【98230】東海道旧線を訪ねて-大津編③

7.馬場駅

馬場駅には機関庫が設けられた。開通当時の馬場駅の構内配線は不明だが、明治35年の配置図を見るとホームの南側に南東に向かって機関庫があり、大正始めの大津機関庫の絵葉書と一致する。明治22年の東海道線全通で馬場は通過駅となったが、逢坂山の25‰の勾配を越えるため、補機をつける必要があり、大正10年に新線が開通するまで馬場機関庫は重要な機関車基地であった。尚、馬場機関庫は大正2年馬場駅が大津駅に名称を変えたときに大津機関庫と名前を変え、大正10年京都-大津間の新線が開通した時に大津駅の名前は新線の駅に譲り、元の馬場に変わると同時に馬場機関庫の業務は大部分が梅小路に移管され、梅小路機関庫馬場分庫となった。図3:明治35年馬場駅配置図(鉄道史料11号より)
記事の続きを読む


【98206】東海道旧線を訪ねて-大津編②

4.大津駅裏逢坂小学校通学用トンネル

東海道旧線は現在の国道1号線部分を築堤で走っていた。明治22年大日本帝国陸地測量部の地図を見ると現在の大津駅の裏あたりに小道があり、東海道旧線の築堤をくぐるトンネルとして記載されている。東海道旧線の南側には高山寺(向山寺)墓地、霊山正福寺があり、明治10年の西南の役の出征兵にコレラ患者が出たときに霊山正福寺境内を借りて病室にしたが、その後明治12年のコレラ発生の時にも借り上げて施設を作り、以来昭和12年までこの地に避病院があった。築堤は現在の国道1号線を見てもわかるようにその両側とは4mほどの高低差があって、避病院に患者を運ぶためにトンネルとなっていたようである。図2:現大津駅裏逢坂小学校のトンネル(明治22年大日本帝国陸地測量部測量1/20000膳所)このトンネルの位置は先に記した旧東海道を越える橋梁の東側橋台から直線で600mの距離となるが、これと同じ場所には現在国道の南側にある逢坂学校へ行くためのトンネルがある。 記事の続きを読む


【98191】私も撮っていた阪急東口

大阪市電1001型からOSミュージックの話になっていましたが、私も阪急東口で撮ったことがありましたのでご覧にいれます。地震があったので遅くなりました。撮影メモがなく、撮影日は不明です。大阪市電や市バスについては全く知識がなく解説はできませんので画像をただ並べるだけで申し訳ありません。

▲朝のラッシュのピークが過ぎたところですが市電がひしめき合っていて、空気がこんなに汚れていたのでしょうか。OSミュージックの袖看板も霞んでいます。左端2681の向こうにトロリーバスがいます。 記事の続きを読む


【98153】東海道旧線を訪ねて-大津編①

総本家青信号特派員様の「東海道開業時の面影を巡る」シリーズに触発されて、私の地元大津に残るこれらの遺構を訪ねてみることにしました。すでに紹介されたものがほとんどで、新しい発見はあまりありませんが、幸いこれらの遺構は自宅から歩いて行ける範囲ですので、散歩がてら何度か訪れじっくりと調べることができました。まずはその概要と逢坂山トンネルから始めたいと思います。図1大津市内の東海道旧線路線図、大谷、馬場、石場、大津の駅が設けられ明治35年に紺屋関駅が作られた。 記事の続きを読む


【98166】それなりのオエ7024 屋根を作るの巻

 今年の2月にデジ青で天理市で開かれていた桜井線開業120年の展覧会を紹介したときにオマケとして素性のわからない荷物車らしき模型車体を一体何なのかと皆様に問い合わせました。そうすると西村さんからあのぷるぷるさんが作られてものであると教えていただきました。また客車の神様、仏様からこれは戦災復旧車でオニ70からオエ70ではないかと教えていただきました。そして、客車の神様、仏様の米手作市さんからオエ7024の写真を投稿していただきました。それからはいろいろなパターンのオエ70の写真を同じく客車の神様、仏様の井原さんの投稿で見せていただきました。その中から最初に米手さんから見せていただいたオエ7024にすることにしました。屋根が特徴的だったのです。しかし、せっかく作るのであるから旧型客車の屋根を表現したいと思ったのです。その特徴であるキャンバス張りを表現する方法として艶消し塗装だけでもよかったのですが、本物のように布張りにしてみようと考えてみました。最初は包帯を張ってみようと思ったのですが、これは収縮するのでダメ。家にあった端切れの布も考えてみましたが、貼る方法を考えてみると難しいのです。そこで思いついたのがアイロン接着の布です。100均でネームテープとして売っているものです。まずは他の車両で試してみることにしました。その顛末は「【97907】「これは動きませんでした気動車」の屋根をキャンバス張りにする。」にて報告した通りです。

