2013年 秋の丹後路一人旅 Part5 北近畿タンゴ鉄道 撮り鉄(宮津線;豊岡~但馬三江、峰山~丹後大宮)、丹後山田駅資料室

第3日目 12月2日

昨夜は、朝日が昇る鉄橋を撮るために円山川河川敷を野営地としました。暗闇の中で着いたのですが、泥濘にはまってしまいました。昼間は乾燥した所とぬかるんでいる所がハッキリと目視できましたので問題なく走行できていましたが、夜は見づらく確認するのを忘れて突っ込んでしまいました。
ぶんしゅう7号は四輪駆動車ですので今までもオフロードを乗り切っていましたが、今回は全輪が空回りをしていて前にも後ろにも進めません。真っ暗ではどうしようもできないので、明日朝になれば打つ手もあるだろうと諦めて就寝しました。
01一夜明けて外を見ますと、一面真っ白な世界が広がっています。鉄橋は全く見えません。霧の可能性を忘れていました。

仕方ありません、撮影は諦めてゆっくりと朝食をとった後、ぶんしゅう7号の泥濘脱出に終始しますが、タイヤは滑るばかしで益々泥の中に沈んでしまいました。
こんな時はタイヤの下に板を入れるか、マット等の滑りにくい物を噛ますと脱出可能ですが、入れるためにはタイヤ下を掘らねばなりません。スコップなど持ってきていません。適当な板やマットもありません。以前、スキーに行く時はいつも積んでいたのですが、今回は用意はしていませんでした。
仕方ありません、保険契約しているS×××損保に電話して牽引車を呼んでもらうことにしましたが、河川敷と聞いてからの損保側の対応者の口調は変わってきました。要するに一般道であれば無料で対応できますが、以外の場所は保険外で有料ですと言います。近くにホームセンターでもあれば買いに行けますが・・・結局、救援車を呼ぶことにしました。

約40分後に地元の救援車が来ましたが、「ここにはよく出動する、トラクターぐらいしか入れない泥濘ですよ。一般車で入るのは無茶です。」と言われてしまいました。救出はウインチで引っ張ってもらうだけで約20分程度で終わりました。料金は蟹2杯分です。高くついた教養費でした。
これからは見えにくい夜中に河川敷に侵入するのは、こんな悲劇となりますので、明るくなってからにすることにしました。

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祝 西山天王山駅開業

記事の前に、本来は総本家青信号特派員書き出しの記事ですが、ご都合で当日は地元におられません。代わって、原住民の私が開業当日の様子をご報告させていただきます。

020512月21日、周辺の住民から開業が待たれていた「西山天王山駅」が開業なりました。開業式典が開催される時刻近くに行ってみますと、開業イベント「おもてなし物産展」も開催されてまして、びっくりするほどの人出です。

そもそもこの駅は、京都府住宅供給公社が、昭和41(1966)年に竹藪茂る天王山山麓を切り開いて建設した円明寺団地の前に走る阪急京都線に設置される予定でした。私がまだ高校生だった頃の47年も前の事です。
人口約8,000人の新しい街ができましたが、将来近いうちにできるであろう目の前の駅は、阪急電鉄は自社の不動産部門が開発したのではない、また費用対効果がないとの理由で設置を拒み続けました。
かといって、総人口約16,000人の大山崎町では住民の約半数が住む地であっても、建設負担金捻出は無理です。将来の利便性も考えて住宅購入されていた方々の中には、騙されたとの絶望感がありました。

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大井川の女王様、来年2月に引退

大井川鉄道の元京阪電車3000系の引退が2014年2月だそうです。その引退ツアーが2014年1月18,26日、2月8,9日の計4日間開催され、この12月25日より予約受付が始まります。同時に記念切符も発売される予定です。

1997年5月に転入。以来18年間、営団地下鉄の台車に履き替えて、大井川沿いを行き来しました。他の転入車元近鉄・元南海車両と異なり、鮮やかなツートンカラーがお茶畑や川面によくマッチしており、SLかわねじ号に交じり、好い撮影対象でした。近年運転途中に故障を起こしたり、車庫に眠る機会が多かったようでしたが、誠に残念です。

