26603にて三原の試運転線をご紹介しましたが、今朝の新聞で この試運転線の拡張計画が報じられましたので掲載します。運用開始は2014年度となっていますので 少し先になりますが完成が楽しみです。と言うのも 下の見取り図の左側はテニスコートや陸上競技場など市民にも公開されているエリアに敷設されることになるので、線路際までアプローチできるのではと思うからです。既存の試運転線には勾配区間がないので あるいは公共エリアを高架にすることで勾配区間を設けるかもしれません。いずれにせよユニークな施設になることを期待します。工事の状況を また山の上から逐次ご報告することに致します。
「ニュース」カテゴリーアーカイブ
恒例、JR西日本の柿の木
鉄道同好会 新体制発足
2012年も残り数日です。今年、鉄道同好会は大きな飛躍を成し遂げました。それは、熱意ある現役会員の積極的に活動していこうとする姿勢・態度、そしてOBの温かいご支援があったからこそだといえます。
先日、新体制が発足し、さらなる高みを目指そうと会員が一致団結しました。模型班・展示班の2班体制を再編し、来年は模型班・写真班・旅行班の3班体制となります。(活動内容は順次ご報告するといたしまして、)きっと今年を上回る活動が実現するだろうと私は信じております。また、現役会員からOBと個人的な交流をしたいとの声が挙がってきているので、今後私から多種多様なお願い事やお誘い事を申し上げることになるでしょう。来年も引き続き、よろしくお願いいたします。
以上は会の報告でしたが、私個人としては来年時間をとって、地元を走っていた大仏鉄道の遺構巡りをしようかと考えています(高校時代はバス通いでしたが、そのとき毎日黒髪山隧道があった場所を通っていました)。関西本線のJR加茂駅に集合し、大仏駅跡地(奈良市)まで約12kmの道のりを“歩いて”巡るというツアーです。現地のボランティアガイドさんをお招きすることも考えております。もしご興味がありましたら、ご一緒に歩きましょう。持ち物は、動きやすい服装、そして12kmを歩き切るための豊富な体力・精神力です。当然、実施は暖かくなった5月・6月がベストですね。ゴールは奈良にある鉄道模型カフェ「シルクロードの終着駅」でも良いかもしれません。ただ、この場合、大仏駅跡地からさらに歩くことになりますが…
国立駅の線路改良工事
EVEにクローバー会も協力
以前の掲示板で奈良の駅名研究家さんから紹介があったとおり、26日(月)から3日間、同志社EVEが今出川キャンパスで行われ、現役の鉄道同好会の皆さんも恒例の鉄道展を開きます。ことしは、初めてクローバー会もEVEに参加、鉄道写真展を行います。写真は、この2月、烏丸御池駅ギャラリーで開かれた「鉄路輝く」の中から、選りすぐりの約30点を展示することになりました。
同志社EVE 鉄道同好会“鉄道展”
今出川キャンパス 扶桑館101教室 (ハリス理化学館の北側)
11月26日(月)~28日(水) 10時~20時(28日は18時まで)
各世代に思い出の残るEVE、その意義・内容も様変わりしていますが、それはそれとして、いっとき学生時代にタイムスリップしてみませんか。
▲某所から運び出し、会場に並べられた写真。足腰が弱ってきたにも関わらず運び出しに協力してくれた乙訓老人に多謝。
▲準備が一段落した現役生たち。展示はNゲージ運転会が中心だが、大阪地下鉄御堂筋線に関する研究成果の発表や、前面展望ビデオの上映なども。
▲扶桑館101教室。キャンパスの整備工事が急ピッチで進む今出川キャンパス、40年前の現役生はウロウロしながら会場に到着した。
錦秋の叡電だより -1-
今年の紅葉は、いつになく早いようだ。遠隔地へは行けないが、同志社で取材の用件があった時に、出町柳から叡電の沿線へ、“外回り鉄”してきた。市内から30分も乗れば、紅葉真っ盛りの景勝地へ行けるのも、京都ならではの魅力だ。
