【9235】北の大地へ2010年初夏編 Part7 釧網線

第8日目 2010年7月1日
① 釧路9:05(快速「しれとこ」3728D)→9:36塘路
② 塘路9:36(4725D)→10:07釧路

今日も雨です。さすが湿地帯が近い街だけあります。総本家さんは部屋で洗濯をしたのに靴下が乾いていないと嘆いていましたので、「備え付けのドライヤーを使うと速乾しますよ」とアドバイスを送ったら早速実施していました。昨日の雨の中を草むらに入っての撮影でしたので、ぐしょぐしょになった靴もついでにやってますが、これは長期戦になります。出発する前に長靴があった方が便利ですよと購入を薦めたのですが、必要ならと買わずじまいでした。もう我慢できずホームセンターに寄って欲しいと、ロケハン乗車後に行くことにしました。私も前回同じく痛い目にあいましたので、既に現地購入済みで活躍中です。由良川・厚別川の水の中や、晴天でも雑草生い茂る中での撮影に大変役に立ちました。皆様も是非に購入をお薦めします。
ホテルの美味しい無料朝食をたっぷりと食べてから、車をホテルの駐車場に預けて釧路駅に向かいました。

▲ 快速「しれとこ」は、釧路運輸車両所管轄でヘッドマークがついていました。一方、釧路~根室間を走る花咲線運輸営業所管轄の快速「のさっぷ」「はなさき」はヘッドマイクがついていませんでした。同じ釧路駅発着なのになぜなんでしょうね。 

釧網線は、ラムサール条約にも登録された「釧路湿原国立公園」の特別地域内を走行します。トロッコ列車も運行されていますが、展望には降りて高台に登らなければ壮大な湿原を見る事ができません。鉄道撮影も同様で、約40年前は今のような観光客向けの見晴らし台まで整備されていなかったので探して登りましたが、無数の蚊の大群に襲われ、堪らず退散した苦い経験がありました。

撮影はいずれも1969年(昭和44年)9月1日、細岡駅です。今は、山小屋風のかわいい駅舎待合室に変わり1面1線の単なるローカル駅になってしまいましたが、当時は相対式2面2線で頻繁に列車交換が行われていました。3両・5両編成また混合列車をC58が牽引していました。長編成はC58重連でした。



▲ 貨物列車はDE10牽引になっていました。DC急行もあり、変化に富んでいました。

▲ この日も霧がたちこめていました。その後も数回行きましたが、晴天は一度もありませんでした。

▲ 昭和44年の道内時刻表からの釧網線時刻表です。

時間の関係で塘路までの往復乗車ロケハンでしたが、復路の列車は塘路で交換します。時刻表では同時刻発車で交換する列車への乗車が、可能かどうか分りません。釧路駅のみどりの窓口のお姉さんに聞いてみましたが、答えられないとの返事です。別の駅員さんに聞くと、相対式2面2線でのスロープ横断式通路までは分りました。乗車前に総本家さんが運転手に聞きに行ってくれましたが、ハッキリと分かりません。しばらくして、私から2度目の確認に行くと、先ほどもお聞きしましたので早めに着くようにしていますが、鹿が出てきた時は諦めてくださいとの事でした。どうやら鹿出没に備えて、予め余裕を加味した運転時間をひいているようです。総本家さんの問い合わせも効いたようです。

▲ 根室本線厚岸~根室間と違って、湿地を避けるようにカーブが多い遠矢~塘路間です

乗車後幸いにして急ブレーキ発生はなく塘路に発車時刻前に余裕の到着でしたが、復路列車は既に着いています。大急ぎでスロープ通路を横断して乗りましたがヒヤヒヤものでした。ついでながら、釧網線も鹿出没は日常的で、昨日は2頭が天国行きになったと言っておられました。


11:45
釧路に戻りホームセンターに寄ってから再び塘路駅に着きました。観光バスが駅前に数台います。丁度釧路からの「釧路湿原ノロッコ2号」が到着した直後で、団体観光客がバスへ乗換えていました。11:58、川湯温泉行きの4730Dが発車後、折り返しのトロッコは「釧路湿原ノロッコ1号」となって12:07釧路に戻っていきました。


撮影地ですが、霧が幾分晴れてきたとはいえすっきりとした写真は期待できません。でも折角来たからと、通称二本松と言われるポイントを目指しました。サルボ展望台方面へ向かい、途中で左折して久著呂(くったろ)道路の砂利道を走りますが、右折する道が見つかりません。

