。
6:50 車掌の声でびっくりして気が付き起き上がりました。もうすぐハノイ到着なようです。慌てて荷物をまとめ上げた時にはホームに入線していました。荷物と言ってもリックサック1個ですから大したことはありません。
乗車したSE2の到着は約1時間遅れの 6:53、通路に出ますと他の客は降りた後でした。

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越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 13 夜行寝台列車SE2に乗ってハノイへ

第8日目 2月23日

今日はダナン 13:55発のハノイ行きの寝台夜行列車SE2に乗車して首都ハノイへと向かいます。それまではゆっくりと休息です。
ダナンからハノイへの走行距離は791㌔、乗車時間は16時間5分の予定です。
寝台はホーチミンから乗車したのと同様の4人コンパートメントを購入しています。どんな同泊者になるのか楽しみです。

① ダナン13:55(SE2)⇒6:00 ハノイ

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高校入試の話

お久しぶりです。1988年度生の子パンダの保護者です。
鉄道ネタに関係あるようなないような話です。
おかげさまでうちの娘も無事高校に合格しましたが、その中でちょっとおもしろい経験をしましたので、今回はそのネタをご披露しましょう。

親子鉄日記

なぜ、この写真が出てきたのは続き以降で。
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越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 12  ソンチャナイト市場と火を吐くドラゴン

第7日目 2月22日 後編

▲ フエからダナンのホテルへ送迎中にツアーリーダーから今晩は7時からドラゴン橋で火と水を吐くショーが開催されます。橋のたもとでは多くの夜店が立ち並んで美味しい屋台飯を食べられますので是非にお越しくださいと案内がありました。
ホテルへ到着後バスタブに浸かってしばしに休憩後Google-Mapでドラゴン橋までのルートを検索しますと2.3㌔、徒歩32分と結果が出ました。ダナンはホーチミンと違ってバイクがそれほど多くはありません。街を見ながら歩いてみるかと出かけました。
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福知山線のC11の客車列車

小・中学校を宝塚で過ごした関係で鉄道写真を始めた昭和30年代後半の写真には福知山線のC11牽引旅客列車が多少残っている。これは大阪から篠山口まで2往復(昭和31年の時刻表によると1往復や気動車との2往復体制の時代もあったようだ)していた区間列車で現在の「丹波路快速」のルーツのように考えている。当時は国鉄吹田第一機関区のC11271、C11280、C11316、C11363の4両のC11が担当していた。

1963(昭和38)年1月2日、大阪駅8時37分発725列車篠山口行きのC11271で左はキハ82系の京都発1D特急「かもめ」長崎・宮崎行きが8時に出発したところをとらえたものである。左は8時22分に東京から到着した寝台専用急行15ㇾ「彗星」牽引のEF58169[浜松]である。▼

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越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 11 統一鉄道随一の名所ハイヴァン峠を鉄道で越える

第7日目 2月22日 前編

「GetYourGuide」企画によるツアー『フエ皇室日帰り旅行、ハイヴァン峠鉄道、ランチ』に参加します。フエ皇室を絡めたツアーはたくさんあるのですがハイヴァン峠を鉄道で越えるツアーはこれだけでした。
7時前には昨日同様に送迎バスがホテルまで来てくれてダナン站迄送ってくれました。

▲ 7:18 夜7時になると火を吐くというドラゴン橋を渡り7:30にはダナン駅には到着しました。

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越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 10 ホイアンのマーブルマウンテン&ランタン灯る灯籠流し

第6日目 2月21日 後編

今日はこれからマーブルマウンテン&ホイアン夜の灯籠流しコースに参加します。ホテルに迎えのバスが来ますのでホテルへ行って待つことになります。ホテルまでは駅から約6㌔程ですので徒歩では困難です。
ダナン駅に客待ちのTaxiがいてお兄さんたちが呼び込みをしていますので料金を聞いてみました。すると200,000ドン(1,200円)との返答です。それは高すぎる100,000ドンでどうだと半値での交渉をしましたら150,000ドンと返ってきました。もう一押し必要です。他の客引きと交渉しようとすると120,000ドン(720円)と値引きしてきたのでOKを出しました。ホーチミンでの経験を考慮するとまあ妥協してもいい額です。粘ったら希望通りの金額になったでしょうが夜行列車で疲れていましたので粘る気力が失せていました。


▲ 13:27 予約していましたグランド サンライズ ブティック ホテルに到着。ウエルカムコーヒーをいただきました。
用意された部屋は広いツインベットでバスタブ付きです。屋上には街を見下ろすプールまであります。これで2泊の宿泊料は1,337,600ドン(8,026円)、激安です。 続きを読む

 車両のある風景  ~37枚目の写真から~ 〈21〉

“板”の取り替え

車両の前面には、種別・行先表示や、優等列車なら愛称表示と、さまざまな表示アイテムがあって、前面のアクセントになっています。現在では、ほぼ自動の幕式、あるいはLED表示になりましたが、昭和の時代は、金属板に書かれた表示で、すべて、人手によって、運搬や取り替えが行われていたこと、思い出します。

いちばん身近な例として、阪急で見られた種別表示の取り替えを。当時、京都線特急は、ほぼ6300系が独占していたが、時折、ロングシート車が混じることがあった。日中、定期的な運用があったのは梅田15:30発の特急で、梅田までは快速急行での運用だった。これが、字幕式の7300、8300系なら問題ないが、まだ幅を利かせていた5300系の板車となると、車掌による取り替え作業となる。「急」で到着すると、まず2号線側から「特急」に取り替え(左上)、1号線に回って「急」を抜き(右上)、「特急」を差し込む(上)。何ごともなかったようにして発車を待つが、なにせW標識だから結構な手間だった(平成5年)。