▲最初は、八瀬比叡山口へ。4、5年前から、季節ごと、時間帯ごとに定点撮影している(以前の掲示板でも雪の情景を発表)。その定点場所は、終端にある。ステンレス製の柵、その中央にある柵の一段目の足場によじ登って、到着する電車を狙うもの。ここから見ると、駅のドーム屋根が、まるで額絵のように、なって、季節ごとにそれぞれの表情を見せる。電車の側面が夕陽に輝く瞬間を狙ってみた。
▲鞍馬本線では、市原~二ノ瀬間にある、“紅葉のトンネル”を、日没後にライトアップしている。よくできたもので、電車が近づくと、車内が消灯され、運転室の遮光カーテンも上げられる。乗客からは歓声が上がる。後部の運転台からスローシャッターで、流れて行く紅葉を狙ってみた。▲満員の「きらら」に乗って貴船口に到着した。紅葉がらみのイベントが行われているので、多くの下車客がある。ホーム横の紅葉も真っ盛りで、ライトアップがよく映えている。全面展望の「きらら」が、そのシルエットを残して、闇の中に消えていった。
被災地の鉄道は いま -4-
気仙沼線(2)
震災による津波被害で不通になった気仙沼線柳津~気仙沼間55.3キロは、ミヤコーバスによる振替輸送を行っていたが、JR東日本は、BRT(Bus Rapid Transit バス高速輸送システム)による運行準備を進め、陸前階上~最知間で専用道が完成したため、振替輸送に替わって列車代行バスの営業を開始した。
BRT専用道の陸前階上~最知間の現状を見ると、国道なら一直線で行けるところを、わざわざ迂回して専用道へ向かっているため、昼間は時間のロスを生じているが、朝の道路混雑時は定時性の維持に役立っているようだ。驚いたのは、バスロケーションシステムも使用した定時運転ぶりで、BRT専用道の途中に離合所が設けられているが、ここでピッタリ上下のバスが離合した。今年中には、専用道区間も延長が予定されているので、文字どおり高速・定時性が広範囲に維持されるのを期待したい。
気仙沼線の復旧については、地元とJR東日本との協議が進められ、最新のJR側からの提案では、これまで、BRTが最終的な復旧と捉えられるようになっていたが、「安全が確保された鉄道の復旧」に修正された。これは、従来の線路を放棄して、高台に新線を敷設することを意味する。しかし、通常の復旧費用をはるかに超える経費が必要で、JR東日本のみによる復旧費用の捻出は難しく,国による財政支援が必要としている。
しかし、BRTによる仮復旧は、鉄道トンネルも専用道路化して、柳津~気仙沼の全区間で計画されている。全く同区間で鉄道を敷き直すなどの二重投資はあり得ず、鉄道復旧は、机上の空論でしかないように思える。
もともと気仙沼線の使命として、気仙沼~仙台間の都市間輸送、短区間の通学輸送、この二つの需要しかないと言われていた。前者は、震災前、両都市間を結ぶ快速列車も設定され、それなりの乗車率も確保していたようだが、震災後は両都市間の高速バスも増強され、公共輸送を列車に頼る必要性はさらに薄らいでいる。後者の通学輸送でも、短区間の集中輸送なら、バスでも十分に賄えるはずだ。
柳津を出て、2時間10分、寸分の狂いもなく、定時に終点・気仙沼駅にバスは到着した。列車と代行バスで巡った被災地の一日、この目でしっかりと現況を確認し、私はさらに大船渡線、東北本線を乗り継ぎ、盛岡へ向かった。
▲「歌津」バス停に停車。バス停標識は、バスと同じ赤色のカラーになっている。地図と対比すると、この付近に確かに歌津駅があったはずだが、見渡しても、それを示すものは何もなかった。背後の橋脚のみは道路橋。▲陸前小泉駅付近の現状、河口付近で落橋したままの橋梁の下をくぐる。この高さまで津波が乗り越えたことがわかる。
