夏の夕べに

立秋を過ぎ、昨日、今日は暑さが若干マシな感もありますが、まだまだ過ごしやすくなりそうな感はありません。花火見物のついでものですが、ご笑覧ください。暑さしのぎになれば幸いです。JR上淀川橋梁の少し上流南岸、雲ひとつなく、六甲の稜線まできれいに望めました。

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広島行(呉線経由)のサボ

今回、ご紹介するのは広島行(呉線経由)のサボです。裏は、新大阪行(呉線経由)で、大 向と書かれていたますので、向日町運転所持ちのサボです。向日町運転所開設・新大阪駅開業が1964年ですので、それ以降使用されたものです。これも浮き文字といわれるものです。先般の諸先輩が投稿された呉線の蒸気列車の何かに使用されていたものかもしれません。経由の表記も前回の三角行のように下にあったり、今回のように右にあったり、経由の経が略されていたり、ローマ字があったりなかったりいろんなバリエーションがあり興味は尽きません。

今回のものは、新幹線開通から岡山開業までの間、新幹線に接続し、翌朝に広島に到着する夜行急行列車に使用されたものと思うのですが、いかがでしょうか?

三角行きのサボ

調子に乗って、三角行きのサボを投稿します。

三島行きと同じく大宮のもので浮文字です。経由入りで熊本経由となっています。

裏は大阪行き 同じく熊本経由です。熊本経由以外で大阪から三角に鉄道では行けないはずですが、三角というあまり聞き慣れない場所に行く客車なので、親切に表記したものと思われます。それにしても大阪から三角にいく列車があったこと自体驚きです。きっと天草に渡る人たちが乗車していたんでしょうね。

しかしながら、手持ちのサボのなかには、大阪から長野や田口(妙高高原)に行くものがありますが、北陸線経由か中央線経由か表記のないものもあります。どういう基準だったんでしょうか?

エキスポこだまのサボ

デカンショまつり号です。

PCが壊れてしまい、新しいPCを購入しました。少し遅くなりましたが、エキスポこだまのサボを投稿します。

大 宮 (大阪鉄道管理局 宮原客車区)のサボで、収集家の中では、浮文字と呼ばれているものです。裏面はなく、青焼きコピー(懐かしいですね。)の大阪行きが貼られています。ご承知の通りエキスポこだまは、上りのみの運転でしたので、大阪行きは、他の臨時列車運転の際、大阪行きとして使用したものと思われます。

他、いろんなサボが手元にありますので、折を見て発表したいと思います。希望の行き先などありましたら、リクエストお待ちしています。

南海電車2001系

関三平先生の「昭和の電車」が一ヶ月に一回になったのと、この暑さで昼間に作業が出来ず、調子が狂って困ります。
今回も投稿の準備が完成していたのに、エンターキーを押し忘れたため遅れました。関先生、すみません!

 

冬 早朝の大嶺支線 客車1両の列車が行く 

 総本家青信号特派員さんが「客車のある風景 ~フィルムの片隅から~」を連載されていて、その〈5〉で最短編成として大嶺支線について書かれていました。tsurukameさんがその写真をデジ青に発表されていると知りました。私もO君のことで思い出すのが美祢線南大嶺駅周辺で大嶺支線の列車を撮ったことです。O君の年賀状にあった写真の撮影場所のことについて投稿記事の冒頭に南大嶺でのことに少しばかりふれましたがまだ未公開でしたので、その時に撮った写真をお見せしたいと思います。たった4枚しかありません。初公開であります。そんなたいそうな写真ではありませんが。

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「呉線への思い」に応えて

いま編集作業をしている「Nakabayashi Collection」の中に「呉線」を撮った秀作があります。もちろん昭和30年代の写真ですから非電化、大型蒸機が総出演です。陽光を浴びた瀬戸内の海岸を、煙をたなびかせて客車列車が走る。時代は変わってもそんなのどかな海辺の風景が、先日、一瞬にして見たこともない地獄絵図になってしまいました。

