旧福知山線廃線跡一般開放

11月15日JR旧福知山線廃線跡が一般開放されました。12月9日にtsurukame様、総本家青信号特派員様と歩いてきました。
1986年福知山線の複線電化に伴い、生瀬―道場間4.7kmが付け替えられ廃線となり、廃線後は立ち入りが禁止されているものの、近年は年間64000人が訪れる人気のハイキングコースとなっています。2000年に宝塚側の武田尾から南の宝塚市側1.5kmが整備されましたが、西宮市側はそのまま放置されていたものをこのたび西宮市とJR西が合意して安全対策工事を行って整備、一般公開にこぎつけました。
旧福知山線廃線跡については今年1月tsurukame様の詳細にわたるレポート(撮影地今昔旧福知山線生瀬-道場間1)~6)「撮影地今昔」で検索ください。)がデジ青に投稿されていましたので、整備後の様子を簡単にご報告させていただきます。
↑ 生瀬駅から国道176号線を西に進み、中国道の高架が交わるあたりが今回整備された部分のスタート地点です。

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読者の方々へ(3)、山陽電鉄820型

今回の山陽電鉄紹介は、820、850型です。
大戦後日本の多くの両鉄道同様、山陽電鉄でも稼動車が限られ、日々の運行さえままならぬ状況が続きました。これを補い、その後の山陽電鉄を文字通り軌道に乗せ始めたのは、広軌モハ63型20両(山陽では800型、後の700型)と、そして今回紹介の820型18両です。

大型過ぎて中小私鉄で少し持て余し気味の63型に比べ、もう少し小型で使いやすい標準車体をとの意向で生まれたのがこの820型です。車体長17m、転換クロスシート、2両固定編成のロマンスカーによる特急運転として、1949(昭和24)年に登場しました。クリームイエローとネイビーブルーのツートンカラーでした。

1951(昭和26)年頃、東須磨小学校の教室から見える車輌は、前回までに紹介した100・1000型と200型の茶褐色一色の車輌に交じって、この820型でした。近づいてくる様子はそれほどのスピードでもなく、線路事情が良くないのか、車体を左右に振りながら、大きな音と共に通過して行きました。

▼長田、神戸市電との平面交差点を通過する下り各停 822+823 1963.1.3            C0216
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私鉄の御料車

関センセの名古屋鉄道御料車が出たが、蒸気動力私鉄でも、天皇行幸の際御料車を作った例が幾つかあり、京阪16号など関西大手電鉄のものは照会済である。今回はひとつ、芸備鉄道のトク1をご披露申し上げる。

これは元来が南満州鉄道での一般客車(1904年新橋工場製)だったが、標準軌間改軌で日本に戻り、芸備鉄道が1914年1月9日購入認可を得た。1915年4月19日認可で車体のみ梅鉢工場で新製し、特別車としたのである。上の組立図は改造時点の姿で、こんな短い車輌にランプが5個(内1個は便所用)もある。下の竣功図は1918年6月6日設計変更認可=電燈化、さらに1924年8月30日設計変更認可により、自連換装の姿である。扉が外開きである。

芸備に限らず、かような車輌は一度使った後の始末にはホトホト困るもので、そう簡単に一般に格下げ、或いは廃車にしにくい。使うアテもないのについつい残存する、というのがこれまた一般的である。小生は別段かような貴賓客車の類に興味を持つわけでなく(どちらかというと、全く庶民用通常客車―例えばホハ12000とか、ナハ12500とか)の方が好きなのだが、偶々図があるので、お目にかける、というだけである。なおお召列車を詳述した本も複数あるが、大抵は国鉄の御料車や供奉車しか資料がないから、かような私鉄車までは筆が及んでい居ないのも通常である。両備鉄道(762mm軌間)が日車で製造した木製ボギー御料車は以前に紹介している。

名古屋鉄道トク3号

関先生の“私鉄貴賓車・お召し車”も最終回。
私鉄にこれだけの貴賓車があったとは驚きでした。地元の京阪16号ぐらいはDRFC会員としては興味がなかろうとも耳の周りであれだけ聞かされていれば記憶に残りますが、他の私鉄にもおもしろくて素晴らしい車両があったことに驚きました。しかし、どの車も一形式1両で、さすがの当会員でも一部の先輩会員を除いてはほとんどが無反応であったことを考えると、現役時の写真はおろか格下げ後の話も出てこないのはやむを得ないと納得しております。
それでも会員が撮った写真やウンチクを見たかった!

