私は私学中学でしたからこの車両には乗れずじまいでした。その代わりバスのように補助イスを付けた、スハ32系の客車に乗って東京タワーを見に行きました。
ところで、155系は知っていますが、159系や167系というのは知りません。準特急さん、写真があったら見せて下さい。修学旅行用というと九州の”とびうめ”という気動車もありましたね。
来春廃止される三江線の駅やトンネル、橋梁、路盤などの資産をどのように処分するのかについての記事がありました。元気な鉄道に乗ったり撮影したりすることに興味は尽きませんが、息絶えた鉄道の後始末について考えたこともなかったので 多くの課題があることがわかりました。
「処分するのに費用がかかるものなら タダであげる」「つまみ食いは有料」というのはムシが良すぎる気がします。せめて「代替バス関連施設については無償で差し上げます」というのがスジだと思うのですが。
河昭一郎様 お待たせしました。 というほどの写真ではありませんが、横須賀線70系と関西国電(京都-西明石)等拙い写真ですがどうぞご笑覧下さい。
前回のクモユニ74と同じ大船のカーブです。
1968.2.13 921S 戸塚-大船間 久里浜行きクハ76022 ▼1968.2.13 905S 戸塚-大船間 後ろから見た70系12連横須賀行き ▼ 続きを読む
準特急さんの「異形式連結電車-5-」のコメントで出てきた京阪1700+1800の編成ですが、DRFC現役の時にHOで模型にしていました。一般色で3扉の7連です。すでに車両は廃車解体されました。しかし、その時の残骸と図面が残っています。図面と言っても簡単なものです。京阪は標準軌なので最初は1/87で図面を書きました。
しかし、上の図面からもわかるように台車などの下回りとバランスが悪いので結局1/80にしました。
どですかでんさんやクモハ73106東ウラさんの思い出話で盛り上がった備後落合駅ですが 中国新聞にこんな記事が載りました。
先の木次線ツアーの際には 待合室に飾られている蒸機時代の写真を見たりターンテーブルの残骸を観察して 長い待ち時間を過ごしました。列車の発着がない11:00頃にお話しされるようですが、誰が聞きに行くのでしょうか?
先日の西村様の投稿に呼応して、久しぶりに書いてみます。画像やプレヴューが見えないので、随分緊張しながら書いて居ます。
河内駅付近の風景。上下方面から降りて来た国道432号線が駅前の旧道とぶつかり、直角に曲がる付近です。
さらに国道を南下し、竹原に向かう途中、新幹線をくぐると不思議な建造物の残骸に遭遇しました。 続きを読む
先にご報告しましたように、4月8、9日に木次線ツアーが催行されました。この旅行で以前デジタル青信号の木次線投稿記事にコメントを寄せられた、C56保存会のおろち様にご連絡させていただいたところ、現地で保存機のご案内、また、懇親会の折に保存の苦労話などをしていただき大変お世話になりました。
昨日おろち様より保存会の会報が送られてきて、そこに我々の訪問の事を載せていただきましたのでご紹介いたします。また、お手紙には進呈しました木次線のフォトブックへの謝辞と共に、今年迎える木次線全通80周年の記念に、木次線の歴史をフォトブックで作成してはどうかの話しが保存会の中で出ており、作成する場合には協力してもらえないかとも書かれていました。デジ青が繋いだ交流の輪を大事にしていき、要請があった場合、会としても協力していきたいと思っております。皆様、昔のネガをひっくり返して木次線の写真がないか今一度お調べください。
桜の三岐鉄道へ
ことしの桜は天候には恵まれなかったものの、気温が低かったぶん、長期間楽しめました。デジ青でも、各位の活動ぶりを拝見しています。18きっぷの消化・駆け込み撮影は、毎度のことですが、今年は18きつぷ最終日4月10日でも、十分に桜撮影に間に合い、今回は三岐鉄道へ行くことにしました。三岐はかなり行っていますので、今回は、「前パン電機重連の上り貨物」と「北勢線復刻色編成」の二つに絞ったサックリ撮影となりました。
▲桜並木の横を行く、三岐鉄道4714貨物列車、三岐線沿線には桜は多いが、線路に沿った桜並木は、ここ梅戸井駅下車、徒歩5分のJA横しかなく、以前にも訪れた。晴れていれば、バリ順の地点だが、今日は雲が厚い。
備後落合駅では一日1回だけ三方向から列車が集います。まづ、三次から、次に新見から、そして最後に木次からの列車が集合します。備後落合駅では1日に1回の賑わいとなります。とくに青春18きっぷが利用できる期間は駅ホームは大変な賑わいとなります。