このたび、呉線への思いを写真で綴る投稿が発表されました。その写真を見ていると、懐かしさとは別に命の尊さとはかなさに胸が押しつぶされる思いがします。
被災された沿線の方々に見ていただけるかは分かりませんが、昔、たびたび足を運んだ我々にとって出来ることは平和だった頃の姿を今に残すことではないかと思いました。
作者にお伺いしたところ、お役に立つならぜひとも見て頂こうとのことで、呉線の写真の一部を発表させて頂くことにしました。そしてこれが被害に遭われた沿線の方々へ応援歌になればと思っております。

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豪雨お見舞い申し上げます

DRFC-OB会(クローバー会)の皆様へ

先日の大阪北部地震に続き今回の豪雨はかなり広範囲に及んでいてさらに大変ですが皆さんの所は如何でしたでしょうか。嵐山の渡月橋も今回再び濁流が来たようです。気になるのは広島地方で西村さん大丈夫でしたか。三原市も死者が出たということで気がかりです。ニュースを見ていると昔早朝の列車を撮影したことのある呉線の坂のあたりも被害が大きく何度も報道されています。まだ、安心できないと思いますが、今後もこのような梅雨末期の豪雨は日本全国どこで起こるかよくわからずある程度覚悟しておかないといけない様な気がしております。

保存蒸機とその現役時代(39)

今回は大物登場である。ハンサムボーイC59の1軸従台車を2軸に改造(パシフィックC59→ハドソンC60)して軸重軽減をしたC60型蒸気機関車である。戦後の東海道本線電化進捗に伴い特甲線の東海道、山陽本線等からC59の戦前製39両、戦後製8両計47両が乙線規格の東北本線、常磐線、鹿児島本線、長崎本線等に使用するため改造されていった。私はC60全機39両中27両をカメラに収めることがことができたが、トップナンバーはついぞ見ることができなかった。そこで当会の奥山先輩にお願いしてTsurukame先輩監修の「奥山さんの機関区めぐりhttp://kikanku.web.fc2.com/」から該当機の記録写真をお借りして新旧対比とさせていただいた。スモークデフレクター(除煙板)下部の切り取りは行われておらず原形を保っているが煙突まわりの囲いと予備灯は典型的な東北タイプで秀麗なC60にしては少し残念な姿に変身している。撮影地は尻内機関区ということで今の方はあまり馴染みがないが、その尻内は1971年(昭和46年)に八戸に改称されている。東北のハドソン機C60、C61は平、仙台、盛岡、青森各区で撮影されたものは見かけたが尻内区での撮影は珍しい。C601は1941年(昭和16年)に日立笠戸工場で製造(製造番号1511)されたC5927で当初は姫路区に配属されて山陽本線を中心に活躍した。1953年(昭和28年)に浜松工場でC60に改造され尾久区に配属された。その後直ぐに盛岡区に転属し廃車される1968年(昭和43年)まで仙台~青森間の旅客列車を中心に貨物列車、急行列車の補機も担当した。

1966.08.09 尻内機関区 ▼

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神戸市電400型

「昭和の電車」の掲載が、新聞社の都合でほぼ一ヶ月に一回となったので間延びして困ります。京都市電の600型が話題独占でロングセラーとなりましたが、今回の神戸市電は、さてどうなりますか?私にとっては子供の頃の「カレーライスの色や!」との印象しかありませんでした。神戸の会員のご意見は?

私も撮っていた阪急東口

大阪市電1001型からOSミュージックの話になっていましたが、私も阪急東口で撮ったことがありましたのでご覧にいれます。地震があったので遅くなりました。撮影メモがなく、撮影日は不明です。大阪市電や市バスについては全く知識がなく解説はできませんので画像をただ並べるだけで申し訳ありません。

▲朝のラッシュのピークが過ぎたところですが市電がひしめき合っていて、空気がこんなに汚れていたのでしょうか。OSミュージックの袖看板も霞んでいます。左端2681の向こうにトロリーバスがいます。 続きを読む

