地図を携えて線路端を歩いた日々 -14-

飯田線⑤  G地点 上片桐~伊那大島
伊那大島は南アルプスの塩見岳、荒川岳、赤石岳への登山口であり、ホームにも案内の標柱が立っている。朝のホームに到着した電車、先頭クモハ51001から降りてきたのは、元祖山ガールの集団だった(昭和52年8月)。

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故羽村 宏先輩の作品-京都市電運転系統図

最近、故羽村 宏先輩の阪急京都線の画像を投稿し、読者の皆様にご覧いただきましたが、その他の先輩諸氏から連絡が沢山ありました。それは、阪急の写真の他に、羽村先輩の有名な『京都市電運転系統図』も多くの人に見て貰ったらどうか、また、顔を知らない後輩に顔写真も載せて知って貰うのはどうか、とのことでした。

そこで、1961(昭和36)年10月14日発行、青信号8号掲載
『昭和14年7月 京都市電運転系統図』をご覧に入れます。
当時の謄写版印刷でカラー印刷は不可能。現在の標準輪転機印刷機などでもカラー印刷は困難な状況です。これは、予め謄写版印刷で印刷したモノクロ図の上に、黒を含め3色を用い、手書きで彩色したものです。青信号8号は何部印刷製本したのか判りませんが、兎に角発行部数分を彩色、8号に挿入製本されたものです。
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客車廃車体訪問記 北海道編1

2016年3月に急行「はまなす」が廃止されて、汽笛一声以来の定期客車列車の長い歴史が終わり、客車は「SLやまぐち号」や「ななつ星in九州」など臨時列車用と10両に満たない事業用車に残るだけになった。現役客車がこのような状況になり、6月にリタイアしたのを機に、各地に点在している旧国鉄・JRのリタイアした客車-廃車体-を撮影して回ろうと思い立った。廃車体は以前からぽつぽつ撮っていたが、まず北海道を制覇することにしてこの2年間、積雪のない時期に重点的に渡道し、現状ほぼ全車撮り終えたと思われるので発表したい。「ほぼ」というのは、廃車体の全容を完全には把握していないからで、小生の知り得た情報を全部確認したというだけのことである。この報告以外に廃車体の存在をご存じであれば是非ご教示いただきたい。

本題に入る前に、最新の新製客車に少し触れる。
近年客車の新製は大幅に減少し、今年の新製客車はJR北海道のマヤ35-1とJR西日本の35系くらいである。まずここでは趣味誌に紹介記事の少ないマヤ35-1をご覧にいれる。

右側がマヤ35-1札サウ  2017年8月13日撮影 札幌運転所  稲穂駅のホームから見える。
左側はマヤ34 2008札サウ で、日立1978年2月17日新製、2004年にリニューアルしたものの、40年近い歳月が経過しており、マヤ35が登場して来年交代するらしい。
マヤ35は同じく日立2017年5月17日製、今年のゴールデンウィーク後、遙々やって来た。窓・扉が異常に少なく(2-4位側も同様)、車体長は20.8mと少々長いが車高がいやに低いので余計細長く見える。これで定員10なので、内部はどうなっているのであろうか。マヤ34と違い中間台車が無く、積雪時でも検測可能だそうな。台車はN-TR35(総合車両製作所)と称する。

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もっと酷いビネガーシンドローム(2)

前回(1)と同じ車輌の山陽電車の119-118号です。撮影は、1961年2月19日。
被害が進み感光膜とベース(三酢酸セルロース、またはトリアセチルセルロース)の間に空気も入り、今にもベースから剥がれ落ちそうな酷い状態でしたが何とか修復し、過去に一度投稿の上、皆様のご覧に入れた事があります。
before
after

 

2017年晩秋の中国路 Part3 三江線へ その1

第3日目 11月20日

昨夜も朝方に寒さで目覚めました。これ以上の耐寒装備はできませんのでやむを得ずエンジンをかけて暖気で車内暖房です。少し2度寝してから夜明けに吉和SAを出発しました。
7時過ぎに三次I.Cを出て三次市内を走ります。この町は亡き愛妻の生まれ故郷でよく来ましたので市内の道は精通しています。
7:30.、朝マックで朝食をとってから今は住む人もなくなった旧宅に寄ってみました。近くに焼却場ができるために道路拡幅で
旧宅は解体撤去され、残った地も整地されて売られて次の住人が新しい家を建てています。立ち寄って在りし日の思い出に浸りました。

