私もレポートします。 明知鉄道ツアーから (上)

岩村で日本一の農村風景に浸る

明知鉄道ツアーから一週間が経ち、楽しかったシーンを思い出しています。さすが百戦錬磨(?)のクローバー会の面々、直行・直行では満足せず、前後のコースには独自色を出して、さまざまな立ち寄りレポートが本欄にも寄せられています。かく言う私も、集合前には準特急さんと中央西線で撮影し、明智で解散したあとは、暗くなるまで明知鉄道を撮影しました。下車したのは岩村で、一緒に下車した、どですかでんさんと岩村電気軌道の廃線跡を探訪したあと、一人で撮影地に向かいました。岩村を撮影地に選んだのは、農村景観日本一に選ばれた付近の田園で撮影するのと、交換列車のシーンを撮ることでした。農村景観日本一にふさわしい、穏やかで心和む風景が続く岩村付近。
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恵那への乗り鉄旅

すでに事務局からは明知ツアーの様子や、どですかでん氏からは40年前の謎解きの報告がありました。今回19名が各地から恵那へいろいろなルートで集結しましたが、ここでは私が恵那へ向かった乗り鉄旅をご紹介します。年金生活者のジパング族には「のぞみ」は贅沢ということで御法度になっていますので、三原から「こだま」、「ひかり」を乗り継いで、うんざりしたところで岐阜羽島で下車しました。本当の乗り鉄は岐阜羽島からです。まずは名鉄羽島線から。

新羽島駅の笠松行き3154(Tc)+3254(Mc) 右手は新幹線岐阜羽島駅

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O君、やっと、わかったで!C12を撮った場所が・・・難儀したがな

 ホンマに難儀したがな。ちょっとでも撮影場所を書いといてくれれば、こんな艱難辛苦をせずものを。それで電子的BOXに持って行って、これは一体どこで撮ったのか教えてもらえないかとゆうてみると、そこは地の果てまで汽車を追っかける強者たち。摂津の国に住まいする何某がC12の何番がどこにいたのかということからわかるんと違うかと。いろいろな人がBOXに来ては、なんやかんや言って行くのであるが、なかなか。最初に高森線と思いきや、どうも明知線ではないかと。そして、背後の山から恵那と東野間のどこかでないかと追い詰めると、あとはO君がどこでカメラを構えたのか。O君は道なき道をかきわけて、写真を撮りに行くような戦闘的撮影行は見たことがなかった。彼の名作(迷作か)で「珍竹林」と題した写真があったのを思い出す。かといって日和見的でもなく、それなりにカメラを構えるところを探し歩いたに違いない。前回の投稿でコメントに書いたように、萩に親戚がいるので一緒に行こうということで夜行で厚狭に、美祢線で長門市を経由して萩へというコースであった。せっかくだから美祢線大嶺支線の蒸機列車を撮ることになり、南大嶺で降りて美祢線と支線の分岐点までいっしょに必死になって歩いたことがある。冬の朝方のことである。そんなO君だから線路に沿って歩いて撮影場所を探したのだろう。

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明知線ツアーご報告

5月26,27日明知線方面でDRFCクローバー会1泊ツアーが開催されました。先日の都電撮影会でもそうでしたが、当初の予報では雨のところ当日は晴れ渡り、改めて会員諸氏の日ごろの行いの良さが証明されました。       明智駅にあるC12保存機の前で記念撮影 続きを読む

暖かい内地への旅 Part16 熊本市電を撮る④ 通町筋~健軍町

第9日目 3月3日 その3

10:18 上熊本駅前から「COCORO」に乗って西辛島町へと参りました。ここで降りてまた歩いて健軍町まで撮り鉄で参ります。

▲ 11:04 西辛島町~辛島町 熊本駅前から合流してくる1350形1352です。ここからは市電の運行本数がグイと増えます。待たずに乗れる路面電車です。

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暖かい内地への旅 Part15 熊本市電を撮る③ 通町筋~上熊本駅前

第9日目 3月3日 その2

▲ 7:46 遅延なくスムーズに走行して通町筋に到着です。対向車は熊本市電の最新鋭2014年製の超低床連接車、愛称は「COCORO(こころ)」。水戸岡鋭治氏デザインの新潟トランシス製3編成目の0800形803です。
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暖かい内地への旅 Part15 熊本市電を撮る② 慶徳校前~田崎橋

第9日目 3月3日 その1

今日で台湾の高雄から始まった今回の旅も終わりです。帰路は空路ではなく初めて乗車する九州新幹線にしましたがジパング倶楽部利用ですので「みずほ」には乗れず「さくら」になります。指定席にすると2+2のシート配置でグリーン車気分でゆったり乗車できますのでこれにしました。今日は、夕刻まで熊本市電撮影に励みます。

朝早くに起き上がりました。熊本市電の殆どは併用軌道を走りますので早朝は自動車も少ない最も適した時間です。今朝の熊本の日の出時間は6時43分、夜明けの街に出ました。

