2012年春の中国鉄路の旅          Part2 満鉄客車を求めて鄭州へ

第2日目   4月20日

① 大世界(地鉄)→上海虹橋火車駅
② 上海虹橋7:45(D286次)→15:09
鄭州 990キロ 7時間24分

今日は、昨日上海駅で受け取った切符を手配していただいた、鄭州鉄道日記さんがおられる鄭州へと立替金支払と、満鉄客車を見るために向かいます。


▲ ホテルの窓から見る上海の下町です。近代的なビルが立ち並ぶ上海ですが、中心部でも昔の上海を見ることが出来ます。
上海虹橋は、市内中心から約40分かかりますので、5時半には目覚めて直ぐに地下鉄駅へと参りました。


▲ 乗車しましたD286次は、「はやて」ベースのCRH2型です。1等車の切符ですが、2等車の車内を改造した1等コンパートメント車になりました。グループ旅行には最適のシートですが、シートピッチが狭いので、他人同士が乗るには辛いものがあります。 続きを読む

乗り遅れた連接車

準特急先輩の連接車シリーズは9回で連載が終わりました。自分では連接車は1枚も写していないと思っていたところ 名鉄揖斐線で写していたことをすっかり忘れていて 乗り遅れてしまいました。連載第3回の福井鉄道の770型が元名鉄揖斐線だったのも知らず、見過していました。岐阜市内は本数も多く、手軽に撮影できるので よく街歩きしたことをなつかしんでいます。路面電車はいいですネ。

平成10年10月31日 徹明町付近にて

777  平成10年10月31日 徹明町付近にて

平成14年12月29日 黒野駅にて

773   平成14年12月29日 黒野駅にて

福井鉄道に移った時点で塗装は一新されたのでしょうが、名鉄時代には2丁パンタだったのが 新型パンタ1丁に変わっているのですネ。

ところで上の黒野駅でおもしろい車両を写していましたので、付け足しながらご紹介します。ひとつは保線用のホッパー車で 国鉄のセキとホキを足して2で割ったような2軸貨車、もうひとつは軽トラを改造したモーターカー?です。1ton程度の小型ダンプを改造した保線車両は今でもよく見かけますが、軽トラが化けたのはあまり見た記憶がありません。この軽トラはスクラップになったでしょうが、ホムも生き残ってはいないのでしょうネ。

ホ繧

ホム106+ホム107

軽トラ改造のモーターカー

軽トラ改造のモーターカー

中国の蒸気機関車について(追補)

藤本氏の記事と関連コメントを見て、相生市で撮影していたことを思い出しました。写真をご紹介します。場所は赤穂ではなく 相生市の中心部にある中央公園です。藤本氏のコメントによると 平成9年に解体されたとのことですが、撮影月日が平成9年7月24日ですから、解体直前の姿ということになります。

寄贈した㈱美乃美は京都市左京区で盛業中の中国関連図書を扱う会社のようです。

↑ 1E1 貨物用 前進形 QJ6200

↑ 2C1 旅客用 人民形 RM1163

 ペーロンがとりもつ縁とはいえ 何でここに中国の蒸機なの?と思い 狭い場所でかつ逆光だったので早々に退散した記憶があります。今はモニュメントだけになっているようです。

伊予鉄道 モハニ200型

 1961年四国の私鉄電車巡りの最後は、伊予鉄道でした。松山市内線を撮影後、高浜線を訪れました。いずれも1961年3月20日の撮影です。
松山市駅のホームで撮影後、市駅の西の方に歩き、横河原線用の客車が多数見える地点でのモハニ201号車。中間にクハ101を挟んで後はモハ101。

市駅をさらに西に進んで古町車庫にて。202号車。後に火災で焼失、廃車されました。

二代目モハ203。他のモハニ200型と異なる扉・窓配置、メーカーも日立製(この一両のみ)で200型他車(日本車両製)と異なる。

モハニ204号車、梅津寺近く。海に突き出た納涼台(桟橋)が見える。

 

山西-衣山間を疾走するモハニ204+クハ404+モハ104、松山市駅行き。この付近は単線である。戦前は複線であったが、戦時中の供出で単線化され、1961年当時はそのままであった。1964年に再び複線化された。

古町車庫での205号車、405と105の固定3両編成。

古町近くの複線区間を行くモハニ206+クハ406と3両目はモハ106か?。2扉車に見えるので、クハ405の改造車106でなく、303ではないかと思われますが、乙訓の老人様いかがでしょうか。パンタグラフの位置も異なります。改造車の誕生は1961年4月だそうですが、半月あまり前の3月です。

2012年春の中国鉄路の旅          Part1 17日ぶりの大地へ

前回の旅の途中で、O氏より小竹直人さんが5月連休にプロモートしている阿里河森林鉄道ツアーに参加するが、一緒に行きませんかとのお誘いを受け、即決しました。そのまま中国に滞在した方が、安くつくのでそうしようかなとも思いましたが、香港で再入国したのはノービザでした。問い合わせますと、延長手続きは無理と分りましたので、一旦帰国して再度30日ビザを取って訪中することにしました。

帰国後に中国大阪領事館に赴き手続書類を窓口に提出しますと、「個人ビザ申請は3月から旅行代理店を通じてしていただくように変わりました。」との返答です。確かに、個人からのビザ申請は、大阪のみが受け付けていて、異質でした。
仕方なく、道を挟んで正面にある旅行代理店で申請用紙を渡しましたが、手続料は倍額の6,000円です。たった、8mほど歩いて書類を持って行き、4日後に受け取りに行くだけで、3,000円とはボロい商売ですね。わざわざ大阪まで、往復1,200円も出費して出てきたのは、無駄足でした。
折角大都会まで出てきたので、大型ショップに寄って、旅行用品などを買い求めました。重ねての出費です。

出発までの16日間は、HPへのアップロード等で瞬く間に過ぎ去り、いよいよ続いての訪問となりました。

4月19日 第1日目

① 自宅6:50→長岡京7:00(JR)→大阪(地下鉄)→なんば(ラピート)→関西空港
② 関空10:25(JL891)→11:55上海浦東(地鉄)→大世界→ホテル

今回は、マイレージチケットを受け取れるマイル数が貯まっていなく、正規航空券で最も安い関空からの上海便を利用しました。

▲ 私としては、アルコールが飲み放題だけで満足ですが、関西風味の上海線の機内食です。

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日本で保存されている中国の蒸気機関車


中国の鉄道を足繁く訪問されておられる、ぶんしゅう氏の驚異的な行動力には驚くばかりである。私は未だにフルタイムで現役を続けていることや諸般の事情により遠出は不可能であるが、都電荒川線、流鉄、関東鉄道等自宅周辺でも結構楽しめる所があり、細々と趣味活動を続けている。
中国まではとても行けそうにないが、東京都心から1時間圏内に元中国の蒸気機関車が保存されている。先週土曜日に見学に行ったので報告方々紹介する。

