保存蒸機とその現役時代(34)C11244に寄せて

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          昭和49年9月16日撮影

準特急先輩より1月27日【55451】で会津柳津駅前に保存されているC11244が紹介されたが、何となく気になるナンバーであり、記憶を辿ってみた。

昭和49年のゴールデンウィークのこと、京都を「きたぐに」で出発し、長岡で信越本線の旧形国電、越後交通栃尾線、長岡線を撮影後、加茂から蒲原鉄道を訪れ、五泉で会津若松まで行く最終列車に乗り、上野行夜行急行「ばんだい6号」に乗車、郡山駅で仮眠をして上野発夜行「あづま」2号で仙台入りした。
仙石線と市電を撮影後、磐越西線の川桁で宿泊して、翌朝の一番列車で喜多方に行った。
この日の目的は日中線の乗車と撮影であったようである。
朝の列車には間に合わず、次の列車は夕方の16時4分で、日中の運行は無い。
当時1時間に1本程度運行されていた喜多方~会津坂下間のバスで会津坂下に行った。この区間は鉄道はU字形に迂回するのに対し、バスは最短距離で結ぶため所要時間、運賃ともに優位であった。

会津坂下に行っても只見線は列車本数が多い訳でもなく、その辺をブラブラしていると、貨物列車が来る時間でもないのに汽笛が聞こえ、門デフのC11254とC11244の重連がやってきた。
C11244は綺麗に整備されていたが無火であった。暫く停車後只見方面に発車して行き、暫くするとC11254が単機で戻ってきた。

バスで喜多方に戻り、夕方の日中線の列車で熱塩に行き、発車を撮影。最終列車で喜多方に戻り、会津若松から上野行夜行急行「ばんだい6号」に乗車、翌日は青梅線と南武線の稲城長沼で撮影後、新幹線で帰京した。
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カウントダウンを迎えた京成電鉄モハ3300形

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柴又で交換する3304編成と3344編成 (平成26年10月30日)

京成電鉄3000形3030編成(8両)が1月28日から29日にかけて日本車輌から総合車両製作所に甲種輸送された。
3029編成についても間もなく完成するものと思われるが、この2編成16両と引き換えにモハ3300形16両が廃車される予定である。
モハ3300形は、昭和43年から47年に54両新製されたが、平成19年から廃車が始まり、現在稼働しているのは下記の16両である。

←上野 3304+3303+3302+3301

    3344+3343+3334+3333

    3308+3307+3306+3305(7264+7263+7262+7261)

    3316+3315+3314+3313(7268+7267+7266+7265)

3308編成と3316編成は北総鉄道にリースしており、( )のは北総鉄道での車号である。

編成単位に解説する。
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大津市歴史博物館企画展「江若鉄道の思い出」

img359 img360DRFCクローバー会会員の皆様にはすでにお知らせしております。大津市歴史博物館企画展「江若鉄道の思い出」展のポスターができましたので、再度ご案内いたします。

西村雅幸氏製作の浜大津他江若鉄道のジオラマ、福田静二氏の写真などが展示の中心となり、3月14日には「江若、最後の二日間を追って」と題して福田静二氏の講演会が開かれ、すでに多くの方から参加の御連絡を頂いています。是非お越しください。また、これに合わせ懇親会も計画しております。

国鉄モハ54003~005

今週初めから数十年ぶりのインフルエンザにかかり寝込んでいました。
今は、全てを妻にうつして快癒致しましたのでご安心下さい。

さて、この車両は、電車オンチの私でも知っています。乗ったこともありまして写真も持っていると思いますが、さて探して見つかるか・・・

どなたか、現役時の写真がありましたら見せて下さい。
国鉄モハ54003~005_NEW 国鉄モハ54003~005(文)_NEW

 

保存蒸機とその現役時代(34)

保存機久し振りの投稿でC11とする。

只見線会津柳津駅前保存のC11244

1943年5月 日本車両 製番1172  新製後大館、秋田、青森を経て最終配属は会津若松。生涯を東北一筋で過ごし1973年に廃車された。 撮影2013年9月22日▼s-13.9.22柳津C11244

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元京王電軌23型生き残りの記録

米手作市様のデジ青[55094]「京王電軌23型」に関して保存されていた函館市電405号の写真を探していたら出てきたので発表する。京王電軌23型44両のうち函館に譲渡された元京王54号(大正11年)の函館市405号は1961年の廃車後1970年まで駒場車庫に保存展示されていた。写真は1969年3月19日の撮影。尚、函館市電は東京都(都電ならびに都営新宿線)、玉電(東急世田谷線)、京王線と同じ1372ミリゲージである。▼s-69.3.19函館405(1)

 

