天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【26】 秋編

三条通で夕景・夜景を撮る

三条通の京津三条~東山三条~蹴上は、前にも言いましたが、ほぼ東西を向いています。と言うことは、夕方なら、夕陽を受けたり、バックにしたりすることができます。自分好みのフォトジェニックな光景を求めて、昼間から、ずっと付近をウロついたものです。神宮道の交差点から少し東に歩道橋があって、格好の夜景撮影ポイントだった。ただし、よく揺れるので、長時間露光は無理で、静かにして揺れが収まってから、ほんの数秒間だけ露光した。この写真のように、神宮道で右折するクルマに邪魔されて、直進できずに停車してしまう、わずかな時間が狙い目だった。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【25】 秋編

三条通の80形

季節はもう師走ですが、まだ秋編、続けます。当時、京津線の車両は、準急用の600・700形、各停用の80形に統一されていました。今回は80形について触れてみます。
実は、私も京津線ユーザーだった時期があり、6年間、京阪山科~三条~北浜と通勤に利用していました。80形はラッシュ時には準急にも使用され、ほぼ毎日、お世話になってきました。明るい車内、滑るように走る80形は、準急用の350形、500形より、ウンと快適でした。なお、80形については、鉄道ピクトリアル822号「京阪電鉄」臨増号に、当会のシナイセンのヤマモトさんが詳述されて、80形への尽きない愛情が活き活きと著されています。
緩くSカーブした三条通を走って、東山三条に到着する。ここから見ると、都ホテルが、かなりの高さで正面に迫ってくる。

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 個人・グループでも頑張っています! 〈5〉

「江若鉄道―思い出の品々―」も最終日

大津市歴史博物館で開かれていた企画展「江若鉄道―思い出の品々―」も、本日、最終日を迎え、“二日続きの千秋楽”に行ってきました。今回は、過去二回の特別展ではな く、常設展の一部とロビーを使った“ミニ企画展”となりました。“思い出の品々”とあるように、館への寄贈・寄託も含めて、一般の方々が江若鉄道の思い出として大事に保存されていた品々で構成されていて、なかには会期中に来場者から寄託があって、途中からの急遽、展示に加えた品もあったと言います。いわば、市民・利用者から見た、江若鉄道の歴史でもあるわけで、ここに今回の意義を感じました。
われわれクローバー会では、メンバーの列車・車両の写真展示、西村さんの三井寺下駅・車庫のジオラマ展示、また、びわ湖鉄道歴史研究会の展示への写真提供などを行ないました。館の広報でも、協力団体に当会の名を入れていただき、公立の博物館の催事にも支援・協力できたこと、また来場者に50年前の江若鉄道の様子を偲んでいただくことできました。 歴博へ行く前に、大津市役所前で“一鉄”。ちょうど京アニ“響け ! ユーフォニアム”ラッピング車がやって来た。ことしの秋は忙しくて、紅葉撮影はゼロだったが、やっと、一枚残すことができた。

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 個人・グループでも頑張っています! 〈4〉

「東北の鉄路 全盛時代を偲ぶ」最終日

一ヵ月に渡って開催していました写真展「東北の鉄路 全盛時代を偲ぶ」は、本日、11月の最終日、千秋楽を迎えることができました。クローバー会の皆さん、お知り合いの方、また通りすがりの方、たくさんの皆さんに来ていただきました。いっしょに開催しました山科の人間国宝さんともに、来場の皆さまには厚く御礼を申し上げます。最終日の本日は、やり切った満足感とともに、壁面からつぎつぎ写真が取り外されて一抹の寂しさを覚える最終日ならではの気持ちを味わいながら、滞りなく終了しました。今回の写真は、昭和40年代の東北がテーマ、とくに人間国宝の撮られた膨大な写真のなかから、展示用の十数点に絞り込むのは、悩ましいところだったが、東北の多面性を見せるため、あえて蒸機は絞り気味にした。たとえば「五能線=ハチロク」を払拭するため、岩館~広戸の岩礁の前にはキハ10系を持ってきたりした。そして意外性も重視した。いまや東北に直流のED電機がいたなども忘れ去られているのではと、仙山線のED17を持ってきた。バックの特徴的な山を背景にして、ED17の牽く貨物が通る。架線柱とED17とのバランスなど、ドンピシャの位置だ。ただ、撮影場所がよく分からず、人間国宝も50年前の記憶が定かではなく、単に「仙山線」としか記さなかった。いま原稿を書いている際に調べると、作並駅の近くの鎌倉山と判明した。山容がゴリラの頭に似ているので、ゴリラ山と呼ばれるそうな。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【24】 秋編