場所は、つくばエクスプレス「みらい平駅」から約9㎞離れた「きらく山ふれあいの丘」という「つくばみらい市」のレクリエーション施設で、みらい平駅、守谷駅、関東鉄道小絹駅からシャトルバスとコミュニティーバスの便がある。但し日曜日と年末年始は運休である。(土曜日と祝日は運転)

保存されている機関車は、元南満州鉄道の「プレニ形」で、昭和10年日本車輌で軽貨物や入換用として作られ、平成7年まで鞍山鉄鋼公司で使用されていた。
平成9年に旧伊奈町(つくばみらい市の前身)内外の有志が中国から買い取り、日本に帰還させてこの地に保存した。

あまり人目に付く場所ではないため悪戯による破損等は見られないが、15年間も雨ざらしのため老朽化が進行しており、早急に何らかの手立てを打たないと最悪の事態になりかねない状況である。

 参考までに先週土曜日時点でのバスの時刻を書いておくが、改正される可能性があるため、行かれる時は「つくばみらい市」のH.Pで確認いただきたい。また、タクシーで行かれる場合は常磐線佐貫駅が近い。
シャトルバス/日曜、月曜日運休(月曜日が祝日の場合は火曜日運休)(運賃無料)
小絹  9:30 →みらい平  9:45→きらく山10:05/11:35 →みらい平11:55→小絹 12:10
小絹12:35 →みらい平12:50→きらく山13:10 /15:20→みらい平15:40→小絹15:55

コミュニティーバス/日曜日運休(運賃100円均一)
みらい平  9:45 →きらく山10:15/10:25 →みらい平11:10
みらい平
12:05 →きらく山12:43/12:53 →みらい平13:30
みらい平15:55 →きらく山16:25/16:35 →みらい平17:20
みらい平18:00 →きらく山18:40/18:50 →みらい平19:30
みらい平  9:50 →守谷10:08→きらく山10:54/11:04 →みらい平11:55
みらい平15:45 →守谷16:03→きらく山16:49/16:59 →みらい平17:50
みらい平  7:30 →きらく山  8:14/  8:24 →守谷  9:08→みらい平 9:40
みらい平13:30 →きらく山14:11/14:21 →守谷15:05→みらい平15:35

コミュニティーバスは、みらい平駅を起点に地域を巡回後みらい平駅に戻ってくる環状運転(完全な環状ではなく一部同一ルートを走行する)である。「きらく山」は途中の停留所で、各便とも時間調整のため約10分停車する。撮影のみであれば乗ってきたバスに再度乗って帰ることは可能であるが、じっくり見学するには最低でも30分は欲しいところである。
つくばみらい駅9時45分発のシャトルバスは利用者が多く、ワゴン車の場合は乗り切れない可能性があるため、同時刻に発車するコミュニティーバスの利用をお勧めする。9時50分発でも良いが、守谷駅を経由して大きく迂回するため時間がかかる。帰りのシャトルバスは、乗客数に応じてワゴン車と通常のバスを使い分けているので、積み残される心配はない。
関東鉄道竜ケ崎線、常総線の撮影を兼ねて是非訪れていただきたい。


つくばエクスプレスみらい平駅/ホームは地下にある。秋葉原から区間快速に乗れば40分で到着する。

つくばみらい市のコミュニティーバス/東ルートと南ルートが「きらく山」を通る。

2012年 冬から春への中国鉄路一人旅  ドイツ風的蒸気機関車の撮影の旅 総集編

海外旅行では欠かせない、クレジットカードを忘れるという大失態から始まった旅でしたが、倹約を重ねて何とか手持ちの現金でやりくりしながら、O氏に自宅から送ってもらったクレジットカードを持ってきていただくまでを凌ぎました。
O氏と合流できなかった場合は、街角に這いつくばって道行く人からの施しをお願いするしかないかと覚悟しておりました。O氏様、助かりました。ありがとうございました。

44日間の人生最長の旅は、前半の「2012年冬から春への中国鉄路一人旅」と、後半の「ドイツ風的蒸気機関車の撮影の旅」になっております。まとめましたので、ご覧ください。


▲ 今回の旅では、成都から广州までと、深圳から大連までは、飛行機を利用しましたので、乗車地図では、つながっていません。

▲ 昆明のメータゲージ区間は、時刻表に記載がないので、現在調べております。分り次第に差し替えます。广州~九龍間の乗車距離は、中国鉄路区間のみです。

下記をクリックしていただきますと、内容をご覧いただけます。

【2012年冬から春への中国鉄路一人旅】

Part  1  とほほのスタート
Part  2 1891次に乗って齐齐哈尔へ
Part  3 富拉尔基(フラジル)の蒸気機関車
Part  4    国境の町、黒河(ヘイフー)へ
Part  5  国境の町、黑河(ヘイフー)のあじあ号展望車
Part  6 ( ハルピン )から鸡西(ジーシー)へ
Part  7  鶏西鉱業集団鉄路 その1
Part  8  鶏西鉱業集団鉄路 その2
Part  9  鶏西鉱業集団鉄路 その3
Part10 大地横断5,010キロ 鸡西から昆明へ
Part11 昆明のメータゲージ、 湏越(雲南)鉄道
Part12  昆明のミシェラン 雲南鉄路列車陳列館
Part13  成昆鉄路に乗って、グースの里 北碚(ベイベイ)へ
Part14  江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その1
Part15 江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その2
Part16 江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その3
Part17 北碚(ベイベイ)から重慶(重庆)へ
Part18 重慶モノレール(重庆軌道交通)
Part19 重慶から芭石鉄道へ
Part20 芭石鉄道その1
Part21 芭石鉄道その2
Part22 芭石鉄道その3
Part23 簡単便利に購入できる中国国内線航空券と鉄道切符
Part24 一旦出国、再入国で大連へ
Part25 大连市電(大连軌道交通)

【ドイツ風的蒸気機関車の撮影の旅】

Part  1 瀋陽鉄道博物館(沈阳鐡路陳列館) その1
Part  2 瀋陽鉄道博物館(沈阳鐡路陳列館) その2 展示車両
Part  3 平庄炭鉱(元宝山の建設型と、平庄の上遊型)
Part  4 平庄炭鉱(元宝山の建設型と、平庄の上遊型) その2
Part  5 平庄炭鉱から阜新炭鉱へ
Part  6 阜新炭鉱(阜新煤礦鉄路)その1

Part  7 阜新炭鉱(阜新煤礦鉄路)その2
Part  8 北台製鉄所 その1
Part  9 北台製鉄所 その2
Part10 北台製鉄所 その3
Part11 錦州八角台発電所の建設型
Part12 瀋陽から天津へ、そして帰国

