直方
筑豊地方には、拠点となる都市がいくつかあった。人口規模においては、当時では飯塚が第一位だったが、鉄道での中心は、何と言っても直方だった。
直方駅へ行けば、それが実感できる。駅には、四六時中、列車が出入りして、もうもうたる煙に包まれていた。“筑豊のスズメは腹の中まで黒い”と言われる。事実、直方で数時間ほど写して、駅の洗面所で顔を洗うと、シンダーで喉や髪の毛が真っ黒になっていた。公害や煤塵と言った認識に乏しかった時代だ。
初めて訪れた昭和40年代前半、石炭輸送のピークは過ぎていたが、それでも、多数の石炭列車が運転されていた。大きく分けて、伊田線沿線からの運炭列車、上山田線沿線から筑豊本線経由の運炭列車に分けられ、直方で組成され、または牽引機を換えて折尾・若松方面へ向かって行った。 ▲直方駅。明治43年建築と言われるが、一昨年に解体され、新しい橋上駅となった。駅舎は、初代の博多駅を移築したものではないかと言われていたが、解体時の調査では、その事実はなかったと発表された。(平成2年)
▲直方駅4番ホームに停車中の原田発門司港行き1732レ、C5519〔若〕、すぐ隣は直方機関区で、煙の競演がホームからでも見られた。(昭和44年)