雨の京阪電車

6月18日の大阪北部での地震に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。19日より大阪へ行っており被害の大きさを痛感しております。
さてKAWANAKA先輩の雨の小湊鉄道(フロントガラス越しのキハ200)に刺激され昨日6月20日の雨の京阪電車をご覧ください。前日からの雨が降り続き 朝から大粒の雨が降っていました。淀屋橋9時30分発の特急出町柳行き 運良く最前列のシ-トに座ることができました。天満橋を発車し地上に出ると雨 運転席はワイパ-がしきりに動いていますが 助手席側は止まったままです。これ幸いとカメラを取り出し対向車を写すことにしました。京橋手前でまず1555号と出会いました。

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お見舞い申し上げます

DRFC-OB会クローバー会の皆様へ

今朝、大阪北部で大きな地震があり今も時々余震がある様ですが、皆様のところは如何でしたでしょうか。この場をお借りしてお見舞い申し上げます。震源地に近い所にお住まいの会員の方は永年購読している大量の趣味誌が本棚から崩れ落ちたとのことです。皆様もどうぞ今後も気をつけてください。

雨のあじさい

INUBUSE氏に刺激されて休みにあじさいを撮りに出かけました。桜の撮影時に現場でカメラが突然作動不能になり失意の思いで帰投したあと、ボディーを購入して撮影に備えていましたが、業務が輻輳しており、長らくクラで休んでいました。INUBUSE氏の余計な刺激に、行かねばならんと思って出かけた次第です。例によって愚作を載せます。
小生の守備範囲は千葉の片田舎なので例によって小湊鉄道です。形式的には面白みがないですが、雨の雰囲気がええということで、しかも週末は都合のよいことに雨、同業者も少ないという好条件です。それでは。

やっぱり雨です。フロントガラスに・・。雨も捨てたもんではありません

雨の雰囲気、ええですね。
途中、里見でのトロッコの出発風景。如何に雨でも傘をさした駅長はちょっとね。別の雰囲気を期待したのですが。


いよいよロケに掛かります。

ひっそりと木陰に咲くあじさいは、小生みたいに、,しおらしく佇んでいます。

あとは、細かい説明抜き。
あじさいの咲く田園を走る気動車と、やはり、木陰に咲くあじさいがひっそり伺うなかに山道を分け入ってくる列車の雰囲気です。梅雨の季節の情緒が出ていますでしょうか。

夏は暑いので、この辺で。涼しくなってきたらまた、デジ青の画面をよごしてやろうと思います。

北海道家族旅行(2)

「予備知識なし」で出掛けたのですが、小樽でも発見がありました(私にとっては)。家族とは半日別行動しよう!ということになり「手宮線」跡を見て、小樽駅の近くでJRを撮ろうかなと思っていましたが、「観光マップ」を見ると端っこの方に「小樽市総合博物館(北海道鉄道発祥の地)」のイラストが載っていました。一時間くらいで見てこれるかなと思って行ったのが、名前は総合博物館ですがなんと「重要文化財 旧手宮鉄道施設」でした(多分、知る人ぞ知る!ですね)。~北海道の鉄道の歴史はここ手宮から始まりました。この地ならではの歴史的遺構の数々が館の内外で、静かに時を語っています~とあります。確かに広大な敷地の中で多くの、特に北海道で見られた車両群が展示されています。館の入り口にあるのが「しづか」でした。これも「ぴかぴか」の状態で展示されています。屋外にはキハ821、キシ8012、キハユニ251、ED75501…、客車でもオエ61309、スエ785といった救援車、スユニ50501は中に乗務員の作業中の人形があり、中を覗いたとたんビクッ!とします。展示車両はほとんど中に入れますし、救援車は機械工具まで揃えてあります。さらに、北海道の特徴的な車両として除雪車を見ることができました。新しいところで、DD14323、DD1537です。キ270(単線用)とキ1567(複線用)です。庫内で見えにくいですが、キ601(ロータリー車)、キ800(マックレー車)で「キマロキ」編成となるものですね、私にとってはこれら全て実働時には見ることも無かったものでした。3時間近く居ましたがまだまだ充分ではありません、しかし小樽駅に戻るバスは1時間に1本しかありませんのでこのへんで引き上げました。屋外の展示車両(「しづか」以外全てですが)はさすがに塗装の傷みも進み、色褪せたものもあり残念でもありますが広い場所で保存されていて気持ちがいいです、訪れた価値はありました。最後に次の訪問地である函館へ行く途中立ち寄った「JRタワー」からの眺めです。

