祝:同志社大学鉄道同好会優勝!

何のことかと思われるでしょうが、4月15日(土)17時10分からNHKテレビで「鉄オタ選手権 京阪電鉄」が放送されました。私も途中から偶然見たのですが、中川家(京阪ファンで有名)が司会をして京阪電鉄若手社員3名、鉄オタお笑い芸人3名、そして我がDRFC現役が会長率いる3名で京阪に関する知識で対決するものです。途中からですから集電器を見せて何型の車両に付いているかを訊いているようでした。その時点で三チームは同点でしたから互角の戦いと言うことでしょう。はっきり見た質問は「◯◯から◯◯へ、ジリリン ピリピリ ポーポ 京阪特急~」の◯を駅名で埋めよ、と言うものと、下り方向の発車ベル(音楽)を聞かせて駅名を当てよ、と言うものでした。結果は「天満橋から三条へ」は全員正解で最終問題へ、最終問題が三駅有り全問正解はDRFCだけで優勝となりました。

なかなか難しい問題(我々には)ですが、なぜか大学としては同志社だけが選ばれていて驚きました。何にしても女性会長率いる現役がNHKの番組で何度も「同志社大学鉄道同好会」のタイトルを表記させたことは嬉しい限りでした。

出来るなら、学生も事前に我々にも知らせてほしかったと思います。

近鉄・修学旅行あおぞら号

今回の文頭に当会のお話を出して頂きました。ありがとうございます。
また、湯口先輩の指摘された「八日市鉄道」に関してもご訂正頂きました。

この電車なら私でも撮ったことがあります。叔父の家の前で撮りましたが、昭和三十年代の大阪線はまだ地上で、道も未舗装でした。
近鉄大阪線 弥刀-久宝寺口

 

 

下津井の保存車両

2016年12月に「[79165]下津井は生きていた」を投稿しました。この訪問の際には フェンスの外から車両達を撮影したのですが、今回は予め「下津井みなと電車保存会」に見学依頼をして、車内も含め丹念に見学させて頂きました。今回はT氏、I氏と一緒に水島経由の訪問です。

これは昨年末の撮影です。

下津井駅跡に並ぶ車両達の配置はこのようになっています。

下津井駅跡の車両たち

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水島臨海鉄道の近況

水島臨海鉄道は旅客列車、コンテナ貨物列車が数多く運転されており、工業地帯なので 風光明媚な撮影地はありませんが、元気な非電化私鉄です。クローバー会の木次線ツアーに先立って T氏、I氏をお誘いしてレンタカーで水島臨海鉄道を訪ねることにしました。この日は平日でしたので、朝夕の通勤通学時間帯にディーゼルカーの2連が走るので 御両名に合流する前に 朝の2連を狙うところから撮影開始です。

平成29年4月7日8:16 倉敷市駅に到着した12レ MRT306+MRT301

倉敷市駅に列車が到着するとホームは人であふれ 岡山方面に向かう乗換え客も多いようでした。MRT306の行先表示は「三菱自工前」となっていますが倉敷市駅到着前に早々と表示変更したようです。昼間の列車の大半は水島止まりで、ひと駅先の三菱自工前まで行く列車は朝夕が中心です。

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寒中北海道見聞録・半世紀前の旅 7号車

さて朝の塩狩での一仕事を終え、塩狩駅で交換してきた332Dを仕留めてユースに戻り、仕度をしたのです。7号車はここから始まります。

■長駆登別。途中美唄下車

本日は、長駆登別までの行程で、しかも途中で道草(ではないが)するのである。昨日と違い、幹線の威力を実感することになる。

朝食を済ませて9:15の337Dに乗るのである。何しろエキチカなので大丈夫。9:00を過ぎていても3人とも気が付いていない。すれ違うことになっている急行「宗谷」が走り去って行くのが見えた。337Dは既に停車していたのであります。諦めつつも走れ走れでどうにか乗ることが出来ましたが、乗車後にキャラバンシューズの紐を結ぶ始末。教訓:何でも最後まで諦めたらあかん。小林氏はこの場でもハヒハヒ言いながら編成を調べました。

←幌延キハ22102旭アサ+キハ22321旭アサ(音威子府止り)

この日は急行で美唄経由で登別に行くことになっていたのに、何故宗谷本線の下りに乗ったか、お分かりかな?この337Dで一旦、士別まで下って、士別から急行「宗谷」で戻るためであります。当時の急行網とそれを利用できるダイヤに利用者への配慮が見えますね。鉄道の復権にはこういう木目細かい施策が不可欠と思います。

