2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part1 旅立ち

[googlemap lat=”44.707706221835345″ lng=”26.12548828125″ align=”center” width=”550px” height=”320px” zoom=”5″ type=”G_NORMAL_MAP”]ルーマニア[/googlemap]
昨年9月にO氏よりルーマニアナロー森林鉄道の蒸気機関車撮影の企画があるが参加しないかとのお誘いをいただきました。昨年春はボスニア・ヘルツェゴビナの蒸気機関車を追いかけました。折角のお誘いです。ネットで調べてみますとルーマニア鉄道にはフランスからの博物館行き同然の古いDC、また各都市では古いトラムも走っています。蒸気機関車以外でも面白そうな物がたくさんあります。元気なうちに行ってみるかなと、ご同行させていただく事にしました。
いつものようにツアー前後は一人旅でルーマニアハンガリー鉄道の乗り鉄旅を満屈する事にしました。現地の言葉はルーマニア語で全く分かりません。加えて列車の切符はネット予約不可で現地に着いてからのぶっつけ本番です。昨年、バルカン諸国を回ったのと状況は同様ですが、何とかなるだろうと大体の予定を決めてホテルだけは駅前に予約しました。

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ダイヤモンド富士

世界遺産に登録された影響か最近の富士山は人気があるようで富士急の株も急上昇した。ところで富士山の頂上に太陽が沈むところを写真に撮るのが流行っているようでダイヤモンド富士というらしい。私もその真似事を自宅近くの京王相模原線南大沢~京王堀之内間で試みた。もともとカメラの知識に乏しく腕も悪いので失敗となったがその時の結果を御笑覧下され。

2015.2.17日経新聞▼s-IMG_edited-2

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国鉄阪和線モタ3000系

タイトルの「国鉄阪和線モタ3000系」は正しいのか?という疑問はさておき、昭和40年5月に鳳電車区へEF52とED16、ED60を撮影に行きました。残念ながら電車に興味がなかったためほとんど電車の写真は撮っていませんでしたが、それでも数枚はありました。

でも形式が分かりませんので、クハ25111がモタ3000系の仲間なのか教えて下さい。その他の怪しい電車に関してもご存じの方、よろしくお願い致します。

阪和モタ3000_NEW 阪和モタ3000(文)_NEW
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四大学合同写真展 続報

同志社大学鉄道同好会、関西学院大学鉄道研究会、立命館大学鉄道研究会、関西大学鉄道研究会の現役生有志による合同写真展が来月大阪で開催されます。

今回の写真展のきっかけは、現役の関西学院大学鉄道研究会さんが2013年に復活したことだそうです。企画者であるDRFCの寺田君をはじめ、4大学の熱き思いが今回の写真展開催につながったのだと思います。

デジ青をご覧の皆様、大阪にお越しの際はぜひお立ち寄りください。

【四大学鉄研合同鉄道写真展】
・開催期間:2015(平成27)年3月11日(水)~16日(月)
・開催時間:12時~20時(初日は13時から、最終日は17時まで)
・入場無料
・会場:大阪・ギャラリーイロリムラ86画廊(http://www7.ocn.ne.jp/~irori-05/
*館内にエレベーターはないとのことです。ご留意ください。
・会場への交通:地下鉄谷町線 中崎町駅1番出口より徒歩2分

同志社大学鉄道同好会公式ホームページ:http://drfc.blog54.fc2.com/blog-entry-200.html

同志社大学鉄道同好会公式Facebook:
https://ja-jp.facebook.com/doutetsuDRFC

保存蒸機とその現役時代(34)C11244に寄せて

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          昭和49年9月16日撮影

準特急先輩より1月27日【55451】で会津柳津駅前に保存されているC11244が紹介されたが、何となく気になるナンバーであり、記憶を辿ってみた。

昭和49年のゴールデンウィークのこと、京都を「きたぐに」で出発し、長岡で信越本線の旧形国電、越後交通栃尾線、長岡線を撮影後、加茂から蒲原鉄道を訪れ、五泉で会津若松まで行く最終列車に乗り、上野行夜行急行「ばんだい6号」に乗車、郡山駅で仮眠をして上野発夜行「あづま」2号で仙台入りした。
仙石線と市電を撮影後、磐越西線の川桁で宿泊して、翌朝の一番列車で喜多方に行った。
この日の目的は日中線の乗車と撮影であったようである。
朝の列車には間に合わず、次の列車は夕方の16時4分で、日中の運行は無い。
当時1時間に1本程度運行されていた喜多方~会津坂下間のバスで会津坂下に行った。この区間は鉄道はU字形に迂回するのに対し、バスは最短距離で結ぶため所要時間、運賃ともに優位であった。

