大夕張鉄道のTシャツ

残暑お見舞い申し上げます。

近年は、若い人たちが鉄道や、それを取り巻いていた社会の仕組みや成り立ちについて、少し興味を持たれる傾向が出て来ました。
私たち鉄道マニアは、常識と思っている、鉄道と従事していた人々や、それを取り巻く家族、共同体的な社会に関して、ゼロから学ぶ平成生まれ中心の人たちが、何に興味関心を抱いているかと言うと、昭和以前の鉄道の時代は、ワンダーな世界観のようです。
今日はそんな中から、マニアパレルさんという会社が、ユニークなTシャツを出しているのに、気が付きました。彼らは、元々廃線や、廃墟風景が好きで、そこから北海道の炭鉱鉄道のことを知り、今興味津々なのですが、最近は産業遺産や産業考古学と言った、比較的まじめに歴史のことを研究し、発表するグループも現れています。この作品、単なる昔の社章のリプリントでなく、工夫や今的な価値加工がされている点が、私は気に入りましたので、紹介する次第です。こういう記事に対して、批判が多ければ削除いたします。
でも、私は袋小路に入って、伸びなくなった鉄道趣味より、何か新しい動きをしている所の方が、面白いと思う方なのです。

f72a71cf

e03ca923

 

戦時スタイルのD52

私と同じ終戦時期に生まれたD52で戦時設計とか戦時スタイルとか呼ばれていた。この時期は資材がなく劣悪な環境で生まれたが、C11の角形ドーム共々昭和40年ごろまでは見られた。EF13という電気機関車も同じように戦時スタイルの凸型であったがこちらは見たことがない。いずれにしても粗悪な機関車であったと思うが、その後標準改造され幹線の大型貨物用機関車として君臨した。山科の人間国宝が最も好きな蒸気機関車として挙げられていたのがこの機関車である。先日、大宮(京都でなく埼玉の大宮)でお会いした時にデジ青を御覧になられているかを訪ねましところ「見てない」とのことでした。

1963.3.27 下関で見た上り貨物を牽引するD52460[柳井]↓

s-63.3.27下関D52460

1964.4.1 小郡区にいた給水過熱器が煙突前にないD52126[小郡]↓

s-64.4.1小郡D52126

保存蒸機とその現役時代(9)

JR横浜線淵野辺駅南口から徒歩5分くらいにある鹿沼児童交通公園にも北海道五稜郭にいたD52が保存されている。大きな公園に比較的きれいな状態でD52235が保存されているが、これが少しややここしい。D52235のナンバープレートをつけているが他機ではないかとも言われている。詳細はよくわからないが、ロッドの刻印を見る限りD52235であるという報告とキャブが標準型であること、先輪がスポーク車輪であること、ドーム前デッキの手すりがないこと、煙室扉のフックの形状等々からD52138の可能性が高いという報告が錯綜している。電車でも例えばパンタグラフ等を廃車した車両から流用する話は聞いたことがあるし、台車などもたらい回しの例はよくある。蒸気機関車は先に廃車された同型機などから部品等を流用することが多かったのでなかろうかと推察する。手元にあるイカロス出版の保存車リスト2012を見ると、大井川鉄道のC11312とC12208は部品取り用とある。蒸機が廃車されるまでいろいろな経緯があったとは思うが、保存にあたって主要な本体部分がつけていたナンバーで保存されているものと思うのでこのD52についてはよくわからない。従って今回はD52235とD52138の現役時代を併載する。235号機については今回も総本家青信号特派員さんの作品を使用させていただいのでここに御礼申し上げる。

2013.6.8 相模原市鹿沼児童交通公園に保存のD52235

s-13.6.8淵野辺52235

D52235のキャブ(機関車運転室)は標準型で密閉式ではない↓

s-13.6.8D52235キャブ

児童用の説明板であるがやや補足すると新製後新鶴見、1952.9稲沢、1953.11吹田、1956.11姫路一、1960.10五稜郭、1973.5廃車となる↓

s-13.6.8D52235説明板

続きを読む

保存蒸機とその現役時代(8)

