運休が続いていました三江線三次・口羽間は2月22日、口羽・浜原間は2月24日に開通予定だそうです。以上
地図を携えて線路端を歩いた日々 -25-
こんなん、やってます。「帰るそなたの丹波市~JR桜井線の120年」展 奈良天理市
新聞にJR桜井線が京終・桜井間が開業して120年になるので天理市で展覧会が行われているので、昨日(2月17日)行ってきました。展覧会の題名が「帰るそなたの・・・」が天理らしいです。「丹波市」は「たんばいち」と読みます。兵庫県東北部にある丹波市(たんばし)とは違います。ややこしいい。ではどんな展覧会かといいますと、
上のパンフレットでご覧のような2月25日までの展覧会です。最終日の25日には午後2時から午後4時30分まで文化財講演会があります。「天理の近代化と桜井線」そして古墳と遺跡の調査報告です。興味のある方は行かれたらいかがでしょうか。
福井見聞録 2018年冬 雪景色を求て えちぜん鉄道 後編
1月14日 後編
▲ 11:58 福井駅に着きました。電車は折り返しますが勝山永平寺線、三国芦原線ともに運行区間は朝から変っていません。除雪は進んでいないようです。
※ 下の画像は上の画像から拡大トレミングしましたが、ハッキリ見えているのには驚きました。フルサイズのD800E(有効画素数 3630万画素)がミャンマーで壊れ修理のためドック入りなのでAPS-CのD500( 有効画素数 2088 万画素)使用なのですが、解像度に見た目の差はありません。
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三江線2題
まだ一部区間の運休が続く三江線ですが、余命1ケ月半となりました。中国新聞記事を2件ご紹介します。
JR西が広島、島根両県の6市町に総額17億5700万円の支援金を支払うことで合意したということです。市町別の配分額は未定。代替バスの10年分の予想赤字額8億円を負担しても鉄道を走らせるよりは負担が少ないというソロバン勘定なのでしょうが、切り捨てられる側にとってはやるせない話です。
地図を携えて線路端を歩いた日々 -24-
国鉄モハ52型
◆た~ちゃんの電車めぐり ⑮
青電スタイルで片側に扉が3ヵ所あった大型ボギー車、1000形も忘れられない電車です。昭和24年秋に登場した時、200人乗りと新聞で紹介されました。宝ヶ池競輪場へは元田中から叡電に乗り入れ直通運転をしました。チャンチャンの警鐘からパァーンの警笛に変わりました。動物園、植物園への遠足には子ども達を満載して走っていました。
汽車は貨物を運ぶために生まれましたが、電車は人を運ぶために生まれました。でも、それ以外の役割もしました。明治・大正期の都大路の大部分は未舗装で、乾燥した日は砂塵がもうもうと立ちこめます。そこで水撒き電車が造られ、堀川押小路では堀川、熊野神社下ル徳成橋畔では疏水から水を汲み上げていました。終戦直後まで夏場には水撒きする姿がありました。
部分運休続く三江線
地図を携えて線路端を歩いた日々 -23-
福井見聞録 2018年冬 雪景色を求て えちぜん鉄道 前編
青春18きっぷで行く予定だった福井ですが、直前で山陰乗り鉄旅と三江線撮り鉄旅に変更しました。雪景色の福井を求て2016年2月にも訪問しましたが、この年は積雪の少ない年で狙った写真にはならずリベンジを誓いました。毎日、天気予報を見ながら雪が降るのを待っていましたら三江線から帰って3日目に積もりだしたとニュースが出ました。これは行かなければとジパング倶楽部割引きっぷで行くことにしました。今回は日帰りの訪問です。
1月14日
長岡京 5:10⇒5:21 京都 5:30⇒6:38 米原 6:50⇒7:36 敦賀 7:41⇒8:37 福井
早朝4時には起きて朝食をとってから余裕を持って駅に向かいました。きっぷを発券するのに少し時間がかかるだろうと予測していましたが、一人でおられた女性駅員は、「5:30以降にならないと発券機が動かない。京都駅の精算窓口へ行って欲しい。」と、長岡京駅での乗車証明書を書いてくれました。