以上です。現在、次の中国鉄路乗車の旅も始まっております。近々にアップロード始めさせていただきますので、またご覧いただければ幸いです。

2012年春の中国鉄路の旅  Part1へ続く

 

連接車9

今回はヨーロッパの路面タイプではない連接車とする。連接車については鉄道ピクトリアル789 2007年5月号にその特集が組まれているが、巻頭の説明では「連接車は車両同士の連結部分に台車を配置し、隣接する2つの車両を1つの台車で賄っている車両である」と書かれている。ところが、その特集記事の中で専門家は上記定義に当てはまらないものと断って最近普及しているLRVを広義の連接車として説明している。広島電鉄5000形のようなLRVはヨーロッパ各都市では以前から多く見られるが、このような5車体3台車の車両では台車のない車両は隣の車両が吊っている様である。この連接車特集号では日本のLRVの写真がどんどん紹介されているし、旧東ドイツでは2車体2台車もある。連接車の定義、範囲はよくわからなくなった。ということで連接車最終回は標準型で有名な車両を選んでみた。

最初はイタリアの元TEE「セッテベロ」ETR300で小田急NSE等に影響を与えたといわれる車両。1952年生というから恐れ入るが実に思い切ったデザインの車両である。2車体3台車の間に3車体4台車の中間車を挟む7両編成。2000年5月5日ミラノ~ボローニャ間にあるFidenzaでの撮影。

 

これも有名なフランスのTGV。8車体9台車の中間車に両端はボギー式で10両で1編成。2005年8月7日南仏Antheorの高級別荘地から撮影。パリリヨンとニース方向を結ぶ上下列車。↓        

     

 

1997年8月17日ベルギーのローゼンタール~アントワープ間のKijkuit付近で撮影のタリス。アムステルダム発ブラッセル行きで両端動力車中間8車体9台車はTGVと基本的に同じ考え。↓

          

ユーロスターも連接台車を採用しているが、動力車と客車間、編成中央の客車間は非連接で4分割可は海底トンネル内での異常時対応。1997年8月20日ベルギーのフランス国境に近いMonsで撮影したブラッセル発ロンドンウォータールー行き。↓

 

最後はスペインのタルゴ。2000年5月7日スイスチューリッヒ郊外のMurgenthal~Rothrist間を行くRE/44に牽引されるバルセロナ発チューリッヒ行きEN273列車。客車間の台車が1軸であるのが特徴で標準型の変わり種。↓

         以上で連接車9回の連載を終わる。

 

レイルNo82「武庫川をめぐる鉄道」について

兵庫ふるさと通信員さんより表題について紹介をいただきました。早速コメントを書いたのですがどういう訳か送信ができない状態なので、新たに新規投稿の形でコメントさせていただくことをお許し下さい。

 

兵庫ふるさと通信員様

お名前は始めて拝見させていただきますが、有難うございます。拙文、拙写で恐縮しております。先輩であるtsurukame様には応援出演をしていただき、内容が濃くなりました。また、893-2様には急遽現在の写真を撮るように協力依頼をしたのですが、撮影途中でお役所に多大な寄付もされたと伺い、これまた、恐縮しております。

 

乙訓の老人様

励ましの言葉かお小言かよくわからないところがありますが、いつも早いコメント有難うございます。私は本を書く知識、能力、体力、気力は全くありません。鉄ピク誌に関しては毎号次の特集のテーマが与えられますので、どうせ何時かは撮る写真と思って出かけます。編集部がどういう写真を欲しているかは一応頭に入れおきます。データ以外は専門の方が説明を入れてくれるので気楽と言えば気楽です。私の強みは関西育ちで関東在住者、歳をとっていることです。逆に専門分野がなく、お迎えが近いとも言えますが、歳をとっている分、東西の新旧写真がかなり手元にあるとも言えます。古い写真はどちらかというと掲載率が高い様ですが、、最近の写真、特にJR系は若い人の方がカメラ知識もあり、うまいので殆ど落選します。若い人と競争するのも面白いですが、全部落選するとがっかりです。古い写真、特にカラーは貴重であるとのことですが、老人様やDRFC-OBの人間国宝級の方々のような貴重なものは皆無です。しかし、最近は私自身紛れもなく老人だと思っております。現在、連接車の最終回を準備しておりますのでまた、宜しくお願い致します。

準特急さんの企画、発刊さる!

レイル(THE rail) No.82 株式会社エリエイ/プレスアイゼンバーン発行 

DRFC OB会員、準特急さんの企画による『武庫川をめぐる鉄道風景』が421日発刊されました。準特急さんが、少年時代を過ごした思い出の武庫川には、戦前・戦後を通じてたくさんの鉄道が関係します。 

写真と記事は、阪神電車武庫川に始まり、阪神国道線、東海道線、阪急神戸線、阪急今津線、福知山線等々。t殊に福知山線は旧線・新線の両面から、そして旧線跡探報記事もあります。誌の一部を写真で紹介します。

誌は懐かしい場面の数々を、カラー・モノクロで表現した大判の写真集です。地元兵庫県民には特に懐かしく、思い出の場面にたくさん出会いました。DRFC OB会員のtsurukame 氏も写真提供に協力されています。
デジタル青信号の読者もこぞって購読されますことをお勧めいたします。 

ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part12  瀋陽から天津へ、そして帰国

第11日目(訪中43日目)   4月1日

中街(地鉄)→瀋陽駅8:30(D164次)→14:14天津西 699キロ 5時間34分

 

長かった旅も最終へと入りました。お連れいただいたO氏にお礼を申し上げて、7時前にはホテルを出ました。着いた瀋陽駅も大連~哈尔滨間の新幹線建設工事で、瀋陽北駅と同様の大改造中です。駅横のマクドで朝食後、乗り込みました。

▲ 乗車した車両は、何とオール6人掛けのコンパーメント車でした。しかも、シートピッチが狭くて、後ろにリクライニングもできずで窮屈です。これなら、1+2列にしてくれたら、どんなに快適だったでしょうか。
この日は通路側席でしたので、いくらかはマシでしたが、途中から真ん中席には赤ん坊を連れた2組が乗車してきましたので、ウトウトもならずです。幸いにして電気は使えましたので、乗車中はひたすらHP用の画像処理に専念しました。


▲ 殆どの乗客は1つ手前の天津駅で下車しましたが、私は北京~上海間新幹線が開業して大変身を遂げた天津西駅にはまだ行っていません。
まあ、昔の駅を知っている者にとっては、びっくりです。 11本もの相対式と2面の片式ホームの数は以前とは比べようがないくらいに多く、コンコースは広大です。ホームから地下鉄まで15分もかかりました。