東武東上線8000系10連Final-Run

東武鉄道8000系は1963年から1983年までの20年間に712両という私鉄界最大両数で製作された車両である。発電ブレーキを持たず経済車というイメージが強いが、台車はミンデンドイツ空気バネFS356で当時よく乗車した阪急の新型車のFS345と似た台車であったがどういう訳か阪急は空気バネではなく、このことがよく話題になった。なお、8000系の後期の車両はS形ミンデンである。関東地区では現在、ステンレスやアルミ車が全盛で鋼製車である京王6000系、小田急5000形などは消え、京成3300形も風前の灯である。このような状況下東武8000系も今回の東上線池袋~小川町間からの撤退により、伊勢崎線系統も含め支線、ローカル線の運行が中心になるものと思われる。

最近の東武鉄道では8000系のリバイバルカラーや6050系改造の展望車スカイツリートレインが話題を提供しているが、1月11日に行われたリバイバルカラーの併結運転を期日を間違えてしまい、やむ無く17日の10連のFinal-Runを撮影したので、過去の8000系の写真とともに報告させていただく。

2015.1.17 霞ヶ関~鶴ヶ島 小川町行き臨時列車8606  JRのイベントと異なりホームに撮影者がいる程度で私の撮影場所は私以外は一人しかいなかった。 ただ、このイベント列車は早期に満杯となった様である。 ▼s-15.1.17鶴ヶ島8606 続きを読む

東風吹かば 鯰の鳴動 街砕く Ⅱ

鯰が暴れたころの老人はDRFC、海外鉄研、JTC(日本路面電車同好会)のメンバーで、連絡が取れない会員の情報集めに熱中していた。26日、姫路の木村氏から「JTS二井林御大に連絡が取れた。マンション入居OKで自宅に帰られたので訪問したいが、須磨以東は山陽本線不通の為で芦屋へ行くのは困難やけど……」と電話が入った。「甲子園-青木間が運転開始となる。誰か誘って行ってくる!」と返事。JTC・Ku、Am両君に連絡、午後3時30分阪神芦屋駅集合とした。二井林御大に電話を入れ「明日行くから、何を所望するや?」と聞き、結果を3人で分担購入する事にした。

昼間は急行になる直通特急

昼間は急行になる直通特急

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東急電鉄デト3014、3015に寄せて

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秋田中央交通デワ3001+ナハフ20+ワム+トラ/昭和43年9月1日 八郎潟

「昭和の電車」は、「小田急デト1」に続き「東急デト3014」が登場した。
今回のデト3014、3015について知る範囲で書いてみた。

デト3010形は東急の前身目黒蒲田電鉄のデト1~3、(1、2/大正11年、3/大正13年汽車会社)、東京横浜電鐵デト4、5(大正15年藤永田造船所)で経歴は下記の通りである。
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こち吹かば 鯰の鳴動 何処より Ⅰ

酒井福三さん撮影

酒井福三さん撮影

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20年前の1月17日、朝5時に目覚め布団の上で胡坐をかいて仕事の段取りを考えていた。松の内が終わり、いよいよ年度末工事の最後の追い込みが始まり、職人の取り合いが現場で、いや社内で始まるのである。その時グラグラときた。間をおいてドンドンと上下動があって、とたんに布団を頭から被った。治まって枕元の時計を見ると5時48分である。物干し場に出てみた。揺れ返しがあったが直ぐに治まり東南方向が薄赤い。とっさに浮かんだのがタイトルの一句、狂歌である。物干台が崩れなかったので余裕があったのであろう。夜明け前のしじまを縫って救急車のサイレンがあるが消防車の方はない。6時22分、ぱっと電気がついた、娘がテレビを点けた。神戸の姿が映し出されるが、これは一部だろうと思いガラス窓や建具のチリなどを点検した。小畑川を渡る5:35西向日発梅田行きはやって来たが、5:46長岡天神発河原町行きの橋を渡る音がない。以後11時を過ぎるまで阪急は来なかった。何時も風と共にやってくるJRの走行音もなく静かな一日が始まった。9時になって京都営業所に電話をしたら老人以外は全員揃っているとか。「阪急動かない」と言ったら、「電話もないしテレビの前に電話置いて待機してはったら……」となるも仕事より電車が気になり線路際にカメラ持参で出てみることにした。11:46にレールを伝わる音がした。振り向いてみると2300系7連が鉄橋めがけてスロー運転で登ってくる。5:46発の車両だろうが6時間遅れとなる。運転台には運転手以外に2人の制帽姿の添乗員がおり、渡橋前に一旦ストップとなり、それから超スローで橋を渡っていった。後部にも2人の添乗員、開通は15時頃となった。事務所に電話したら「何処からも電話がない、出てこなくても大丈夫」と言われ、自宅でテレビの番人となった。

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上越線の重連列車

2014年10月30日付デジ青[52792]「秋は気ままに一人旅ー4ー」で深夜の水上駅で電気機関車重連の急行列車を撮影したことがあるとコメントしたところ、投稿者の総本家青信号特派員さんよりその写真を見せよと言われた。身震いするような写真ではないが、ここに昼間の重連列車とともに掲載させていただく。2枚共に逗子の旦那と一緒に撮影をした。

