【21866】東京スカイツリーから見る鉄道

毎日、通勤で東京スカイツリーの足元を通っていますので、折角ならば、早めに上りたいと思い、東京スカイツリーの事前予約にインターネットでチャレンジしたところ、第八希望の6月30日土曜日午前8時30分に当選したので、東京スカイツリーに上ってきました。

通勤で、毎日見れるはずですが、着席通勤なので、押上あたりは、夢見心地で通過しています。建設途上も、できてからもじっくり見たことありませんでした。

今から、25年前、何の因果か浅草支店に勤務を命じられ、ここらあたりは、セールステリトリーでした。自転車でよく営業に廻ったものです。

当時は、コンクリート工場があり、東武鉄道のED5000形が出入りしていました。よく仕事をサボって眺めたものです。

当時は、まさかここにこんなものができるとは、思いもよりませんでした。

当日、地上350メートルの天望デッキまでは、ほとんど待たずに昇れました。ここまで、2500円です。(通常は、2000円)

さらに、先の地上450メートルの天望回廊を目指します。天望回廊の切符を買うのに約10分。追加で1000円かかります。

合計3500円かけて到達した地上450メートルからの鉄道です。


浅草~東京スカイツリー間 300系と通勤電車(東武の車両に詳しくないので、形式がわかりません。)

 

東京スカイツリー~曳舟間  スペーシア100系と6050系快速

字左が東武鉄道。右が京成電鉄です。京成電鉄の下を東武鉄道 亀戸線が走っています。

京成線は、京成曳舟付近高架工事中です。

 

業平橋(東京スカイツリー)の電留線 200系と300系と6050系快速

一度は、昇る価値はありますが、何度もは・・・

天望回廊へは、天望デッキでチケットを買う必要がありますので、待ち時間を気にされる方は、早めの時間に昇られたほうが良いと思います。


【21800】アメリカ鉄道のたび(その5)デュランゴシルバートン鉄道

デュランゴシルバートン鉄道はアニマス川沿いの渓谷を走る景色が人気で標高1984mのデュランゴから標高2836mのシルバートンまでの72.6kmの区間を3時間半かけて走ります。デュランゴはデンバーと同じコロラド州にあり、デンバー、フェニックス、ダラスからの飛行機便があって、比較的行きやすい場所にあります。このため、この鉄道の乗車をコースに入れている日本の一般ツアーもあり、恐らく日本でも一番知られた保存観光鉄道ではないでしょうか。この鉄道はシルバートンで発見された銀鉱のためのもので、1882年にデンバーまでの鉄道が開通しました。その後、鉱山の閉鎖とともに鉄道も一時期廃止されましたが、1940年代に銀に変わってウラン鉱石の精錬のために再開され、1960年代には国の歴史遺産に登録されたこともあって、観光鉄道に姿を変えて運行が続けられました。ある時期にはハリウッドがこの鉄道に目をつけ、いくつかの映画がここを舞台に作られました。「80日間世界一周」の映画も一部のシーンがここで撮られたそうです。

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【21692】伊予鉄での出会い

 いささか古い話で恐縮であるが、昨年末、趣味仲間と車で一畑、伊予鉄、琴電等を訪問したのでその中で伊予鉄との出会いについて報告したい。その時の最大の目的は一つには1963年、1964年にローレル賞を連続受賞した井の頭線3000系、京王線5000系の生き残りを並べて撮ること、もう一つは京都市電であった2000形を撮ることであった。

 2011年12月3日伯備線、4日一畑、琴電を撮影後、松山市内勝山町のホテルに投宿。道後温泉も行かずにホテル前で三脚を立てて市内線電車の夜間撮影を試みたが、結局元京都市電は現れなかった。翌日も早朝からねばってみたが、ラッシュアワーに重なったのか2003、2005、2006に出会うことができた。正面の前照灯が2灯から1灯となり、多少面構えが変わっていたが、全体の面影は残っており懐かしい感じがした。JTBキャンブックス「京都市電が走った街今昔」(沖中忠順著、福田静二編)によると京都市電2000形は1964、65年に6両が登場し、1両は保存、5両は伊予鉄市内線で旧番号のまま冷房化の上、活躍中とある。2003、2005、2006の京都時代の同番号の2000形はないものかとネガを探してみたが残念ながら全くなく、唯一、卒業前の1969年2月の雪の降る日に京都駅近くで後姿を撮った2002があったので掲載する。  

