駅を旅する〈番外編〉/飯田線沢渡駅

駅舎
正2年12月27日伊那電気鉄道として開業時の駅舎が、手が加えられながらもそのまま使用されている。現在も看板が変わったくらいで健在である。  (50-11-24)

特派員さんが11回に亘り、九州の主要駅を紹介されたが、次は何処が登場するのか楽しみにしている。
思い出深い駅や印象に残った駅は数多くあるが、どうしても車両に目が向いてしまい、駅舎の撮影までは至らなかったケースが多い。

ED19、旧形国電が健在であった昭和50年11月24日に訪れた沢渡駅を取り上げた。同駅に降りたのは、この日1度だけで、目的は次の赤木駅との間に存在する40‰の急勾配、専用線のKATOのDL、同駅止まり電車の撮影であった。

開業は大正2年12月27日前身の伊那電気鉄道時代である。平成8年3月末まで、駅の豊橋寄りに秩父セメントの専用線があり、日本通運所有の加藤製作所製のDLが1両存在した。また、一般貨物は46年11月30日まで取扱っていた。
かつて運行されていた急行列車は通過していたが、今年の3月末まで駅員が配置されており「みどりの窓口」も設置され、それなりに重要な駅であった。

駅の豊橋寄りで、藤沢川という小さな川が天竜川に合流しており、長野県や静岡県の山岳地帯では川の合流点を「渡(ど)」と呼び、藤沢川と天竜川の合流点で「沢渡」という地名が付けられ、駅名もそれに従った。

尚、飯田線は3月末に大幅な駅の無人化を進め、長野県内のJR東海の駅員配置駅は、天竜峡、飯田、伊那市だけになり、伊那松島、駒ケ根、飯島、伊那大島、市田の各駅は、市や町の委託駅となった。
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2013年 秋の北陸路一人旅 Part1 福井鉄道

5月に興隆森林鉄道に行った折にご一緒させていただきましたKさんから立山砂防軌道(国土交通省立山砂防工事専用軌道 )の立山カルデラ砂防体験学習会に応募したところ運良く当選しました。興味ありますかと、思わぬお誘いを受けました。
この砂防軌道の乗車応募者は多く、中々当選できるものではありません。二つ返事で是非に参加をお願いしたいと申し上げました。
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体験学習会は10月17日。折角行くのだから久しぶりに北陸路を回ってみようかと思い立ちました。インドネシアのシュガートレイン撮影後は、家内の実家の墓参りついでに広島電鉄乗り鉄、撮り鉄旅をちょっと楽しんだくらいで鉄分不足が続いています。行くからには、いつものように予定を決めず無期限の気ままなぶらり旅にしました。今回の相棒は久しぶりにぶんしゅう7号です。これなら宿の心配もなく、宿泊料も必要ありません。
出発は、準特急先輩が上洛されて北川鉄橋撮影にご同行させいただく翌日の12日に決めました。

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保存蒸機とその現役時代C56110追加

クモハ73106東ウラさんより[保存蒸機とその現役時代(18)]のC56110について最後の浜田時代の写真(1971年3月17日撮影)が送付されたので追加の形で発表する。浜田機関区はレンガ調の庫で私も1964年3月31日の木次機関区訪問の後、浜田に向かった。福知山線時代にカメラにおさめることができなかったC54の撮影が最大の目的であったが、丁度廃車された後であり、残っていたC57やD51では納得できず苦い思い出のあった場所である。

s-71.3.17浜田C56110-1

My beautiful picture

保存蒸機とその現役時代(18)

木次機関区で撮影したC56110は思いも寄らぬ場所に保存されていた。東武伊勢崎線(今はスカイツリー線?)草加駅から西側5分の所にある氷川中公園というこじんまりとした公園が保存場所で、草加神社の参道脇のため松の木等もあり、雰囲気は悪くない。悪いのは機関車で保存状態は最悪に近い。前照灯が大きいのがついていたのがせめてもの慰めであるが、全体がぼろぼろで見るに忍びなく、やや離れて撮影の1枚のみ掲載する。

C56110は1937年三菱製造、製番210で新製後米子局、神戸局等に配置とされているようであるが、はっきりしない。記録に残る最も長く配属されていた場所は木次機関区で木次線の客貨に使用されていた。最後は浜田機関区で三江北線(江津~浜原)と入換えに使われて1972年12月に廃車されたと説明板にある。