8:48 最初の訪問駅は尾関山駅です。撮影地①
▲ 駅前通りにふさわしい広い尾関山通りの先に尾関山駅があります。
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2017年晩秋の中国路 Part2 山口線へ その2

第2日目 11月19日

宿営地だった道の駅「仁保の郷」では昨夜、警官の巡回がありました。運転免許書の提示を求められましたが、道の駅でこんなことは初めてです。何しろあまり宿営している車が見当たらなかったので、用心のためのようだったようです。
その後は熱燗で温まって早くに寝ましたが午前2時に寒さで起き上がりました。ぶんしゅう7号の上段寝台は車外と車内の間はテント1枚だけですので、車外温度が車内に直結します。この夜は冷えて、何と室内温度3度の激寒です。これでは眠れません。
直ぐに下段におりて寝袋を出して2重にして、ホカロンを貼りまくり寝付きましたが、この時期にこんなに冷えるとは異常な天候です。
8:00 明るくなってきた道の駅「仁保の郷」です。鉄ちゃんらしい車が6台泊っていました。道の駅の営業準備か軽トラックも着きだしました。
洗面後は、最初に撮る予定の宮野~仁保の宮野駅に立ち寄ることにしました。
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ヴィネガー・シンドロームその後(1)

先ずはこの写真をご覧あれ。憎っきネオパンSSのヴィネガー・シンドロームにやられたうちでも、まだまだ、かなりマシなネガのストレートなスキャンである。これを見て、諸兄は修復しようという意欲が湧くか?

1950年代後半以降の35mmフイルムベースが化学分解して酢酸が抽出し、やがてネガそのものを破滅させるヴィネガー・シンドロームは、一旦発生すると止めようがなく、隣接あるいは同梱の健全なフイルムをも共連れにしてしまう。最初は強烈な酢酸匂発散から始まって、次第にフィルム自体がベットリし、こうなっては後の祭りで、早めにデジタル化する以外方策はない。
症状にもバリエーションがあり、さしてベトつきはしないけれど、ネガ自体が保存方法にもよろうが、あたかも丸い塗り箸か、ストローかのように直径数ミリ、縦に丸まってしまうケースもある。これは物理的に拡げる限界を通り越しており、一コマずつに切り離し、強引にスライドマウントに納めてホッチキスで止めてスキャンした奴もいるが、ネガはそれっきりになった。 続きを読む

デゴイチで「これは走りませんでした。」が走った。

 11月におこなった「デゴイチ」さよなら運転で「これは動きませんでした。」の怪しい内燃動車が動くようになりました。証拠に動いている動画を掲載します。掲載する方法は鉄鈍爺さんから伝授していただきました。

お粗末さまでした。

 

阪急803

デカンショまつり号さんのお宝第1号阪急974、853についてその現役時代の姿がまだどなたからも発表されておらず私も探してみたが見つからなかった。大変申し訳ないが853(制御車)の相棒である803(制御電動車)の姿でご勘弁願いたい。何れも神戸線芦屋川-夙川間で撮影したもので各駅停車(普通)である。

1968.04.04 桜の時期であるがまだ満開ではないようだ。大阪梅田行き2両目が853である。3両目が906、4両目916、最後の2両は920形▼ 続きを読む

2017年晩秋の中国路 Part1 旅立ち、山口線へ その1

TVを見ていると各地で紅葉のたよりが寄せられています。ボチボチ引きこもり生活からは脱却しなければ身体が鈍ってしまうと鉄ちゃん魂が蘇ってきました。
丁度定年まで勤めた会社の創立69周年パーティの招待状が来ています。場所は宝塚のホテルで西へ向かうにはいい位置です。車で行って翌日から西方を目指そうとなりました。

第1日目 11月18日
目的地は8月も訪問した山口線です。その時はご一緒させていただいた山室さんのお勧めで徳佐へ行きましたが、11月27日にはC571号機D51200号機との重連走行が演じられるとお聞きしました。今まで鉄ちゃんが殺到するイベントは好まず、避けてきましたが家庭環境も変わってきましたので、避けてばかりではいけないかなと思いだしました。山口線の撮影に熟達、デジ青のトップページを飾ってくれています893‐2さんにお聞きしますと、また行かれるようでしたので何回もいかれています893‐2さんにご同行させていただくことをお願いしました。
ただ、27日までは日数があります。紅葉の三江線にはまだ行っていません。三江線が迎えている最後の秋を見なければいけません。SLやまぐち号の重連走行を1週間待つ間にじっくりと行ってみる事にしました。
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会費納入しました