三条通を行く京津線

朝の東山三条に続いて、三条通を行く京津線の光景をいくつか拾ってみました。
三条通は、昔の東海道に当たりますが、正確には、南側に平行する細い道路が東海道でした。しかし、京津線開業前の明治期の地図を見ると、いまの三条通にすでに「三條通」の文字があり、東海道に代わる“新道”として、三条通ができたようですが、道幅はごく狭いものでした。いまの三条通のように拡幅されたのは、大正元年の京津電軌古川町~札ノ辻の開業、大正12年、古川町~三条大橋の延伸の前後で、軌道を併用した道路として、三条通の原型ができました。ただ、当時の地図を見ても分かりますが、三条通の拡幅は神宮道までで、蹴上までは明治期の細い道路のままでした。そのため、用地の獲得も容易な白川沿いの区間に着目し、古川町から北東部へ振って、一部は白川、その分流の河川敷も利用しながら、蹴上まで迂回して、現在の三条通と合流していました。その後、この部分の三条通の拡幅もなって、昭和6年には三条通りをまっすぐ進む、廃止前のルートに変更されました。
古川町~蹴上の開業時の旧線跡を、真夏のカンカン照りの日に、クローバー会行事として、みんなで歩いた時の思い出、そのあとに宴会場で飲み干したビールの味も忘れられません。京津線が白川を渡るところには、「白川橋」と彫られた石造りの親柱があり、その横には、道標もある。この道標、延宝六年の銘があり、京都市ではいちばん古い道標だそうな。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【23】 秋編

京津線 朝の東山三条

前記、阪急京都線の梅田~嵐山の臨時急行「嵯峨野エクスプレス」に熱を上げている時、平行して撮影していたのが、京阪京津線三条~御陵の記録でした。1997(平成9)年10月11日を持って同区間が廃止されて、翌日から京都市営地下鉄東西線に乗り入れることになりました。京阪百年以上の歴史のなかで、唯一、営業路線を廃止して、他社線へ乗り入れることになりました。同じ軌道法ながらも、それまでの路面電車然とした旧態の路線から、近代的な郊外電車へと脱皮しました。本シリーズでも、以前、桜の蹴上など、春の風景を採り上げましたが、今回は、廃止直前の秋編として、東山三条周辺の記録です。

朝の東山三条、登校する女子高生たちで停留場付近はいっとき人の波で埋まる。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【22】 秋編

“梅嵐急行”から20年

「東北の鉄路」写真展も一段落、とは言え、来週には次の展示が控えていて、準備に追われる毎日ですが、デジ青にも“天然色”シリーズで復帰することにしました。

先の土日は、紅葉時期とあって、阪急電車も超満員でした。と言っても、現在の阪急電車には、撮影意欲も湧きませんが、以前、春秋の行楽シーズンには、臨時列車が多数運転され、京都線では梅田~嵐山の臨時急行、通称“梅嵐急行”が運転されていた“大運転”の時期を、ふと懐かしく思い出しました。もう20年近く前の話で、車両も様変わりしました。
なんと言っても、前パンの2300系が、二枚看板も誇らしげに走るシーンが、京都線の臨時急行の魅力だった。運転日に晴れると、決まって西向日~長岡天神~大山崎へ向かったものだ。近くとは言え、よく通ったものだった。このスタイルは、5300系非表示幕車でも見られたが、ほかの編成とも共通運用で、遭遇できない日もあって、がっかりして帰ったものだった。ちょっと前のことだと思ったが、前パン、二枚看板の2300系が消えてからもう20年も経ってしまった。その後、2300系非表示幕車の2301Fが2005年9月にさよなら運転を行い、2300系そのものも2009年に姿を消している(1997年 西向日~長岡天神)。

