人と鉄道と-乗務員編-

その昔ワンマンカーになる前のバスの車掌さんはほとんどが女性でした。路面電車はさて あまり覚えていませんが男性が多かったような気がします。さて鉄道となると運転手も車掌さんも男性社会だったと思います。
最近は JRや私鉄共に女性が大活躍し、特に山手線は運転手さん 車掌さんの多くが女性になってきています。
次の写真は 浜松町での山手線の運転手さんです。(2011年11月)pict-乗務-1
pict-乗務-2
山手線などの231系は乗務員扉の窓の位置がちょうどいいところにありますが 光の加減でなかなか良い写真は撮れません。新型の233系や郊外型の231系は乗務員扉の位置が違うためほぼ不可能です

次の写真は名古屋駅での乗務員交代の場面です。下り特別快速313系を待つ車掌さんです。
pict-乗務-3
pict-乗務-4
キリリと緊張感みなぎる 姿です。
そこへ 大垣行特別快速が入ってきました。313系朝の8連です。
pict-乗務-5

女性乗務員の交代場面です。
pict-乗務-6
2012年5月の名古屋でした。

続きを読む

C5756 急行「大和」を曳く

待っていました、C57特集。ご希望のC57牽引「大和」です。遠くて機番が見えませんが、記録ではC5756になっています。なお、筆者保存のC5756はこの画像一枚きりです。
1965年2月28日、急行203レ、場所は関西本線加太-中在家信号所間です。
10029h

人と鉄道と -乗客編

KAWANAKAです。

デジ青の先輩の「人と鉄道と」編の言わば番外編として、まったく車両が写っていない)人と鉄道を掲載しようと思いつきました。tsurukame先輩の格調ある写真の狙いとは違って人間だけの表情を捉えて見ました。

対象はお金を払った人、すなわち乗客に絞っています。なかなかチャンスが来ないのと、肖像権の問題があって、撮っていいものかどうか悩ましいですが、カメラを出して意識して特にNoがなければOKと勝手に解釈し、失礼のないようにすれば良いかなあということで何枚か載せました。デジ青は公開すればその気になれば法的に問うことができると思いますが、そこまで悪意もないので許されると思います。

まず、最近の写真といっても房総にC61が走ったときの写真。発車までの間になにやら話をしていますが、(これは乗客と違いますね。失礼しましたが、きれいな女性はすぐに撮っておく癖があるものですから)でもこれは肖像権に当たらないと思います。

おいでよ房総

きれいと言えば、TVで活躍している知花くららさん。正真正銘の美人でありますが、ミュンヘン駅頭で偶然見かけました。旅サラダのロケをしていて、オクトーバーフェスタのロケだったそうです。スタッフに撮影OKを貰ってから撮りましたが、何と関係のないオッサンが現れ、彼女の腰に手を回し2ショット。

kurara-0

lkurara-1

kurara-2

 

 

 

 

(うまく写真が配置できなくて恐縮)ですが、おっさんの満足そうな顔が印象的です。

ミュンヘンといえばその時期、ぶんしゅう氏の投稿にもありましたが、どーんと人が集まります。そんな幸せそうなカップルを捉えました。腰の位置にカメラを持って撮った1コマですがうまくフレーミングできました。

ミュンヘン

 

 

 

 

 

 

 

 

まだまだありそうですが、国内に戻りましょう。女の子はこれがおしまいです。梅雨が明けましたが、ちょうどウインドウガラスが曇りそうな中に、佇む貴女を見つけました(ごめんなさい)。場所は嵐電嵐山です。

嵐電の女の子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

申し訳ないが次も女の子(若いですが)。窓が反射して車内が見えませんが、中にはおじいさんがいます。また来てねというとことでしょうか。背伸びしないと車内までまだ見通せません。来年はもう少し大きくなるからね。

またね

 

 

