第1日目 2017年12月16日
今回もお誘いは神谷さんです。奈良にお住いのW田さんから一緒に行こうと連絡がありましたので自宅でお待ちしました。車を私の家に置いて荷物を移し替えて出発です。目的は愛知こどもの国と修善寺虹の郷に走るナローゲージの蒸気機関車の撮影です。一泊二日の予定で、午前8時過ぎに自宅を出発、まずは愛知こどもの国へと向かいました。
▲ 行程は新名神から東名阪を経由しての178㌔、予想所要時間は2時間40分です。
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第1日目 2017年12月16日
今回もお誘いは神谷さんです。奈良にお住いのW田さんから一緒に行こうと連絡がありましたので自宅でお待ちしました。車を私の家に置いて荷物を移し替えて出発です。目的は愛知こどもの国と修善寺虹の郷に走るナローゲージの蒸気機関車の撮影です。一泊二日の予定で、午前8時過ぎに自宅を出発、まずは愛知こどもの国へと向かいました。
▲ 行程は新名神から東名阪を経由しての178㌔、予想所要時間は2時間40分です。
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第10日目 12月12日
① ヤンゴン12:55 (FD256)⇒14:40バンコク(BMK)
② バンコク(BKK)23:25(JL718)⇒07:15成田
③ 成田9:45(JL6109)⇒11:20関空
今日はタイとミャンマーの旅を終えて帰国の途につきます。千住のヤスベイさんはヤンゴンから成田へ直行するANAの深夜便で帰られますが、旅費とJALにこだわった私はバンコクに飛んで乗換えて成田、そして関空へと向かいます。自由人ですので時間には左右されませんが、乗換えは面倒ですね。
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第9日目 12月11日
今日はばけぺんさんが帰国されます。千住のヤスベイさんと私はバゴーへ行きますのでご一緒しませんかとお誘いはしましたが、前回来られた時にバゴーには行かれたそうです。そして列車の乗心地は上下左右に激しく振られるミャンマー国鉄名物のジャンピングトレインだったそうで、不快で下車後にも気分が悪くなった。2度と乗りたくないとお断りでした。
私も以前にマンダレーからヤンゴンまで夜行寝台列車に乗りましたが、すさまじいジャンピングに一睡もできず2度と乗らないと決めました。しかし今回は初めてジャンピングトレインに挑戦される千住のヤスベイさんがおられます。タイにご一緒した時にウドンターニからバンコクまで9時間50分の乗り鉄旅をご一緒しましたので旅の相棒にならなくてはと、リベンジを決めました。
▲ 目的地のバゴー(Bago)は、ヤンゴンから北東へ約80㌔です。所要時間は約2時間と短いのでちょっと長距離列車を乗るには手ごろなのと、ジャンピングトレインの恐怖を多少は我慢できるだろうと思いました。
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第8日目 12月10日 その2
10:55 ダニンゴン駅からはチャーターTaxiに乗って広電が走っていた海岸線の車庫に向かいました。
▲ ダニンゴンからのルートです。距離は20.3㌔、予想所要時間は41分です。
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第8日目 12月10日 その1
今日は深夜便で団長のクモハ73106さんが先にミャンマーを離れて帰国の途につかれますので、一日中ヤンゴン環状線はじめ市内の鉄道を乗って撮るに事にしました。
【 ヤンゴン環状線 】
イギリス統治下時代の1877年にヤンゴン~ダニンゴンが開業、大戦が終わり独立後の1954年に全線45.9㌔、39駅の環状線が完成しました。但し路線状態は良くなく30~40km/hの路面電車並みの走行に留まり1周には約3時間を要しています。
▲ 8:26 朝食後に向かったのはヤンゴン中央駅です。日本の中古気動車が発着する環状線ホームではホーム食堂がオープン、駅利用者の皆さんが朝食中です。
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▲廃止される郷津を通過する大阪発青森行き特急「白鳥」、堂々14両編成の82系特急が日本海沿いを行く姿は、まさに“クイーン”の称号にふさわしいシーンだった(以下、昭和44年8月撮影)