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 気賀駅の15分  ~最近のクローバー会活動から~

ブルーモーメントを楽しむ

今日も、京阪七条まで写真展に行っていました。マルーン会長さんはじめ、先の天竜浜名湖鉄道旅行に来ていたメンバーも集まり、昼から6時間にわたる酒盛りも始まりました。その天浜線の話題になっても、どうも記憶がつながりません。考えたら、撮りっぱなしのままで、忙しさにかまけて、画像を見返すこともなく、データも保存していないことが初めて分かりました。家に戻って、すぐ保存して、やっと閲覧することができました。天浜線の時は、写真展の準備もあって、深夜の日帰りとなり、撮影も十分にできませんでしたが、わずかな時間を利用して撮影したなかに、私としては“ンッ”と思うものがありました。遅まきながら、15分間に撮った記録から、通常の活動報告に戻ることにしました。
当日の宿泊宴会先近く、天竜浜名湖鉄道の気賀駅を発車して行く上りDC、以前のNHK大河「おんな城主直虎」ゆかりの地で、駅には井伊家の紋を入れた赤幕がいまも飾られている。

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 個人・グループでも頑張ってます! 〈3〉

二人展「東北の鉄路‥‥」開催中

続いて、手前味噌ながら、いま開催中、山科人間国宝と当特派員の二人展「東北の鉄路 全盛時代を偲ぶ」写真展、その後の様子について報告します。ことし何度も行なった写真展と比べると、それほど多くの来場者はありませんが、その分、来場者とは濃密な時間を共有しています。人間国宝も、何度も会場に足を運んでいただき、来場者とも話をされ、その熱意には頭が下がります。
“二人展”と厚かましくも広言していますが、人間国宝の撮られた写真のレベルには、どう逆立ちしても、到達できるはずもありません。私としては、そのレベル差を埋めることはせず、むしろ二人の個性・作風を際立たせることを基本的な考えとしました。あえて正統派写真を避けて、私は一歩引いて人物絡みで見せることにしました。いわば変化球勝負です。
個々の写真の内容吟味はもちろんだが、今回は、写真以外に重視したのは、キャプションと並べ順だ。最近のプロの写真展を見ると、文字情報を極力抑えることが主流になっているように見受けられる。写真だけで作者の思いが伝われば、それでもいいだろう。でも、われわれには写真だけで伝えきれない思いがある。キャプションが大事なのだ。これに賛同していただいたのは、C62機関士として名高いUさんで、過去に何度も広島県から写真展に来ていただき、その感想を「第一印象は説明文が行き届いていること、予備知識のない人にも判るように、自分の思いも込めて簡潔にまとめるのは大変な努力が要ります。あちこちの写真展で物足りなさを覚えているだけに、うれしい展示会でした。」(河原町丸太町写真展)と、ご自身のブログに書いていただき、我が意を得たりだった。

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 個人・グループでも頑張ってます! 〈2〉

大津歴博「江若鉄道展」イベントに参加

以前にも本欄で紹介しました大津市歴史博物館のミニ企画展「江若鉄道」は、2ヵ月のロングランで現在も開催中です。開催初日には現地見学会「三井寺下駅を探検する」があり、多くのクローバー会員が参加したことは、以前にも報告しました。さらに11月4日には、「江若鉄道元社員の方々との廃線跡探訪ビデオ上映と座談会」が同博物館の講堂で行なわれました。滋賀の廃止鉄道の調査・研究されている「びわ湖鉄道歴史研究会」が、歴博との共催行事として行なわれたもので、クローバー会からも多くの会員が参加しました。会場の講堂の椅子席はいっぱいで、補助椅子も急遽出されるほどの多くの皆さんが来られました。私も以前の江若鉄道展で、スピーチをさせてもらいましたが、当時より多くの人が来場されて、江若鉄道が今なお、心の中に残っていることを実感しました。
会議の冒頭、同館の木津学芸員からは、本展については、クローバー会などの協力で開催できたことの謝辞がありました。公立の博物館からも認定を受けたこと、クローバー会の栄誉のひとつだと思っています。