▲ 6:28 夜明けと言ってもまだ少し明るくなった程度で、街路灯が輝いていました。ホテル直ぐの電停の「慶徳校前」を発車する田崎橋行き始発電車の8200形8202です。手持ちで発車したばかりを撮りましたが、よく写るカメラです。最高感度はISO51200ですので余裕のISO5000です。拡大しても粒子の荒れはなく、画質は安心してシャッターを切れるようになりました。
【DATA】NikonD500 ズーム36㎜ F4.2 1/125秒 ISO5000 露出補正-0.3段

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暖かい内地への旅 Part14 熊本市電を撮る①

第8日目 3月2日 その2

16:01 熊本到着です。まずは宿泊するアパホテルへチェックインのため熊本駅前からA系統の市電に乗車して向かいました。下車駅は1駅先の辛島町にしました。
1日乗車券は車内で買い求めましたが鹿児島より100円安い500円です。

熊本は学生時代に高森線訪問の際に立ち寄りましたが市電は見向きもしませんでした。勤務時代も立ち寄ってはいますが市電に接する機会はありませんでした。最近では2000年にSL人吉撮影のため市内をぶんしゅう7号で走りましたが撮影することはなかったので初めての訪問と言ってよいと思います。
改めて熊本市電の歴史を見ていきますと路面軌道では珍しい蒸気機関車が走っていたという記載があり引きつけられました。ヨーロッパの各都市では路面電車が走る前は蒸気機関車が客車を牽引していた例が多いのですが、日本でも松山の坊ちゃん列車以外にもあったのかと驚きながら調べてみました。
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薩摩を旅して(後編)

南薩鉄道の跡を訪ねて薩摩半島を北上し、伊集院を経て串木野に着きました。薩摩島津家の財政を支えた金山を訪ねるためです。三井串木野金山の一部が「ゴールドパーク串木野」というテーマパークになり、更に現在では焼酎メーカー濱田酒造の「金山蔵」となっていて、かつての坑道が焼酎の醸造施設に利用されています。その坑道奥にある醸造施設を日に4往復のトロッコに乗って見学することができます。

平成30年5月11日 金山蔵トロッコ乗り場

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薩摩を旅して(前編)

NHKの「西郷どん」とは関係なく、薩摩半島の旅を楽しんできました。錦江湾に面した指宿など半島東側は以前訪ねたことがあったのですが、鹿児島交通(南薩鉄道)が走っていた半島西側に行く機会がありませんでした。鹿児島交通南薩線(伊集院・枕崎間)49.6Kmは昭和59年(1984年)3月に廃止されています。南薩線以外に知覧線、万世線もありましたので、今回はできるだけ多くの遺構を訪ねることにしました。鹿児島でレンタカーを借りて、まず知覧に向かいました。知覧は薩摩藩の城下町であるとともに、終戦直前に各地から集められた多くの学徒・少年飛行兵が数ヶ月という短期間に続々と特攻機で飛び立った地として有名で 見どころの多い町です。まず知覧駅跡を訪ねました。知覧線は昭和40年7月の水害で不通となり、同年11月に廃止され、廃止後52年を経過しています。駅跡は鹿児島交通のバス車庫やドラッグストアとなっていて、広い構内だったことがわかりました。

平成30年5月9日 知覧駅跡

ところどころに古い枕木や、鹿児島交通と彫られた境界標が残っていました。知覧の町に入る手前の麓川には石積みの橋台が草木に覆われて現存していました。

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暖かい内地への旅 Part13 観光列車「いさぶろう・しんぺい」に乗って大畑を越える、熊本へ 

第8日目 3月2日 その1

今日は51年ぶりに肥薩線に乗って大畑に向かいます。前回は、まだ大学に入って1回生の夏のDRFCの狂化合宿でした。合宿は2カ所が設定されていて最初は宮原線麻生釣で無人駅そばでテントを張りました。次が大畑でここも駅近くでテントを張ったと思いますが、当時はカメラを持っていなく乗り鉄旅だったので記憶はあるが記録はありません。

7:24 今朝も朝食はチェックアウト後に外で済ませました。列車の時間までは結構ありますので天文館通電停付近で未撮影の車両は来ないかと、待っての市電の撮影です。
▲ 直ぐに来たのは未撮影の600形603です。これは幸先が良いと喜びましたが、この後は撮影済み市電ばかりでした。
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 駅撮り一時間 -記録が記憶になる- 〈5〉

昭和42年4月3日 佐世保

少し前に九州を回ってきました。JR九州の車両はすっかり様変わりしてしまい、興味が湧きません。もっぱら、かつての撮影地を再訪問することにしました。何ヵ所か訪れましたが、今回、採り上げた佐世保は、ちょうど50年ぶりの訪問となりました。

