本稿その2に登場した伊豆箱根鉄道及び伊豆急行の本社は三島市内で、その昔の国境(相模、駿河)箱根峠を共有しているので連結させた。観光地としての伊豆半島の存在は大きく、老人お気に入りの景色は箱根峠を登り降りするケーブルカーで、晴れた日は相模湾が一望の下に広がりとても眺望が良い。箱根峠を下り平地に出ると三島に至る。ここは駿河東地区の中心で、徳川時代の伊豆半島は「伊豆」として独立していたが現在は静岡県に併合された。三島から沼津に駿豆電気鉄道と称する路面電車が1906(明治39)年に開通したが、1963(昭和38)年に廃線となった。当線は伊豆地方の電気鉄道事業の先駆者で、以前、須磨の大人がデジ青で紹介したと思う。沼津駅の仮泊が良いと言ってくれたのも彼で、待合室で電気機関車の入れ替え作業を子守唄にしてぐっすり寝込んだ。三島は11番目、沼津は12番目の宿場となる。
「未分類」カテゴリーアーカイブ
実験ホームドア見物
優勝パレード前日の広電
2016年セ・リーグ優勝パレード前日夕方の広島駅周辺の広電です。
翌11月5日は町中が赤色に染まるにぎやかな一日になると思われますが前日はいつもの広電でした。
↑ 広島駅を発車する宮島口行き5010号 グリーンムーバーです。16時06分発で宮島口に17時16分到着予定です。5000形は5001~5011号が荒手車庫所属で2系統(宮島線から市内線への直通)で使用され、5012号は千田車庫所属で主に1系統(広島駅~広島港)に使われています。5007号は荒手車庫でお休み中のようです。
続きを読む
富士フイルム30000人の写真展鉄道部門京都鉄博で開催中
先に募集しました富士フイルム30000人の写真展の「鉄道のある風景」部門が京都鉄道博物館で開催中です。大宮、名古屋と開催され京都が最後の展示となります。京都会場には総本家青信号特派員様はじめ、ぶんしゅう様、wakuhiro様、kawanaka様、どですかでん様など、当会会員の方も出品され、中でも総本家青信号特派員様の作品は数ある応募作品の中から20名に贈られる「心に響いた20選」に選ばれています。すでに一昨日から始まっており、会期も次の日曜までと短いのですが、ぜひ足をお運びください。
釧路・根室の簡易軌道企画展と講演会
#76929で事務局からご紹介があった釧路市立博物館創立80周年記念企画の一環だが、何分釧路であり、まさかお越しになる方もおられまいが、折角なので一応この欄をお借りし、内容を記しておく。なお入場無料で申し込みも不要とある。
この企画展は明日10月29日から始まり、関連行事も実施されるが、11月26日(土)の午後に、小生が「植民軌道/簡易軌道」と題して、一席お喋りをさせて頂くことになっている。地域遺産をどう生かすかの、名取紀之ネコ社編集局長のスピーチもある。
で、小生は目下90分の受け持ちをどうやって凌ぐか。先月傘寿に達した老い先短い老人は、60年近く前の記憶を必死に絞りだすなど、目下大いに苦労中なのである。
近鉄サ2600号
元新京阪貴賓車フキ500型の阪急1500
関三平先生の最近の貴賓車で新京阪フキ500型が登場したが、皆さん遠慮されているのか今日までコメントや関連投稿がなかった。そこで阪急となっての晩年の姿であるが、拙い写真を発表させていただく。この車両はP-6の付随車として運用されていたが、同じ様に運用されていた戦後阪急で製造した1550と異なり編成美を乱すことがなかった。
ある撮影(2)
2016年9月17日阪神大石駅で偶然に撮影した同社新型車両の5700系を紹介した(デジ青2016年10月7日付け[75892])が、京急新馬場でも同じように同社新型車両新1000形1800番台を撮影したのでこれも発表をする。京浜急行新1000形1800番台は2016年3月に営業運転を開始している。特徴は先頭車正面の貫通ドアにあり、新1000形のひとつのバージョンであろうが顔だけ見ていると別形式にしてもよさそうに感じる。阪神の各停専用の5700系と同じように4両固定であるが、快速特急などにも使うそうでマルチパーパスな車両である。見たのはこれが初めてで優等列車使用にはまだお目にかかっていない。見学会とか営業初日とかそういう時には出かけないのでいつも偶然の撮影であるから失敗も当然多い。先頭が1809であるから3番目の編成で最近出来たばかりの様に思う。車体下機器や台車まわりが汚れておらずデビューしたての感じがするが営業開始がいつか未調査で申し訳ない。阪神同様に京急も自然豊かなバックを撮るのは難しい路線で場所の選択にいつも悩む。新馬場は8両がうまく入るということでよく出かけるが今の時期は足回りと正面がすっきりする12時前後に集中して撮影する。▼
