銚子電鉄デハ1001、1002の連結器

長老よりご質問の連結器の件をもう少し詳しく解説したい。

コメント欄でも書き込みした通り、デハ1001、1002は営団地下鉄時代からトムリンソン式密着連結器を装備しているが、ツアー客の増加等により、自連を装備しているデハ701、702(引退済)、801との連結に対応するため、密着連結器の頭にアダプターとして中間連結器を取り付けている。

 

上/デハ1001の外川向き、中/同車の銚子向き、下/連結器の拡大画像

 

上/デハ1002の外川向き、下/同車の銚子向き

画像でお判りいただけると思うがナックル部分が固定のため、自連とは連結できるが、中間連結器同志の連結はできない。 

実際の連結状態の画像は、銚子電鉄のものがないため、旧国鉄時代のもので代用する。少々古いが、クハ47とワ23814の連結状態である。(昭和41年3月10日、移転前の富士電車区で撮影)

 

銚子電鉄の2連は、昨年8月12日付けの書込み「銚子電鉄を訪ねて(1)」に画像を掲載した「デハ701+702」以外乗車したことがなく、旧形車が引退するまでにデハ1001、1002と701、801の新性能車+吊掛車の協調運転に乗車したいと思っている。諸般の事情で果たしてその機会があるかどうかは極めて疑問あるが、元近江鉄道モハ51のデハ701には是非乗車したいと思っている。

銚子電鉄近況

4月10日(土曜日)銚子電鉄を訪れたので近況等をお知らせする。事前に鉄子色のデハ1002が検査中で旧形が走っているとの情報を得ていたが、銚子駅にはそのデハ1002が停まっていた。運転士氏に尋ねたところ今日から復帰した。客が増えれば、デハ701を増結に使うかもしれないとのことであった。

今回は成田で113系の成田空港行を駅撮りするため成田線回りで行くことにして、最寄り駅6時59分発の電車で出発した。松戸、我孫子とタイミングよく乗換え、成田に8時10分に到着し、113系8連の8時13分発成田空港行の発車を撮影した。この電車も近々京浜東北線から来た209系に置換えられてしまうのであろう。8時18分発銚子行は113系4連であった。下総神崎で「あやめ4号」と交換したが乗客は疎らであった。そもそも鹿島神宮~東京間は10~20分間隔で高速バスが頻発しており勝負にならない。その高速バスでさえ、公共交通機関を無視した「高速道路1000円」の愚策の影響により乗客が減少していると言われている。銚子には9時48分に到着し、すぐ接続の9時50分発の外川行の電車(デハ1002)に乗車した。

 

成田駅を発車する成田空港行1431M

 

成田~銚子間を乗車した2433M/下総神崎駅で特急「あやめ4号」と交換待ち 

外川駅の留置線にはグリーン塗装のデハ2001+クハ2501が停められており、パンタを上げれば直ぐにでも走りそうな雰囲気であった。また、奥の方には1月23日にさよなら運転を行ったデハ702がユ101と連結されて停められていた。デハ702は一時期ネットで売りに出されていたが、買い手はついたのだろうか。これらの車両を撮影後、次の電車で君ガ浜まで戻り、海鹿島との間で約1時間撮影して本銚子に移動した。観光協会のおばさんが乗車しており、沿線のガイドと共に「この電車は東京メトロさんから譲り受けました」と説明していた。「東京メトロとちゃいまっせ。営団地下鉄でっせ」と突っ込みを入れる客がいないか心配したが、そのようなことはなかった。その後、仲ノ町車庫、笠上黒生駅の交換風景を撮影後、211系5連のロングシート車で来た道を戻った。

 

外川に留置されているデハ702+ユ101 

新車について

デハ2001+クハ2501は外川駅に留置されているが、終電後に試運転を行っているようである。デハ2002+クハ2502も整備が完了し、パンタを上げて仲ノ町車庫に留置されていた。塗装はアイボリー一色で、東武熊谷線キハ2000形のような感じである。諸般の事情で営業運転の開始が遅れているが、4月28日に笠上黒生駅のホーム伸延工事が完成すると営業運転に入るのではないかと思われる。

 

外川駅に留置されているデハ2001+クハ2501

 

整備が完了して仲ノ町車庫で待機中のデハ2002+クハ2502

 

ホームの伸延工事が行われている笠上黒生駅、完成は4月28日の予定である。

旧形車について

デハ1001、1002、701、801の4両が稼働しており、通常はデハ1001、1002が使用され、ツアーの団体客等で客が多ければデハ701、801が増結される。1001、1002のいずれかが検査等に入った場合は801が使用されることが多いようである。10日から12日にかけて、20年に1度の「銚子大神幸祭」が開催され、11日の祭りのメイン会場が外川であったため、朝から夕方まで全列車2連(デハ701+デハ1001・デハ801+デハ1002)で運転された。ちなみに訪れた10日のメイン会場は、成田線の下総豊里駅と総武本線と成田線が分岐する松岸駅付近であった。事前に情報をキャッチしていれば、1日ずらして11日に訪れたのに残念であった。

デハ701と801は「ラストラン」のシールが貼られており、ゴールデンウィーク期間中に「ラストラン」が実施されるのではないかと思われる。デハ1001、1002は新車稼働後も引き続き使用されるが、夏季を中心に稼働日は減少すると思われる。しかし、団体客がない時は単行でも十分まかなえるため、冷房が必要でない時期を中心に使用されるものと思われる。

 

ラストランのシールがついたデハ701

 

デハ801のラストランシール

 

キャベツ畑を走るデハ1001/君ヶ浜~海鹿島間

 

犬吠埼灯台をバックに走るデハ1002/君ヶ浜~海鹿島間

 

本銚子~笠上黒生間の切り通しを走るデハ1001

ダイヤ改正について

3月13日のJRのダイヤ改正に合わせて当線でも実施された。それにより早朝、深夜を除き、銚子、外川発が毎時20分、50分に統一され、非常にわかりやすくなった。笠上黒生駅での列車交換は、従来通り外川行が先着する。

 

