呉線区間列車に続き、呉線通しの急行・普通・貨物列車です。
1966年5月3日の夜は坂駅でステーションホテル。翌5月4日。空がまだ明けやらぬ内から、坂駅で撮影開始。先ず音戸が通過。
▼(左)下り301レ急行『音戸』、機C6215【広転】 5:34頃。(右)上り622レ 12728
少し明るくなってきて、622レの出発。
▼上り622レ、5:36発糸崎行き、機C6214【糸】 12730
呉線区間列車に続き、呉線通しの急行・普通・貨物列車です。
1966年5月3日の夜は坂駅でステーションホテル。翌5月4日。空がまだ明けやらぬ内から、坂駅で撮影開始。先ず音戸が通過。
▼(左)下り301レ急行『音戸』、機C6215【広転】 5:34頃。(右)上り622レ 12728
少し明るくなってきて、622レの出発。
▼上り622レ、5:36発糸崎行き、機C6214【糸】 12730
第2日目 10月31日
今日は、福井鉄道の市内併用軌道線に旧型車を追います。午後からは金沢に移動して初めて北陸鉄道浅野川線を訪ねます。
6:30 朝霧がうっすらと立ち込める道の駅パークイン丹生ケ丘で寒い朝を迎えました。すぐに支度をして福井市内へと向かいます。
7:37 朝の通勤ラッシュが始まっていました。込み合う約18キロを、約50分をかけて市役所前停留所に到着しました。 近くに小学校があるのでしょうね。横断歩道を渡っての子供たちの通学光景がありました。
市役所前停留所は、えちぜん鉄道と共有する田原町駅へと向かう本線(福武線)から福井駅前へと分岐する通称駅前線とのスイッチバック駅でもあります。
珍しく停留所で駅員さんがおられて、利用客に切符を売っておられていました。
お聞きしますと、朝夕のラッシュ時には利用客の便宜を図るためにおられるそうです。
冬場は雪も多い福井です。真冬の朝夕は過酷な業務ですね。
48640 1921年(大正10年) 汽車 製番519
2012.6.25 弘南鉄道弘南線新里駅構内 ▼
1969.3.31 川部駅 クモハ73106東ウラ氏撮影 ▼
C5096 1929年(昭和4年) 日車 製番240
2013.1.5 静岡県焼津市小石川公園 ▼
明日26日(火)に迫った第138回EVE、クローバー会から参加する写真展の準備を、今晩行いました。米手作市会長とともに、会員から寄せられた、同志社をめぐる京都市電の貴重な写真を、手際よく貼り付け、準備万端整い、明日の開場を待つばかりとなりました。なんとなく、数十年前に体験した、EVE前日の緊張感・高揚感を覚えた感じでした。
現役会員にとっては、生まれる前の写真ですが、興味津々で見つめる現役会員が印象的でした。会場は、良心館105教室。真新しい、きれいな教室です。現役の模型運転会、写真展、各種展示も、見逃したら一生の損、これは必見の内容です。会期は11月26日(火)~28日(木)の3日間、明日26日午後には、“みんなでEVEを見学する会 ”も開かれます。
▲大学構内には、巨大なクリスマスツリーが飾られ、出店のテント準備も終わったEVE前夜のムードを盛り上げてくれる。
▲会場では、クローバー会の準備の向こうでは、現役の準媚が続く。我々の時代なら、徹夜の準備が当然だったが、最近は諸般の情勢により、午後10時以降は構内に立ち入りが出来ないため必死の作業だった。米手会長は、めっきり老化の始まった身体に鞭打って両面テープを貼り付け、“弘風館カーテン火災事件”など、EVEの秘められた歴史を語り明かしていた。
元田中へ行く用事があったので、叡山電鉄をビデオ撮りしました。
出町柳行きの到着、鞍馬行きの発車、出町柳行きの発車と順調に撮影できたのですが最後に転びそうになって、必死に柵へ掴まりました。
10月31日、乙訓の長老が上京され、芝山鉄道を訪れた時の様子は、【40870】「関東便り(私鉄乗りつぶし)で鉄鈍爺様からの報告の通りである。
芝山鉄道は、関東地区在住の方以外は馴染みがないと思われるので紹介する。
〔沿革〕
成田空港開港時に、地元対策として東成田~芝山千代田間、2.2kmを開業した鉄道で、会社の設立は昭和56年5月1日、開業は平成14年10月27日である。
資本金は1億円で、主要株主は成田国際空港が68.39%、千葉県が14.59%を出資している。
当初は小型電車により線内折返し運行を予定していたが、京成電鉄との直通運行に変更された。
〔運行〕
平日64本、休日58本運行され、昼間の運転間隔は40分である。