大井川鉄道『京阪3000系引退ツアー』のホームページはこちらからご覧になれます。

2013年 秋の丹後路一人旅 Part4 北近畿タンゴ鉄道 撮り鉄(宮津線;丹後大宮~野田川、豊岡~但馬三江、甲山~木津温泉)

第2日目 12月1日

016:50 今日は平成12(2010)年4月8日に架け替えられたばかりの円山川鉄橋(310.2m)へと向かいます。
「道の駅 シルクのまちかや」からは約55キロ、所要時間約1時間半が見込まれますので早めの出発にしました。

02▲ 7:20 丹後大宮~野田川、ここから峰山辺りまでは道路橋と交差する所が数ケ所あります。いずれも俯瞰撮影ができますので、野田川寄りに近い場所から撮ってみました。竹野川に沿って鉄路はあり、両側は田園が広がっています。704号の216Dが西舞鶴に向かってきました。
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阪急「西山天王山」まもなく開業

ちょっと目先を変えて、地元ネタを。

来たる12月21日(土)、阪急京都線長岡天神~大山崎間に、新駅「西山天王山」が開業する。同時に京都線ではダイヤ改正、阪急4駅の駅名改称も行われる。新駅は長岡京市内にあり、市にとっては80年ぶりの駅新設だそうな。

長岡天神~大山崎間は、阪急のなかで駅間距離の長いところで、だいぶ以前から駅設置が要望されていた。昭和40年代前半に、新駅よりも少し南に多くの団地ができて、当初の構想では、この団地付近の大山崎町内となっていた。団地名を採って、仮称「円明寺駅」と呼ばれていた。その後、京都縦貫自動車道の具体化にともない、高速道路直下に駅を設置することになり、仮称「南長岡駅」として進展することになった。京都縦貫自動車道はかなり以前から計画されており、用地も取得済みで、駅も含めた建設工事は比較的、短期間で出来上がっていった。駅名も、昨年春に、最近流行の合成駅名の「西山天王山」とアナウンスされた。新駅は、準急・普通のみの停車で、日中10分ヘッド、一日の乗降客数7800人の予想とか。

131217_11sy昨日、運動がてら歩いて現地へ行ってみた。京都縦貫自動車道の直下にできた「西山天王山駅」。開業まであと4日、まだ仕上げの工事が続いていた。この場所には、かつて遊休地の活用策としてプールが営業していた。もう20数年前になくなってしまったが、私も子どもを連れて何回か行ったことがある。すべり台の上からは、すぐ横を行く阪急電車がよく見えたものだ。 

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2013年 秋の丹後路一人旅 Part3 加悦鉄道(旧加悦駅(加悦鉄道資料館)、SL广場)

第1日目 11月30日 その2

15:24 着いた加悦鉄道の旧加悦駅は元あった位置よりも移動されて置かれていました。現在は、加悦鉄道資料館として在りし日の痕跡の資料を展示しています。早速入館(入場料は不要)してみることにしました。加悦鉄道資料館公式HPはこちらです。

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2013年 秋の丹後路一人旅 Part2 北近畿タンゴ鉄道 撮り鉄(宮福線;喜多~辛皮)

第1日目 11月30日 その1

11月25日に宮津へ日帰りした後は、不安定な天候が続き我慢の日々も続きました。ようやく30日から良くなるとの予報が出ましたので、現地情報も確認して再出発準備をしました。
8:15、自宅を出発して京都縦貫道を一路宮津方面に向かいます。今日の最初の目的地は、前回悔しい目に会った辛皮駅です。

0210:34 綾部からは大江方向に進路を変えて大江高校前を見ます。予想通り無粋なコンクリート高架橋が続いていて俯瞰も出来ないので写真にはなりません。由良川の氾濫対策での高架橋になったそうです。

