東海道旧線を訪ねて-大津編③

7.馬場駅

馬場駅には機関庫が設けられた。開通当時の馬場駅の構内配線は不明だが、明治35年の配置図を見るとホームの南側に南東に向かって機関庫があり、大正始めの大津機関庫の絵葉書と一致する。明治22年の東海道線全通で馬場は通過駅となったが、逢坂山の25‰の勾配を越えるため、補機をつける必要があり、大正10年に新線が開通するまで馬場機関庫は重要な機関車基地であった。尚、馬場機関庫は大正2年馬場駅が大津駅に名称を変えたときに大津機関庫と名前を変え、大正10年京都-大津間の新線が開通した時に大津駅の名前は新線の駅に譲り、元の馬場に変わると同時に馬場機関庫の業務は大部分が梅小路に移管され、梅小路機関庫馬場分庫となった。図3:明治35年馬場駅配置図(鉄道史料11号より)
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東海道旧線を訪ねて-大津編②

4.大津駅裏逢坂小学校通学用トンネル

東海道旧線は現在の国道1号線部分を築堤で走っていた。明治22年大日本帝国陸地測量部の地図を見ると現在の大津駅の裏あたりに小道があり、東海道旧線の築堤をくぐるトンネルとして記載されている。東海道旧線の南側には高山寺(向山寺)墓地、霊山正福寺があり、明治10年の西南の役の出征兵にコレラ患者が出たときに霊山正福寺境内を借りて病室にしたが、その後明治12年のコレラ発生の時にも借り上げて施設を作り、以来昭和12年までこの地に避病院があった。築堤は現在の国道1号線を見てもわかるようにその両側とは4mほどの高低差があって、避病院に患者を運ぶためにトンネルとなっていたようである。図2:現大津駅裏逢坂小学校のトンネル(明治22年大日本帝国陸地測量部測量1/20000膳所)このトンネルの位置は先に記した旧東海道を越える橋梁の東側橋台から直線で600mの距離となるが、これと同じ場所には現在国道の南側にある逢坂学校へ行くためのトンネルがある。 続きを読む

私も撮っていた阪急東口

大阪市電1001型からOSミュージックの話になっていましたが、私も阪急東口で撮ったことがありましたのでご覧にいれます。地震があったので遅くなりました。撮影メモがなく、撮影日は不明です。大阪市電や市バスについては全く知識がなく解説はできませんので画像をただ並べるだけで申し訳ありません。

▲朝のラッシュのピークが過ぎたところですが市電がひしめき合っていて、空気がこんなに汚れていたのでしょうか。OSミュージックの袖看板も霞んでいます。左端2681の向こうにトロリーバスがいます。 続きを読む

東海道旧線を訪ねて-大津編①

総本家青信号特派員様の「東海道開業時の面影を巡る」シリーズに触発されて、私の地元大津に残るこれらの遺構を訪ねてみることにしました。すでに紹介されたものがほとんどで、新しい発見はあまりありませんが、幸いこれらの遺構は自宅から歩いて行ける範囲ですので、散歩がてら何度か訪れじっくりと調べることができました。まずはその概要と逢坂山トンネルから始めたいと思います。図1大津市内の東海道旧線路線図、大谷、馬場、石場、大津の駅が設けられ明治35年に紺屋関駅が作られた。 続きを読む

