こぱんだの保護者でございます。
遠くに出かけることもできませんので、京阪電車で「朝練」をしてきました。

何の変哲もなさそうな6000系ですが…。 続きを読む
準特急さんのレポートです。
京王(帝都)電鉄6000系5扉車
『かえだま』については諸賢からご投稿を頂いております。
河 昭一郎さんよりプレゼント!
再度、『かえだま』に関する考証を
50年前の撮影地を歩く
157系「こだま」号
例によって藤本哲男さんからのレポートにリンクします。
国鉄阪和線クハ6210に寄せて
ここへ乙訓の長老様がコメントを入れてくれています。
どですかでんさんの関連投稿です。
長野電鉄OSカーの写真のこと
ピクで見た時は驚きました。
「す天ぷら」とはなんぞや?ステンレス車体とプラスチック仮面の造語と分かりましたが、いまでも最初に感じた「す天ぷら」のイメージが浮かびます。
前回の掲載時に寄せられた準特急さんの報告をご覧下さい。
京王帝都電鉄3000系
藤本さんの研究論文です。
国鉄阪和線モタ3000系に寄せて

(ク)モハ54型についての解説を藤本哲男さんが投稿されていますのでリンクを張りますので参考にしてください。
モハ54003~54005に寄せて
河原町線廃止前の市電・市バス
つぎは市電河原町線の廃止(昭和52年9月末)の時に見られた市電・市バスの共存です。(1)(2)の時代と比べると、車掌の乗ったツーマンカーは3つの系統が残るのみで、あとは多区間車にもワンマンカーが占めるようになります。また3両のみですが、市バスにも試作冷房車がお目見えしたのも、この時期です。車両全般のナンバーで言うと、昭和44年5月までの会社ごとの割当式の登録ナンバー車「京2い」バスが次第に少なくなり、以降の届出制の登録ナンバー「京22か」が多数を占めるようになります。
▲河原町丸太町停留場から北を見る。市電5系統1920号と、市バス200乙系統京都駅前・西大路九条行きワンマン。車両は、「京22か14-55」で、昭和51年式の日野RE100で、前年の市電丸太町・白川・今出川線の廃止時の代替バスとして、大量に製造された大型の低床バス、冷房つきで、方向幕も格段に大きくなった。系統番号の窓は、従来は正面左だったが、よりバス停留場に近い位置のほうが視認しやすいとして、右側に移動された。背後に見える建物は、以前は立命館大学恒心館、当時は救世教の救世会館だったが、1週間ほど前に通ったら、きれいに更地になっていてびっくりした。

元京王電軌23型生き残りの記録
準特急さんが函館へ行った23型の姿を報告してくれました。