「カウントダウン京成3300」に寄せて

藤本哲男氏の「カウントダウンを迎えた京成電鉄3300型」のなかで金町線の写真がでてきます。これにひっかけて 昨年夏に私が柴又を訪ねた際のヒトコマをご紹介します。私は京成電鉄のことは全く素人で(正直 あまり興味もないのですが)、なぜ柴又を訪ねたかというと「寅さん」です。寅さんというと葛飾柴又、葛飾柴又というと寅さんです。今は亡き渥美清主演の「男はつらいよ」シリーズは 昭和44年の第1作に始まり、平成7年まで48作が作られました。数年前NHK BSで全作が放映され 結局全作を見てしまいました。なぜそんなにひきつけられたかと言うと、山田洋次監督のこだわりでもある鉄道風景を見るのが楽しみだったからです。48作には数作海外ロケもありますが、基本的には国内ロケであり ロケが行われなかったのは富山県と埼玉県だけだそうで、寅さんは全国各地を旅しています。昭和44年が第1作ですから、地方線区ではまだ蒸機列車、客車列車が活躍していた時代です。我々が学生時代に見なれた風景がよみがえります。美しいカラー映像で各地の鉄道風景が見られるこのシリーズは貴重な記録映像だと思って見ていました。そしてもうひとつ 必ず出てくるシーンが柴又駅で寅さんやマドンナが電車に乗って出発してゆくシーンです。何度も柴又駅のシーンを見ていたため、現在の柴又駅はどうなっているのだろうと思うようになり、一度訪ねてみたいと思ったわけです。

柴又駅改札口風景

柴又駅改札口風景  40年以上を経て自動改札になってはいるが雰囲気は同じ

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カウントダウンを迎えた京成電鉄モハ3300形

26-10-30
柴又で交換する3304編成と3344編成 (平成26年10月30日)

京成電鉄3000形3030編成(8両)が1月28日から29日にかけて日本車輌から総合車両製作所に甲種輸送された。
3029編成についても間もなく完成するものと思われるが、この2編成16両と引き換えにモハ3300形16両が廃車される予定である。
モハ3300形は、昭和43年から47年に54両新製されたが、平成19年から廃車が始まり、現在稼働しているのは下記の16両である。

←上野 3304+3303+3302+3301

    3344+3343+3334+3333

    3308+3307+3306+3305(7264+7263+7262+7261)

    3316+3315+3314+3313(7268+7267+7266+7265)

3308編成と3316編成は北総鉄道にリースしており、( )のは北総鉄道での車号である。

編成単位に解説する。
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2014~2015年 凍える大地への旅 Part19 大連路面電車(トラム)、帰国

DSC_2263_135200m級の高層ビルがあちこちで建築中の大連を走る路面電車、満州国建国時には想像だに出来なかった発展の中を走ります。当時に製造された路面電車と最新のLRTが同じ路線を走っているのを見るのは路面電車ファンとして引きつけられます。いつまでも続いて欲しいと思いながらの訪問です。

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part18 長春軽軌、長春→大連

DSC_2032_147▲ 15:35 3号線との4号線乗換の卫星路站です。軽軌と呼ぶにふさわしい立派な駅舎とホームですが、到着・入線してくるのは低床式のLRTです。中国各地には軽軌が開業していますが、近郊電車との位置づけで走行しているのは一般の鉄道車両タイプです。このように路面電車が走っているのは長春軽軌のみです。

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大津市歴史博物館企画展「江若鉄道の思い出」

img359 img360DRFCクローバー会会員の皆様にはすでにお知らせしております。大津市歴史博物館企画展「江若鉄道の思い出」展のポスターができましたので、再度ご案内いたします。

西村雅幸氏製作の浜大津他江若鉄道のジオラマ、福田静二氏の写真などが展示の中心となり、3月14日には「江若、最後の二日間を追って」と題して福田静二氏の講演会が開かれ、すでに多くの方から参加の御連絡を頂いています。是非お越しください。また、これに合わせ懇親会も計画しております。