今日の朝、クローバー会から封書が届いた。開けると懐かしいガリ版刷りの「青信号第1号」とクリアホルダーが出てきた。会費の振込用紙も入っている。

「青信号」は第一号の復刻版らしい。正確にはガリ版刷りではなかったが、開けてビックリ!読めない!!なにやらハングルでもなし、梵字でもなし。でも懐かしい諸先輩の名前があるので後で解読することにした。クリアホルダーはいくらあってもありがたいモノ。大切に使わせていただくとして、早速会費を送金しに郵便局へ行った。5000円を渡すと振込票を機械に入れていたが受け取りを出してくれた。今は手書きで処理はしないのでまたビックリ!「ありがとうございます」と言って澄ましているので「あのー手数料は?」と聞くと「受取人が支払うのでタダです」これにまたビックリ!年額2000円に上げた(これでも安いと思う)が、三年前払いだと6000円を5000円に値引きして、さらに送金手数料まで負担していただけるとは会員冥利に尽きるワイ、と感謝しながら帰途についた。

つくづく考えるに、世間的に70才を超えると活発な交友関係を持っているかどうかでその後の人生・健康が違ってくるそうだ。つまり、煩わしい利害や憎悪の交錯する付き合いではなく、趣味を中心にした気心の知れた交友関係は心身ともにいいそうである。であれば5000円の会費はなお安く思えてくる。
こう書けば20代、30代、40代の諸君は「なにを年寄り臭い!」と笑うだろうが、あと20年、30年、40年すれば諸君全員が年寄りになるのだ。そのとき会費を払い続けたことのありがたさに涙を流すこと間違いなしだ。この5000円は、会費ではなく健康(介護)保険の掛け金だと思って間違いがない!

「青信号第1号」に名前を連ねておられる大先輩が、そのとき以上の熱心さで今もデジ青に投稿されている有様は、デジ青健康(介護)保険説を証明するモノではないか?
どうか、若い会員諸氏も会費を払い続けるとともに投稿もしていただきたいと思う。

新しい役員諸氏におかれましては誠にご苦労なことと拝察しますが、介護費用の削減と、孤独な老人を一人でも減らすためにご助力をお願いして感謝の言葉とさせていただく。

こんなん、出てきました。昭和43年の上田丸子電鉄時刻表

 お堀の電車でデジ青が盛り上がってますが、信州上田城のお堀を走っていた頃の時刻表があります。それは昭和43年4月1日一部改補と書かれた時刻表です。

なんで、この時刻表があるかというと高校のクラブで信州へ行った時に別所温泉に行ったからです。温泉に入浴するためでなく、ここには全国で1つしかない木造八角三重塔があるからです。そして長野県で最初に国宝になっています。(昭和27年に指定)ということで丸窓電車は乗りましたが、お堀電車は乗らなかったのです。

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阪急「974」と「853」

阪急の「974」と「853」のガラクタです。

「974」は、名車920系の6次車で、1948年5月川崎車輛製の943~947 973~977の10両のうちの1両で、京阪神急行として戦後最初に投入された新製車です。ただ、資材調達の制約から、名目上ながら、戦災復旧もしくは、更新となっており、「974」は、京阪807となっています。末期には、944+969+939+974で組成され神戸線の支線伊丹線で活躍していたようです。

「853」は、当初700形として、1949年8月ナニワ工機で、700~704、750~754の10両が新製されたうちの1両で、ほどなく800形と改番されました。「853」は、1950年に開催されたアメリカ博覧会のPRのため、クリームとブルーの塗分けに塗装されたようです。末期には、803+967+937+853で組成され宝塚線の支線、箕面線で活躍していたようです。

「974」と「853」の阪急社紋を比べてみると、神戸の市章違いがあるのがわかります。

阪急京都線ファンだった、故羽村 宏先輩を偲んで

準特急さんの力作編『豪快に走り去った阪急710形』を読んで、ふと、当会の先輩である、故羽村 宏さんの作品掲載誌のことを思い出しました。それは、『関西の鉄道』第20号(1989年1月20日発行)に、乙訓の老人が中心になり寄稿した故羽村 宏さんの作品と共に、羽村さんを偲ぶ一文であります。

また準特急さんが先述作品のコメント蘭で述べられています。ピク誌663臨時増刊号(1998年12月)の『特集阪急電鉄』に羽村さん他DRFCメンバー撮影の写真が掲載されていたと。そうすると都合3度目になるようですが、デジ青には初めてです。