50年前の佐世保で興味深かったのは、特急・急行列車の運転でした。手前の早岐で進行が逆になるため牽引機の機回しとなるところですが、早岐~佐世保間はわずか8.9キロ、また佐世保駅は狭くて機回しの余裕もないため、早岐に着いた列車の後部に別の機関車を付け、プッシュプルで佐世保へ向かいました。佐世保発はこの逆の編成となりました。特急・急行でも蒸機が先頭に立ったり、車両基地が早岐にあるため各種の回送列車が設定されたと興味深い駅でした。
蒸機が先頭となる特急・急行の代表は、何と言っても「さくら」だろう。本来はDD51が先頭だが、早岐~佐世保ではC11が先頭に立った。

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暖かい内地への旅 Part12 鹿児島市電を撮る⑤ 郡元~谷山、西鹿児島駅前

第7日目 3月1日 その3

郡元からは谷山行きに乗って南鹿児島駅前を目指しました。JRとの乗換駅でもありますので乗降客が多いだろうと思ったからです。

11:47 JRとの乗換駅の南鹿児島駅前に到着です。向かい側のホームは20人近くの乗客がお待ちでした。路面電車のお客としては多い方です。1日平均乗降者数はJR2,575人、市電は1,326人です。

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乙訓の老人 鉄道つれづれ草《続・続・続 富山地方鉄道のこと》

老人は、三八豪雪後の5月に勤務先が工場火災に遭い、それまでに撮りためていた富山時代の写真は、ネガを含めて全て失ってしまった。そんなことで高岡地区には精通している。このシリーズは、残っていた写真と、それ以降に訪問して新たに撮った写真で構成してみた。
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暖かい内地への旅 Part11 鹿児島市電を撮る④ 鹿児島中央駅~郡元

第7日目 3月1日 その2

朝の鹿児島駅前電停は唯一桜島とのコラボが撮れる場所ですが、この朝はあいにくと昨日からの雨雲が引かず、ハッキリとした姿を見せてくれませんでした。
▲ 8:45 ガランとした電停に9500形95052140形2141が滑り込んできていつもの賑わいを取り戻しました。

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 駅撮り一時間 -記録が記憶になる- 〈4〉

昭和41年8月21日 広島駅

広島駅で下りブルトレが次々発着していた1番ホームの東端に行くと、切欠きホームとなった短い0番ホームがあり、そこで発車を待っていたのが、機械式のDC、キハ04でした。このホームは、広島の市街地を東縁に沿って宇品まで向かう宇品線の専用ホームで、ラッシュ時以外はキハ04が単行で運転されていました。しかし超赤字路線で、訪問した昭和41年の末には旅客営業を止めており、その直前の情景でした。
広島駅0番ホームで発車を待つ、宇品線531Dのキハ04 104〔中ヒロ〕、現在、この場所は埋められて、JRの駐車場になっている。

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暖かい内地への旅 Part10 鹿児島市電を撮る③

第7日目 3月1日 その1

昨日は全線を乗り、雨の降っていない間は歩きましたので沿線の大体の様子は分りました。今日はまだ撮れていない車両の撮影と気になった撮影地のもう一度の本チャンの撮り直しです。

移動に利用するのは今日も1日乗車券(600円)です。

▲ 7:09 ホテルに近い「天文館前」からの撮影開始です。幸先よく初めて見る600形614がやって来ました。
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 駅撮り一時間 -記録が記憶になる- 〈3〉

昭和41年(1966年)3月19日 広島駅  その1

しばらく“デジ青”から遠のいていましたが、また復帰しました。「駅撮り」、3回目は広島駅にしました。広島駅は、高校一年生の昭和41年3月、初めての一人旅で夜行列車に乗って着いた駅でした。初めて見る列車・車両ばかりで、今でもその感動が心のなかに残っています。もちろん広島には新幹線もない時代、山陽本線には特急・急行列車がつぎつぎ発着し、全線電化が完成したはずなのに、C62の牽く列車まで顔を見せるなど、今とは全く別世界の様相でした。
朝の広島駅で、下りのブルートレインが続々と1番ホームに到着する。ブルトレは、当時関西で昼間見られるのは、「あかつき」だけで、東京発ブルトレは、定時運転している限り、関西では、明るいうちに見ることができない、憧れの列車だった。写真はブルトレ本家たる「あさかぜ」を、65Pトップが牽く、正調派のブルトレだった。

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暖かい内地への旅 Part9 鹿児島市電を撮る②

第6日目 2月28日 その2

13:59 昼食が済んで外に出てみますと小雨が降り出していました。少し様子を見ていましたがこれでは歩いてのロケハン撮り鉄は辛いものがありますので、乗りながらのロケハンに切り替えて終点の谷山方面へと向かうことにしました。
▲ 平日のお昼過ぎなのに乗降客の多い鹿児島中央駅前です。左は2100形2132、右は9700形9702、広告は「さんふらわぁ」号です。
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乙訓の老人 鉄道、つれづれ草《続・続 富山地方鉄道のこと》

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