2014~2015年 凍える大地への旅 Part17 長春路面電車(トラム)その2

DSC_1895_127▲ Part16で酷評した900型。-40℃対応の路面電車としての評価はできますが、期待していた低床式でないのでガッカリです。46両が投入されて54・55系統の全車が置き換わっています。このため旧型車両の殆どは廃車となりました。車内は2002年に試作投入された809型と内部はほぼ同じで代わり映えせず、進化はありません。

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国鉄モハ54003~005

今週初めから数十年ぶりのインフルエンザにかかり寝込んでいました。
今は、全てを妻にうつして快癒致しましたのでご安心下さい。

さて、この車両は、電車オンチの私でも知っています。乗ったこともありまして写真も持っていると思いますが、さて探して見つかるか・・・

どなたか、現役時の写真がありましたら見せて下さい。
国鉄モハ54003~005_NEW 国鉄モハ54003~005(文)_NEW

 

2014~2015年 凍える大地への旅 Part16 長春路面電車(トラム)その1

DSC_1783_112▲ 冬枯れの白くなった軌道を長春路面電車54号系統の新型車両900型が走ります。この54号系統が走行する路線は日本統治下時代に建設されました。殆どが廃線となりましたが唯一残っている路線です。2005年訪問時には日本車両名古屋で製造された路面電車が更新されてまだ元気に走っていました。

前回訪問したのは2012年11月17日でした。その時は全ての車両が走行路線に置かれ再開業なる日を静かに待っていました。その前の5月に来た時は全車元気に稼動していましたのでなぜに運休しているのかと驚きでした。ただトラムが走っていた専用軌道横の広い道路は高架橋の建築工事が始まっていました。車庫も立て直し中でしたので、道路工事が済むまでは当分運行されるのは無理だなと思い、以降そのままになっていました。

以降4回の訪中の際に何度か長春站に降り立つ事がありましたが乗り継ぎばかりで訪問する機会はありませんでした。どうなったのだろうと思い今回の訪中前に調べてみますと新型車両が投入されている。また哈大高速鉄道の開業により新設された長春西站への延伸線も開業したとのネット情報を見ました。これは是非に見に行かなければと機会を作りました。

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備後備中に消えた鉄道を訪ねて その3 ~もう少し井笠 野上式弾機装置でお付き合いを~

 2カ月余りのご無沙汰です。前回の投稿が昨年の12月12日であるから間もなく2カ月になる。いよいよ笠岡から鞆鉄道の資料があるかもしれない田尻民俗資料館へと話は進むはずであったが、もう少しだけ井笠でお付き合いを

 湯口先輩のコメントで、ホハ1の台車に野上式弾機装置(弾機とはバネのこと)が組み込まれたものとわかった。この野上式弾機台車については「鉄道史料109号、121号」に湯口先輩が詳しく書かれている。これについては私も興味があるので、どんなものか少し考えてみたい。

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part15 延吉⇒長春

第13日目 1月7日

部屋に朝日が差し込む眩い朝を迎えました。今日、小竹先生は開山屯を再取材したいと言っておられました。一方の私は上手くいかない時は何か分からないが理由があるかも・・、こんな時は無理をしない方が良いだろう主義です。明日は長春で頑張らねばいけません。今日は一日ゆっくりしようとホテルの部屋で静かに過ごす事にしました。
DSCN7694_1▲ 8:50 宿泊しているホテルには朝食サービスがありません。駅前食堂に行っての朝食です。今日はワンタンを美味しくいただきました。
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2015台湾の旅

