札幌地下鉄 自衛隊前駅の南 高架下に札幌市交通資料館があり市電の保存車が置かれています。高架下のフェンスの中に置かれていますので休館日にも見ることができます。
ぶんしゅうさんの旅日記にも出てきました路面ディーゼルカーも保存されていますので紹介させていただこうと思います。(2017年4月撮影です)
↑ 親子電車のTc1と連節車A801-A802が並んでいます。
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凍える大地への旅 2016年 Part14 札幌市電を撮る その5 昭和46年当時の札幌市電
第10日目 12月18日 その1
今日は札幌から名寄へと青春18きっぷを使っての乗り鉄旅ですが、札幌発車時刻は10:07で十分に時間があります。朝からもう一度札幌市電の撮影へと出かけることにしました。
▲ 河様からのコメントでお問い合わせ時代の札幌市電の系統別路線図です。7系統が路面ディーゼルカーが走行していた路線と思われます。
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広島から小ネタ2題
忘れかけた頃に登場する三江線の連載記事と広電の話題です。
国鉄ひょうきん族!419系
凍える大地への旅 2016年 Part13 札幌市電を撮る その4 西線16条~中央図書館前
第9日目 12月17日 その4 西線16条~中央図書館前
16:52 路上に積まれた除雪の壁が続いて撮影ポイントが見つからず次のロープウェイ入口に着いてしまいました。
▲ 16:53 ロープウェイ入口 細雪がドッと振り出して良い感じになってきました。248号車です。
【DATA】 NikonD500 AF-SNIKOR 24-70㎜ F2.8、ズーム31㎜、1/40秒、F2.8、ISO1400 レンズ性能を信じて、絞りはF2.8に固定して絞り優先のISO感度はオートで挑みました。
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凍える大地への旅 2016年 Part12 札幌市電を撮る その3 西線6条~西線16条
▲ 札幌市電の電停に設置してある運行状況表です。西線16条に掲示してあった早見表ですが、現在次に来る市電が今どこまで来ているのか一目瞭然に分かります。
これなら待っている利用客がイライラすることもありません。世界各地の路面電車を訪問していますが、〇系統のトラムは後〇分で来ますとの表示を見る事があって便利に思えましたが、札幌はもう一歩進んだ案内ですね。広電にもあったら利用客には喜ばれるでしょうね。
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大井川でのSL+DL
異形式連結やら、電蒸やら、SL+ELやらと、盛り上がっているので須磨老人からもご愛嬌をおひとつ。撮影は1984年3月25日。この頃大井川鉄道は蒸機―それも本線ではなく、小型機を井川線に走らせて客寄せに頑張っていた。この日は旧一畑のコッペル1号機(とはいっても改装激しく原型ではないが)に火を入れた。しかし牽引力思わしからず、後尾にDLを連結し、実際はこれが推進していたのと同然なのは、1号機の煙の具合が至って気楽でまるで気迫に欠け、暢気な焚火のような状態から察知できるが。 続きを読む
北関東のSL+EL こんなんありました
異形式併結や電蒸運転で盛り上がっておりますので、それに便乗してみました。高崎で過ごした単身赴任の4年間、土曜、日曜はしっかり北関東の鉄道を満喫しました。そんな中から3例をご紹介します。まずは秩父鉄道から。
現在も秩父鉄道ではC58363牽く「パレオエクスプレス」が運転されているようですが、機関区のある広瀬川原と熊谷間の回送は電機が牽引します。写真は広瀬川原出発直前の回5102レです。牽引機のデキ107は元松尾鉱業鉄道のED501です。このデキ107は平成27年3月に除籍になったようです。客車はデキ側(熊谷寄り)からスハフ322357+オハ472246+オハ472261+スハフ422137です。汽笛を合図に発車してゆきました。
異形式電車連結番外編こんなんありました
異形式連結電車は番外編が盛り上がっているようであるが、湯口さんが説明された電蒸運転があったので見ていただく。なお、動画ではないが米手作市さんコメントのSL銀河も用意してみた。
