駅舎ばかりを集めた画集があるように 駅舎は旅情を誘う題材でもあります。尾道駅が平成30年度までに建て替えられるそうです。尾道駅は駅舎単体ではなく 背景を含めた景観として好感を持たれているのでしょう。現在の駅舎より 先代の駅の方がなお良かったと思いますが・・・。まだしばらく先のことなのに 早やばやとさよならイベントとは気が早いことですが、「トワイライトエクスプレス瑞風」停車を追い風に集客を期待しているのでしょう。
14日のお礼とイベント案内
こんにちは。
同志社大学鉄道同好会の渉外担当です。
14日の「青の交響曲」貸切では多くの方々に参加していただき、本当にありがとうございました。
OBの方々との交流は我々にとってとてもよい刺激になりました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
さて、日付が変わってしまいましたが、本日17日に京阪電鉄三条駅にて「サークルステーション in 三条」というイベントが開催されます。
当会も参加し、鉄道模型の運転体験などを行いますので、お時間のある方はぜひお越しください。
↑昨年の様子です。
よろしくお願いいたします。
同志社大学鉄道同好会
渉外担当
「青の交響曲」乗車会ご報告
八月だ、もっと熱くなろう!2016年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part12 スンボロ製糖工場③
小石が転がっている道路です。裸足じゃ危ないだろうと心配になりますが、そんな事は無用と走り回る子供たち、どうしてここまで天真爛漫の笑顔で挨拶できるのかと感心します。毎日、元気をいっぱいもらって我々も頑張ります。
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身近に迫るビネガーシンドローム
お久しぶりです。最近、鉄活動は低調ですが、調べ物をする為に京都府立総合資料館(市営地下鉄、北山駅下車)を訪れました。
古い新聞のマイクロフィルム(長尺)を請求して紙箱を開けると、強烈な臭い! 続きを読む
74992の仙台市電に寄せて
名古屋市電1070形は「仙台市電の注文流れ」とずっと信じていましたが車両事情が悪い名古屋市に国が振り向けたものとのこと。なるほどと改めて仙台市の名誉回復を思った次第です。名古屋在住のころ時々目にしていましたが他の形式より小型でかわいい感じの車両でした。仙台市電109号の写真をお見せ頂き これを名古屋市電の色にすると名古屋市電1070形とそっくり同じではないかと思われます。
仙台市電117号は長崎電気軌道1051号として保存車的に在籍しています。仙台時代のワンマン化改造時に後ろ扉は中央に移設され 前面3枚窓が非対称の2枚窓に改造されていますので少し印象が違いますが 仙台時代の塗色に戻されきれいな状態で ICカードリーダーも設置されいつでも走れる状態とのことですが 通常運用には使用されずイベントなどで使用されているようです。
今年2016年5月25日の写真をご覧ください (浦上車庫にて)
きれいです。台車も変わっているようです。
めったに走らないようですが 一度乗ってみたいものです。
行ってきました、倉吉線鉄道記念館
松江へ行く機会がありましたので帰りに倉吉へ寄り道をして、倉吉線鉄道記念館へ寄ってきました。
以前のご報告の通り、我がクローバー会のコーナーをご用意下さり、丁寧な注釈を入れた展示がされていました。
突然の訪問でしたから連絡もせず寄りましたら、どなたもおられず、壁に勝手に電気を付けて帰りには必ず消してくれとの注意書きがありましたのでその通りにいたしました。
写真はご覧の通り額に入れてきれいに展示して頂いております。
見ますと、思っていた以上に多くの会員の写真が展示してあり、資料のボリュームに改めて感心しました。
先輩諸兄から若手の皆様まで多彩な写真内容になかなか去ることができませんでした。
行かれる時は、事前に連絡をしてから行かれることをお勧めします。
国鉄清水港線
総本家青信号特派員さんの9月9日付[75019]「18きっぷで東海道を巡る-2-」のコメント欄で西村雅幸さんより静岡鉄道清水市内線に関連して近くの国鉄清水港線が不便さもあって乗れなかったと告白されていた。西村さん、まずはカープ優勝おめでとうございます。それに比べてタイガースという球団は最低でいつぞや10数ゲーム離していた巨人に追いつかれて優勝をのがし、今シーズンも本拠地甲子園で巨人に勝ったことがないという体たらく。
本題に移るが、何度となく乗った東海道本線であるが清水で降りて路面電車を撮影したことがない。オールラウンドプレイヤーとは言え総本家さんはよく撮ったなと脱帽である。さて、清水港線は昔C50が客車を牽いていたような記憶があり、その存在は知っていたが、結局乗ったのは廃止直前の1984年3月11日でその時の数カットである。
