「未分類」カテゴリーアーカイブ
メリークリスマス 都電のクリスマス電車
昨日12月24日藤本先輩と都電荒川線のクリスマス電車9001号を追っかけてきました。朝から何度か撮影し 最後に三ノ輪橋発車を写し 町屋駅前で先輩と別れ 王子駅前で降りて地下鉄で帰る予定でしたが ふと飛鳥山公園の保存車都電6000形を思い出し見に行きました。
↓ 9000形9001号(クリスマス電車) 三ノ輪橋行 (大塚駅前ー巣鴨新田 間)
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奈良機関区のC51-奥山先輩のアルバムから
C58からC51へ。話は転々、とうとう奈良機関区のC51にまで及びました。先日の奈良線の写真と共に、奥山先輩のアルバムに梅小路、奈良機関区のC51が特別に分類・整理されていましたので、ここに紹介します。なお、最初の1枚だけは梅小路所属のC51です。
▼C51256 【梅】 京都駐泊所にて 1960.10.26
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奈良線の思い出
どですかでん氏の投稿に続いて、tsurukame氏から奥山先輩の貴重な写真のご紹介があり 昨日来 奈良線の写真を改めて探すことと相なりました。奥山氏の写真を拝見して、撮影地点などを推測してみました。
(1)D51750牽く客レ
撮影月日が10月24日ということで この臨客は10月26日に開催される天理教秋季大祭に向けて全国から信者が天理に向かう臨時列車だと思われます。通常奈良線にはD51は走らず、このような長編成の臨客にD51が使われていました。
(2)632D
準急色のキハ55を4両もつないだ列車があったとは驚きです。たまたま私の手元に1961年6月号の時刻表がありますのでこれを見てみると 確かに632Dは王子発9:06 桜井線、奈良線経由京都着11:50の普通列車として走っています。しかし奈良線には当時準急列車は設定されておらず、強力なキハ55を4両も普通列車に組み込むのは不思議です。何かのアルバイト運用なのか、よくわかりません。この列車の先頭はキハユニ16ということですが、京都向きにキハユニ16を組み込んだ列車が1往復走っていました。従ってこのキハ55はうしろからの撮影だと思われます。
奈良線と云えば、宇治在住の奥山先輩
どですかでん様、西村様、準特急様の楽しい話を読んでいて、はっと気づいたのが、フィルムと写真を預かっている奥山先輩のことです。近頃奥山さんの機関区めぐりは休眠状態で、C57第四次以降進んでいませんが、奈良線と云えば宇治市在住の奥山さんを忘れ去る訳には行かず、早速アルバムから、奈良線関係の非電化時代を取り出し、ここに蒸機、ディーゼル機、DCを見て頂きます。撮影場所は記録されていませんが、撮影年月日、車両番号は細かく記録されています。場所をご存知か、思い出されたらコメントを頂ければ幸いです。C58も登場します。
▼臨客 機D51750【奈】 1960.10.24
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「あの桃山あたりの・・・」に寄せて
あの桃山あたりのC58はどこで写したのだろうか。
西村さんが「宮城県下の保存C58」の最後に「私にとってのC58は、かつて伏見に住んでいたとき桃山あたりで撮っていた奈良線のC58が最も印象深く、今は亡きS氏とともになつかしくよみがえります。」というところを読んで、思い出したのが、あの私の迷?作である唯一の奈良線C58の写真です。たぶん、毎年学館で行われる恒例「鉄道写真展」に出展したと思います。題して「父ちゃんのポーが聞こえる」であります。この写真の題名は、いまだに治療方法が確立されていない難病ハンチントン病にかかった少女の詩集を出版され、それを映画化された詩集と同名の映画からつけたものです。私は見いていないのですが、1971年東宝で制作され主演は機関士役に小林桂樹さん、少女役は吉沢京子さんという映画です。私の撮った写真も1971年9月に撮影しています。だからこのような題名をつけたのだと思います。その写真というのは
近鉄モワ1851
山陽電鉄、台湾の鉄道と姉妹協定
サルに遭遇
今日は北海道は猛吹雪だそうである。先日、紅葉狩りを兼ねて秩父鉄道に出向いた折にサル軍団に出会った。影森~浦山口の武甲山採石場への引き込み線の近くで定番の撮影地である。餌でも探しに来たのかサルの軍団が人目を警戒しつつ線路を越えて民家の庭先に入り込んできた。しばらくして毎度のことなのか住民が自転車に乗ってサルを追い払っていた。撮り鉄猛者の諸兄はサルなどしょっちゅう見ておられることとは思うが、こちら小心者で一瞬びっくりしたので報告した次第である。以前、伯備線の岡山・鳥取の県境近くでも見かけたことがあり、他にも碓氷峠の国道や東海道本線の撮影名所早川~根府川のみかん山でも見かけた。日本国中に居るのかもしれない。ところでサルは人間を襲うことはないと思うが、熊はそうはいかない。最近は餌がないのか人里に下りてきて老人が襲われたというニュースをよく耳にする。秩父でも今年になって西武の横瀬駅から武甲山にかけて熊が出没しており、警戒を呼びかける注意書きを見た。北海道では知床や日高は当然であるが札幌や小樽にも現れており、陸続きである限りどこも安心はできない。熊は臆病なので音の出る鈴などで近寄らせないようにとよく言われる。私などは音をたてるとかえって気づかれるのでないかと思いどうも鈴の準備には信憑性がないと思ってしまう。熊やイノシシやサルに比べまず襲ってこないのが私の大の苦手の爬虫類。こちらは最近はほとんど見かけなくなったがどうなったのだろうか。どの動物も普段は出会うことがないのでたまたま見ると驚くがよく考えてみると人間よりは怖くはないのかもしれない。 続きを読む
