INUBUSEです。
西の方では 最近単色の電車は珍しくないようですが 最近山手線でこんな色の電車が走っています。
103系電車誕生50周年の記念電車で2013年1月16日から12月28日までの約1年間とのことです。
車両番号は旧国鉄時代の文字、車内もいろいろ展示されているそうで、しばらく我々を楽しませてくれそうです。
2013年1月24日 田町にて
年が明けてから半月が経過しました。皆さんはどのような正月を送られたのでしょうか。
正月から早くも活動全開という方もおられると思いますが、私の場合は、昨年末に周囲の状況が変わってしまい、活動の停滞を余儀なくされました。しかし、これもまた人生、気を取り直して、自分なりの趣味人生を貫きたいと思ったところです。
遠隔地への旅行など、叶わぬ夢になってしまった現在、手始めに正月に目指したのは、住吉詣ででした。思い出すのは、毎年の恒例行事とされた乙訓老人のことです。めっきり足腰が弱った老人が、住吉詣を止めてから数年が経ちます。その老人の思いを引き継ぐつもりで、今回は、住吉大社から天王寺駅前まで、久しぶりの歩きの撮影を楽しみました。
次から次へ来る電車、どっと乗り込む乗客、正月の住吉は、まさしく路面電車の最後の聖地でした。
▲阪堺線住吉鳥居前は、正月三が日恒例の阪堺電車の大増発。つぎつぎに電車がやって来る。大勢の初詣客にも増して、カメラ人間が放列を敷いていた。
▲現役最古参となったモ161も大車輪の活躍、10両のうち、8両が稼動していた。
▲住吉交差点に立つと、恵美須町、天王寺駅前、浜寺公園、住吉公園の四方向から電車がひっきりなしに顔を出す。警笛とクロッシング音が絶え間なく聞こえてくる。
▲阪堺線では今春に新車、低床車がデビューの予定で、モ161の大増発もこの正月が最後かも知れない。
▲神ノ木で“ギラリ”を狙う。阪堺線は、大きくSカーブを描いて、南海高野線を越す。
▲Wakuhiroさんも、本掲示板で、あべのハルカスと鉄道との組合せについて述べておられた。阪堺線も姫松付近からも遠望できるのは、さすが日本一高いビルだけはある。まだ照明がついていないので夕景も寂しいが、完成後の撮影が楽しみだ。
▲東天下茶屋も、私の好きな北天下茶屋に劣らず、いい雰囲気を持った駅だ。専用軌道上に対向式ホームがある。暮れていく中を発車したモ161形を流してみる。
▲暮れてからも電車の増発は止むことなく、専用軌道上を続々と上下の電車が行く。
▲最後は天王寺駅前、あべのキューズモールの2階から流してみた。一帯はまだ再開発工事の途上だ。天王寺から難波まで、LRT新設の構想もあり、阪堺線はどう変わっていくのだろうか。ちょうど、都電カラーの502が、きらめきの中に映えた。
立川から鳥沢へ撮りに行くのに立川始発の521Mをよく利用します。発車してすぐに多摩川橋梁を渡るのですが、寒い日などは川霧が立ち昇りとても綺麗でした。そこで本日、挑戦してみました。
ビデオ画像から切り出した画像なので車輌は流れています。黎明のこととて、ISO12,800、EV:+2.0と目一杯明るさの補正をしています。
最初は貨物83列車。通常は土日曜日運休なのですが、冬季には土日も運転される様です。
この地点から反対側を望むと多摩モノレールが見られます。太陽も顔を出し逆光気味の方が川霧がよく見えました。
1月5日の朝刊に、梅小路公園内に市電ひろばができて、保存されている京都市電が展示・運転されるとの記事が出ていた。いままでも旧N電が運転されているが、記事によると運転コースが現在の旧二条駅前から西へのルートを廃止して、山陰線高架より東側になるらしい。市電は山陰線の高架下に車庫を作って現在も保存されている。搬入時に見たのだが、900型、600型、700型、500型等だったように記憶している。市電ひろばは、旧国鉄の官舎跡で、昨年まで福島県からの疎開家族に提供されていたものである。場所は水族館の西隣で、木津屋橋通りの南側である。