▲本吉駅で3分の停車、高台にあったため、この区間では唯一被害を免れた駅で、駅舎も健在。2時間以上の乗車となるので、トイレタイムともなる。▲▲本吉駅構内はレールが取り外されていた。将来のBRT化の準備と思われる。▲陸前階上~最知間2.1キロが線路跡を利用した専用道路となり、本来のBRTシステムを見ることができる。陸前階上駅は、残った駅舎・ホームを再整備してバス停に転用、ロケーションシステムも待合室に設置された。▲最知駅は被害が大きかったため鉄道駅・ホームは撤去し、新たに対向式のバス停が設けられた。▲▲被災直後の最知駅(ネットから転載)。中央奥の塔屋が同一であることから、ほぼ定点であることが判る。▲最知駅に停車中のバス車内、途中から乗ってきた高校生もいたが、車内は閑散。現実、沿線に人家は全く残っていないのだから、乗客が少ないのも無理はない。▲▲BRT専用道の途中の離合所で、反対の上り方面バスと交換。▲気仙沼の市街地に近づいてきた。市街地はほぼ全滅状況だったが、今はほとんどそれが感じられないほどの復興ぶりだ。中央のイオンも浸水したが、今は盛業中。
▲定時に終点・気仙沼駅にバスは到着。すぐ転向して、バスは柳津へ向けて再び発車する。気仙沼駅は、高台にあるため、全く被害は無かった。気仙沼の市街地は、起伏が多いため、被害の差が顕著だった。気仙沼から北へ向かう大船渡線は不通のままだ。
高の原駅開業40周年レポ
11月18日(日)、近鉄京都線高の原駅で開業40周年記念イベントがありました。このイベントの実施は地元民の鉄道ファンしか知らなかったことでしょう。記念イベントといっても何か盛大なセレモニーがあったわけでなく、子どもに制服を着用させての記念撮影、記念入場券・記念ポストカード等の販売でした。
平城ニュータウン開設に伴いできた(近鉄京都線では)比較的新しい高の原駅。朝の京都方面特急も停車するようになり、ますます便利になりつつある駅であります(高の原駅始発の京都行急行も1本存在する)。今後の高の原駅のさらなる発展を願って止みません。
開業40周年記念入場券。同志社EVEで展示予定です↓
記念入場券・記念ポストカードを買い求める人の列。定期券を買い求める人の列以外で列ができたことは高の原駅では珍しいのではないか。↓
被災地の鉄道は いま -3-
石巻線の列車に乗って前谷地に到着した。ここから分岐する気仙沼線は、私にとっては初めての乗車となる。隣のホームに停車中の気仙沼線2975Dに乗る。キハ110の単行列車は11時13分に発車、旧北上川に沿って北上を続け、車窓には肥沃な光景が広がる。5駅分、20分余りの乗車で柳津に到着、列車の運転はここまで、以後は気仙沼まで延々と代行バスの旅となる。
気仙沼線(1)
気仙沼線の前谷地~柳津~志津川~気仙沼間72.8キロのうち、海岸部を走る柳津~気仙沼間55.3キロは、津波で壊滅的な被害を受け今も不通のままである。
同区間は、震災以降、ミヤコーバスによる振替輸送を行っていたが、仮復旧としてBRT(Bus Rapid Transit バス高速輸送システム)による列車代行化の準備を進めていたが、一部区間で専用道が完成したため、沿線学校の2学期開始に合わせ8月20日よりJR東日本による列車代行バスの暫定営業を開始した。列車時代の同区間には、10往復の列車が設定されていたが、代行バスは、ほぼ1時間ヘッド、通しで15往復、気仙沼~本吉間では24往復と増発されている。
振替輸送の際はバス料金が適用されていたが、代行バスの場合はJR運賃となり、手にした乗り放題切符でも通しで乗ることができる。柳津駅前には代行バスが待っていた。整理員に聞くと、気仙沼まで2時間以上掛かるという、いささかうんざりする答えが返ってきた。
▲前谷地から乗った2975Dの車内、平日の昼間とあって、わずか3名の乗客だった。▲▲前谷地~柳津で気になっていたのは「のの岳」の駅名、昭和43年の開業当時、平仮名を組み合わせた駅名はたいへん珍しかった。調べると、付近に駅名の由来となった箟岳(ののだけ)がある。難解な漢字のため、平仮名にしたようだ。
▲柳津の手前で、北上川の本流を渡る。川面に青空が反射していた。ここまでは地震の影響など微塵も感じられなかった。▲乗車20分余りで柳津駅に到着。島式ホームにログハウス風の駅舎、列車はここまでで、駅前に待機する代行バスに乗り換え