「宗谷」は、

←函館③キハ5625+④キハ56107+④(増)キハ2742+⑤キハ27103+キロ26101+⑦キハ56214 全て函ハコ

「宗谷」は満員であったけど、座席を無事確保した3人を乗せて旭川を過ぎ、電化の進む函館本線に入っていきます。

旭川を過ぎ、車内販売の弁当うなぎめしを買う。包みには写真のように岩見沢名物などと書いてある。ん?岩見沢も鰻の産地か?まあ、美味ければ良いのである。かぶって見ると皮が厚いではないか!これが本当の皮さかな(革さかなが相応しい?)と納得し食した。

岩見沢駅 ゴムを嚙んでいるような食感のうなぎめしは 2000円ではなく200円

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木次線ツアーご報告(余話)

今回は落石事故で木次線は楽しい(?)バスツア-に変更となりましたが延命水まで飲むことができて楽しい思い出がまた一つできました。幹事の方々、ご同行の皆様には御礼申し上げます。おかげさまで三段スイッチバックを含む備後落合~木次間はまたまた未乗区間となりましたが、多分この先に乗ることはなくそのことに悔いが残りました。西村さんの余禄に次いで私も余話をご披露させていただきます。

御住職の堀江様のご説明の中にありましたC56108号の今井機関士の姿です。今井式スノープローを考案されたりして現場での指導的立場にあられた方ですが3年前にお亡くなりになられたとのことです。運転台に乗る若きの日の御姿です。 1964.3.31木次機関区 ▼

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「50000人の写真展」応募のお誘い

昨年多数の方に応募いただきました富士フイルム「30000人の写真展」が今年も開催されます。今年はさらにパワーアップし「50000人の写真展」となり「一般展示」、「なつかしいあの頃」、「鉄道のある風景」の3部門で募集されます。「鉄道のある風景」部門の展示は大宮鉄道博物館で722日~30日、名古屋リニア・鉄道館で819日~27日、京都鉄道博物館で1028日~115日に行われます。詳細につきましては添付資料を参照ください。出品ご希望の方は事務局までご連絡ください。

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木次線ツアーご報告(余録)

さっそく大津の86さんがレポートして頂きましたので、私は補足説明的に2日間の印象に残ったシーンをご紹介します。まずは8日 新見から乗車した443D(キハ120単行)の混雑ぶりです。

平成29年3月8日 芸備線443D 車内風景

岡山で伯備線に乗る前にお弁当を買い、新見からの芸備線車内で沿線風景を楽しみながら食べようと思っていましたが、伯備線新見行き849M(2連)の混み具合から考えると、かなりの人が芸備線443Dに乗り換える雰囲気で とても443Dでは座れそうになく、伯備線内で急いで弁当を食べました。正解でした。青春18の期間は避けねばなりませんね。

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木次線ツアーご報告

4月8日、9日にDRFCクローバー会木次線ツアーが催行されました。参加したのは’56年度生から‘85年度生まで、30年の世代を超えた17名です。皆さん思い思いのルートで新見に集まってこられ、備中神代から乗車されたYさんを最後に全員が予定の列車に乗車しました。この日は桜のシーズンで、青春18きっぷの使える最後の土日という事もあり、1両の芸備線の列車は、つり革が埋まるくらいの立ち客でにぎわっていました。列車は順調に走りましたが、東城を出たあたりでしょうか「備後落合から木次線に乗り継ぐ方はおられますか?木次線は落石のため備後落合と出雲横田の間で不通になっています。」との車内アナウンスが入りました。その後代行バスを手配するとのことで、一安心して備後落合に到着しました。
↑ 備後落合にはこの時間三方向から来た列車が集まるはずのところ木次線の列車は姿が見えず。 続きを読む

山陽本線河内駅とシティ電車

先に投稿しました「227系の功罪」に対する1900生さんのコメントで「シティ電車」の話が出ました。当地でも「シティ電車」と書かれた看板を見た覚えがあった河内駅に行ってみましたら、今もありました。

平成29年4月5日 山陽本線河内駅にて

河内(こうち)駅といってもご存知ないでしょう。山陽本線三原駅から広島方面に向かい、2番目、本郷駅の次が河内駅です。歴史は古く明治27年に山陽鉄道によって開業しています。現在は東広島市の東端にあたります。古レールを組んで作られた跨線橋があり、そこに「シティ電車」と書かれた看板が取り付けられています。そもそも「シティ電車」とは国鉄時代の昭和57年のダイヤ改正で広島・岩国間の電車が15分間隔で設定された際に「シティ電車」という愛称が使われたようです。その後昭和59年に広島・西条間と広島・呉間が30分間隔になり、61年には広島・岩国間が10分ヘッドへと増発されてゆきます。昭和62年にJR化されます。