        2012.12.5 勝山町 2003↑

 

        2012.12.5 大手町2006↑

 

 1969.2.28 京都駅近くの烏丸通と思われるあたり2002↑

 

 元京王3000系、5000系の出会いであるが、当日の運行状況から大手町駅で離合することがわかったので光線状態を考えて同駅の松山市駅側に陣取る。時間になりやって来たのは横河原行きクハ3506(元井の頭線クハ3775)で高浜行き後部のクハ765(元京王線クハ5777⇒クハ5857)と並んだところをキャッチ。朝陽に輝く出会いはよかったが、朝の斜め光線は架線や電柱の影の処理が難しい。それに元京王5000系自身いつまで残るのか予断を許さない時期に入ってきたように思う。古い写真は1968年5月27日聖蹟桜ヶ丘を出て多摩川橋梁に向かう京王八王子~調布間の各駅停車デハ5107+クハ5857吊りかけ車で松の木の影になっている後ろの車両が伊予鉄クハ765になるクハ5857である。新しい写真は2008年11月16日井の頭公園駅に進入する急行運用に入ったクハ3775で現在の伊予鉄クハ3506である。伊予鉄の3000系は譲渡に際し、VVVF化されて井の頭線時代よりも性能のグレードアップ化がなされている。京王線と井の頭線は明大前駅で上下交差しているが、路線の生い立ちやゲージの違いによりお互いが同じ会社の車両でありながら顔を会わせることはない。もっとも井の頭線の1800、1700、1710、1400、1200等は改軌して京王線に転属していった時代がある。その一部も伊予鉄に譲渡されており、京王と伊予鉄は縁の深い関係がある。本年5月1日に彩流社という出版社から発行された「京王線、井の頭線昭和の記録」の編著者三好好三さんは井の頭線と京王線の接点という項目の中で伊予鉄の同じ線路を走る元京王3000系、5000系のことを「本家でも実現しなかった夢の競演である」と述べられている。譲渡車両の今昔を記録してみたが、同じ車両を対比することは大変興味深いものがあり、私のような老人ファンならではの楽しみである。

 2012.12.5 大手町横河原行きクハ3506と高浜行き後部クハ765↑

  1968.5.27 聖蹟桜ヶ丘~中河原 デハ5107+クハ5857↑

 

 

   2008.11.16 井の頭公園 3775先頭急行渋谷行き↓


【20055】本日の183系 185系

足利フラワーパークの藤の花も満開だそうです。毎年この連休に各地から臨時電車が運転されています。その中で平日にも運転されるのは少なく 上野8:04発の全車指定席の快速「足利藤まつり号」は5月1日2日も運転されましたので通勤途中で写してきました。
大宮所属のOM103編成183系6連です。

OM103 (クハ182-102 モハ182-1054 モハ183-1054 モハ182-1032 モハ183-1032 クハ183-1527)
きれいな国鉄標準色ですが上野界隈で見られるのはもうわずかでしょうか?(鴬谷にて)

次は上野1840発のホームライナー鴻巣3号 185系(157系色)OM08です。帰宅途中の鴬谷です。
明日からは特急「草津83,84号」に運用されますので昨日、本日と夕方の軽い運用に入っていました。本日夕方から雨が強くなり明日も雨予報ですが、その後は良い天気のようですのできれいな写真が期待されます。

大宮の185系はあと1編成クラシックカラーになるようですが、近いうちに別の系列に置き換えになるようで間もなく見納めになりそうです。また183系の波動用も置き換えられるようですので来年はもうこれらの写真は撮れそうにありません。
ほぼ毎日のように見ていた185系は何となく愛着があり残念です。


【19919】連接車9

今回はヨーロッパの路面タイプではない連接車とする。連接車については鉄道ピクトリアル789 2007年5月号にその特集が組まれているが、巻頭の説明では「連接車は車両同士の連結部分に台車を配置し、隣接する2つの車両を1つの台車で賄っている車両である」と書かれている。ところが、その特集記事の中で専門家は上記定義に当てはまらないものと断って最近普及しているLRVを広義の連接車として説明している。広島電鉄5000形のようなLRVはヨーロッパ各都市では以前から多く見られるが、このような5車体3台車の車両では台車のない車両は隣の車両が吊っている様である。この連接車特集号では日本のLRVの写真がどんどん紹介されているし、旧東ドイツでは2車体2台車もある。連接車の定義、範囲はよくわからなくなった。ということで連接車最終回は標準型で有名な車両を選んでみた。