▲柳津駅前に停車する代行バス。バス事業者はJR東日本で、JRバス東北ではない。JR東日本直営のバス事業は初めてのこととなる。営業車両は全部で18両あり、すべて首都圏の中古バスを購入して、塗り替えて使用している。年内の本格運行時に、増発、ハイブリッド車両が予定されているため、中古の導入となったようだ。なお、運行は、ミヤコーバスに委託している。▲代行バスは柳津を出るとすぐ一般国道45号に入る。原則、鉄道駅に接近した国道上に代行バスの停留所が設けられている。鉄道駅で言えば陸前戸倉から海岸が見えた。建物がいっさい残っていない、荒涼とした風景がずっと車窓に続くことになる。
11・11 ホームカミンクデー行われる
同志社創立137周年を記念した、ホームカミングデーが11月11日(日)に今出川キャンパスで行われ、クローバー会でも3部に分けて行事を行いました。あいにくの雨にもめげず、多くの会員が参加し、朝から晩まで賑やかに楽しく一日を過ごしました。
▲第一部 京阪旧3000系乗車会 3000系クラシックに乗車、先頭車の運転室かぶりつき席を独占して、大阪から京都まで、名残の乗車を楽しみました。
▲第二部 会合(至誠館34番教室) 前半は、会からのお知らせ、会員の近況報告、スライド映写会など。現役会員も同じ至誠館で模型運転会を実施。OB・現役が、同じ館の中で共に活動するのは、同志社広しと言えども鉄道同好会だけでした。
後半は、当会会員の志水仁さん(JR貨物北海道支社勤務)による講演「迂回輸送で石油を運べ」。震災直後、被災地へ向け磐越西線経由で石油輸送に、自らが指導・調整・添乗に携わった知られざる秘話、質疑応答を行った某老人が思わず涙ぐむほどの感動的な講演でした。これには、志水さんのゼミ生同窓生、もと鉄道同好会顧問の斉藤尚久先生にも聴講していただきました。
▲第三部 懇親会(京都平安ホテル) OB30名に現役会員5名も参加して行われ、夜の更けるまで、和やかに賑やかに行われました。
ホームカミングデー終了、そして締めくくりは同志社EVE
11月11日(日)、ホームカミングデーでの鉄道同好会の展示は無事に終了いたしました。計146人の方々にお越しいただき、当会の誇る展示を思いゆくままに楽しんで頂けたと感じています。OBの皆様、ご声援ありがとうございました。
寒梅館夏まつり、三条イベント、船場まつり、ホームカミングデーと4つの大イベントが終わり、今年も残すは今月下旬の同志社EVEのみとなりました。私が渉外担当になったことがつい最近のように思えます。楽しいことはすぐに過ぎ去ってしまう・・・。今年、時の流れをより速く感じたのは“楽しい”イベントが多かったためでしょう。後輩たちには本当に感謝しています。
さて、同志社EVEですが、展示内容等詳細は分かり次第ご報告させて頂きます。今回は、展示日程と展示教室の紹介のみに留めておきます。ご了承をお願いいたします。
同志社EVE 11月26日(月)~28日(水) 扶桑館104教室にて(←去年の展示場所とは異なります)
11月26日(月) 10:00~20:00
11月27日(火) 10:00~20:00
11月28日(水) 10:00~18:30
変更等が生じましたら、逐次お伝えいたします
浜大津イベントを振り返って
土曜、日曜だけの4日間開催でしたが、有料入場者数400余人ということで無事終了致しました。丁度1年前の江若3駅のジオラマ展示に続く第2弾として、実質11ケ月間で製作しましたが、この間多くの皆様から物心両面にわたるご支援があったればこそ実現できたと改めて感謝しています。本当にありがとうございました。
併設された滋賀鉄道模型愛好会レイアウトへの来場者も含めてのアンケートですが、回収した126人分のアンケートを整理してみました。
1.来客の住所
・大津市内 61人(49%)
・滋賀県内 32人(26%)
・滋賀県外 32人(26%) 東京、千葉、埼玉、京阪神、奈良
2.年齢
・10歳未満 6人 滋賀模型愛好会への来客?