クローバー会の協力として、西村さんの三井寺下駅・車庫のジオラマ展示、私のほうでは「列車・車両」をテーマにした写真展示、浜大津から近江今津までのスライドショー制作を行なった。もちろん私一人だけでできる訳はなく、クローバー会のネットワークのお蔭だった。「蒸機を見たい希望が多い」と事前に館から聞き、人間国宝の撮られたC11の牽く水泳列車も展示することができた。

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 個人・グループでも頑張ってます! 〈1〉

公開学習会「京電伏見線を中心とした交通の発達」

11月10日のホームカミングデーの集まりは、多くの参加者に感銘を残して、滞りなく終了しました。クローバー会では、会行事へ積極的に会員が参加し、活動を盛り上げているのはもちろんですが、個人やグループ単位での発表・活動にも、会のメンバーが積極的に参画し、活動の盛り上げを図っています。この秋に行なわれた個人・グループでの活動のいくつかをご紹介しましょう。

京都市電に深い愛着をお持ちの勘秀峰さんは、ことし春に、私と一緒に、生まれ育った街〈河原町丸太町〉に特化した写真展を行ない、多くの皆さんに見ていただきました。その後、「伏見チンチン電車の会」の皆さんとも親交を深めることになりました。同会は、日本で最初の電車路線・伏見線を広く顕彰し、記憶の掘り起こしに務められ、講演会、展示会、模型運転会などを通じて地域に貢献されています。このたび同会から依頼を受けて、10月20日に、京都市の伏見区役所の会議室で、公開学習会「京都電気鉄道伏見線を中心とした交通の発達」を開催され、勘秀峰さんは、講師役を務められました。

伏見区役所で開かれた公開学習会、約30名の市民が参加され、クローバー会からも聴講に駆けつけた。勘秀峰さんの話は、江戸・明治期の交通史からはじまり、伏見・稲荷線の廃止まで、日ごろから、ミュージアム巡りを欠かさない勘秀峰さんらしく、多数の貴重な写真・資料を上映しながら話は進んだ。

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 速報! ホームカミングデー 行なわれる

中高の大先輩 須田寬さんの話を聞く!

11月10日(日)、絶好の秋晴れに恵まれた京都。同志社今出川キヤンパスでは、ホームカミングデー2019が、良心館を中心にして、賑々しく開催されました。クローバー会ことしの目玉は、なんと言っても、何年来の念願だった、同志社中学・高校の出身で、現・JR東海相談役、鉄道友の会会長の須田寛さんの講演会でした。

約60人が集まり、15時からの第二部がはじまり、須田寬さん「同志社からみた京都市電」に聞き入った。終戦直後の同志社彰栄館、中学の授業を受けていた須田さんの眼は、すくそばを走る烏丸線の市電に注がれいた。市電の系統、形式、番号ごとの差異に、授業そっちのけで観察を続けていた。後ばかり振り向くので、先生にはよく叱られたと言う。この時に芽生えた鉄道への興味が、その後の自分を決定づけたと述懐されている。

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 今日からやってます 二人の写真展

写真展「東北の鉄路 全盛時代を偲ぶ」

今日から11月ですが、“デジ青”には、トンとご無沙汰状態が続いています。何も活動から足を洗ったわけではなく、クローバー会活動、有志の活動、はたまた個人の活動もきっちりやっています。ところが活発なあまり(?)“デジ青”投稿に割く時間がなくなるジレンマに陥っています。ぶんしゅうさんにお世話になった天浜線旅行も、宴会後、私だけ一人で閑散としたDCで去って、晩12時に日帰り帰宅したあとも写真展の準備に励んでいました。その写真展、「東北の鉄路 全盛時代を偲ぶ」も、何とか準備も間に合って、本日から開催の運びとなりました。

期間 11月1日(金)~30日(土)10時~18時(月曜日休廊)

会場 集酉楽「サカタニ」2階ギャラリーカフェ(京阪七条駅下車、東へ2分)

▲京阪七条駅から歩いて2分、市バス「七条京阪前」真ん前の「サカタニ」2階ギャラリーカフェでお待ちしています。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【21】 秋編