最初はEF60509[東京]+C6240[下関]の下り特急「はやぶさ」。撮影は1964年7月24日横川-己斐間で山陽本線全線電化の前日である。もっとも電化後も電気機関車不足なのかしばらくは蒸機牽引列車が残っていたように思う。この日はC59やC62を数多く記録しようと線路端で夜を明かした翌日で睡魔と戦いながら4本の特急を待ったが、うち2本の「みずほ」、「はやぶさ」が電蒸運転でがっかりしたことを覚えている。 ▼
こちらは趣味誌等々でよく見るSL銀河でC58が気動車とどういう連携をしているのかよくわかない。やはり後ろは旧型客車でないと面白くなく、12系、14系、50系など新性能電車の様な客車はパッとしない。だから専ら蒸機の音を聴くだけが楽しみである。2015年5月3日土沢-小山田 花巻行きC58239 ▼
障害報告
管理人の小西Jrです。
5/31未明より発生した障害について下記の通り報告いたします。
状況:5/31 AM5:05より断続的に当掲示板にアクセスできなくなり、5/31AM6:10から6/1 0:14まで完全にダウン。全くアクセスできない状態となりました。
原因:Wordpress内で利用中の「WordPress Related Posts Plugin」内で発生したSyntax error(推定)
対応:再インストールも試みたものの同様のエラー発生。修復を中止し該当プラグインを無効化。配信先から修正アップデートされるまで使用不可とする。
この度は丸一日ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。帰宅後、上記のように対応しましたので、現在は問題なく利用できると思われます。
異形式連結電車番外編(EC-DC)
準特急先輩から何かコメントせよとのお言葉をいただきながらさてどうしたものかと思っていましたが コメントに替えて番外編を投稿させていただきます。
電車と気動車の連結運転は北陸線で485系特急電車と気動車の連結運転が有名でしたがこれは電車が気動車を牽引して走行するものでした。協調運転は九州で485系特急電車とキハ183系1000番台(オランダ村特急)が数年間運転されていました。
現在はJR北海道で電車と気動車の協調運転が行われています。
↑ 函館本線の非電化区間 倶知安から朝の小樽に到着した963D キハ201系気動車3両編成です。
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凍える大地への旅 2016年 Part11 札幌市電を撮る その2 西8丁目~西線6条
前回、凍える大地の旅の紀行記 Part10を投稿したのは2ヵ月前の3月28日でした。続いての原稿も書き始めていましたが翌日、あってはならない出来事が発生しました。そして受け止められない余りのショックに投稿する気力すら失ってしまい休止が続きました。
ようやく2ヶ月が経っても、まだ現実を認識できず悲しみだけが積み重なる日々を過ごしていますが、ぶんしゅう旅日記は私の人生の軌跡です。途中で終わってはいけない、次の旅に立つ前には完了させておきたいとの気持ちが生まれてきました。殆ど皆無の気力ですが振り絞って、続けて投稿をさせていただきます。
お見苦しい点もあろうかと思いますがお許しください。また何分、いつもと違って時が経ちすぎていますので記憶も薄らいでいます。間違いもあろうかと思いますがこの点もよろしくお願い申し上げます。
第9日目 12月17日 その2
▲ 14:04 すすきの電停で運行調整をする外回り、内回りの8500形、乗降客が多い電停ですので屋根がありロードヒーティングも設置されています。右の内回りに乗り込みました。 続きを読む
広島の小ネタ(続編)
先日ご紹介した広電関連の続報です。
広島から小ネタいろいろ
いつものように新聞記事の寄せ集めで失礼します。まずはがんばっている井原鉄道について。累積赤字は大きいですが、集客努力などの成果は立派だと思います。
地図を携えて線路端を歩いた日々 -9-
▲西舞鶴の5両のC12は、西舞鶴、東舞鶴駅の入換のほか、勾配区間の補機、小浜線松尾寺にある日本板硝子の専用線の入換と、地味なC12としては、大活躍のシーンを見せていた。
D地点 〈東舞鶴〉