大江高校前から宮津に向かっては、山間区間になります。宮福線に並行する道路を走りながら車から見た場合のロケハンをしますが、これはと思う場所はありません。
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駅を旅する 〈13〉

佐々

佐世保から松浦線(現・松浦鉄道)に乗ると、約40分で佐々に到着する。今まで紹介の駅に比べると、規模も小さなものだが、ここには、佐々機関区があり、松浦線の旅客列車などを牽くC11と、最後のレールバスであるキハ02が配置されていた。そして、超閑散線の臼ノ浦線が分岐する駅でもあった。

佐々IMG_0078sy夜行列車で佐世保に着き、一番列車で早朝の佐々に着いた。ところが、雨のうえ、薄ら寒い、寝不足と空腹も加わって、いっぺんに、やる気が失せてしまった。構内の外れで写すと、すぐに待合室へ駆け込んだ。有田発佐世保行き625レ、C11285〔佐〕+客車5両(昭和44年)。

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都電 「クリスマス号」

9001
クリスマス号/ (25-12-10) 荒川車庫前

西村雅幸さんより、11月26日【41625】で広島電鉄の「クリスマス電車」運行に関する報告があったが、都電荒川線でも12月10日~25日まで「クリスマス号」が運行される。

車両は9001号(平成19年アルナ車両製)で、車内にささやかなクリスマス装飾を施し、イルミネーションが点灯、窓や車内にサンタクロース等のステッカーが貼られている。

広島電鉄とは異なり、ダイヤは決まっていないが、交通局のH.P上の車両検索で現在の走行場所が判り、乗車、撮影には便利である。
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駅を旅する<12>に寄せて

特派員氏の名紀行シリーズを楽しく拝見しています。佐世保には40年以上行かれていないそうですので、2011年の秋、五島列島の帰りに初めて訪れた佐世保駅のスナップをご紹介します。

佐世保発長崎行きキハ671+661

国鉄色がなつかしい佐世保発長崎行き快速キハ671+661

駅は高架になり、全国どこにでもある 特徴も趣も感じられない駅の風景でした。1番線、2番線は松浦鉄道のホームです。

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駅を旅する 〈12〉

他の記事掲載や自分の怠慢によって、ずいぶん間隔が空いてしまいましたが、再開します。九州の駅めぐり、まだ続けます。

佐世保

現在は、高架化された近代的な駅になっているそうな。佐世保へはもう40年以上も行っていない。私のなかの佐世保は、蒸機の煙で満ち溢れていた、狭い地上駅へとさかのぼる。

佐世保での興味は、早岐~佐世保間で運転される、蒸機の運用の多様さにあった。鳥栖・肥前山口方面から、佐世保へ向かう列車は、早岐で逆行となる。牽引機の機回しとなるところだが、早岐~佐世保間はわずか8.9キロ、また佐世保駅は狭くて、機回しの余裕もない。そのため、早岐に着いた列車は、後部に別の機関車を付け、佐世保へ向かう。佐世保発は逆の編成となった。

佐世保IMG_0027sy▲その代表がC11の牽くブルトレとして有名になった特急「さくら」だ。本務はもちろんDD51で、早岐~佐世保間のみC11がアタマに付く。以前にも記したが、通常はヘッドマークは付かなかった。次位は電源車マヤ20。右手に停車中は、呉発佐世保行き急行「出島」で、かつての軍港同士を結ぶ列車だった(昭和42年)。

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2013年 秋の丹後路一人旅 Part1 北近畿タンゴ鉄道 撮り鉄(栗田~宮津~辛皮、四所)

11月25日

丹後から帰宅しましてより4日目の11月25日、この日は家内のたっての願いで、宮津のお酢の醸造元を訪問することになっていました。お酢は料理には欠かせない調味料です。最近の健康ブームで、鹿児島県の黒酢が有名になりましたが、我が家で通常使っているのは普通の米酢と、京都ですので千鳥の酢ぐらいです。
醸造元の名前は飯尾醸造といいますが、聞いたことのない会社です。早速、ネットで検索してみますとありました。酢の原材料は米ですが、隣の田んぼからの農薬が入らなうように、わざわざ自社で丹後半島にある棚田で無農薬のコメを育てている凝りようです。漫画「美味しんぼ」にも紹介されています。料理好きの私とあっては、これは見てみたいと思い快くOKしました。