冬場なら枯れ木となっているので容易に見つかると思いますが、夏場はこれでもかと緑一色です。先まで行ってしまったようで、Uターンして再度見直し、多分ここだろうと思われる道を見つけましたが、左折しようにも大きな水溜りが行く手を阻みます。総本家さんが降りて、長靴で深さを調べてくれますが走行は難しいそうです。ここで車を降りて徒歩で山道を向かいましたが、途中で道別れしていて間違いました。

12:48、撮影地に着いた時は既に列車は通過した後で徒労に終わりました。撮影地には、30分前に必着しないとアングルが決められません。それ以前に撮影地に着けなかったのですから釧路湿原の撮影は失敗に終わりました。試し撮りを見ると、やはり霞んでいました。場所は申し分ありませんが、雨や霞が出る時の撮影は無理です。次回に期待する事にしました。

次の撮影地に総本家さんは北浜駅付近を熱望しておられますが、約130km以上あります。道は高速道路同様ですのでP6並みの高速走行は可能ですが、シカの出没やネズミ捕りを考慮しての運転となると、ぶんしゅう7号走行前に道内ナンバーの車が2台は走ってくれないとできません。これは道内ドライブでの鉄則です。

北浜前に私が希望するのは、エゾマツ・トドマツの林の中を走る光景です。勤務時代に仕事で行った時に、川湯温泉辺りに見た記憶がありました。摩周国道と呼ばれる391号線は釧網線に沿って走っているのですが、木々に囲まれて鉄道線の様子を見る事ができません。

ナビを見ながら交差する農道を見つけては右折左折を繰り返して、ロケハンします。交差する道の全部を辿る事は不可能ですので、後は自分の嗅覚と感を信じて探します。最初の撮影地は標茶から分かれた13号線の高架橋でした。上下両方が狙えます。

着いて直ぐの14:09川湯温泉発の4733D(キハ54-117)がきました。慌てながらカメラを取り出して向けましたら、なぜか霞んでいます。しまった、車内は空調しているので湿度が抑えられているのですが、外気は湿気100%状態です。一瞬にしてレンズが曇っていたのです。外気と車内に温度差がある時にも起こります。忘れていました。
しかし、標茶で交換した4736D(キハ54-515)がきます。こちらは万全体制で撮りました。

次は、美留和~川湯温泉間で、4736D変じて「摩周&川湯温泉足湯めぐり号」(摩周~緑間を9/30まで期間運転)という粋な列車となった8736Dを追い抜いて撮りました。

摩周駅川湯温泉駅では約20分間、足湯に入っていただくために停車します。ヘッドマークも付いていました。

川湯温泉~緑間には難所の釧北峠が待っています。しばし川湯温泉駅で休憩としました。

川湯温泉から緑方向に硫黄岳をバックに入れて撮れる撮影地があるというので、また砂利道を進んでみました。ここも踏切がポイントですが、遮断機が邪魔します。雑草も刈り取りたかったのですが、ご覧のように硫黄岳は霞んだ状態ですので、やる気が起こりませんでした。

までは391号線と釧網線は大きく離れて走ります。国道も折り曲がる急坂が続く峠道となって難所です。緑を過ぎると牧歌的な丘陵地帯が続き、撮影意欲を呼び起こしてくれますが、また釧網線とは離れていきます。総本家さんに確認すると、北浜は夕焼けが是非とも撮りたいと言っています。

18:00以降の到着で良いと了解が取れましたので、右折して南斜里駅を目指しました。列車通過時刻を見てもらうと余裕はありません。見渡す限りの丘陵の野菜畑の中を一直線に伸びる農道には、走っている車は全くありません。これなら大丈夫と、P6で参りました。

先ほどの足湯号を抜きたかったのですが、知床斜里駅を出た斜里川鉄橋がやっとでした。後方の斜里岳1,547mが広い裾野を見せてくれています。夏場ですので陽は西寄りに沈みます。夕刻は逆光となりますのでここでの最適撮影時刻は、午前中なのでしょう。知床斜里駅に立ち寄りました。

年間観光客約100万人(平成21年度実績)の知床の玄関口だけあってモダンな駅で、過疎地では珍しい駅員配置駅です。そしてローカル駅には見られないバリアフリー駅、駅前には知床等へのバスターミナル、道の駅もあり、交通の中心地となっています。多分原生花園花のシーズンでは、知床帰りの観光バスはこの駅で観光客を降ろして原生花園臨時駅まで列車に乗せるのでしょう。