2016.10.15 新馬場 金沢文庫行き1809
静岡で撮る小田急ロマンスカー
こんばんは。
本日、小田急の新型ロマンスカー「70000形」と、30000形のEXEのリニューアル車「EXEα」の導入が発表されました。複々線化の完成と共に、特急列車にも大幅にテコ入れが行われることになりました。朝のロマンスカーの増発、新宿―箱根湯本の所要時間短縮といったダイヤ面での改良にも期待が高まります。
題名には「静岡で撮る」と書いてますが、今回は御殿場線の「あさぎり」ではありません。主に甲種輸送のお話です。
新宿と小田原、片瀬江ノ島、唐木田を結ぶ小田急線ですが、車両の多くを豊川の日本車輛で製造していることもあり、新車出場や改造入出場のために静岡でもその姿を比較的頻繁に見ることができます。特に、2005年頃から2012年頃まで行われていた新型保安装置、D-ATS-Pの改造では月に一回のペースで通勤車、ロマンスカーを問わず通過していました。また、ロマンスカーは他社への譲渡の際にも通過をしていました。
私自身が機関車好きなため、ロマンスカーと言うよりは機関車がメインになりますが、LSE以降の小田急ロマンスカーを全て地元の静岡で撮影しました。
東海道の電車を楽しむ-その2-
その1で小田原が東海道9番目の宿場だとの紹介を忘れていた。くわえて伊豆箱根鉄道大雄山線も起点が小田原ということでお許し頂きたい。
卒業を前にしたDRFC例会で、同期の土肥君から2枚の青焼き図面を「土産だよ」と言って頂戴した。老人は東海道筋の電鉄線めぐりの予定がなく、「有難う」と言って書類箱に入れたままとなった。1990年秋から吉川文夫さんと文通が始まっていた。ある日、整理していたら土肥君にもらった青焼き図が出て来た。そこで吉川さんに郵送したら「掲載25年後に図面が入手できるなんて・・・」、とても喜ばれた。氏はピク誌173号で伊豆箱根鉄道の執筆者、そこには青焼図になったモハ45+クハ23の写真が出ている。
保存蒸機とその現役時代(36)
数多いD51の中でもこの499号は後藤工場変形デフが特徴で一目見た時から忘れられない機関車である。撮られた諸兄も多いのではないか。
1941年(昭和16年)2月鷹取工場製造(製造番号27)で戦前、戦後は主に山陽、山陰筋で活躍し、晩年は福知山、亀山に所属して1973年(昭和48年)に廃車されている。
保存場所は近鉄・JRの津駅から徒歩で10分ほどの偕楽公園で近くには三重県庁があり、県庁横の陸橋からは近鉄名古屋線、JR関西本線を手軽に撮影することができる。
保存機は晩年の特徴である集煙装置や重油併燃装置がそのまま残っているがデフに付いていた後藤工場のマークは外されている。全体に厚化粧で現役時代の艶を感じないのは保存機の宿命であるがそれでも久しぶりに再会できたことは嬉しい。
新京阪貴賓車フキ500型
東海道の電車をたのしむ
古来、京都以外から京都に行くことを「京に上-のぼる-」と言っているが、東京から京都に行くことを「くだる」とは言わない。老人は1986年「てっちゃん」に復活して青春18キップを愛用するようになったが、通用期間外は止む無く普通キップ利用であった。ところが2003年にめでたくジパングクラブに入会することが出来た。息子や義弟などが関東圏に居住しており、入会後は18キップよりジパング利用の方が多いが、おりにふれ東海道筋の中小私鉄訪問を重ね、楽しく電車を追いかけている。
静岡鉄道 2016年春
こんばんは。東京、埼玉は昨日からぐっと秋めいてきて、ジャケットを着ていても汗をかかない過ごしやすい気候となってきました。
