身近に迫るビネガーシンドローム

お久しぶりです。最近、鉄活動は低調ですが、調べ物をする為に京都府立総合資料館(市営地下鉄、北山駅下車)を訪れました。

古い新聞のマイクロフィルム(長尺)を請求して紙箱を開けると、強烈な臭い! 続きを読む

74992の仙台市電に寄せて

名古屋市電1070形は「仙台市電の注文流れ」とずっと信じていましたが車両事情が悪い名古屋市に国が振り向けたものとのこと。なるほどと改めて仙台市の名誉回復を思った次第です。名古屋在住のころ時々目にしていましたが他の形式より小型でかわいい感じの車両でした。仙台市電109号の写真をお見せ頂き これを名古屋市電の色にすると名古屋市電1070形とそっくり同じではないかと思われます。
仙台市電117号は長崎電気軌道1051号として保存車的に在籍しています。仙台時代のワンマン化改造時に後ろ扉は中央に移設され 前面3枚窓が非対称の2枚窓に改造されていますので少し印象が違いますが 仙台時代の塗色に戻されきれいな状態で ICカードリーダーも設置されいつでも走れる状態とのことですが 通常運用には使用されずイベントなどで使用されているようです。

今年2016年5月25日の写真をご覧ください (浦上車庫にて)1051%e5%8f%b7dsc_1445
きれいです。台車も変わっているようです。
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めったに走らないようですが 一度乗ってみたいものです。

 

行ってきました、倉吉線鉄道記念館

松江へ行く機会がありましたので帰りに倉吉へ寄り道をして、倉吉線鉄道記念館へ寄ってきました。
以前のご報告の通り、我がクローバー会のコーナーをご用意下さり、丁寧な注釈を入れた展示がされていました。
突然の訪問でしたから連絡もせず寄りましたら、どなたもおられず、壁に勝手に電気を付けて帰りには必ず消してくれとの注意書きがありましたのでその通りにいたしました。

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写真はご覧の通り額に入れてきれいに展示して頂いております。
見ますと、思っていた以上に多くの会員の写真が展示してあり、資料のボリュームに改めて感心しました。

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先輩諸兄から若手の皆様まで多彩な写真内容になかなか去ることができませんでした。

行かれる時は、事前に連絡をしてから行かれることをお勧めします。

国鉄清水港線

総本家青信号特派員さんの9月9日付[75019]「18きっぷで東海道を巡る-2-」のコメント欄で西村雅幸さんより静岡鉄道清水市内線に関連して近くの国鉄清水港線が不便さもあって乗れなかったと告白されていた。西村さん、まずはカープ優勝おめでとうございます。それに比べてタイガースという球団は最低でいつぞや10数ゲーム離していた巨人に追いつかれて優勝をのがし、今シーズンも本拠地甲子園で巨人に勝ったことがないという体たらく。

本題に移るが、何度となく乗った東海道本線であるが清水で降りて路面電車を撮影したことがない。オールラウンドプレイヤーとは言え総本家さんはよく撮ったなと脱帽である。さて、清水港線は昔C50が客車を牽いていたような記憶があり、その存在は知っていたが、結局乗ったのは廃止直前の1984年3月11日でその時の数カットである。

尚、この月は同時期に廃止された新潟県の赤谷線、魚沼線の乗り鉄を行っている。

静岡鉄道管理局の製作したヘッドマークを付けたDD13141  バックに富士山が見える s-84-3-11%e4%b8%89%e4%bf%9ddd13141%e3%81%9d%e3%81%ae%ef%bc%91

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八月だ、もっと熱くなろう!2016年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part11 スンボロ製糖工場②

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午前中は昨日ヤギ軍団と会った交換所から南東方角の橋を目指しました。途中にあった集落では線路際の小学校から全校の生徒たちが出てき拳をあげての熱烈歓迎です。純真無垢なたくさんの笑顔がありました。先生も授業を中断しての参加でした。

