こんなモンもありまっせ!特注編

本日、大幹部のF田さんからの命令で泣き叫ぶ孫を放り投げて写真展の警備員に馳せ参じてきました。素晴らしい会場と、素晴らしい作品の数々は置いといて、入り口の絵に見入りました。著作権の関係で画はご覧に入れられませんが、鉄道画の重鎮・黒岩保美氏の作品が二点掛けてあります。一点はC54が京都駅山陰線ホームを出発するところ、もう一点は京都駅の東方にあった梅小路機関区の東駐泊所の絵です。昭和30年頃の京都駅ということで、夕日を背景に転車台に乗るC51が黒煙を上げているものです。後には当時あった貯炭庫が描かれ、さらに遠くには市電の八条変電所がうっすら見えています。
この場面の写真を持っているで!とつぶやいたのを後で聞き耳を立てていた大幹部の福Dさんが聞きつけて「今日帰ったらすぐにアップしろ!」と厳命されたので特注編としてお目を汚します。

東駐泊所に関しては少し説明しておきます。東海道線がまだ蒸機であった頃、梅小路機関区との往復が手間なため、高倉陸橋の南詰めに転車台と留置線を置いて蒸気機関車を駐泊させていました。東海道線が電化しても山陰線用や奈良線用に利用していたと思います。新幹線が開通する頃、転車台は撤去されスレート造りの電機用車庫が出来ましたが今はありません。

新幹線の出来るずっと前、昭和36年(1961年)2月の写真です。貯炭庫はすでにないようです。

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こんなもんも

諸兄のような「お宝」ではないが、半世紀以上前、京阪天満橋での800型3連である。京阪の木製車ではこの形式のみドアエンジンがついているから、3連でも車掌が施錠に走り回る必要はない。

撮影は1955年9月22日―老人浪人1年目で19歳誕生日の前日。

 

「こんなモンありまっせ!」に寄せて

米手作市様が貴重なクハ86015の走行写真を投稿されましたが、その後のスタイルの変化等について紹介したいと思います。
こちらは、昭和38年8月29日、京都駅の3番線と4番線の間の留置線に停車中で、快速の増結車として待機中のところです。

クハ86015は、昭和37年4月17日付で静岡から高槻に転入して、1年半後の38年11月20日付け早くも岡山に転属し、その後広島に転属後53年1月17日付で廃車になっています。
昭和50年8月10日、広島駅で撮影した画像で、河様から解説いただきました計器設置スペースを確保するための改造後です。

昭和48年1月28日、広島駅で撮影したクハ86001です。正面3枚窓のクハ86の車体更新後の標準的なスタイルです。
クハ86015との違いをお判りいただけると思います。
クハ86001は、新製時のスタイルに復元され、梅小路鉄博に展示保存されています。

❝こんなモンもありまっせ❞のクハ86015受難時

画像

古い貴重なシーンの数々のご投稿、興味深く拝見しています。

手元の「読売報道写真集 1960」にクハ86015が件の前面窓改造を受けることになる事故の写真が掲載されていましたので紹介します。書名は1960ですが、掲載されているのは前年のニュース写真で、当該事故の発生は1959.5.15です。

 

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こんなん、出てきました。貨車航送船の写真

 デジ青上では私も伊勢や東京に行った時に乗った修学旅行電車から始まって米手作市さんの「こんなモンもありまっせ!」のお宝写真で賑わっております。私も久しぶりの「こんなん、出てきました。」です。古い写真を整理していると貨車を積んで航行している船の写真が出てきました。こんな写真があるとは思っていませんでした。だれが、いつ頃、どこで撮った写真かわかりません。しかし、よく考えてみると祖母と伯母がよく四国へ三十三カ所巡礼の旅に行っていたので、その時に撮ったものではないかと思われます。その写真というのは

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こんなモンもありまっせ!