この日の夕食は、馴染みの日本料理屋へ行き、久しぶりのカレーライスを頼みました。

第12日目(訪中44日目)   4月2日

① ホテル 11:30(Taxi)→天津空港14:00(JL840)→17:45 名古屋空港
② 中部国際空港 18:36(ミュースカイ)→19:05名鉄名古屋
③ 名古屋 19:25(のぞみ247号)→20:02 京都 20:08→20:19 長岡京

 

今日は、生涯で最も長い旅の最終日です。2月19日に旅立ち、44日間何とか無事に過ごせました。一人旅を続けたわけではなく、途中からはO氏、そしてドイツ人一行と合流しての変化にとんだ旅でしたので、一人旅の楽しさ、グループでの旅の楽しさの両方を味合えました。撮った写真の枚数も生涯最高です。

どの1日が最高だったか、どの1枚が最高だったと問われても、毎日が思い出に残り、1コマ1コマのシャッターを押す度に生きている幸せを感じていました。学生時代に戻ったような感覚を持つ事が多い旅でした。また、こんな旅をしたいと思っております。

これができるのも元気な身体があってこそです。私は、丈夫な身体ではなく、いつポックリ逝ってもおかしくない持病を持っていますが、じっとしておられない性質ですので、ついつい出かけてしまいます。

▲ ホテルでゆっくりして、正午前に天津空港に向かいました。出張ペースでの駐在でしたが、その頃と比べようがないほどの渋滞です。ちょっとヒヤリとしましたが、中心部を抜けるとスムーズに進み空港に到着しました。
搭乗前のラウンジサービスがありますが、北京等と比べるとしょぼいものです。
機内食も近距離で、初めて天津から日本への国際線が飛んだ時は、おにぎり1個と信じられない機内食に搭乗客のみならずCAさんも唖然としましたが、今日はマシです。昔のように国際線はステーキがどかんと出ることはありませんが、これなら我慢内です。もっとも私としては、アルコールがあれば問題ありませんが・・・。

久しぶりのセントレアに着陸、名鉄、新幹線の流れで無事帰宅しました。自宅では、まだ1歳の孫が誰が来たのかと、不思議そうな顔で迎えてくれました。
2012年冬から春への中国鉄路一人旅 ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅総集編へ続く

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土佐電鉄クハ2000、モハ1000

1961年3月18日撮影。半世紀前の写真です。

1960年同志社大学に入学、鉄道同好会に入部した翌年の3月、岡山の下津井電鉄を経由、その後一週間ほど四国を巡った時の一コマです。鉄道写真にまだ慣れていなくて、計画性もなく、ただ撮影したという一枚です。撮影記録もありません。私は安芸近くと思っていましたが、乙訓の老人の解説で、三平先生の写真と同じく手結近くだそうですね。

架線柱は両持ちですが、海側が鉄製トラス柱、山側は木製です。コンクリート防波堤に柱の基礎部分が埋め込まれています。線路と山の間の道路を利用してここまで来たのでしょう。線路を超え、海岸に突き出たコンクリート製の別の防波堤上で撮影しています。クハ2003を、そして振り返って撮影したのが2枚目のモハ1008です。2両編成です。

2枚目の写真中央には木製の架線柱が写っていました。幸い車両には掛かっていませんでしたので、あまり良いことではありませんが画像から消去削除しました。

出発に際し、若かりし頃の乙訓の老人よりNEOPAN フィルムの提供を受け、琴電、琴参、伊予鉄、土佐電のこれこれを撮影せよとの依頼を受けて出かけたものです。帰宅後は現像までして頂き、お蔭でこのフィルムは何の変形もなく現在に至っています。そして図らずも今回、三平先生の記事から皆さんのお目にかかることになりました。

ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part11  錦州八角台発電所の建設型

とうとう紀行記を完了投稿することなく、また次の旅に出ています。只今、大地に中心地「鄭州」からの書き込みです。2週間の予定は立てていますが、その先はいつものように未定で切符が買えた方向に向おうかと、気ままな乗り鉄旅を楽しむ予定です。

第10日目(訪中42日目) 3月31日

① ホテル 8:10(Taxi)→9:07 錦州八角台(Bus)→錦州市内’Taxi)→ホテル
②   
ホテル(Taxi)→錦州駅(Bus)→錦州南站(D9次)→瀋陽(地鉄)→中街

今日は、帰りがけの駄賃として、O氏と一緒に锦州から約40キロ先の八角台にある発電所に走る建設型の撮影に参ります。錦州市内のホテルに昨夜チェックインしましたが、約40キロの発電所までの所要時間が分りません。八角台まで行くには駅前ターミナルからの路線バスがありそうですが、駅まで行って乗り換えてとなると結構時間がかかりそうです。今日夕刻の列車で瀋陽に戻りますので、早めについておかないと撮影にさしつかえがでます。

昨日の感じではTaxiで行っても50元(約680円)前後だろうと思いましたので、ホテル前からTaxiで向かいました。広い道路を走り出しましたが、郊外に出ると左に回って迂回します。道路が混んでいるので、抜け道を行くのかと思っておりましたら、コの字型に回り道をしたのが、後でGPS通過記録で分りました。昨夜といい、この地のTaxiの運転手は、メーターは倒すが、よそ者と分ればわざと迂回をします。何とも、せこい人民ですね。おまけに、復路に乗ったトロトロ走る路線バスと比べて、所要時間は殆ど変わらずでした。


9:07、迂回を重ねて、国道と交差する踏切に到着しました。ヤードの向こうに白煙が見えました。左手前にも蒸気機関車が止まっています。
さあ踏切からヤードに入って撮影しようとしましたら、門番から大声で静止させられました。見つかったらおしまいです。仕方なく踏切を国鉄八角台方向へと通過する建設型6211号機を見送りました。
そして門番が発電所から出る車のチェックをしている間に、踏切番の部屋に行って、運行状況を聞きました。
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土佐電鉄クハニ2000

お久しぶりの投稿です。

4月8日早朝、今までに経験の無い腹部の激痛に見舞われ近くの病院に駆け込みました。当直医しかいないので、鎮痛剤を点滴されて昼過ぎには恢復しました。経過観察入院を勧められましたが断り退院して家へ帰りましたが、今度は胸が痛くなり出し翌朝再び病院へ向かいました。診察の結果急性の胆嚢炎と診察され、救急車での搬送といわれました。緊急手術を受けて十日間の入院となってしまったのです。甲斐あって昨日退院してきました。その間、9日は休刊日でこの記事はありませんでしたが16日の記事を今日アップすることになり、申し訳なく思っております。

さて、今回は見た瞬間に西村さんの江若と見まごうばかりのそっくりさん、解説を読むと京阪からの車両とは別物とのことですがなにやら曰くのありそうな面構えですね。担当は藤本さんでしょうか、長老様でしょうか、それとも湯口先輩でしょうか、よろしくお願い致します。

ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part10  北台製鉄所 その3

第9日目(訪中41日目) 3月30日

① ホテル→北台製鉄所→食堂→ホテル→15:10瀋陽空港→16:33地鉄奥体中心駅
② 奥体中心(地鉄)→17:13瀋陽北駅18:38(D8次)→19:58錦州南(Taxi)→ホテル

今日は、TANAGOの中国SL撮影ツアーの現地最終日です。午前中撮って昼食後には、瀋陽空港に向かいます。最終日とあって皆さん元気よく出発しました。


▲ 3日間の定番となった朝の通勤列車の発着シーンです。撮り飽きていますので、早くに入場したいのですが、発車した後で開門です。この編成は、鞍山~ 田师府等の区間列車にも使用されています。ドイツ人も撮影はもういいのか、カメラは向けず朝飯屋台を覗いていました。


▲ 朝から活発にスラグ捨て作業が始まっています。
今日は、撮り逃がしたシーンがないかと、工場内をうろつきましたが、ここでの最高は、夕刻以降の暗くなってからです。今年の冬まで、蒸気機関車の運用が続くことを願って、今まで見たことのなかった衝撃シーンを撮らせてくれた北台製鉄所を去りました。再見!

今日会えた上遊型は、448、1075、1191、1560、1561、1648号機と昨日と同じ蒸気機関車の6両でした。


▲ 13:30、初めてお会いして9日間、人種、国籍は違っても蒸気機関車を愛する気持ちは一緒の仲間たちとの最後の食事です。昨日と同じ食堂での麺でしたが、箸を使えなった人も、ホーク感覚でで使っていました。左上は、待ってる間に食べられる漬物類です。今日は昨日食べた美味しい白菜はなかったですが、結構つまみましや。


▲ 15:10、瀋陽空港に到着しました。彼らは、一旦国内線で上海に向かい、出国手続きをしてから、改めて国際線でドイツに帰国します。スイスから来たという方は、何やらおかしな物を持っているので見せてもらったら、北台のヘルメットです。こんな者を持って帰るとは参りましたね。彼の職業はお医者さんです。サイクリングも趣味の1つで、アルプスを走り回っているそうです。

▲ 16:33、彼らを見送った後、そのままバスに乗って、地下鉄駅まで送ってもらいました。通訳の史超さんも両親と住む長春へ帰るようで、一緒でした。2号線の奥体中心駅から乗車しましたが、面白いことに乗車時にチェックされるレントゲン機がありません。1号線にはありますが、乗り換えられる2号線にないとは、検査はええ加減ですね


▲ 17:13、着いた瀋陽北駅は、大連~ハルピン間の新幹線建設に向けて大改造中でした。改札が始まりましても、左右に曲がったり、階段を上下したりで、ホームに着くまで10分以上かかります。乗車したのは、CRH5-31Aでしたが、1等車は真ん中でなく両端でしたので、たどり着くのは大変でした。


▲ 1時間20分で錦州南駅に着きましたが、周りに建物はありません。結構たくさん降りましたので、ついていくとTaxi乗り場に着きました。ホテル名を書いたメモを渡して、連れて行ってもらいましたが、後でO氏がお持ちにだったGPSで見ると、かなり遠回りをしていました。メーターは倒しましたが、セコイ錦州のTaxiです。
ホテルチェックイン後に近くの食堂で羊肉の しゃぶしゃぶを堪能しました。こんな美味しいものがあるのに毎日同じような夕食でした。どうしてかなと思いましたが、O氏は、欧米人はみんなで鍋をつつくといった食習慣がないので、あえて出なかったのではと言われます。チーズフォンデは別として、確かにそうですね。
この食堂、私達が食べ始めると、日本の音楽を流しました。店長らしき人が来て、横に座って何やらコミュニケーションを取りたいようですが、日本語も中国語もさっぱり分かりません。
でも、肉を追加サービスで出してくれたり、親日的なのは分かりました。
  Part11  へ続く

今でも気になる江若鉄道(Ⅵ)

前回まで(Ⅰ)気動車、(Ⅱ)駅、(Ⅲ)客車、(Ⅳ)貨物列車と貨車、(Ⅴ)国鉄バス若江線と話を進めてきたが、今回は(Ⅰ)の気動車で紹介の漏れた車両について話を進めたい。気動車については多くの趣味誌で紹介されており、今更という気がしないでもないが、おさらいと記憶の呼び戻しの一助となれば幸いである。

【昭和44年4月1日時点での在籍車両】

〔非総括制御車〕キニ5両、キハ11両、ハフ4両
キニ4、キニ5、キニ9、キニ11、キハ12、キニ13、キハ14~キハ17、キハ20~キハ23、キハ51、キハ52
ハフ2、ハフ3、ハフ7、ハフ8

〔総括制御車〕キハ5両、ハ1両
キハ5120(元キハ30)、キハ5121(元キハ18)、キハ5122(元キハ19)、キハ5123(元キニ6)、キハ5124(元キハ24)、ハ5010(元キニ10→ハニフ10)

この内、非総括制御車のキハ17、20~23と総括制御車の解説を(1)で行ったので、今回はそれ以外の車両について解説する。

キニ4、キニ5
昭和6年日本車輌製で全長17.4mの堂々たる大型車で、エンジンはウォーケシャ6RDを搭載した。昭和16年木炭ガス発生装置を取付け代燃車化したが、キニ4は昭和26年1月、キニ5は25年3月に日野DA54を搭載してディーゼル化、昭和30年11月にDMH17に取り替えた。正面は当初4枚窓であったが、昭和31年10月運転台を左側から中央に移設した際3枚窓に改造された。(1)で解説したキニ6→キハ5123は当初から正面3枚窓であった。


キニ4/上(
41-2-19)浜大津 下(44-10-10)三井寺下


 キニ5/上
(43-9-28)浜大津 下(44-10-5)三井寺下

キニ9、キニ11、キニ12→キハ12、キニ13
キニ9は昭和10年、キニ11~キニ13は昭和12年日本車輌製で、流線形の堂々たるスタイルは、戦前、戦後を通じて江若を代表する車両であった。
エンジンは国産となり、キニ9は川崎KW127、キニ11~13はGMF13を搭載した。キニ9に昭和18年3月、梁瀬式隔膜型圧縮ガス装置を取付けたが、戦後間もなく取り外され昭和27年8月DMH17を搭載した。
キニ11と13は、昭和23年7月日野DA54に取替えてディーゼル化、昭和27年8月DMH17に取替えた。
キニ12は昭和17年3月木炭ガス発生装置を取付け代燃化、昭和25年日野DA54に取替えてディーゼル化、昭和27年1月DMH17に取替えた。昭和35年3月大鉄車両で車体の大改造が実施され、写真のようなスタイルになった。
キハ12とキニ13は岡山臨港鉄道で再起し、同社のキハ5001、5002となった。