会津坂下に行っても只見線は列車本数が多い訳でもなく、その辺をブラブラしていると、貨物列車が来る時間でもないのに汽笛が聞こえ、門デフのC11254とC11244の重連がやってきた。
C11244は綺麗に整備されていたが無火であった。暫く停車後只見方面に発車して行き、暫くするとC11254が単機で戻ってきた。

バスで喜多方に戻り、夕方の日中線の列車で熱塩に行き、発車を撮影。最終列車で喜多方に戻り、会津若松から上野行夜行急行「ばんだい6号」に乗車、翌日は青梅線と南武線の稲城長沼で撮影後、新幹線で帰京した。
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JFEスチール西日本製鉄所専用線

JR山陽本線東福山駅から分岐してJFEスチール西日本製鉄所に向かう専用線があります。この製鉄所は以前日本鋼管福山製鉄所でしたが、水島にある川崎製鉄と合併して現在に至っています。また専用鉄道は福山臨海鉄道と呼ばれた時期もあったように思います。この専用線の役割は同製鉄所で作られるレールの輸送です。今朝の中国新聞にこの製鉄所で作られているレールについての記事が載っていました。

2015-2-13 中国新聞朝刊

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「カウントダウン京成3300」に寄せて

藤本哲男氏の「カウントダウンを迎えた京成電鉄3300型」のなかで金町線の写真がでてきます。これにひっかけて 昨年夏に私が柴又を訪ねた際のヒトコマをご紹介します。私は京成電鉄のことは全く素人で(正直 あまり興味もないのですが)、なぜ柴又を訪ねたかというと「寅さん」です。寅さんというと葛飾柴又、葛飾柴又というと寅さんです。今は亡き渥美清主演の「男はつらいよ」シリーズは 昭和44年の第1作に始まり、平成7年まで48作が作られました。数年前NHK BSで全作が放映され 結局全作を見てしまいました。なぜそんなにひきつけられたかと言うと、山田洋次監督のこだわりでもある鉄道風景を見るのが楽しみだったからです。48作には数作海外ロケもありますが、基本的には国内ロケであり ロケが行われなかったのは富山県と埼玉県だけだそうで、寅さんは全国各地を旅しています。昭和44年が第1作ですから、地方線区ではまだ蒸機列車、客車列車が活躍していた時代です。我々が学生時代に見なれた風景がよみがえります。美しいカラー映像で各地の鉄道風景が見られるこのシリーズは貴重な記録映像だと思って見ていました。そしてもうひとつ 必ず出てくるシーンが柴又駅で寅さんやマドンナが電車に乗って出発してゆくシーンです。何度も柴又駅のシーンを見ていたため、現在の柴又駅はどうなっているのだろうと思うようになり、一度訪ねてみたいと思ったわけです。

柴又駅改札口風景

柴又駅改札口風景  40年以上を経て自動改札になってはいるが雰囲気は同じ

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カウントダウンを迎えた京成電鉄モハ3300形

26-10-30
柴又で交換する3304編成と3344編成 (平成26年10月30日)

京成電鉄3000形3030編成(8両)が1月28日から29日にかけて日本車輌から総合車両製作所に甲種輸送された。
3029編成についても間もなく完成するものと思われるが、この2編成16両と引き換えにモハ3300形16両が廃車される予定である。
モハ3300形は、昭和43年から47年に54両新製されたが、平成19年から廃車が始まり、現在稼働しているのは下記の16両である。

←上野 3304+3303+3302+3301

    3344+3343+3334+3333

    3308+3307+3306+3305(7264+7263+7262+7261)

    3316+3315+3314+3313(7268+7267+7266+7265)

3308編成と3316編成は北総鉄道にリースしており、( )のは北総鉄道での車号である。

編成単位に解説する。
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2014~2015年 凍える大地への旅 Part19 大連路面電車(トラム)、帰国

DSC_2263_135200m級の高層ビルがあちこちで建築中の大連を走る路面電車、満州国建国時には想像だに出来なかった発展の中を走ります。当時に製造された路面電車と最新のLRTが同じ路線を走っているのを見るのは路面電車ファンとして引きつけられます。いつまでも続いて欲しいと思いながらの訪問です。