始めの駅名は「斜里駅」でした。1998年(平成10年)に改名されています。
斜里駅はかつて国鉄ローカル線建設華やかし折に、逆行するかのように廃止された根北線の起点駅として強く印象に残っています。大赤字が増大する国鉄再建のため国鉄諮問委員会が発足し、1968年(昭和43年)9月に営業係数が高く、「使命を終えた」と見られる赤字83線2590.6kmものローカル線がノミネートされました。その中に根北線が含まれており、地元と調整了解後の1970年(昭和45年)に廃止されていました。

当時は町から過疎地へとレールがつながる事の意味は精神的に大きく、沿線住民の願いでもありましたので、延伸も予定され一部着工されていた路線での廃線は、意外なことでした。

まだ時間に余裕がありましたので、知床斜里駅を釧路方面に出て90度方向を変える釧網線沿いの砂利道を走り、17:35青々とした野菜畑を前景に斜里岳の麓を行く4739Dを撮りましたが、晴天なら素晴らしい光景だったでしょうね。必ずリベンジします。

北浜駅までは約30km、18時過ぎには北浜駅に到着しました。今日の宿泊は、昨年10月にお世話になった湧網線卯原内駅交通公園スハ47-508を電話予約しました。今回は同宿者がおられるそうで、19:30までは待ちますがそれ以降なら明日9:00にお支払をお願いしますと、管理されておられる喫茶店のマスターのお返事でした。

北浜駅で18:33発の4740Dを撮影後に向かう予定でしたが、駅舎内の軽食&喫茶「停車場」で、夕食を済ましてからに決めました。が、ここで話し好きなママに捕まってしまいました。カメラ撮りも得意なようでこの時間にこの場所で撮るのが雰囲気が出て1番と、我々のカメラを持ってバシャバシャと写してくださいました。話が弾んで、20:05発4745Dを撮るまでいました。

北浜駅での鉄道写真は撮りましたが、ピントが甘くお見せできる仕上がりではありませんでした。どうも愛用カメラを使いこなせていません。Nikonお客様窓口へ電話をしてアドバイスを求めましたら、丁度鉄道写真を撮っていらっしゃる担当者が応対してくださいました。原因は列車のライトがAF機能に影響するようです。3Dトラッキング機能にセッティングすれば防止できる等々、いろいろと対策を教えていただきましたが、最善の策は鉄道写真家の山崎友也氏が言われているように①カメラを三脚に固定しAF機能を解除する。②液晶モニターをライブビュー撮影設定にする。③画面を拡大してピンをあわせて、列車がその位置を通過する時にシャッターを押す。といったほぼ完全マニュアルで撮影することで問題は解決すると言います。

聞けば当たり前のことですが、ライブビュー設定をして拡大してピントを合わすのは、デジタル一眼なればこその技です。ただこれでは、連写や撮影地点前後のショットはボケピンになります。三脚使用もやりたくありません。狙っている列車の通過地点より前後に予想だにしなかった良いショットが撮れる事があります。

確実な一発勝負にこだわるか、連写を生かして意外性も期待するかの選択です。勿論後者は、AF機能が付いていなかった以前のカメラと同様なカメラマンの腕前が要求されます。老眼になって暗いシーンは苦手となった老体には厳しい要求です。どちらを選ぶかは難しい選択です。皆様でしたら、どちらを選択されますでしょうか? それとももっと良い方法はあるのでしょうか?

北浜駅を出発後の卯原内駅への途中で、総本家さんが新婚旅行に泊まられた網走湖畔荘の温泉に入浴後、同宿者の方には迷惑な到着時間になりましたが22:00近くに着きました。


【9213】1955/57年北九州福岡3

前々回挿入し忘れがあり、話が前後し申し訳ないが、トシの所為としてご寛容の程を。東小倉の廃車体で、1932年廃車後小倉鉄道に払い下げられ、1943年5月1日同鉄道買収で復籍した客車。経歴は鉄道作業局11(新橋工場1900年製造)→鉄道院ホロ5516(形式5510)→ホロハ5740(5740)→ホロハ1460(1460)→ホハ2440(2440)→小倉鉄道ホロハ1→ホハニ1→再買収ホハニ4097となる。


ホハニ4097廃車体←小倉鉄道ホハニ1←ホロハ1

ナハ2457廃車体 吉塚

吉塚にも廃車体が3つあった。ナハ2457は1951年4月30日門鉄で廃車になったもので、鉄道作業局ホボ41→鉄道院ホロハ5725(形式5720)→ホロハ1458(1450)→ナハ2457(2450)。神戸工場1909年製である。車体中央に外釣引き戸が設けられているのは、戦時中の多客化改造=通勤用客車になっていたから。


