O君、やっと、わかったで!C12を撮った場所が・・・難儀したがな

 ホンマに難儀したがな。ちょっとでも撮影場所を書いといてくれれば、こんな艱難辛苦をせずものを。それで電子的BOXに持って行って、これは一体どこで撮ったのか教えてもらえないかとゆうてみると、そこは地の果てまで汽車を追っかける強者たち。摂津の国に住まいする何某がC12の何番がどこにいたのかということからわかるんと違うかと。いろいろな人がBOXに来ては、なんやかんや言って行くのであるが、なかなか。最初に高森線と思いきや、どうも明知線ではないかと。そして、背後の山から恵那と東野間のどこかでないかと追い詰めると、あとはO君がどこでカメラを構えたのか。O君は道なき道をかきわけて、写真を撮りに行くような戦闘的撮影行は見たことがなかった。彼の名作(迷作か)で「珍竹林」と題した写真があったのを思い出す。かといって日和見的でもなく、それなりにカメラを構えるところを探し歩いたに違いない。前回の投稿でコメントに書いたように、萩に親戚がいるので一緒に行こうということで夜行で厚狭に、美祢線で長門市を経由して萩へというコースであった。せっかくだから美祢線大嶺支線の蒸機列車を撮ることになり、南大嶺で降りて美祢線と支線の分岐点までいっしょに必死になって歩いたことがある。冬の朝方のことである。そんなO君だから線路に沿って歩いて撮影場所を探したのだろう。

続きを読む

明知線ツアーご報告

5月26,27日明知線方面でDRFCクローバー会1泊ツアーが開催されました。先日の都電撮影会でもそうでしたが、当初の予報では雨のところ当日は晴れ渡り、改めて会員諸氏の日ごろの行いの良さが証明されました。       明智駅にあるC12保存機の前で記念撮影 続きを読む

暖かい内地への旅 Part16 熊本市電を撮る④ 通町筋~健軍町

第9日目 3月3日 その3

10:18 上熊本駅前から「COCORO」に乗って西辛島町へと参りました。ここで降りてまた歩いて健軍町まで撮り鉄で参ります。

▲ 11:04 西辛島町~辛島町 熊本駅前から合流してくる1350形1352です。ここからは市電の運行本数がグイと増えます。待たずに乗れる路面電車です。

続きを読む

めずらしい客車 

手元に河 昭一郎様からのお手紙に添えて、古い客車の写真が届けられました。
ご承知の通り河 昭一郎様は国電に関して有名な研究家で、クローバー会の会友とも言える方です。河様のプロフィールに関しては古くから昵懇でおられる特派員氏から改めてご紹介頂くとして私は「珍しい客車」の写真をご覧に入れます。

写真は全部で7枚、失礼ながら年配の方にはあまり珍しくない物も含まれますが、最後に珍品中の珍品が出てきます。お楽しみにご覧ください。

続きを読む

宮崎繁幹様からのご質問に答えましょう!

宮崎繁幹様、
ご返答が遅れましたことをお許しください。
また、普段より当会の会員がご懇意にして頂いているとのこと、心よりお礼を申し上げると共に、今後とも東京在住の会員との交流、ご指導をお願い致します。

さて、私は26日から27日まで後輩諸君による、研修旅行と称する“シゴキ合宿”に参加しておりました。そのため、帰京後も疲労困憊してコメントを拝見するのが遅れてしまいました。

宮崎様からのコメントは
《この写真は、亡くなった小生の友人、山本明弘さんの撮影です。彼は、写真は見れば判るだろぉ~、と云う調子でした。その為、データが全然ありません。「撮影日は?」と聞いたら、セミ判密着は、昭和30年前後、35ミリ版になったのは、33年位からだ、てな具合でした。従い京都市電の写真は、セミ判なので、昭和30年頃です。