最初はイタリアの元TEE「セッテベロ」ETR300で小田急NSE等に影響を与えたといわれる車両。1952年生というから恐れ入るが実に思い切ったデザインの車両である。2車体3台車の間に3車体4台車の中間車を挟む7両編成。2000年5月5日ミラノ~ボローニャ間にあるFidenzaでの撮影。

 

これも有名なフランスのTGV。8車体9台車の中間車に両端はボギー式で10両で1編成。2005年8月7日南仏Antheorの高級別荘地から撮影。パリリヨンとニース方向を結ぶ上下列車。↓        

     

 

1997年8月17日ベルギーのローゼンタール~アントワープ間のKijkuit付近で撮影のタリス。アムステルダム発ブラッセル行きで両端動力車中間8車体9台車はTGVと基本的に同じ考え。↓

          

ユーロスターも連接台車を採用しているが、動力車と客車間、編成中央の客車間は非連接で4分割可は海底トンネル内での異常時対応。1997年8月20日ベルギーのフランス国境に近いMonsで撮影したブラッセル発ロンドンウォータールー行き。↓

 

最後はスペインのタルゴ。2000年5月7日スイスチューリッヒ郊外のMurgenthal~Rothrist間を行くRE/44に牽引されるバルセロナ発チューリッヒ行きEN273列車。客車間の台車が1軸であるのが特徴で標準型の変わり種。↓

         以上で連接車9回の連載を終わる。

 


【19206】連接車(ミラノにて)

準特急様の連接車の連載、さすが見事な写真を毎回楽しませていただきました。「個人的には車両と車両の間に台車が丸見えの古いタイプが好きです」とのコメントで思い出したのがイタリアのミラノの路面電車でした。2009年6月の撮影です。ツアーの間のわずかな時間で写した写真ですがご覧ください。

2車体連接車です。こちらは扉の無い側面になります。

先ほどの写真のほぼ同じ車両の扉のある側面です。ドゥオモの屋上展望台からの写真です。

色違いの2車体連接車です。

これはみごとな3車体連接車です。進行方向は右です。
左の奥に新型車が見えます。
ミラノ市内には連接車や新型車のほかに「ベントット」とよばれる1928年から製造された古典的な電車が多く走っています。

ミラノの街並みを行く「ベントット」

右側通行ですのでこちら側に扉がありません。ミラノのスカラ座の前にて。

扉のある側面です。こちらの色はリバイバルカラーだそうです。ミラノ中央駅近くにて

標準色です。一番上の写真と同じ場所です。緑がきれいでした。

以上 イタリアのミラノの連接車と古風な路面電車の紹介でした。


【15643】ムスカウ森林鉄道訪問記

初めて投稿させていただきます。諸先輩方の投稿、毎日楽しみにしており、私も何か投稿したいと思っていたのですが、皆様方のレベルの高い内容に見合うものがなく、月日が経ってしまいました。今年3月で退職し、自由な時間もでき、6月終わりから7月にかけて8日間、ドイツの旧東ドイツザクセン地方の狭軌SL鉄道を訪問してきましたので、恥ずかしながら思い切って記事にしてみました。今回の旅行の一番の目的はムスカウ森林鉄道(以下WEMと略)を訪問することで、まずはこれから紹介させていただこうと思います。
ドレスデンから東に2時間余り行ったヴァイスヴァッサーという町から、ポーランドとの国境にあるバドムスカウと、クロムラウという町への2系統の路線があり、観光路線として今年の場合、422~103日までの間、週末の土日、78月には加えて木金曜日にも運転され、その中で主に月初めの土日だけがSLの運転日、それ以外はDLの運転となります。SLが見られるのは特別のイベント日を含め今年は18日間のみの運転となります。7月は23日の土日に運転されこれに合わせて訪問したわけです。