2016年 西方見聞録 Part16 チューリッヒのS18バーンに乗る、撮る、トラム博物館

dsc_9037052第4日目 9月21日 その5

15:56 S18バーンの始発駅、”Bahnhof Stadelhofen“に到着しました。昨日夕刻は、違った車体色のトラムをみて驚きました。調べてみて近郊電車がトラムが走る市内線に乗り入れしていると知って、これは珍しい事とまた驚きました。
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ちょっと立ち寄った水島臨海鉄道

下津井、玉野、三蟠と過去の遺産を巡ったあとは生きた鉄道を見て帰ろうと水島に立ち寄ってみました。今年の2月にも訪ねているので それほど大きな変化はないだろうと機関区の周囲から眺めただけです。

平成28年12月5日 キハ37101+キハ37102

平成28年12月5日 キハ37101+キハ37102  水島機関区

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小さな秋の鉄道風景③

②に引き続き「小さな秋」③をご覧ください。
2016年11月 例によって日付順です。今回はとさでん交通、長崎電気軌道、阪堺電気軌道です。pict-dsc_0020
↑ 夜 高知に着くと雨、雨、大雨でした。それも良かろうと はりまや橋交差点へ行きます。いつもきれいな花で飾られています。
「 とさでん交通」607号が南方向「桟橋通り5丁目」へ向かいます。    11月18日
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玉野のモハ103に会いに行く

思いがけず多くの保存車両を見ることができた下津井から 海を眺めながら約20Km走って玉野市に入りました。前回玉野を訪れたのは平成21年の年末で 廃線跡を少し辿って満足したのですが、そのときすでに琴電からモハ103が里帰りしていたことを全く知らず、すぐ近くまで行きながら見ずに帰りました。それから7年も経ってようやく、保存場所を訪れました。

平成28年12月5日 玉野総合保険福祉センター

平成28年12月5日 玉野総合保険福祉センター

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下津井は生きていた

三蟠鉄道を訪ねる前に下津井に立ち寄りました。下津井にも保存会があって電車が残されていると聞いていましたので 30年ぶりに訪ねてみました。下津井電鉄には昭和44年、52年、60年の3度訪問していますが廃止後は初めてです。

平成28年12月5日 下津井駅跡

平成28年12月5日 下津井駅跡

駅本屋などの建物はありませんが、広い構内はほぼそっくり残っていて驚きました。

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小さな秋の鉄道風景②

①に引き続き「小さな秋」をご覧ください。2016年 一応日付順とさせていただきます。
よろしくお願いします。
pict-dsc_3059
↑ 三岐鉄道北勢線 昨年はきれいな水田でしたが今年の秋はコスモスの群生でした。    10月21日
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短命だった三蟠軽便鉄道

三蟠(さんばん)軽便鉄道と言われても「えっ、どこにあった鉄道?」という感じかもしれませんが、1915年(大正4年)8月11日に開業し、1931年(昭和6年)6月30日に営業を終えた 16年という短命の鉄道でした。岡山市の南部 国清寺と岡山市の外港 旭川の河口にある三蟠港を結ぶ8Kmほどの鉄道でした。廃止が今から85年前の昭和6年ですから いかに歴史あるクローバー会と言えども、三蟠鉄道の現役時代を知っている会員はおられないでしょう。現在では瀬戸大橋線で四国に渡るのはあっと言う間ですが、かつては三蟠港から高松への連絡船が発着し、下津井などと同様四国への重要なルートとなっていました。明治42年に宇野線が開通し、明治43年には宇高連絡船が就航したことに加えて、旭川の浚渫が行われたことで大型船が岡山市部まで入れるようになったため三蟠鉄道の必要性がなくなり 短命な鉄道となって消えてしまったわけです。岡山県下の私鉄と言えば、東から片上、西大寺、岡電、玉野、下津井、水島、井笠と名前が出るのですが、三蟠は忘れ去られています。そんな悲運な軽便鉄道のことが以前から気になっていて、三蟠港には三蟠鉄道資料館があることは知っていたのですが クルマでしか行けない不便な地だったこともあって訪問が延び延びになっていました。