押しかけで恐縮ながら、地元の同志社の皆様に場所が御判りなら、教えて頂きますよう。どうぞ、宜しく。》というものでした。

さて、ご投稿頂いたコメント欄では写真が拡大できないため、別途画像処理しまして分析しました。ご覧ください。

続きを読む

管理人より

今年3月1日より利用していただいている「コメント内での画像投稿」機能ですが、古いコメント内の画像が消えているとの報告がありました。
こちらで調べたところ、3月23日の米手作一氏の投稿「【94886】散歩道で見つけましたー追加・京阪本線ー」より以前のコメント内の画像が消えていることを確認しました。
古い投稿コメント画像は本来投稿者が削除しない限り消えるものではないため、当該機能のプラグイン「Comment Images Reloaded」の設定や動作を確認しましたが、現時点では問題ありませんでした。レンタルサーバ側の容量やステータスにも異常ありませんでした。

原因として、3月26日頃のサーバ障害が影響している可能性があります。(詳細は【94983】障害発生のお知らせを参照)
アクセス障害のためにAkismetプラグインの入れ替えや、サイト全体のHTTPS化などの大規模な変更を行ったため、その過程で3月1日~26日のコメント画像が消失したのかも知れません。その場合は今後画像がさらに消えていくということはないと思われます。
すでに消えてしまった画像については、復旧は難しいです。コメント投稿者には申し訳ありませんがご了承ください。

追加情報がありましたら、こちらの投稿に追記させて頂きます。
今後とも当掲示板をよろしくお願いします。

管理人 小西

 東海道線開業時の面影を巡る 桂川~西大路~京都 ⑥

東海道線の開業時巡りは、旧線に平行していた塩小路通を東へ、堀川通りを横断して京都駅近くに入って来ました。塩小路通は、平安京の八条坊門小路に当たる古道で、別名を、付近の史跡から三哲通とも呼ばれました。市バス車庫名にその名をとどめるものの、あまり聞かれなくなりました。開業時の東海道線は、塩小路通の南に平行して、単線の線路が敷かれていたことになります。塩小路通の道幅は、堀川以西は古道と同じ狭い幅であり、堀川以東のように拡幅されるのは、大正3年、東海道線が南に移設され用地が払い下げられた結果、現在見られるような道幅となりました。
京都駅周辺は、駅ビル新築時の前後に、周辺も大幅に再開発され、開業時を偲ぶ遺跡は何も残っていない。このオムロン本社の裏手の写真からも、何ら手掛かりもないように見える。しかし「ブラタモリ」の言葉ではないが、微妙な凹凸地形を観察すると、土地の歴史が浮かんで来るように、ここから140年前の東海道線の面影が見て取れる。

続きを読む

暖かい内地への旅 Part15 熊本市電を撮る③ 通町筋~上熊本駅前

第9日目 3月3日 その2

▲ 7:46 遅延なくスムーズに走行して通町筋に到着です。対向車は熊本市電の最新鋭2014年製の超低床連接車、愛称は「COCORO(こころ)」。水戸岡鋭治氏デザインの新潟トランシス製3編成目の0800形803です。
続きを読む

 東海道線開業時の面影を巡る 桂川~西大路~京都 ⑤ 

桂川駅から西大路駅近くまで、歩いて巡った東海道線開業時の面影巡り、ここから先の京都駅方面へは、2008年ごろの旧掲示板から新掲示板への移行時期に、「京都駅付近の鉄道遺跡を偲ぶ」として本欄で紹介しました。ところが、見返してみると、旧掲示板は「おっと失礼」で、見ることができなくなっていました。ちょうど10年が経過していますので、その後の変化も含めて、改めて西大路~京都の開業時の遺跡を探索することにしました。

前回の「超低い恐怖のトンネル」がある御前通を過ぎると、まもなく京都鉄道博物館が見えてきます。米手さんご紹介の地図からも分かるように、ここまでの区間は、開業時の路線と、現在の上り線とが一致していますが、ここから開業時路線は、徐々に現在線の北側へ振るようになります。ご承知のように開業時の京都駅は、現在の駅前広場にあって、その延長線上に、開業時の東海道線があったことになります。ちょうど、京都鉄道博物館の梅小路機関庫・梅小路公園の芝生広場の直下に、開業時の路線があったことになります。
梅小路公園を走るN電、このすぐ南側を開業時の東海道線が走っていたことになる。