問題はこの市電の運転方法である。記事で見る限りであるが、給電設備が必要だからという理由で、市電にバッテリーを積んで架線を使わずに「EV」化して走らせるとのことである。
これはとんでもない考えであると私は思う。子供の遊園地の遊具ではないのだ。運営主体はJR西日本と京都市と違えども、れっきとした鉄道博物館の付帯設備で、京都市の税金で建設される産業遺産展示物である。受電設備がないというが現在も600Vで架線給電して走っているではないか。市電廃止後30年以上も放置してきた保存車両を市民に公開して走らせるなら当時の姿を再現するのが行政の責任ではないか。何でもいいから走らせればいいだろうとは市民を馬鹿にするのも甚だしい。そんな形で走らせるなら静態保存の方がまだましだと思う。会員諸兄はいかがお考えであろうか。
できるなら現在の線と新設線をつないで頂き、公園の西の端から東の水族館までのピストン運転をして頂きたい。もちろん架線集電でである。30年も日の目を見ずに待っていた市電達に対するせめてものご褒美として。
みなさま あけましておめでとうございます。いかがお過ごしでしょうか?
本日4日 年始初出勤日で いつもの時間にEF64の牽く24系の「あけぼの」を見に上野駅13番線に行ったところ いつもは多くても10名程度しかいないのに 100名を超す人たちが列車の入ってくるのを出迎えていました。
そこに入ってきたのは583系秋田車6連のあけぼの82号 定刻より約1時間遅れの到着でした。年末12月29日上野発弘前行き、1月3日弘前発、4日上野6:05着の臨時夜行寝台でした。13番線ホームの終端部で待っていたのですが6連ということもありホーム中ほどで止まりましたので 走ってそこまで行きました。
きれいな583系秋田車6連。雪に着いたヘッドマークの上部に「あけぼの」の文字が見えます。
回送列車として 7:28に(定刻は6:20)秋田に向けて出発していきました。きれいな583系いつまでも元気に活躍してもらいたいものです。犬伏
クローバー会の皆様 明けましておめでとうございます。昨年同様本年もよろしくお願い致します。引き続き広島方面のニュースを掲示板に載せてゆきますので、コメント、ご意見をお願い致します。2013年冒頭はおめでたい話題をお届け致します。中国新聞1月1日朝刊からの引用です。可部線の可部、三段峡間は平成15年11月30日に廃線となり 9年が過ぎました。可部駅周辺は宅地化が進み、地元からは廃止区間の一部復活を望む声が日増しに高まっていました。ところが一旦廃止された線区を復活するとしても新線建設扱いとなり、新線建設では平面交差の踏切は基本的に認められず、高架化か地下化が原則らしく、この踏切問題で永年紛糾していました。この問題がどのような落としどころで決着したのか不明ですが、いずれにせよ可部からひと駅先の河戸駅までの電化、復活の見通しが立ったようです。2012年度中の着工で2015年度での運行開始ですからまだ先のこととは言え、一旦廃止された線区が復活するのは初めてのようで、新年早々うれしいニュースとなりました。
26603にて三原の試運転線をご紹介しましたが、今朝の新聞で この試運転線の拡張計画が報じられましたので掲載します。運用開始は2014年度となっていますので 少し先になりますが完成が楽しみです。と言うのも 下の見取り図の左側はテニスコートや陸上競技場など市民にも公開されているエリアに敷設されることになるので、線路際までアプローチできるのではと思うからです。既存の試運転線には勾配区間がないので あるいは公共エリアを高架にすることで勾配区間を設けるかもしれません。いずれにせよユニークな施設になることを期待します。工事の状況を また山の上から逐次ご報告することに致します。