・10歳代 5人
・20歳代 4人
・30歳代 21人
・40歳代 22人
・50歳代 34人
・60歳代 19人
・70歳代 11人
・80歳以上 4人
3.イベントの情報源
・新聞記事 35人(27、28日に5紙に掲載),効果大
・ポスター、チラシ、広報 32人
・インターネット 24人
・その他 友人など口コミ 23人
・通りがかりに立ち寄った 9人
4.昨年のイベントに
・来た 20人(17%)
・来ていない 98人(83%) リピーターは少ない
5.このジオラマを今後どうすれば良いかと意見を聞いたところ
22人の方が「永久保存」「常設」希望と書いて頂いていました。
アンケート集約結果は以上ですが、40年前の記憶がない30代、40代の方が熱心にご覧頂いたこと、介護福祉士の青年が 会場に来たくても来られない老人のために是非写真を撮って帰って 施設で見せてあげたいと申し出られたことが強く印象に残りました。更には 昨今 はるか昔の写真やジオラマを見せることで認知症の改善を図る療法があることを知ったこと、あるいは模型で再現した喫茶店や飲み屋さんが現在も盛業中で、それぞれのお店で杯を傾けられたのも思い出に残る出来事でした。
以上簡単ではありますが、ご報告と御礼とさせて頂きます。
懇親会と運転会
江若鉄道全駅スケッチ
今日の毎日新聞滋賀版にこんな記事が出ていました。11月3日には62枚全部のスケッチが見られますが、それ以外に13日~30日は各駅1枚のスケッチが見られるそうです。11月3日は浜大津のイベント、京阪錦織車庫のイベントがあり、少し遠いですが、この時期に行われるのも何かの縁、いかがなものでしょうか。
大井川鉄道、臨時急行電車運転
去る10月27日(土)より、毎週土曜・日曜及び祝日に、元京阪特急電車を使用(原則)した臨時急行電車が1日1往復運転されています。行楽シーズンに合わせた期間限定、12月初旬までの13日間です。
途中停車駅は往路が家山、川根温泉笹間渡。復路は笹間渡、家山、新金谷です。元京阪特急車両は、今年4月初旬、運用中の車両故障発生後あまり運用されていませんでした。
10月27日(土)運用開始当日の往路。
大井川沿線は快晴、徳山の桜並木も紅葉していました。
翌10月28日(日)、朝の各停として運用、曇り空の抜里を発車。
急行運転日は、各停として朝に1往復運転されていました。
金谷6:57――8:10千頭8:25――9:38金谷9:44――9:48新金谷
その後急行電車として運転です。
金谷11:32――家山11:55--笹間渡12:01――12:32千頭
各駅に案内と時刻ポスターが掲示されていました。
大井川鉄道ホームページにも下のような案内がありました。
被災地の鉄道は いま -2-
仙石線で石巻へ行き、乗り換えて石巻線渡波まで向かう間、1時間30分の待ち時間があります。この間を利用して、石巻の被災状況を確認するため街なかへと出ました。駅前のメインストリートたる立町通は、もうすっかり復旧して営業店舗が続きますが、仔細に見ると、1階部分が壊滅した建物が見え隠れして、石巻の中心街も背丈程度まで水没したことが分かります。
石巻線