2013.10.21 草加市氷川中公園保存のC56110▼

s-2013.10.21草加保存C56110

 

訪問当日のC56110は木次機関区で無火状態であった。1964.3.31▼

s-1964.3.31木次C56110

やむ無く正面から撮ったもので前照灯はシールドビーム▼

s-1964.3.31木次区C56110

 

京阪500型の思い出

関先生の500型を見て なつかしく当時を思い出しました。とは言え250型はすでになく、晩年の500型しか知りません。当時ぷるぷるさんと同じく墨染駅の各停利用者でしたので宇治行きの500型にはよく乗ったものです。1500型を間にはさんだMTMの時代と、両側貫通に改造された550型、580型の登場で4連になった時代にお世話になりました。ぷるぷるさんと一緒に家から歩いて国鉄奈良線の蒸機と京阪宇治線をよく写しに行ったものです。

昭和44年8月16日 丹波橋駅にて 宇治行急行 1500をはさんだ3連

昭和44年8月16日 丹波橋駅にて 宇治行急行 1500をはさんだ3連
宇治急は本線内中書島まで急行、宇治線内は各停だった?

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阪急新形式の試運転に気付く

昨21日、14:59発梅田行きに桂で乗車、ぼんやり窓外を見ていたら1000号先頭の編成が車庫線に入ってきた。末尾は1100号で、共に制御車である。阪急は踏切障害の時に先頭車を重くしておけば脱線する可能性が少ないとして、京都線では5300系以後6300系を除き、一部の増結2両編成以外の先頭車は電動車となっていた。神戸線でも5100系以後はこうした編成が基本である。ところが今回の新造車は神宝、京都線ともに先頭車は制御車となるとの事だ。軽いアルミカーだけに、かぶりつき族の一員である老人の乗車位置変更を考慮せねばならない。窓の間柱が2本となりスッキリした。

ラッピング電車その後

9月21日に吉田先輩のお誘いでラッピングのお手伝いをした京阪石坂線の車両は9月23日より運行しています。ラッピングの元になった“大津ジャズフェスティバル”が今日、明日の2日間行なわれていますので、見物がてらラッピング電車の撮影に行って来ました。浜大津の交差点に行くと丁度ラッピング電車が駅に停まっていて、あわててカメラを取り出し、後追いでしたが全景を収めることができました。CIMG3254k実は一昨日乗った電車がたまたまラッピング電車で、駅でじっくりと眺めてみたところ、幸い剥がれている所も無くきれいな姿を保っていました。この電車が走るのは明日まで、明後日にはもう剥がすそうなので明日が最後のチャンスです。ジャズフェスティバルを見がてらご覧になられたらいかがでしょうか。

浜大津駅広場の様子

    浜大津駅広場の様子

お祭り広場には屋台も並んでいます

   お祭り広場には屋台も並んでいます

尚、ジャズフェスティバル、明日は浜大津一帯の14箇所で、12:00~17:00ころまで開催、お祭り広場では19:00からフィナーレが行なわれます。

阪急京都線西山天王山駅12月21日開業

かねて予告されていた新駅開業日が確定、同時にダイヤ改正が実施される。未だ報道されていないが、以前工事関係者から耳にしていた「洛西口」上り線(京都方面行)の高架化も同時に実施されると思われる。今回の新駅開業の大きな特徴として阪急と京阪の連絡が便利になる事である。新駅と京阪淀駅間に路線バスが平日は朝夕30分毎、昼間60分毎に運転される。これにより大山崎ー淀間の通称「競馬バス」はどうなるのだろうか。以前は昼間もそれなりに運転されていたものが、最近は間引き運転となり運転本数が激減してしまった。愛用者とまではいかないが、競馬開催日には片方利用を時々京阪・阪急連絡便として渋滞覚悟で乗っていた。それが今回、この連絡バスはJR長岡京駅まで延長運転となる。完膚なき迄にJR島本、桂川両駅開業でジャブを食らった阪急であるが、さすがは地域住民サービスの一環として長岡京まで延長運転に合意したものだ。老人はこれで八幡さんへのお参りルートが変わるのである。自宅近くの阪急田舎バス80系統で長岡京へ出た後は、新設系統で京阪沿線に接続となる。少々歩行が困難となり、このところ「乗り鉄」になった近況報告である。