2012年も残り数日です。今年、鉄道同好会は大きな飛躍を成し遂げました。それは、熱意ある現役会員の積極的に活動していこうとする姿勢・態度、そしてOBの温かいご支援があったからこそだといえます。
先日、新体制が発足し、さらなる高みを目指そうと会員が一致団結しました。模型班・展示班の2班体制を再編し、来年は模型班・写真班・旅行班の3班体制となります。(活動内容は順次ご報告するといたしまして、)きっと今年を上回る活動が実現するだろうと私は信じております。また、現役会員からOBと個人的な交流をしたいとの声が挙がってきているので、今後私から多種多様なお願い事やお誘い事を申し上げることになるでしょう。来年も引き続き、よろしくお願いいたします。
以上は会の報告でしたが、私個人としては来年時間をとって、地元を走っていた大仏鉄道の遺構巡りをしようかと考えています(高校時代はバス通いでしたが、そのとき毎日黒髪山隧道があった場所を通っていました)。関西本線のJR加茂駅に集合し、大仏駅跡地(奈良市)まで約12kmの道のりを“歩いて”巡るというツアーです。現地のボランティアガイドさんをお招きすることも考えております。もしご興味がありましたら、ご一緒に歩きましょう。持ち物は、動きやすい服装、そして12kmを歩き切るための豊富な体力・精神力です。当然、実施は暖かくなった5月・6月がベストですね。ゴールは奈良にある鉄道模型カフェ「シルクロードの終着駅」でも良いかもしれません。ただ、この場合、大仏駅跡地からさらに歩くことになりますが…
以前の掲示板で奈良の駅名研究家さんから紹介があったとおり、26日(月)から3日間、同志社EVEが今出川キャンパスで行われ、現役の鉄道同好会の皆さんも恒例の鉄道展を開きます。ことしは、初めてクローバー会もEVEに参加、鉄道写真展を行います。写真は、この2月、烏丸御池駅ギャラリーで開かれた「鉄路輝く」の中から、選りすぐりの約30点を展示することになりました。
同志社EVE 鉄道同好会“鉄道展”
今出川キャンパス 扶桑館101教室 (ハリス理化学館の北側)
11月26日(月)~28日(水) 10時~20時(28日は18時まで)
各世代に思い出の残るEVE、その意義・内容も様変わりしていますが、それはそれとして、いっとき学生時代にタイムスリップしてみませんか。
▲某所から運び出し、会場に並べられた写真。足腰が弱ってきたにも関わらず運び出しに協力してくれた乙訓老人に多謝。
▲準備が一段落した現役生たち。展示はNゲージ運転会が中心だが、大阪地下鉄御堂筋線に関する研究成果の発表や、前面展望ビデオの上映なども。
▲扶桑館101教室。キャンパスの整備工事が急ピッチで進む今出川キャンパス、40年前の現役生はウロウロしながら会場に到着した。
今年の紅葉は、いつになく早いようだ。遠隔地へは行けないが、同志社で取材の用件があった時に、出町柳から叡電の沿線へ、“外回り鉄”してきた。市内から30分も乗れば、紅葉真っ盛りの景勝地へ行けるのも、京都ならではの魅力だ。
▲最初は、八瀬比叡山口へ。4、5年前から、季節ごと、時間帯ごとに定点撮影している(以前の掲示板でも雪の情景を発表)。その定点場所は、終端にある。ステンレス製の柵、その中央にある柵の一段目の足場によじ登って、到着する電車を狙うもの。ここから見ると、駅のドーム屋根が、まるで額絵のように、なって、季節ごとにそれぞれの表情を見せる。電車の側面が夕陽に輝く瞬間を狙ってみた。
▲鞍馬本線では、市原~二ノ瀬間にある、“紅葉のトンネル”を、日没後にライトアップしている。よくできたもので、電車が近づくと、車内が消灯され、運転室の遮光カーテンも上げられる。乗客からは歓声が上がる。後部の運転台からスローシャッターで、流れて行く紅葉を狙ってみた。▲満員の「きらら」に乗って貴船口に到着した。紅葉がらみのイベントが行われているので、多くの下車客がある。ホーム横の紅葉も真っ盛りで、ライトアップがよく映えている。全面展望の「きらら」が、そのシルエットを残して、闇の中に消えていった。