次は、女の子ではなく女の親と子です。場所は九州大村線。子供がこっちを見たりしていたが、きょろきょろして中々決まらない。お母さんは、なにか一生懸命字を教えているのかな。

obenkyou

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなに勉強しても、やがては大人になって賑やかな仲間になります。カメラを意識しているのか、どうでしょうか。既に出来上がっているのでしょうか、まったく気にしません。電車で帰る楽しい宴の終わりです。東海道線島田付近にて撮影。老年切符を使ったときの収穫です。

ennkai

賑やかも良いですが熟年の旅も捨てがたい。北陸線内でちょうど老夫婦が旅に出る。特急を使わずに、近場へ行くのでしょうか。画像処理が今ひとつですが、フレーミングが良くないですがまあこんなものでしょうか。

2人連れ

 

鉄道写真はなにも線路に噛り付いて撮るものではないと思いますが、とくに最近、魅力ある列車が減っているなかで、こんなものも被写体として面白いのではないか、と思い、いくつか載せてみました。今度はもう少し車両を入れたものも考えておきましょう。

保存蒸機とその現役時代(4)

関西本線加茂駅は愛称大和路線の終点でこれから先亀山側は非電化区間でキハ120が1~2両で走るローカル線である。うっかりしていたが、ここは京都府であり、関西本線が京都府を走るイメージは頭になかった。不勉強であったと反省している。その京都府木津川市立加茂小学校にC5756が保存されていることを知り、会ってきたので報告する。場所は駅から木津、奈良方面に向かって7~8分歩いたところに屋根付きで保存されている。小学校の校庭ではなく関西本線の線路際である。しかし、学校の横であることは間違いなく、小学生の歌声が校舎のどこからか聞こえてきて随分昔の幼き頃を思い出した。たまにはこういう旅もいいものである。C5756は新製後糸崎、高崎等の配置を経て戦後は奈良を始め当時の天王寺鉄道管理局管内で活躍した。従って加茂小学校に保存されていることはこの機関車にとっても幸せなことであろう。

2013.5.9  C5756 赤ナンバーで保存状態も良好であった。煙突が本来の姿より短く感じたが、集煙装置を装備していたのかもしれない。↓

s-13.5.9加茂C5756

同機のナンバープレート 保存機では盗難予防のためか本物でないものが多く製造番号まで表示されている例は少ない。↓

s-13.5.9C5756NOプレート

小学生を意識した説明板であるが、昭和12年生まれとありプレートには昭和13年とある。交友社発行のSLNo3では昭和13年4月30日三菱製造製番1920とある。どれが正解なのかよくわからない。プレートが正解と思うが。↓

s-13.5.9C5756説明板

 

さて現役時代であるが、これは1964年8月15日和歌山方面に出かけた時に天王寺駅で撮影した203列車東京発湊町行き急行「大和」を牽引して到着した奈良区所属の同機である。加太峠の存在を知らない時代で気楽に駅撮りした記録である。真夏で暑いので窓を開けざるを得なかった時代の汽車旅であるが、煤が入ってきても最高の旅を味わえた。見えている客車はスハフ42でウイングバネのズシンズシンという重量感あふれる台車音と上下振動が心地よく、スハ43系のファンは多かった。加太会を始め急行「大和」の蒸機時代の写真をお持ちの方の発表を期待したい。私の加太走行の「大和」はDF50になってからの姿しかない。

s-64.8.15天王寺C5756大和

番号がわかるようにもう少し機関車に近づいたのがこの写真。関西地区のC57はドームの後ろに重油タンクを付けているタイプが多かったが、全体にきれいであった。↓

s-64.8.15天王寺C5756

人と鉄道と 近鉄 オーストリアに寄せて

 ぶんしゅうさんが1フレームに複数の写真を表示する方法を投稿されましたので、同じようにやってみました。お会いした時にPhoto shopで出来ると聞いたので、早速にマニュアル本を頼りにテスト的にやってみました。その後、投稿記事があったので、これも参考にして本格的にやってみました。まったくいっしょの方法でありませんが、ちょっと見てください。文字も入れてみました。また、新しい技を習得できたのでうまく組み合わせていきたいと思っています。せっかくだから手持ちの写真で最近の投稿に因んだものにしてみました。