それなりのオエ7024 屋根を作るの巻

 今年の2月にデジ青で天理市で開かれていた桜井線開業120年の展覧会を紹介したときにオマケとして素性のわからない荷物車らしき模型車体を一体何なのかと皆様に問い合わせました。そうすると西村さんからあのぷるぷるさんが作られてものであると教えていただきました。また客車の神様、仏様からこれは戦災復旧車でオニ70からオエ70ではないかと教えていただきました。そして、客車の神様、仏様の米手作市さんからオエ7024の写真を投稿していただきました。それからはいろいろなパターンのオエ70の写真を同じく客車の神様、仏様の井原さんの投稿で見せていただきました。その中から最初に米手さんから見せていただいたオエ7024にすることにしました。屋根が特徴的だったのです。しかし、せっかく作るのであるから旧型客車の屋根を表現したいと思ったのです。その特徴であるキャンバス張りを表現する方法として艶消し塗装だけでもよかったのですが、本物のように布張りにしてみようと考えてみました。最初は包帯を張ってみようと思ったのですが、これは収縮するのでダメ。家にあった端切れの布も考えてみましたが、貼る方法を考えてみると難しいのです。そこで思いついたのがアイロン接着の布です。100均でネームテープとして売っているものです。まずは他の車両で試してみることにしました。その顛末は「【97907】「これは動きませんでした気動車」の屋根をキャンバス張りにする。」にて報告した通りです。

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 18きっぷで東海道を巡る -9-

最後の国鉄形特急185系「踊り子」を撮る②

185系は1981年に最初の0番台が誕生しました。当初の目的は、153系の急行「伊豆」の置き換えで、短期間ながらも急行として運転されました。そして1981年10月ダイヤ改正で、従来の特急「あまぎ」が「踊り子」と改称され、新製185系は、急行「伊豆」から格上げされた「踊り子」を担当することになりました。これで、伊豆急下田へ向かう優等列車は、すべて特急化され、一日10往復となりました。デビュー時は、デッキ付き車端2扉で、客室はリクライニングなしの転換クロスシートでした。ほぼ同じアコモで、同時期に関西に配置された新快速用の117系とよく比較されたものです。
別の日に改めて訪れたのが、早川~根府川の石橋橋梁だった。大昔からよく知られた撮影地で、新幹線に乗っていると、トンネルを出た一瞬に見える光景でも知られている。ところが、私には敷居が高く、今まで訪れたことがなかった。首都圏の著名な撮影地には、他人の庭に勝手に上がり込むような遠慮が働いたのかも知れない。185系「踊り子」は、最長15両編成で、スケールの大きな橋梁によく似合っている。15両は、国鉄時代から在来線昼行特急では編成両数第一位の座を保ち、A編成の10両編成中にグリーン車2両を組み込んだのも、いかにも東京から伊豆へ向かうリゾート特急らしさを感じる。

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 18きっぷで東海道を巡る -8-

最後の国鉄形特急185系「踊り子」を撮る①

国鉄時代に製造された185系で運転される特急「踊り子」の動向は、関西にいても気になる存在です。世代交代の激しい首都圏にあって、「踊り子」は登場から35年も経過しながら、ずっと185系で運転され、同時期に製造の117系と比べて、その健在ぶりは驚異的に映ります。ただ、後継車両も見えてきたようで、本腰を入れて記録しなければと思っているところでした。タイトルの“18きっぷ”のシーズンではありませんが、185系活躍の場である湘南・伊豆へ、あえて梅雨時を選んで行って来ました。
梅雨時とあれば、本欄でもよく紹介されている紫陽花に限る。改めて東国へ向かうと、線路端に多くの紫陽花が咲いている光景が見られる。もちろん関西でも見られるが、寺院の庭に限られているような感じで、線路沿いにも咲く光景は、新鮮に感じられた。

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雨の京阪電車

6月18日の大阪北部での地震に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。19日より大阪へ行っており被害の大きさを痛感しております。
さてKAWANAKA先輩の雨の小湊鉄道(フロントガラス越しのキハ200)に刺激され昨日6月20日の雨の京阪電車をご覧ください。前日からの雨が降り続き 朝から大粒の雨が降っていました。淀屋橋9時30分発の特急出町柳行き 運良く最前列のシ-トに座ることができました。天満橋を発車し地上に出ると雨 運転席はワイパ-がしきりに動いていますが 助手席側は止まったままです。これ幸いとカメラを取り出し対向車を写すことにしました。京橋手前でまず1555号と出会いました。