北海道家族旅行(1)

以前から北海道へ行こうと家族で話していたのですが今回実現することができました。観光旅行がメインとなり「鉄分補給」は期待せずというスタンスで予備知識も全く無いまま出かけました。このためクローバー会諸兄からは「こんな事も知らんのか」とお叱りを受けそうですが、私としては「こんなんありました」ということでご容赦願います。出発は大阪/伊丹ANA20便(B777-200)で東京/羽田経由ADO65便(B737-700)で帯広に到着です。B737も形式は古いですが-700まであるとは思いませんでした。帯広のホテル近くを散歩していて見つけたのが「十勝鉄道蒸気機関車4号、客車コハ23号」です。

遊歩道に屋根つきのスペースで保存されていました。

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大阪市電1001型

しばらく(約一ヶ月)このシリーズの新聞掲載がなかったので、関三平先生のお身体に故障が発生したのか、交番検査で入場かと心配のあまりお電話したところ、先生はお元気で安心しました。しかし、新聞社の勝手で掲載が4週間に一回となったとか!けしからん!!と怒りまくっております。

閑話休題

大阪市電は京都市電と違い、全く分かりません。知りません。
ご存じなのは「大阪特派員」氏でしょうか。同じ特派員氏でもこちらの方は全くアナログで、貴重な写真も投稿できないそうなので、また介護に行かねばなりません。介護士不足が身にしみます。

久しぶりの世田谷線 アジサイと共に

6月6日関東地区も梅雨入りとの報道が有りましたが 翌7日は良い天気に恵まれ アジサイがきれいであろうと久しぶりに東急世田谷線に出かけました。
田園都市線で三軒茶屋へ 少し歩いて世田谷線の三軒茶屋駅へ その昔とは比べ物にならない現代的な駅になっています。
車両はデハ300形2両連節車 10編成が在籍しています。平日の昼間でしたので6分間隔7編成での運用でした。
309F(バ-ントオレンジ)が入線してきました。折り返し高井戸行に乗車して終点まで乗車しました。

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保存蒸機とその現役時代(38)

皆さんの恵那・明知(明智)旅行前後の報告も楽しく拝見させていただいたが、私は2日目のお弁当列車を失礼して南木曾の保存機D51351の撮影に向かった。前回デジ青での保存機発表は2016.12.27付[80204]で千葉県の久留里線小櫃駅近くに保存されているC12287であった。既に忘れられた投稿であるが、西村さんから応援の声をいただき再び老骨に鞭を打って再開した。ここは駅から近かったが保存機訪問は屋敷さんのように若くないので結構大変である。

南木曾は以前三留野と言ったが駅から300mくらい名古屋寄りに戻った旧線跡の公園に雨ざらしで保存されていた。妻籠宿に向かう外国人が多数通っていく途中に保存機は鎮座している。以前の画像を見ると保存機は相当壊されたりして荒れていたが私が訪問した時は厚化粧状態であった。

 

<D51351主な経歴>

1940年(昭和15年)2月日立製作所笠戸工場製 製番1230  新製後福井、金沢、富山等に配置され北陸線方面で活躍。その後1965年(昭和40年)10月新庄、横手に転属し奥羽本線方面を走った。1971(昭和46年)年10月には木曽福島に来て1973年(昭和48年)7月まで中央西線を最後の働き場所とした。

1973.01.21 贄川のD51351[木曽福島]  集煙装置をつけているが東北からの転属機であることが前照灯横に設置された予備灯の存在でもわかる。 ▼

 

2018.05.27 南木曾のSL公園の同機で補助灯は外されており、煙突も集煙装置の関係か短い。 ▼