その他

デハ701は昭和53年に近江鉄道から入線以来32年間、デハ801は昭和61年に伊予鉄道から入線以来24年に亘り活躍を続けたが遂に引退の時期を迎えた。特にデハ701は近江鉄道縁の車両であり、近江鉄道時代に乗車、撮影された方もおられるのではないだろうか。

 

デハ701の近江鉄道時代/上 昭和40年1月6日彦根、 下昭和47年9月9日貴生川(モユニの代わりに郵便車として使用されている)

鉄道の車庫は基本的に部外者立入禁止で、見学は年1回の一般公開時以外は不可能であるが、有難いことに仲ノ町の車庫は入場券を購入すれば見学が可能である。

2月26日から27日にかけて583系が両国~銚子間を団体臨時列車で運転され、撮影に行かれた方もおられると思われるが、銚子電鉄でも記念入場券を発売中である。仲ノ町駅で購入すれば、車庫見学も可能である。

見学、撮影に行かれた時は、記念乗車券、家族へのお土産に濡れ煎餅、観音駅の鯛焼き等を購入して、わずかでも収入に貢献していただきたいと思う。

 

仲ノ町駅の入場券

 

時々デザインが変更されている一日乗車券

江若鉄道白鬚駅復元工事(その4)

ハフ3両

ハフ3両

ハフ8
ハフ8

白鬚駅工事の木工と粘土細工に少々飽きてきて いつでも窓抜きから始められるように書きためてあるペーパー車体の材料が気になって 浮気をして1両だけ ハフ8を作りました。昔からですが なぜか気動車のトレーラー(国鉄ではキサハ04とかキクユニ04とか)が好きで 江若でもすでにハフ2、ハフ3が完成しており その流れでハフ8となった次第。模型的にはありふれたペーパー車体で 2週間ほどで完成しました。トレーラーばかりが増えて 動力車が増えてないので運用に困りますネ。次はキハ5121-ハ5010-キハ5122の3連をやっつけるつもりですが、特にハ5010は窓抜きがうんざりしそうです。と言うようなことで白鬚駅の工事は足踏み状態です。いまだに松の木をどのように作ろうかと名案がないのも 工事が進まない理由かも。

2010年 早春の中国一人旅 Part10 楽山→成都→西安→郑州 鄭西高速鉄道

ベトナムのハノイ~ホーチミン間を結ぶ高速鉄道は、日本の新幹線の採用が、閣議決定されたそうで、東南アジア好きの私としては、嬉しく思っております。

第11・12日目 2010年3月12・13日

① 3月12日 楽山ホテル13:00-(マイカー)→13:15楽山客運站
② 3月12日 楽山客運站14:00-(バス)→15:15成都石羊客運站
③ 3月12日 成都石羊客運站15:20-(Taxi)→16:45成都鉄路站
④ 3月12日 成都21:20-(K6)→12:15西安
⑤ 3月13日 西安14:50-(G
2008)→16:48郑州  

今日は、成都に戻って、夜行寝台列車で、西安に向かいます。昨夜から、インターネットニュースで、しばらく空白だった、世間の動きを見ていました。チェックアウト12:00まで、ずっと世間に合せるまでの準備時間です。
別に、何も知らなくとも生きていけるでしょうが、マスコミ報道に毒された現代人の悲しさを、感じます。在職中にマスメディアに携わった事が、良かったのか、悪かったのか、答えはありません。

ホテル前に出ましたが、結構広い道路なのに、昨日同様にタクシーが走っていません。ホテルの従業員も出てきて、停めようと協力してくれますが、空車が来ないので、どうしようもありません。最後は、支配人まで出てきてくれて、結局、マイカーで近くにあるバスターミナルまで、送って下さいました。今日も、感謝、感謝です。
しかし、ここから乗車したバスは、成都まで約50km手前の、空港近くの石羊客運站までしか行きませんでした。繁華街方面にある楽山肖埧站に行かなければ、来る時に乗車した成都旅游客運中心站行きバスには、乗れなかったのです。

仕方ありません。タクシーで、成都鉄路站まで向かう事にしましたが、高速道路は、事故で大渋滞、站手前も全く動けないほど渋滞で、たっぷりと時間がかかりました。バス代44元=約616円に、Taxi代116元=約1.624円が余計にかかりました。
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調兵山再訪とパシナ

 4月8日から4日間、1年半振りに旧満州(中国東北部)の遼寧省瀋陽、撫順、調兵山、大連を訪問したので簡単に報告する。

 

<撫順炭鉱の電車は絶望的>

 前回訪問時は運よくジテが現れたが、今回はジテどころか2枚窓の通常見られる電車でさえ、朝出て夕方戻る1往復のみ。露天掘りの中をのぞくと運炭列車がまだ見られたが、市内電車は絶望的で、以前、ぶんしゅう氏が決死の撮影をされた留置線への立ち入りは中国人ガイドが飛び込みで交渉したが断られる。このガイド氏は中国人鉄ちゃんでノート型パソコンに収めた作品を自慢げに見せてくれる。彼が言うには運炭列車は撫順駅国鉄線に向かう列車が集約する東崗駅付近がかなりの本数を稼げる場所とのこと。実際彼の言う通り頻繁にやってきた。

2010.04.08 車庫駅に留置中の本日運行の電車

2008.04.08 車崗駅の電気機関車1522

 

<減っていた鉄媒集団の蒸機>

 調兵山は瀋陽から北へ車で約2時間の所にある。上遊型蒸機は1771のみ稼動。翌日、機務段(機関区)では1770が検査中で、午後から稼動したので2両を見たのみである。また、以前イベント等で稼動していた1943年アメリカのリマ社製KD6-487は香港の映画に出演するとかで動かすことはできないが、蒸気をあげた状態でいた。翌9日は朝から雪化粧で久し振りに蒸機牽引客車列車撮影を楽しんだ。調兵山近郊は炭鉱地帯でボタ山があり、複線もあり、線路配置が複雑であることは、かつての九州筑豊地方を思い出させてくれる。