 キニ9/上
(44-10-4) 下(44-10-24) 三井寺下


キニ11/上
(39-12-15) こだま色の時 中(44-10-4) 下(44-10-5) 三井寺下


キハ12/上
(41-2-19) 浜大津 下(44-10-10) 三井寺下

キニ13/
(43-9-28) 三井寺下

岡山臨港鉄道キハ5002/
(49-11-23)  南岡山

キハ14~キハ17
キハ14~16は昭和25年、キハ17は昭和28年に国鉄からキハ41000形を譲り受けた。国鉄時代の車号は次の通りである。
キハ41014/8年3月日車(24年9月30日付廃車)→キハ14
キハ41023/8年3月川崎(24年9月30日付廃車)→キハ15
キハ41044/8年12月日車(24年9月30日付廃車)→キハ16
ハ41105/10年3月川崎(23年3月5日付廃車)→キハ17

譲受け当初、機関は日野DA55を装備していたが、キハ16は昭和33年3月にDA58に、キハ14、15、17は昭和35年5月DA59Aに換装した。車内は国鉄時代から変化はなかったが運転士席横の通称展望座席は撤去され、全室運転台になっていた。

ハフを引いてDTで走ることもあったが、DT編成の増結に使用されることが多かった。キハ16のみ御坊臨港鉄道(→紀州鉄道)で再起し、同一車号で使用された。また、キハ17が車内をお座敷に改造したことは(Ⅰ)に記述した通りである。

 キハ14/
(44-10-4) 三井寺下

 キハ15/
(44-10-4) 三井寺下

 キハ16/
(44-10-10) 三井寺下

紀州鉄道キハ16/
(52-1-16) 紀伊御坊

キハ51、52
昭和39年3月末で営業を廃止した熊延鉄道のヂハ201、202を譲り受け、順にキハ51、52となった。昭和28年3月帝国車輌製で、湘南形の正面はクハ86、クハ76の木製木枠時代を彷彿させるもので、2枚ずつ纏められた客室窓と相まって、いかにも戦後製らしい好ましいスタイルであった。機関はDMH17で、TC-2形液体変速機を装備していたが総括制御は不可能であった。車齢が若いので、廃止後次の職場での活躍を期待したが、買い手が現れず、惜しくも解体されてしまった。


 キハ51/上
(44-10-10)  下(44-11-1)三井寺下

 キハ52/上
(44-10-12) 近江今津 下(44-11-1)三井寺下

ハフ2(ハユフ15←キハ15)
昭和2年雨宮製作所製の元成田鉄道ガ101が前身。新製時車体長約10mありながら2軸車であった。昭和7年2月汽車会社でホイルベース過大の理由で片ボギーに改造された。戦時中の昭和19年1月11日成田~八日市場間の全線が運転休止(正式廃止は21年10月9日)となり、ガ101を譲り受け、キハ15となった。昭和25年エンジンを降ろし、近江今津寄りに郵便室を設置してハユフ15に改番、昭和28年窓の2段化と両ボギー化が行われ、昭和34年郵便室の客室化を行いハフ2となった。
内燃動車発達史上巻のP93に成田鉄道時代と片ボギー時代のハユフ15の写真が、下巻P82に両ボギー、2段窓化されたハユフ15の写真が掲載されているので、お持ちの方はご覧いただきたい。


 上
(39-12-29) 浜大津 こだま色 下(44-10-14) 北小松

ハフ3(←キニ3)
昭和6年1月、安曇~近江今津間開業に備え日本車輌で作られた。機関はブダ社のBA-6を搭載していた。昭和25年機関を降ろしてハフ3となった。


 上
(41-2-16) 浜大津 下(44-10-14) 三井寺下

ハフ7、8(←キハ7、8)
昭和7年に日本車輌で作られたディーゼル動車でダイムラーベンツ社製のメルセデスベンツOM5Sエンジンを搭載した。当時の技術では十分使いこなせず昭和16年はやくもエンジンを降ろしてトレーラー化されてしまった。


 ハフ7/上
(39-12-29) 浜大津 こだま色 下(44-10-14) 三井寺下


 ハフ8/上
(39-8-2) 浜大津 旧塗装 下(44-10-3) 浜大津

ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part9  北台製鉄所 その2

第8日目(訪中40日目) 3月29日

今日もホテルで朝食後に出発しましたが、北台製鉄所正門前で数人降ろしてホテルへ戻ってしまいました。説明もないのでどうしてかなと思っていましたら、何とドイツ人2名をホテルに置いたまま、乗せずに出発していました。二人はホテル前に出たら、バスが出発して行ったので、大声を出したが行ってしまったと嘆いていました。通訳さん、途中で気がついたので引き返したそうです。10数名なのに、出発前に分からなかったのですかね。
朝から、 こんなエピソードで、笑いがあふれた車内でした。 
▲ 昨日、工場内は歩き回り慣れましたので、入場すると皆さん思い思いの行動に出ました。スラグ捨ての取鍋車は何を動力に鍋を回しているのかとO氏に質問しましたら、我々の見ている反対側に電源コードを入れるコンセント口があって、作業員がその都度に走り回り、接続してモーターを回していると返答をいただきました。


▲ 8:40、推進運転で、高炉のスラグ流し口に取鍋車を移動させての作業が始まっていました。
▲ ヤードでも、石炭積込み、給水、そして作業開始と上遊型が動き回っています

▲ 9:34、スラグ捨て場に着きましたが、今日は昨日撮った場所より手前で作業中です。おまけに水を撒きながらの作業で水蒸気がたち込めていて、蒸気機関車しか見えません。

▲ 12:05、昨日と違って曇天で天候も悪く、中々思ったカットは撮れずじまいでした。皆さんも同じだったようです。また、検査院の偉いさんが来ているようで、昨日撮っていた場所に入るのを拒まれました。これも要因だったかもしれませんが、いつもより早めの昼食です。刀削麺ではありませんが手打ちの平麺です。スープも美味しく、何といっても麺ができる前に食べた漬物が絶品でした。写真を撮ろうと思った時は、O氏と私でお皿一杯に盛られた漬物を全部食べてしまっていました。


▲ 昼食後は、一旦ホテルに全員戻りました。予定どおりの行動だったのか、工場側からの要請だったのかは不明ですが、夕方にバスに集合となりました。
そうなれば、帰途の瀋陽から天津への切符を買える時間ができました。ホテル横の工場正門で客待ちをしていた三輪Taxiに乗って、国鉄北台駅へと向かいました。