WEM600mmゲージで、ヴァイスヴァッサー周辺に点在する工場に資材を運ぶため、1895年に設立されました。19783月に廃止され、車両は売却、線路も撤去されましたが、1984年に愛好家が保存に乗り出し、まず、ヴァイスヴァッサー付近の300mの線路を使い、ディーゼル機関車による運行を始めました。その後、徐々に路線を延長、1995年のWEM百周年にヴァイスヴァッサーとバドムスカウの間を復活、さらに静態保存されていた1918年製99-3317号を復元し観光路線として再開しました。その後、1998年に1912年製99-3312号を加え、現在は、この2台のSLと数台(3台?)のディーゼル機関車が運行され、さらに2台のSLが保存されています。

私がここを知ったのは今から34年前のこと、勤めていた硝子会社から硝子製造機械のプラント建設で当時東ドイツであったヴァイスヴァッサーに行った時のことでした。ホテルはバドムスカウにあり、工場への行き帰りの車の中から、並行する線路に小さなSLが走っているのを見つけたのです。当時は共産党政権下で、ポーランドとの国境に近いこのあたりでは、我々資本主義者はいつも当局の監視のもとにあって、とても写真を撮れる環境ではありませんでした。2か月余りの滞在の後帰国しましたが、どうもその後もこの小さなSLの存在が気になっていました。それから20数年後、何がきっかけだったのかは忘れましたが、ウェブサイトでこの鉄道のHPを発見、それ以来何とか機会を見ては訪問したいと思いながら、やっと今回その夢が果たせました。

訪れた73日はあいにくの雨、日本の猛暑が恋しくなるような肌寒い天気でした。駅から10分ほどのところにあるWEMの駅は発車の20分前なのに人影はまばらです。雨のせいかと思っていると、駐車場にバスが入ってきてぞろぞろ人が降りてきて、10:00発のバドムスカウ行きは30人くらいが乗りこみました。

ヴァイスヴァッサーで発車を待つ99-3312号

ク繝・?ラウ行き99-3317

 

途中5つの駅に停まりますが、乗り降りする人は無く、森の中を走り、35分で終点のバドムスカウに到着。ここは周りに何もなく、水を補給して機廻しし、10分ほどで出発します。ここから歩いて20分位のところに、世界遺産の城がありますが、雨も激しくなり、全員がそのまま乗車したようです。この後も雨は止まず、めげてしまって沿線からの撮影はあきらめ、駅付近で発車の様子を撮るだけになってしまいました。

バドムスカウ終点

バドムスカウで水の補給する99-3312号

二便、三便のバドムスカウ行き、クロムラウ行きはほとんど乗る人がなく、この鉄道は、ボランティアによって運営されているので、採算は関係ないのかもしれませんが、100年前の車両が現役で走るという貴重なものなのに少しさびしい気がしました。

このほかこの時のドイツ旅行ではチタウ狭軌鉄道、フィヒテルベルグ鉄道を訪問、その後1011日から20日までドイツを再訪、ハルツ狭軌鉄道、モリー鉄道などを訪れました。また、機会があれば発表させていただきたいと思います。


【15322】阪神ジェット・カー、御影-石屋川間高架上

 前回に続き、5100系、5200系です。デジタル青信号の投稿ついでに、保存の阪神フォルダ内を見ていたら、新しい発見がありました。
 1962.3.25撮影、
御影駅西方、石屋川駅まで続いている留置線、施設完成前の高架上です。 また、このフィルムは、ビネガーシンドロームなど、全く影響がない正常な状態のFuji Neopan ss safty  です。たくさんのビネガーシンドローム被害のフィルムの中に、こんなのがあるから、いよいよもってビネガーシンドロームが解らなくなります。 1. 5100系、5101 、石屋川駅寄り

 関係者でもない私が、どのようにしてこの地点に行ったか覚えていません。昨今では撮影不可能な位置です。当時とは言え、まさかホーム端から歩いたとは思えず、高架下の昇降階段から昇ったのではないかと思われます。また、この場所も阪神大震災では大きな被害を受けました。

 

 

2.  52005214他、石屋川-御影駅の中間辺り

 3.  5200系5212他、御影駅近く


【15032】高崎駅周辺が騒がしい

KAWANAKAです。

久し振りに投稿します。高尚な記事を持ち合わせていませんが、現住所が大阪、税金は千葉県に納めている関係上、両方に少しづつジャブを入れています。

高崎辺りが騒がしいとコメントが出ていましたので参加します。

23日の用事を済ませて東下りしたのですが、家内が高崎にいる愚息夫婦+孫に会うので付き合えという。仕方がないので折角の休日、高崎(実際は新前橋)の愚息宅へお邪魔することになった。