2010.04.09 7:20 雪の複線区間三家子~調兵山を行く301列車大青行き

2010.04.09 暁南~橋南を行く203列車調兵山発暁南行き 

2010.04.09 15:15 三井~暁南 ボタ山をバックに築堤を登る105レ大明行き

2010.04.09 大青機務段 アメリカ製KD6-487 煙が上がっているが動かない

2010.04.10 調兵山 上遊型1771 10日朝快晴となり、形式写真撮影

 

<哀れなパシナを見る>

 大連では日本製の市電は健在である。低床式の欧州スタイル新型車よりずっと数多く見られた。今回はその写真は割愛する。さて、最後の11日は満鉄(南満州鉄道株式会社)大連の扇形庫に残るアジア号牽引機パシナ757を見学した。庫から顔を出した状態で、ほこりだらけで運転室はゴミだめのような感じ。2メートルの大動輪もグリスが固まってしまっており、全体撮影は到底無理。かつてアカシアの大連から奉天(瀋陽)、新京(長春)と満州の平原を表定速度82.5Km/h、最高速度130Km/hで駆け抜けた機関車にしては寂しいものを感じた。アジア号は後にハルビンまで延長された。黒龍江省出身のガイド氏によるとパシナはここの他に瀋陽と黒龍江省の黒河と言う所に残っているとのこと。瀋陽のパシナは98年に瀋陽郊外の蘇家屯の陳列館で撮影したことがあるのがそれで、屋外のため、風雨にさらされてこれも惨めな状態であったが、全体が見えるので参考にのせてみた。

2010.04.11 大連 パシナ757はこのような姿で保存されていた

1998.07.01 瀋陽郊外蘇家屯機関車陳列館 パシナ751

 <最後に>

 満鉄と言えば星名秦先生を思い出す。京都帝国大学を卒業後、満鉄の技術者となる。戦後、同志社大学工学部教授となり、学長になられた。星名先生が有名なのは京大時代から卓越したラグビーの選手であり、指導者であったことである。同志社に来られてからは同志社ラグビーを育てられ、岡仁詩元監督は教え子であった。関東の早慶明を相手に三連覇したのはもう遠い昔のことである。最近の同志社ラグビーの体たらくは岡仁詩先生とともに嘆いておられることと思う。その星名先生は小生の記憶では、同志社大学鉄道同好会の顧問か相談役になられていた。当時の青信号の会員名簿の最初にお名前を拝見したような記憶がある。このあたりの事情をDRFC生みの親(本人はそうでないと否定されるが)であり、、育ての親である元電車少年さんにご教示いただければ幸いである。

2010年 早春の中国一人旅 Part9 沙湾の沫江煤電

第10日目 2010年3月11日

① 安逸158連鎖酒店10:30-(Taxi)→11:10沫江煤電草埧站
② 草埧站13:00-(沫江煤電)→13:15老礦站
③ 老礦站13:20-(沫江煤電)→13:35草埧站
④ 草埧站17:10-(Taxi)→17:50楽山市内繁華街 
今日は、楽山の中心部から、約30キロの沙湾区にある、芭石鉄道と同様のナローゲージ石炭輸送鉄路、沫江煤電を訪ねます。蒸気は、走っていませんが、可愛い電気機関車がいるそうで楽しみです。  沫江煤電へは、先日に芭石鉄道の石渓站行く時に乗った、タクシーを一日貸切しておきましたので、ゆっくりと安心して撮影できます。

ノートにホテル名を書いて見せておいたので、大丈夫と思っていたのですが、参りました。ホテル前の道路には、代わりになるタクシーが走っていません。30分で着くと言う言葉を信じて待つことにしましたが、来たのは2時間近くしてからでした。
▲ 眠江沿いを走り右折、工場の門を越えて、急坂を登ると、沫江煤電草埧站です。駅名版は、立派な石製です。  

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工房便り D50の制作(3)

前回の投稿からあっという間に一月経ってしまいました。前回までで足回りの目処が立ちましたので今回は上回り、主として給水加熱器回りの太いパイピングを中心に、それに関連する工作をご紹介します。苦労して叩き戻したサンドドームでしたが、どうやら高さも高すぎたようで、結局約1mm高さを低くしました。幸い、断面がほぼ同じ部分がありましたので水平にスライスし、再度ハンダ付けで接合しました。ただしこれも1度では決まらず、2回切り接ぎましたのでご覧の通り、継ぎ目が現れています。同時にロストワックス製の蓋と砂撒き管元栓をつけておきました。なお、当社では煙突、ドーム類などに限らず、可能なパーツは出来る限りねじ止めするように心がけています。手順によってはあとで取り外す必要がでてくるからです。

シリンダーブロックの側板にシリンダ排水弁をつけ、シリンダーブロックに仮留めしたところです。ご覧のようにロストワックス製のこの排水弁はとても良く出来てはいるのですが、強度不足でご覧のようにすぐに曲がってしまいます。スケールだけを重視した製品にありがちなこの問題は困ったもので、後日裏側に補強を添えることにします。

フロントデッキには給水加熱器がつきました。ネジの頭が見えていますが、パイピングで隠れてしまうでしょう。シリンダーブロックの真上、ランボード上に突き出しているものはD50特有のバイパス弁の一部です。通常のデフレクターなら省略しても隠れてしまうところですが、門鉄デフではそうはいきませんね。ただし、少々オーバースケールとなっています。

非公式側、給水加熱器へのパイピング中。蒸気管、給水管は布巻きを模した製品で、B6では極薄の帯を真鍮線に巻き付けましたが、ショップでこれを見つけ、今回使ってみました。缶廻りのパイピング が終わっていないので、ハンドレールはノブに差し込んであるだけです。そのため、管支えの位置もずれています。
煙突は実物同様少し延長してあります。7mmのパイプがジャストフィット。前照灯も250Wの大型を奢りました。
ボイラーサイドの給水用逆止弁は下側から入って横に出るタイプ。長い間パーツ箱を暖めていました。

公式側。逆転棒、缶梯子、冷却管、そして砂撒き管もつきました。

これで随分出来て来たように見えますが、まだまだ工作が 残っています。キャブ下の主台枠後部が最大の難関です。次回は従台車廻りと共にご紹介しましょう。(つづく)