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越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 9 夜行寝台列車SE4に乗ってダナン到着


第6日目 2月21日 前編

① サイゴン 19:00(SE4)⇒ 12:38 ダナン

4:55 爆睡、心地よいジョイント音を聞きながら目覚めました。外はもう明るくなっています。列車の速度は50~80km/h程度でゆっくり走行です。
サイゴンから目的地ダナンまでは935㌔、17時間38分の乗車です。

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リハビリを兼ねた関東からの日帰り旅 8

<上信電鉄に揺られて富岡めぐり 2 2007.9.13>
富岡製糸場を探訪してからタクシーで山あいの丘陵地にあるもみじ平公園に向かったら、富岡市立美術博物館・福沢一郎記念館を前にして上信電鉄の電気機関車デキ2が保存されていた。私はこんな所で大正時代の名機に出会うとは思わなかったので、すごく感激した。

屋根つきで大切に保存されているデキ2

静態保存されているデキ2の案内板

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越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 8 サイゴンからダナンへ夜行列車で向かう

第5日目 2月20日

今日は19時発の夜行列車に乗ってダナンへと向かいますのでそれまでは休息です。
ホテルでゆっくりと朝食後、フロントで近くでSIMカードを売っていますキャリア会社を紹介してもらいました。と、言いますのもスマホは快調なのですがIpadとのインターネット共有ができないためにWiFiのない環境下ではIpadが使用できず困っていました。Lineで日本にいますJuniorに問題解決方法を尋ねてみますと多分、ベトナムのキャリアではインターネット共有が使えないのではないか、そちらのSIMカードは安いのだったらIpad用にもベトナムキャリアのSIMカードを入れてみたらどうでしょうかとのアドバイスです。今日は夜行寝台列車で真っ暗な長い時間を過ごすのでYouTubeも見れるのであれば退屈しないと早速買いに出ました。調べてみますとベトナムにはスマホのキャリアーは、Viettel、Vinaphone、Mobifoneと3社あるようです。フロントでお聞きしますとViettelが近いと教えてもらいました。
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 車両のある風景  ~37枚目の写真から~ 〈20〉

湘南顔 (カラー版)

今回は、昭和の時代、一世を風靡した、前面が“湘南電車”スタイルの車輌を見て行きます。やや傾斜のある二枚窓、非貫通の半流、そして鼻筋の通っているのが、湘南顔のポイントです。昨年、湘南顔をテーマにした単行本が企画・発行され、クローバー会も協力、多くの写真を提供しました。現在に至るまで、湘南顔の発展形ともいえる車両もデビューしています。皆さんの撮った湘南顔、寄せてください。前回の半室運転台の例で出した江若鉄道キハ50形も、外へ廻って前を見ると、典型的な湘南顔をしていた(写真中央、キハ52)、右のキハ41000由来の非貫通、4枚窓、左の自社キニ6大改造の貫通、3枚窓と、その前面スタイルもいろいろで、江若への興味をさらに深めてくれた(大津の86さんカラーを借用しました)。

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越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 7 クチトンネル・ベトナム戦争遺跡観光半日ツアーに参加

第4日目 2月19日

朝食は7:00からなので食べていては集合時間7:20には間に合いません。昨夜7:00にバスケットで受取りたいとお願いしましたらOKを頂きました。今日もKKday社ツアーの【日本語ガイド】ホーチミン発 クチトンネル(クチの地下道)半日ツアー・ベトナム戦争遺跡観光と兵士の生活を疑似体験 by TNKトラベルJAPAN(指定ホテルお迎え・軽食付き)を申し込みしてあります。朝食を受け取って昨日と同じ集合場所に向かいました。今日は大型バスではなく小型のワンボックスタイプのバスに乗り込みました。
日本人参加者は昨日は女性が多かったのですが今日は男性ばかりで女性は皆無でした。
▲ 今日はホーチミンから北西に56㌔にあるベトナム戦争時にアメリカが惨敗したクチに保存されていますベトナム戦争の遺跡『クチトンネル』を訪問します。
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越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 6 メコン川クルーズ日帰りツアー参加

第3日目 2月18日

私がベトナムを知ったのは1955年11月に始まったとされるベトナム戦争で学生時代は南国ベトナムに米ソ軍営が加わり拡大化している頃でした。戦争は1975年4月30日に北ベトナム軍が南ベトナムの首都サイゴンを陥落させることで終焉を迎えましたが、その国の鉄道がどうなっているのか見てみたい願望がありました。
昨日は開業したばかりのMRT視察をして市内の様子、雰囲気が少し分かりましたので郊外も知ってみたいと台湾でお世話になったKKday社企画の「【日本語ガイド】メコン川クルーズ 日帰りツアー ココナッツキャンディー工場+永長寺+メコン名物料理 by TNKトラベルJAPAN (指定ホテルお迎え・昼食付き)」のツアー、7,242円を申し込みました。
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 車両のある風景  ~37枚目の写真から~ 〈19〉

半室運転台

先の〈18〉コメントで、紫の1863さんから見透かされたように先を越されてしまいましたが、テーマは「半室運転台」です。電車、気動車では、全室の運転台が大半ですが、地方私鉄のDCや、旧型国電では、半室運転台が見受けられました。ただ、今回のテーマは運転台ではなく、もう片方の空いた半室スペースです。京都周辺で見られた例を見て行きます。江若鉄道、キハ50形(キハ51、52)の先頭の半室運転台、熊延鉄道から来た同車は、運転し易いのか、最後までよく使われていた。右手のスペースには座席が伸びていて、最終日も間近、前面のかぶり付き席は大人気で、いつも先に占有されて、私はありつけなかった。運転台が左のみの場合、たとえば島式ホームでダブレット授受の場合は、写真のように、客室窓を開けて交換していた(昭和44年)。

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