一方 現在は東広島市ですが平成17年まではここは賀茂郡河内町でした(余談ながらこの賀茂郡と言う地名は 中世に京都の賀茂神社の荘園であったことに由来しています。賀茂川もあります)。従ってこの看板はJR発足後で、かつ平成17年以前に掲げられたことになります。現在広島から上り方面に西条止りは殆どなく 更に東の白市折り返しとなっています。白市駅が広島空港に最も近いJRの駅のためです。現在の広島空港の開港は平成5年10月ですから、シティ電車が西条折り返しから白市折り返しに延長されるのも平成5年以降です。看板に「延長を!」とあるのは 白市駅まで延びてきたシティ電車があと2駅延びれば河内駅だからです。しかしこの願いは実現していません。そんなことより、ひと昔も前の看板が今も掲げられていて 10年ほど時計が止まっているような感じがします。

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不正アクセスを検知しました。

4/5 11時追記:致命的なPHPエラー等が発生したため、一時的に当掲示板がアクセスできない状態になりました。
データベースやファイルを修復したところ復旧致しました。下記の不正アクセスとの関係は不明ですが、さらにファイアーウォールを見直すとともに、パスワードと管理権限を変更しました。

4/4 22時 本掲示板を設置しているレンタルサーバ業者より、迷惑メールの発信元として不正利用されているとの報告を受けました。サーバ内を調べたところ、不正なファイルの設置やファイル改竄などが行われていたため、当該ファイルを全て削除するとともに、海外からのSSH/FTP/SMTPアクセスを制限しました。
※掲示板記事への改変や不正投稿はされていない模様ですので、見た目は以前と変わりません。
※掲示板を見ることでウイルス感染したり、パソコンを乗っ取られることはありません。
※大量のファイル削除を行ったため、一部動作に問題が出ている可能性があります。何か動作上記になる点があれば、こちらの記事のコメント欄にて報告お願いします。

異形式連結電車ー3ー

扉の数やそのスタイルから明らかに異形式とわかるものを集めてみた。

南海特急サザンは座席指定のクロスシート車と一般の特別料金不要4扉ロングシート車を連結している。

2015.9.6 孝子 和歌山市行きサザン10904~7037 ▼

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異形式連結電車ー2ー

ステンレス車両同士や外観上見分けがつき難い異形式連結電車である。

2017.1.7 和泉多摩川 急行小田原行き 3465~1063 通常よく見られる小田急線のステンレス車同士の連結である。角張って人気のない3000形の後方4両はステンレスながらやや丸みを帯びた1000形である。▼

2015.10.26 南大沢-京王堀之内 準特急新宿行き7425~9756 車体横のコルゲートの有無で形式の違いがわかる ▼

2014.12.7 御影-岡本 特急梅田行き8035~7123 阪急電車は伝統のマルーンカラーで統一されているので見た目には異形式の連結は判別し難いが、編成表などを調べてみると結構ある。ラッシュ時の増結などでそのようなケースが生じるが撮影したこの編成は常時異形式連結のようである。▼

JR東E233+E231も見た目には判別し難いが写真は割愛する。

227系の功罪

広島地区に久方ぶりの新型車227系が投入されて、すっかり定着してきた感があります。中国新聞読者投稿欄にこんな一文がありました。

平成29年4月2日 中国新聞朝刊

私は広島市域から離れた場所に住んでいますので、ときどき広島に出かけるのに227系に当たるとラッキーと思い、115系が来るとガッカリという思いしかありませんでした。227系はMC+M+MCの3両編成かMC+M+M+MCの4両編成が基本だったと思います。一方115系はTC+M+M+TCの4両が基本ですから、改造車のクモハMC+M+TCの異端編成でない限り殆ど4両でした。なので227系投入でサービス低下を招いているのかもしれません。通勤時間帯の広島市域の実態を体験していませんが、この投稿者の言われる通りだろうと思います。

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 カラーで振り返る 昭和の気動車 -3-

キハ20系(2)

キハ20系での派生形式として、寒冷地向けのキハ21・22と、機関2台の強力型のキハ52がありました。当時走っていた多くのDCのなかで、1900生さんはキハ20系、とりわけキハ52が好き、とコメントをもらいましたが、私はキハ22が大好きでした。ドアが車端に寄ったうえ、窓が小さく、控え目ですっきりした側面、乗り込んでも急行型に遜色のない設備で、東北の北部、北海道でしか見られない希少性も憧れとなりました。
最北端に近い、利尻島を望む宗谷本線南稚内~抜海の海岸沿いを行くキハ22 307の338D、後部の運転室から顔を出す人物一人、よ~く見ると、なんとなく1年先輩のTさんに見える。この時は、“抜海現地闘争”と称して、DRFCメンバーの戦闘的な4人が、勝手に保線小屋に泊まり込んだのだったが、日和見会員(?)も日中には多くが参加して撮影会状態となったため、列車で移動を重ねていたのだった(昭和44年9月)。