5:21 京都駅に到着後、精算窓口へ行きましたがこちらもまだ開いていません。5時半以降なのでしょうね。待つと電車に乗れなくなりますのできっぷなしで福井まで行くことにしました。
地図を携えて線路端を歩いた日々 -22-
客車廃車体訪問記 北海道編34 最終回
【豊富駅前】
オエ61 67 45.104986, 141.772305 1993年10月14日撮影
◆ナハ34631→ナハ22795→(1954年鋼体化改造 日支)マニ60 21→(電暖追設)マニ60 2021→(1978年改造 旭川)オエ61 67→1990年廃車。
種車はオリジナルのマニ60で若い番号である。いちばん前位寄りの窓に特徴がある。4位寄りの窓が1個埋められている。
履歴票によれば、自重29.2t(現車標記は29.0t)、荷重14t、台枠UF218(平台枠)、台車TR12、基本12t長軸、空気ブレーキAV、連結器柴田式、信越線通過の可否・可、また所属欄には、北見53.6.10(到着)、稚内61.11.11(到着)とある。
ぶんしゅうさんの【86706】(2017年7月23日)に最近の状況が掲載されている。補修を受けていない車体が痛々しい。恐らくこれが客車廃車体の北限であろう。
現役最後の地は稚内客貨車区で、【92218】オエ61 59の後任の救援車であった。
地図を携えて線路端を歩いた日々 -21-
「地図シリーズ」、前回紹介の北陸本線糸魚川~直江津からもう少し北、羽越本線を採り上げました。北陸本線と同じく日本海縦貫線の一翼を担いますが、初めて訪れた昭和44年時点でも、全区間が非電化で蒸機が活躍し、旅客用にはC57が健在で、その後も何度か訪れたものでした。優れた撮影地が各地にありましたが、とくに断崖絶壁、奇岩の佇立する“笹川流れ”を中心に紹介します。
▲270キロもある羽越本線の始発駅は新津。その新津駅の待合室で一泊したあと、始発の列車に乗って新津を出発した。まもなく見渡す限りの稲田が広がり、これが越後平野だと納得した。新幹線以外では、当時、日本一長かった阿賀野川橋梁に掛かるころ、朝陽が列車に反射し、睡眠不足も吹き飛んで、撮影意欲が湧いてきた。
計呂地の不思議
2018年2月5日【93286】で旧計呂地駅跡の茶色の客車2両を紹介しましたが、
堀 淳一『北海道 地図の中の廃線』亜璃西社p.103に、平成2(1990)年9月に著者が旧計呂地駅跡を訪問した時の様子として
「ホーム側にまわってみたら、ホーム、枕木、レールが三拍子そろってまだ残っているばかりか、ダークブルー一色の古くなつかしい旧型客車のスハ形とオハ形車両が二両連結されてホームに着いていた。またホームの前後には、信号柱や踏切の柱やレールの分岐器なども残されていた(ここは『計呂地交通公園』となっているそうだ)。」
と記述があります。計呂地の旧駅舎も残存していたそうです。
ということは、30年近く前に「ダークブルー一色」の時期があったことになります。
また、何故かC58 139の記述が無いのが不思議です。鉄道友の会『RAILFAN』1989年№428 別冊:保存車・廃車体一覧1、同1992年№466によれば3両とも旧計呂地駅跡で保存されていることになっています。
どなたか、この件についてご教示いただけませんでしょうか。
国鉄特急型189系引退間近
表題のような情報があちこちで流れている。米手作市さんご紹介の散歩道の国電は吊り掛け車であり確かに古く、よく言えば懐かしい電車である。私など未だに101系以降151系も153系も新型電車と思っている。しかし、あれからもう60年も経った今、国鉄時代に登場した車両はほとんど姿を消しているのが現実である。今回の189系も然りである。先月中旬のことであるがNHKテレビでJR東日本豊田電車区の189系3編成の引退が報じられた。3編成とは旧あずさ色のM50、国鉄色(151系こだまやキハ82系の色)のM51、グレードアップあずさ色M52でテレビ報道ではM50編成が解体のため長野ヘ向かうと報じられた。残った2編成も3月17日の改正以降は運用の話がなく廃車されるものと思われるが最後にお別れ列車として走るとのことである。3月17日に行われるDRFC関東遠征旅行の時には間に合わない。