D52は広島のトップナンバー、梅小路のラストナンバー(468)を含め全部で7両保存されている。1と468以外は神奈川県に3両と静岡県に2両である。この2県に集中しているのは御殿場線で使用されたD52が関係していると思っていた。調べてみると御殿場線関係は3両で他の2両は意外で北海道から来ている。今回取り上げるのは北海道から来たD52136で保存場所は沼津駅北西10分にある高澤公園である。D52136は1944年汽車会社で製造され、稲沢区に配置。1946年から1960年までは姫路に配属、その後廃車される1973年までは五稜郭にいた。前半関西、後半北海道、保存は静岡ということになる。2013.7.28沼津市高澤公園の保存機D52136↓

s-13.7.28沼津D52136

現役時代の姿であるが、仁山越えでD51710[五稜郭]が前補機についた重連の2両目本務機がD52136[五稜郭]で136号機の写真はこれっきりである。1966年9月12日仁山~渡島大野下り貨物↓

s-66.9.12仁山D52710+D52136

まともな写真がないので、総本家青信号特派員さんに応援を求めたところ、即、快諾をいただいたので以下に発表させていただく。撮影は何れも1968年8月30日である。

続きを読む

紀伊神谷駅-2013年5月の姿です

どですかでん様。今年5月通りすがりに下車して撮影しました。あれから39年、同じ角度の画像ですが、ほとんど変わっていないのが判りますね。ホームには昔通り、右手わずかに見える階段を上がります。人影のない新緑の駅は、すがすがしい空気に満ちていました。
紀伊神谷駅2013

直立不動で各列車を見守る律儀な駅長さん。(向こう側)上りこうや号(手前)下り極楽橋行き
紀伊神谷駅03

駅構内、極楽橋方向を背にして、紀伊細川方向を見ます。丁度橋本行きが下って行きました。
紀伊神谷駅02

お山には、時々墓参りに出かけますので、今後もお便りができると思います。昨年は極楽橋、上古沢、紀伊細川で撮りました。

はしーる電車は緑の電車、なーんなーん南海電車

総本家青信号特派員様のおかげで幼い頃の南海電車を思い出しました。加太線ではありませんが、よく祖母と一緒に学文路にいった時のことです。難波より緑の電車に乗って行ったのです。森林鉄道みたいな紀見峠越えを緑の森の中を緑の電車がくねくねと走っていったのをはっきりと覚えているのです。私の場合は南海電車といえは高野線でした。そして少しばかりの写真を。

まず、最初に緑の電車です。鉄道友の会に入っていた時に千代田車庫見学会に撮ったものです。ポジカラーですが保管が悪く、カビだらけになってやっとデジタル処理で何とか見れるようにしました。色は少し悪いですが緑の電車の雰囲気があると思います。

南海千代田-01

修正南海千代田-02

続きを読む

保存蒸機とその現役時代(7)

東京には現在3両のC57が保存されている。大森の入新井公園の66号機は[35453]「保存蒸機とその現役時代(3)」で、小金井公園の186号機は藤本哲男さんが[25967]「保存されているEB10」の中の周辺の保存車両で紹介されている。今回はもう1両57号機を取り上げてみた。

57号機は新製後の配置は不明であるが、戦後北海道で長く使用された。引退後はどういう縁があったのかよくわからないが東京で保存されている。保存場所の大蔵運動公園は小田急線祖師ヶ谷大蔵駅から南に徒歩15分くらいの所にある大きな公園である。57号機は雪国育ちのため、旋回窓やスノープローを装備しているが、デフの切り詰めがないので貴婦人を保っている。保存状態も良好に見えるが、前照灯とテンダーのライトには電球がなかった。また、現役時代のドームの後ろにある重油併燃装置は保存機では外されており、保存にはこれの方が望ましいと思う。

2013.5.28 世田谷区大蔵運動公園の保存機C5757↓

s-13.5.28大蔵C5757   C5757説明板↓

s-13.5.28大蔵C5757説明

1966年9月10日早朝5時33分網走からの急行「石北」518列車を岩見沢で降りる。5分停車の間に牽引機C6232を撮る。続いて5時44分に釧路からの急行「まりも」28列車が到着する。この牽引機がC5757[小樽築港]であった。雨の中での撮影で、C5757はこの時に出会ったのみでその後の再会は47年後であった。

s-66.9.10岩見沢C5757

以前、保存蒸機とその現役時代(2)で門鉄デフのD51272を取り上げたが、そのD51272が保存されている世田谷公園にはC5757の庭園列車があったので、併せて取り上げてみた。撮影は2012.11.28↓

s-12.11.28世田谷公園C5757模型

 