白鳥峠を越えると、舞鶴線、小浜線の分岐駅となる東舞鶴に到着します。東舞鶴駅は、切欠きホームも含めた二面四線の構造で、西舞鶴と似た構造です。側線が多いのも同じで、機関区こそありませんが、転車台、給水タンクもあり、変化のある駅風景を提供していました。東舞鶴は、軍港として発達したため物資輸送のため港へ向かって多くの引込線が伸びています。そのなかで、通称、中舞鶴線(正式には舞鶴線の支線扱い)は、兵員輸送もあって大正8年から旅客営業を行っていました。珍しいのは、東舞鶴を出ると、西舞鶴方の引上線に突っ込み、スイッチバックして中舞鶴方面に向かっていました。当時、旅客は5往復、C12の貨物が1往復ありましたが、昭和47年10月に廃止されます。▲昭和43年10月のお召運転時に初めて東舞鶴を訪れ、これから牽引するC58223〔豊〕+C5856〔西〕を写す。区への出入りは全く自由ながら、ロッドを揃えて公開するサービスはなかった。お召を撮影して、駅に戻ると、小浜線内を牽いてきたC58171〔敦一〕が日章旗も畳んで静かに休んでいた。
日光型の次は月光型 581系
地図を携えて線路端を歩いた日々 -8-
▲西舞鶴~東舞鶴での初撮影は、お召列車だった。東舞鶴で牽引機が交代したお召は、C58223〔豊〕+C5856〔西〕の重連で白鳥峠を越える。この日、お召は、若狭高浜から豊岡まで運転された。以前の本欄ではカラーを載せたので、今回は手持ちで連写したモノクロを(昭和43年10月)。
C地点〈西舞鶴~東舞鶴〉
舞鶴の市街地は、城下町・商港として発展した西舞鶴と、軍港として栄えた東舞鶴に分かれ、かつては舞鶴市、東舞鶴市と、別の市でした。二つの市街地を分けるところにあるのが白鳥峠で、距離は短いながらも、両方向から25‰勾配が続き、前補機、後補機など、蒸機の活躍が見られました。
以前のデジ青でも記しましたが、昭和43年10月の福井国体でお召列車が運転され、あわせて兵庫・京都北部の行幸もあって、同区間で運転されたものです。運転された当日は、同学年のM君ともに東舞鶴へ行き、駅構内で待機中のお召機を写した後、国道沿いを峠へ向かいました。予備知識もなく、適当に歩き出したのですが、やがて、国道と線路が平行し、築堤となった線路を見下ろす場所に行きつくことができました。
東海道・山陽緩行電車の形式写真
遅くなりました。もうお忘れになっておられることと思いますが河 昭一郎様からの宿題が終わりましたのでご報告致しまします。京都-西明石間の緩行電車は神足(現長岡京)に下宿していた頃よく利用した電車でその頃に京都駅で撮った1両毎の形式写真です。勿論形式写真と言っても西尾克三郎さんの組み立て暗箱で撮ったような本格的なものではなく、何かのついでに撮ったものです。言い訳ばかりになりますがクモハ51、クハ68、モハ70等が全くなく私の国電への興味もこんなものであったようでご勘弁願いたいと思います。
1968.5.19 クモハ54107 100番台はオリジナルではなく改造車と聞いたことがある▼
1966.11.15 クハ55112 大タツ 中間に入ったクハを撮るのはあまり感心しませんが窓配置が気になって撮ったものと思います。▼
お申し越しの車両ではありませんが、修学旅行電車を撮った時に来た急行「加賀」の車両です。
1968.5.19 サロ451-9 金サワ▼東の京浜・東北と西の東海道・山陽緩行線は同じような位置づけで見ておりましたが、これらの撮影時期は前者は73形4扉車であるのに対し、後者は73形に混じって3扉車のくせ者(いい意味です)がいて大変楽しかった思い出があります。その割にはあまり撮っておらず河様に申し訳なく思っております。
[84583]「特派員氏の疑問を解く」に寄せて
京都駅から向日町にかけての配線図の話で盛り上がっていましたが、ヒントになるような写真がないかと探してみました。親父のカメラを借りて初めて京都駅に出向いて駅撮りしたときのものです。中学1年の冬だと思われます。昭和38年1月か2月の筈です。
いわゆる三八豪雪で北陸から新潟方面は雪に閉じ込められて鉄道も動かなくなりました。そんな新潟方面に救援に向かう自衛隊員が大勢1番ホームで列車を待っていたことを覚えています。従って昭和38年の1月か2月の撮影だと思われます。すべて同じ日の撮影ですが、次は山陰線ホームに準急「丹後」が到着したときの様子です。
写真展での発見
先の花見小路での写真展の最終日に会場にお邪魔し、片付けを手伝いもせずに退散致しました。準備、片付けをして頂いた皆様方に感謝申し上げます。さて力作揃いの写真の中で 山科の人間国宝が南米ペルーで撮影された写真がありました。その中の1枚を見て「アレッ、ひょっとして!」と目が釘付けになりました。了解を得て記録撮影して帰ったのがこの1枚です。