 「人と鉄道と」をベースに写真を拾って見ました。古い写真から順番に。まずは近鉄からです。

橘寺駅 2題-1

 近鉄橘寺駅で撮った写真です。中学生の時に飛鳥へハイキングに行った時に撮った写真です。カメラはオリンパスペンSです。ハーフサイズカメラです。

人と鉄道と 4題

上の4枚の写真は4番の写真以外は高校生の時のものです。4番はDRFC現役時代です。さて、これらはどこで撮ったのでしょうか?全て有名な?所です。当ててみましょう。

 大津の86さんがオーストリアに行かれたそうで、それに因んで少しばかり。オーストリアの写真は仕事をしていた頃、会社からヨーロッパの工場視察のツアーに行った時に自由行動の日にウィーンから日帰りで行って撮って来ました。現在のチラタール鉄道がどうなのか投稿を楽しみにしています。

オーストリアの蒸気機関車

 ところで鉄道写真といえばDRFCに入った1970年7月に発行された青信号24号に写真班が「鉄道写真とは何か」というアンケートの結果がまとめてあります。読み返すと面白いもので、「6×6判は正しくない!」とか「乱写は間違っている」とか「一発至上主義は間違っている」と喧々諤々と好き勝手なことを当時は吼えまくっていたのです。私も新人であるのにアンケートを書いてくれと言われて、これが私の最初の青信号投稿記事になりました。ところでこの中でなぜか「カメラは蛇腹が最も正しい!!」というのが印象に残っていて、富山にいる頃に商店街に写真屋さんショーウィンドにあの「パールⅢ」が置いてあるのでム、ム、ムッムでありました。いつもその店の前を通るとしげしげと眺めていました。今でもあるのでしょうか。富山に行くことがあればのぞいてみたいと思います。 

 

近鉄モ5621形

前回のモニ6201形に引き続き、飾り窓付の近鉄電車が登場した。
経歴等は、関 三平氏が記述されておられる通りであるが、若干補足するとデロ21~25(後のモ5621~5625)が川崎造船所製、26、27(後のモ5626、5627)が大阪鐵工所製である。
関 三平氏は「5621~5624は『高松琴平電鉄』に譲渡され」と記されているが、譲渡されたのは車体のみである。

昭和35年、南大阪線に特急用車両を作るため、モ5621~5624の4両が廃車された。
特急用車両を作るために廃車とは?と不思議に思われる方がおられると思うが、当時はメインルートの大阪~名古屋・伊勢間や名古屋~伊勢間の特急の増強で忙しく、2線級の南大阪線までとても手が回らず、南大阪線、吉野線を管轄する天王寺営業局では、車体が新しいモ5805、モ5806の色を塗り替えて優等列車に使用したものの所詮ロングシートの通勤型車両であった。
当件は、1月29日【29414】「近鉄南大阪線モ5805/羊頭狗肉なりに大健闘」と2月3日【29597】「近鉄モ5801形」を参照いただきたい。
吉野山に向かう観光客、大和上市ら大台ケ原、下市口から大峰山、弥山に向かう登山客への対応と、何となくダサい感じがする天王寺営業局のイメージアップのためにも特急用車両は必要不可欠であった。
そこで苦肉の策として考えられたのが、名古屋線のクニ5421形(元伊勢電のモハ二231形〔関西急行成立時の改番でモニ6231形に改番〕で、昭和34年モ6441形に電装を譲りTc化された車両)の5421~5424の4両を転換クロスシート化の上、南大阪線で最も車齢の高いモ5621~5624の台車、電装品を組み合わせて特急用車両モ5821形を作るというものであった。
戦時中「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」という言葉があったが、モ5821形は、正に「工夫の産物」であった。
モモ5821形については、関 三平氏からの紹介があった時に改めて解説する。