昼間の運行は芝山千代田~成田間であるが、平日朝のラッシュ時に普通上野行3本、快速特急西馬込行、通勤特急上野行が各1本、夜間普通上野行3本が運行されている。また下りは、夕方のラッシュ時に西馬込発快速特急2本、羽田空港発通勤特急2本、上野発快速3本、上野発普通4本、朝方上野発普通3本が運行されている。
運行は京成電鉄に委託しており、京成の乗務員が芝山千代田まで乗務する。
〔運賃〕
自社線内の運賃は190円である。京成線内東成田~成田間の運賃は加算運賃適用で250円のため、芝山千代田~成田間は440円である。今回乗車した成田空港~成田~芝山千代田間は410円で、乗車距離が長いのに30円安く、成田空港周辺の運賃計算の複雑さを表している。尚、芝山千代田~上野間は1120円でそれほど割高感はない。
〔車両〕
自社所有の車両はなく、京成電鉄からリースしている。
開業から25年3月31日まで3600形8両編成1本を、4月1日からは3500形4両編成1本をリースしているが、京成電鉄の車両と共通運用のため、自社線を走行する機会は少ない。
25年3月31日までのリース車両
3611-3612-3613-3606-3607-3616-3617-3618
3600形は昭和57年から平成元年にかけて6両編成×9本=54両新製された車両で、平成9年から11年にかけて編成替えが行われ、8両編成×6本と6両編成×1本になった。
窓下の帯をグリーンに、正面に社紋、扉横に「芝山鉄道」のステッカーを貼り付けていた。
京成電鉄返却後は、窓下のクリーンの帯はそのままで、アクセス特急以外の8連運用に就いているが、両端がTcのため京浜急行には乗入れしない。
都営地下鉄西馬込検車区公開イベントで北総9001との並び/ (22-11-5)
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同志社最大の学生イベント、EVEが明後日26日(火)から3日間開かれます。今年も現役の鉄道同好会では、多彩な展示・発表を行いますが、クローバー会でも、さまざまな形で協力しています。今年のEVEでは、「市電で偲ぶ 昭和の同志社」と題して、同志社をめぐる京都市電の写真を展示します。
同志社の前を走っていた京都市電が消えてから、もう37年が経ちました。現役の会員諸君にとっては、生まれるずっと前の昭和の時代です。背後に同志社や付近の街並みの入った写真を、多くの会員協力で展示することが出来ました。すっかり新しくなったキャンパス・校舎で、昭和の時代には、こんな風景が展開されていたことを偲ぶのも、また意義のあることでしょう。
第138回同志社EVE
11月26日(火)~28日(木)10:30~20:30
鉄道同好会会場/良心館105号教室
みんなでEVEを見学する会/EVE初日の26日(火)午後1時ごろから夕方まで、良心館105号教室で、クローバー会有志による見学会を行います。平日ですが、暇を持て余している皆さん、ぜひ良心館へお越しください。
▲提供された写真の中で、最古参は、やはり乙訓老人のものだった。昭和34年の烏丸今出川を曲がる15系統の1000形だが、右に見える、オート三輪、ボンネット市バス、左の信号塔、電話ボックス、パチンコ屋などが続く家並みなど、市電を取り巻く風景が、その時代を雄弁に語りかけている。
第1日目 10月30日
北陸路から戻って、立山砂防軌道ツアーを企画していただきましたKさんとお礼等々のやり取りをしていましたら、「立山砂防軌道乗車の翌日に対岸の山道から俯瞰の写真を撮ったが芳しくなかった。3年ぶりに訪れた山道の荒廃が進んでいて驚いた。撮影ポイントまで行けるのも、今年限りか!と痛感しました。紅葉の進む11月1日に急遽、再訪するつもりですが、1人では心細い所ですし、良かったら、ご一緒にいかがですか?」とのお誘いを受けました。
私も期待した紅葉が、今年は随分と遅れていてさほどではなかったとの印象を持っていましたので再訪を考えていました。2つ返事でご一緒させていただくことを決めました。
例によってゆっくりとした旅が好きです。前々日にぶんしゅう7号を相棒に出発しました。
自宅からのルートは、前回は名神・北陸高速道を走りましたが、JRでもお分かりのように湖西線が強風の際は特急サンダーバードは米原を迂回して走ります。ただ走行距離が長くなるために所要時間は、約30分の延着を余儀なくします。
道路をナビで確認しますと、湖西ルートだと敦賀まで約107キロと湖東を走る高速道路ルートよりも2/3と短くなります。実際の走行は一般道のために渋滞や信号で時間的にはかかるかもしれませんが、西大津バイパスが延伸されて近江舞子辺りまでは準高速道路です。高島~マキノもバイパスになっています。問題はマキノ~敦賀の山越えですが、ここを乗り切れば、湖東ルートと比べてもそれほど時間差はないだろうし、高速代もかからずです。今回は湖西ルートを節約のために選択して、高速道路は一切使わずに行くことにしました。