富士山麓電鉄モハ603→富士急行モハ3604

3606 50-3-23
車体更新でモハ3604に改番後で、正面に貫通扉が設置された。/富士吉田

セミボの次は富士山麓電鉄→富士急行が登場した。それにしても関 三平氏の電車好きは、筋金入りで、私等話題に付いていくのが精一杯で足元にも及ばない。
今回のモハ603は、関 三平氏が記述されておられる通り、経歴が複雑で、車体更新して改番後で解説する。
明治32年日本鉄道大宮工場製で客車として新製され、鉄道院に買収後の改造でナユニ5420となり、昭和16年青梅線の前身、青梅電気鉄道に払い下げられた。
青梅電気鉄道は、同時に払い下げられた2両の木製客車と共に木南車輌で半鋼製車体を新製して電車に生まれ変わった。全長18.8mの大型で広い窓と共に当時としては軽快な車両で、台枠、台車も新製されて、サハ700形サハ703となった。
(他の2両は鉄道省ホヤ6703→サハ701、ホハニ4053→サハ702)

車体、台車、台枠が新製されているので、車両新製が認可されないため、苦肉の策として、改造名義にしたものと思われる。
サハ701と702は社線時代に、サハ703は19年4月1日鉄道省に買収後運転台が設置され、クハ700形クハ701~703となった。
クハ703は20年1月事故により休車になり、戦後24年1月富士山麓電鉄に譲渡された。

富士山麓電鉄では譲受け後直ぐに汽車会社で電動車に改造して26年1月モハ22として再起した。その後の改番でモハ603(関氏のイラスト)、39年に日本車輌で車体更新時に、貫通扉の設置、車内の蛍光灯化、自動扉化が実施され、モハ3604に改番された。

後ろに連結されているロハ901は、書類上は昭和25年小糸車輌製となっているが、実態は昭和3年川崎造船所製の元青梅電気鉄道モハ100形モハ103で、鉄道省買収後モハ100形モハ103となり、車号は同一であった。
青梅電気鉄道の電動車は、機器配置が特殊であったこと等により、早い時期に制御車代用になり、この車両も23年には早くも休車になった。
24年にサハ状態で富士山麓電鉄が譲受け、半室を2等車に改造してロハ300となり、その後の改番でロハ901となった。
44年に流山電鉄に譲渡され、西武所沢工場で運転台を設置してクハ53となり56年まで使用された。
ロハ901、流山電鉄クハ53共に撮影していないため、撮影された方は是非発表していただきたい。
続きを読む

信貴電の不思議 じぇじぇじぇ、じぇ~ 大和川の橋脚が

  じぇじぇじぇ、じぇ~ 大和川橋梁の橋脚が~~~なんと・・・・。

IMG_3774

最初の「信貴電の不思議」で書いたように大和川橋梁の橋脚が開業当初のものかどうかわからなかったのです。社史に書かれていた橋桁数が現在の橋梁と異なっていたのでわかりませんでした。ところで、例の信貴電に関する奈良県公文書の中に大和川橋梁の図面がありました。これで開業当初の大和川橋梁がどんなものかわかりました。それを簡単に図にすると下のようになります。

 開業時の大和川橋梁の図

      開業時の大和川橋梁をデハ100が王寺に向かって走っていくの図

ご覧のように王寺側の橋脚数が現在と違っています。また橋桁の高さと長さが王寺側の6連と信貴山下側の5連では違っていることがわかりました。現在の橋脚は王寺側が3本抜けているのもわかりました。そして、その橋脚が抜けたところに痕跡があるか調べに行きましたが、その痕跡はありませんでした。ところが、偶然にも他の重要なことが発見できたのです。

  続きを読む

保存蒸機とその現役時代(6)

神居古潭に続き、同じ日に訪問した岩見沢市のみなみ公園に保存されているD51である。デフレクターを短く詰めた晩年の北海道の機関車の姿である。どうして短くしたのか理由はよくわからないが、原形を損なっており個人的には好きになれない。