1980年1月18日金曜日の水上駅に23時41分着47分発の急行801列車上越線・羽越本線経由秋田行き「鳥海」が到着。本務機EF5887[高崎第二]の前に補機EF1630[水上]がつく。清水トンネルの中で日付がかわり、次の停車駅は長岡であるが、石内で補機解放のため運転停車する。▼s-80.1.18EF1630+EF5887鳥海

 

続いて1980年1月6日日曜日の日中走行上り重連列車。メモに列車名がないが1980年10月号時刻表では急行9702列車「佐渡54号」の時間帯の列車。本務機EF58135[高崎第二]+前補機EF1623[水上]で土樽を通過し清水トンネルに向かうところ。尚、この頃のスキー臨時列車にはEF58単機牽引も見られた。▼83.1.6土樽(2)

 

「鏡に映った”汽車”」によせて

クローバー会の皆様 新年おめでとうございます。どですかでん様の投稿を拝見しながら、どこかで見覚えがあるナと思ったのが近江鉄道日野駅のひとコマです。ホームの反対側から写すとこのようになります。

平成23年10月10日

平成23年10月10日

鏡に映っているのはクハ1808+クモハ808 近江八幡行、到着したのはクモハ223 貴生川行です。確かに日野駅はレイアウトセクションにしてみたいような 好ましい雰囲気です。この写真は550円のS・Sフリーきっぷを手に貴生川から彦根まで乗り鉄をした際のスナップです。

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鏡に映った”汽車”

 新年あけましておめでとうございます。本年も珍奇な投稿をしますがよろしくお願いします。

 ところで、ついに越年してしまった「備後・備中に消えた鉄道を訪ねて」であるが、いまだに新山の井笠鉄道記念館から進む気配はない。とにかく先に進めなけらばならないところであるが、ちょっとだけ寄り道。

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メリークリスマス 都電のクリスマス電車

昨日12月24日藤本先輩と都電荒川線のクリスマス電車9001号を追っかけてきました。朝から何度か撮影し 最後に三ノ輪橋発車を写し 町屋駅前で先輩と別れ 王子駅前で降りて地下鉄で帰る予定でしたが ふと飛鳥山公園の保存車都電6000形を思い出し見に行きました。

↓ 9000形9001号(クリスマス電車) 三ノ輪橋行  (大塚駅前ー巣鴨新田 間)
都電20141224DSC_3187
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奈良機関区のC51-奥山先輩のアルバムから

C58からC51へ。話は転々、とうとう奈良機関区のC51にまで及びました。先日の奈良線の写真と共に、奥山先輩のアルバムに梅小路、奈良機関区のC51が特別に分類・整理されていましたので、ここに紹介します。なお、最初の1枚だけは梅小路所属のC51です。

▼C51256 【梅】 京都駐泊所にて 1960.10.26
C51256 続きを読む

奈良線の思い出

どですかでん氏の投稿に続いて、tsurukame氏から奥山先輩の貴重な写真のご紹介があり 昨日来 奈良線の写真を改めて探すことと相なりました。奥山氏の写真を拝見して、撮影地点などを推測してみました。

(1)D51750牽く客レ

撮影月日が10月24日ということで この臨客は10月26日に開催される天理教秋季大祭に向けて全国から信者が天理に向かう臨時列車だと思われます。通常奈良線にはD51は走らず、このような長編成の臨客にD51が使われていました。

(2)632D

準急色のキハ55を4両もつないだ列車があったとは驚きです。たまたま私の手元に1961年6月号の時刻表がありますのでこれを見てみると 確かに632Dは王子発9:06 桜井線、奈良線経由京都着11:50の普通列車として走っています。しかし奈良線には当時準急列車は設定されておらず、強力なキハ55を4両も普通列車に組み込むのは不思議です。何かのアルバイト運用なのか、よくわかりません。この列車の先頭はキハユニ16ということですが、京都向きにキハユニ16を組み込んだ列車が1往復走っていました。従ってこのキハ55はうしろからの撮影だと思われます。

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奈良線と云えば、宇治在住の奥山先輩

どですかでん様、西村様、準特急様の楽しい話を読んでいて、はっと気づいたのが、フィルムと写真を預かっている奥山先輩のことです。近頃奥山さんの機関区めぐりは休眠状態で、C57第四次以降進んでいませんが、奈良線と云えば宇治市在住の奥山さんを忘れ去る訳には行かず、早速アルバムから、奈良線関係の非電化時代を取り出し、ここに蒸機、ディーゼル機、DCを見て頂きます。撮影場所は記録されていませんが、撮影年月日、車両番号は細かく記録されています。場所をご存知か、思い出されたらコメントを頂ければ幸いです。C58も登場します。
▼臨客 機D51750【奈】 1960.10.24
6010241 続きを読む