呉線の蒸気機関車牽引の写真は、これまでに湯口先輩、青信号特派員さん、その他沢山の方が投稿されています。モノクロやカラーで美しい瀬戸内の風景も同時に見せて戴きました。筆者も人並みに、呉線を訪れていましたが、海岸線を行く画像は二番煎じ、出涸らし茶ですので、少し変わった画像を紹介しましょう。夕刻から早朝にかけ多数運転された、広島-広間(糸崎-竹原、竹原-広島間も含む)の、蒸機牽引区間列車です。
1966年当時区間列車が、広島→広間(上り)の5本、広→広島間(下り、内2本は広→宇品間)の5本がありました。この他、糸崎→竹原、竹原→広島間にも各1本がありました。これらは通勤・通学列車でしょう。早朝と夕刻の運転です。1960年代高度経済成長期時代の呉、海田市、広島、宇品など工業地域への通勤列車でしょう。この他に広島←→糸崎間の通し運転の蒸機列車やDC、区間列車のDCを含めると、たいそうな列車本数の呉線でした。
この内、夕刻の広駅折り返し列車については、広駅にターンテーブルが無い為、上りもしくは下りのいずれかで大型蒸機のバック運転が見られました。呉駅に回送、方向転換の時間的・ダイア上の余裕が無かったためです。蒸機はC59、C62、D51でした。残念ながらC59のバック運転の写真が撮れていませんが。
また、夜間の列車は正位運転で広駅に向かい、到着後機関車を呉駅にバック運転で回送、呉駅のターンテーブルで方向転換し、翌朝再びバック運転で広駅へ。ここで客車を連結、正位で広島に向かうという、手の込んだ方式でした。
▼上り客926レ、広行き、坂駅に到着。機C6218【広島(運)】、1966.05.03 C2710 続きを読む
乙訓の老人から、先ごろ行われたホームカミングデーの参加記が寄せられましたので、写真とともにご紹介します。なお、タイトルの「オロナイン軟膏」ですが、50年前に新語・流行語大賞があったら、まちがいなく選ばれている古典ギャグです。老いてもなおクローバー会への深い愛情を絶やさない老人ならではのタイトルとしてご理解ください。では。
このところ恒例行事となったホームカミングデー、今年も多彩な内容で、鉄道趣味者として興味惹かれるものであった。第一部は今出川校地の西北に新築された良心館で「教室での会合」が開催された。
▲今年のホームカミングデーの会場は、新築の良心館
(1)まず湯口会員の「軌陸車の話」であった。デジ青【40044】2013年9月24日で紹介された「日本の内燃動車」の延長線とも言うべきもので、内燃車の陸上走行から鉄軌道での走行を可能にするため、種々の考案が生み出され試行錯誤を辿った姿が、日本を始め海外の事例をふくめ、スクリーン上で映写しながら紹介された。本件について、このところJR北海道が開発に着手、実用化に向け地域外での試行も報じられているが、通学(通勤は対象外)時の輸送力不足から実用化には問題が生じているとかで目下、頓挫しているようである。
▲レールも道路も走る“軌陸車”について、湯口さんらしい考察と写真が披瀝された
1950年代のネオパンフイルムのベースが、化学分解し抽出した酢酸が強烈な臭気を発し、次いでフイルムにカビの如き不気味なものが発生し、フイルムベースが縮むだけでなく、他のフイルムにまで伝染し、結局は使い物にならなくなる―猛威を振るったネオパンシンドロームは、1960年の製品までと思われてきた。小生も学生時代の一番脂が乗りきっていた時期の35mmフイルムが100本以上やられてしまい、再起不能である。
ところが、1961年のフイルムもやられ出したことに昨今気付いた。早目に処理すれば表面に発生した「鎌鼬=かまいたち=小生が名付けた現象」をフイルムクリーナーで力任せにこそぎ落とし、デジタル修正で何とかレスキューも可能だが、ある時点を過ぎると見るも無残=救出不能になる。掲載は1961年2月撮影の福島電気鉄道軌道線である。
今回気付いたのは、1960年以前のやられ方と少し違い、フイルムベースがペラペラに薄くなっていること。化学専門の鶴兄によれば、一旦この現象が現れると、元には絶対戻らない由。
諸兄!1961年以降のネオパンを、至急点検し、早めにデジタル化されることをお勧めする。他に対策はない。それにしても日本を代表する大企業の富士フイルムは、一体どこまで「知らぬ顔の半兵衛」を決め込むのか。企業モラルの欠如はJR北海道や諸々の(一流)外食産業だけではない!