石巻の市街地を北上川の手前で右に折れて河口寄りへ行くと、途端にその状況は、厳しくなってきた。一面に荒廃した土地が続き、辛うじて残った家屋も、骨組みだけの伽藍堂、北上川を俎上した津波がすべてを奪い去って行ったことが分かる。
その先端に日和山がある。頂上の石巻城址が公園になっていて、市街地が望める。被災前の市街地写真が公園の柵に掲げられており、現況と対比できるようになっている。散歩中の地元の古老から、震災の状況をたっぷり聞くことができた。
▲真南に当たる門脇地区は一面の荒地、震災時は津波で壊滅し、火災も発生した。かつてはここに家がびっしり建っていた。奇跡的に1軒だけそのままの姿で残っている。海岸近くに積み上げられたのは被災自動車で、瓦礫は撤去されたものの、自動車だけはなかなか処分できないらしい。右手に伸びていた仙台臨海鉄道も大きな被害を受けた。
▲眼を北上川の市街地側に転じると、北上川に沿って被災地が続く。中央の中洲もすっかり建物が消えてしまったが、よく見ると、円形ドームの石ノ森章太郎記念館の横に、テントで覆われた建物が見える。これが、国内最古の木造教会といわれる石巻ハリストス正教会で、奇跡的に残って修復が始まるようだ。
石巻線は、小牛田-前谷地-石巻-渡波-女川の44.9キロで、小牛田~石巻間は、地震後すぐに運転を開始し、石巻~渡波間は、津波の被害を受けたが、今年3月に復旧している。石巻10:16発の1631Dで、列車で行ける渡波まで行くことにした。その先の海岸沿いを走る渡波-女川は今も運休中で、同区間には、列車に接続する代行バスが運転されているが、時間的に代行バスに乗って往復する無理で、2駅先の渡波まで行って折り返し列車で戻ることにした。
渡波~女川間は復旧工事に入ったが、女川駅付近は、駅を内陸部へ移転させる構想もあって抜本的な工事が必要で、まだ着手には至っていない。女川のひとつ手前の浦宿までが2013年度の開通とアナウンスされている。
被害を受けた石巻線だが、今年は、前身の仙北軽便鉄道によって小牛田―石巻間を開業してから100周年に当たる。12月には小牛田~石巻間でC11が引く「SL石巻線100周年号」が1日1往復運行される。
▲渡波の女川方、枕木の車両止めがあって、ここから先へは進めない。ワンマンカーの自動音声テープも「つぎは終着、渡波」と伝え、かなりの長期戦になると見ているようだ。
▲▲渡波駅前に停車する石巻線渡波~女川間の代行バス。JR東北バスによる運行。列車ダイヤに接続して一日8往復運転されている。続行便はなく1台のみの運行。
▲渡波駅舎。津波で浸水したものの、現在はその痕跡も感じられないほど駅前も復旧していた。端正なたたずまいの駅舎も、健在だった。
▲渡波に20分だけ滞在し、渡波10:37発の小牛田行き1632Dで折り返す。キハ48の2連、女川からの代行バスの乗客も乗り込んでまずまずの乗車となった。
▲前谷地に11:11に到着。駅は二面三線の標準的な構内だが、ここから、気仙沼線が分岐する。ホーム隣に待っていたのが、気仙沼線柳津行きのキハ110単行(右)
あの感動を再び! 浜大津イベント明日開幕
西村雅幸君の力作、再び!