ところが行く前日に家内が突然の腰痛を発症して動けなくなりました。これは無理だ、中止しようと言いましたが、向こうの会社の社長さんとのアポイントができている。紹介していただいた方にも失礼に当たるのでお父さんだけでも行って欲しいと言われてしまいました。仕方ありません。早朝7時には自宅を出発して宮津へと向かいました。

今日の往路は西舞鶴には立ち寄りませんので、高速道路を直行して9時前には宮津入りしました。アポイントには時間がありましたので、途中で栗田駅に立ち寄りました。
01▲ 9:16 今日は雨と強風が吹くあいにくの天候です。丁度、先日切符を買った駅員さんが帰宅される時で、覚えておられたのか、「今日は、列車が運休だよ。」と、申されます。由良川鉄橋はこのために通行不能となり、西舞鶴方面に行く列車は止まっていて、丹後由良で折り返しをしていました。
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2013年 続々 秋の北陸路・丹後路一人旅 Part6 北近畿タンゴ鉄道 撮り鉄(甲山~峰山)

第5日目 1121

昨夜は夜道で迷いました。「道の駅 くみはまSANKAIKAN」は、初めてでしたので分からず、どうやら途中の交差点で間違ってしまってようで、到着できたのは9時過ぎでした。
夕食が終わって、就寝できたのは0時を回っていました。おかげで朝、目覚めたのは8時です。たまにはこんな日もあります。
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▲ 9:31、道の駅から久美浜湾を見ますと、真下に丹後神野駅がありました。青空も見えますが、今日の天気予報は曇り時々晴れ、にわか雨もありの不安定な気候です。明日からは崩れそうで、当分撮影日和は見込めません。撮影はもう一度出直しが必要なようです。

昨日ロケハンでチェックしましたが豊岡方面の但馬三江~久美浜は、山間を走ります。俯瞰できる高台や並行する車道はナビでも地図帳でも見つけられません。久美浜~甲山も同様でトンネル2本がある山林の中を走っていますので、今日は対象外としました。

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EVE展示から「京都市電で偲ぶ昭和の同志社」 -6-

今出川通に沿って

今出川線の市電は、烏丸線に遅れること2年、昭和51年3月に廃止された。南に京都御苑、北に同志社と、緑豊かで絵になるところだった。京都市電がよく似合っていた。37年後の今も、市電がいないだけで、その風景は変わっていない。

▲EVE 中林0022【19】西行きの「同志社前」電停に停車する15系統500形。「急行通過」の表示が見えるが、平日の朝、乗降数の少ない停留所をすべての市電が通過するもので、若干の速度向上に寄与した。(昭和40年 撮影/中林英信)

500形の元気な姿や、人々の服装や様子がよく伝わって来る、50年近く前の「同志社前」。それにも増して、カラーの保存状態もよく、当時がよく再現されている。

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2013年 続々 秋の北陸路・丹後路一人旅 Part5 北近畿タンゴ鉄道 丹後あおまつ号にも乗る

4日目 1120日 その2

あかまつ号を降りた後はそのままホームに残り、あかまつ号の折り返しより先に出る西舞鶴行きの230Dに乗車しました。宮津で途中下車して、宮福線の列車に乗り換えて福知山方面へと向かいます。 ただ福知山に近づくと市街地のコンクリート高架を走行しますので、これはと思う撮影地はありません。途中の下天津で降りて折り返すことにしました。 01_KTR路線図自前 ▲ KTR路線図です。作成しながら思いましたが、宮津線83.6キロは、国鉄時代と比べて丹後山田野田川丹後木津木津温泉と2駅が改称されたぐらいで、第3セクターに変わった時によく見られる新駅の開業はなく、平均駅間距離は4.6キロと、結構あります。
一方の宮福線30.4キロの平均駅間距離は2.5キロと、宮津線の約半分です。人口81,161人(平成25年11月末現在)の丹波の中心、福知山市があります。
その市街地を走りますので、当初から地元密着のために駅数を多くしたようです。 最近の全国のローカル鉄道の主な利用者は、高校生が中心でKTRでも、宮津線で48.7%、宮福線では36.4%を占めています。既存駅から遠い高校もあろうかと思います。近くに駅の設置要請はなかったのでしょうか。