前々回、前回と臨時列車が続いたので、今回は地元の静岡鉄道の話題をご紹介します。
ある撮影(1)
4月の武庫之荘での小学校同窓会に続き9月に甲子園で高校の同窓会が開催された。終了後阪神電車の大石駅で撮影をしていたら新型電車5700系が現れた。どうってことのない平凡な写真であるが始めて見る車両であり少し気分が高揚した。間もなく消える車両はよく撮るが、出来立てホヤホヤの車両を撮ることも必要であると最近思うようになった。というのも例えば高性能電車と言われた昭和30年ごろ製造の電車のデビュー当時の写真を見ると台車や車体が光って見える。営業に使われると車体等が徐々に汚れていくのは仕方がないが、それ以上にその後改造されたりして晩年になると顔やスタイルまで変わってしまうのは人間と同じであり致し方ない。生まれたては貴重であるから試運転でも回送でも営業当初でもとりあえず撮っておくことをお勧めしたい。そういう意味ではデジ青2016年10月4日投稿のDRFC現役生[75864]「イベント案内」で発表された「四季島」の試運転の写真は特徴あるスタイルや色がよくとらえられていて貴重な記録になると思う。そういう私も「四季島」の回送を2度ほど撮ってきたが現役生と比べてお見せできるようなものではないので発表を差し控えさせていただく。元に戻ってこの阪神電車は昨年8月24日に営業運転を開始しているので出来立てホヤホヤではなくえらそうなことを言ってしまったが言いたかったことはデビュー当時の記録は大切だということである。なお、この電車は普通車5001形、5131形、5331形の置き換え用として登場し、2016年度のブルーリボン賞を授与された。通勤車はローレル賞と思っていたがローレル、ブルーリボンの選考基準がよくわからなくなってきた。
2016.9.17 大石駅 普通高速神戸行き 5702・5802・5801・5701
保存蒸機とその現役時代(35)
つくばEXP終点つくば駅から徒歩でおよそ15分のさくら交通公園に保存されているD5170である。D5170は1937年(昭和12年)9月日立製作所笠戸工場で製造番号870で製造され、当初は岡山区にあって山陽筋で活躍したようである。戦後1950年(昭和25年)に渡道し岩見沢区を皮切りに道内各地で活躍し追分区を最後に1976年(昭和51年)3月に廃車された。保存機の撮影は2016年5月4日の撮影でデフレクター(除煙板)を短くした晩年の北海道スタイルであるが、補助灯というのか予備灯というのかそれがはずされているのは好ましい。▼
現役時代は1969年(昭和44年)3月14日倶知安駅を16時31分に出発する長万部発札幌行き137列車を牽引する倶知安区所属の同機である。機関車が黒くつぶれてナンバーが分かり難いがその分バックの羊蹄山(蝦夷富士)は比較的山容がわかる。この時はデフレクターの点検口が切り取られているが、デフ自体はまだ短く切り取られていない。▼
熊本電気鉄道「くまモンの電車」
元東急5000形改造の両運車5101Aと5102Aの後継として銀座線の01-136,01-636と01-135,01-635の2両編成2本が2015年3月16日と2016年3月1日に入線しています。
その2編成の内2015年入線の01-136,01-636の編成が「くまモンの電車」として2016年6月から上熊本、北熊本間で運行されています。
上熊本駅に向かう01-636です。入線後に大きなスカートが取り付けられ印象が少し変わっています。
続きを読む
元京王貴賓車成れの果てと地方私鉄元京王5000系の追加
長ったらしい表題であるが、内容は二題あって別のものである。一つは2016.9.17付けデジ青[75248]関三平先生の貴賓車「京王電軌500号」を紹介された米手作市さんにその成れの果てらしき車両があることをコメントで申しあげたところ発表するように言われ用意した次第である。もう一つは同じく関先生のシリーズで京王帝都5000系が紹介された時、地方私鉄へ譲渡された姿を16.6.26付けデジ青[73063]および16.7.15付けデジ青[73443]で紹介したが、わたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車に使用されている車両と今年になって活動を始めた京王→伊予鉄→銚子の遍歴を持つ銚子電鉄初の京王5000系車両を紹介できなかったので追加発表を行う。