ナハフ14121廃車体 トラス棒がついたままなのが珍しい 吉塚

筑前参宮鉄道ハ3~6のどれか 菱形の神戸工場銘板が残る 前身はロ524~527=4扉が二等車を示すのは加悦保存(復元)車と同じだが こっちは両端デッキ式に改造 吉塚

何もこんな苦労してまでヘンな場所に据え付けなくてもいいと思うが

かつては線路や道路も松林だったんだろう 今ではどんな風景になっているのか

西鉄福岡市内線126

同じ西鉄でも門司~折尾の北九州線が半鋼車と連接車で固めていたのに、福岡市内線にはクラシックな高床ボギー車がどっさり。それでもデッキには折り戸がつき、窓は下段上昇に改造されて入るが。お客は折り畳みステップと踏み段を上がらねばならない。流石にデッキ・客室間の仕切は撤去されている。


西鉄福岡市内線128

西鉄福岡市内戦132

西鉄福岡市内線135 これは2段目の踏み段が車外にあり、車内へは都合4段上る

西鉄福岡市内線138

西鉄福岡市内線143

西鉄福岡市内線507

西鉄福岡市内線576

前々回入れた到津遊園のコッペル機の、4年後の悲しい姿のネガが偶然出てきたので、事のついでにお目にかける。全体を錆止めペイントで灰色に塗装されているのはいいとして、キャブがこの有様。ロープかワイヤーをかけて自動車で引っ張りでもしないと、こうはならないだろう。これは6番目の政令指定都市北九州市誕生(1963年4月1日)に合わせ、この遊園地(つまりは西鉄)が指定都市展なるものを企画し、東京都と各指定市に出品を勧誘。そのため展示会場にあわせた出品物の検討に、就職1年半の新米(小生)が派遣され、その折撮影したと記憶している。幸い現在では修復されて別の=機関車にゆかりのある場所に保存されているそうだが。機関車に限らないが車両にせよ、建築物、文書にせよ、保存に熱心だった人がやめたり、転勤したりすると、大方がこんなことになる。


痛々しいコッペル機

ロッドも失われているのか 盗難を避け別に保管しているのか


【9205】厳冬決死の蒸機撮影

 猛暑お見舞い申し上げます。梅雨明け後の連続酷暑で、日頃お元気な皆様もバテ気味のことと思います。こういう時は極寒の写真でもご覧下さい。1996年暮れ、某私鉄系大手旅行会社主催で中国東北部(旧満州)の蒸気機関車撮影の団体旅行に参加した時のことである。この旅行では2回えらい目に遭った。1回目は北京到着後ホテルで両替中に若い女性の窃盗グループに買ったばかりのペンタックス67とTCトラベラーズチェックを盗まれたこと。ホテル側に盗難証明を書かせ、TCは盗難対策用の金券であり、保険にも入っていたので被害は少なかったが、最初はショックであった。このため、撮影機材は補助として持参したキャノンEOS55である。2回目は掲載写真の撮影当日がこの地区でも20数年ぶりの大雪で氷点下20度を下回り、チャーターバスの異常低温による運行不能で遭難しかかったことである。この日は元日で、非常に寒い日であった。撮影の合間には凍傷にやられないように線路に近い民家に入れてもらったくらいである。貧しい家であったが、元日(1997年1月1日)と言うことか餃子をつくってくれた。線路際でずっと撮影した若い仲間には凍傷にやられた者も出た。そして夕刻牡丹江のホテルに向かうバスが発車して30分もしないうちに故障。外は真っ暗で車内は後で聞いたら、氷点下10度であったとのこと。やばい、本当にここで満州の露と消えるかと思った。生き証人の一人に鉄道ピクトリアルに時々顔を出す山陽電鉄乗務員のY氏も居る。さて、厳冬極寒の写真は牡丹江の東約50kmくらいの所にある大観嶺(正式な地名は定かでない)と言う勾配区間での撮影である。

蜜山7:57発98車次ハルビン東行き22:00到着前進型重連

この列車は時刻表でみると98車次特快で、勾配の複線区間ではあるが、昔のニセコのC62重連を思い出す。但し、C62重連は全長42mに対して前進型は58mある。

猛吹雪で視界悪い中を登ってくる前進型重連の貨物

貨物の前補機や旅客列車の一部には東風4型ディーゼル機が入っていたが、やはり、形は不細工でも大型蒸機はいい。

 この旅行は死が予想される異常低温と猛吹雪で冷え切ったバスの中でこれは本当に死ぬかと思った。たまらず1時間に数台しか通らない車のヒッチハイクを考える。中国人ガイドは「中国の車は停まってくれない」と言ったが、そんなことを言っておれず、人民解放軍のジープを停める。運転台に運転手を入れて5人乗り込み夜中の2時頃にホテルに着く。救援バスも30分遅れて到着。翌日はナロー蒸機は諦める。最終日の北京空港も雪で中国国際機は9時出発が18時まで待たされた。この旅行では旅行会社が一人2万円の見舞金を出した。ハルビンの勝利橋で滑って骨折した北九州の友人はそのまま成田の病院へ入院した。