デジ青を読んでいたら、Wakuhiro氏の桜がジャーン!と出ていた。小生は江ノ電以来、養生をしておりましたが、桜の季節になってやっぱり撮らんとあかん、写真展もあるしな(遅いか)と思って出かけることにした。条件は歩かなくて良いところ。
今年は桜の開花が遅く、ひつこく咲いているので、仕事を個人理由で切り上げて帰宅途中に立ち寄ることにした次第。という訳で大した話題提供でもないのでありますが、関東からも季節の便りを届けます。
4月7日、普通なら葉桜になっている時期なのですが、15時ころ、会社(まあバイトみたいなものであるから)を出て、八丁堀→町屋→荒川2丁目(都電)と殆ど歩かずに桜を見に行きました。ここは駅裏の浄水場から桜の枝がにゅーっと出ており、風情があります。なぜか、中国人やらx△◎YZ人が聞きなれない言葉をにぎやかにしゃべっております。
「大雪6号」が白滝越えして遠軽に到着したところから 8号車は始まります。
■ 名寄本線の峠歩き
4:09遠軽着。降りる人はわずかである。名寄本線上り1番列車622Dに乗り換える。車内は暗く冷え冷えとしている。
キハ+キハ(客扱いせず不明。中湧別まで)+キハ225+キハ22332+キハ07210(荷物車代用。座席撤去)
遠軽を出てしばらくうとうとしていたが、窓の外が明るくなってきたので眼がさめる。車内はかなり混んでいる。あたりの景色を見ていると 写真でしか見たことのないキハ03のことが頭に浮ぶ。5:59興部着。少しの停車時間を利用して うしろのキハ07を写しに行く。外気に当たったので本当に目がさめた。
ふつう写真展の記事と言えば、始まる前の投稿が通例ですが、終わってしまってからの報告になってしまいました。4月7日から12日まで、高槻市内のカフェギャラリーで、故・中島忠夫さんの写真展「旅路の記憶」を開催しました。中島忠夫さん、と言えば以前のピク誌などで蒸機の写真をよく載せられていたことで知られています
4年前に80歳で召天されましたが、クローバー会のKH生さんとともに、氏の功績を広く知ってもらうため、ご遺族の理解・協力のもと、ネガのデータ化を推進してきました。昨年には、フォトブックの制作発行、継続して鉄道出版社への写材提供を行い、今回は、永らくお住まいだった高槻市内での写真展を開催することになりました。
▲中島忠夫さんを偲ぶ写真展。中島さんの人生と、撮影旅行の思い出を重ね合わせてタイトルを「旅路の記憶」とした。▲▲蒸機の写真だけでなく、地元大阪の古い写真も展示、合わせて故人愛用のカメラ・模型も展示した。
1968.2.13 大船-戸塚 868M沼津発東京行き153系+クモユニ74 ▼ 続きを読む
桜の便りが続きます。先日「下見」に行って来た天満橋近くは、有名な撮影ポイントであり色々紹介されている場所ということを後で知りました。ただ大阪城と桜は入れたいと思い、出張の前後で出かけたものです。OMM側から造幣局側へ渡る歩行者専用の橋からは、天満橋から飛び出してくる列車がなんとか見られます。橋を渡った対岸からは大阪城と桜が見えました。風景写真は「引き算や」と言われていますが
ここでは思いっきり足し算になっています。 続きを読む
今年は桜の開花の時期が多少ずれていましたが、いつもの鯉のぼりのある近鉄榛原近くへ出かけてきました。これまでは鯉のぼりの季節のみに行っていたのですが、昨年通勤の途中電車の窓から見ていると「桜と鯉のぼり」が同時に見られることが分かりました。今年は桜の満開の時期に海外出張となり半ば諦めていたのですが、帰国直後雨と強風の直前に行くことができました。 続きを読む
3月のある日、「おろち号で備後落合まで行って、そこでどうするねん。」と言われて「おろち号を撮りますねん。」といったところ、「なにもないで。悪いこと言わんからやめとけ!」とありがたい忠告を受けたのであります。木次線ツアーに行く前に現役時代に2年先輩の人との会話なのですが、40年ほど前にもこのような会話がDRFCの室町BOXであったようななかったような・・・そんなことを言われても、とにかく行くことにしたのです。それより天気の方が心配でありました。備後落合に行く4月9日は週間天気予報の傾向から雨が降るような感じであったのです。しかし、実際は時々日ざしがあるまずまずの天気でありました。
先週の木次線ツアーでは満開の桜を堪能しました。木次線のあと三江線に行かれた方もおられました。廃止まで1年を切った三江線の桜も花吹雪になっていることでしょう。こんな記事もありました。