2010年 早春の中国一人旅 Part8 芭石鉄道 菜子坥→楽山

第9日目 2010年3月10日

① 蜜蜂岩站6:32(第1次)→6:47蜜蜂岩站
② 菜子坥站10:20-(バイク)→10:25蜜蜂岩站
③ 蜜蜂岩站11:30-(第2次)→11:40躍進站
④ 三井バス停12:00-(バス)→12:35犍為バスターミナル
⑤ 犍為バスターミナル13:00-(白Taxi)→14:30楽山市
⑥ 楽山市14:30-(自転車Taxi)→14:50安逸158連鎖酒店

蜜蜂岩站で撮影すると言うご両人を残して、始発第1次に乗車して、菜子坥站で降りました。ロケハンでマークした3ケ所での撮影です。
今日は、楽山市のホテルに予約を入れていましたので、余裕を持って、菜子坥站11:28発の第2次下りの乗車する必要性があります。3ケ所を撮るには、貨物列車の運行が必要不可欠ですが、前もっての確認方法が分りません。

芭沟であれば、踏切番か、トンネル番を探せば、少なくとも当日の運行情報は、分るはずです。菜子坥もスイッチバック站ですので、駅員に聞けば、この日の運行ぐらいは、確認できなければおかしいと思いますが、聞いてもはっきりとした返事が、返ってこないのです。

私が中国語堪能でないから、正しく質問して、正しく聞けていないのかと言うと、そうでもありません。1月に来た時に旅行社の通訳が質問した時も、走ると聞いた観光列車が、実際は運休でした。どうすれば、分るのか、今回も課題として残りました。

▲ 7:45 気に入っていた菜子坥站~仙人脚站で、第1次下りを撮った後、登って来るであろう石炭列車を待ちましたが、推定通過時刻になっても汽笛すら聞こえません。蜜蜂岩站にいる、ご両人の通訳の鄧さんの携帯に電話しますと、今日は、登って来ていないとの返事です。

仕方がありません。お腹がへっていたので、菜子坥站近くの部落に入り、麺を美味しそうに食べていたおばちゃまに、同じものを作って欲しいと頼みましたら、『いいよ』と、気楽に引き受けてくれました。
一応、10元=約140円を支払いましたが、家庭料理で大変美味でした。

▲ 10:22、芭石鉄道での最後のカットを撮った後、民宿の主人に電話して、前回乗ったバイクでの迎えを要請しました。
快く要請を受けてくれたご主人のバイクにまたがり、約3.5キロを下りました。途中で、ご両人と通訳に会いましたが、すれ違いで言葉を交わす事ができなく、挨拶だけでした。歩けば、40分以上は、必要ですが、線路横の犬走りを走り、約15分で到着しました


余裕を持って11:30発の第2次に乗車できましたが、これからが、また大変でした。終点の石渓站からバスは遠いので、1つ手前の躍進站で下車しました。楽山に行くバスターミナルのある犍為まで、小型バスが走っています。
バスに乗って、犍為バスターミナルまでは、約30分強です。小型バスので、犍為に近づく度に、乗客が乗り込み、超満員になりました。

1月に宿泊した犍為は、田舎町かと思っていましたが、昼間見ると、通りには、食堂や商店、人も多く、活気のある大きな街です。聞けば、人口約60万人と、言っていました。
着いたバスターミナルは、引っ切り無しにバスが発着して、待合室は大混雑です。丁度、昼飯時なので、ターミナル前のリヤカーの屋台を覗いて見ました。熊笹に巻かれたお餅がありましたので、直ぐにゲットしました。初めて食べましたが、これが中々美味しいのです。追加をして、満腹になりました。

こんな所で、日本人が食しているのは、珍しいのでしょう。周りを取り囲むように、おばさん達がやってきて、いろいろと聞きますが、残念ながら、さっぱり分りません。

白タクの客引きも来て、楽山まで相乗りで、20元=約280円で、どうかと聞いてきます。来る時は、260元=約3,640円でしたので、これは、格安です。直ぐに、荷物を持たせて、車に行きました。車は、しばらくすると発車しましたがゆっくりと走り、相乗り客を探しますが、中々いません。

犍為郊外にある眠江の橋を渡って、運転手が諦めかけた時に、ようやく客が見つかりました。工事中で渋滞する楽山までの国道を走り、1時間半で楽山市内に入りましたが、運転手さんホテルが分りません。
どうするのかと思ったら、自転車タクシーを呼び止めて、乗換えです。約15分の乗車で、14:50に、ホテルに着きました。芭石鉄道も蜜蜂岩站から、約3時間20分の所要時間でした。

このホテルは、インターネットが無料で使用できます。まずは。久しぶりにシャワーで、身体を洗って、衣類の洗濯と、仕切りなおしをしました。

ただ、このホテル、楽山の市内から遠くにあって、周りには、酒屋があるだけで、食堂も商店も見当たりません。C級グルメを諦め、ホテル内のレストランで、夕食を済まし、明日の沙湾行きに備えて、石渓に行く時に乗ったタクシーへ、一日貸切の予約を入れました。 Part9 へ続く

2010年 早春の中国一人旅 Part7 芭石鉄道 芭沟~菜子埧

第8日目 2010年3月9日

① 蜜蜂岩站6:32-(第1次)→7:10芭沟站
② 芭沟站-(徒歩)→焦埧站-(徒歩)→仙人脚站-(徒歩)→菜子坥站
③ 菜子坥站16:10-(第3次)→16:25蜜蜂岩站

昨夜は、大牟田市から来られたA・Kと、犬山市から来られたM・O氏、そして、芭石鉄道を案内してもらうために、遠く寧夏回族自治区の銀川市から、ご両名が呼びよせた、鉄ちゃんでもあるツアーコンダクターの鄧有貴さんと一緒に、中国鉄路の撮影談義に盛り上がりました。

