戦前に各地で私鉄が貴賓車を作りましたが、これらは宮内省や政府からの依頼、許可を得て作ったのでしょうか?勝手に作っても利用されるアテがなければ無駄になるし、天皇陛下が三条京阪から天満橋までご利用になる意味があるのか、よく分かりません。
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管理人より
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緊急速報 広電 花電車の運行決定
カープ優勝を記念して 江波車庫の奥で眠っていた貨51号がカープレッドに塗られて 装いも新たに広島市内を走ることが広電ホームページで公表されました。9月30日(金)14:00に広島駅前で出発式が行われ、翌10月1日からは 江波→紙屋町→広島駅→西広島→横川→江波の第1便と そのあと江波→紙屋町→広島港→比治山線→広島駅→江波の第2便が走ります。詳しい通過時間は広電ホームページをご覧下さい。同ホームページのイラストをコピーさせて頂きました。
新刊の紹介 「上岡直見著 鉄道は誰のものか」 三江線を考えてみる。
半世紀前の静岡駅で
寺田咲築氏の登場にうれしくなって、昭和39年に静岡駅で見かけた職用車をご紹介します。オハフ30をそのまま静岡運転所の通勤車にしたオヤ30です。もちろん地平ホーム時代です。
お粗末さまでした。
広島東洋カープ セ・リーグ優勝おめでとう!
東海道本線、静岡駅での記録(2004~2007)
はじめまして。2012年度生の寺田と申します。今年の3月に卒業し、現在は京都を離れて東京で働いております。現役生の頃は、写真展の企画などで名前を目にした先輩方も多いかと思います。今後はクローバー会の会員として活動をしていきます。どうぞよろしくお願いします。
はじめての投稿で、何を書こうかと非常に悩みました。もう一つの活動分野である音楽を絡めて書こうか、はたまた昨年の青信号で書いた300系新幹線の記事の補足をしようか…。ネタを考えつつ掲示板を眺めていると、特派員様の清水市内線の記事が目に入りました。自分の出身である静岡の写真をこの場を借りて整理してみるのも面白いと思い、テーマが確定しました。写真をとりはじめた2004年から静岡から国鉄型が一掃された2007年頃までの写真を中心に振り返ってみます。小学生から中学生の頃の写真で、見苦しいものばかりですが、あたたかい目で見ていただけると幸いです。
(2006/3 フェルケール博物館)
静岡市清水区(旧清水市)内に保存されていた65号です。一度は所有していた博物館が解体を決定しましたが、地元有志による保存団体の尽力により解体を免れ、現在は富山県の伏木ヤードにて保管されています。
青の交響曲余話
現役生達の活躍で、DRFCの歴史に残る一大イベントは成功裏に終わりましたが、その時に現役生、それも一回生のU君から参宮線事故の写真を見せてほしいと言ってきました。
聞けば古い鉄道の歴史に興味があるとのことで、井原さんに紹介されたらしい。写真はお見せするので来訪を快諾しましたが、事故の詳細はよく知らないので、デジ青に湯口先輩の投稿があったので読んでおこうと思い立ちました。
さすがに湯口先輩、ご自分の写真と共に簡単な解説があり、その中に「ピク65号を参照した」旨の注釈がありました。たしか我が家にもあったのではと探したところ、残念!66号からしかありませんでした。それ以前の59号が最初で次は66号まで飛びます。そもそも戦後生まれの私はまだピクを定期購読出来る年齢ではありませんでした(59号が昭和31年6月号)。実は高校時代に寺町の古書店に縄でくくって積まれていたピクを大人買いしたものです。だから飛んでいるのは私のせいではありません。
この機会に整理をしたのですが、なんと本がボロボロ、酸化してもろくなっていました。本の“ビネガーシンドローム”です。表紙や後表紙もとれた本を一冊ずつクリアーホルダーにはさんで並べ直しましたが、どうしても読んでしまいます。
そこでピクトリアル1956年6月号59号をご紹介しましょう。
この当時は48ページで110円です。表紙はEH1013の牽くワキの急行貨物列車。
最初のページにトピックフォトがあります。
曰く、「京阪特急用新テレビカー」1800系が四条に停車しています。「丸の内線新車400系6両増備」「国鉄初の20m2機関のキハ44700誕生」のちのキハ51です。
今月の話題
「東海道本線の電化は本年11月に米原-大阪が完成して、東京-大阪間の電気運転が開始される。北陸本線の電化方針は当初直流を計画していたが、急遽交流に変更された。」「国鉄本庁、4月より本社と改称。ゆくゆくは地方局を支社言うようになるかもしれない」
私鉄車両めぐり
京都市電:地図では千本今出川から白梅町間、河原町今出川から宝ヶ池公園間が予定線になっている。写真には200型、300型が現役で紹介されている
質問に答える
現在建設中の国鉄線
ほとんどがすでに廃止された線ですが、「津軽線:蟹田-三厩」「越美線:福井-朝日」「紀勢線:新鹿ー尾鷲」「赤穂線:日生-西大寺」などの現役線もありました。
私鉄で建設中となっている中で気になるのがありました。「紀泉鉄道:熊取-粉川」どなたかご存じありませんか?
