◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑧

最近、当欄では音信不通になっている“た~ちゃん”が、病院帰りに訪ねて来られました。体力・気力の衰えから、投稿・コメントが滞っている理由を聞かせてもらったあと、“これなんやけど”と差し出されたのが右の写真の資料でした。聞けば、数年前に京都の染色業界向けの機関誌から原稿依頼を受けて、連載をしたものでした。《路面電車から街づくりを考える》のシリーズタイトルどおり、京都市電の歴史から、欧米のLRTまで、路面電車の蘊蓄が詰まった好個の読み物になっています。
“これを、ぜひデジ青に載せてくれ~。ワシの思いが詰まっているんや”。なるほど京都で生ま育った、電車が大好きな“た~ちゃん”ならではの内容です。“介護投稿”の一環として、しばらく本シリーズを綴ることにしました。来年80歳を迎える“た~ちゃん”、これが決して遺言状ではなく、これから一層の活動を願ったエールとして綴っていきます。

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オエ61309←オハ531はこれでしょうか?

ちょっと旅行をしている間にたくさんの投稿があり今頃読んでいます。なかで気になったのが【91093】客車廃車体訪問記 北海道編4に出ていたオエ61309の現役客車時代で、オロ351の格下げ後のオハ531です。1966年(昭和41年)2月に小山で撮った写真ですが見てください。
字が小さくて見にくいのですがオハ531ではないでしょうか?車体はオロ35でしょう。

井原さん、判定やいかに!

客車廃車体訪問記 北海道編6

石勝線沿線2題を紹介する。

【安平町鉄道記念館】

スハ45 25  42.877047, 141.806459  2017年8月15日撮影 安平町鉄道記念館
◆スハ45 25(1953年新製 日支)→1964年近代化改造 五稜郭工→1987年廃車。
追分駅裏手に安平町鉄道記念館があり、スハ45 25とワム80000が3両置いてある。駅裏とはいうものの駅には裏口がなく、徒歩なら少し遠回りして歩かなければならない。公園のようになっているが、12時過ぎなのに人っ子一人居ない。前の道路を通る自動車もなかった。

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -17-

飯田線⑧ 中部天竜のバス
飯田線シリーズの最後は久しぶりのバスネタで締めくくります。前回紹介した中部天竜駅前から、たった2台という日本最小の路線バス会社が佐久間ダムの間を結んでいました。
終点「佐久間ダム」で発車を待つ共益バス、前身は長距離用に造られた国鉄バスで、国鉄時代のナンバーは641-7901、昭和42年製造のいすゞ製。共益バスはあと1台所有するだけの事業者で、手許にあった当時の日本バス協会「会員名簿」によると、ともに香川県の鬼ヶ島観光自動車、直島バスも路線バスが2台だったが、両者は貸切バスも保有しており、路線バス2台だけの共益バスが当時、日本最小のバス会社だった(昭和52年8月)。

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思い出の明智、岩村、、、

宇都家氏の記事を大変なつかしく拝見しました。明知線と明知鉄道には何度か訪ねていますが、岩村の思い出を少しだけご紹介します。まずは国鉄時代。

昭和45年10月18日 岩村駅で発車を待つ明智行き461レ C1274

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客車廃車体訪問記 北海道編5

日高本線沿線3題を紹介する。

【富内鉄道資料館】

オハフ33 1568(左)  スハ45 26(右)  42.782898, 142.219105  1998年9月13日撮影 穂別町 富内鉄道資料館
旧富内駅を活用した施設で、最近は「富内銀河ステーション」と称しているらしい。
旧貨物側線に留置されている客車の用途は、ライダーハウスだったらしいが、車内にはタイヤチューブが積まれていた。なにしろ駅舎は閉まっていて、周りに誰一人いなかったのでわからない。塗装は綺麗である。

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ここは 明智、岩村、、、

国鉄明知線にも明知鉄道にも乗ったことはありませんが、明智(線名と字が違うようです)には6年前に行ったことがあります。明智は古い街並みを活かし、「大正村」として観光地となっています。施設のうちの一つのおもちゃ資料館には古い電車やSLの魅力的なブリキのおもちゃが展示されていました。北原氏ならこれらの素性もたちどころに鑑定されるのでしょうか?

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -16-

飯田線⑦ 中部天竜

伊那路を抜け、天竜川の渓谷美を眺めながら、中央構造線を長大トンネルで抜けて、飯田線は中部天竜に至ります。ここには、中部天竜機関支区があって運輸上の要の駅になっていて、いつも、ひと電車遅らせて、区を訪問したものです。

中部天竜機関支区を横に見て発車する辰野行き1227M、クモハ52004+サハ75102+クハ47108+クモハ54119 “流電”の活躍は中部天竜以南が多く、辰野まで足を伸ばすのは1往復のみだった(昭和45年8月)

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応募してみてはいかがですか

三江線関連の新聞記事が少しずつ増えてきたような感じがします。こんな記事がありました。

平成29年12月12日 中国新聞朝刊

船佐駅から宇都井駅までの間で撮った写真との制限はありますが、結構長い区間ですから 足繁く三江線を訪ねておられる方ならきっと良い写真を撮っておられることでしょう。ぶんしゅう殿はじめ三江線応援団の皆さんは応募されてはいかがですか。さてこんな記事もありました。 続きを読む