第7日目 8月8日
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三江線 その後

沿線では住民報告会などが開催されていますが、次のステップへ向けてのスピード感が 三江線の列車同様感じられません。誰が意思決定するのかわからないような会議体で協議を続けていて 1年後にそれなりの代替バスが走り出せるのか心配になります。

平成28年9月10日 中国新聞朝刊

平成28年9月10日 中国新聞朝刊

同紙

同紙

 18きっぷで東海道を巡る -2-

sy60908-051_r東海道のなかで静岡県の占める割合は3分の1以上あります。東西に長く、その中央を東海道線が横断しているため、県下には、南北両側を結ぶフィーダー路線が多く存在していました。路面電車あり、軽便鉄道ありで、最盛期は東海道線各駅から枝分かれしていました。しかし、天下の東海道沿いだけに、モータリゼーション化も早く、昭和40年代の前半までに、あらかた廃止に追い込まれ、私自身は、記録はもちろん、東海道線の車窓から見ることすら無く終わっています。そんななか、何とか生き残っていた静岡鉄道清水市内線だけは間に合って滞在約3時間だけの記録を残すことができました。短い路線ながら変化に富んだ沿線だった。

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八月だ、もっと熱くなろう!2016年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part10 スンボロ製糖工場①

01_map00_100スラバヤから南へ約7時間もチャーターバスに乗って着いたスンボロ製糖工場(PG.Semboro)は1928年の開業でジャワ島東部では最大級の作付面積のフィールドを誇ります。今まで行ったフィールドは、大体の広さが掴めましたがここは行けども行けどもレールが縦横に続いていて広さが掴めません。レール幅は700㎜です。
上の地図は今日チャーター蒸気機関車で行きましたフィールドの軌跡です。番号は、掲載します撮影地点です。

第6日目 8月7日

7:50 皆さん長旅のフライトでお疲れという事で今日の出発は10時です。ゆっくりと朝食タイムとしました。
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車輛の戦災は軽微、復興は迅速だった仙台市電

老人の年輩ともなると訪問先の鉄道で戦争中はどうでした?との質問をしたものだ。仙台も佐藤さんへの質問は先ず戦災からであった。【電線路はかなり被害があったが、車両は2両がちょっと外板を焦がしただけで、奇跡的に1両も焼けず、戦災地区の真ん中にあった変電所も防空建築で無事であった。車両は深夜になると毎晩、八幡線や北仙台線に手数を掛けて避難していたのと、車庫(北2番町)も際どいところで戦災を遁れる事が出来た。先の2両も工員輸送の深夜便で営業線にあって空襲に遭遇したのだが、大事に至らず大変幸運だった。新車の補充など思いもよらない時期に、可動状態のものは貴重品であった当時のこと、他都市からえらく羨ましがられた。】と佐藤さんは語ってくれた。以下【 】は佐藤さんの記述。

戦時中に東京市電名義車60形9両が導入されたが、中古車であるため一早くお払い箱となり、その代替ともいえる東京都電の中古車70形10両が入線したのは1948年11月であった。これより先、ボギー車80形5両が入線していた。【ボギー車については1942年に5両の新造計画があり木南車両に発注されたが、着手が遅れ中途半端の状態となっていた。それが戦後竣工し名古屋市電1070形となったことから「仙台市電の注文流れ」と言われているが、戦災都市で車両事情が悪い名古屋市に国が振り向けたもので、いくら財政状況が逼迫していたとはいえ、注文したものをキャンセルするようなことはしていない】と、きつく言われた。 続きを読む