岩見沢みなみ公園は駅から東側およそ15分くらいの公園で当日は私と同年齢の老人がゲートボールを楽しんでいた。保存機はなめくじドームのD5147で屋根付きのためか保存状態は比較的良好とみた。2013.7.2 岩見沢みなみ公園のD5147↓

s-13.7.2岩見沢南公園D5147

 

同機の説明板によると前配属機関区は東鉄局高崎機関区とある。↓

s-13.7.2D5147説明板

 

鷲別区に憩うD5147[岩見沢]の現役時代。煙突にクルクルパーといわれた回転式火粉止をつけているが、デフレクターも短くされる前でこの方が好みのスタイルである。↓

s-66.9.4鷲別D5147

 

 

岩見沢みなみ公園にはもう1両のC57144が保存されている。同機もデフレクターが短くなっている。この機関車は現役時代撮影していない。↓

s-13.7.2岩見沢南公園C57144

 

C57144の説明板  同機は新製後高崎、富山を経て昭和37年頃に北海道に渡り室蘭本線等で活躍した。↓

s-C57144説明

 

人と鉄道と-乗り易い電車-

前回のサンテ・チェンヌ、中心街の停留所背後はバスターミナルで、電車とバスの結節点となっている。ふと気付いたのが連接トロリーバス。11乳母車の母親が車内の人に何か話している。やがて12白髪の紳士が身を乗り出し乳母車を受け取り、ヤレヤレとなった。子供を乗せたままの最近の乳母車、どこの国でもバスに乗せるには苦労している。ドイツに入国して季節運行のナウムブルグ市電を訪ねた。市電は駅前ではなく徒歩10分の公園前からの運行であった。路上から車内への乳母車搬入は電車でも大変である。この時は13運転手君が父親に協力していた。

1

2

画11,12、13

画11,12、13

 

今回の探訪テーマはノンステップカーの品定めである、快適性トップはカールスルーエの3車体連接車、14形式はデユワグGT-70/Nである。快適としたのは、最後尾部が展望室構造になっていたからである。それとは関係ないが客室の床高が超低床車の中では少し高く、出入り口部に勾配が15生じる。電車の乗り場(安全地帯)とステップ先端と歩道面の段差が15㎝と大きく、乳母車に乗っている子供も16少し気にしているようだ。歩道がない道路面からだと3840㎝となる。同じメーカーであるボンの6xGe13ZR NTは、中間車の構造が異なり乗降部と道路での段差が30㎝、17,18これならご婦人でも気軽に乗り降りできる。

続きを読む

人と鉄道と-沿線の人々-

5回にわたる『人と鉄道と』は今回でお終い、沿線の人々が写っている風景です。

▼八十八夜の茶摘み、ここ静岡県榛原郡川根町・崎平地区の茶摘みは手摘みで始まり、その後機械摘みに移るそうです。気候温暖な川根茶の本場も、最近は天候の変動が大きく、殊に八十八夜前後に霜や、酷い時には氷も張る異変が多いそうです。一昨年は静岡県全体で大変な被害額に上りました。傍を走るかわね路号から、茶摘みの様子を見ることができます。
大井川鉄道、かわね路14号、崎平-青部間、2013.05.04305045

▼栃木県芳賀地区の八十八夜は田植えの季節です。機械植えではなく、一本一本手で植え付けて行きます。折から近所の益子では陶器祭りが開かれ、普段は一両編成のDCも2両編成の運行です。
真岡鉄道、2123レ、益子-北山間、2008.05.03
IMG_3011

続きを読む

C57200,198,190-奥山さんの機関区巡りから(1)-

準特急さんの保存蒸機とその現役時代(5)に関連ある蒸機を、『奥山さんの機関区巡り』から選んでみました。同名のHPはC62,C61,C60,C59が済んで、次にD51,C57の順番でしたが、準特急さんの記事に合わせC57を先に編集を開始します。撮影者は1958年度生、奥山直秀さん、画像編集担当は鶴です。
▼C57200【築】 小樽築港機関区、1968.08.17
C5720001

C5720002

続きを読む

保存蒸機とその現役時代(5)