モ5621~5624は廃車されたとは言え、車体は高松琴平電鉄に譲渡され、21~24として再起。台車、電装品はモ5821~5824に活かされた。
琴電では反流正面5枚窓を切妻貫通扉付に改造され、別に信貴生駒電鉄から譲り受けた広軌台車と組み合わせて使用された。
幸いにも23が動態保存車に選ばれ、時折讃岐路に釣掛けモーター音を響かせ快走する姿を見ることができるのは喜ばしい限りである。

近鉄南大阪線に残ったモ5625~5627の3両は、昭和40年頃はモ5625+モ2627の2連で道明寺線、モ5626は単行で荷電として使用されていた。

道明寺線で使用中のモ5625+モ5627/ (42-10-14) 道明寺(車両交換で古市に回送時)
5625
42-10-14 5627

モ5626/上:(42-10-14)  下:(43-8-23) 道明寺
道明寺駅ではホームのない場所で荷扱いをしていたことが判る。
42-10-14 5626
43-8-23 5626
続きを読む

掲示板の写真複数を1コマに投稿方法

掲示板に投稿しています2枚以上の写真を1フレームにまとめるのはどうしているかの質問を受けましたので、私の処理方法を紹介させていただきます。

【 用意するもの 】
① まとめたい写真 2点以上
② 画像加工・編集ソフト・・・・私は、Adobe Photoshop Elementsを使用していますが、画像のサイズ変更・加工ができるソフトなら他でもOKです。
Adobe Photoshop Elementsは、比較的に安いソフトで、価格.comなら10,000円前後から購入できます。
今回はこのソフトを使っての処理方法を説明します。

続きを読む

人と鉄道と-機関士編-

「人と鉄道と」3回目は蒸気機関車の機関士です。

▼1962年3月23日、日豊線・竜ヶ水-鹿児島間、機D51687【人】の単機運転。機関士らしき右側の人、ヘッドライト装着で保線区員らしき左の人。二人して敷物に座り、線路や設備の移動点検でしょうか。まさか、右手の噴火湾見物とは違うでしょう。こんな光景の出会いは最初の最後でした。06736
▼1965年8月29日、福知山線・篠山口駅、ホームに写る機影は逆行運転のC11280【吹一】、上り客736列車の機関士がC11の日陰で、下り準急『丹波1号』との離合を待っていました。11432
▼そして今度は5ツ先の駅、福知山線・相野駅。急行『白兎』との離合待ちで機関士は一服。真夏の車内は暑くて、子供はホームに出たが、ホームもかんかん照り、思わず頭に手を。
11434
 
▼1966年10月1日、関西本線・加太駅、京都発亀山行き、上り客728列車、急行『かすが3号』との離合待ち。腕章を巻いた機関士と助士がホームの片隅で一服。出発時刻は20時59分です。135012

▼同上、728列車全景。さしずめ「夜も撮る」でした。ホームには駅員の姿も見えます。
13501

▼1964年3月17日、東北本線・小繋駅、本務機の機関士と助士が動輪周りを点検中です。前に2両のD51補機を付けた、所謂蒸機機関車「三重連」です。
09108

七夕電車

広島電鉄では 毎年恒例の「七夕電車」が今年も6月27日から7月7日まで運転されるとのことで、7月4日夜遅く 見に行きました。今年2月の新車1000形が使用され 1001(PICCOLO)が「ひこぼし号」、1002(PICCOLA)が「おりひめ号」となっていました。
pict-おりひめ、ほこぼし-1
豪雨の中 江波からの1001「ひこぼし号」が横川駅に到着です。
当日は大雨警報が発令されJRはかなりダイヤが乱れていました。

pict-おりひめ、ほこぼし-2
横川駅に停車中の同車です。折り返し広電本社前行きとなります。
せっかくなので乗車してみました。

pict-おりひめ、ほこぼし-3
車内はきれいに飾り付けがされています。きれいです。

pict-おりひめ、ほこぼし-4
地元の幼稚園児の手作りの短冊や装飾できれいに飾られています。
夜遅いため乗客も少なく ゆっくりと新型車の乗り心地を広電本社前まで楽しみました。途中で1002「おりひめ号」とすれ違いました。