北丹鉄道を走ったDRFC貸切列車

地元の京都・滋賀で、記憶に残る中小私鉄の廃止としては、江若鉄道、加悦鉄道、北丹鉄道が挙げられます。江若鉄道は、クローバー会の協力も奏功し、前稿でも報告されたように盛り上がりを見せています。加悦鉄道も、加悦、丹後山田に資料館があり、奥にはSL広場もあって、保存会によって継続的に活動が行なわれています。
それに比べると、北丹鉄道(福知山~河守12.4km)は、世の中からも忘れ去られようとしているのが気掛かりです。福知山市内には、北丹鉄道の資料館がありましたが、その後継となるポッポランドが昨年に閉鎖されてしまい、公開の場で、北丹を偲ぶことはできなくなりました。
話を約50年前に戻すと、江若の廃止後、DRFCでは、Tさんが先頭に立って、「北丹乗好会」を発足、熱心な活動が繰り広げられ、その頂点として、昭和45年11月に、貸切列車として結実します。私も何度か撮影に行き、昭和46年3月の休止(のちに廃止)を迎えることになります。その道程は、ちょうど江若とは、1、2年の遅れで進んだことになります。最終列車まで見届けた身としては、いつかは詳細を発表したいと思っていました。今回は、カラーだけですが、その一端を紹介しましょう。

秋の一日、釣り人が糸を垂れる由良川沿い、北丹鉄道のキハ101が貨車を牽いて、支流の荒河橋梁を渡って行く。北丹鉄道は、国鉄の福知山から出発して、由良川沿いを北上、河守までの12.4kmの路線で、大正12年に開業した。一日6往復で、キハ101、102いずれかの単行運転で、時折、写真のように貨車も牽いた。昨今の台風の来襲では、水没を免れそうにない光景だが、事実、由良川はよく氾濫して、北丹はその都度、よみがえってきた。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【20】 秋編

草津線の蒸機列車

前回掲載の加太とセットで、草津線へもよく行ったものです。牽引するのは、亀山区のC58、D51と、加太で見るカマと同じで、見せ場となる勾配区間もないものの、草津線の魅力のひとつは、長編成の客車列車が朝夕にあったことで、貨物も日中に結構走っていました。京都からだと、まず草津線で2、3本を撮ってから、午後、加太へ向かう、と言ったセット撮影も可能でした。しかし、加太がある関西本線亀山~奈良の蒸機の廃止より、一年早い昭和47年9月限りで蒸機は姿を消しました。DL化直前の草津線には、朝夕を中心に4往復の客車列車があって、線内は亀山区のD51が牽いていた。うち3往復は京都発着で、通勤時間帯は、写真のように客車10両編成だった。この時代、ほかの線区でも蒸機の牽く旅客列車は残っていたが、これほどの長編成は、なかなか見ることができなかった(726レ、石部~三雲 昭和47年9月)。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 (19) 秋編

加太で写したカラー
ホントによく行ったものです。前稿でも採り上げた「鉄道ファン」別冊の撮影地ガイド本の原典となった、本編の52号に加太の撮影地ガイドが載っていました。その前から憧れの地で、記事で全体を把握して、高校1年の時に初めて行きました。まだ特急「あすか」が走っていた時でした。DRFCに入ってからは、新入生歓迎旅行、打上げ旅行、現地闘争などと称して、メンバーとともに頻繁に行き、会社に入ってからも、蒸機が無くなる直前まで通ったものでした。
ただ狙いは蒸機、山間地の勾配区間とあれば、勢いモノクロ写真となり、カラーでは、わずか昭和47年の秋に訪れた以下の数点を写しただけでした。少し前にあった江若鉄道の廃線跡ウォーキングを終えて、浜大津で飲んでいると、向かいに座っていた、ご近所の無印不良品さんから、「加太の駅を降りて、村田屋へ行く途中の川に蛍が無数にいてなぁ、ホンマにきれいやった。一生忘れられへん」と語ってもらったのが、印象に残っています。秋の日曜日、加太では運動会が行なわれていた。ちょうど、村田屋の向かいにあった加太小学校、多くの地区家族も参加していた。その向こうをDC急行が下り勾配を駆け下りて行った。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【18】 秋編