13:27北台駅に到着。駅前広場にTaxiがいないので、待つように頼むとOKです。
窓口には、切符発売暫定停止と表示してありましたが、声をかけると、やってくれました。パスポートを出しますと、驚いた表情です。他の駅員5名も呼んで大騒ぎになりました。
それはそうでしょう、こんな片田舎の駅で日本人が切符を買うなど、まずありえない事です。みんなでパスポートを珍しそうに見ています。そして、どうして北台に来ているのか等々の質問の嵐がきました。 おかげで1枚の切符発行まで20分以上もかかってしまいました。右上に発行場所が記載されています。


▲ 夕刻、スラグ捨て場でのショーが始まりました。昨日の昼間も良かったのですが、夕闇が近づくとさらに格別です。もう少し暗くなれば、水蒸気がもっと紅くになって迫力が出るでしょうね。
昨日、皆さんがバスに集まった時間が遅かったので、正門は閉じられて出られず、別の出口になりました。
迷惑をかけてはと、もっと粘ろうと言われるO氏を説き伏せて、バスに向かいましたが、ここに最後まで残って撮られたドイツ人の写真を見せてもらいましたら、ものすごいシーンでした。O氏は盛んに残念がっておられました。申し訳ございません。次回の宿題になりました。


▲ やはり、蒸気機関車を撮るなら夜撮ですね。この工場は7時には職工交代時間で、作業が止まります。見学者も7時以降の滞在は不許可となっています。12月冬至頃に来ることができましたら、もっと早くに暗くなりますので、撮影チャンスは増えます。最高でしょうね。O氏と暗黙の了解をしました。案内人の谷さんに依頼すれば、入場できるとの事でルートもできましたので、参りたいと思っております。


▲ 今晩も夕食は8時からです。明日は昼食後に瀋陽に向かい解散します。私たち二人は、瀋陽から锦州の発電所に走る建設型を見に行きます。
この地での最後の夕食とあって、白酒も頼んで、よく食べ、よく飲みました。

この日に出会った蒸気機関車は、上遊型448、1075、1191、1560、1648、1561号機の6両でした。昨日の946号機は見られませんでしたが、1648号機が新たに出会えました。これで7両が確認されました。  Part10  へ続く

ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part8  北台製鉄所 その1

第7日目(訪中39日目) 3月28日


▲ 昨夜ホテル(北鋼賓館)にチェックインしたのは夕食後でしたので、真っ暗で周囲の状況が全くわかりませんでした。
7:18、朝食後に部屋の窓の外を見ますと、右手に工場への門があって、通勤バスがひっきりなしで入って行きます。左手には、鉱石を満載した大型トラックが、列をなして並んで入場時間待ちでした。


▲ 7:42、バスに乗って中国国鉄北台駅の駅前跨線橋に到着しました。出口前では、朝食屋台がたくさん出ています。
7:50南芬始発の6314
(12両編成)が到着しました。満員の通勤客がいっせいに降りてきます。すべて北台製鉄の従業員です。

▲  発電所が駅正面にある北台駅ヤード、北台製鉄専用線も並行しています。6314次は、北台で折り返して6315次として、8:19に出発します。満員の乗客は。夜の勤務を終えて帰宅する通勤者です。

【 北台製鉄所 】
戦前に南満州鉄道の出資で設立した鞍山製鉄所が有名ですが、 北台製鉄所は戦後1955年に、中国独自で建設されました。4つの高炉を持ち、製銑から製鋼、鋳造、圧延の工程を経て鉄鋼製品まで製造しています。
この道の専門家であるO氏は、どうも鉄線を製造しているように思える。ただ高炉は小さく、蒸気機関車が使用されている現状からも分かるように設備自体も前世紀のものです。近々新しい高炉ができるようなので、その時点で蒸気機関車も終焉を迎えるのだろうと言われました

ここには、中国で唯一の蒸気機関車牽引のスラグ捨て列車が残っていると言われています。単独で行く事は不可能で、許可を取るのも難しく、中々ルートが見つからずでしたが、今回ドイツのTANAGOからの撮影ツアーでは企画できたとの事でしたので参加しました。



▲ 全員、ヘルメットをかぶって工場内へと向かいます。日本では、安全性を最優先しますので、見学コースも決まっていて、自由行動は絶対にできませんが、ここでは全くのお構いなしです。目指すは、スラグ捨て場です。

▲ 8:36、初めは、みんなで一緒に奥の方へ向かって進んで行きました。
O氏の説明によると、鉄鉱石コークス石灰石が混ぜられて高炉で溶解され銑鉄スラグに分けられます。
スラグは軽く上部に、銑鉄は下部に溜まるので、上の穴からスラグを、下の穴から銑鉄を流し取ります。
受けるのは、お椀の形をした取鍋車です。高炉の左右に線路が敷設されていて、右はスラグを、左は銑鉄を取鍋車に受け入れます。1,500~2,000℃の溶解したスラグ銑鉄を入れるので、取鍋には特殊な耐熱加工をしてあります。この 取鍋車を牽引するのが、上遊型蒸気機関車です


▲ 高炉を抜けるとヤードになっていました。SY1191に続いて、1560号機が動き回っていました。

▲ 9:05、みなさんにくっ付いて行きますとスラグ捨て場に着きましたが、もうもうと水蒸気がたちこめています。しばらく見ていると、前へとスラグ列車は進み、取鍋を傾けて、ドロドロのスラグを捨てました。釜の中は全てドロドロではなく、最後は取鍋をガタガタと振って表面が固まってしまったスラグを落とします。




▲ 当分、スラグ捨てがないとの事なので、取鍋車への流し込み場に戻って、落ち着いて撮ってみました。

▲ 10:33、反対側は、 銑鉄の流し込みが行われていました。こちらは、ヤードから先にある製鋼所へと運ばれて、炭素を除去して、ニッケル等の他の金属を混ぜて粘りあるに製造されます。

▲ 11:03、次のショーが始まりましたが、全部がドロドロはありません。最後は揺すられてドスーンです。O氏が以前に見たショーは、塊はなく生々ドロドロだった。築堤から流れ落ちる光景は、噴火した火山の溶岩のようだったと語っていただきました。


▲ 12:01、ぼちぼち昼食に行くのかとバスに乗りましたら、降ろされたのは珍しく鉄橋の袂です。ドイツ人の目当ては東ドイツ製のELです。氷が溶け出した本溪の太子河にかかる鉄橋を長編成の鉱物列車が行きます。多分、満鉄時代に建築されたものでしょうね。昼食は、肉饅頭とビールが配られました。


▲ 13:10、再び 北台製鉄所へ戻りました。まずは、 取鍋車への流し入れの撮影ですが、適正なシャッタースピードと絞りが分かりません。
花火を撮る時は、三脚にカメラをセッティングして、ASA200で、シャッタースピード2~5秒、絞りはF10前後が目安ですが、このシーンは未経験です。