環状線103
東急電鉄デト3014
小田急デト1
初投稿です
先日の総会に新会長のお導きも受け参加させていただきました。その節はありがとうごいました。アカウントを取得しまして掲示板デビューです。四苦八苦しながらの投稿ですが・・・
総会の日は、四条河原町から河原町通→二条通→寺町通→丸太町通で地下鉄の丸太町まで歩きました。(もう少し早く出てたら学校まで歩けましたが・・・)
四条通に出たところで、歩道拡幅の話を思い出し現況をスナップしました。数年前の祇園祭の際に四条新町の辺りで身の危険を感じるほどの混雑がありましたが、工事は確か烏丸~川端ですね。写真は高島屋の前あたりです。似た地点の市電の写真をお持ちの先輩はきっといらっしゃるかと思います。よろしければご披露いただけませんでしょうか?私は河原町通の市電は記憶にありますが、四条通は知りません。 続きを読む
九州のたび(その3)
熊本で宿泊、3日目は撮影が中心となりました。前日に熊本都市圏の公共交通機関が1日乗れる、わくわく1dayパスを買っていたので7時過ぎにチェックアウトし、上熊本から熊本電鉄の「青ガエル」を撮影することにしました。上熊本の始発は7時20分と遅く、これで通勤通学に対応できるのでしょうか。この日は日曜日とあって上熊本から乗ったのは数人でした。5000形はケロロ軍曹のシールがべたべた貼られたものと、シールなしのもの各1両が運行していますが、来たのは残念ながらシール付の方、その上両運転台に改造され、切妻側を前にして走ったのでは興ざめです。
↑上熊本駅付近で5000形
↑打越付近遠くに熊本城が見えます
打越で下車し、撮影しながら北熊本まで歩きました。北熊本ではシールの無い5000形と元南海22000系の200系、遠くにモハ71型を見ることが出来ました。 続きを読む
置き換え進行中の南武線
9月7日デジ青[51006]「私の撮った南武線過去車両」の中で10月からのE233系8000番台の登場について触れた。総本家青信号特派員さんが、11月4日デジ青[53101]「秋は気ままな一人旅-5-」で上越線EF64牽引の甲種輸送列車新津製作所製造の南武線E233系8000番台をご披露いただいたこともあり、新旧南武線車両の近況を発表させていただく。E233系は10月に投入されたが見た感じでは11月中旬で20%くらいが置き換わった。横浜線の例では凡そ半年で置き換わっているので南武線205系、209系を記録されたい方はお早めに。
2014.11.4 府中本町~南多摩 10月から投入されたE233系8000番台 川崎行きクハE233-8004 後方にあるのは武蔵野貨物線▼
最後の飯山線狂化合宿とC56111
準特急先輩と、どですかでん先輩の飯山線狂化合宿の投稿を拝見して、私も飯山線狂化合宿の記憶をたどってみました。私が行ったのは昭和47年2月18日~21日やはり鹿渡館に宿泊しました。この年は雪が少なく、初日に替佐で撮影した時には日陰に残雪があるくらいで、上滝、横倉と進むほどに雪は多くなってきましたが、それでも豪雪地帯と聞いていたのとは程遠い風景でした。
↑1972.2.20替佐にて
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珍説飯山雪合戦騒動 上境合戦の段
準特急さんが飯山線越後鹿渡での狂化合宿のことを「保存蒸機とその現役時代(33)」で雪合戦の写真とともに述べられておられるのを読んで、私も1971年(昭和46年)の2月20日から22日にかけて行われた狂化合宿のことを思い出しました。この時に撮影したC56は111号機でありませんでした。しかし、この時の合宿で珍事というか、とんでもないことが起こったのであります。それは上境駅周辺で撮影していたのですが、列車が来るまで時間があったので例によって雪合戦を行ったのであります。ちょうど小高くなった小さい雪山があったので、上と下に分かれて雪合戦を行ったのです。その時のことが「青信号26号」に書かれてあるので引用いたします。ただし、今となっては不適切な表現があるので一部をカットさせていただきます。
新幹線試作車
保存蒸機とその現役時代(33)
11月11日米手作市様より広島の保存蒸機C11189についてお問い合わせの投稿があり、そう言えば最近保存機今昔が途絶えているので久しぶりにデジ青へ投稿させていただく。11月9日のホームカミングデイには現役生を交えてOB会クローバー会の総会・大宴会が開催され盛況のうちに終了したが、その翌日、宝塚市にある雲雀ケ丘学園に保存されているC56111を訪ねてみた。この機関車は当時の当会恒例行事である冬季狂化合宿に参加するため飯山線列車に乗車した際に途中駅で撮影したものである。併せて狂化合宿の一端もこの場を借りてご報告したい。
C56111 1937年 三菱 製番211
新製後、門司、木次に配属されたようであるが、1955年飯山機関区に配属されてからは雪深い飯山線で活躍し、1973年に九州吉松機関区に転属し翌1974年に廃車された。
説明板には当学園の創立25周年(昭和50年)を記念し宝塚市と国鉄のご好意で永久保存するとあり、僚機がタイ、マレーに90両送られたこと、大半を長野県下で過ごしたこと、宮崎植樹祭でお召予備機になったこと等適切に書かれている。また、貴重な文化遺産であるから大事に保存したい旨書かれており、保存状態は極めて良好であった。