pict-おりひめ、ほこぼし-5
小康状態の雨の中 広電本社前で折り返しを待つ1001号です。ひこぼしと星空のラッピングがされています。その後豪雨の中 横川駅へと走り去っていきました。
1002号を待ちましたが 夜も遅いため車庫に入ってしまったようで来ませんでした。
翌朝 少し時間が有りましたので 明るい中で待つこととしました。

pict-おりひめ、ほこぼし-6
朝早く 原爆ドーム前へ行くと1002「おりひめ号」がやってきました。定番撮影地での1002号です。広電本社前発 横川駅行きです。かわいい「おりひめ」のイラストが付いています。
アニバーサリーレッドと言われるこの車両の色は なかなか写真写りがむつかしいですね。

pict-おりひめ、ほこぼし-7
十日市町に停車中の1001「ひこぼし号」です。
きれいなラッピングの電車です。晴れるとまたきれいな色になると思いますが 梅雨の曇り空の朝でした。
京都、大阪、神戸、福岡からの電車を始めさまざまな電車が行き交う広島は 見ても、乗っても楽しい所です。
犬伏

速報!E653系「いなほ」と金町界隈の貨物列車

25-6-29 EH500-22 土浦貨物
北松戸を通過するEH500-32牽引の土浦貨物/ (25-6-29)

 E653系「いなほ」
6月29日土曜日、所用で松戸まで行った帰り、土浦貨物が来る時間帯であったので北松戸で撮影後、暫くすると上り快速線を見慣れぬ色のE653系が通過した。先頭方向は下りの緩行電車に被られてしまったが、何とか後追いで撮影できた。
25-6-29 いなほ回送

E653系は、3月16日のダイヤ改正で「フレッシュひたち」から引退後、一部の車両は修学旅行臨や臨時列車に使用されているが、7両編成は8編成全部が順次「いなほ」用に改造される。
この車両は元「K301」編成で、2月28日に郡山総合車両センターに入場して改造工事完了後、6月25日に一旦元の勝田車両センターに回送され、29日に上野駅経由で新潟車両センターに回送された。
E653系は元々寒冷地仕様で製作されているため、改造工事の主体は車内のリニューアルと下り向き先頭車のグリーン車化である。
第2陣として6月4日「K302」編成が郡山総合車両センターに入場した。

4本ある4両編成はいわき~仙台間の特急に転用される予定であったが、東日本大震災で常磐線不通区間の復旧の目途が立たないため今後の動向が注目される。

修学旅行臨/上:(25-6-4) 金町 下:(25-6-1) 馬橋
25-6-4 653金町
25-6-1 e653馬橋

続きを読む

近鉄6201系

関 三平氏は大の近鉄ファンと思われる。
今まで登場した近鉄の電車は、モ2303、モ1→モ200、モ6800ラビットカー、モ5201、モ6601、モ5805、10100系ビスタカー、そして今回の6201系、次のモ5621形、奈良電のクハボ600とデハボ1200を加えると11形式に及ぶ。
特に興味深いのは、南大阪線が4形式あり、近鉄の中でも南大阪線がお好みなのであろう。近々モ5821形「かもしか号」が登場するかも知れない。

元伊勢電の車両は今回が初めてで、関 三平氏の解説の通り、昭和3~4年にかけて、M車2両(改番後のモ二6201、6202)、T車6両(改番後のク6251~6253→サ6251~6253、ク6261~6263→サ6261~6263)新製され、イラストの通り窓上にはアーチ形の飾り欄間が設置され、ステンドグラスがはめられていた。
車内はロングシートながら扉横の柱の上部に彫刻がされている等凝った作りであったが、欄間は戦後鉄板張りになり、車体更新時になくなってしまった。
モ二6201形
昭和3年12月日本車輌製で、制御器の相違から当初形式はデハ二201形とデハ二211形に分けられていた。7年に記号を変更してモハ二になり、16年3月関西急行成立時の改番で実質的に同じであることからモニ6201形に統一され、モハ二201がモ二6201、モ二211がモハ二6202に改番された。
昭和34年名古屋線改軌時に改軌されたようであるが、36年に伊賀線に転属となり、主力車として活躍した。49年6200番代を南大阪線の新型車に譲ったため、モニ5201形に改番されたが52年3月廃車になった。