おもしろいのを一つ
問:小海線のオハ608は夏と冬で定員が違うのにオハ607は変わらないのはなぜですか?
答:オハ608は冬期座席を外してストーブを取り付けるため定員が減る。オハ607は未改造のため変わらない。(国鉄運転局客貨車課)
読者短信
京阪ニュース
空気バネの電車が出来る。千チハのキハ48102でテストしたものに似た奴(ママ)。1816を予定する。
大阪地下鉄ニュース
値上げした分だけサービスしましょうと全車両に各6個の扇風機をつける。
こんな内容ですが、この頃でも佐竹保雄先輩は写真に記事に大活躍でした。
現物をご覧になりたい方はいつでもどうぞ!
豊橋鉄道市内線のビール電車
西村さんの記事に書かれていた『豊橋鉄道には3203号を改装した「おでんしゃ」があります』の夏バージョンの「ビール電車」を紹介させて頂こうかと思います。今年2016年は6月13日から9月25日迄の運行で車両は3200形3203号です。
昼便(土日祝のみ)11:54駅前発 夜1便 18:00駅前発 夜2便 20:00駅前発
コースは駅前 → 運動公園(トイレ休憩)→ 駅前 約1時間20分とのことです
豊橋市役所近くの東海道と田原街道の交差点 西八町でいろいろな電車を写していると 赤岩口の車庫を出た回送電車が まだ日の高い17:20頃にやってきました。思ったより早かったのであわてました。元名古屋鉄道580形豊橋鉄道3200形のすれ違いです。3203号「ビール電車」と3201号です。
たのしい『青の交響曲』のおみやげ
運行開始して間もない近鉄南大阪線、吉野線の観光特急貸切電車はたのしいものでした。このツアーを企画実行していただいたDRFC現役生の皆さんには頭が下がる思いですし、頼もしく思いました。ありがとうございました。
さて、乗車記念としておみやげに何を買ったらいいかと思っていたのですが、「青の交響曲カステラ・ラスク」がパッケージも面白そうで、値段も手ごろなので買うことにしました。おもちゃにもなりそうです。孫が2人いているので一つだと、とり合いのケンカになりそうなので2つにしました。
広電のビール電車
西村さんの記事に誘われて 広電のビール電車の紹介をさせて頂こうと思います。
「トランジュール」768号でのビール電車は平日は1便 土日は2便設定され7月1日より8月31日までの運転予定でしたが好評につき9月末まで延長されたようです
平日の時刻は広島駅発18:30→横川→19:20西広島着(20分休憩)→20:10広島駅着です。
768号が千田車庫を17:52に出て 広島駅前に向かいます。
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京王電軌500号
74992の仙台市電に寄せて
名古屋市電1070形は「仙台市電の注文流れ」とずっと信じていましたが車両事情が悪い名古屋市に国が振り向けたものとのこと。なるほどと改めて仙台市の名誉回復を思った次第です。名古屋在住のころ時々目にしていましたが他の形式より小型でかわいい感じの車両でした。仙台市電109号の写真をお見せ頂き これを名古屋市電の色にすると名古屋市電1070形とそっくり同じではないかと思われます。
仙台市電117号は長崎電気軌道1051号として保存車的に在籍しています。仙台時代のワンマン化改造時に後ろ扉は中央に移設され 前面3枚窓が非対称の2枚窓に改造されていますので少し印象が違いますが 仙台時代の塗色に戻されきれいな状態で ICカードリーダーも設置されいつでも走れる状態とのことですが 通常運用には使用されずイベントなどで使用されているようです。
今年2016年5月25日の写真をご覧ください (浦上車庫にて)
きれいです。台車も変わっているようです。
めったに走らないようですが 一度乗ってみたいものです。
国鉄清水港線
総本家青信号特派員さんの9月9日付[75019]「18きっぷで東海道を巡る-2-」のコメント欄で西村雅幸さんより静岡鉄道清水市内線に関連して近くの国鉄清水港線が不便さもあって乗れなかったと告白されていた。西村さん、まずはカープ優勝おめでとうございます。それに比べてタイガースという球団は最低でいつぞや10数ゲーム離していた巨人に追いつかれて優勝をのがし、今シーズンも本拠地甲子園で巨人に勝ったことがないという体たらく。