記事の続きを読む


【98170】 18きっぷで東海道を巡る -9-

最後の国鉄形特急185系「踊り子」を撮る②

185系は1981年に最初の0番台が誕生しました。当初の目的は、153系の急行「伊豆」の置き換えで、短期間ながらも急行として運転されました。そして1981年10月ダイヤ改正で、従来の特急「あまぎ」が「踊り子」と改称され、新製185系は、急行「伊豆」から格上げされた「踊り子」を担当することになりました。これで、伊豆急下田へ向かう優等列車は、すべて特急化され、一日10往復となりました。デビュー時は、デッキ付き車端2扉で、客室はリクライニングなしの転換クロスシートでした。ほぼ同じアコモで、同時期に関西に配置された新快速用の117系とよく比較されたものです。
別の日に改めて訪れたのが、早川~根府川の石橋橋梁だった。大昔からよく知られた撮影地で、新幹線に乗っていると、トンネルを出た一瞬に見える光景でも知られている。ところが、私には敷居が高く、今まで訪れたことがなかった。首都圏の著名な撮影地には、他人の庭に勝手に上がり込むような遠慮が働いたのかも知れない。185系「踊り子」は、最長15両編成で、スケールの大きな橋梁によく似合っている。15両は、国鉄時代から在来線昼行特急では編成両数第一位の座を保ち、A編成の10両編成中にグリーン車2両を組み込んだのも、いかにも東京から伊豆へ向かうリゾート特急らしさを感じる。

記事の続きを読む


【98120】 18きっぷで東海道を巡る -8-

最後の国鉄形特急185系「踊り子」を撮る①

国鉄時代に製造された185系で運転される特急「踊り子」の動向は、関西にいても気になる存在です。世代交代の激しい首都圏にあって、「踊り子」は登場から35年も経過しながら、ずっと185系で運転され、同時期に製造の117系と比べて、その健在ぶりは驚異的に映ります。ただ、後継車両も見えてきたようで、本腰を入れて記録しなければと思っているところでした。タイトルの“18きっぷ”のシーズンではありませんが、185系活躍の場である湘南・伊豆へ、あえて梅雨時を選んで行って来ました。
梅雨時とあれば、本欄でもよく紹介されている紫陽花に限る。改めて東国へ向かうと、線路端に多くの紫陽花が咲いている光景が見られる。もちろん関西でも見られるが、寺院の庭に限られているような感じで、線路沿いにも咲く光景は、新鮮に感じられた。

記事の続きを読む


【98087】雨の京阪電車

6月18日の大阪北部での地震に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。19日より大阪へ行っており被害の大きさを痛感しております。
さてKAWANAKA先輩の雨の小湊鉄道(フロントガラス越しのキハ200)に刺激され昨日6月20日の雨の京阪電車をご覧ください。前日からの雨が降り続き 朝から大粒の雨が降っていました。淀屋橋9時30分発の特急出町柳行き 運良く最前列のシ-トに座ることができました。天満橋を発車し地上に出ると雨 運転席はワイパ-がしきりに動いていますが 助手席側は止まったままです。これ幸いとカメラを取り出し対向車を写すことにしました。京橋手前でまず1555号と出会いました。

記事の続きを読む


【98067】お見舞い申し上げます

DRFC-OB会クローバー会の皆様へ

今朝、大阪北部で大きな地震があり今も時々余震がある様ですが、皆様のところは如何でしたでしょうか。この場をお借りしてお見舞い申し上げます。震源地に近い所にお住まいの会員の方は永年購読している大量の趣味誌が本棚から崩れ落ちたとのことです。皆様もどうぞ今後も気をつけてください。