まず、NHKブラタモリの高尾山をご覧になった米手作市さんから頂いた宿題の車両であるが、京王電軌貴賓車500号は1931年(昭和6年)雨宮製作所で半鋼製14m車両として製造され御陵線で使われる予定であった。以下は鉄道ピクトリアル2003年7月臨時増刊号NO734の合葉清治さんの「京王中形車の思い出」の中にある貴賓車に関する記述で、「御陵線開通後いくらも経たないうちに省線東浅川駅ができたので、皇族方の利用は一度もないまま1938年(昭和13年)に格下げされて一般車として使用された。この車両は1形式1車両で罹災(1945年5月の空襲)したため、原形は残っていない。日本車両東京支店で復旧して番号だけは残っていた。」とある。また、保育社カラーブックス「京王帝都」の著者合葉博治さんはその中で次のように述べておられる。「(大東急から分離独立して)京王帝都となった1年後の昭和24年5月、京王線に日車東京支店から7両の更新車が搬入。被災車の台枠を流用、14m化、京王初の全室仕切り運転台。車号も原番を踏襲、元貴賓車の2500の他、2501、2502、2205、2304、2305と両運転台車2407とされた。台車、主電動機は手入れ復旧、制御器は新製ながらHL、空制は京王初の自動ブレーキAMM、警笛はAW5型タイフォンを装備。のち全車が混成スモールT車とされ、昇圧後まで活躍した。」とある。
以上であるがもう少し付け加えると1938年に一般車への格下げ時に中間にあったトイレを撤去しそこに扉を増設して3扉ロングシート化している。1944年の大東急時代には元京王電軌の車両は2000番台となったためこの車はデハ2500となった。罹災復旧後1960年3月に東横車両で電装解除して運転台撤去、2010系の付随車サハ2503となり1963年(昭和38年)8月の昇圧後も使われたが1968年(昭和43年)12月に廃車されている。
写真は廃車が迫ったころのサハ2503である。尚、右の車両は同じような経緯を経たデハ2305を付随車化したサハ2553である。
最晩年の583系を記録する
こんにちは。二回目の投稿になります。先日の投稿ではコメントをくださりありがとうございました。改めて、今後ともよろしくお願いします。
近年、インターネットでは画像投稿もTwitterで済ませることが多く、ブログも休止中のために長い文章と適切なキャプションをつける機会が減ってしまいました。一方で、この掲示板はこれまで小出しにしてきた写真たちを整理して残せるので非常に有難い場所だと感じました。デジタルカメラ世代らしく、撮り鉄歴12年目の若造にして総撮影枚数だけは5万枚ほどあるため、様々な写真を掲載していきたいと思います。
先日の初投稿日は渋谷で583系の団臨を撮影していました。583系をはじめて撮ったのが2004年9月でしたので、12年目の撮影となりました。よくぞ今まで残ってくれたものだと感心するばかりです。
583系についてはここで解説の必要がない車両だと思いますので割愛いたしますが、気が付けば残り一本となってしまいました。走行の度に沿線は大賑わいで、私も時にはその熱狂に混じったり、あるいはうんと距離を置いて変な場所から撮ったり、コマ数があることを良いことに自分なりのアプローチを試みています。
(2009年3月 東北本線 岩切駅)
撮影枚数はそれなりにあるものの、ヘッドマークが付いた写真は僅かです。「はつかり」のマークはとても似合っていますが、やはり短さについ目がいってしまいます…。
京阪2代目16号室内写真
京阪2代目16号の室内写真が確かあった筈と、日々限りなく薄れゆく記憶を駆使して3コマ見つけた。上は御座所であろう。
これは侍従の控室であろう。テーブルの下に古めかしい電話機があり、この時期無線電話はあるまいから、電鉄側の添乗責任者への連絡用か。