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三江線 あと1年

木次線ツアーが来週に迫ってきて 天候や桜の開花が気になります。木次線の前後に三江線に足を延ばそうと思われている方もあるかもしれません。平成30年3月31日で廃止される三江線はあと1年の命です。夏頃には代替交通手段の計画がまとまるそうです。3月31日の中国新聞の記事をご紹介します。(サイズが大きいため上が少々切れました)

平成29年3月31日 中国新聞朝刊

三江線に限らず、木次線、姫新線、芸備線、福塩北線など伯備線以外は同じような状況にあります。今回の木次線ツアーはそれを実感する旅にもなると思います。

元米坂線39685号関連の展示コーナー

さいたま市中央区役所(与野本町駅より約350m)に永年保存され近年解体された同機の関連展示コーナーです。同市浦和区在住のクモハ73106東ウラさんが早速訪問されたのでその様子を報告させていただきます。DRFC-OB会クローバー会のtsurukameさんの貴重なカラー写真も並べられております。

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異形式連結電車ー1ー

国鉄90系、後の101系以降の新性能電車は同一系列の車両で組成された長編成が基本であり、大手私鉄でも最近は8~10両(一部12両もある)の長編成が当たり前で中には中間に運転台のない固定編成も数多く見られる。ところで最近電車を撮影していると異なった形式で編成された列車を見ることがあり多少気にし始めた。特に鋼製車とステンレス車は異形式連結の典型であり編成美は崩れるがそれはそれで興味深いものがある。その一部を発表してみたい。なお、吊り掛けモーターの旧型電車の時代には元電動車を付随車化するなどして異形式を中間に挟んだり異形式電動車同士の編成も結構見られたがここでは新性能電車の異形式連結を中心にしたい。

まず、ステンレス車と鋼製車の連結である。小田急や名鉄等に数多く見られる。

2011.11.9 相模川橋梁を渡り厚木を通過する急行新宿行き5255~3559 5000形は既に消滅しており鋼製車は8000形が残っているだけである▼

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寒中北海道見聞録-半世紀前の旅 6号車

暖かい車内から北浜駅に降りると一段と寒さが身に沁みる。先ずはユースに向かうことにしました。今回の6号車はここからです。■ 寒い中のロケ

北浜付近(KAWANAKAの昔のアルバムの絵を流用)

ユースは原生花園YHという割と有名なユースらしいです(今は知りませんが)。また駅から近くまことに便利な立地です。ユースで一休みした後、数少ない列車を如何に効率よく多く撮るかということが大事やとなり、その結果、原動力を確保するために自転車を借りることになったのです。このことをペアレントのおばさんに言うと怪訝な顔をします。それでも小屋の中にあると教えてくれたのです。乗れるなら乗ってみろという感じでしょうか。呆れてものが言えんみたいです。雪の積もった中、小屋へ行ってみるとまともなのは1台きり。仕方ないので誰が乗る幸運を得るかということになりましたが、その幸運な人は西村氏に決まりました。結果論ではありますが断れば良かったのに。寒中の自転車はデジ青のネタにしかならなかったわけだからね。以下は西村氏の後悔の告白であります。

:::先ず、上りの貨物を1本撮って一旦ユースに引き返しました。何しろトーフツ湖は南極越冬隊訓練の場所に選ばれたくらいであるので、凄い寒さです。鼻毛は勿論、まつ毛(2号にもあったが眼の毛という意味)まで凍ってしまって息をすれば鼻の奥が痛く、瞬きをすると目がしょぼしょぼし、手袋も今回こそ何の役にも立たないのである。足は感覚がなくなっていく。次に下りの627レと上りの650D 、630Dを撮りに出たが最後の630レだけはどういう訳か小林センセはストーブの傍から動こうとされませんでした。なお断っておきますが写真は確かに北浜ですが2日にわたるロケのどちらの日の写真かは特定しません、悪しからず。ストーリーになりにくいので、イメージとしてご覧ください。

というわけで、自転車に乗ろう作戦は失敗になったのであります。その後、冬の北海道で自転車を走り回るというのは聞きたことはないですね。冬に行かれる皆様、参考になりましたでしょうか? 続きを読む