関三平先生情報

産経新聞に5月10日の「京都市電600型」以降掲載がないので心配しておりましたが、先ほど関先生にお電話で伺ったところ、「産経新聞の都合で4週に一回になってしまった」との事で、心配していたご健康に問題は無いとのことでした。皆様、ご安心ください。ただ、掲載が4週間ごと(それも確実ではない)となると話題が散漫になるのではとご心配のご様子です。

同志社クローバー会のホームページは見ているとのことで、600型の盛り上がりには感心のご様子です。ただ、お使いのタブレットが壊れて買い換えたが設定が出来ないとかで、奥様のスマホでご覧の旨、ご不便されているようです。

取りあえず、ご報告いたします。

鹿児島交通加世田の車両(1967年初秋)

西村雅幸さんが発表されたデジ青[96984]「薩摩を旅して(前編)」では鹿児島交通の機関庫のあった現在の加世田バスセンターを始めその前に廃止された支線の駅跡等が紹介された。西村さんにはDRFC-OB恵那・明知狂化合宿の場でまだ廃止される前の加世田の構内や車両について私から追加発表することをお知らせした。

鹿児島交通加世田の訪問は1967年8月に行われたDRFC麻生釣、大畑狂化合宿終了後の9月1日の訪問である。西村さんのデジ青投稿にコメントされた総本家さんも加世田に行ったが車両がボロボロで発表に及ばなかったとのことである。そのボロボロをあえて発表させていただく。9月ではあるがまだまだ暑い日であった。私鉄の蒸機には関心が薄くただ撮っただけで説明がうまくできないことをお許し願いたい。

加世田駅構内その① 右から輸入蒸機他、国鉄C12型他、キハ07タイプのキハ100▼

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O君、やっと、わかったで!C12を撮った場所が・・・難儀したがな

 ホンマに難儀したがな。ちょっとでも撮影場所を書いといてくれれば、こんな艱難辛苦をせずものを。それで電子的BOXに持って行って、これは一体どこで撮ったのか教えてもらえないかとゆうてみると、そこは地の果てまで汽車を追っかける強者たち。摂津の国に住まいする何某がC12の何番がどこにいたのかということからわかるんと違うかと。いろいろな人がBOXに来ては、なんやかんや言って行くのであるが、なかなか。最初に高森線と思いきや、どうも明知線ではないかと。そして、背後の山から恵那と東野間のどこかでないかと追い詰めると、あとはO君がどこでカメラを構えたのか。O君は道なき道をかきわけて、写真を撮りに行くような戦闘的撮影行は見たことがなかった。彼の名作(迷作か)で「珍竹林」と題した写真があったのを思い出す。かといって日和見的でもなく、それなりにカメラを構えるところを探し歩いたに違いない。前回の投稿でコメントに書いたように、萩に親戚がいるので一緒に行こうということで夜行で厚狭に、美祢線で長門市を経由して萩へというコースであった。せっかくだから美祢線大嶺支線の蒸機列車を撮ることになり、南大嶺で降りて美祢線と支線の分岐点までいっしょに必死になって歩いたことがある。冬の朝方のことである。そんなO君だから線路に沿って歩いて撮影場所を探したのだろう。

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めずらしい客車 

手元に河 昭一郎様からのお手紙に添えて、古い客車の写真が届けられました。
ご承知の通り河 昭一郎様は国電に関して有名な研究家で、クローバー会の会友とも言える方です。河様のプロフィールに関しては古くから昵懇でおられる特派員氏から改めてご紹介頂くとして私は「珍しい客車」の写真をご覧に入れます。

写真は全部で7枚、失礼ながら年配の方にはあまり珍しくない物も含まれますが、最後に珍品中の珍品が出てきます。お楽しみにご覧ください。

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管理人より

今年3月1日より利用していただいている「コメント内での画像投稿」機能ですが、古いコメント内の画像が消えているとの報告がありました。
こちらで調べたところ、3月23日の米手作一氏の投稿「【94886】散歩道で見つけましたー追加・京阪本線ー」より以前のコメント内の画像が消えていることを確認しました。
古い投稿コメント画像は本来投稿者が削除しない限り消えるものではないため、当該機能のプラグイン「Comment Images Reloaded」の設定や動作を確認しましたが、現時点では問題ありませんでした。レンタルサーバ側の容量やステータスにも異常ありませんでした。