新春早々1月9日から14日まで台湾に行って来ました。昨年とほぼ同じ日程、この頃の台湾は特に中部から南は天候も安定し、暖かく、日本の4月中ごろの陽気でしょうか、今回は昨年の台湾行きで初めてお会いしたクモハ73106東ウラ様と、M田会のO原様のお二人と御一緒させて頂きました。
台湾にはいろんな人が行かれ、紀行を投稿されているので、重複しない部分について報告させて頂きます。
枋山
1月9日の夜、高雄のホテルで皆さんと合流、夕食をとりながら、明日からの計画を確認しました。翌10日は南回り鉄路の撮影、私は始めての撮影なので皆さんの後をついて行く事にしました。高雄から自強号に乗って1時間余り、枋寮で降りてまず駅近くの高雄寄り踏み切りで客車区間車を撮った後、バスで枋山に向かいました。台湾ではどのバスもそうなのですが、バス停に書いている時刻表はその停留所に来る時間ではなく、始発のバス停を発車する時間しか出ていません。更に、始発からの所要時間が出てないので結局いつ来るのかわからず、土地に不慣れなものは時刻表見ても運転間隔からおおよその待ち時間を推測するしかありません。幸運にも数分待ってバスがやってきました。約20分の乗車で枋山のバス停に到着、枋山駅は1日に上下2本しか停まらない無人駅なので、バスは駅には寄らず、バス停は省道1号線沿いにあります。IMG_1649k

↑ 台湾最南端の枋山駅

坂を登ってたっぷり20分歩いてやっと枋山駅に到着しました。駅は高台で東シナ海をバックに雄大な景色が広がります。駅周辺にはいくつかの撮影スポットがあり4時間あまりの間にバラエティーに富んだ上下10本の列車を撮影することができました。 続きを読む

2014~2015年 凍える大地への旅 Part14 中ロ朝国境見聞録その3 図們鉄路大橋

東亜日報2015年1月5日の記事によると、「脱営兵と見られる北朝鮮兵士(26)が、拳銃を盗んで中国との国境地帯の吉林省の村に侵入して強盗をはたらき、朝鮮族の住民4人を殺害した事件が起こった。犯人は、中国軍と警察の銃弾を受けて逮捕され、意識不明だという。北朝鮮は事件直後、国境部隊を再配備した。
中国の消息筋によると、犯人は昨年12月27日午後7時30分頃、拳銃を持って豆満江(トゥマンガン)沿岸の和龍市南坪鎮南坪村の朝鮮族住民ホさん(60)の家に侵入し、庭にいたホさんと台所にいたホさん妻を順に射殺した。さらに隣家のイさん(70)宅にも押し入り、拳銃でイさん夫妻の頭を殴って殺害した。チャさん(70)の家では、1人でいたチャさんを脅し、100人民元(約2,000円)を奪い、食事までして逃げた。また、漢族住民の家には入っただけで出てきたという。
中略)中国のメディアは、4人の自国民が北朝鮮兵士の銃弾で死亡した事件について一切報道していない。」

昨夕、この事件勃発によって我々は国境警備兵の検問に引っかかり、予定を大きく変更せざるを得なくなり、国境線の南下を諦めました。

DSC_1691_103▲ 12:45 南阳图们鉄路橋を眼下に見える新たに建設された展望台に戻っての俯瞰撮影です。昨日とは天気は一転し、遠くどこまでも良く見えますが、肝心の国際列車は、今日は運休でした。
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2014~2015年 凍える大地への旅 Part13 中ロ朝国境見聞録その2 琿春図們橋、南陽図們橋、三峰橋、検問に引っかかる

第11日目 1月5日

7:30 今日は昨日来た道を図們まで戻り豆満江の上流を目指して、中朝国境沿いを南下します。ナローゲージに走る鉄路が俯瞰できる場所を紹介しますとの小竹先生のお言葉にナローファンとしては楽しみに出発しました。
01_地図03_1▲ 赤線が今日の走行移動軌跡です。南坪から下が目的地なのですが直前で和龍に向かっています。その訳は・・、予想だにしない事件が発生しました。
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1962年合宿と峠の釜めし-半世紀前-

1962年9月5、6、7日、信越線碓氷峠の合同撮影会とテント持参の合宿が開催された。5日の撮影会の後、碓氷湖畔にテントを3張り、夜を過ごすつもりだったが、夜来の大雨でとてもテントは持ちこたえられず、湖畔のボート小屋に頼み込んで一夜を過ごしたものです。