【9187】初夏の北海道 余話-3-

最後の運炭鉄道

今回の北海道行きの楽しみの一つに、釧路の太平洋石炭販売輸送の訪問がありました。日本最後の炭鉱、釧路コールマインの運炭部門として、採炭地の春採から、積出港の知人までの4.0kmを結んでいます。ただ、JR線と連絡しない自社線完結の路線とあっては、今まで訪れる機会もありませんでした。
ぶんしゅう号で釧路市内へ入り、地図と見比べながら行っても目的地が分からず、ぶんしゅうさんに叱咤されながら、ようやく機関区のある春採駅にたどり着きました。
ぶんしゅうさんのレポートと重複しますが、車両を中心に報告します。

この鉄道は、大正14年に釧路臨港鉄道として春採~知人間が開業。釧路川の左岸で路線を延伸し、石炭・一般貨物だけでなく、旅客営業も行なっていた。内燃動車も導入されたが、昭和38年に旅客営業を廃止、昭和54年には太平洋石炭販売輸送に吸収され、石炭輸送の専業となった。
釧路市沖の太平洋の海底から採炭していた太平洋炭鉱は、平成14年に採炭を中止し、以降の事業は釧路コールマンに継承されるが、事業規模は大幅に縮小された。写真は、機関区のある春採駅の全景、背後にある丘の上から太平洋の海底に向けて坑道が伸びている。以前は、この丘の上に、610mm軌間の専用線があり、三笠鉄道記念館に保存されているヒョロ長い電機が使われていた。

春採駅に待機している編成がシャトルトレインだ。DLが前後に付くプッシュプルとなって連接式の石炭車を牽引する。最盛期は機回しの時間もないぐらい忙しくて編み出された運転手段だろうが、大幅に事業が縮小された現在では、意味を成していない。事実、訪問した日も、午前の1便だけで当日の列車は終了しており、念のためと思って再訪問した翌日も同様であった。

シャトルトレインの先頭に立つのがDE601、日本ではたいへん珍しくなった電気式のディーゼル機関車。片運転台式で車体の背の高い日本離れしたデザイン、それもそのはず、GE社製のライセンスで日本車輌により製造された。ライトブルーに黄色のライン、”ShuttleTrain”と書かれた英文字も実によく効いている。DEとは言うものの、軸配置はB-Bであり、Eは電気式を指すようだ。

D401 昭和39年製で、車体はDD13後期型と同じだが、珍しいロッド式。赤白く塗られたロッドはよく目立つ。予備機扱いのようだが、訪れた日は、ロッドの音が響かせながら入換に励んでいた。ぶんしゅうさんが尋ねられていたボンネット部にある覆いは、石炭積込時にホッパーから漏れてくる選鉱液がファンの中に入り込まないようにする覆いとのことだ。

D701 昭和52年製、日本車輌の私鉄向けDD型で、DD13と類似している。軸バネ台車が特徴。防寒のためボンネット端部が密閉式になっている。通常は、シャトルトレインの春採側に付く。


D801 元は雄別鉄道YD1301で、昭和41年製。雄別鉄道の廃止後、釧路開発埠頭のKD1301となり、ここも廃止となって平成12年に入線、D801とした。

廃車のD101 昭和33年製で、北海道としては初の大型DL。ロッド式の台車が特徴、DD13と似ているが、細部は異なる。前照灯は1灯だったが、2灯に改造された。10年以上前に廃車となったが、錆びを浮かべながらも、留置されていた。

連接式の石炭車セキ6000 昭和41年から製造され14組28両ある。現役の貨車としてはわが国唯一の連接式。機関車からの遠隔操作により、側扉開閉、連結解放を行う。

春採駅の奥にある石炭ホッパー。海底から採掘された石炭は選炭のうえ、ここで石炭車に積み込まれる。ただ現状は、海外からの採炭技術者の研修を兼ねた採炭を細々と続けている程度に過ぎず、行く末が心配されている。