気仙沼線(2)
震災による津波被害で不通になった気仙沼線柳津~気仙沼間55.3キロは、ミヤコーバスによる振替輸送を行っていたが、JR東日本は、BRT(Bus Rapid Transit バス高速輸送システム)による運行準備を進め、陸前階上~最知間で専用道が完成したため、振替輸送に替わって列車代行バスの営業を開始した。
BRT専用道の陸前階上~最知間の現状を見ると、国道なら一直線で行けるところを、わざわざ迂回して専用道へ向かっているため、昼間は時間のロスを生じているが、朝の道路混雑時は定時性の維持に役立っているようだ。驚いたのは、バスロケーションシステムも使用した定時運転ぶりで、BRT専用道の途中に離合所が設けられているが、ここでピッタリ上下のバスが離合した。今年中には、専用道区間も延長が予定されているので、文字どおり高速・定時性が広範囲に維持されるのを期待したい。
気仙沼線の復旧については、地元とJR東日本との協議が進められ、最新のJR側からの提案では、これまで、BRTが最終的な復旧と捉えられるようになっていたが、「安全が確保された鉄道の復旧」に修正された。これは、従来の線路を放棄して、高台に新線を敷設することを意味する。しかし、通常の復旧費用をはるかに超える経費が必要で、JR東日本のみによる復旧費用の捻出は難しく,国による財政支援が必要としている。
しかし、BRTによる仮復旧は、鉄道トンネルも専用道路化して、柳津~気仙沼の全区間で計画されている。全く同区間で鉄道を敷き直すなどの二重投資はあり得ず、鉄道復旧は、机上の空論でしかないように思える。
もともと気仙沼線の使命として、気仙沼~仙台間の都市間輸送、短区間の通学輸送、この二つの需要しかないと言われていた。前者は、震災前、両都市間を結ぶ快速列車も設定され、それなりの乗車率も確保していたようだが、震災後は両都市間の高速バスも増強され、公共輸送を列車に頼る必要性はさらに薄らいでいる。後者の通学輸送でも、短区間の集中輸送なら、バスでも十分に賄えるはずだ。
柳津を出て、2時間10分、寸分の狂いもなく、定時に終点・気仙沼駅にバスは到着した。列車と代行バスで巡った被災地の一日、この目でしっかりと現況を確認し、私はさらに大船渡線、東北本線を乗り継ぎ、盛岡へ向かった。
▲「歌津」バス停に停車。バス停標識は、バスと同じ赤色のカラーになっている。地図と対比すると、この付近に確かに歌津駅があったはずだが、見渡しても、それを示すものは何もなかった。背後の橋脚のみは道路橋。▲陸前小泉駅付近の現状、河口付近で落橋したままの橋梁の下をくぐる。この高さまで津波が乗り越えたことがわかる。
▲本吉駅で3分の停車、高台にあったため、この区間では唯一被害を免れた駅で、駅舎も健在。2時間以上の乗車となるので、トイレタイムともなる。▲▲本吉駅構内はレールが取り外されていた。将来のBRT化の準備と思われる。▲陸前階上~最知間2.1キロが線路跡を利用した専用道路となり、本来のBRTシステムを見ることができる。陸前階上駅は、残った駅舎・ホームを再整備してバス停に転用、ロケーションシステムも待合室に設置された。
▲最知駅は被害が大きかったため鉄道駅・ホームは撤去し、新たに対向式のバス停が設けられた。▲▲被災直後の最知駅(ネットから転載)。中央奥の塔屋が同一であることから、ほぼ定点であることが判る。
▲最知駅に停車中のバス車内、途中から乗ってきた高校生もいたが、車内は閑散。現実、沿線に人家は全く残っていないのだから、乗客が少ないのも無理はない。▲▲BRT専用道の途中の離合所で、反対の上り方面バスと交換。
▲気仙沼の市街地に近づいてきた。市街地はほぼ全滅状況だったが、今はほとんどそれが感じられないほどの復興ぶりだ。中央のイオンも浸水したが、今は盛業中。