▼翌朝、雨も上がった小屋のテーブルと椅子を拝借、朝食事の模様。1962.9.6
写真右から岩波君、吉田君、中林君、別所君、鶴君、魚住君の面々。   05613
05613 続きを読む

2014~2015年 凍える大地への旅 Part12 中ロ朝国境見聞録その1 琿春の3国国境 朝俄鉄路大橋

DSC_1486_120▲ 13:42 中国・ロシア・北朝鮮、3国国境の見渡せる展望台(龙虎閣)に上がって滅多に走る事はないであろうロシア・北朝鮮国境に架かる橋を見ていましたら、それは突然にやってきました。慌てて小竹先生を呼んでの撮影です。DL、客車とも北朝鮮所属と思われます。霞みかかる中、ゆっくりと鉄橋を渡ってきました。
まさかこれが撮れるとは・・、幸運としか言いようがないショットでした。この图们江(防川)に架かる朝俄铁路大桥(俄はロシアの意味)は、戦後の1983年8月8日に完成しています。長さは650mの鉄路橋です。
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信越線・横川-熊ノ平間(2) -半世紀前-

前回に続いてDRFC合宿中に撮影した写真です。
始めは、熊ノ平-丸山(信)間の第3橋梁を行くED42です。

この碓氷線には18の橋が架かっていますが、碓氷川に架けられたこの第3橋梁が最大の橋です。全長90.8m、高さ31.4mのレンガアーチ橋で、建築師長・ボーナルの設計による。レンガ202万8000個、セメント2,720樽を使用。”めがね橋”の愛称で呼ばれ、1993年には国の重要文化財に指定された(『越境のドラマ!』鉄道博物館刊行より引用)。他にレンガ造りのアーチ橋がもう一つ、中尾川に架かる第13橋梁(中尾橋)が存在しました。

▼上り(峠を下る)DC急行列車と本務機ED421、一補、二補。 1962.9.6  05627 05627 続きを読む

保存蒸機とその現役時代(34)

保存機久し振りの投稿でC11とする。

只見線会津柳津駅前保存のC11244

1943年5月 日本車両 製番1172  新製後大館、秋田、青森を経て最終配属は会津若松。生涯を東北一筋で過ごし1973年に廃車された。 撮影2013年9月22日▼s-13.9.22柳津C11244

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part11 T304次とK7367次との連続3泊4日乗り鉄旅 豪華な車内食

DSCN7324_100 11:28 乗車3日目となるとすっかり食堂車の常連となり、コック長とも朋友になりました。一般客はトレイに入った車販弁当ですが、小竹先生と私にはコック長から「さあ食ってくれ」と、お任せ料理の数々がドンと出されました。

朋友となると歓迎は半端じゃありません。イヤ~、ここまでしていただけるとは・・、参りました。
しかし、狭い厨房でこれ程、数々の料理ができるとは驚きです。また数多くの材料も積込んでいるのですね。勤務状況をお聞きしますと、この列車の2泊3日の仕業が済みますと4日間の休暇があるそうで、このパターンの繰り返しだそうです。と、いう事はT304次だけでも7組のスタッフを必要とします。メニューはコック長に任されていますので、同じ列車でも乗車日が違うと、7通りの料理が味あえるのでしょうね。
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信越線・横川-熊ノ平間(1) -半世紀前-

2回に渉り、信越線アプト区間の写真です。いずれもDRFCのメンバーと一緒の撮影でした。乗り鉄時と1962年開催、DRFCの合宿・撮影会の時です。
初めは、1960年DRFCメンバーと高山線、富山港線を尋ねた帰り、厳島健一君と二人で上越、信越、小海、飯田線を乗り鉄した時です。高崎から313レに乗車。横川までは勿論蒸機、D51246でした。

横川駅に到着、蒸機から電機へ付け替え。最後尾の本務機などを撮影して、再び乗り込みました。いよいよ古代以来の交通の難所・碓氷峠を初めて越えます。
▼横川駅 下り313レの本務機ED426と、
前へ順に一補および二補機 1960.11.26 00729
00729 続きを読む