能生で数時間撮影したあとは、列車に乗って、次の撮影地の名立、そして郷津へと移動しました。これから向かう能生の東寄り、直江津までの区間は、本格的な別線線増区間となり、頸城トンネル(11353m)など4本の長大トンネルを掘削、能生、筒石、名立の3駅は山側へ移設、なかでも筒石は頸城トンネルの中に地下駅として移設されます。続く有間川、谷浜は従来駅を利用するものの、有間川~谷浜は別線線増となります。谷浜~直江津も別線線増で、途中の郷津は唯一の廃止駅に。このほか、複線化により、木浦(浦本~能生)、百川(能生~筒石)、西名立(筒石~名立)の3信号場も廃止になるなど、完成を一ヵ月余り後に控えた同区間は、大きな転換期を迎えていました。 続きを読む
▲浦本~能生の海岸沿いを行くD51重連の長野発米原行き621レ D51 588〔糸〕+D51 178〔糸〕(昭和44年8月、以下同じ)
糸魚川~直江津の撮影では、下見の乗車をしたあと、糸魚川から折り返しの525レに乗って戻ります。糸魚川~梶屋敷~浦本は、現在線に腹付け線増されるため、梶屋敷、浦本の2駅は在来のままの改良で、架線も張り巡らされています。浦本からは、別線線増区間に入り、列車は架線のない単線区間に入って行きます。新線では、頸城トンネル(11353m)など4本の長大トンネルを掘削、能生、筒石、名立の3駅は山側へ移設、筒石は頸城トンネル内に地下駅で移設します。525レから、まず下車したのが能生でした。
第7日目 12月9日 その1
昨夜、今朝のチェックアウトは5時と早いので用意されている朝食が食べれない、バスケットランチにしてもらえないかお願いしたところ快諾を得ました。これを持って夜明け前の暗闇の小雨模様の中、今日最初の撮影地と決めた道路との併用橋へ向けて出発です。
カレイミョ 05:00→ナッチャウン06:10頃→ 08:15頃 ハンタワディ着(1002レ)
▲ 6:31 何となく見えだした道路との併用橋に到着。
既に目的の列車はナッチャウンを出発してこちらに向かっています。こちらに着くのは多分1時間後前後です。
7:10 こちらの気候ですがヤンゴンよりは約700㌔北にあり、東西を山で囲まれていて、標高は約170mあります。朝夕の温度は熱帯のヤンゴンとは正反対に寒いぐらいの14℃です。
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第6日目 12月8日 その2
10:44 4人全員でヤンゴン空港に到着、搭乗する人以外の方々も空港内に入るには荷物のX線感知器があって保安厳重です。そして、チェックインカウンター前でミャンマーの民族衣装のロンジンを巻いた、サンダル履き通訳がお待ちでした。
▲名立付近を行く列車。糸魚川~直江津は海岸沿いの急峻な地形が続いて、何度も地滑り災害に見舞われ、抜本的な線路改良が望まれていた(以下昭和44年8月撮影)
今回の「地図シリーズ」は、いま豪雪に見舞われている北陸本線の昭和40年代に飛びます。北陸本線の歴史をたどると、それは線路改良の歴史でもあると言ってもいいほど、数々の移設、改良、新線工事を繰り返してきました。それだけに急勾配区間や災害多発地域を抱えていたことにもなります。大きな改良区間としては、
・木ノ本~敦賀 柳ヶ瀬越え(のちの柳ヶ瀬線)の迂回新線・複線化
・敦賀~今庄 急勾配区間を日本最長の北陸トンネル貫通で短絡・複線化
・津幡~石動 倶利伽羅越えの改良・複線化
・市振~青海 親不知など日本海沿い災害多発区間を移設・短絡・複線化
が挙げられます。これらは、昭和40年代初頭までに工事は完了しており、私は旧線時代の記憶・記録はありません。そして最後に残った大規模な改良工事が、糸魚川~直江津の新線・複線電化工事でした。昭和44年10月ダイヤ改正から新線に移り、これによって昭和30年代から進められてきた北陸本線の全線複線・電化工事が完成しました。
昨日、ヤンゴンに着いて早々ですが今日はカレイミョへと移動します。目的はミャンマーで最後に残ったLRBEの撮影です。LRBEとは、Loco Rail Bus Engineの略です。
前回(2016年8月)来た時ならまだ近くに走っていたのですが、日本から無償譲渡されたキハ40系が増備された影響下で無くなってしまい、今はカレイミョまで行かないと会うことができません。現地でもう少しゆっくりしたいのですが、団長のご都合もあって、滞在できるのは1泊2日だけで撮影チャンスも1回きりのハードなスケジュールです。それでも行かなければならないほど貴重な機会です。、
前回は、広島電鉄から送られた路面電車の撮影が目的だったのでLRBEまでは気が回りませんでした。
▲ 今回向かうカレイミョは、ヤンゴンから車で行って約950㌔余りあります。鉄道で行くにはマンダレーまで、後は途中が寸断されていて乗り鉄が出来ません。マンダレーからでも陸路でも363㌔、バスでも約9時間以上かかります。これでは行く方法は1つ、飛行機です。飛行機だけあって直線で向かいますので、713㌔と短くなり、所要時間も直行便だと1時間45分です。 続きを読む
