総本家青信号特派員さんが「客車のある風景 ~フィルムの片隅から~」を連載されていて、その〈5〉で最短編成として大嶺支線について書かれていました。tsurukameさんがその写真をデジ青に発表されていると知りました。私もO君のことで思い出すのが美祢線南大嶺駅周辺で大嶺支線の列車を撮ったことです。O君の年賀状にあった写真の撮影場所のことについて投稿記事の冒頭に南大嶺でのことに少しばかりふれましたがまだ未公開でしたので、その時に撮った写真をお見せしたいと思います。たった4枚しかありません。初公開であります。そんなたいそうな写真ではありませんが。
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「呉線への思い」に応えて
いま編集作業をしている「Nakabayashi Collection」の中に「呉線」を撮った秀作があります。もちろん昭和30年代の写真ですから非電化、大型蒸機が総出演です。陽光を浴びた瀬戸内の海岸を、煙をたなびかせて客車列車が走る。時代は変わってもそんなのどかな海辺の風景が、先日、一瞬にして見たこともない地獄絵図になってしまいました。
このたび、呉線への思いを写真で綴る投稿が発表されました。その写真を見ていると、懐かしさとは別に命の尊さとはかなさに胸が押しつぶされる思いがします。
被災された沿線の方々に見ていただけるかは分かりませんが、昔、たびたび足を運んだ我々にとって出来ることは平和だった頃の姿を今に残すことではないかと思いました。
作者にお伺いしたところ、お役に立つならぜひとも見て頂こうとのことで、呉線の写真の一部を発表させて頂くことにしました。そしてこれが被害に遭われた沿線の方々へ応援歌になればと思っております。
豪雨お見舞い申し上げます
DRFC-OB会(クローバー会)の皆様へ
先日の大阪北部地震に続き今回の豪雨はかなり広範囲に及んでいてさらに大変ですが皆さんの所は如何でしたでしょうか。嵐山の渡月橋も今回再び濁流が来たようです。気になるのは広島地方で西村さん大丈夫でしたか。三原市も死者が出たということで気がかりです。ニュースを見ていると昔早朝の列車を撮影したことのある呉線の坂のあたりも被害が大きく何度も報道されています。まだ、安心できないと思いますが、今後もこのような梅雨末期の豪雨は日本全国どこで起こるかよくわからずある程度覚悟しておかないといけない様な気がしております。
保存蒸機とその現役時代(39)
今回は大物登場である。ハンサムボーイC59の1軸従台車を2軸に改造(パシフィックC59→ハドソンC60)して軸重軽減をしたC60型蒸気機関車である。戦後の東海道本線電化進捗に伴い特甲線の東海道、山陽本線等からC59の戦前製39両、戦後製8両計47両が乙線規格の東北本線、常磐線、鹿児島本線、長崎本線等に使用するため改造されていった。私はC60全機39両中27両をカメラに収めることがことができたが、トップナンバーはついぞ見ることができなかった。そこで当会の奥山先輩にお願いしてTsurukame先輩監修の「奥山さんの機関区めぐりhttp://kikanku.web.fc2.com/」から該当機の記録写真をお借りして新旧対比とさせていただいた。スモークデフレクター(除煙板)下部の切り取りは行われておらず原形を保っているが煙突まわりの囲いと予備灯は典型的な東北タイプで秀麗なC60にしては少し残念な姿に変身している。撮影地は尻内機関区ということで今の方はあまり馴染みがないが、その尻内は1971年(昭和46年)に八戸に改称されている。東北のハドソン機C60、C61は平、仙台、盛岡、青森各区で撮影されたものは見かけたが尻内区での撮影は珍しい。C601は1941年(昭和16年)に日立笠戸工場で製造(製造番号1511)されたC5927で当初は姫路区に配属されて山陽本線を中心に活躍した。1953年(昭和28年)に浜松工場でC60に改造され尾久区に配属された。その後直ぐに盛岡区に転属し廃車される1968年(昭和43年)まで仙台~青森間の旅客列車を中心に貨物列車、急行列車の補機も担当した。
神戸市電400型
私も撮っていた阪急東口
大阪市電1001型からOSミュージックの話になっていましたが、私も阪急東口で撮ったことがありましたのでご覧にいれます。地震があったので遅くなりました。撮影メモがなく、撮影日は不明です。大阪市電や市バスについては全く知識がなく解説はできませんので画像をただ並べるだけで申し訳ありません。