撮りながら、モニターを見て確認する事から始めなければなりませんでした。自分としては、シャッタースピード1/4~1/8、絞りはF7.1程度かなと現場判断をしました。
しかし、三脚はバス中です。手持ちでの撮影です。 シャッタースピード1/8程度で手ぶれしないのには自信がありましたが、1/4となると結構きついものがあります。また昼間ですので、例え三脚があっても露出が絞りきれません。夜間撮影でのセッティング準備のために、試行錯誤を強いられました。



▲ 製鉄所の中では蒸気機関車が主役です。SY946、1075、1191、1561号機たちです。


▲ 15:22、3度目のスラグ捨て作業を見ました。最初に水蒸気がたち込めて見えなかったのは、水が張ったプールに直接に1,500℃のスラグを入れているためです。阜新のフライアッシュの粉塵には及びませんが忽ち水蒸気が上がります。
これを水砕スラグと言い、乾かしてからセメントに混ぜるそうです


▲  水砕スラグ が終ると、列車は前進して、残ったスラグを捨てます。

▲ こちらは、砕石スラグと言い、砕いてから道路舗装前にひく砂利として使用されるそうです。
この作業を努めたのは、1566号機でした。作業時間は、約30分でした。


▲ 16:48、スラグ入れに戻りますと、活発な作業が始まっていました。SY10751561号機です。


▲ 一旦バスに戻って三脚を持ってからの夜撮です。制限時間は、門が閉まる6時50分までと決められています。どんな写真に仕上がるかは、撮ってみないと分かりませんが、私は長年の感でシャッタースピードと絞りを決めてのマニアルでのぞみます。思った以上の写真になることは稀ですが、1年に1回くらいは、「やったね」があります。
しかし、ここのように、明るい場所と暗い場所の明暗差が大きい所は、特に撮り難いですね。


▲ 今日は、夜撮もあって、夕食は8時を過ぎました。皆さん、お腹はペコペコです。ビールを飲んでいたら、食べるものはなくなっていました。こんな時のために、O氏と私はいつも麺を特別に追加注文していますが、これもドイツ人に食われてしまいました。

この日に出会った蒸気機関車は、上遊型448、946、1075、1191、1560、1561号機の6両でした。結構いましたね。  Part9  へ続く

ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part7  阜新炭鉱(阜新煤礦鉄路)その2

第6日目(訪中38日目) 3月27日

 


▲ 6:39、
今日の朝の通勤列車は、高徳駅発車で撮りました。1210号機でした。


▲ 6:58、 直ぐに蒸気機関車が来るとの情報で、待ちました。1378号機牽引です。


▲ 7:15、昨夕の追い出し勧告にもメゲず、平安駅踏切にまたきました。堂々と線路際での撮影です。ドイツ人と来て良かったと思える瞬間です。昨日朝より多くの蒸気機関車が集まってきました。
左から、1319、1818、988、770号機でした。


▲ 7:271319号機と運転手が乗り込む1818号機。

▲ 7:421818号機は一足先に五龙炭鉱へと仕事に向かいました。

▲ 車庫で休む1320号機


▲ 8:00までに平安駅ヤードに集まった蒸気機関車は、SY770、988、1210、1319、1818、1320、1378号機の7両でした。


▲ 8時になると警備責任者の出勤時間だそうです。引き上げて、8:13五龙炭鉱上のズリ捨て山に上がりましたが、今日の朝は、かなり霞んでいます。待ちましたが、列車が来ないと言うことなので、降りました。
8:58、途中でズリ捨て列車が発車しそうだとバスを降りて向かいましたが、残念ながら蒸気機関車の方が先に来てしまいました。
10:12西部駅付近まで移動しましたが、好撮影地に着くまでに、ここでも列車が来てしまいました。
11:06、再び 五龙炭鉱上のズリ捨て山に戻ると既に列車が来ていました。谷案内人、迷走の連続です。


▲ 全員駆け足でズリ捨て路線に上がって撮影開始です。各自、目指す撮影ポイントに散りました。列車の後ろを追いかける者、終点近くまで向かう者、足に自信のない高年齢者の私たちは、近場の高台に登りました。もう撮影は無理かなと思われましたが、この列車は空転ばかりで前に進みません。おかげで終点を目指したO氏他6人は、絶好のポイントまで行けたようです。

ズリ捨てが始まると、見たことのない爆煙が舞い上がりました。採炭が終って、捨てるズリではなく、発電所からの廃土のフライアッシュです。

▲ この瞬間を撮られたO氏の写真を送っていただきました。まあ、凄いとしか言いようがありませんね。O氏は、6人が現場にいたが、列車がどこに止まるかが不明で、絶好のポジションを確保できたのは3人だけだったとの事です。バスに戻ると、撮れなかっったドイツ人は、「どうでもいい所をタイミングも悪く、連れまわしておいて、どうしてもって早くに肝心の場所に連れて来れなかったのか。これを撮るために阜新に来ているのに・・・。」とクレームを言っていたそうです。

阜新での最大最高の撮影ショーです。残念な気持ちは私も一緒でした。 ちなみにこのショーは毎日11時に開催されるそうですが、不定期です。

フライアッシュは、石炭燃焼時に灰が生成されます。燃焼ガスとともに吹き上げられるレベルの球状の微粒子です。産業廃棄物ですので、電気集塵機などで回収されて、厳重にタンクに詰めて保存され、相性の良いセメントに混ぜられて建築材料として使用されています。

ここ阜新には、3つの発電所があって、2つは直ぐにセメントに混ぜられたり、水で溶かしてから廃棄されていますが、もう1つの発電所は設備がないために、そのまま捨てられています。粉塵は空に舞い上がって阜新の町に降り注いでいます。他の国でしたら大きな環境破壊、健康問題として取り上げられるでしょうね。


▲ 13:44阜新での撮影が終りました。山を降りる途中で、信じられな~い。止まってとみんなで撮りました。氷も張っている黒い泥池に入って、スコップで底を掻き混ぜているおじさんがいます。石炭粉を溶かした泥水で、このまま蒸発させて乾かして「タドン」のようなものを作るそうです。そのために時折掻き回す必要があるそうです。何箇所も同じ泥池がありました。

▲  一旦ホテルに戻ってシャワーで汚れを落としてから、15時前にバスに乗って北台に向かいました。併走する国鉄線を見ていましたら、トラス橋が見えました。多分、戦前の満鉄時代のものでしょうね。中々見られるものではありません。DLでも良いのでここを走るシーンを撮ってみたいものです。


▲ 阜新から快調に走り続けましたが、瀋陽を通過する高速道路がないので、夕方ラッシュに巻き込まれて、北台には19:40着でした。お箸が初めてだった人も使い方が慣れてこられて、10数品の料理も直ぐになくなりました。

明日から今回の最大イベント、北台製鉄所での撮影です。期待が膨らみました。
  Part8  へ続く