半世紀前の阪急神戸線(2)芦屋川-御影間、併せて今昔対比

芦屋川駅です。前回同様、青信号4号、高橋正雄先輩記述『京阪神急行神戸・宝塚線』を参考文献(*)として引用させて頂きました。
▼芦屋川駅、上り4連普通車最後部 1961年3月11日撮影
【920型920-924(M)、950型950-954】951は戦災復旧車で、以前より平シルであったが、車体は終戦直後の復旧であり完全な出来栄えでなく、更新工事で面目を一新した。通風器はガーランド式で中央一列。Tc車のパンタ取付台は撤去された。台車はこの920型のみ汽車会社のL-17(920型)、L-15(950型)である(*)。
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半世紀前の阪急神戸線(1)西宮北口-夙川間、併せて今昔対比

恐ろしく長いタイトルです。お待たせ致しました。阪急920型など1961(昭和36)年の画像が中心です。 また今回、車両解説に使用しました参考文献は、我らが青信号4号1959(昭和34)年12月発行、高橋正雄 『京阪神急行 神戸宝塚線 使用車両の現状について』です。(*)で示します

▼西宮北口-夙川間 925型4連 上り三宮発梅田行き普通車  1961年3月11日撮影
【920型の解説】一般に920型と呼ばれる一連の神戸線車両のうち920~924、950~954はその最も初期に製造されたもので、いずれもMTc恒久連結車である。昭和33年から34年にかけて全10両が提起更新を完了したが、二段シルやリベットは撤去され、雨樋も新しい形のものになっている。(中略)通風器はガーランド式で中央一列、Tc車のパンタ取付台は撤去された。
【925型925-928(M)、955型955-958(Tc)  】 通風器がガーランド式2列になっている事とM車の台車が川崎-16である他は920型と大差ない。現在920,950型に続き更新工事実施中である。(*)  ということから、画像は更新後の姿の様です。  続きを読む

 カラーで振り返る 昭和の気動車 -6-

久しぶりの“カラー版気動車シリーズ”、一般形、準急・急行形のつぎは、特急形の80系(キハ81系、キハ82系)の活躍を採り上げました。室蘭本線静狩~小幌(信)を行く「北斗2号」札幌発函館行き、トンネルを抜けて礼文華海岸沿いを疾走する。これから静狩の大カーブに掛かるところ。近くのジャンクションの長万部をも通過して、函館への道を急ぐ。もっとも、この列車に乗っても上野へ着くのは翌朝だが、まだ本州への移動は鉄路がメインの時代、82系は活躍の舞台を広げていた(昭和47年3月)。

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知多鉄道910形のちの返り咲きの姿

関先生の[90983]17.12.08付け知多鉄道デハ910形についてその表題を「知多鉄道デハ910形の成れの果て」としようと思った。先生のご説明の通りTC化されたり、木造車の機器を流用して再びMC化されたりして様々な変遷があったようであるが、最後はパノラマカー色、ミュージックホーンの特急車として使用されたので「成れの果て」よりも「返り咲き」にしてみた。

1972.9.11 名鉄瀬戸線尾張旭-三郷 2301+901← ▼

 

上と同一日、同一区間 特急905+2322 ▼

三江線の話題ほか

芸備線沿線の安芸高田市歴史民俗博物館で開かれていた企画展「さよなら三江線」が明日(12月10日)に最終日を迎えます。開催期間中に会場で図録が販売されているのが普通だと思っていましたが、私が訪ねた10月27日には図録は製作中ということで購入申し込みをして帰りました。そしてようやく図録が送られてきました。

図録表紙

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だるまさん いろいろ

井原殿の廃客車探索旅を驚きとともに楽しませて頂いています。さて客車の廃車体に比べてワムやワラのだるまさんは我が家近くの田んぼのなかで結構見かけますし、ワムやワラにカメラを向けることはまずありませんが、時にはこんなものに出くわすとついカメラを向けてしまいます。

平成29年4月16日 三原市本郷町にて

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客車廃車体訪問記 北海道編3

八雲町、せたな町2題を紹介する。

【八雲町の3扉車 他】

オハ51 5(左)  オハ51 41(右)  2017年5月4日撮影
函館本線八雲駅からせたな町へ抜ける道路沿いの、なんと個人の住宅として使用されている。3扉が特徴のオハ51 41と、2両のオハ51をそれぞれ半分よりやや長く切断した車体が分散して置いてある。切断した方が運搬費用が安いからであるが、41は搬入後再接合したが、残り2両は切断して長い方だけ搬入したと思われる。

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知多鉄道デハ910号

昔の電車は国鉄も私鉄も貫禄と気品がありましたね。
最近の電車は色を塗らないからピカピカで品がない。その上、顔が同じ(に見える)だから形式の違いがわからない。従っておもしろくない。電車ファンの皆様、ゴメンナサイ!

関先生!この当時の国電もお願いします。

客車廃車体訪問記 北海道編2

第1回に続き、道南いさりび鉄道(旧江差線)沿線2題を紹介する。

【ペンション宵の明星 2両】

スハフ44 9(左)  オエ61 50(右)  1997年8月10日撮影  41.746343, 140.601257(Googleマップから取得した緯度・経度の座標である。Googleマップで検索するとピンポイントで位置を特定できる。)

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ここはどこですか

 年賀状の季節となりました。さて古い年賀状を調べていると、今は亡きO君からの蒸気機関車がワフを一両牽引している写真の年賀状がありました。文面に問いかけの文で「・・・ここはどこですか・・・」とあって小さく「答・・・、長崎(本当は京都)」とあります。しかし、長崎でも京都でもないと思うのですが。機関車はC12で昭和48年の消印です。いったい、O君はどこで撮ったのでしょうか。どなたか教えてください。

のどかな風景 ここはいったいどこ・・・

コメントで撮影場所が明智線か高森線かで盛り上がっていますが、やはり機関車のナンバープレートがポイントなりそうなので拡大してスキャンしました。

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