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part18 長春軽軌、長春→大連

DSC_2032_147▲ 15:35 3号線との4号線乗換の卫星路站です。軽軌と呼ぶにふさわしい立派な駅舎とホームですが、到着・入線してくるのは低床式のLRTです。中国各地には軽軌が開業していますが、近郊電車との位置づけで走行しているのは一般の鉄道車両タイプです。このように路面電車が走っているのは長春軽軌のみです。

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大津市歴史博物館企画展「江若鉄道の思い出」

img359 img360DRFCクローバー会会員の皆様にはすでにお知らせしております。大津市歴史博物館企画展「江若鉄道の思い出」展のポスターができましたので、再度ご案内いたします。

西村雅幸氏製作の浜大津他江若鉄道のジオラマ、福田静二氏の写真などが展示の中心となり、3月14日には「江若、最後の二日間を追って」と題して福田静二氏の講演会が開かれ、すでに多くの方から参加の御連絡を頂いています。是非お越しください。また、これに合わせ懇親会も計画しております。

2014~2015年 凍える大地への旅 Part17 長春路面電車(トラム)その2

DSC_1895_127▲ Part16で酷評した900型。-40℃対応の路面電車としての評価はできますが、期待していた低床式でないのでガッカリです。46両が投入されて54・55系統の全車が置き換わっています。このため旧型車両の殆どは廃車となりました。車内は2002年に試作投入された809型と内部はほぼ同じで代わり映えせず、進化はありません。

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国鉄モハ54003~005

今週初めから数十年ぶりのインフルエンザにかかり寝込んでいました。
今は、全てを妻にうつして快癒致しましたのでご安心下さい。

さて、この車両は、電車オンチの私でも知っています。乗ったこともありまして写真も持っていると思いますが、さて探して見つかるか・・・

どなたか、現役時の写真がありましたら見せて下さい。
国鉄モハ54003~005_NEW 国鉄モハ54003~005(文)_NEW

 

2014~2015年 凍える大地への旅 Part16 長春路面電車(トラム)その1

DSC_1783_112▲ 冬枯れの白くなった軌道を長春路面電車54号系統の新型車両900型が走ります。この54号系統が走行する路線は日本統治下時代に建設されました。殆どが廃線となりましたが唯一残っている路線です。2005年訪問時には日本車両名古屋で製造された路面電車が更新されてまだ元気に走っていました。

前回訪問したのは2012年11月17日でした。その時は全ての車両が走行路線に置かれ再開業なる日を静かに待っていました。その前の5月に来た時は全車元気に稼動していましたのでなぜに運休しているのかと驚きでした。ただトラムが走っていた専用軌道横の広い道路は高架橋の建築工事が始まっていました。車庫も立て直し中でしたので、道路工事が済むまでは当分運行されるのは無理だなと思い、以降そのままになっていました。

以降4回の訪中の際に何度か長春站に降り立つ事がありましたが乗り継ぎばかりで訪問する機会はありませんでした。どうなったのだろうと思い今回の訪中前に調べてみますと新型車両が投入されている。また哈大高速鉄道の開業により新設された長春西站への延伸線も開業したとのネット情報を見ました。これは是非に見に行かなければと機会を作りました。

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備後備中に消えた鉄道を訪ねて その3 ~もう少し井笠 野上式弾機装置でお付き合いを~

 2カ月余りのご無沙汰です。前回の投稿が昨年の12月12日であるから間もなく2カ月になる。いよいよ笠岡から鞆鉄道の資料があるかもしれない田尻民俗資料館へと話は進むはずであったが、もう少しだけ井笠でお付き合いを

 湯口先輩のコメントで、ホハ1の台車に野上式弾機装置(弾機とはバネのこと)が組み込まれたものとわかった。この野上式弾機台車については「鉄道史料109号、121号」に湯口先輩が詳しく書かれている。これについては私も興味があるので、どんなものか少し考えてみたい。

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part15 延吉⇒長春

第13日目 1月7日

部屋に朝日が差し込む眩い朝を迎えました。今日、小竹先生は開山屯を再取材したいと言っておられました。一方の私は上手くいかない時は何か分からないが理由があるかも・・、こんな時は無理をしない方が良いだろう主義です。明日は長春で頑張らねばいけません。今日は一日ゆっくりしようとホテルの部屋で静かに過ごす事にしました。
DSCN7694_1▲ 8:50 宿泊しているホテルには朝食サービスがありません。駅前食堂に行っての朝食です。今日はワンタンを美味しくいただきました。
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2015台湾の旅