A・K氏は、1993年から中国鉄路に魅入られ、30回以上も訪中して、撮影を続けておられる猛者。M・O氏は、6回目ですが、熱意たるもの相当な方でした。

鄧氏とは、以前からインターネットで知り合い、今回も日本人2名を引率して来られる事を確認済みでした。しかし、お会いするのは、初めてでした。中国鉄路のSL撮影専門のツアーコンダクターで、今まで数多くの日本人を中国各地に、案内されておられ、経験豊富です。

従って、最新現地情報は、熟知しておられますので、もし訪中される方がいらっしゃいましたら、ご指名されると良いと思います。費用は、それなりに必要ですが、何処へでも飛んで来てくださいます。
▲ 馬氏は、英国人の案内人です。英語が堪能な方は彼を、日本語のみの方は、鄧さんをご指名してください。どちらも、甲乙付けがたい熱心な鉄ちゃんです。

ご両名は、上海で合流されて、成都までは、空路で入られ、1週間のご滞在です。お二人ともビール好きで、昼間から水のように飲んでおられました。私も好きですが、今回は、長く歩くので、年齢を考えて、撮影後の楽しみにしました。

▲ 7:22 第1次、芭沟站到着。7:38、折り返しの下り列車、第1トンネルを出る。右側の小屋は、列車が走行する際に、トンネルに人が入らぬように注意するトンネル番人です。踏切番と同様に、通過時には何処からか現れます。

今日も一緒に始発列車で出発、芭沟を目指しました。朝の天気は、いつもと同様の雨です。ご両名とは、芭沟站で別れ、私は、第1トンネルを抜けた場所で、折り返しの石渓行き列車を待ちました。

撮影後は、朝食を食べに、芭沟の青空市場に行きましたら、食堂で、またお会いしました。小さな町ですので、食べに行く所は、まあ決まっています。お粥とマントウで3元=約42円です。昨日の朝食より、雰囲気もよく、美味しく格安でした。
▲ 魚、肉、野菜等々の朝市が広場で開催されます。芭石鉄道沿線の人々は、ここで新鮮な食料品を調達します。

他に、ミシンを持参して、靴や衣類の製造や修理もやっていました。

ご両名が、定番の撮影地、溜池に先に向かわれた後、青空市場を散策していたら、突然にSLの汽笛が聞こえました。どうやら、不定期の貨物列車が、今日は運行されたようです。站へと急ぎ、売店で通過したのを確認後、第1トンネルに向かうと、どこからか、踏切番が現れて、踏切の遮断機が降ろされていました。

折り返しの列車は何時に来るのかを聞きましたが、直ぐに来るだけの返事です。トンネル上に登って、待ちました。

9:18、石炭列車、芭沟を通過。芭石鉄道の踏切遮断機は、全て手動式です。

次の撮影予定地は、上り列車が、第2トンネルを出た所です。少し長い第1トンネルを地元の人と一緒に抜けて、向かいました。ここでは、トンネルも日常の生活道路です。

▲ 10:58 第2トンネルを出る、上り第2次▲ 11:16、第1トンネルを出て、第2トンネルに向かう下り第2次。

今日は、足の痛みが、幾分消えました。しかし、無理は禁物です。ゆっくりと歩き、昨日、休憩した焦埧站に、11:40到着。中国語を教えていただいた雑貨店のおばさんは、近所の人3人で、何か分りませんが、中国版花札のような物で、遊んでいました。この辺りでは、2人寄れば、トランプ、3人寄れば花札、4人寄れば麻雀をする。成都に近づくと、麻雀の音がするというぐらいゲーム好きな人々が多いそうです。

焦埧站から約8分で、観光列車のみ停車する溜池の站に到着しました。
芭石鉄道一の大築堤がある撮影地の山を登ってみましたが、最高部まで行っても、背景に菜の花畑はありません。
そうなんです。菜の花は、種を秋に蒔かないと、咲きません。毎年、菜の花畑の位置は変わっています。残念ながら、今年この地区には、種が蒔かれなかったのです。

今日も撮れる列車は、後3本です。買っておいたソーセージ等で昼食をとりながら、ここで撮ろうか、どうしようかと思案しましたが、今回はパスしました。

再び、徒歩でのロケハンを続けました。気に入った撮影地は、第4トンネルを出た背景に菜の花畑が見える場所でしたが、約2時間半もあります。時間つぶしが必要です。仙人脚站まで歩き、焦埧站と同様に、駅構内の雑貨店前の椅子に腰掛けて、寒くなってきましたので、火鉢にあたりながら、おばさんとの中国語勉強を始めました。

▲ しばらくすると、どこからか、地元のイケメン高校生がやってきて、バトンタッチです。聞けば、今日は学校が休みで、犍為の寄宿舎から自宅に戻ってきていると言います。

芭石鉄道沿線には、小学校が菜子坥站近くにありますが、中学校以降は、石渓站からバスに乗って犍為の町まで行かないとありません。授業時間は、8:00~21:00までですので、自宅からの通学は無理です。学生は、寄宿舎で合同生活をします。

彼との会話は、自己紹介に始まり、何処から何をしに来たか、学校で勉強した日本を、いろいろと聞いてきます。分らない言葉は、電子辞書を開けて、ノートに筆談です。

丁度、撮影に良い時刻になった頃、彼の友達が呼びに来ました。再見と次回の再開を約束して、撮影場所に向かいました。

▲ 15:20 上り第3次の撮影が終わった後、次の撮影地の菜子埧站までの、約2キロ強を約40分余りかけて、ロケハンしながら歩きました。

菜子埧站到着の菜の花畑の下り第3次を撮影後、すぐにその列車に乗車して、蜜蜂岩站に戻りました。

▲ 16:18 蜜蜂岩站到着。この站でのの撮影を忘れていましたので、第4次も含めて、発着を撮りました。

まだ、ご両名は撮影に没頭されているようでしたので、1本3元=約42円ビールを飲みながら、待ちました。今夜も4名だけの宿泊客の民宿です。

もう少しは、芭石鉄道での撮影を続けたかったのですが、既に明日のホテルを予約しています。鉄路切符も購入していましたので、予定変更が出来ません。今回、撮れなかったシーンは、来年に残しておこうと、決めました。