▲朝のラッシュのピークが過ぎたところですが市電がひしめき合っていて、空気がこんなに汚れていたのでしょうか。OSミュージックの袖看板も霞んでいます。左端2681の向こうにトロリーバスがいます。 続きを読む
雨の京阪電車
6月18日の大阪北部での地震に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。19日より大阪へ行っており被害の大きさを痛感しております。
さてKAWANAKA先輩の雨の小湊鉄道(フロントガラス越しのキハ200)に刺激され昨日6月20日の雨の京阪電車をご覧ください。前日からの雨が降り続き 朝から大粒の雨が降っていました。淀屋橋9時30分発の特急出町柳行き 運良く最前列のシ-トに座ることができました。天満橋を発車し地上に出ると雨 運転席はワイパ-がしきりに動いていますが 助手席側は止まったままです。これ幸いとカメラを取り出し対向車を写すことにしました。京橋手前でまず1555号と出会いました。
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お見舞い申し上げます
DRFC-OB会クローバー会の皆様へ
今朝、大阪北部で大きな地震があり今も時々余震がある様ですが、皆様のところは如何でしたでしょうか。この場をお借りしてお見舞い申し上げます。震源地に近い所にお住まいの会員の方は永年購読している大量の趣味誌が本棚から崩れ落ちたとのことです。皆様もどうぞ今後も気をつけてください。
雨のあじさい
INUBUSE氏に刺激されて休みにあじさいを撮りに出かけました。桜の撮影時に現場でカメラが突然作動不能になり失意の思いで帰投したあと、ボディーを購入して撮影に備えていましたが、業務が輻輳しており、長らくクラで休んでいました。INUBUSE氏の余計な刺激に、行かねばならんと思って出かけた次第です。例によって愚作を載せます。
小生の守備範囲は千葉の片田舎なので例によって小湊鉄道です。形式的には面白みがないですが、雨の雰囲気がええということで、しかも週末は都合のよいことに雨、同業者も少ないという好条件です。それでは。
雨の雰囲気、ええですね。
途中、里見でのトロッコの出発風景。如何に雨でも傘をさした駅長はちょっとね。別の雰囲気を期待したのですが。
いよいよロケに掛かります。
ひっそりと木陰に咲くあじさいは、小生みたいに、,しおらしく佇んでいます。
あとは、細かい説明抜き。
あじさいの咲く田園を走る気動車と、やはり、木陰に咲くあじさいがひっそり伺うなかに山道を分け入ってくる列車の雰囲気です。梅雨の季節の情緒が出ていますでしょうか。
夏は暑いので、この辺で。涼しくなってきたらまた、デジ青の画面をよごしてやろうと思います。
北海道家族旅行(3)
今回は、函館編でこれで最後になります、最後までお付き合いありがとうございました。函館は「市電」があるということで当初よりここだけは計画に入れていました。まず有名な「八幡坂」へ行きました。 続きを読む
北海道家族旅行(2)
「予備知識なし」で出掛けたのですが、小樽でも発見がありました(私にとっては)。家族とは半日別行動しよう!ということになり「手宮線」跡を見て、小樽駅の近くでJRを撮ろうかなと思っていましたが、「観光マップ」を見ると端っこの方に「小樽市総合博物館(北海道鉄道発祥の地)」のイラストが載っていました。一時間くらいで見てこれるかなと思って行ったのが、名前は総合博物館ですがなんと「重要文化財 旧手宮鉄道施設」でした(多分、知る人ぞ知る!ですね)。~北海道の鉄道の歴史はここ手宮から始まりました。この地ならではの歴史的遺構の数々が館の内外で、静かに時を語っています~とあります。確かに広大な敷地の中で多くの、特に北海道で見られた車両群が展示されています。館の入り口にあるのが「しづか」でした。これも「ぴかぴか」の状態で展示されています。屋外にはキハ821、キシ8012、キハユニ251、ED75501…、客車でもオエ61309、スエ785といった救援車、スユニ50501は中に乗務員の作業中の人形があり、中を覗いたとたんビクッ!とします。展示車両はほとんど中に入れますし、救援車は機械工具まで揃えてあります。