【9170】北の大地へ2010年初夏編 Part6 根室本線

第7日目 2010年6月30日
① 厚岸6:47(快速「はなさき」3625D)→8:13根室
② 根室8:22(5628D)→9:49厚岸

昨夜からの小雨が続く朝を迎えました。起きて直ぐにTVをつけて、昨夜のワールドカップの結果を聞きました。結果はご存知の通りですが、もし見ていたら興奮して寝られなかったでしょうね。
友は「天候に恵まれない雨の日こそ、めったに見られない光景を写せるチャンスがある。」と、有名な鉄道カメラマンの言葉を言いますが、小雨に加えて霧も出れば、白い世界しか写らない。どうしたらいいんだと言いたくなります。しかし行動を起こさないと、チャンスは生まれてきません。他のオートキャンパー達が眠る道の駅「厚岸グルパーク」を出発して厚岸駅に向かいました。

まず未乗車区間の厚床(標津線起点駅)~根室間乗車とロケハンが目的です。乗客はキハ54-524、1両に我々入れてたったの10名です。
厚岸駅で釧路に向かうキハ54-518+キハ54-516の3625Dと交換しました。島式ホームに上下線の列車が発着できるようになっていますが、1番線は、駅舎側にもホームが新設されていて、改札口からバリアフリーで乗車できますが、根室方面は跨線橋を渡らなければ乗れません。

乗降客は、一日1,000人に満たない駅です。全国のローカル線同様に、乗客は高校生か車の運転できない老人が殆どを占めます。高齢者は階段を上下するのは苦痛です。そのため都市圏の駅は、エスカやエレベータが設置されて、バリアフリーの使い易い駅にリニューアルされてきていますが、ローカルでは手付かずで費用対効果は少なく、もし事故等で閉じこめが発生した場合を考慮すると、設置されることはないでしょう。
通行量の少ない道路に横断歩道と使われない横断陸橋があって、昨今無駄な投資だった、また維持費削減のために撤去されています。同様に、通過列車もないようなローカル駅では跨線橋は不要です。不便な物を設置しているから乗客離れも進む一因にもなっています。スロープで線路を横断して対向ホームへ行く昔からの方式に戻し、跨線橋は取り壊すべきと思っております。

乗車後は、最後部からの車窓に釘付けです。厚岸を出ると厚岸湖沿いを走り、別寒辺牛湿原の中を走ります。晴れていれば絶景なのでしょう。それでも小雨と霧で白く霞むバックに、線路沿いの新緑が単調ながらも美しい流れとなって演出してくれます。落石~昆布盛間も太平洋が眺められる絶景の車窓ですが、深い霧が阻みました。

▲ 人家もない原野の流れる新緑の中を列車は走ります。

▲ 7:05、茶内に到着。根室からの始発列車5624D(キハ54-524)と交換をしました。次発は9:30ですので、この列車が唯一の通勤通学列車です。8人が乗り込みました。
学生時代は、まだ馬車鉄道に始まったナローゲージの浜中町營軌道のかわいいDCが、1972年まで走っていました。湯口先輩の著書「簡易鉄道見聞録」に詳しく掲載されているそうですが、古書店にもなく、インターネットで調べてみると、復刊を望む声がありました。

▲ 7:32、標津線の起点駅だった厚床に到着。かつての広い構内は、2面2線のみが残っていました。

▲ 落石駅は、駅舎がありましたが、他の駅はあってもワフが置いてあるだけでした。

8:13、88.8kmを1時間26分で到着しました。駅周辺をゆっくりと散策したいのですが、9分後に釧路行きが発車します。その次は、2時間50分後ですので、撮影に影響します。

折り返す列車の運転手が同乗していましたので下車後に話してみますと、釧路~根室間はエゾシカ出没が多く、一日1頭は衝突してしまう。昨日は、2頭が天国行きになったと嘆いておられました。帰りの列車は、3回も急ブレーキをかけて衝突を回避しました。毎回これでは、運転手も大変ですね。義経号のように前頭部にカウキャッチャーが必要です。

▲ 厚岸駅に戻ってからは、隣の木造駅舎の糸魚沢駅を見学しました。珍しく木彫りの駅名表が掲げてあって、アイヌ語で「イトウのいる川」と言う意味だそうです。

▲ 最初の撮影列車は根室行きでしたので、別寒辺牛湿原の川沿いの斜面を登り待ちました。晴れていれば、絶景の撮影地らしいですが、ご覧のように霧の中からライトが見えて11:52、キハ54-514の快速「ノサップ」3631Dがやってきました。

▲ 次に選んだのは、市街地を抜けた厚岸湖畔。線路沿いを歩き、電柱が真っすぐに立っていないカーブにしました。12:21、キハ54-516の快速「はなさき」がゆっくりと通過しました。