 

C56やまぐち号(続報)

大槌町のうれしいニュースに続いて、C56やまぐち号の運転日が新聞に載りましたのでお知らせします。平成25年10月17日中国新聞朝刊です。

H25-10-17 中国新聞

H25-10-17 中国新聞

11/2,11/3、12/21、1/1~3の計6回です。ただ残念なのは新山口→地福の往路のみという点です。とは言えバック運転での回送はあるはずですから 運転時刻が判れば回送列車のダイヤは想定できそうです。「ダイヤ情報」にも載るのでしょう。「客車3~5など」というのも気になります。プッシュプルを考えているのでしょうか。山口線、山陰線が不通になって 観光でもっている津和野町は大打撃のようです。峠の向こうまで来た山口県内のお客を島根県が費用を負担して無料バスで呼び込もうと企画したり、この状態が続けば正月は閑古鳥が鳴くとわざわざ正月3ケ日に運行日を設定したり、涙ぐましい姿勢が伺えます。津和野-益田間や益田-須佐間の運転再開も近いようですが、地福-津和野間、須佐-奈古間はいまだに目途立たずのようです。三江線も音沙汰なしです。三陸同様一日も早い復旧が望まれます。

どですかでんさんの小海線の写真に寄せて

10月17日、クモハ73106東ウラさんより添付写真付メールがありましたので原文のまま報告致します。

10月17日8:19

おはようございます。デジ青にどですかでん様が投稿されていた「1970年夏のC56149」の撮影場所ですが、実は私も全く同じ場所で撮影したことがあります。清里から1kmほど野辺山方です。添付写真をご覧いただくとおわかりいただけると思いますが、真ん中の大きな木が決め手です。私の場合は、1971年(?)~72年の小海線に混合列車が走った時の撮影です。同列車に小淵沢駅から乗車し、清里で15分?くらい停車するので、走って行き、撮影しました。C56144です。どですかでん様にお知らせいただくと幸いです。どですかでん様の写真と見比べてくださいませ。▼

クモハ73C56貨物

s-クモハ73C56149

s-クモハ73C56144混合

10月17日19:58

こんばんは。今朝、お送りした小海線の写真はモノクロの鮮明なものがありましたので、添付します。昭和47年8月19日、清里~野辺山間、清里から1Kmくらいの場所です。よろしくお願いいたします。▼

クモハ73C56混合72.8.19

以上の内容ですがどですかでんさん、場所を思い出されたことと思います。(準特急)

 

 写真展 ちょっといい話 写真が被災地へ里帰り

烏丸御池駅ギャラリーでクローバー会写真展「東北の鉄道」を行ったのは、震災1年後の2012年2月のことだった。tsurukameさんのお蔭で展示写真も本ホームページで閲覧できるようになったが、そのうちの3点が、撮影された町に里帰りし、被災地の復興のお役に立つこととなった。

いまも被災地への思いやり・支援を欠かさない“山科の人間国宝”から電話があったのは9月末だった。奥さまが支援活動を通じた知人を訪ねて岩手県大槌町へ行かれると言う。その際に、前記の写真展に人間国宝が出展された、大槌川を渡るC58貨物の写真を持参されると言う。

その電話で、ハッと思い付いたのが、私も大槌駅の写真を出展していること、またI原さんも同様に大槌の写真を出品しており、“もう要らん”と言うことで私が預かっていたことだった。“この2枚も加えてください”と即答となった。

奥さまは夜行バスで大槌入りをされた。写真3枚を持っての夜行は、少々辛い旅だったかもしれないが、大歓迎が待ち受けていた。最初の考えでは、ごく内輪2013大船渡 027syに写真を渡すだけだったが、知り合いの方の機転で、受け取り場所が町役場になった。わざわざ京都から人間国宝の鉄道写真を携えて来訪される、の報は街じゅうに広がった。町役場には、町の広報担当、地元の岩手日報の記者、災害FMなどの取材陣が待ち構えた。

写真の贈呈は町長も出席して行われ、参加者は鉄道が走っていた時代の大槌に思いを寄せていた。左から、碇川豊大槌町長、人間国宝の奥さま、妹さま(許可を得て掲載)