 18きっぷで東海道を巡る -1-

今週末で今年夏の青春18きっぷのシーズンも終わります。JR各社からは、とりわけ老人向けの格安企画きっぷが出始めて、以前ほどの価値はなくなりましたが、それでも元祖格安きっぷの王者であることに変わりはありません。
syoP111079818切符の使用途はいろいろですが、私の場合、東の京都へ行く場合でも、一日掛けて行くこともあり、昼間の東海道線を上下することが多くありました。誰でも考えることは同じで、18シーズンは老若男女で混み合い、決して快適な旅ではありません。でも、直行するだけではなく、たとえ一時間でも途中下車して、成果を求める。これは、乙訓の老人さま、準特急さんからの有り難い教えに他なりません。
やはり京と江戸を結んできた東海道、他にはない歴史の積み重なりがあり、鉄道、歴史、地理と絡めて、たいへん興味深い地域と言えましょう。東海道に挑戦する、と言えば準特急さんが有名ですが、不肖、私も京都から東京まで、鉄道で行き来する間に、散在する鉄道関係の遺構や現況を見聞してきました。過去、直近に渡って、紹介しましょう。      目的地は興津駅下車、徒歩15分                                     
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八月だ、もっと熱くなろう!2016年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part9 本隊に合流、スンボロへ

01_インドネシア鉄道_100▲ 朝起きて古賀さんからの昨日のメール返信を見ながらて、どこかで聞いたことのある名前だなぁと、気が付きだしました。今回のインドネシア訪問に買って持ってきた「インドネシア鉄道の旅」の本をしげしげと見ながら、作者は古賀俊行氏でスラバヤ在中です。メールをやり取りした古賀さんの下の名前は分りませんが、スラバアで同じ名字で鉄ちゃんとあれば多分間違いないのではと思いました。
スラバヤ空港でご挨拶して、本を見せてお聞きしましたらやはりご本人です。外交官でブログの地球公務員の落花生さんでもあられます。今までの投稿記事の際には随分と参考にさせていただきました。ありがとうございます。しかし、朝からびっくりしたと思っていましたら、逆に私が書いたデジ青のインドネシア訪問記をプリントして持ってこられている御仁もおられて、あなたがぶんしゅうさんですかと驚いておられました。いろいろと思わぬ出会いがあるものですね。
この本ですが写真が中心でなく、古賀さんがインドネシア鉄道に乗られたり撮影に歩き回られてまとめられた記事が中心で編集されています。インドネシア鉄道にご興味あられる方は是非にお買い求められてお読みください。必見の本です。本屋になくともAmazonで購入可能です。
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 久々の投稿は、フィルムの話から

 気がつけば、デジ青投稿を離れてから数か月も経ってしまいました。季節は巡り巡って、もう9月。出版の仕事にどっぷり漬かった数か月でした。“一体どうしたのか”と激励していただいた、会内外の約2名の方にも、ご心配をお掛けしました。
この間に思ったことは多々ありましたが、残された年月が限られてきた人間にとって、自分の足跡を各種の媒体に残していくことは、重大な使命だと思い知らされました。これからは、時間を見つけては、デジ青に自分の足跡を書き連ねて行きます。

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京津線80形82号

西村様、ぴおちゃん様、情報ありがとうございます。昨年大津線感謝祭に行った折、どうも見当たらなかったようでしたが確信が持てませんでした。Web情報によると丁度このころお色直しでいつもの留置線にはなく、ぴおちゃん様のおっしゃるように昨年11月30日搬出されたそうです。個人宅におかれるので見学できないとのことですが、あの名車が解体されずに、大事に保管されることになったのは何よりです。私の数少ない80形の写真の中で、たまたまポール時代の82号を撮ったものがありましたのでご紹介します。撮影は1969年1月2日、登場してまだ7年余り、まだ、新製時の姿をそのまま残していた頃ではないでしょうか。また、再会の機会を楽しみにしています。

img505↑ 浜大津交差点

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↑ 浜大津-上栄町間

錦織の80型

玉電の80型の話が京阪の80型の話に拡がっていますね。丁度1年前に錦織で写した写真がありましたので、大津のハチロク様をさしおいて恐縮ながら アップしてみました。

平成27年8月28日 錦織車庫の82号

平成27年8月28日 錦織車庫の82号

確か82号はすでに京阪から第三者の手に渡っているのに、しばらく置かせて欲しいということで置いてあったとどなたかに聞いたように思います。手狭な車庫故京阪も迷惑だったようです。ようやく搬出されていたのですね。この時点でも塗装が剥げて錆が浮き、せっかくの美男子が可哀想な状態でした。