家内を家に残し、愚息の車で折角来たのだからC58位見せろ!ということで孫を家に放ったらかしで出ました。愚息の運転でとにかく線路脇に行け、いうことで、まず1枚。詰まらん拙写でC58というのがわからん。

 

場所は残念ながら車で移動のため見当がつきません。記録を見ると11:49の時刻がありますので大体は分かります。名古屋からの同業者が1人だけ居て、ススキが伸びすぎているからとハサミでチョキチョキキ切ってごらんのようになりました。最近は脚立を持って大汗かいている御仁が増えているが、はさみはなるほどと感心した次第。

水上では物凄い人。近寄ることもできず、駅の反対側に回って、今度は転車台で回るC58とD51を。ついでに秋の雰囲気と言うことでススキを入れた写真を。人が多くて小生の腕ではこの位しか撮れませんでしたが・・。

 

その後、新前橋の家に戻り、孫の相手をして飽きたころ、帰ってくるD51+C58を撮って終わりとしました。今度はC58というのが分かりますね。

ま、じいじの役は不完全かも知れんが果たして、煙のにおいも嗅げたし良かったと言うべきでしょう。そのほかの戦果もクローバー会のメンバーが補足しているので良いとしましょう。

翌日は帰る前に、今度はC61+D51というので、迂回のカシオペアをキャッチしたから帰阪した。C61は元祖青信号を飾っているので拙写は省略。また、お別れの113系も行きたかったのですが、佐倉にいた関係でゲップが出るほど下手な写真を撮ったので自分を慰めることとします(機会を見て、追悼の平常拙写を投稿します)

また、突然出没しますのでよろしく。


【14499】追憶の旅(その4)

防府で泊まった翌朝は 徳山に向かう。途中 富海、戸田あたりの海岸線はかつて大型蒸機の撮影ポイントだったところだが、糸崎ー尾道間と同様 海岸の景色はあまり変わっていないように思えた。徳山で岩徳線に乗り換える。キハ40の単行である。乗客14人で発車、櫛ケ浜から岩徳線に入る。海岸を走る山陽線が艦砲射撃で不通になったときのバイパスとして作られたと聞いたことがあるが、そのため線路規格は幹線並み、途中の交換駅もDC1両には不似合いな長いホームや有効長がある。それ以外には特徴の少ないローカル線であった。意外だったのは 乗降客が多いことで、確かに高校生(もう夏休みに入っていたのでクラブ活動?)が多かったが、岩国に近づくほど乗客は増えて立っている人もいたほどだった。私以外に徳山から乗り通した人(鉄ちゃんではない)がいたのも驚き。西岩国で下車。西岩国の駅舎は昭和4年に建てられた洋風のしゃれた駅舎なので 錦川鉄道に乗り換えるのはこの駅と決めていた。乗り換えまでの12分ほどのあいだに 駅前に停まったバスが動いてくれず 駅舎だけの写真を撮り損ねたが これも時代の記録と思ってパチリ。駅正面玄関上や窓の上のアーチは錦帯橋をイメージしたデザインである。バスは各地で増えている コミュニティーの巡回バスである。無人駅のため広いコンコースは殺風景だが、非常に良い雰囲気の駅だった。立派な跨線橋を渡って 錦川鉄道に乗り換える。

やってきたのはNT3002 ひだまり号だった。錦川鉄道はかつての国鉄岩日線で錦川に沿って北上し 錦町まで約1時間の旅である。営業上の起点は岩徳線川西駅だが、実際の分岐点は川西駅から1.9Km先の森ケ原信号場である。信号場と言っても遠隔操作のポイントがあるだけで 詰所も何もない。

このトンネルを抜けると森ケ原信号場。場内信号機左上が岩徳線で赤、右下が錦川鉄道で青を現示している。

森ケ原信号場

 

この信号場を過ぎて 最初の駅が御庄(みしょう)である。車内では「山陽新幹線はお乗換え」とアナウンスはあるが 乗り換える人などいない。駅名が新岩国ではなく御庄であるように 全く別の駅である。無人駅で ホームにはヨ8000の車体が待合室になっている。駅の少し岩国寄りに新幹線の軌道基地に入ってゆく引込線が残っているが、途中 レールは撤去されて使われていない。