実は昨年のHCDで北陸特派員氏から「車両の写真もいいが当時の雰囲気が分かる風景が写っている写真も見たい」と言われたので、鉄道写真としてはロクなものではないが当時の雰囲気が分かる風景を出します、と約束して半年になりました。そんな時に準特急氏や西村氏、893氏が”修学旅行電車”にかこつけていい写真を出して下さったのでこれをきっかけに準備していたゴミくず写真をご覧に入れる決心が付きました。
いい加減な知識しかない投稿写真に、鉄道界の重鎮・河様からのおだてのお言葉にも嬉しくて舞い上がりました。

皆様も作品のような写真ばかりでなく、キズがあっても、カビが生えていても、ピントが合ってなくても、変わった車両や今ではとれない場所からの写真などもドシドシ投稿して下さい。

向日町運転所 西村氏の撮したのと同じ色のEF58

京都駅西方、堀川通り付近

鴨川を渡るEF58重連急行
まだ新幹線は建設されていない

広島電鉄昭和38年

昨夜INUBUSE氏と電話をしていて、先日可部線を載せましたが同じ時に広島電鉄に行っていることも確実になりました。ただ可部線同様撮影場所が不明なのですが鉄道線(宮島線)の車庫で撮ったものもあります。2015年に「京都市電に乗ろう」で行った時とはさすが約40年の年の隔たりがあります。ちょうど西村氏が広電を取り上げておられていますが何か共通するところがあるような気もします。車庫では1042、1075です。

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修学旅行列車ありました

先輩方の写真に比べてとても肩を並べられるものではありませんが、
2枚ほど撮影しておりましたので披露します。
「ひので」「きぼう」は写真でしか知りませんが私は「わこうど」と「友情」は
撮影しています。修学旅行用車両は山陽新幹線博多開業前は岡山からの山陽筋の
急行に使われていたことを記憶しています。
カメラはいわゆるバカなんとかカメラなので画質はお話になりませんが、
単なる記録として便乗します。画像はトリミングしています。
おそらく同世代では撮影している人は少ないでしょう。
準特急先輩が撮影されていた醒ヶ井の疎開車両は、1982年夏に
長崎豪雨か台風10号で富士川鉄橋が流された影響かで18きっぷでの撮影行を
断念し帰阪を余儀なくされたときに帰りがけに見かけたことが印象に残っています。
当時は、撮影しませんでしたが…。
4月はパソコンがクラッシュしてしまい入院退院を繰り返したため投稿ができませんでした。
現在も、データが殆ど失われてしまい、元の状態に戻すのにまだ3か月ほど掛かりそうです。
画像や動画のデータは外付けHDDに保存していたので助かりましたが色々ショックです。

1975年5月2日 姫路駅にて

1975年11月3日 三宮-元町(並行する神戸高速鉄道車内から撮影)

 本日から開催 クローバー会写真展「鉄路輝く」

クローバー会第7回写真展「鉄路輝く」、いよいよ本日、3日(水)から開催です。会内外から寄せられた渾身の作品の数々が、写真専門ギャラリーに燦然と輝いています。ぜひお越しいただき、じっくりご覧ください。
5月3日(水)~9日(火)11~19時
京都・祇園「ぎゃらりぃ西利」(京つけもの「西利」祇園店3階)

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こんなモンもありまっせ!

皆さんの修学旅行電車の写真を見ていると、私も乗り遅れないように投稿したくなりました。
特に西村さんの梅小路構内横切り事件!を見て血が騒ぎました。梅小路は私の縄張り、東山隧道から桂川鉄橋までは小学生~高校生までの遊び場ですから写真だけは山ほどあります。その中からご覧に入れます。

なお、記録のなさはひどいもの、ご推察願います。

桂川鉄橋を渡る上り快速旧80系 153系開発の実験車と聞いている

修学旅行電車

修学旅行電車は確かこの老人も撮っているはずと、探すと案外簡単に出てきたので、撮影後58年で初公開に及ぶ。実はこの時スプリングカメラのパールのピントが絶不調で、以後35mmに切り替えたのだが、そのネオパンSSが憎っくきネオパンシンドロームにやられてしまった。ところがブローニーフイルムは、多少銀が浮いてきてはいるが大丈夫。ピントの悪さは切支丹伴天連大魔術のPHOTOSHOPでアンシャープマスクを掛ければ、大きくプリントしない限り何とかなるのである。撮影は1959年というだけしか分からない。

老人は国電はモハ54ぐらいまでしか撮っていないが、これは例外中の例外である。ただ撮ったというだけで、コメントは別にない。というよりしようがない。現物を間近に見たのは、実は半世紀近く後に大宮鉄博の玄関前カット車体(前面から座席1つまで)が初めてだったのである。