昨年、浜大津の「スカイプラザ浜大津」で展示されて大絶賛された、江若鉄道の精巧なジオラマがさらに精巧にバージョンアップされてかえってきます。今回は浜大津駅の再現で、会員諸兄の資料やアドバイスをはじめ、前回の展示会で集まられた江若鉄道OBの方々より資料のご提供を受けて、より精巧な浜大津駅が再現できたそうです。
今回は、京阪電鉄京津線開業100周年を記念するイベントで、京津線関係の珍しい写真や資料なども展示されるそうです。今回の見所は、駅付近のジオラマのみならず、当時の江若鉄道の車両群と、京津線を走った20型以降の車両達がOB会員達の協力で復元されたことです。
会員諸兄にお願いします。是非ともお出で頂き、素晴らしい作品を見て下さい。そしてご意見や思い出話を聞かせて下さい。遠く三原から来てくれる、西村君にエールを送ってあげて下さい。
10月27日(土)~28日(日)、11月3日(土)~4日(日) 10:00~17:00
浜大津駅隣接 スカイプラザ浜大津6F
※申し訳ありませんが入場料200円が必要です。
以前に西村君が投稿した「お知らせ」を再度掲載してご案内いたします。
>昨年同様、スカイプラザ浜大津にて土曜、日曜だけの計4日間ですが、浜大津ターミナルの復元ジオラマ展示と江若、京阪の模型運転を行います。今回も多くの会員諸氏のご協力のおかげで 準備も最終段階に入っています。
場所は京阪浜大津駅の隣のビル6階で、開場は10:00~17:00です。皆様にお会いできるのを楽しみにしております。なお11月3日には京阪のイベントが錦織車庫で開催され、毎年多くのファンや家族連れでにぎわうようです。
被災地の鉄道は いま -1-
先日の青森写真展では、設営・受付のために現地に3日間滞在しましたが、ダイレクトに行って帰って来るだけでは、鉄道ファンの名が廃ります。青森へ駆けつけた各会員も思い思いに寄り道したようです。私の場合は、被災地の鉄道の乗車に一日を当てました。これまで被災地を訪れることは控えてきましたが、大震災から一年半が経過し、もう邪魔にもならないだろうと考え、現地の鉄道・代行バスを実体験することにしました。
10月9日、早朝の仙台から乗車が始まります。
仙石線
5時30分、新宿から乗ったJRバス東北の夜行バスが、早着も延着もなく、ピッタリ仙台駅東口に着いた。駅でもらった代行バスの時刻表をもとに、今日一日の乗車経路を再検討すると、代行バスの連絡が意外にうまく行くことが判明した。 ▲早朝の仙台駅、震災の傷跡など微塵も感じられなかった
仙台(仙石線)→松島海岸(代行バス)→矢本(仙石線)→石巻(石巻線)→渡波(石巻線)→前谷地(気仙沼線)→柳津(代行バス)→気仙沼(大船渡線)→一関(東北本線)→盛岡(宿泊)と約300キロを列車・代行バスで回れる。手にした切符は「秋の乗り放題切符」だから運賃の心配も要らない。
仙石線は、現在、高城町~陸前小野間の11.7キロが震災の影響により不通で、その前後の区間、あおば通(仙台)~高城町、陸前小野~石巻で列車が運行されている。あおば通(仙台)~高城町は、仙台の近郊区間であり、震災前と同数の列車が確保されており、快速列車も運転されている。いっぽう陸前小野~石巻は、震災前の半分程度の列車であり、すべてDC列車(キハ110)となっている。代行バスは、駅員配置駅の松島海岸(高城町のひとつ仙台寄り)~矢本(陸前小野のふたつ石巻寄り)、鉄道営業距離で18.2キロを43分程度で運転している。代行バスの本数は、一日20本で、朝夕は一時間2本、昼間は一時間1本のネットダイヤで、列車との接続はとくに考慮されていないが、たまたま乗った列車とは、うまく接続していた。
▲仙石線始発のあおば通りまで行って、快速に乗る。仙石線用に改造の205系のうち、5編成の石巻方先頭車はクロス、ロングの両方に使えるデュアルシート車で、ここでは“2WAYシート”の愛称が与えられている。▲▲快速は高城町までだが、代行バス乗り場のある一つ手前の松島海岸で下車、乗車列車は、石巻出身の石ノ森章太郎のキャラクターラッピング車。