第3セクターに移行後に利用客減が止まり微増すらしているえちぜん鉄道の例からしても、地元密着を積極的に進めることがキーポイントのように思えます。駅数を増やして、乗れる機会を増やしていくのも1案です。宮津線はもっと駅数があっても良いのではと、思えました。
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EVE展示から「京都市電で偲ぶ昭和の同志社」 -5-

烏丸上立売

烏丸上立売にも電停があったことを現役会員に言うと、驚いていた。確かに、市電廃止後の代替バスにも烏丸上立売バス停はあったものの、地下鉄開業後はそれもなくなり、もう30年以上も「烏丸上立売」は存在しない。現在、烏丸今出川~烏丸車庫前(現・北大路駅前)は、市電外郭線内の廃止路線で唯一市バスの走らない区間である。京都バスは走っているものの、烏丸今出川のつぎは、烏丸中学前である。

・EVE 福田IMG0038sy【17】烏丸線には「烏丸上立売」の電停もあった。右の建物は、当時の学生会館(大学側は大学会館と呼んでいた)で、現在の寒梅館の建つ位置である。 (昭和49年 撮影/福田静二)

131130_019sy当時の学生会館は学生のための厚生施設で、食堂や書店があったが、学友会本部もあり、大学闘争の拠点ともなっていた。学友会本部は、落書きだらけ、ゴミ屋敷同然の鬼気迫るところで、近づき難かった。現在は寒梅館が建って、すっかりしゃれた雰囲気に変わったが、手前の店2軒が、外観もほぼそのままで今も健在なのが面白い。

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2013年 続々 秋の北陸路・丹後路一人旅 Part4 北近畿タンゴ鉄道 丹後あかまつ号に乗る

第4日目 11月20日 その1

016:30 穏やかな朝を迎えました。北陸と比べますと、2℃は暖かい。それに今回の旅からは。就寝前に湯を沸かせて、予めシェラフの中に湯たんぽを入れています。朝でもまだ温かく、顔や手を洗ったりするのに便利です。
今日は来春に予定されているDRFC-OB会主催の「北近畿タンゴ鉄道 あかまつ・あおまつ号に乗ろう」の実施計画を担当していますので、参加者の皆さんをご案内できるように現地ロケハンをしようと思っています。まずは大評判のあかまつ号(正式には丹後あかまつ号;以下略します。)とはどんなものなのかを実際に見て乗っての初乗車と、車内からのロケハンです。

ただ、あかまつ号西舞鶴発は10:26ですので十分な時間があります。ぶんしゅう7号は、どこかの駅に置いておかなければなりません。時刻表を見ながら宮津の1つ手前の駅「栗田(くんだ)」を選びました。
00_パンフ表面
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EVE展示から「京都市電で偲ぶ昭和の同志社」 -4-

烏丸今出川電停付近

西門を出ると、そこは烏丸線の南行き、北行きの停留所があった。今回はその周辺を。

・EVE 小西149041sy【13】烏丸今出川の北行き停留所の15系統900形。安全地帯は北行き・南行きともに交差点の北側にあり、そのまま路上横断してキャンパスへ行く学生が多かった。この時代でも、学生服の姿が見えた。(昭和45年 撮影/小西啓文)

131130_024sy今出川キャンパスの再整備に合わせて西門も新しくなり、周囲は開放的な雰囲気にはなったが、やはり以前の門構えのほうが大学らしくて好きだった。「薩摩藩邸跡」の石碑も少し移転した。

 

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