「ひので」「きぼう」の頃

寒中北海道旅行記が遅延状態であることを承知しつつ この記事を書いています。昭和36年6月号の時刻表を見ると上り1114レ「きぼう」号は神戸始発8:55、終着品川着18:15、上り1112レ「ひので」号は京都始発19:55、終着品川着5:10、下り1111レ「ひので」号は品川始発8:43、終着京都着16:30、下り1113レ「きぼう」号は東京始発20:00、終着神戸着5:58と設定されています。特急「第1つばめ」が京都・東京間を約6時間で走っている時代に 上り「きぼう」号は京都・品川間を約8時間で走っているので、決して鈍足ではなかったようです。当時の中学生にとって あのせまっ苦しい車内に押し込められての夜行列車は決して楽なものではなかったでしょうが、「きぼう」に満ちた時代だったのでしょう。さて準特急殿の投稿に刺激されて 中学時代にハーフサイズで撮った写真を探してみたところ、「ひので」「きぼう」を撮っていましたので 恥ずかしながらご紹介します。まずは昭和37~38年頃です。

草津駅を通過する下り「ひので」号。草津線ホームが関西鉄道時代のままで低い。

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修学旅行電車155系の写真

尊敬すべき米手作市さんから「写真持ってるやろう、のせんかい」と脅されたような気分になり、探し回りました。その結果3コマ見つかりましたが、何れも車窓から撮ったり何かのついでに撮ったものばかりです。

まず、155系ですが、1968年5月19日京都駅で撮ったものです。クハ155-1と読めそうですがそうすると1次車です。修学旅行と正面上部にあり、ヘッドマークも「きぼう」とあり、これから東京方面に向かう中学生で一杯です。この時は新幹線ができて4年経過しているので修学旅行用としては衰退期に入っておりました。▼

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可部線その昔

可部線の話題で盛り上がっていた時に間に合わなくて残念な思いをしていましたが、昭和48年1月に広島方面に行った時のネガを見つけることができました。当時旧型国電にはあまり興味がなかったのですが、今となっては非常に貴重な資料であり、最近のステンレスやアルミの車体を見ていると「なんと電車らしい」という思いが沸いてきています。場所もキハの型番も定かでなく申し訳ないのですが、当然ご存知の方注釈願います。駅撮りはクモハ11205、車庫はクモハ12017です。※台車の白点はスキャナのごみが残ってしまったようです、すみません。ただネガは缶に乾燥剤と一緒に入れていたので比較的色は出ていると思います。

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修学旅行電車155系“ひので”“きぼう”

私は私学中学でしたからこの車両には乗れずじまいでした。その代わりバスのように補助イスを付けた、スハ32系の客車に乗って東京タワーを見に行きました。

ところで、155系は知っていますが、159系や167系というのは知りません。準特急さん、写真があったら見せて下さい。修学旅行用というと九州の”とびうめ”という気動車もありましたね。

 

東西国鉄旧型電車

河昭一郎様 お待たせしました。 というほどの写真ではありませんが、横須賀線70系と関西国電(京都-西明石)等拙い写真ですがどうぞご笑覧下さい。

前回のクモユニ74と同じ大船のカーブです。

1968.2.13 921S 戸塚-大船間 久里浜行きクハ76022 ▼1968.2.13 905S 戸塚-大船間 後ろから見た70系12連横須賀行き ▼ 続きを読む

C56108保存会様の会報に紹介されました

先にご報告しましたように、4月8、9日に木次線ツアーが催行されました。この旅行で以前デジタル青信号の木次線投稿記事にコメントを寄せられた、C56保存会のおろち様にご連絡させていただいたところ、現地で保存機のご案内、また、懇親会の折に保存の苦労話などをしていただき大変お世話になりました。

昨日おろち様より保存会の会報が送られてきて、そこに我々の訪問の事を載せていただきましたのでご紹介いたします。また、お手紙には進呈しました木次線のフォトブックへの謝辞と共に、今年迎える木次線全通80周年の記念に、木次線の歴史をフォトブックで作成してはどうかの話しが保存会の中で出ており、作成する場合には協力してもらえないかとも書かれていました。デジ青が繋いだ交流の輪を大事にしていき、要請があった場合、会としても協力していきたいと思っております。皆様、昔のネガをひっくり返して木次線の写真がないか今一度お調べください。

はな便りあと一つ

kawanakaさんから東のはな便りが届きました。あと一つ届けておきたいのがあります。関空まで行っていたのでその帰りに南海電車を!と思ったのですが高野山辺りまで行かないと桜は撮れないようでした。南海本線でどこかいい場所はないでしょうか?探し回っている時間も気力も無いので…と書くと失礼になりますが、やはり愛着のある阪堺電車にしました。旧型車がいつまでかと気を揉むのですが会うことができました。北畠近くの公園ですがいつも駐車車両がありなかなか移動しようとしません、諦めるしかないですね。