民宿の主人に明日の出発を伝えて、宿賃を支払いましたが、4泊と1朝食4夕食の合計は、210元=2,940円でした。ここに来るには、大変な苦労が必要ですが、短期滞在だけでしたら、多少散財しても、福澤諭吉さん1枚でお釣がきます。

この夜は、撮影した画像を見せ合いながらの昨日にも増して、盛り上がった夕食兼宴会タイムでした。 Part8 へ続く

京阪100年展、紹介記事転載

4月7日京都新聞の朝刊に掲載された記事の転載です。京都新聞を見られない会員に見ていただきたく思います。

2010年 早春の中国一人旅 Part6 雨の芭石鉄道

帰国後、桜前線を求めて、九州、四国とぶんしゅう7号と旅にでました。その間、投稿ができずで、間が空きましたが、芭石鉄道の続編を掲載します。

第7日目 2010年3月8日

① 蜜蜂岩6:52-(第1次)→7:32黄村井
② 焦埧15:40-(第3次)→16:04蜜蜂岩

今日も早起きして、英国人親子&通訳と一緒に、6:32発(実際は、20分延着)黄村井行きの始発列車に乗車しました。彼らは、次の菜子埧站で下車しましたが、私は、終点まで向かいます。

▲ どの站も土日を実家で過ごし、寄宿舎へと向かう中高生が、始発の石渓行きを待っていました。左は、焦埧站、右は、芭沟站です。
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教えましょう【7658】

彼の家の裏の線路際です。

但し、ストリートビューのない時代、1965年10月16日の撮影です。この次のコマが、蒸機が金色に輝いて見え、ピク191号D51特集に掲載された有名な写真です。4,5人が蒸機の接近に慌てて、彼の家の木戸を開け撮影に走ったのですが、できたのはこの撮影者のみ。自慢作の一コマ前がこれです。彼の家も写っているでしょう。
列車は小荷物2045レ、D51145【奈】+D51934【亀】

次にも彼の家が写っています。上の写真と共に、スキャナーの苦手な軟調写真です。ゴミ箱に入っていたのですが、ひょんなことから復活しました。この撮影日は精査中です。上の写真とは、2階や物干し台の様子が異なります。理由は判りません。D51145【亀】単機回送です。

これらの写真は24日に持参すべく考えていたのですが、【7658】との行き掛かり上、先んじて公開します。また、この他にカラー写真が1枚あります。数人の青年と共に、彼の家の屋号が写っています。肖像権(これとて50年の時効寸前で問題になるほどの代物ではありませんが)もあり、24日に持参とします。

教えて下さい!

検索サイトのストリートビューを覗いていましたら、こんなお家がありました。こんな田舎まで町並みを撮影しに行ってるのか?と思いましたが、だれが撮ったかは差し置いて何てお家なのでしょう。家のすぐ裏には線路があるようです。

教えて下さい!

昨日淀屋橋から特急に乗りました。いつものことでなにも変わらないことですが、ふと疑問が浮かんだのです。

このホームにはタテに2列車が同時に止まることがあります。1列車は8両、2本で16両。新幹線と同じ両数です。18mと22mの違いはありますが約300mほどにはなるのでは?

一本のホームでこれほど長いものは私鉄では他にないのでは?と思うと調べなくてはおられません。早速ネットで調べましたが京都駅旧1番線ホームは出ていますが私鉄で一番長いホームの記録は見あたりませんでした。

そこで京阪お宅、いや京阪ファンの物知りの方にお尋ねします。淀屋橋は日本の私鉄では一番長いホームですか?違ったらどこが一番長いのですか?

教えて下さい!

元京阪特急は元気でした


30日、笹間渡で撮りました。
乙訓のご老人様へ。元京阪は3月28日(日)、30日(火)、31日(水)動いていました。29日(月)はお休みでした。

4/1から『京阪電車100年のあゆみ』展 開催!

クローバー会の今年度の公式行事第一号、『写真でつづる京阪電車100年のあゆみ』が、いよいよ4月1日から、京阪七条駅歩いて1分の「集酉楽サカタニ」で開催されます。
開催前日の31日、関係者が夕方から集まり設営を行いました。事前の準備もあって午後9時には滞りなく完了、あとは開場を待つばかりとなりました。会員がカネとヒマに飽かして撮りまくった珠玉の写真約30点が並びます。
会期は4月30日までの1ヵ月、会場の当番はとくに定めていませんが、来客の多い土日はぜひ来場いただき、来客の接待をしていただきますようお願いいたします。

着々と進む準備作業。今回は、京阪電鉄からの協力もいただき、一部の写真の提供のほか、多くのポスター・パンフレットの提供もいただいた。

芦生佐竹保雄写真展のご案内

つぼみも花も気まぐれな天候に戸惑っているこの頃です。

お変わりなくお過ごしのことと思います。

私たちも相変わらず元気に忙しく過ごしております。

さて、「佐竹保雄鉄道写真展in芦生」のご案内をさせていただきます。

トレランス号のころからときどき訪ねたり、木のおもちゃオータンやそれにちなむトレランス号の記念品などでかかわりの深い芦生での催しです。

廃校になった小学校の分校舎で芦生木工を営む鈴木さんとのお出会いで、この催しが実現しました。鈴木直道さんの仕事場で木工作品とのコラボです。

思えば京都府と滋賀県と福井県の国境に位置するこの地は、鉄道と何のかかわりもありません。今日でも秘境といってよいほどの山奥です。近くには美山のかやぶきの里がありますが、そこからさらに13キロ離れた芦生へは、アクセスが難しいです。だからこそ芦生という気がします。

 今回の企画は、大阪の友人グループと同志社の鉄道同好会OB・クローバー会のご協力をいただきました。外国の鉄道ではシベリア、ペルー、中国など、路面電車ではキエフ、タシケント、サンフランシスコなど外国の作品は全部未発表です。枚数も今までで最大規模となります。