あとはただただ錦川を左手に見ながら川を遡ってゆくのみ。眺めの良い個所では徐行し、景色をお楽しみくださいとアナウンスがある。観光客には良いかもしれないが、いつも乗ってる地元の人にはありがた迷惑かも。ほぼ中間点の北河内で岩国行きと交換し 錦町へひた走る。

殆どこのような景色が続く。なぜか線路際に電柱がなく、非常にすっきりしている。錆止め色に塗られた線路際の柵が細いレールで作られているのが気になった。森林鉄道は無かったはずなので、岩日線建設当時のトロッコのレールか?

 

終点錦町から先にもトンネルや路盤は続いていて、「とことこトレイン」なるバッテリーカーというか遊園地のこども列車のような乗り物が雙津峡(そうづきょう)温泉まで運行されていて 観光客はほとんどそれに乗り換えるが、私はトロッコもどきに興味はないので 8分後に折り返し発車する岩国行きを撮るべく 錦川鉄橋まで駆け足で戻る。

 

錦川鉄道には現在NT3000型の4両しかなく このピンク色は桜をイメージした3002 ひだまり号、青はアユやヤマメをイメージしたせせらぎ号3001、薄みどりがカワセミをイメージしたこもれび号3003、黄色が蛍をイメージしたきらめき号3004で 殆んど単行で運用されている。

駅か駅前に食堂か店屋ぐらいあるだろうと何も食べ物を持たずに行ったのが間違いで、かつて営業していたであろう食堂や店屋はあっても 駅の売店にパンもなく 仕方なく少し離れた錦町の集落まで歩く。幸い農協が開いていて弁当を手に入れられたが 余計な時間を費やし 次の列車も同じ鉄橋で撮るハメになってしまった。今度は青い3001がやってきた。

錦川鉄道の本社や車庫はここ錦町にあり、この日は3003と3004は車庫で休んでいた。これらも撮影して全車両を撮り終えて満足。岩国行きの発車まで駅で時間つぶしするが、駅の売店のおばさんが 弁当もパンもなくてゴメンとリンゴをむいてくれたのには恐縮してしまった。お礼に錦川鉄道の絵はがきを買う。

 

40Km弱の路線に4両のDC,全駅無人、保線も含め何人で運営されているのか聞きそびれたが、発車までの時間 若い運転士が洗車を始めた。ワンマン運転のため車内アナウンスなどは当たり前の仕事だろうが、このような弱小鉄道ではひとりで何役もこなしているのだろう、鉄道が好きでないと務まらないだろうと思いながら 若い運転士が頼もしく見えた。

岩徳線や錦川鉄道は初めての訪問で、追憶の旅ではなかったのですが、一応鉄道マニアとしての旅はここまでで、岩国から大畠経由周防大島に渡って 4日目は島の旅でしめくくることになります。


【12838】上海の路面電車 2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part18 上海トランスロール(現代有軌電車)

第15日目 3月8日
①成都17:15(D358次)→8:50上海虹橋
②火車虹橋駅9:53(上海地铁10号線)→10:33豫園
③豫園11:55→南京東路(2号線)→12:25張江高科
④張江地铁駅12:55(路面電車)→13:25張東路金春路
⑤張東路金春路駅(原動自転車タクシー)→14:10張江地铁駅
⑥張江高科14:28(2号線)→15:11浦東国際空港
⑦上海浦東空港17:50(JL898)→20:55関西空港

上海は昨年11月以来、4ヶ月ぶりです。トランスロール撮影前に豫園で小籠包を食べたいと前回は未開通だった10号線に乗車して向かいました。やはり長蛇の列でしたが、美味しいものを食べるのには苦になりません。デイト中の若者と話しながら順番を待ちました。


▲ 蟹肉小籠包16個で20元(約390円)、朝兼昼食です。

まずは、お腹も満タンになりましたので南京東路で10号線から2号線に乗り換えてランスロールの起点、張江高科駅に向かいました。インターネットを検索しましても詳細についての記述があまりありませんので、今回は詳しく掲載します