続きを読む

暖かい内地への旅 Part15 熊本市電を撮る② 慶徳校前~田崎橋

第9日目 3月3日 その1

今日で台湾の高雄から始まった今回の旅も終わりです。帰路は空路ではなく初めて乗車する九州新幹線にしましたがジパング倶楽部利用ですので「みずほ」には乗れず「さくら」になります。指定席にすると2+2のシート配置でグリーン車気分でゆったり乗車できますのでこれにしました。今日は、夕刻まで熊本市電撮影に励みます。

朝早くに起き上がりました。熊本市電の殆どは併用軌道を走りますので早朝は自動車も少ない最も適した時間です。今朝の熊本の日の出時間は6時43分、夜明けの街に出ました。

▲ 6:28 夜明けと言ってもまだ少し明るくなった程度で、街路灯が輝いていました。ホテル直ぐの電停の「慶徳校前」を発車する田崎橋行き始発電車の8200形8202です。手持ちで発車したばかりを撮りましたが、よく写るカメラです。最高感度はISO51200ですので余裕のISO5000です。拡大しても粒子の荒れはなく、画質は安心してシャッターを切れるようになりました。
【DATA】NikonD500 ズーム36㎜ F4.2 1/125秒 ISO5000 露出補正-0.3段

続きを読む

総本家青信号特派員氏に地図を供する

特派員氏の「まんぽ」散歩は緻密な取材でなんとも愉快です。ぶんしゅう氏の路面電車旅行や西村氏の旧跡探訪とともに安楽マニアの私にとっては想像の翼が広がる大好きなシリーズです。

そこで、つい調子に乗って私もお付き合いさせて頂きたくなりました。
以前に乙訓の長老から「古い地図があるから見せてやる」とお借りした地図を、必要と思われる部分だけをコピーしておいたのです。それは旧東海道線の位置が今の塩小路通付近に通っていたと聞いたことがあり、それを確認するためでした。

まず、明治初期の古地図を資料館で手に入れて、長老の地図と現在の地図を同じ縮尺に換算し直して重ねてみました。そうすると梅小路付近の変遷が分かったのです。
先日も特派員氏の記事に地図を入れましたが、拡大できないことや90°曲がっていたなどで参考にもなりませんでした。そこで改めて地図をご覧に入れます。

続きを読む

模型と言えるかな?

少し先の事になりますが、7月に運転会が予定されています、「亀屋」はHOとNと両方のレイアウトがあるようですね。運転会は久しぶりのイベントで楽しみです。先日も車両を動かす機会があったのですが、アーバンライナーはモーターが唸っている割にはスピードが出なくて不調でした、日頃から調子を見ておかないと駄目ですね。最近はあまり模型に触れる事も無くご無沙汰していました。これを機会に箱から取り出して走り具合を見ておきます。

さて、最近家族が「Bトレインショーティー」をプレゼントしてくれました。ご存知のようにBトレインショーティーは「車両のリアリティーはそのままに、長さの方向をショートカットしたマスコットモデルです」(BANDAIの説明)。模型ではなく、マスコットモデルと定義されています。鉄道趣味の一環として「こんなものもあるのか」ということでお付き合いください。ゲージはNですので専用の動力ユニットを付け、車輪を走行用車輪に取り替えることで立派に走ります(走り方は可愛い!です)。実物と動力ユニットをお目に掛けます、この2編成以外に江ノ電タイプがありますが、一番よく走るのは江ノ電です。長い(?)編成はどうしても車両が浮き上がってしまいます。テーブルの上でも走らせます、面白いです。