また51日のみ、展示写真の説明も含めて「特別企画・佐竹の話、夜呭(よばなし)ということで、ゆっくりした時間を予定しております。

翌日は由良川源流のせせらぎを聞きながらの森林浴もよし、生き物の多様性がうれしい京都大学演習林辺りの散策もよし、きっと日頃の疲れを癒してくれることでしょう。ゴールデンウイークを1泊2日芦生の旅に是非どうぞ。

私たちも、おかげさまでこの1年を喜寿と古稀夫婦として過ごしてきております。この企画も自分の越し方の振り返りや整理になるように思います。

お会いできるのを楽しみにしております。

取り急ぎご案内まで。    

   

 

 

        2010年3月吉日  佐 竹 保 雄                        

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      「佐竹保雄鉄道写真展in芦生」

 

会   期:201051(土)~5日(水)10時~17(12時~13時休み)

観覧自由、1日の午後・夜に佐竹の話、聴講無料。宿泊お勧めします。

在 廊 日:430(準備)、5月1日・2日宿泊,3日(午前中)。

会   場:芦 生 木 工 (南丹市美山町芦生)、     主催:芦 生 木 工 

   合:芦生山の家(0771-77-0290)  佐竹保雄 (&fax075-593-4276

アクセス:5/12のみ園部駅前から専用送迎バス1回運行。  他はマイカー。

宿泊募集:12日(5/1・2)、定員20名。  他の日の宿泊については山の家へ

費   用:10200(12食・バス利用・2日の昼弁当付き)

申   込:417日、別紙申込用紙にて佐竹宛FAXで、先着順。詳細・相談等は佐竹へご連絡ください。(&fax 075-593-4276090-1248-3321)

 

 

 

 

     FAX 075-593-4276 佐竹宛

 

「佐竹保雄鉄道写真展in芦生」宿泊・専用バス・弁当 申込み用紙

  

                     申込日 :  月  日  

 

お名前 :

                     

連絡先 :電話・FAX・携帯    

 

 

参加者お名前(性別)

 

小人は( )ご記入ください。

 

1、             (  )

 

2、              (  )

 

 

 

 

 

 

宿 泊 日 

(7350円、小人5775)

 

 他の日の宿泊は山の家へ

 

1、51(土)人数(  )人 ⇒万一の   場合2日に変更(可・否)

 

2、52(日)人数(  )

 

 

 

昼食弁当 (850)

 

 

 

1、52() (  )ケ

 

2、53() (  )ケ

 

 

専用バス利用(片道1000) 

 

JR園部駅西口1300

芦生山の家  1330?

52日園部迎えは希望者があれば運行予定、時間は15時頃?

1、利用しない(マイカー)

 

251() 園部発(  )人

352() 芦生発(  )人

452()  園部発(  )人   ⇒

553()  芦生発(  )人

 

 

 

 

運行決まれば発車時刻を改めてご案内します。

 

  5月1日は、山の家は貸切となります。宿泊定員は32名です。相部屋をご了承ください。先着順。万一定員オーバーの場合は2日に変更できる方にご協力をお願いし少しでもご参加できるようにしたいです。申し訳ありませんが調整不能の場合は参加をお断りします。受付結果は返信します。

430日、51日、2日に佐竹は泊まります。30日または2日のみの宿泊、または連泊は可能のようですが、至急佐竹まで。3日は満席とのことです。

この用紙で4月17日までにfaxまたはE メールでで佐竹へ申し込んでください。 大阪グループは小川さん取りまとめお願いします。

問合先:宿・展覧会・散策ガイド⇒芦生山の家 ℡ :   0771770290

    その他・相談等    ⇒佐竹 保雄 電話&fax 075593-4276

                佐竹紀美子 携帯 :09012483321

一般観光・町内バス  ⇒美山町観光協会℡ 0771751906

 

 

※このお知らせは佐竹先輩よりのご依頼を受けて田野城が代理投稿いたしました。

※お問い合わせは乙訓の長老、会計の井原会員、佐竹さんまでお願いいたします。

※佐竹さんのアドレス

   yks-tole@kyoto.zaq.ne.jp   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

江若鉄道白鬚駅復元工事(その3)

ぷるぷるさんのD50に圧倒されながら、当方は相変わらず江若にのめりこんでいます。当初計画では高島町が完成すればそれでよし としていて、続いて白鬚駅もと考えていなかったため、コントロールパネルなど制御系でいろいろ問題が発生してきました。白鬚駅は交換駅なのですが、ポイント切換えをあたかもCTCのように 高島町から遠隔操作するかどうかで迷ったのですが、白鬚駅単独でポイントの自動切換えをすることにしました。今回新たな試みとして 角型の9V電池を電源とし、高島町で実績のあるDCソレノイドを駆動させることにしました。運転会を想定すると 白鬚駅に駅員を1名配置してポイント切換えのみを行ってもらう。但し高島町駅からポイント切換えの指示を出すというイメージです。その指示のためのLEDランプを設けてあります。自作のポイントマシンも調子がよく 白鬚駅でもパチン、パチンといい音で動いてくれています。

日本橋だより

 
27日に近畿日本鉄道と国立文楽劇場が企画した文楽列車が走った。大阪難波駅を9:38に出発した列車は車体を平城遷都1300年仕様に装飾した6輛で、前部のみ洋食皿ぐらいの大きさのヘッドステッカーが貼り付け。前5輛に文楽友の会会員150名と一般募集客50名が乗車する貸切列車である。乗り込むには二千円が必要であるが、弁当飲物はもとより乗車券も別途購入という厳しいもの。文楽劇場もよりの日本橋駅に停車し人形二体が最後部一輛に乗り込む。

奈良駅へは10:27到着という各停並みの所要時間。奈良駅では着ぐるみ人形のせんとくんが文楽人形をお出迎え。遷都1300年を記念し文楽劇場が奈良猿沢池を舞台にした出し物「妹背山婦女庭訓」を上演するのに乗じたイベント列車である。
大阪難波駅で写真を撮っていたのは劇場の職員と特派員と参加者の3人だけ。駅員は昨今の鉄ちゃん騒ぎを予想してか多勢が待機。特派員は見送っただけで、売店で赤福を土産に買って日本橋駅まで阪神電車に乗って帰る。奈良行きの阪神電車なんて変な感じ。山陽電車も遠慮せんと奈良まできたらええのに。