故羽村 宏さんの作品と羽村さんを偲ぶ一文を、乙訓の老人の許可を得て投稿します。なお作品は原画でなく、一文と共に『関西の鉄道』誌面のコピーです。画質が多少粗いようです。また画像の傾きなどは修正しておりません。表記も誌の通りです。

▼710系712+762の特急 高槻市 1956(昭和31)年7月
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信州上田城のお濠と電車

準特急様のリクエストにお応えして若干古い写真ではありますが投稿致します。先般の【90506】愛電デハ3080が起点となって瀬戸電、お濠の電車に話が拡がりました。お濠の電車と言えば 準特急殿がご指摘のように六文銭で名高き真田の城 上田城のお濠を走っていた上田丸子電鉄も欠かすことはできません。とは申しましても、私が撮っていますのは廃線跡だけです。

平成12年7月30日撮影 旧公園前駅ホーム跡。けやき並木が美しい。

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今年は花電車走らず

カープがセ・リーグの2連覇を果たし、今年も優勝パレードが行われることは以前から公表されていました。昨年は運よく花電車(貨51号)とパレードのツーショットを撮ることができ、【77393】で報告させて頂きました。昨年は11月5日に実施されましたが、今年はなぜか11月25日と3週間も遅い実施となりました。今年もきっと花電車を走らせてくれるものと信じて、早起きしてイソイソと広島に向かいました。広電さんも昨年の反省からか、しっかりと準備されていました。

カープ女子たちに電車を案内する広電社員   広島駅前にて

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同志社EVE始まります!

いつもお世話になっております。現役生渉外担当です。

明日11/26㈰より、今出川校地の文化祭「同志社EVE」が始まります。当会も大教室にてブースを展開しております。
詳細は以下の通りです。

第142回同志社EVE【鉄道同好会ブース】
(場所)
良心館104教室
(日時)
11/26㈰ 10時30分~19時
11/27㈪ 10時30分~19時
11/28㈫ 10時30分~16時
(おもな内容)
写真コンテスト,鉄道模型展示,プラレール展示,旅行班展示
また、会誌「青信号」最新刊74号も販売しております。

皆さまのお越しを現役生一同お待ちしております。
写真は昨年の様子です。

札幌市路面ディーゼルカー

湖畔の老人氏から札幌市交通局路面ディーゼルカーの写真が出た。電車なら出る幕はないが、事ディーゼルカーとあらば、この須磨老人が黙っている訳には参るまい。この異端ともいうべき一連のディーゼルカーに関しては、意外に情報がない、或いは知られていない、という訳で勝手に力んで、鋭意以下講釈に及ぶ。

時は1958年―ほぼ60年前にさかのぼる。ともかく元気だった札幌市は、人口増加が激しいだけでなく意気盛んだった。1950年代後半以降急速な都市化―市域拡大で、特に札幌駅前から函館本線をオーバークロスし、北の琴似に向かう鉄北線が1952年から1964年にかけて新琴似駅前に延長され続けた。この延長区間を電化せず、ディーゼルカーを運行すれば、変電所の増備が不要で、架線も電柱もないから都市景観上も、いいことだらけとして発案されたのがこの路面ディーゼルカーであった。

1958年2月12日「工事方法変更」が申請され、従来の動力「電気」に「内燃機関」が付加された。ほぼ従前通りの車体床下に最大出力150PSの日野DS40を装着し、トルコン、逆転機を経て、片側台車の2軸を駆動する。空気ドラムブレーキ、空気バネ、暖房用にはウエバストを備える。

建設費での比較では、路線(複線)1km当たり、停留場5か所、車輌4輌として、ディーゼル動車は1輌1,000万円、電車950万円、架線750万円、変電所1,300万円が不要になる代わり、給油設備に15万円、車庫修理工場800万円、修理設備560万円を要す。ランニングコストでは電車1km当たり8円78銭、ディーゼルカー13円80銭と1.57倍、減価償却でも耐用年数が短いため電車に対し1.07倍である。何やかやでトータル電車1億2,000万円に対し、ディーゼルカーなら9,535万円で済む、初年度の収益および資本収支では、ディーゼルカーが2,639万1,000円有利との「皮算用」ではあった。

試作車D1001 1959年ごろ 西4丁目 榎 陽撮影 スカートが全長にある 続きを読む

札幌市電

北の国から雪の便りがくる季節になりました。
1965年(昭和40年)3月にはるばる北海道へ行った時の記録です。
元々さほど路面電車に興味があったわけではなかったのですが、「札幌市電にはディーゼルカーがある」と聞き、興味本位で見に行きました。 続きを読む