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お見舞い申し上げます

DRFC-OB会クローバー会の皆様へ

今朝、大阪北部で大きな地震があり今も時々余震がある様ですが、皆様のところは如何でしたでしょうか。この場をお借りしてお見舞い申し上げます。震源地に近い所にお住まいの会員の方は永年購読している大量の趣味誌が本棚から崩れ落ちたとのことです。皆様もどうぞ今後も気をつけてください。

雨のあじさい

INUBUSE氏に刺激されて休みにあじさいを撮りに出かけました。桜の撮影時に現場でカメラが突然作動不能になり失意の思いで帰投したあと、ボディーを購入して撮影に備えていましたが、業務が輻輳しており、長らくクラで休んでいました。INUBUSE氏の余計な刺激に、行かねばならんと思って出かけた次第です。例によって愚作を載せます。
小生の守備範囲は千葉の片田舎なので例によって小湊鉄道です。形式的には面白みがないですが、雨の雰囲気がええということで、しかも週末は都合のよいことに雨、同業者も少ないという好条件です。それでは。

やっぱり雨です。フロントガラスに・・。雨も捨てたもんではありません

雨の雰囲気、ええですね。
途中、里見でのトロッコの出発風景。如何に雨でも傘をさした駅長はちょっとね。別の雰囲気を期待したのですが。


いよいよロケに掛かります。

ひっそりと木陰に咲くあじさいは、小生みたいに、,しおらしく佇んでいます。

あとは、細かい説明抜き。
あじさいの咲く田園を走る気動車と、やはり、木陰に咲くあじさいがひっそり伺うなかに山道を分け入ってくる列車の雰囲気です。梅雨の季節の情緒が出ていますでしょうか。

夏は暑いので、この辺で。涼しくなってきたらまた、デジ青の画面をよごしてやろうと思います。

北海道家族旅行(2)

「予備知識なし」で出掛けたのですが、小樽でも発見がありました(私にとっては)。家族とは半日別行動しよう!ということになり「手宮線」跡を見て、小樽駅の近くでJRを撮ろうかなと思っていましたが、「観光マップ」を見ると端っこの方に「小樽市総合博物館(北海道鉄道発祥の地)」のイラストが載っていました。一時間くらいで見てこれるかなと思って行ったのが、名前は総合博物館ですがなんと「重要文化財 旧手宮鉄道施設」でした(多分、知る人ぞ知る!ですね)。~北海道の鉄道の歴史はここ手宮から始まりました。この地ならではの歴史的遺構の数々が館の内外で、静かに時を語っています~とあります。確かに広大な敷地の中で多くの、特に北海道で見られた車両群が展示されています。館の入り口にあるのが「しづか」でした。これも「ぴかぴか」の状態で展示されています。屋外にはキハ821、キシ8012、キハユニ251、ED75501…、客車でもオエ61309、スエ785といった救援車、スユニ50501は中に乗務員の作業中の人形があり、中を覗いたとたんビクッ!とします。展示車両はほとんど中に入れますし、救援車は機械工具まで揃えてあります。さらに、北海道の特徴的な車両として除雪車を見ることができました。新しいところで、DD14323、DD1537です。キ270(単線用)とキ1567(複線用)です。庫内で見えにくいですが、キ601(ロータリー車)、キ800(マックレー車)で「キマロキ」編成となるものですね、私にとってはこれら全て実働時には見ることも無かったものでした。3時間近く居ましたがまだまだ充分ではありません、しかし小樽駅に戻るバスは1時間に1本しかありませんのでこのへんで引き上げました。屋外の展示車両(「しづか」以外全てですが)はさすがに塗装の傷みも進み、色褪せたものもあり残念でもありますが広い場所で保存されていて気持ちがいいです、訪れた価値はありました。最後に次の訪問地である函館へ行く途中立ち寄った「JRタワー」からの眺めです。