そして、町議会の直前のあわただしいなか、大槌町長までが参加のもと、贈呈式が行われた。3点の写真が、どよめきのなかで披露され、町長から感謝の言葉が述べられたと言う。その後、3点の写真は、大槌町のホームページにも紹介された。

↓  山田線を走るSLの雄姿、鉄道マニアが大槌町に寄贈

http://www.town.otsuchi.iwate.jp/docs/2013101600053/

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小海線合宿のご案内

どですかでんさんが1970年夏の小海線合宿で撮影されたC56149を紹介して頂きました。この合宿記は青信号25号に詳しく述べられていますが、この合宿の案内パンフが手元にありましたので、当時を思いだす意味でご紹介します。なお私はこの合宿には不参加でした。

IMG

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1970年夏のC56149

 準特急さんの「保存蒸機とその現役時代(17)」でC56を取り上げておられ、その中で小海線のC56149の保存機を見てひょっとしたら1970年DRFCに入会して初めての夏期合宿(小海線清里)で撮った写真の中にC56149があるのではないかとさがしてみたら、やはりありました。単機回送と貨物列車でした。単機回送はあの有名な西川鉄橋で撮ったものです。まずは西川鉄橋で撮ったものからご覧ください。

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保存蒸機とその現役時代(17)

C57がしばらく続いたので今回はC56である。

木次線木次駅から南約1kmにある雲南市木次体育館横に保存されているC56108。雨ざらしで荒れた状態である。1937年三菱製造、製番208、1974年浜田区で廃車。

2011.7.25 西村雅幸氏撮影▼

s-西村氏11.7.25雲南市C56108

説明板 2011.7.25 西村雅幸氏撮影▼

西村氏11.7.25C56108説明板

1964.3.31 木次機関区のC56108▼

s-64.3.31木次C56108

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クモハ73383と昭和50年前後の呉線の車両

広島市佐伯区に保存されていたクモハ73383の前頭部が修理されるとのこと、旧形国電ファンにとっては喜ばしい限りである。
同じ場所に保存されている筈のEF5836も気になるところである。
こちらは貴重な7枚窓機で、車体の3分の2が台車を含めて保存されている。

西村氏より「解説せよ」との要請があり、判る範囲で解説する。
昭和24年8月汽車会社でモハ63811として新製後、池袋区に配置され山手線で使用された。25年3月下十条区に転属して京浜東北線で使用され、28年7月の更新修繕でモハ73383に改番された。引続き京浜東北線で使用され、46年6月広島区に転属して呉線で使用された。53年度呉線が新性能化されると可部線に移り、59年7月12日付けで廃車になった。

クモハ73383/ (50-3-2) 広島 故芝生將行氏撮影
私は撮り損ねたので、国電研究の大先輩、故芝生將行氏が撮影された画像を奥様のご了解を得て掲載した。
Mc73383hiro1.75.3.2Hiro.75c-24-13[1]
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急電用モハ43形

53008 50-1-2
                     豊橋19時35分発三河川合行(647M)/ (50-1-2)
三河川合で駐伯して翌朝241M上片桐行きとなる。

モハ40形の解説を書き始めたところで、次の急電用のモハ43形が登場したので、こちらを先に解説する。

昭和9年7月20日吹田~須磨間で実施された電車運転は、同年9月20日須磨~明石間、12年10月10日吹田~京都間の電化工事が竣工し、京都~明石間の直通運転が開始された。
急行電車(急電)用として11年3月にモハ52形流電の1次車が1編成、1年後の12年3月には2次車が2編成新製された。1次車は狭窓であったが、2次車は広窓となり、より洗練されたスタイルになった。引続き同年8月に3次車が登場したが、流線形ではなく、モハ51等と同じ半流となりスカートは省略、窓配置のみ引き継がれ、あたかもモハ51とモハ52の中間的なスタイルになったため「合いの子」と呼ばれた。
形式は、2扉クロスシートのため、先頭車はモハ43形となり、既存のモハ43形の追番43038~041、中間車はサロハ66018・019、サハ48032・033が付番された。