 東海道線開業時の面影を巡る 桂川~西大路~京都 ④

桂川橋梁の探索を終えて、線路沿いを東へ歩きます。葛野大路通を越して、西日本JRバスの京都支店・営業所の前まで来ると、西小路通を越すところに橋梁があります。架道橋のように見えますが、銘板を見ると「長池川橋りょう」とあり、かつて、ここに川が流れていたことを偲ばせます。西小路通りは、北側のGSユアサ工場の横で屈曲しており、道路としては不自然な曲がり方で、この道路の下にいまも暗渠として残っているのかもしれません。橋梁は約11mの長さ、上り線の橋脚は、基礎部は切石積み、上部は煉瓦積みになっていて、明治9年の開業時のものと言われ、切石積みなどは、後年に改修されたと思われます。
煉瓦積みの橋台が残る、長池川橋梁の上り線。下り電車に乗ると西大路駅を出てすぐの直下にあり、開業時の煉瓦積みが、ひっそり残っていた。

続きを読む

暖かい内地への旅 Part14 熊本市電を撮る①

第8日目 3月2日 その2

16:01 熊本到着です。まずは宿泊するアパホテルへチェックインのため熊本駅前からA系統の市電に乗車して向かいました。下車駅は1駅先の辛島町にしました。
1日乗車券は車内で買い求めましたが鹿児島より100円安い500円です。

熊本は学生時代に高森線訪問の際に立ち寄りましたが市電は見向きもしませんでした。勤務時代も立ち寄ってはいますが市電に接する機会はありませんでした。最近では2000年にSL人吉撮影のため市内をぶんしゅう7号で走りましたが撮影することはなかったので初めての訪問と言ってよいと思います。
改めて熊本市電の歴史を見ていきますと路面軌道では珍しい蒸気機関車が走っていたという記載があり引きつけられました。ヨーロッパの各都市では路面電車が走る前は蒸気機関車が客車を牽引していた例が多いのですが、日本でも松山の坊ちゃん列車以外にもあったのかと驚きながら調べてみました。
続きを読む

鉄道、つれづれ草《ことでん その1》

乙訓の老人が、つれづれなるままに撮りためた写真と想い出を書き綴るシリーズ。
今回は幼い頃から姉の嫁ぎ先であった善通寺への旅でなじんだ高松琴平電鉄「ことでん」です。
例によって乙訓の老人が書きためたデータは雲散してしまっていて、正確な事が書けません。ご覧になった皆様が、それぞれの知識で書き加えたり、訂正してください。早い話が、『Wikipedia』ならぬ『Okipedia』と致します。ご協力をお願い致します。

なお、乙訓の老人から「参考に使え」と渡された本が、老人が資料を提供して特派員氏が編集した「琴電100年のあゆみ」森貴知氏(canbooks)でした。解説はこの本と、老人が原稿に添付してくれたメモを使っております。
続きを読む

 東海道線開業時の面影を巡る 桂川~西大路~京都  ③

東海道本線開業時の面影巡り、続けます。桂川右岸の探索を終えて、左岸の西大路・京都方面に向かいます。ただ徒歩では川に阻まれて、桂橋まで3キロ近い迂回を強いられて、桂川橋梁の左岸側に到着しました。ここには、少し前の京都鉄道博物館で行われた企画展「鉄道遺産をたずねて」で、初めて知った周知の遺跡へまず向かいました。
桂川左岸の橋脚3基については開業時のものとも言われるが、これに疑問を呈する論文もあり、真相はよく分からない。ただ、上り線複線分の煉瓦橋脚は存在感が十分にある。下部にはアーチ状の切り欠きがあり、ここに興味深い刻印が・・

続きを読む

薩摩を旅して(後編)

南薩鉄道の跡を訪ねて薩摩半島を北上し、伊集院を経て串木野に着きました。薩摩島津家の財政を支えた金山を訪ねるためです。三井串木野金山の一部が「ゴールドパーク串木野」というテーマパークになり、更に現在では焼酎メーカー濱田酒造の「金山蔵」となっていて、かつての坑道が焼酎の醸造施設に利用されています。その坑道奥にある醸造施設を日に4往復のトロッコに乗って見学することができます。

平成30年5月11日 金山蔵トロッコ乗り場

続きを読む