原因として、3月26日頃のサーバ障害が影響している可能性があります。(詳細は【94983】障害発生のお知らせを参照)
アクセス障害のためにAkismetプラグインの入れ替えや、サイト全体のHTTPS化などの大規模な変更を行ったため、その過程で3月1日~26日のコメント画像が消失したのかも知れません。その場合は今後画像がさらに消えていくということはないと思われます。
すでに消えてしまった画像については、復旧は難しいです。コメント投稿者には申し訳ありませんがご了承ください。

追加情報がありましたら、こちらの投稿に追記させて頂きます。
今後とも当掲示板をよろしくお願いします。

管理人 小西

模型と言えるかな?

少し先の事になりますが、7月に運転会が予定されています、「亀屋」はHOとNと両方のレイアウトがあるようですね。運転会は久しぶりのイベントで楽しみです。先日も車両を動かす機会があったのですが、アーバンライナーはモーターが唸っている割にはスピードが出なくて不調でした、日頃から調子を見ておかないと駄目ですね。最近はあまり模型に触れる事も無くご無沙汰していました。これを機会に箱から取り出して走り具合を見ておきます。

さて、最近家族が「Bトレインショーティー」をプレゼントしてくれました。ご存知のようにBトレインショーティーは「車両のリアリティーはそのままに、長さの方向をショートカットしたマスコットモデルです」(BANDAIの説明)。模型ではなく、マスコットモデルと定義されています。鉄道趣味の一環として「こんなものもあるのか」ということでお付き合いください。ゲージはNですので専用の動力ユニットを付け、車輪を走行用車輪に取り替えることで立派に走ります(走り方は可愛い!です)。実物と動力ユニットをお目に掛けます、この2編成以外に江ノ電タイプがありますが、一番よく走るのは江ノ電です。長い(?)編成はどうしても車両が浮き上がってしまいます。テーブルの上でも走らせます、面白いです。

鉄道、つれづれ草《ことでん その1》

乙訓の老人が、つれづれなるままに撮りためた写真と想い出を書き綴るシリーズ。
今回は幼い頃から姉の嫁ぎ先であった善通寺への旅でなじんだ高松琴平電鉄「ことでん」です。
例によって乙訓の老人が書きためたデータは雲散してしまっていて、正確な事が書けません。ご覧になった皆様が、それぞれの知識で書き加えたり、訂正してください。早い話が、『Wikipedia』ならぬ『Okipedia』と致します。ご協力をお願い致します。

なお、乙訓の老人から「参考に使え」と渡された本が、老人が資料を提供して特派員氏が編集した「琴電100年のあゆみ」森貴知氏(canbooks)でした。解説はこの本と、老人が原稿に添付してくれたメモを使っております。
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京都市電600型

関三平先生の「昭和の電車」で、やっと京都市電の600型が取り上げられました。600型は当時としては最先端の“流線型”市電として、その後の市電デザインを先導したと言える傑作市電です。

ちょっとウンチクを少々。
600型は95両作られましたが、85両が戦前に、10両が戦時設計で作られたため窓の数などが違います。そのほか物資不足からデザイン上の装飾も違い、優雅な戦前型と貧相な戦後型(就役が戦後)は見れば分かります。因みにベージュとグリーンのツートンカラーになったのは600型からです。
この記事にあった「爆走」は、烏丸線でも見られました。今出川から丸太町までの御所の西側を下るときに、車体を“ガンガン”いわせて暴走したのを覚えています。

宇品、広島追加補充

総本家青信号特派員さんの大好評駅撮り広島編に追加したものです。他人のふんどしで相撲をとっているようで申し訳ない。

 

1966年11月28日 広発宇品行き927列車がバック運転のD51518[広島]牽引で終着宇品に到着するところ。▼

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和歌山電軌 200型2000型

今週は「和歌山電軌」です。
以前に【13023】和歌山鉄道 クハ803など(2011年4月19日)湯口徹先輩、
【45884】元祖馬面電車より物申す(2014年4月2日)乙訓の老人先輩で紹介されていて、特に乙訓の老人先輩はこの2000型に関してこの稿で触れておられます。
私としては子供の頃に和歌山で見た電車の横っ腹にあった社章が扇型で、要の部分は車体と同じ面に描かれているが、上方へ行くに従ってめり込んでいく立体感に目を奪われたのを覚えています。