新春早々1月9日から14日まで台湾に行って来ました。昨年とほぼ同じ日程、この頃の台湾は特に中部から南は天候も安定し、暖かく、日本の4月中ごろの陽気でしょうか、今回は昨年の台湾行きで初めてお会いしたクモハ73106東ウラ様と、M田会のO原様のお二人と御一緒させて頂きました。
台湾にはいろんな人が行かれ、紀行を投稿されているので、重複しない部分について報告させて頂きます。
枋山
1月9日の夜、高雄のホテルで皆さんと合流、夕食をとりながら、明日からの計画を確認しました。翌10日は南回り鉄路の撮影、私は始めての撮影なので皆さんの後をついて行く事にしました。高雄から自強号に乗って1時間余り、枋寮で降りてまず駅近くの高雄寄り踏み切りで客車区間車を撮った後、バスで枋山に向かいました。台湾ではどのバスもそうなのですが、バス停に書いている時刻表はその停留所に来る時間ではなく、始発のバス停を発車する時間しか出ていません。更に、始発からの所要時間が出てないので結局いつ来るのかわからず、土地に不慣れなものは時刻表見ても運転間隔からおおよその待ち時間を推測するしかありません。幸運にも数分待ってバスがやってきました。約20分の乗車で枋山のバス停に到着、枋山駅は1日に上下2本しか停まらない無人駅なので、バスは駅には寄らず、バス停は省道1号線沿いにあります。IMG_1649k

↑ 台湾最南端の枋山駅

坂を登ってたっぷり20分歩いてやっと枋山駅に到着しました。駅は高台で東シナ海をバックに雄大な景色が広がります。駅周辺にはいくつかの撮影スポットがあり4時間あまりの間にバラエティーに富んだ上下10本の列車を撮影することができました。 続きを読む

2014~2015年 凍える大地への旅 Part14 中ロ朝国境見聞録その3 図們鉄路大橋

東亜日報2015年1月5日の記事によると、「脱営兵と見られる北朝鮮兵士(26)が、拳銃を盗んで中国との国境地帯の吉林省の村に侵入して強盗をはたらき、朝鮮族の住民4人を殺害した事件が起こった。犯人は、中国軍と警察の銃弾を受けて逮捕され、意識不明だという。北朝鮮は事件直後、国境部隊を再配備した。
中国の消息筋によると、犯人は昨年12月27日午後7時30分頃、拳銃を持って豆満江(トゥマンガン)沿岸の和龍市南坪鎮南坪村の朝鮮族住民ホさん(60)の家に侵入し、庭にいたホさんと台所にいたホさん妻を順に射殺した。さらに隣家のイさん(70)宅にも押し入り、拳銃でイさん夫妻の頭を殴って殺害した。チャさん(70)の家では、1人でいたチャさんを脅し、100人民元(約2,000円)を奪い、食事までして逃げた。また、漢族住民の家には入っただけで出てきたという。
中略)中国のメディアは、4人の自国民が北朝鮮兵士の銃弾で死亡した事件について一切報道していない。」

昨夕、この事件勃発によって我々は国境警備兵の検問に引っかかり、予定を大きく変更せざるを得なくなり、国境線の南下を諦めました。

DSC_1691_103▲ 12:45 南阳图们鉄路橋を眼下に見える新たに建設された展望台に戻っての俯瞰撮影です。昨日とは天気は一転し、遠くどこまでも良く見えますが、肝心の国際列車は、今日は運休でした。
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2014~2015年 凍える大地への旅 Part13 中ロ朝国境見聞録その2 琿春図們橋、南陽図們橋、三峰橋、検問に引っかかる

第11日目 1月5日

7:30 今日は昨日来た道を図們まで戻り豆満江の上流を目指して、中朝国境沿いを南下します。ナローゲージに走る鉄路が俯瞰できる場所を紹介しますとの小竹先生のお言葉にナローファンとしては楽しみに出発しました。
01_地図03_1▲ 赤線が今日の走行移動軌跡です。南坪から下が目的地なのですが直前で和龍に向かっています。その訳は・・、予想だにしない事件が発生しました。
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1962年合宿と峠の釜めし-半世紀前-

1962年9月5、6、7日、信越線碓氷峠の合同撮影会とテント持参の合宿が開催された。5日の撮影会の後、碓氷湖畔にテントを3張り、夜を過ごすつもりだったが、夜来の大雨でとてもテントは持ちこたえられず、湖畔のボート小屋に頼み込んで一夜を過ごしたものです。

▼翌朝、雨も上がった小屋のテーブルと椅子を拝借、朝食事の模様。1962.9.6
写真右から岩波君、吉田君、中林君、別所君、鶴君、魚住君の面々。   05613
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