尚、この月は同時期に廃止された新潟県の赤谷線、魚沼線の乗り鉄を行っている。
八月だ、もっと熱くなろう!2016年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part11 スンボロ製糖工場②
午前中は昨日ヤギ軍団と会った交換所から南東方角の橋を目指しました。途中にあった集落では線路際の小学校から全校の生徒たちが出てき拳をあげての熱烈歓迎です。純真無垢なたくさんの笑顔がありました。先生も授業を中断しての参加でした。
第7日目 8月8日
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三江線 その後
沿線では住民報告会などが開催されていますが、次のステップへ向けてのスピード感が 三江線の列車同様感じられません。誰が意思決定するのかわからないような会議体で協議を続けていて 1年後にそれなりの代替バスが走り出せるのか心配になります。
18きっぷで東海道を巡る -2-
八月だ、もっと熱くなろう!2016年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part10 スンボロ製糖工場①
スラバヤから南へ約7時間もチャーターバスに乗って着いたスンボロ製糖工場(PG.Semboro)は1928年の開業でジャワ島東部では最大級の作付面積のフィールドを誇ります。今まで行ったフィールドは、大体の広さが掴めましたがここは行けども行けどもレールが縦横に続いていて広さが掴めません。レール幅は700㎜です。
上の地図は今日チャーター蒸気機関車で行きましたフィールドの軌跡です。番号は、掲載します撮影地点です。
第6日目 8月7日
7:50 皆さん長旅のフライトでお疲れという事で今日の出発は10時です。ゆっくりと朝食タイムとしました。
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車輛の戦災は軽微、復興は迅速だった仙台市電
老人の年輩ともなると訪問先の鉄道で戦争中はどうでした?との質問をしたものだ。仙台も佐藤さんへの質問は先ず戦災からであった。【電線路はかなり被害があったが、車両は2両がちょっと外板を焦がしただけで、奇跡的に1両も焼けず、戦災地区の真ん中にあった変電所も防空建築で無事であった。車両は深夜になると毎晩、八幡線や北仙台線に手数を掛けて避難していたのと、車庫(北2番町)も際どいところで戦災を遁れる事が出来た。先の2両も工員輸送の深夜便で営業線にあって空襲に遭遇したのだが、大事に至らず大変幸運だった。新車の補充など思いもよらない時期に、可動状態のものは貴重品であった当時のこと、他都市からえらく羨ましがられた。】と佐藤さんは語ってくれた。以下【 】は佐藤さんの記述。
戦時中に東京市電名義車60形9両が導入されたが、中古車であるため一早くお払い箱となり、その代替ともいえる東京都電の中古車70形10両が入線したのは1948年11月であった。これより先、ボギー車80形5両が入線していた。【ボギー車については1942年に5両の新造計画があり木南車両に発注されたが、着手が遅れ中途半端の状態となっていた。それが戦後竣工し名古屋市電1070形となったことから「仙台市電の注文流れ」と言われているが、戦災都市で車両事情が悪い名古屋市に国が振り向けたもので、いくら財政状況が逼迫していたとはいえ、注文したものをキャンセルするようなことはしていない】と、きつく言われた。 続きを読む
三江線など小ネタ2題
18きっぷで東海道を巡る -1-
今週末で今年夏の青春18きっぷのシーズンも終わります。JR各社からは、とりわけ老人向けの格安企画きっぷが出始めて、以前ほどの価値はなくなりましたが、それでも元祖格安きっぷの王者であることに変わりはありません。
18切符の使用途はいろいろですが、私の場合、東の京都へ行く場合でも、一日掛けて行くこともあり、昼間の東海道線を上下することが多くありました。誰でも考えることは同じで、18シーズンは老若男女で混み合い、決して快適な旅ではありません。でも、直行するだけではなく、たとえ一時間でも途中下車して、成果を求める。これは、乙訓の老人さま、準特急さんからの有り難い教えに他なりません。
やはり京と江戸を結んできた東海道、他にはない歴史の積み重なりがあり、鉄道、歴史、地理と絡めて、たいへん興味深い地域と言えましょう。東海道に挑戦する、と言えば準特急さんが有名ですが、不肖、私も京都から東京まで、鉄道で行き来する間に、散在する鉄道関係の遺構や現況を見聞してきました。過去、直近に渡って、紹介しましょう。 ▲ 目的地は興津駅下車、徒歩15分