▲定時に終点・気仙沼駅にバスは到着。すぐ転向して、バスは柳津へ向けて再び発車する。気仙沼駅は、高台にあるため、全く被害は無かった。気仙沼の市街地は、起伏が多いため、被害の差が顕著だった。気仙沼から北へ向かう大船渡線は不通のままだ。
11月18日(日)、近鉄京都線高の原駅で開業40周年記念イベントがありました。このイベントの実施は地元民の鉄道ファンしか知らなかったことでしょう。記念イベントといっても何か盛大なセレモニーがあったわけでなく、子どもに制服を着用させての記念撮影、記念入場券・記念ポストカード等の販売でした。
平城ニュータウン開設に伴いできた(近鉄京都線では)比較的新しい高の原駅。朝の京都方面特急も停車するようになり、ますます便利になりつつある駅であります(高の原駅始発の京都行急行も1本存在する)。今後の高の原駅のさらなる発展を願って止みません。
開業40周年記念入場券。同志社EVEで展示予定です↓
記念入場券・記念ポストカードを買い求める人の列。定期券を買い求める人の列以外で列ができたことは高の原駅では珍しいのではないか。↓
石巻線の列車に乗って前谷地に到着した。ここから分岐する気仙沼線は、私にとっては初めての乗車となる。隣のホームに停車中の気仙沼線2975Dに乗る。キハ110の単行列車は11時13分に発車、旧北上川に沿って北上を続け、車窓には肥沃な光景が広がる。5駅分、20分余りの乗車で柳津に到着、列車の運転はここまで、以後は気仙沼まで延々と代行バスの旅となる。
気仙沼線(1)
気仙沼線の前谷地~柳津~志津川~気仙沼間72.8キロのうち、海岸部を走る柳津~気仙沼間55.3キロは、津波で壊滅的な被害を受け今も不通のままである。
同区間は、震災以降、ミヤコーバスによる振替輸送を行っていたが、仮復旧としてBRT(Bus Rapid Transit バス高速輸送システム)による列車代行化の準備を進めていたが、一部区間で専用道が完成したため、沿線学校の2学期開始に合わせ8月20日よりJR東日本による列車代行バスの暫定営業を開始した。列車時代の同区間には、10往復の列車が設定されていたが、代行バスは、ほぼ1時間ヘッド、通しで15往復、気仙沼~本吉間では24往復と増発されている。
振替輸送の際はバス料金が適用されていたが、代行バスの場合はJR運賃となり、手にした乗り放題切符でも通しで乗ることができる。柳津駅前には代行バスが待っていた。整理員に聞くと、気仙沼まで2時間以上掛かるという、いささかうんざりする答えが返ってきた。
▲前谷地から乗った2975Dの車内、平日の昼間とあって、わずか3名の乗客だった。▲▲前谷地~柳津で気になっていたのは「のの岳」の駅名、昭和43年の開業当時、平仮名を組み合わせた駅名はたいへん珍しかった。調べると、付近に駅名の由来となった箟岳(ののだけ)がある。難解な漢字のため、平仮名にしたようだ。
▲柳津の手前で、北上川の本流を渡る。川面に青空が反射していた。ここまでは地震の影響など微塵も感じられなかった。▲乗車20分余りで柳津駅に到着。島式ホームにログハウス風の駅舎、列車はここまでで、駅前に待機する代行バスに乗り換え
▲柳津駅前に停車する代行バス。バス事業者はJR東日本で、JRバス東北ではない。JR東日本直営のバス事業は初めてのこととなる。営業車両は全部で18両あり、すべて首都圏の中古バスを購入して、塗り替えて使用している。年内の本格運行時に、増発、ハイブリッド車両が予定されているため、中古の導入となったようだ。なお、運行は、ミヤコーバスに委託している。▲代行バスは柳津を出るとすぐ一般国道45号に入る。原則、鉄道駅に接近した国道上に代行バスの停留所が設けられている。鉄道駅で言えば陸前戸倉から海岸が見えた。建物がいっさい残っていない、荒涼とした風景がずっと車窓に続くことになる。