平成28年12月5日 三蟠鉄道資料館

平成28年12月5日 三蟠鉄道資料館

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京都の秋

INUBUSE氏の「小さな鉄道…」では行動範囲の広さに感心しました。日本全国津々浦々を精力的に巡っておられるようですね。当方パソコンが動いてくれず(XPはもうだめですね)送信不通となっていましたが、今回更新しました。こちらはホームカミングデイの午前中に嵐電を写したものがありますのでテストを兼ねて投稿させていただきます。皆さんにはお馴染みの場所ですが名張からですと懐かしい場所になります。img_6988img_7008

 秋の北海道 鉄道ひとり旅 【4】

asy61010-152北海道へ渡った理由がもうひとつありました。函館本線長万部~倶知安~小樽、通称“ヤマ線”に乗車することです。40数年前、C62重連を追い掛けた思い出の地を、一人だけでしんみり乗車したかったのでした。そのヤマ線の入り口となる長万部は、乗り換え、機関区訪問、食事、はたまたステーションホテルとして、ずいぶんお世話になりました。以降、観光旅行の途中で通過することはあっても、下車したことはなく、その変貌ぶりは聞いていたものの、この眼で確かめたかったのです。

長万部駅に進入するキハ40、いま長万部に発着する普通列車はすべて単行

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2016年 西方見聞録 Part15 チューリッヒのトラムに乗る、撮る⑥ 観光ルートを撮る

dsc_9787053014第4日目 9月21日 その4

12:50 撮影地 ”Stauffacher” Google座標; 47.372706, 8.529180
”Bellevue”からは4系統に乗ってロケハンしながら乗り鉄で終点へ、折り返して気に入った”Stauffacher”で下車しました。お目当ては聖ヤコブ教会St.Jakobs Kirche, Züri, Schwiiです。順光でバッチリと撮れました。
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小さな秋の鉄道風景①

秋とは一説に「四季の第三。夏と冬の間で、日本では9・10・11月をいう」とのことだそうです。2016年9月から11月の間の写真で秋の風情を中心にご覧いただければと思います。pict-dsc_3440
↑ 稲の収穫時期になりました。金色に輝き刈入れはもうすぐでしょうか。筑豊電鉄の2000形も運用2編成、平日の朝だけの運転になってしまいました。5000形とのすれ違いです。西鉄の連接車はあと広電で5編成ががんばっています。9月9日2003号
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2016年 西方見聞録 Part14 チューリッヒのトラムに乗る、撮る⑥ ケーブルカー リジブリック (Seilbahn Rigiblick)

第4日目 9月21日 その3

チューリッヒにはもう1本、普通とは違ったトラムが走る路線「点線表示」の23系統がある事に気づきました。S18バーンを後からにして向かうことにしましたが、乗換えが必要です。まずはレ ーマーホーフ(Römerhof)から8番に乗って、Kunsyhausへと向かいます。前調べなしの訪問です。どんな鉄路になっているのか楽しみでした。

dsc_9709633_100 続きを読む

47年前の札沼線

総本家青信号特派員氏が「秋の北海道 鉄道ひとり旅(3)」で札沼線の近況をご紹介頂きました。氏もかつて札沼線全線を乗り通されたようですが、私も昭和44年3月6日に乗っています。その日のことを「靑信号23号」に旅行記として載せていましたので、札沼線部分だけをスキャンしてみました。紙はすっかり変色しています。

靑信号23号から抜粋

靑信号23号から抜粋

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2016年 西方見聞録 Part13 チューリッヒのトラムに乗る、撮る⑤ ドルダー鉄道(ラック式)

第4日目 9月21日 その2

dsc_9655579dsc_8954015_100▲ 9:02 レーマーホーフ(Römerhof)電停
Google座標; 47.368281, 8.560636
8系統のトラムに乗って次に向かったのはもう1つの点線路線です。ここも立派な石造りの建造物の中に駅がありました。

◀▼ トラムは③⑧系統とT次形に合流する⑮系統が発着します。

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