ところで 81号の頭部だけが保存されていましたが、これは今もあるのでしょうか。これは何のための保存なのでしょうか。この81号はきれいな状態でしたが。

81号の頭部 

81号の頭部

こうして改めて見ると 片運に改造される前のポール時代の方が格段にかっこ良かったですね。

八月だ、もっと熱くなろう!2016年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part8 ソロからスラバヤへ

第4日目 8月5日 その2

【 変身車両 】
DSCN6459108DSCN6460109▲ 16:10 ホテルに寄って預けた荷物を受け取ってからソロ駅へと参りました。

発車待ちで停車していたのは電車をディーゼルカーに改造したKRDE(Kereta Rel Diesel Elektrik)車両です。
日本からの中古電車の輸入が増加したためにまだ耐用年数に達していない余剰となった旧来の電車が再使用のために改造を受け都市近郊線に投入されました。スピードアップによる都市間輸送に寄与して利用客増につながったようです。
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続々 三江線廃止正式表明

今朝の中国新聞の連載記事をご紹介します。

平成28年9月4日 中国新聞朝刊

平成28年9月4日 中国新聞朝刊

江津口側の様子はわかりませんが、三次口側の状況はと言うと、江の川に架かる橋が少ないため、対岸の住民は鉄道を利用したくても駅まで行くのが不便極まりないという状況です。道路も両岸に立派な道路があるわけではなく、ようやく片側の道路が整備されつつあり、対岸の細い道路は離合も難しいような区間が多くあります。鉄道に代わってバスが走るにしても、両岸の住民が便利なようなルート設定やダイヤ設定は容易ではないでしょう。結局対岸を走るバスに乗りたくても乗れないという今と同じような状況になることが予想されます。バスは鉄道より格段に自由なルートを設定できるとはいえ、積雪地帯でもあり 道路の改良や橋の増設などが伴わなければなりません。昨今「今までに経験したことのない」自然災害が各地で続発しています。今までに何度も災害を何とか乗り切ってきた三江線の歴史を考えれば、今まで以上のリスクも想定したプランが望まれますが、現実的には非常に難しい課題だと思います。現在三江線沿線には備北交通、美郷町営バス、石見交通のバス路線がありますが、基本的には沿線住民のための生活路線であり 相互の関連はありません。既存の路線をベースに観光客、通過客のことも少しは考慮に入れた新たな路線網を考えるのでしょうが、紆余曲折が予想されます。三江線の取組みが全国各地の類似案件の先進事例になれば良いのですが、今までの動きをみていると大きな期待はしないほうが良さそうです。

玉電デハ80型

その昔、ムーミン型の連接車で三軒茶屋にあった友人の下宿へ遊びに行って、洗面器を使って水炊きをしました。帰りに乗ったのがこの電車です。乗り心地などは覚えていませんが、なにかマンガのような(赤塚不二夫描くところのレレレのおじさん!)顔に見とれていました。

文中に「京阪電鉄の方から80型は保存してない」とのこととありますが、廃車になったのでしょうか?
玉電デハ80型_NEW

八月だ、もっと熱くなろう!2016年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part7 ソロの併用軌道 ウォノギリ線に乗る・撮る

第4日目 8月5日 その1

今日はソロ(Solobalaprn)から1駅戻って同じソロ市内のプルウォサリ(Purwosari)から分岐する支線に乗ってウォノギリ(Wonogiri)へのローカル線乗り鉄旅を楽しみ、夕方の列車でツアー本隊との合流地のスラバヤへ向かいます。
この支線の列車はソロ市内の大通りの道路併用軌道を走ります。以前にも神谷ツアーで蒸気機関車をチャーターして乗り鉄・撮り鉄をした所で、定期列車も走っていますのでこれも乗って撮ってみたいと先乗り行程に組み入れました。
14▲ ソロ市内の併用軌道を行くJaladara trainという名の蒸気機関車牽引の列車、チャーターをした2012年8月10日の撮影です。半日チャーター料は、Rt6,000,000(約47,219円)ほどと聞きましたが最近の聞き取りではありません。
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