山陰本線を行きつ戻りつ

前記の山陰本線の三見~飯井での撮影に続いて、何ヵ所か海岸沿いで撮影をしたり、三江北線、木次線に寄ったり、均一周遊券ならではの旅を続けました。昭和も46年になると、“SLブーム”は頂点を迎え、それを狙った出版物も多く出るようになります。撮影地でよく見掛けたのは、鉄道ファン臨時増刊の「撮影地ガイド」で、撮影地と列車ダイヤも載っている、まさに撮影向けの本でした。昭和44年、46年に発行され、ボロボロになった本を抱えた高校生・大学生をよく見掛けました。いまと比べると、情報源も限られていた時代で、コピーをするにも一枚が何十円もして、本をまるごと持参したものでした。三見から石見益田へ、乗り換えて岡見で下車した。ここは、三見のような穏やかな海岸ではなく、険しい岩礁が続いている。まずは、DF50537の牽く829レを撮影。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【17】 秋編

ウワサの伯備線へ

標記のシリーズ“秋編”をしばらく続けます。われわれの現役時代は、9月中旬からやっと後期の授業が始まりましたから、じゅうぶんに“秋”を感じながら、夏休みの撮影旅行を終えたものでした。当時、席巻していた“SLブーム”の象徴が、D51の三重連が見られた伯備線の布原信号場でした。信号場から鉄橋までのわずか数百mの区間に、全国が集まった“マニア”が集結しました。正統派を自認(?)していた私は、“にわかの聖地”には、絶対に行かないと決めて、近づかないようにはしていましたが、「話のネタ」にと、やっと腰を上げたのが、昭和46年9月でした。岡山から入った伯備線は初乗車だった、高梁川に沿う区間では、何度も対岸へ渡る鉄橋が続き、ガーダー橋が多く、撮りやすい区間だ。井倉~石蟹に掛かるガーダーは、渡らずの鉄橋で、対岸から編成をうまく入れられる。D51の牽く客車列車もあったが、まずはカラー映えのするDC列車にカメラを向けた。20系よりも10系が多く、岡山近辺のため、長編成も多かった。

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 「ミニ企画展 江若鉄道」大津市歴博で開催

事務局からも案内のとおり、大津市歴史博物館で、本日10月1日から、「ミニ企画展 江若鉄道」が開催されています。同館では、過去3回に渡って、江若鉄道や大津の鉄道に関する企画展を実施、いずれも絶大な人気で、入館者数も図録販売も記録的な数字を達成しました。なおも地元では江若への熱い思いが続き、再度の展示が待望されていました。ことし3月にも、江若交通本社で趣味者グループが江若展を開催、そして廃止からちょうど50年、来年には会社設立100周年を迎えるいま、大津市歴史博物館で三たびの開催となりました。
▲開催初日の本日、午後2時から、オープニングイベントとして現地見学会「江若三井寺下駅を探検する」が行なわれた。まず館内展示の三井寺下ジオラマのまえで、学芸員のKさん、西村さんの説明を受け、50年前の姿を頭にイメージしてから、フィールドワークに出発した。背後はクローバー会制作のスライドショー、86さんの白鬚駅が上映中。

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 ふた旅 めぐる旅 東北編 ⑦

奥津軽いまべつ

このテーマの最終回として、北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅のことを採り上げました。3年前の新幹線開業時にできた駅であり、“ふた旅”ではなく、初見参の駅でしたが、その複雑な歴史や駅構造、隣接する津軽二股駅のことにも触れてみることにします。

奥津軽いまべつ駅は、今でこそ、北海道新幹線の駅ですが、この駅ができたのは、1988年に津軽海峡線が開業した時であり、当時は「津軽今別」と称していました。多くの特急列車や長大な貨物列車が通るため、対向式のホーム長のある駅でした。

現在の奥津軽いまべつに到着する「はやぶさ」。一日の発着本数は上下14本、一日平均の乗降人数は66人で、新幹線駅のなかでは最も少ない。3年経っても、見物目当ての客のほうがが多く、私もみどりの窓口で収集目的で観光入場券を買うと、駅員から“もうすぐ列車が来ますから、見ていったらどうですか”と勧められ、ホームに入場した。本州にある、唯一のJR北海道の駅で、すべて北海道仕様の駅だった。

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