それでは3編成を順にご紹介する。
今回先に廃車されたM50編成。
日光線に修学旅行で使われた姿。 2017.06.16 日光-今市 上りM50 189-14 ▼
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散歩道で見つけました6
東海道線の国電
河 昭一郎様には申し訳ないのですが、旧型国電(と言うのかも知りませんが・・)終末期は京都駅に毎日通っていて見ていました。しかし、興味が無いというのは恐ろしいものでほとんど写真を撮っておりません。藤田さんの作品を見ていて全てに見覚えがあります。というより乗っていました。クロハにも乗りましたし廃止時も覚えております。でも写真が無いのです。
で、今回国電を投稿するに際して、どれが貴重なのか、どこが違うのかさえ分かりません。客車や気動車を「電車」という若い衆と同じです。それ以下かもしれません。後悔至極であります。ですから写真の解説はできませんので前回同様お助けください。
青春18きっぷの旅 2018年 雪の三江線へ Part3 最後の運行日になるのか?
西村さんから三江線は1月11日から全線・部分運休され、復旧のめどはたっていないとの記事の投稿がありました。私が今冬訪問したのは運休が始まる前日の1月10日でした。まだ廃止日まで十分な日数がありますのでもう一度、乗り鉄・撮り鉄に参るつもりで待機していますが、このまま廃止日まで運休が続くとなると最後の運行日になるのかもしれません。当日は朝からレンタカーを借りて走り回りました。ご覧ください。
第3日目 1月10日(水)
今日は朝8時からレンタカーを借りて自宅への最終列車が出るまで撮りまくろうと6時に目覚ましをセットしました。
6:00 三次発の始発は既に発車していきましたが夜明け前では撮りようがありません。ホテルの窓から見送ってから、レストランで朝食です。
▲ 7:41 撮影地 尾関山~三次 アルファイン三次10階、屋内から
ようやく夜が明けてきました。浜原発三次行きの一番列車421Dが小雪降る中、馬洗川橋梁を渡ってきます。
【DATA 】NikonD500、150㎜、F5.6、1/500秒、ISO800
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客車廃車体訪問記 北海道編33
【丸瀬布いこいの森】
スハ43 703 43.930536, 143.334588 2017年10月8日撮影
◆スハ43 324(1953年新製 日支)→1966年近代化改造 後藤工→(1973年改造 旭川車セ)スハ43 503→(1976年改番)スハ43 703→1983年廃車。
言わずと知れた雨宮21号が走る線路(画面左鉄橋)のすぐ近く、駐車場前に鎮座している。充分過ぎるくらいの上屋があり良い状態で保存されている(893-2さんの2016年11月23日【78113】に少し写っている)。3連休の中日で天気も良くさすがに人と車が多かった。
C56お召と機関車のペンキ書き
西村雅幸さんの2月7日[93389]「Carp油津駅新旧」に1900生さんがコメントされ、その内容に関係のありそうなC56のお召と順法闘争落書き機関車を見つけてきたので発表する。C5691、C5692は1972年(昭和47年)10月20日に運転されたが、私のは最後のお召蒸機となったC57117と同じ宮崎植樹祭の時のC11200+C5692であり、同型機ではなく異形式重連であった。撮影は1973年(昭和48年)4月10日である。