「これは動きませんでした気動車」の屋根をキャンバス張りにする。

 wakuhiroさんのコメントに書いたように例のオニ70の屋根をキャンバス張りをするためにまずは布張りを考えてみました。普通の布を貼るのは難しいようです。そして考えたのはアイロンで接着できる布です。100均などでゼッケンテープとかネームテープとして売っているものです。買ってきて廃車にした怪しい電車の屋根板に試しに貼ってみました。何とかなりそうなので、まずは「これは動きませんでした気動車」の屋根をキャンバス張りにすることに。

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 ◆ “た~ちゃん”の電車めぐり ⑲

全盛時代の京都市電600形を撮る (2)

ちょっと留守にしている間にも、宮崎様や米手さんから、京都市電の貴重な写真がアップされ、楽しんでいます。これに乗じて、た~ちゃん撮影の昭和30年代の600形をもう一度載せました。
95両が製造された600形ですが、更新・改造が多く行われ、600形のまま残ったのは僅かでした。これも、ある意味600形の特徴とも言えるでしょう。一次車601~685は、終戦後の酷使や、軽量車体による車体歪みなどが発生し車体更新が行われます。先欄のコメントでも話題になった、側面中央部の垂れ下がりの有無が、更新前後の見分けポイントです。
そのあとは、未更新車のなかから、2600形ワンマンカーへの徹底した改造に移ることになります。昭和39年から18両が改造され、新製された2000形とともに、京都初の連結市電として活躍することになります。その後は、1600形ワンマンカーの簡易改造へと移り、昭和41年から63両が改造されました。結局、600形のまま残った一次車は4両のみでした。なお、戦後製の二次車686~695は、大きな改造を受けることなく、最後までツーマン車として使用されました。
600形を先頭に、烏丸車庫前でズラリと発車を待つ市電群、すべて形式が異なる、市電全盛時代のシーン。

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北海道家族旅行(1)

以前から北海道へ行こうと家族で話していたのですが今回実現することができました。観光旅行がメインとなり「鉄分補給」は期待せずというスタンスで予備知識も全く無いまま出かけました。このためクローバー会諸兄からは「こんな事も知らんのか」とお叱りを受けそうですが、私としては「こんなんありました」ということでご容赦願います。出発は大阪/伊丹ANA20便(B777-200)で東京/羽田経由ADO65便(B737-700)で帯広に到着です。B737も形式は古いですが-700まであるとは思いませんでした。帯広のホテル近くを散歩していて見つけたのが「十勝鉄道蒸気機関車4号、客車コハ23号」です。

遊歩道に屋根つきのスペースで保存されていました。

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大阪市電1001型

しばらく(約一ヶ月)このシリーズの新聞掲載がなかったので、関三平先生のお身体に故障が発生したのか、交番検査で入場かと心配のあまりお電話したところ、先生はお元気で安心しました。しかし、新聞社の勝手で掲載が4週間に一回となったとか!けしからん!!と怒りまくっております。

閑話休題

大阪市電は京都市電と違い、全く分かりません。知りません。
ご存じなのは「大阪特派員」氏でしょうか。同じ特派員氏でもこちらの方は全くアナログで、貴重な写真も投稿できないそうなので、また介護に行かねばなりません。介護士不足が身にしみます。

久しぶりの世田谷線 アジサイと共に

6月6日関東地区も梅雨入りとの報道が有りましたが 翌7日は良い天気に恵まれ アジサイがきれいであろうと久しぶりに東急世田谷線に出かけました。
田園都市線で三軒茶屋へ 少し歩いて世田谷線の三軒茶屋駅へ その昔とは比べ物にならない現代的な駅になっています。
車両はデハ300形2両連節車 10編成が在籍しています。平日の昼間でしたので6分間隔7編成での運用でした。
309F(バ-ントオレンジ)が入線してきました。折り返し高井戸行に乗車して終点まで乗車しました。

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