【上海トランスロールへのアクセス】
①市内から張江高科駅に向かうには、どの路線に乗車しても最終的には2号線に乗り換えが必要です。
②上海浦東空港からは、空港駅から2号線に乗車して、广蘭路駅で一旦乗り継ぎ張江高科駅へ向かう。
③または、ここで下車して中間駅のトランスロール線に乗り換える。
④空港からリニア線に乗車される場合は、終点の龍陽路駅龙阳路站)で下車して地铁2号線に乗り換え、上海浦東空港方向にバック乗車して1つ目の駅となります。

【注意】 なぜか地铁の駅構内や車内の路線図には何の乗り換え説明表示がありません。下車しても案内表示がないので初めてですと聞かないと分かりません。5号出口を上がってください。地上出口でもトランスロール駅は見えません。案内表示もありませんのでここでも聞くか、高架橋下に沿って歩くしか方法はありません。

地上に上がると平日ですのに沸いてきたかのような人ごみです。かき分けるように進むとトランスロールが発車して行きました。天津で走行しているのと同じ車両です。


【参考:天津のトランスロール】
957】天津現代電車 ちょっと変わってます
【969】Re.天津現代電車 ちょっと変わってます
【970】あらためて、天津現代電車ご紹介
【973】Re.あらためて、天津現代電車ご紹介
【10610】秋の中国一人旅2010年 Part11 天津津濱軽軌、トランスロール
以上にて詳しく訪問記を載せておりますので、ご覧ください。
クリックしていただければ掲載記事が表示されます。


【上海の路面電車トランスロール(
张江有轨电车)のご紹介】
上海のトランスロールは、天津と同じくフランスロール社の技術供与により2009年12月31日、上海浦東地区の張江ハイテックパークに開業しました。地铁2号線張江地铁駅から張東路金春路まで全長9.2キロ、15停留所が設置されています。

現在8編成が在籍し、運転間隔はラッシュ10分間隔、ラッシュオフは20分間閣で運行されています。運賃は全線均一2元(約26円)です。現在、延伸工事が進行中で張江ハイテックパーク東端の合慶鎮までの総延長約30キロが予定されています。
トランスロールは、天津、上海に次いで四川省
遂寧市でも採用されると聞きますが、まだ開通したとのニュースはありません。

トランスロールは1本の案内レールをV字型に挟んで、コンクリート舗装された道路上の路面をゴムヤイヤで走行しますので、路面に凸凹がありますと安全走行に支障をきたします。先輩の天津と比べると路面が整備されていますので揺れが少なく安定走行されていました。電車の性能としては70km/h走行が可能ですが、路面状態やカーブの関係でしょうか天津での最高速度は30km/hに抑えられていました。上海では路面状態が改善されていて、1部区間では50km/hまでだしていました。先輩の難点だったコンクリート路面の問題をしっかりと研究して完成度は上がっています。

早速運転席真後ろの鉄ちゃん席に座っての全線乗車です。天津では発車してすぐに無電化区間で蓄電池走行がありましたが、上海には終点までありませんでした。


約30分で終点に着きましたので、平均速度は18.4km/hです。都市交通としてはもう少し速いほうが良いと思いますが、原産地のフランスではいったいスピードは通常どの程度だしているのでしょうか?

張江地铁駅と張江中学駅を除いては長い駅名になっています。走行する張江ハイテックパークは、都市開発されていますのでほぼ条里制で道ができています。停留所は、交差する道路に設置されていますので、「烏丸今出川」のように交差する通りを駅名にしているようですが、「通り=路」を入れた駅名になっていますのでどうしても長くなります。ここでは、現地日本人が説明されている略称で掲載させていただきます。


路線図の①~⑳の番号は撮影地点です。

終点に着いたところで撮影に入りたいのですが、地铁駅には荷物預り所がなかったので厄介なスーツケースを持ったままです。これでは徒歩での撮影は無理です。どうしようかと思っていたら電動自転車タクシーが行き過ぎていきました。丁度良い乗り物です。声を上げて呼ぶとUターンして戻ってくれました。

①終点の金秋路駅で発車待ちの001と002。

路面電車の写真を撮りたいので、併走して張江地铁駅まで行って欲しいというとOKが出ました。走り出しましたが、30km/hもスピードは出ません。当然路面電車に追い抜かれてしまいますが、停留所に停車している間に追いつき先に進められました。オープンカーですので頭さえ出せば、前方後方に自由な撮影ができます。気に入った場所ではすぐに止められ、すぐに降りての撮影もできました。まさに最適の乗り物でした。