さらに、北海道の特徴的な車両として除雪車を見ることができました。新しいところで、DD14323、DD1537です。キ270(単線用)とキ1567(複線用)です。庫内で見えにくいですが、キ601(ロータリー車)、キ800(マックレー車)で「キマロキ」編成となるものですね、私にとってはこれら全て実働時には見ることも無かったものでした。3時間近く居ましたがまだまだ充分ではありません、しかし小樽駅に戻るバスは1時間に1本しかありませんのでこのへんで引き上げました。屋外の展示車両(「しづか」以外全てですが)はさすがに塗装の傷みも進み、色褪せたものもあり残念でもありますが広い場所で保存されていて気持ちがいいです、訪れた価値はありました。最後に次の訪問地である函館へ行く途中立ち寄った「JRタワー」からの眺めです。
北海道家族旅行(1)
以前から北海道へ行こうと家族で話していたのですが今回実現することができました。観光旅行がメインとなり「鉄分補給」は期待せずというスタンスで予備知識も全く無いまま出かけました。このためクローバー会諸兄からは「こんな事も知らんのか」とお叱りを受けそうですが、私としては「こんなんありました」ということでご容赦願います。出発は大阪/伊丹ANA20便(B777-200)で東京/羽田経由ADO65便(B737-700)で帯広に到着です。B737も形式は古いですが-700まであるとは思いませんでした。帯広のホテル近くを散歩していて見つけたのが「十勝鉄道蒸気機関車4号、客車コハ23号」です。
遊歩道に屋根つきのスペースで保存されていました。
大阪市電1001型
久しぶりの世田谷線 アジサイと共に
6月6日関東地区も梅雨入りとの報道が有りましたが 翌7日は良い天気に恵まれ アジサイがきれいであろうと久しぶりに東急世田谷線に出かけました。
田園都市線で三軒茶屋へ 少し歩いて世田谷線の三軒茶屋駅へ その昔とは比べ物にならない現代的な駅になっています。
車両はデハ300形2両連節車 10編成が在籍しています。平日の昼間でしたので6分間隔7編成での運用でした。
309F(バ-ントオレンジ)が入線してきました。折り返し高井戸行に乗車して終点まで乗車しました。
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保存蒸機とその現役時代(38)
皆さんの恵那・明知(明智)旅行前後の報告も楽しく拝見させていただいたが、私は2日目のお弁当列車を失礼して南木曾の保存機D51351の撮影に向かった。前回デジ青での保存機発表は2016.12.27付[80204]で千葉県の久留里線小櫃駅近くに保存されているC12287であった。既に忘れられた投稿であるが、西村さんから応援の声をいただき再び老骨に鞭を打って再開した。ここは駅から近かったが保存機訪問は屋敷さんのように若くないので結構大変である。
南木曾は以前三留野と言ったが駅から300mくらい名古屋寄りに戻った旧線跡の公園に雨ざらしで保存されていた。妻籠宿に向かう外国人が多数通っていく途中に保存機は鎮座している。以前の画像を見ると保存機は相当壊されたりして荒れていたが私が訪問した時は厚化粧状態であった。
<D51351主な経歴>
1940年(昭和15年)2月日立製作所笠戸工場製 製番1230 新製後福井、金沢、富山等に配置され北陸線方面で活躍。その後1965年(昭和40年)10月新庄、横手に転属し奥羽本線方面を走った。1971(昭和46年)年10月には木曽福島に来て1973年(昭和48年)7月まで中央西線を最後の働き場所とした。
1973.01.21 贄川のD51351[木曽福島] 集煙装置をつけているが東北からの転属機であることが前照灯横に設置された予備灯の存在でもわかる。 ▼
2018.05.27 南木曾のSL公園の同機で補助灯は外されており、煙突も集煙装置の関係か短い。 ▼
関三平先生情報
産経新聞に5月10日の「京都市電600型」以降掲載がないので心配しておりましたが、先ほど関先生にお電話で伺ったところ、「産経新聞の都合で4週に一回になってしまった」との事で、心配していたご健康に問題は無いとのことでした。皆様、ご安心ください。ただ、掲載が4週間ごと(それも確実ではない)となると話題が散漫になるのではとご心配のご様子です。