 

茨木市に所在する 停車場を示す道標

この分野の泰斗である西村氏を差し置いて恐縮であるが身近な所をレポートする。見つけ方や撮影のコツなどをご教示いただきたい。また、総本家青信号特派員氏はJTBのキャンブックスでたいへんなご苦労をされたと仄聞している。

1.高橋交差点  茨木市駅前3丁目  34.816891, 135.569586

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スロハ38の形式図

先輩方のスロハ38談義を拝見していて、果たしてスロハ38なる車両はどういう車輛だったのか?調べたくなり、手元にある「客車形式図 1959」のページを開いてみました。
3ページに記載がありました。
ダブルルーフで、3軸ボギーのTR-71・73を履いた車両で、マロネ37・マロネフ37からマハ47を経て改造された車両だったようですね。
ちょうど真ん中でロ室とハ室が分かれており、にロ室は、窓とシートがあっているようですが、ハ室は窓割と関係なく座席が並んでいたようです。
昭和33年末では、形式図VC03434のものが25両・VC03470のものが11両・VC03471のものが14両と結構活躍していたようです。

大分交通別大線 150型、1000型

関先生の仰るとおり、私も修学旅行で宮崎への途中に併走したことがありました。その後もテレビでマラソン中継を見るたびに横を走る電車の方に目が行ってしまいました。いつの間にか電車はなくなり、別大国道が広くなっていました。

三江線口羽延伸時の写真に寄せて

三江線廃止から1週間となりました。最後はやはり大層な賑わいだったようで、TVのニュースでもよく見かけました。もう現地は静かになっていることでしょう。先日、人間国宝様撮影の貴重な口羽延伸開業時の写真を特派員様よりご披露(95174)いただき、興味深く拝見しました。これに応えて昨年夏に訪問した際の口羽の写真を紹介させていだきます。

三次から上り始発に乗れば、口羽で下り始発と交換、さらに30分近い停車時間があるのでゆったりと駅で過ごせます。

人間国宝様撮影の5点目と同じ建物をバックに口羽を後に三次へ向かう421D  建物は西念寺という寺院のようです。 続きを読む

今年の桜撮影

毎年地球温暖化の影響なのか桜の開花は年々早くなるようで都心では4月の入学式の頃はほとんど散ってしまう状況である。さて今年も鉄道写真が大好きな皆さんも各地で満開の桜をバックにそれぞれが撮影を楽しまれたことと思う。私も日帰り圏で毎度同じような撮影であるが、拙作を報告させていただく。退屈しのぎにご覧いただければ幸いである。

最初は井の頭公園の1779である。3分咲き程度であったが早くもW大鉄研の御大にお会いした。 ▼ 18.03.23 京王井の頭線 井の頭公園~三鷹台 

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ご近所の桜

今年は晴天続きで、突然桜が咲き出したものの昨日(4/6)からの風と雨でほとんど散ってしまったようです。通勤途中で桜が見えているとじっとして居れなくなります。これまでは大阪線の桜を眺めていたのですが、今年は南大阪線へも出掛けました、奈良県中部もご近所です。特に川沿いの桜がきれいなのが「高田市駅」の近くで、「桜」には「さくらライナー」と思うのですが。

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オハフ51 5002の事故

2017年12月7日【90965】で紹介したオハフ51 5002の事故について、少し調べたので補足する。
鉄道ピクトリアル675号1999年10月号p.72「7月のメモ帳」に「7月27日江差線で脱線事故」の記事があった。そこで図書館で『朝日新聞縮刷版』1999年7月を見ると、28日に下記のとおり記事があった。この記事の右横には、TBSの記者が調布市の民家に忍び込んで入浴中の女性をビデオカメラで撮影して逮捕されたという記事があった。それはともかく、台車が脱落した珍しい事故だったらしい。写真はオハフ51 5002の後位側である。車体裾にそれほど損傷がないのは、速度が速くなくて引き摺られた距離も短かったからではないか。事故現場は現在現車がある最寄り踏切より1つ函館寄りの踏切(41.696038, 140.454778)ではないかと推定する。

▼1999(平成11)年7月28日水曜日 朝日新聞朝刊31面

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