②張東路から大きく左折して丹桂路へと入り集電港駅に到着。③

④集電港駅→青桐路駅、運河に沿った丹桂路を走る。
⑤青桐路駅、中国とは思えない清楚な丹桂路の町並みが続きます。


⑥丹桂路駅、丹桂路を直角に曲がり广蘭路に入る。
⑦广蘭路駅、この駅で地铁2号線と乗換えができます。この辺りからマンションが立ち並んできました。

⑧張江中学駅、登下校時間は中学生の集団が乗ってくるんでしょうね。

張江中学駅~張江路駅、路線には運河の橋を数箇所渡りますが、1本のガイドレールですと、橋が何らかの要因でずれた場合のストッパー対策はどうなっているのでしょうか? 天津では橋がなかったので気がつきませんでしたが、安全性への課題だと思いました。

【安全性への課題】
トランスロールは前述しましたように1本の案内レールを挟んでの走行のため、幅広いV字型の溝があります。このため、溝に障害物が挟まると脱線の危険性があり、現在運行されている路線では脱線事故を起こしています。また広い溝に足を取られて転倒することも考えられ、横断者にとって注意が必要とされます。
2006年に建設費が安いのをウリに新交通システムとして登場したばかりですので、安全性や維持経費等の実績がないのが現状です。課題は他にも出てくると思われますが、どのようにして克服していくかの姿勢が問題です。


⑩張江路駅 2つの橋を渡ると道は、广蘭路から高斯路へと名前を変えます。


⑪ 高斯路駅、ようやく商店・飲食街があり街らしく賑やかになってきました。ここより直角に回って哥白尼路を走行します。

⑫李冰路駅、メイン道路の高科中路を横切り哥白尼路を走ります。


⑬李冰路駅~哈雷路駅、中間地点で哥白尼路から直角に曲がり蔡佗路を走行します。このようにトランスロールが走行する沿線の道路は、天津のようにメイン道路でなく広くはありません。メイン道路を沿ってジグザグに走行しています。走行する車両数は少なく渋滞に巻き込まれることはありません。定時走行が守られているようでした。


⑭哈雷路駅、このあたりは広い上海中医葯大学等の医療関係の研究施設が周囲に広がっています。

⑮金科路駅~科苑路駅、 まっすぐ蔡佗路を走行した後、金科路駅を発車すると直角に曲がり華佗路を走行します

⑯左上:科苑路駅、⑰左下:華佗路駅、⑱右上:高科路駅、⑲右下:高科路駅~張江高科駅

⑳高科路駅~張江高科駅、正面高架橋手前を直角に曲がって張江高科駅に進入します。

張江地铁駅からすぐに電動自転車タクシーに乗車しての走行撮影のために集電港駅前から専用線がある車庫には訪問を忘れていました。次回の機会にしました。運賃は、20元(約290円)でした。
これからの課題がいろいろとあるようですが、利用客も結構多く地域に密着しています。なんといっても低床式ですので、乗りやすいのは密着できた大きな要因でしょう。できれば利用者が増加して、待たなくともいいような運行になればと思いました。広い中国です。これから採用される都市が増えることを願って帰途につきました。

トラブルや寝過ごしがあって過去2回JALさんにはご迷惑をおかけしましたので、今回は余裕の上海浦東国際空港着にしました。
今回は体調が100%ではなく準特急先輩にお世話いただき、おかげさまで14泊15日の「冬から春への中国鉄路の旅」を無事終える事ができました。 準特急先輩、ご迷惑をおかけしまして申し訳ございません。ありがとうございました。

今後の一人旅へは体調維持という課題ができてしまいましたが、中国鉄路への訪問は短期間になろうとも、まだまだ続けていきたいと思っております。 次回も辺境の地に残る蒸気機関車撮影や、今年6月に開業する北京~上海間の京滬高速鉄道には何としても乗車する予定でしたが、東日本大震災で被害に遭われた方を考えると行くことへの罪悪感が出てきます。しかし、引きこもっていては自分自身の元気を失います。毎年老いてきて持病もあり、好きなことをしようとしても身体が許さなくなるのは近づいてきたような感覚をもった今回の旅でした。改めて健康な間に出かけて行きたいと思う反面、こんな時にとの自問自答で苦しんでおります。