新聞によりますと、大阪府知事が関西空港の活性化のため新大阪駅と南海難波駅を結ぶ鉄道を造れとか、寝屋川市長が京阪びわこ号を動態保存し寝屋川市の目玉にしたいといってるとか伝えています。びわこ号復活したら、もちろんクローバー会の貸切
列車でしょう。

500系・北陸・能登・阪急特急・キハ52と話題のつきなかった三月ももう終わり。東奔西走いただいたトップページ写真撮影隊のみなさま楽しませていただきました。500系は、こだまに格下げ。入口付近をロングシートにして走っているのかな。

ウインドウズ95でも投稿出来るか徹夜で勉強しました。

そうだ京都いこう。七条で写真でつづる京阪電車100年のあゆみ展だ。

黒部上部軌道

                                                                                                                                     山の中に建設された黒部川第4発電所を発車して黒部川本流の鉄橋の手前を通過。休憩中にいきなり列車が顔を出したのでシャッターのタイミングが遅れてしまった。鉄橋の渡った先が有名な高熱隧道である。

2004年11月3日付で旧掲示板【285】に澤村達也氏が小林純爾氏とご一緒に黒部上部軌道を見学された時のレポートを「高熱隧道」のタイトルで発表された。

登山の写真を整理していたところ、昭和56年9月23日、黒部ダムから黒部川に沿って「下ノ廊下」を欅平まで歩いた時に撮影した「上部軌道」の写真が出てきたのでご覧いただきたい。 

旧掲示板【167】と重複する部分もあるが、京都から前夜の「ちくま」で出発し、松本で大糸線に乗換え信濃大町で下車。扇沢まで「北アルプス交通」の路線バス(松本電鉄と川中島バスの共同運行)に乗車した。扇沢から黒部ダムまでのトロリーバスは8両の続行運転であったが満員であった。ダム到着後、乗客の大部分は黒部ダム方面の出口に向かうが、何名かの登山客は「下ノ廊下」方面の出口へ。そこには係員が登山届と各人の行き先と装備のチェック等を行っていた。「阿曽原の小屋で宿泊して欅平に行く」と答えると、「前の2人連れと一緒に行ってくれ」と言われた。途中に危険箇所が何カ所もあり、単独行の場合万一の時のためである。ここで滑洛した場合は絶対助からないし、遺体の収容すら困難である。前の2人連れは、山慣れした20代前半のアベックで、一緒に歩く訳には行かないので少し離れて後ろを歩いた。黒部川の断崖絶壁沿いに危うく取付けられた道は、一歩足を踏み外せば絶対に助からない。何カ所かの難所を無事通過して、十字峡で昼食にした。ここは、黒部川本流と剣沢、棒小屋沢が十字になって合流する所である。更に進むと、山の中に建設された黒部川第4(通称黒四)発電所の送電線の出口が見え、本流を吊橋で渡り少し行くと、仙人谷ダムに到着し、その向こうに上部軌道の線路が見えた。ここで休憩中に3両の客車を引いたバッテリー機関車がいきなりトンネルから顔を出し、欅平方面に結構なスピードで通過し、屋根付きの鉄橋を渡り、高熱隧道に吸い込まれて行った。(タイトルの画像)

ダムの堰堤を渡り、暫く行くと、仙人湯から池の平を経て剣岳方面に向かう雲切新道との分岐で、ここで仙人湯まで行くアベックと別れた。小屋に到着したのは午後2時半頃で一番乗りであった。夕食まですることがないので露天風呂に浸かったり、その辺をブラブラして過ごしたが、今から思うと、仙人谷ダムまで引き返してもう少し撮影すればよかったと思うが、朝から一歩間違えばあの世行きのような所を延々と6時間も歩いたため、とてもそんな気にはならなかったのであろう。

翌日は雨の中、朝6時に出発して、傘をさしながら水平歩道を約5時間歩き、11時頃欅平に到着した。昨日よりは危険度は少ないが、道幅は50㎝位で下まで200mはあろうかという相変わらず断崖絶壁沿いの道で、途中には真っ暗なトンネルが2ヶ所あった。

黒部峡谷鉄道で宇奈月に出て、富山地鉄で富山へ。折角の機会であるので富山地鉄を少しだけ撮影して急行「立山」で帰った。

現在は、鉄橋部分は冒頭の写真の箇所を含めて完全なシェルターで覆われてしまったようで、走行中の写真は無理なようである。それでも走行中を見たいと言われる方は、私までご連絡いただきたい。都合がつけばご案内する。但し、黒部ダム、欅平のいづれから歩いても最低6時間はかかり、それなりの登山経験が必要であるが、欅平からの方が危険は少ない。また、高所恐怖症の人は諦めること。途中の画像も貼りつけたので参考にしていただきたい。

 

下から見た黒部ダム

 

黒部川本流に沿って。右側のくぼみが登山道。

 

黒部川本流と剣沢、棒小屋沢が合流する十字峡。

 

この辺りの山の中に黒部川第4発電所がある。左が登山道。

 

黒部川第4発電所の送電線の出口。

黒部川本流を渡る登山道の吊り橋。

 

仙人谷ダム。昭和11年に着工して15年に完成した。資材運搬用のトンネル建設中に摂氏165度にも達する岩盤を掘削して完成した。

 

黒部川を渡る鉄橋。当時から屋根が付いていたが、現在はシェルターになっている。

 

宿泊した阿曽原小屋。小屋の営業期間は例年7月から10月下旬まで。先の鉄橋の写真共々人物の写っていないものがないので止むを得ずこれを使用した。顔の部分を修正しようと思ったが、今更修正してもしゃーないと思ったので、素顔のままにしておいた。

 

ED24/欅平 昭和55年日立製

 

ED28/欅平 昭和57年日立製

 

ED21/宇奈月 昭和49年日立製

 

ハフ1027/宇奈月