モニ6201/上:(48-4-8)下:(46-1-24) 上野市
伊勢電の電動車は乗務員室扉がないのが特徴であった。上の場合は荷物室扉から出入りすればよいが、下の場合は客室扉から出入りしなければならず不便であったと思われる。
6201 48-
My beautiful picture
モニ6202/(48-4-8) 上野市
My beautiful picture

続きを読む

富士山と鉄道(特別編)

「富士山と鉄道」につきましてはtsurukame様より御殿場線の蒸機機関車D52時代の写真を投稿いただきました。その後私の古くからの友人であるSさんより小海線と川越線の写真があるとの連絡がありお願いしました。Sさんはタイ、三道嶺にはぶんしゅう旅日記さんと行動を共にされ、先日は神足(長岡京)で共に飲んだとも聞いております。また、デジ青に時々コメントを投稿されている村樫四郎様からは御殿場線に加えて中央線の未電化時代の作品をいただきました。今回は特別編として両名の貴重な記録を発表させていただきます。

まず、Sさんからの小海線と富士山の写真です。私の不確かな情報を確かに証明していただきました。1972.4.1小海線甲斐小泉~甲斐大泉↓

s-PICT1087-2 昭和47年4月1日甲斐小泉~甲斐大泉

1972.9.1 小海線小淵沢~甲斐小泉 高原には早くもススキが見られる↓

s-PICT1092 昭和47年9月19日 小淵沢~甲斐小泉

1965.3.5 川越線 指扇~南古谷 珍しく雪の降った日のキューロクの旅客列車 富士山は左にあるはずですが厳しい↓

s-PICT1081 昭和44年3月5日指扇~南古谷
続きを読む

富士山と鉄道(山梨他編)

静岡編に続き山梨他を紹介したい。まず、山梨県側であるが、山容が綺麗で河口湖など湖と絡めた美しい風景写真をよく見かける所である。しかし、山梨県側は全体には裏側にあたり逆光気味になるので、特に鉄道写真は少ないようで、古い写真はほとんど見かけない。最近は果敢に挑戦した作品も出てきたので私もその真似事をしてみた。順光でない場所では雪の白さなどがつぶれてしまい難しい撮影になるが、これを乗り越えると思わぬ好作品が生まれるのかもしれない。

JR中央線も新府~穴山l~日野春~長坂~小淵沢あたりも右に八ヶ岳、左に甲斐駒と抜群の風景が続く。この中で穴山~日野春には僅かであるが富士山をバックにした写真が撮れる場所がある。有名撮影地であるが、徒歩で行くと30分はかかる。時間帯にもよるがここも逆光気味である。2002.1.6穴山~日野春 437M甲府発松本行き115系↓

s-02.1.6穴山~日野春437M

この場所も有名撮影地で富士山がよく見える。列車が大カーブするのでいろいろな角度から撮影ができる。新府駅からすぐの場所。甲府盆地内でも富士山が見えるので今後さらに注意して撮影場所を探してみたい。2002.1.6 新府~穴山上り183系回送↓

s-02.1.6新府~穴山上り回送

富士山の世界遺産登録で株価急騰の富士急。JR東もシーズン土日にE257系による快速「山梨富士号」を新設するとのこと。(13.5.21日経) また、富士急社長は富士山5合目までの延伸構想を明らかにし、その中で成田空港からの直通運転も目指すとのこと。(13.6.20日経) 道路より環境問題の負荷が少ないことはいいのだが、問題は収支が合うのかということである。富士山の独立峰としての美しさを前編で述べたが、例えばスイスのユングフラウ鉄道のように連続した車窓風景の売り物が通年提供できるかどうかここが疑問である。リゾート事業は魅力的にうつる部分もあるが、雨の日、風の日、寒い日もあり、通年営業の覚悟ができるかどうかである。

