最晩年の200型に乗ったことがあります。三軒茶屋にあった友人の下宿で洗面器を使って(鍋がなかったため)すき焼きをしました。でも電車の乗り心地は覚えていません。
「研究論文」カテゴリーアーカイブ
昭和の電車 改訂版(98)ー大阪市電3001型ー
昭和の電車 改訂版(97)ー名古屋市電800型ー
昭和の電車 改訂版(96)ー都電5500型ー
昭和の電車 改訂版(95)ー名鉄7000系ー
昭和の電車 改訂版(94)ー近鉄ビスタ10100系ー
手持ちの写真を貼っておきます。
皆様のビスタカー写真も見せてください。
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昭和の電車 改訂版(93)ー小田急SE車3000型ー
昭和の電車 改訂版(92)ー国鉄クロ151型ー
JR日田彦山線 代替BRT区間正式決定
今朝の西日本新聞で日田彦山線のBRT化、その区間が正式決定された旨報じられています。筑前岩屋駅から宝珠山駅までの区間がBRT専用道路、他区間は一般道走行となり2023年中に復旧される、とのことです。
4月、日田~添田を訪問、皆様からたくさんの投稿をいただきました。改めて御礼申し上げるとともに2023年、どんな風景になるのか、期待と心配・・・です。
昭和の電車 改訂版(91)ー尾道鉄道デキ1ー
前回の時に、西村さんから「脱線転覆事故」に関しての詳細報告がありましたので付記しておきます。
《デキ1の転覆大破について若干の補足を。終戦から1年後の昭和21年8月13日13:00頃 木造単車のデキ1に定員を大幅にオーバーした約150名を乗せた尾道発市行き電車は石畦駅を出て急勾配を登り 峠の上の畑駅にたどり着く手前のトンネル内でポールが外れ 後退を始める。お盆で人の行き来が急増したのか 尾道発10:30の電車が9km先の石畦駅を出たのが13:00ということは各駅での乗り降りが尋常ではなく 少ない便に何が何でも乗ろうとして寿司詰め状態だったのだろう。超満員の電車はどんどん加速し約1km下った石畦駅手前のカーブで脱線転覆したのであった。死者37名負傷者100名余の大惨事となった。戦後まもなくのこと 運転手が経験の浅い見習いで 突然トンネル内で停電し応急の対処ができなかったことと ブレーキにも不具合があったようです。国道184号線を走るたびに ここを逆走したのかと思うと鳥肌が立つ思いがします。この事故をきっかけにポールがビューゲルに変更されることになりました。電車の馬力やブレーキについての解説は長老方のご出馬をお願い致します。》
昭和の電車 改訂版(90)ー下津井電鉄モハ50型ー
昭和の電車 改訂版(89)ー備南電鉄(玉野市営)モハ100型ー
昭和の電車 改訂版(88)ー相模鉄道クハ1110型ー
昭和の電車 改訂版(87)ー淡路交通モハニ2007ー
乙訓の長老様が撮られた写真の中に、モハニ2007と2008がありましたので掲載致します。ただし、関先生の記事にもあるように、三扉→二扉、2008は貫通扉を付けた最後の形に改造後です。撮影は昭和35年11月4日となっています。
それにしてもこんな地方の小私鉄が“気動車→電車”にしたり“貫通扉を付けたり、三扉→二扉”にしたりする大工事を自力でしていた事の方が驚きです。
アロハ特急385へのご質問にお答えする・関三平先生より
先日の「アロハ特急」に関して、皆様からご質問が来ておりましたので、関先生へ回答をお願いしていましたところ、お手紙にてご連絡頂きました。
前回投稿文
全文書き写してご覧頂きます。
『阪急のアロハ塗装につきまして。
阪急は、昭和23年に京都線用(実質支線専用)の700型+750型MTc編成5本、701+751~705+755を新造。続く24年に神戸線用として同じく700型+750型MTc編成5本700+750~704+754を製造。当時はまだ(現・京阪電鉄を含む)大阪急の時代でしたが、近鉄などと違って車番のダブりなどは気にしていなかったようです。(京阪本線にも700型が存在したわけだし・・)
さて、大阪急が京阪電鉄との合併を解消する際、新京阪線は阪急に残留(乗っ取られたとの説も・・)、新京阪線と京阪線はライバルの関係になります。「元新京阪線は(今や)阪急の物である」とアピールするために、解消直前に京都・神戸直通の特急運転が始まり、これに当てられたのが神戸線の702+752、703+753の二編成でした。
完全複電圧、二個モーターのMM編成に改造され、1500Vの京都線では神戸線の750/600倍のパワーに上がるわけで、120㎞/hを越える高速運転となり、時間が余りすぎて困った、とも言われています。
そして昭和25年に西宮北口で「アメリカ博覧会」が催され、その宣伝のためにアロハ塗装をされたもので、京都線の700系と紛らわしいと言うわけで、この機に800+850~804+854と改番されました。(この時期、京都線系の500→1500、550→1550、300→1300等の改番も実施されています。それでも、まだダブり番号は残りました)
かくて、802+852、803+853の二編成は「アロハ特急」として語り伝えられる存在となりましたが、実は他にも「アメリカ博」塗装をされた車が四両ありました。その一両が今回写真を載せられた宝塚線の385号です。そして京都線用には、戦後阪急唯一のクロスシート車となっていた、元フキ(貴賓車)の1500号が選ばれ、この二両は全く同じ黄色と茶色塗り分けで、端部塗り分けデザインも同じでした。
そして、あと二両が神戸線用の801+851の編成。使う色は802号などと同じですが、全くの逆配色になっていました。即ち、薄いブルー基調で、帯などが黄色というもので、802等に比べるとおとなしいというか、淋しい感じを与えるものでした。
この二両は「アメリカ博」の会場横を通り抜ける今津線に専ら使われたようで、梅田や神戸にはあまり顔を見せなかったようです。こちらは従来通りの600V専用車のままでした。梅田などに姿を見せなかったせいか、あまり存在を知られておらず、現在阪急の語り部の第一人者とも言うべき篠原丞さんも存在を半信半疑で、私に証言を求められたぐらいです。
以上の八両が「アメリカ博」がらみの特装車ですが、その室内について一寸書き加えますと・・・。
マスコミ等へのアピールのためか、852号(?)がベッドみたいに寝そべることの出来るデラックスなリクライニングシートや、ソファ、テーブル等を置いた豪華なインテリアとされた残されています。ただし本営業には使われなかったようで、私もみたことはありません。ただ内装壁面などにいかにも戦後派らしく、迷彩模様のようなベニヤ板張りで、阪急としては最低クラスのものでした。その点385号は戦前の阪急+川崎デザインの重厚な全鋼車内でしたし、1500号は私鉄界貴賓車の最高峰とも言われた造作の車内にクロスシートをつけたものでしたから、乗る側にとっては最高の車でした。
以上、ラフですが、取りあえずお返事まで。草々
関三平拝』