函館本線神居古潭駅。そのロマンチックな名前に憧れて過去2回訪問している。神居古潭駅は1969年9月30日、函館本線滝川~旭川間の複線化、電化に伴う別ルート化により廃止された。石狩川とアイヌの伝説を秘めたこの景勝の地旧神居古潭駅付近に3両の蒸機が保存されている。真ん中の横綱がラストナンバーC57201で、露払いに29638、太刀持ちにD516を従えるように展示されている。C57201は小樽築港区時代に狩勝峠でも撮影しているが今回は保存場所と同じ神居古潭駅で撮影した旭川区時代のC57201の最晩年の姿である。ラストナンバー201号機はC57の4次形で1次~3次までのC57とはスタイルが異なり、C59戦後型を小さくした感じで人気があった。しかし、そのほとんどが九州と北海道に配置され本州では見る機会が少なかった。それでも、関西地方には190号機が和歌山から梅小路に転属され、また、198号機が亀山に配属されていたので我々関西系中高年のファンには比較的近くで目にすることができた。

2013.7.2 神居古潭旧駅付近に保存のC57201 昭和22年三菱製↓

s-13.7.2神居古潭C57201

1969.3.17神居古潭駅に進入する322列車稚内発小樽行きC57201[旭川]↓

s-69.3.17神居古潭322レC57201

名寄区で廃車された29638 大正7年小倉工場製 当機の現役写真なし↓

s-13.7.2神居古潭29638

北見区で廃車されたD516 昭和11年川崎製 当機の現役写真なし↓

s-13.7.2神居古潭D516

現役時代の神居古潭駅のC57201の写っている位置はホームが左へカーブしており、現在のホームは直線相対式で残されているので当時の札幌よりのカーブしたホーム部分はカットされたものと思われる。3両の保存機を撮影したあたりがカットされたホーム先端部分と推察したが如何であろうか。↓

s-13.7.2神居古潭3両保存機

神居古潭へは旭川駅前から沿岸バス、道北バスで25分程で到着できる。バス停から石狩川にかかる吊り橋を渡ったところが現地で徒歩10分。

 

人と鉄道と-通行人と車内-

人と鉄道と-通行人と車内-

急行「やまと」にレンズを向けた記憶のない老人は、鉄・復活後は路面電車のスナップ中心に楽しんでいる。フランスで2度オッサンに怒鳴られた事を紹介したが、貴夫人は如何なりやと写真を探してみた。1996年GWの欧州低床路面電車探訪で、フランス中西部の元炭鉱街であったサンテ・チェンヌでの光景だが、中心街は京都市・都市計画道路1期線の幅員10間より狭い。恐らく15m幅であると思われるもので、標準レンズでは歩道部分も視野に入ってしまう。画1:左右の貴婦人は怖い顔してレンズを睨んでいる。画2:左の貴婦人は旧型電車到着を前にしてプイッと横を向いてしまった。そして反対方向から来た電車にレンズを向けたら画3:左側に貴婦人が2人、撮って会釈をしたら右側青コートの貴婦人は手を振ってくれた。画4:老人が立っていた乗り場は歩道で、ノンステップ電車と歩道天端の高低差15㎝で、右のお嬢さんにっこりでヤレヤレ!

IMG_1

IMG_2

IMG_3

IMG_4

続きを読む

人と鉄道と-働く人びと-

今回は、鉄道員と、鉄道に協力して働く人びとです。

▼1967年1月2日朝、山田線区界駅。盛岡発釜石行き客630Dを見送る駅員。
小止みなく降り続く雪の中をDCが出発して行きます。気がつけば犬までが線路上で見送っていました。
昨夜、つまり1967年元日の夜は、区界駅の待合室でステーションホテルでした。待合室の木造外壁と入り口は二重にできていました。外壁の内側に50cmほどの空間を空け、二つ目の入り口扉を設けていました。起床後驚いたのは、二重の入り口の内側にまで夜来の雪が入り込んで隅に積もっているではありませんか。どこからどうして入って積もるのか、想像できません。首をかしげながら、自炊の朝食前に撮ったのがこの一枚でした。
14020

 ▼同日、同駅。雪が小止みになり所々に青空も見え始めた頃、616D急行『そとやま』を迎える駅員。急行『そとやま』は盛岡発山田・釜石線・東北本線経由盛岡行き、全283km、6時間の中距離急行列車です。
C3412

 ▼同日、同駅。急行は当駅で客扱いしません。(左)627Dとの交換待ち停車です。急行の車掌はホームに降り立ち、中央と右には除雪作業員の姿が見えます。
C3413

続きを読む