第11日目 10月22日
今回の旅の最終日を迎えました。昨日同様に朝霧が立ち込めていましたが、これを狙って撮れないかと九頭竜川にかかる鉄橋を渡った三国芦原線中角駅へと向かいました。
7:04 鷲塚針原~中角の築堤を駆け上がる6103の632M。完全逆光です。そう少し趣が出せるかと思いましたが、力不足でした。
築堤は結構高さがありますので、反対側で夕刻なら抜けたかも・・。次回に挑戦してみます。
7:16 ホームは橋からすぐにあります。上がって次の電車を待っていると時刻表には掲載されていない電車がやってきて、停車せずに通過しました。方向幕には回送と表示されています。
平日運行ダイヤを見ますと西黒田7:38の始発があります。これのための回送のようです。
7:22 続いては、7003+7004の2両編成(福井行き650M)が上がってきました。
11月10日のホームカミングデイ並びに天野克正様を偲ぶ会に出席できなかったことをお詫び申し上げたい。この時期は写友5人で東北をまわっており、10日は雨の中を弘前市の城北公園に保存されているD51892に再会した。再会というのは今年1月29日に雪の中を同機保存の現地に駆け付けたが肝心の同機は青いビニールシートで覆われており泣く泣く諦めた因縁の機関車に2回目の対面をしたからである。この機関車は現役時代に撮影しておらず、駅からも2kmも離れた公園に保存されており、もう行くこともないと諦めていた。ところが、今回の東北旅行で弘前にも立ち寄ることになり、クモハ73106東ウラさんの巧みなハンドル捌きで難なく現地に到達して目的を果たすことができた。D51892は1944年4月日立製造、製番1830、1948年7月弘前、1968年4月東能代、1972年4月秋田へ配属され、1972年6月に廃車されている。奥羽本線、とりわけ弘前区での活躍が長く、地元中の地元に保存されて同機も満足のことと思う。
2013.11.10 弘前駅北方約2kmにある城北公園保存のD51892▼
今年1月29日のビニールシートを被った同機の姿▼
第10日目 10月21日
6:00 朝起きるとホワイトアウトまではいきませんが、雨があがった後の霧で白い朝を迎えました。
朝霧の日の日中は、快晴になります。TVを見ながら、霧が晴れるのを待ちました。
昨日は滑川から約160キロを約3時間をかけて、えちぜん鉄道の走る「道の駅みくに」に、たどり着きました。旅も終盤ですが、慣れない運転が続いて疲れも最高潮です。無事に帰宅できるように安全運転で、今日も自分の目で見て撮りたいと思った撮影地を探して向かいます。今日は、えちぜん鉄道がターゲットです。
まずは夕刻の撮影に備えて夕日をバックに撮影できるポイントを探して、前回マークしておいた三国芦原線の下兵庫~大関に参りました。
▲ 9:11 下兵庫を発車して三国港へと向かう6107単行の939M。朝霧も晴れた田園地帯を朝日を受けて快走です。
第9日目 10月20日
① 滑川7:39(B111)→8:28宇奈月温泉9:00(AP4)→10:28立山
7:30 今日は朝からアルプスエキスプレスに乗車します。
朝は、急行として運用されます。宿営地の最寄駅、滑川に停車しますのでここから乗車することにしました。
隣のJRホームには列車を待つ乗客は多いのですが、富山地方鉄道のホームにいるのは私一人です。
時刻表を見ますと平日の富山方面へは4本がありますが、土休日は2本だけになっています。平日は通勤通学客が多いのでしょうね。
JRと比較してみますとご覧の通り、運賃は約1.84倍と高く、所要時間も約3倍もかかっています。これではJRとの競合区間での利用客獲得競争での不利は否めません。昨日乗車した際も宇奈月温泉から乗った乗客の多くはJRとの接続駅の新魚津で降りられました。
▲ 7:38 アルプスエキスプレスが滑川に入線してきました。
2号車は、急行運用時のB111列車でも210円を必要とします。
1、2号車にも乗ってみたいので、宇奈月温泉往路は、先頭車に乗車することにしました。
2号車には宇奈月温泉から立山までのロングラン時です。