第5日目 12月7日
今日はタイのバンコクからミャンマーのヤンゴンへと移動します。ただ年金生活者で少しでも費用を圧縮したい私と皆さんとでは航空機が違っています。またバンコクでの搭乗する空港も違っています。午前中は同行しますが途中から分かれて一人、ヤンゴンへと向かいます。
▲ 8:05 バイヨークスカイホテルの82階のレストランの屋根なしのオープンデッキから見えるBTS(バンコク スカイトレイン)です。バンコクの大動脈となっていますBTSですが、ホームやコンコースは狭く、車両編成も4両では輸送力不足でせめて6両編成での増結が望まれます。
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第4日目 12月6日
今日はメークローン線の撮り鉄です。終点のレール上に設置された青空市場は今やバンコクの観光地と化して大勢の観光客がカメラを構えるようになっています。過去2回訪問していますのでもう撮りたい被写体ではありません。途中の路線はドロドロのバラスもない冠水した中にありました。線路はヨレヨレでいつ脱線してもおかしくなく、水しぶきをあげながら列車が走っていました。むしろ撮りたい被写体はこちらの方だとノミネートしていました。
カンチャナブリーでC56運行のイベントが中止になって目的を失ったクモハ73106さんと、ばけぺんさんは、代わりにメークローン線の乗り鉄を楽しんでおられました。そしていつの間にかヨレヨレ路線は整備されて列車は快走していたと言われるから失望と驚きです。でも本当かなと、疑心暗鬼の訪問でした。
▲ 7年前の2012年12月7日に初めて訪れたメイクローン線の軌道です。こんな風に水の中に軌道が水没した所を走る箇所はいたる所にあり、列車は水しぶきをあげて走行していました。こんな状態が続いていたらそのうちに脱線転覆する日も来るだろう、そして修理復元は行われずに廃線になるだろうなあと最悪の事も予想していました。
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第3日目 12月5日
12月5日は、毎年タイ国民から絶大な崇敬を集めていたプミポン前国王の誕生日を祝って日本製パシナ重連が牽引する列車が走っていました。またこの日は前国王の誕生日にちなんで「父の日」に制定されています。昨年の10月13日に国王が死去されると、1年間の服喪が発表され、12月5日は今まで同様にSL列車が「父の日」記念号として走ることになりました。今年は東線の観光地チャチューンサオ(Chachoengsao )までを往復します。
今まで2回この列車を撮っていますが、今回走る東線は初めての撮影地です。今日は運転手付きのタクシーをみんなでチャーターしました。追っかけしながら昨日ロケハンした撮影地を回ります。
▲ 7:10 父の日記念号の始発駅ファランボーン駅に参りました。例年、多くの皆さんが取り囲んでおられますが今年はそうでもないようです。10両編成の客車をパシナ重連が牽引します。
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新しい年が明けました。微力ですが、ことしも“デジ青”活性化に尽力できればと願っています。さて、ことし最初の鉄活動は……と思いを巡らすと、足は自然と住吉大社の初詣客への阪堺電車の大輸送に向かいます。住吉で思い出すのは、新春の恒例行事として長年続けられていた乙訓老人のことです。めっきり足腰が弱った老人が、阪堺詣でを止めてから数年が経ちます。その老人の思いを引き継ぐつもりで、私も何回か行きましたが、もう4年も訪れていません。この間に、住吉~住吉公園が廃止になり、車両面でも、新しい連接車が増備されて、旧型車の活躍もさらに狭められるなどの動きが出ています。しかし、正月だけは別です。すべての車両を総動員して、押し寄せる初詣客の輸送に当たります。旧型車両のとの再会を楽しみにしての住吉入りでした。
▲4年ぶりの阪堺詣で目についたのは、“堺トラム”こと連接車1001形の活躍ぶりだ。グッドデザイン大賞受賞のプレートも誇らしく、3連接車体で大量輸送に当たっていた。
第2日目 12月4日 その2
左はチャチューンサオ(Chachoengsao )から乗車した280列車の時刻表です。前回乗車した経験からタイ国鉄は日常的に遅延が多いと思っていました。今回も大幅ではないですが少し遅延していました。前はノンカイまでで約3時間以上遅れていましたので、まあ、想定内ですね。
時刻表はタイ国鉄の公式HPからの転載です。
http://www.railway.co.th/
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