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八月だ、もっと熱くなろう!2016年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part9 本隊に合流、スンボロへ
▲ 朝起きて古賀さんからの昨日のメール返信を見ながらて、どこかで聞いたことのある名前だなぁと、気が付きだしました。今回のインドネシア訪問に買って持ってきた「インドネシア鉄道の旅」の本をしげしげと見ながら、作者は古賀俊行氏でスラバヤ在中です。メールをやり取りした古賀さんの下の名前は分りませんが、スラバアで同じ名字で鉄ちゃんとあれば多分間違いないのではと思いました。
スラバヤ空港でご挨拶して、本を見せてお聞きしましたらやはりご本人です。外交官でブログの地球公務員の落花生さんでもあられます。今までの投稿記事の際には随分と参考にさせていただきました。ありがとうございます。しかし、朝からびっくりしたと思っていましたら、逆に私が書いたデジ青のインドネシア訪問記をプリントして持ってこられている御仁もおられて、あなたがぶんしゅうさんですかと驚いておられました。いろいろと思わぬ出会いがあるものですね。
この本ですが写真が中心でなく、古賀さんがインドネシア鉄道に乗られたり撮影に歩き回られてまとめられた記事が中心で編集されています。インドネシア鉄道にご興味あられる方は是非にお買い求められてお読みください。必見の本です。本屋になくともAmazonで購入可能です。
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久々の投稿は、フィルムの話から
気がつけば、デジ青投稿を離れてから数か月も経ってしまいました。季節は巡り巡って、もう9月。出版の仕事にどっぷり漬かった数か月でした。“一体どうしたのか”と激励していただいた、会内外の約2名の方にも、ご心配をお掛けしました。
この間に思ったことは多々ありましたが、残された年月が限られてきた人間にとって、自分の足跡を各種の媒体に残していくことは、重大な使命だと思い知らされました。これからは、時間を見つけては、デジ青に自分の足跡を書き連ねて行きます。
京津線80形82号
西村様、ぴおちゃん様、情報ありがとうございます。昨年大津線感謝祭に行った折、どうも見当たらなかったようでしたが確信が持てませんでした。Web情報によると丁度このころお色直しでいつもの留置線にはなく、ぴおちゃん様のおっしゃるように昨年11月30日搬出されたそうです。個人宅におかれるので見学できないとのことですが、あの名車が解体されずに、大事に保管されることになったのは何よりです。私の数少ない80形の写真の中で、たまたまポール時代の82号を撮ったものがありましたのでご紹介します。撮影は1969年1月2日、登場してまだ7年余り、まだ、新製時の姿をそのまま残していた頃ではないでしょうか。また、再会の機会を楽しみにしています。
↑ 浜大津-上栄町間
錦織の80型
玉電の80型の話が京阪の80型の話に拡がっていますね。丁度1年前に錦織で写した写真がありましたので、大津のハチロク様をさしおいて恐縮ながら アップしてみました。
確か82号はすでに京阪から第三者の手に渡っているのに、しばらく置かせて欲しいということで置いてあったとどなたかに聞いたように思います。手狭な車庫故京阪も迷惑だったようです。ようやく搬出されていたのですね。この時点でも塗装が剥げて錆が浮き、せっかくの美男子が可哀想な状態でした。
ところで 81号の頭部だけが保存されていましたが、これは今もあるのでしょうか。これは何のための保存なのでしょうか。この81号はきれいな状態でしたが。
こうして改めて見ると 片運に改造される前のポール時代の方が格段にかっこ良かったですね。
八月だ、もっと熱くなろう!2016年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part8 ソロからスラバヤへ
第4日目 8月5日 その2
【 変身車両 】
▲ 16:10 ホテルに寄って預けた荷物を受け取ってからソロ駅へと参りました。
発車待ちで停車していたのは電車をディーゼルカーに改造したKRDE(Kereta Rel Diesel Elektrik)車両です。
日本からの中古電車の輸入が増加したためにまだ耐用年数に達していない余剰となった旧来の電車が再使用のために改造を受け都市近郊線に投入されました。スピードアップによる都市間輸送に寄与して利用客増につながったようです。
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