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C56やまぐち号

山口線は地福ー益田間が不通のまま 代行バスが日に10往復走っています。そんな中 新山口ー地福間でC56160による「やまぐち号」が復活するそうです。ごく限られた日だけの運行なのかなど詳しいことは不明ですが、うれしいニュースです。地福駅は島式ホームの最もシンプルな交換駅で、無人駅です。機回しを含め地福駅での折り返し時間は? その間客車の扉は締め切りで乗客はホームに出さないのか? 無人駅での機回しは機関士、機関助士と車掌だけでできるのか? などいろいろと気になります。地福から先 県境を越えて津和野、益田までの一日も早い復旧も望まれます。中国新聞10月11日朝刊記事を添付します。

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秋田にまぼろしの電車を求めて

 どうも、信貴電の呪縛から逃れることが出来ない。信貴電に関することを調べていく中で過去に秋田で走っていた電車がなにやら関係があるかもしれないのではと感じたのであるが詳しいことがわからない。もやもやとしていたのであるが、ふとしたことから秋田県立博物館で「あきた大鉄道展」を知り、8月25日までは小特集として「機関車・電車のものがたり」で秋田の電車についても展示があるという。ということで、なにか手がかりがないかと秋田へ向かったのである。秋田行きからまもなく2ヶ月になるので秋田弾丸ツアーの一部始終を述べてみよう。

 秋田へ行くには特急日本海があれば大阪駅発17時47分で秋田駅には翌日5時32分に着く。しかし、もはやお盆の時期でも不定期で走らなくなったようだ。飛行機以外は新幹線を乗り継ぐか日本海側を特急3列車乗り継ぎでいけるのであるが、どちらも秋田で用を済まして帰ってくるには秋田で2泊しなければならない。しかも旅行代金として高くつく。そして夜行ではないので効率が悪い。残る手段は船便とバス便である。 

 8月19日、敦賀10時出港の新日本海フェリーの新潟、秋田寄港の苫小牧行「あざれあ」に乗船して秋田へ向かったのである。秋田に到着するのは翌日5時50分の予定である。船旅では時間がタップリあるので、これをうまく利用するに越したことがない。私は日頃ゆっくりと本が読めないので、本を読むことにしている。沿岸を航海しているときは風景を眺めたり、船内をブラブラしたり、本を読んだりと好きなことをしているとすぐに時間がたつ。考えてみればたいへん贅沢な旅であるが、ツーリストJ船室(このクラスは従来の2等船室である。)であれば運賃は秋田まで6800円である。こんなに安い料金で贅沢な気分を味わえるのはすこぶるよろしい。

 フェリー航海-L

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C57110,C577

鉄道が好きな者、愛している者にとって事故ほど見たくないモノはありません。人は勿論、それが鉄道車両や蒸気機関車の姿におよべはなおさらです。ここに登場するC57110は、準特急さんの記述にある通り、悲惨な事故を経験してしかも、見事に復活を遂げた機関車です。デジ青のこのページ右上に検索用テキストボックスがあります。ここに『六軒駅』と記入して検索をかけて下さい。【7158】『亀山の参宮線事故機』と題した湯口先輩の投稿記事があります。事故の詳細がよく判ります。同時に3両のC51とこのC57110の悲惨な画像が見えます。とりわけC57110の姿は目を覆うばかりです。『台枠がさして損傷がないようだ』とのコメントがありますが、よくぞ復活したものと感心しています。

さて、加太越えの補機はD51が主体でしたが、時にC57も補機役を務めていました。撮影機会が何度かありましたが、下の画像はC57110、貨物列車の補機姿です。なお、この画像は村田屋旅館の物干し台から撮ったもので、手前には10数本の電線が写っていたのですが、すべて削除処理を施したもので、実際の姿とは異なります。
▼関西本線 加太-中在家信号所 貨763レ 補機 C57110 【亀】 1967.05.07   14836
14836こちらは本務機として。早春の午前6時半すぎです。
▼同上区間 客725レ 機 C57110 【亀】 1966.03.06                                       12502
12502変わってC577。有名な築堤を過ぎて亀山に向かう同機です。加太会発祥の日、急行大和を撮影後、一同気が抜けた時にやってきたので、構図もなく慌ててシャッターを切った一コマでした。初冬の午前7時半過ぎ。この列車が終着和歌山市駅に着くのは21時21分でした。
▼同上区間 客742レ 機C577【亀】 1964.12.06                  09708
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