これも今日の宿は天気予報を見て、昨日に釧路のスーパーホテルを予約しておきましたので、風雨が強くなっても安心です。撮影地は、濃霧の落石~昆布盛間を諦めて、厚岸~糸魚沢間に絞り、午後は厚岸~釧路間をぶんしゅう7号での各駅停車の旅としました。

▲ 13:19、尾幌駅に到着。待合室はワフですが、外装のイラストがかわいい。車内もきれいに塗装、清掃されていました。ワフでもこんな待合室なら大歓迎です。13:26入線してきたのは、厚岸始発のキハ54-515の5632Dです。

▲ 13:38、5632Dを追いかけるように上美幌駅に到着。キハ54-518の5635Dと交換光景が撮れました。

▲ 14:10、別保駅に到着。なぜかナビは、反対側を指示していたので、かつての駅舎は逆側だったかも。
14:38発の5634D(キハ54-507)を撮影後は釧路へと向かいました。

早め釧路市内に着きましたので、太平洋石炭販売輸送㈱臨港線が動いていないか確認に行きましたが、昨日と同様の光景です。
16:00、諦めて勝手丼が有名になった、和商市場を見学に行きました。花咲・タラバ・毛ガニがずらりと並ぶ威勢のいい魚屋さんが、これば美味しいと試食、試食のオンパレードで、それだけで満喫しました。それでは申し訳ないので、丼に酢飯を購入して魚屋に戻って好きな刺身を入れてもらった勝手丼を食しました。

ホテルにチェックインする頃には、雨も本降りとなりました。このホテルは、一階に天然温泉があります。久しぶりに早めお風呂にゆっくり入り、床につきました。たまにはこんな日もないと、老体が消耗してしまいます。


【9141】北の大地へ2010年初夏編 Part5 根室本線、太平洋石炭販売輸送㈱臨港線

第6日目 2010年6月29日
朝起きると、「道の駅しほろ」の駐車場は、車で寝泊りしながら道内を観光する全国各地からの車が数多くありました。立派なキャンピングカーもあれば、小型車で簡単な窓隠しをしただけの車もあり様々です。その方々のご年齢層は、私達より高く70歳前後以上です。男性一人の方もおられれば、ご夫婦もおられます。どなたも約1ヶ月かそれ以上をかけて、ゆっくりと道内を見て回ると言っておられました。ようやく日本も、退職後の余暇を楽しむ方が増えだしたなあと感じました。
6:00、ゆっくりと朝食準備されている方々を見ながら、我々は早朝からの撮影に出発です。

6:50池田駅着。1番ホームに新得行きキハ40-1723、2番ホームには、浦幌行きキハ40-1774、芽室行きキハ40-722+キハ40-1778+キハ40-751が縦列で停車中。


7:31豊頃駅を通過して、池田方面に向かう特急「スーパーおおぞら2号」を73号線の高架橋から撮影しました。

7:50新吉野駅着。ここで、先行する2523D新吉野駅で追いつきました。

8:00浦幌駅着。帯広~浦幌の区間列車が走るだけに駅周辺は、住宅街です。きっと池田や帯広に通勤通学客があるのでしょう。


次の上厚内駅は、木造駅舎ですので、じっくり訪ねることにしました。国道側に駅舎はなく反対側です。行き過ぎてから踏切を渡ろうとすると、良い感じのカーブとなっています。丁度釧路からの特急「スーパーおおぞら4号」が通過する時刻です。振子式を撮るにはカーブが1番です。1つ邪魔なハエタタキがありましたが、まずまずでした。

8:26上厚内駅着。待合室にFRP製椅子が設置されていますが、ドアや窓もアルミ製ではなく、外観は純木造駅舎です。この後もぶんしゅう7号での各駅停車の旅は続きます。


上厚内
からの道路はJR線と分かれたので、直別駅まで行ってしまいましたが、手前で逆Ⅴ字形に折り返して、厚内駅へと海岸沿いをロケハンしながら向かいました。

丘陵が海岸近くまでせり出して、わずかな間に根室本線と側道が走っています。丘陵上から海岸線を入れて撮りたいのですが、土砂崩れ防止コンクリート壁が設置されているので、これが邪魔です。また電柱・太い電線もあります。邪魔物がなく丘陵が途切れる間を見つけては止まって、撮影可能か確認しますが、なかなか条件が揃った場所はありません。
それでも1ケ所、何とか撮れそうな場所が見つかりましたが、たどり着ける道がありません。こうなれば、2人で道を開拓するしかありません。庭バサミを取り出して、線路を横切り丘陵の多い雑草を刈り取りながら道を作り、滑りやすい斜面を上へと登って行きます。二人いたからこその作業です。一人ですと、途中で滑り落ちて動けなくなったら最後、誰にも見えず分らずで天国行きです。
約30分をかけての作業で適当な撮影地にたどり着きましたが、快晴でなく水平線が見えません。しかし雨が降らなかっただけでも良かったと、列車を待ちました。
10:14釧路行きの特急「スーパーおおぞら1号」が通過。