同志社クローバー会のホームページは見ているとのことで、600型の盛り上がりには感心のご様子です。ただ、お使いのタブレットが壊れて買い換えたが設定が出来ないとかで、奥様のスマホでご覧の旨、ご不便されているようです。
取りあえず、ご報告いたします。
鹿児島交通加世田の車両(1967年初秋)
西村雅幸さんが発表されたデジ青[96984]「薩摩を旅して(前編)」では鹿児島交通の機関庫のあった現在の加世田バスセンターを始めその前に廃止された支線の駅跡等が紹介された。西村さんにはDRFC-OB恵那・明知狂化合宿の場でまだ廃止される前の加世田の構内や車両について私から追加発表することをお知らせした。
鹿児島交通加世田の訪問は1967年8月に行われたDRFC麻生釣、大畑狂化合宿終了後の9月1日の訪問である。西村さんのデジ青投稿にコメントされた総本家さんも加世田に行ったが車両がボロボロで発表に及ばなかったとのことである。そのボロボロをあえて発表させていただく。9月ではあるがまだまだ暑い日であった。私鉄の蒸機には関心が薄くただ撮っただけで説明がうまくできないことをお許し願いたい。
O君、やっと、わかったで!C12を撮った場所が・・・難儀したがな
ホンマに難儀したがな。ちょっとでも撮影場所を書いといてくれれば、こんな艱難辛苦をせずものを。それで電子的BOXに持って行って、これは一体どこで撮ったのか教えてもらえないかとゆうてみると、そこは地の果てまで汽車を追っかける強者たち。摂津の国に住まいする何某がC12の何番がどこにいたのかということからわかるんと違うかと。いろいろな人がBOXに来ては、なんやかんや言って行くのであるが、なかなか。最初に高森線と思いきや、どうも明知線ではないかと。そして、背後の山から恵那と東野間のどこかでないかと追い詰めると、あとはO君がどこでカメラを構えたのか。O君は道なき道をかきわけて、写真を撮りに行くような戦闘的撮影行は見たことがなかった。彼の名作(迷作か)で「珍竹林」と題した写真があったのを思い出す。かといって日和見的でもなく、それなりにカメラを構えるところを探し歩いたに違いない。前回の投稿でコメントに書いたように、萩に親戚がいるので一緒に行こうということで夜行で厚狭に、美祢線で長門市を経由して萩へというコースであった。せっかくだから美祢線大嶺支線の蒸機列車を撮ることになり、南大嶺で降りて美祢線と支線の分岐点までいっしょに必死になって歩いたことがある。冬の朝方のことである。そんなO君だから線路に沿って歩いて撮影場所を探したのだろう。
めずらしい客車
手元に河 昭一郎様からのお手紙に添えて、古い客車の写真が届けられました。
ご承知の通り河 昭一郎様は国電に関して有名な研究家で、クローバー会の会友とも言える方です。河様のプロフィールに関しては古くから昵懇でおられる特派員氏から改めてご紹介頂くとして私は「珍しい客車」の写真をご覧に入れます。
写真は全部で7枚、失礼ながら年配の方にはあまり珍しくない物も含まれますが、最後に珍品中の珍品が出てきます。お楽しみにご覧ください。
管理人より
今年3月1日より利用していただいている「コメント内での画像投稿」機能ですが、古いコメント内の画像が消えているとの報告がありました。
こちらで調べたところ、3月23日の米手作一氏の投稿「【94886】散歩道で見つけましたー追加・京阪本線ー」より以前のコメント内の画像が消えていることを確認しました。
古い投稿コメント画像は本来投稿者が削除しない限り消えるものではないため、当該機能のプラグイン「Comment Images Reloaded」の設定や動作を確認しましたが、現時点では問題ありませんでした。レンタルサーバ側の容量やステータスにも異常ありませんでした。
原因として、3月26日頃のサーバ障害が影響している可能性があります。(詳細は【94983】障害発生のお知らせを参照)
アクセス障害のためにAkismetプラグインの入れ替えや、サイト全体のHTTPS化などの大規模な変更を行ったため、その過程で3月1日~26日のコメント画像が消失したのかも知れません。その場合は今後画像がさらに消えていくということはないと思われます。
すでに消えてしまった画像については、復旧は難しいです。コメント投稿者には申し訳ありませんがご了承ください。
追加情報がありましたら、こちらの投稿に追記させて頂きます。
今後とも当掲示板をよろしくお願いします。
管理人 小西