本題に移るが、何度となく乗った東海道本線であるが清水で降りて路面電車を撮影したことがない。オールラウンドプレイヤーとは言え総本家さんはよく撮ったなと脱帽である。さて、清水港線は昔C50が客車を牽いていたような記憶があり、その存在は知っていたが、結局乗ったのは廃止直前の1984年3月11日でその時の数カットである。
尚、この月は同時期に廃止された新潟県の赤谷線、魚沼線の乗り鉄を行っている。
車輛の戦災は軽微、復興は迅速だった仙台市電
老人の年輩ともなると訪問先の鉄道で戦争中はどうでした?との質問をしたものだ。仙台も佐藤さんへの質問は先ず戦災からであった。【電線路はかなり被害があったが、車両は2両がちょっと外板を焦がしただけで、奇跡的に1両も焼けず、戦災地区の真ん中にあった変電所も防空建築で無事であった。車両は深夜になると毎晩、八幡線や北仙台線に手数を掛けて避難していたのと、車庫(北2番町)も際どいところで戦災を遁れる事が出来た。先の2両も工員輸送の深夜便で営業線にあって空襲に遭遇したのだが、大事に至らず大変幸運だった。新車の補充など思いもよらない時期に、可動状態のものは貴重品であった当時のこと、他都市からえらく羨ましがられた。】と佐藤さんは語ってくれた。以下【 】は佐藤さんの記述。
戦時中に東京市電名義車60形9両が導入されたが、中古車であるため一早くお払い箱となり、その代替ともいえる東京都電の中古車70形10両が入線したのは1948年11月であった。これより先、ボギー車80形5両が入線していた。【ボギー車については1942年に5両の新造計画があり木南車両に発注されたが、着手が遅れ中途半端の状態となっていた。それが戦後竣工し名古屋市電1070形となったことから「仙台市電の注文流れ」と言われているが、戦災都市で車両事情が悪い名古屋市に国が振り向けたもので、いくら財政状況が逼迫していたとはいえ、注文したものをキャンセルするようなことはしていない】と、きつく言われた。 続きを読む
久々の投稿は、フィルムの話から
気がつけば、デジ青投稿を離れてから数か月も経ってしまいました。季節は巡り巡って、もう9月。出版の仕事にどっぷり漬かった数か月でした。“一体どうしたのか”と激励していただいた、会内外の約2名の方にも、ご心配をお掛けしました。
この間に思ったことは多々ありましたが、残された年月が限られてきた人間にとって、自分の足跡を各種の媒体に残していくことは、重大な使命だと思い知らされました。これからは、時間を見つけては、デジ青に自分の足跡を書き連ねて行きます。
錦織の80型
玉電の80型の話が京阪の80型の話に拡がっていますね。丁度1年前に錦織で写した写真がありましたので、大津のハチロク様をさしおいて恐縮ながら アップしてみました。
確か82号はすでに京阪から第三者の手に渡っているのに、しばらく置かせて欲しいということで置いてあったとどなたかに聞いたように思います。手狭な車庫故京阪も迷惑だったようです。ようやく搬出されていたのですね。この時点でも塗装が剥げて錆が浮き、せっかくの美男子が可哀想な状態でした。
ところで 81号の頭部だけが保存されていましたが、これは今もあるのでしょうか。これは何のための保存なのでしょうか。この81号はきれいな状態でしたが。
こうして改めて見ると 片運に改造される前のポール時代の方が格段にかっこ良かったですね。
玉電デハ80型
今夏の撮影
残暑厳しいもののススキの穂や虫の声に秋を感じる今日この頃である。この夏の撮影の一部であるが、しばし御付き合い願いたい。
最初は交流電化発祥の地作並を行く仙台行きの快速電車JR東E721系。色気のない電車であるが、梅雨の晴れ間、峠を越えて飛ばしてきた。
会員インタビュー記事の紹介
1900先輩より教えていただきましたが、当会会員’88年度生志水仁さんのインタビュー記事が8月28日付け「乗り物ニュース」に掲載されましたのでご紹介します。
志水さんは1992年3月商学部を卒業され、同年4月日本貨物鉄道株式会社に入社、吹田機関区助役、広島機関区長などを歴任され、現在はJR貨物鉄道ロジステック本部運輸部副部長の要職につかれています。
2012年のホームカミングデー集会には「震災輸送に携わって」という表題で講演していただき、東日本大震災被災地向けの石油輸送についての苦労話などをお聞きしました。
今回のインタビューは札幌-福岡間を走る長距離貨物列車の話で、運用を中心に興味深いお話をされています。詳しくは http://trafficnews.jp/post/56503/ をご覧ください。