富士急は富士山を入れて撮れる場所が限定されている。写真は寿~三つ峠の定番地で工場敷地に入ることにもなるのでその場合は注意が必要である。他にも工夫すれば見つけることは不可能ではないが、全体に好撮影地は少ない。むしろ付近の山などに登れば思わぬポイントが見つかるのかもしれない。2010.5.21寿~三つ峠大月行き1308+1208↓

s-10.5.21三つ峠1308+1208大月行き

続きを読む

富士山と鉄道(静岡編)

6月22日富士山は世界文化遺産に登録された。諦めていた三保の松原も認められ、諸外国の登録委員に完璧に支持されたのでまずはめでたし、めでたしである。今後はその文化遺産の維持の大変さが予想されるので登録抹消にならないようにしなければならない。

私は富士山を始めて見た時のことを覚えている。修学旅行中、梅雨空であったが箱根の芦ノ湖で雪を抱いた山容が雲間に現れた時にワーと歓声があがりしばらく興奮の眼で眺めていた思い出がある。今でも新幹線の窓からその秀麗な姿を見るとお客が写真に撮ったりしているのでやはり他の山とは違った魅力があるのだと思う。世界的に見れば3776mというのはそれほど高くはないが、コニーデ式(円錐)火山であり、その堂々とした独立峰が印象的で世界的にも素晴らしい山といえる。富士山は「登る山でなく、見る山だ」という人もいる。私は1970年8月に登山をしたが、9合目を越えて御来光を仰ぐ段階で高山病にやられた。引き返す訳にはいかないので頂上まで登り噴火口だけ見てさーと降りたが、高山病というのは当然下へ降りれば降りるほど回復するものであることを実感した。冒頭に静岡側、山梨側、飛行機から見た富士山を3枚を並べてみた。

2012.3.29身延線沼久保付近の早春の富士山↓

s-12.3.29富士沼久保

2010.11.10 秋深まる頃の富士山 右に見えるのは山中湖↓

s-10 11 10富士山中湖

2007.5.28 北京行きの飛行機から見た富士山 余談であるが翌日チベットのラサに向かったがここの標高は富士山に近い3600mで多少の高山病にかかった↓

s-07.05.28

さて、本題の富士山と鉄道であるが、まず終日順光で眺められる静岡県側を紹介したい。紹介なんて偉そうなことをいっても天下の富士山なのでほとんどの場所が有名撮影地であることをお許し願いたい。例によって古い写真が登場するが、毎度の劣悪な保存状態のフィルムのため見苦しい点も併せてお許し願いたい。

続きを読む

東武鉄道/東京都内のローカル線


スカイツリー5-23
スカイツリーをバックに北十間川鉄橋を渡る  (25-5-23)

東武鉄道は野田線に60000系新型車が入線したことで注目を集めているが、話題に上がることが極めて少ない亀戸線と大師線の現状を紹介する。

亀戸線
浅草を出ると直ぐ隅田川の鉄橋を渡り「とうきょうスカイツリー」に到着する。その次の曳船から分岐して亀戸までの間3.4kmを結び、中間に小村井、東あずま、亀戸水神の3駅が存在する。
駅間距離は曳舟~小村井間が1.4km、以遠東あずま間0.6km、亀戸水神間0.7km、亀戸間0.7kmと短い。
曳船駅構内のごく僅かな区間が単線の他は複線で、昼間10分間隔(平日朝のラッシュ時は7~8分)でワンマン運転されている。
朝ラッシュ時3本、それ以外の時間帯は2本使用で、朝のラッシュ時が終わると1本は亀戸駅に留置されている。
車両は、8000系2連で昼間でも座席がほぼ埋まる程度の乗客数である。