▲代行バスに乗ってしばらくは、松島海岸が続くが、陸前大塚付近から津波の被災区間となる。辛うじて残った家は1階部分が壊滅 ▲▲野蒜駅舎は改築されて、まだ真新しい駅舎だったが、被害を受けてベニヤ張り
▲不通区間のなかでは最も津波の被害の大きかった野蒜駅、まだ架線柱は傾いたまま
▲石巻方の代行バスの接続駅となる矢本。朝ラッシュ時、代行バスへ向かう乗客 ▲▲朝の代行バスは、3台続行で次つぎ発車、バスは近隣のバス会社から総動員している。中心はミヤコーバスだが、乗ったのは日本三景交通という貸切専業のバスだった
代行バスをはさみ仙台~石巻間を乗車すると、接続がうまく行っても2時間程度掛かってしまう。震災前は1時間20分程度であり、とくにラッシュ時のダメージは大きい。そこで、仙台~石巻間を東北本線・小牛田・石巻線経由で結ぶ臨時直通快速を朝夕に各1往復を運転している。この列車は途中ノンストップで小牛田にも停車しないため、1時間05分で、震災前より逆に短時間で走っており好評のようだ。
▲矢本駅に停車する石巻行き7723D列車、石巻方の営業区間は陸前小野~石巻間だが、代行バスの接続が矢本のため、矢本始発の列車が多い
不通区間の中では、とくに野蒜付近の津波被害が大きかった。震災当日、野蒜で交換直後の上下列車が行方不明になり、うち1本が津波で流された。地元自治体からは、高台への線路移設の要望も上がっており、現在、復旧工事は全く着手されていない。
ところが、青森からの帰宅後に、JR東日本仙台支社から、東北本線と仙石線を接続する計画が発表された。両線が近接している塩釜~松島間(東北本線)と松島海岸~高城町間(仙石線)を接続し、約400メートルの路線を新設するというもの。工事は、不通になっている仙石線の高城町~陸前小野間の復旧工事と並行して行い、2015年中の全線復旧にあわせて使用を開始とアナウンスされている。完成すると、東北本線と仙石線を経由した仙台~石巻間の直通列車が実現する。震災前より、さらに10分程度短縮する見込みである。東北本線が交流、仙石線が直流のため、気動車を使用する。出自の違いから、たまたま並行していた両線が有機的に結びつく訳だ。
▲8時9分、石巻に到着、かつては仙石線石巻駅と石巻線石巻駅は別にあって、乗り換えの際に戸惑ったものだが、今は統合されている(写真右)。秋の青空もと、駅前にバスがポツンと一台止まっている。左のピンク色の建物は廃業したさくら野百貨店の建物で、1階にスーパー、2階以上は石巻市役所として使っている。一見、平和そうに見えるが、震災時、駅前も1階部分が津波浸水にあったという
青森写真展によせて 佐竹保雄
さまざまな方との出会いがあった一日だった
(佐竹保雄さんから青森写真展見学のレポートが届きました)
鉄道記念日の10月14日、南草津図書館の講演会も無事終わり、翌15日早朝、山科を出発して東京経由東北新幹線で、夜には青森に着きまし た。16日10時には同志社鉄道同好会OB会写真展「青森を走った汽車・電車」をギャラリーに見に行きました。
同志社校友会青森県支部事務局長桜 庭潔氏が、私に頭を下げて「京都から遠い青森までよくぞ鉄道の写真の撮影に来ていただき有り難うございました」と挨拶されましたのでびっくり しました。会場の道路側はガラス張りで外から中の写真がよく見え、特に入口左のD51重連のパネルは人目を引きます。この写真展は年代の古い道路側の写真がいいと多くの入場者が言っているとのことでした。
午前中は入場者はほとんど無く、同志社校友会青森県支 部顧問佐藤光彦氏(ブルーオーシャンKK代表取締役社長)を電話で呼び出してくれ、いろいろ楽しくお互いの学生時代の昔話をしました。午後にOB会の山田氏、夕方に津田氏が来る。入場者は10数人はあり、Hさん親子が私に会いに来てくれました。事務局長と二人のときは同志社大学のことやいろいろの話ができて大変楽しく、あっという間に17時になり退場しました。 雪のD51重連の大型ポスターが目を引く ドアを入ると、そこには懐かしい写真があふれていた