アングルに収めきれない通常より1両多いありがたくない8両編成です。

約30分後に貨物列車が追走してきます。音別~古瀬間に絶景ポイントがあるので移動しようと向かいました。途中の尺別駅は、かつて尺別鉄道の起点駅なので立ち寄ってみました。約40年前は数千人が居住していた駅周辺は、廃屋が数軒あるのみで、跡は自然へと戻っていました。駅構内もC12形機が往来したヤードの面影は、全くありませんでした。

絶景ポイントに到着しましたが、手前の音別駅で交換のため約40分間停車するのを忘れていました。急いで引き返しましたが、貨物列車が来てしまいました。ベテラン二人がいても、疲れていると考えられないミスをしてしまいます。

11:04音別駅着。駅員の方が、丁寧に交換する列車と時刻を教えてくださりました。ありがとうございます。
音別駅で2093コンテナ貨物列車は、入換作業をします。久しぶりに途中駅での作業を見ました。約半分のコンテナ車を切り離して、留置貨物線に牽引します。音別駅近くには、Kioskで販売されるオロナミンCの製造工場があって、この輸送のための停車だったようです。



入換光景を撮影後、音別~古瀬間の丘陵地帯へと戻り、まず釧路行きの特急「スーパーおおぞら8号」を待ち受けます。次に音別駅で交換した2093貨物列車を待ちました。
12:05キハ40系2連の2525Dを撮影後は霧がたちこめてきて、撮影不可能となりました。


自然には勝てません。撮影は諦めて釧路へと走り釧路運輸車両所に立ち寄りますと、国鉄色キハ183系4両編成が留置されていました。これには、総本家さん大喜び、他に休車等の留置車両多しで予定を変えて撮影会としました。



今回の訪問希望地の1つだった太平洋石炭販売輸送㈱臨港線には、14:40着。事務所によってダイヤを聞くと、残念ながら今日の運行は終わっていました。運行は、当日の採炭量によって決まるとかで、石炭輸送専用ですので炭鉱トロッコと同様扱いです。撮影許可を取って、構内のDL・石炭車を撮りましたが、総本家さんGE製DE601の美形にうっとりです。私は、初めて見る連接式の石炭車セキ6000形にびっくりです。走っているシーンが撮りたかったですが、次回にしました。


▲ 他にも珍しいロッド駆動式のD401機等の凸形機がありました。D701機を除いての現役機のラジエーターファンの上に屋根が付いていますが、なぜでしょうか?

今日の宿営地は道の駅「厚岸グルメパーク」です。ここからは、約50kmで楽勝と思っていたら、途中でナビにない新しい道を走ってしまい迷走です。結局、元来た道に戻らざるをえなくなって、大幅に遅れ16:15門静駅に到着しました。ホームの先から海が見えました。少し戻って、山間のオーバークロスで撮ろうとの提案がありましたが、先を見てから決めようと向かいましたら大正解でした。海岸沿いに広がる厚岸の町並みをバックに線路があります。小高い丘をまた二人三脚で道を開拓して、見渡せる撮影場所を造りました。

私が最も好きな光景です。16:32釧路行き5638D17:14室行きの5637Dの2本撮った後は、順光で夕陽もさしてきました。本命の17:325640D撮影を楽しみにしていましたら、直前に突然ご覧のような雲が下りてきました。

宿営地は道の駅「厚岸グルメパーク」には温泉がないので、電話をして近場の温泉を聞きましたが、1時間以上行かないとないそうです。代わりに厚岸には1軒しかないという銭湯を紹介してもらいました。十勝沖地震以前は町内に4軒あったそうですが、ここを残すのみだそうです。中は番台におばちゃまが座って、常連の入浴客と話している昔の銭湯光景で、レトロなお湯を楽しめました。

夕食は勿論、厚岸の牡蠣料理を「厚岸グルメパーク」内で堪能しました。ワールドカップの決勝トーナメントパラグアイ戦の放映がありましたので、車内観戦できるように準備万端しましたが、高台なのに地デジもワンセグも映りません。帰宅間際の道に駅の事務員さんに聞きましたら、この位置ならアナログは入ると言われ、秘密の場所を教えてもらい移動しましたが、放映直前に眠気がおそってきて諦めました。