(1)歴史
開業は古く明治37年4月5日で、この日同時に開業したJR総武本線の前身、総武鉄道が開業し、同社に乗入れ両国橋(現両国)まで乗入れ、曳舟~吾妻橋間を廃止してこちらが本線格になった。
明 治40年9月1日総武鉄道は国有化されたが、乗入れは43年3月27日まで続けられた。一方、曳舟~吾妻橋間を明治41年3月貨物線として復活。43年3月には吾妻橋を浅草に改称して旅客営業を再開し、曳舟~亀戸間は支線になった。

(2)車両
南栗橋車両管区春日部支所所属のワンマン改造された8000系2連5編成(8565-8665、8568-8668、8570-8670、8575-8675、8577-8677)が大師線と共用で使用される。
「8568-8668、8577-8677の2編成は「下町トレイン」として戸袋部分に亀戸線と浅草、東向島、北千住の各駅のラッピングが貼られている他、床にもラッピングが貼られている。車内アナウンスはスカイツリーのキャラクター「ソラからちゃん」をイメージした子供(実際は大人の声優と思われる)の声で行われている。
下町トレイン[モハ8568-クハ8668]/ (25-6-8)
25-5-9 8568曳船
25-5-9ヘッドマーク
25-6-20ラッピング1-2
25-6-20ラッピング2-2
続きを読む

だいぶん前の、ちょっと前の、ついこないだの路面電車

乙訓の長老様が投稿されていましたが、6月8日の日に阪堺電車あびこ道にある車庫で「路面電車まつり」がありました。目的はデト11の台車でしたが、イベントの舞台に使っていたので写真撮影や詳しく調べることができませんでした。しかし、乙訓の長老様から資料や写真を提供していただいたので調べたい内容はほぼわかりました。また、ここでお会いした日本路面電車同好会関西支部の皆様にはいろいろなことを教えていただきありがとうございました。この場をかりて厚く御礼申し上げます。

_MG_1141

「路面電車まつり」に因んで、今までに撮った路面電車の写真を新旧おりまぜて少しばかり。まずは「だいぶん前の路面電車」から。といっても45年ぐらい前と思いますが、見ていただきたいと思います。

続きを読む

東急玉川線デハ200形

43-9-7-4 202
朝のラッシュ輸送が終わり入庫するデハ202/(43-9-7) 大橋

昭和30年前後の3大都市の最新鋭路面電車のラストとして東急玉川線デハ200形が登場した。
24年3月14日【18443】「連接車7」で準特急先輩が「東急デハ205」を紹介されており重複する部分があるが、当時玉川線に在籍していた他形式と併せて紹介する。

同線の撮影は、DRFC入会直前の昭和41年3月11日と現役時代の43年9月7日の2回で、その他に上野発夜行列車に乗るまでの時間潰し乗車が2回ある。
41年3月は渋谷駅の乗場が判らず、溝の口行の東急バスに乗り、適当に降りたところが三宿であった。ここで暫く撮影後電車で二子玉川まで行き渋谷に戻った。
朝のラッシュ時が過ぎていたため電車は全部単行で目的のデハ200形は走っていなかったが、30形から40形に改造したデハ52が撮影できたので満足した。

43年9月は前回の経験から朝のラッシュ時間帯に行ったため、デハ202と204の2編成と30形等他形式の連結運転を撮影した。

デハ200形(201~206)
昭和30年東急車両で201~206の6編成が新製された。当時としては画期的な超低床構造の車体で、中空軸平行カルダン駆動、HSC-Dブレーキ、応荷重装置等最新の設備を備えた高性能車両であった。関 三平氏も記述されておられる通り、先進過ぎた装備が仇になり、44年5月10日玉川線廃止時に廃車となり、デハ204のみ「電車とバスの博物館」に保存、展示されている。
富山、高岡、岡山の新型車がデハ200に似ていると思うのは私だけだろうか。
デハ202/(43-9-7) 大橋
43-9-7-3 202
デハ204/(43-9-7) 大橋
43-9-7-5 204
続きを読む