やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ⑭

“ヤマ線”のD51 倶知安・長万部区 (1)

先の小樽築港区のD51の主要な活躍の舞台は、“ヤマ線”と言われる函館本線の小樽築港~長万部が中心でした。この“ヤマ線”には、倶知安、長万部のD51も混じって、客貨を牽いて活躍していました。長万部区のD51は、さらに足を伸ばして函館まで顔を見せ、また室蘭本線でも活躍していました。今回は、両区のD51を見ていきます。ともにD51 146〔万〕〈上〉41レを牽いて比羅夫に到着 41レは函館発札幌行きの荷物列車で、森から座席車を連結して、普通列車として運転されるため、荷物車のほうが多い編成になっている(昭和46年3月)。〈左〉小沼畔を行く 右側通行の函館発岩見沢行き229レ 左の線が仁山経由の本来の函館本線、右が昭和41年開通の七飯~大沼の勾配緩和の新ルート別線で、通称「藤城線」と呼ばれていた。下りの優等列車・貨物列車は、緩勾配の藤城線を通っていたが、普通列車は、集落のある渡島大野、仁山を経由するため、このように一見して右側通行しているように見える。この先で両線はトンネル内で立体交差して位置が入れ替わって七飯に向かっている。(昭和43年9月)。なお、このD51 146は、廃車後、静岡県に保存展示されていたが、2015年に真岡鐵道SLキューロク館に切り詰めデフのまま保存され、コンプレッサーの圧縮空気で構内を走ると言う。

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 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ⑬

各地で活躍するD51(1) 小樽築港区

また通常ペースに戻って、北海道の機関区別の蒸機を紹介していきます。D51と言えば、9600とともに、北海道ではどこでも見られた蒸機でした。ほとんどの機関区で、D51、9600が一緒に配置されていて、D51は幹線の客貨牽引、9600はローカル線の貨物、入換えと棲み分けされていました。

昭和43(1968)年4月の配置表で見ると、北海道全体で9600の153両に対して、D51は実に240両も配置され、形式別ではダントツの一位でした。

C55、C57の旅客機に比べると、華やかさもなく地味な存在でしたが、日本の蒸機の代表、D51の活躍例を挙げてみました。

小樽築港区のD51 204 C62重連の聖地、上目名を函館発旭川行き121レを牽いて通り過ぎる(昭和43年9月)。

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2021年春 桜前線追っかけ旅 Part9 越美北線を撮る その3

勝原駅のハナモモの満開を3日間待ちましたが、中々100%満開には至りません。天竜浜名湖鉄道の原谷~原田の鉄橋近くに咲くしだれ桜と同じく待つと開花状況はストップしてしまっています。それでは長良川鉄道の大矢駅のしだれ桜の取材時期を遅らせばと行動しましたら逆ににかなり散ってきていました。今年は自然の流れに上手く合わせることができません。桜満開前線は既に山形まで北上しています。会津鉄道にも行きたかったのですが、今年は勉強不足だった、来年はリベンジを誓って、今日を最終日にすることにしました。


第3日目 4月8日

4:20 今日は遅れまいと昨夜は早めに就寝しましたので目覚ましよりも早くに起きました。車内の温度はちょっと寒い 6.9℃ です。5時を過ぎるとようやく周囲が見えるようになってきました。
▲ 5:24 朝一番の越前大野からの回送列車が上がってきました。停車はせずにそのまま通過です。昨日は5:28にここへ来ましたのでタッチの差で間に合わなかったようでした。

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2021年春 桜前線追っかけ旅 Part8 越美北線を撮る その2

第2日目 4月7日

5:00 早朝に車内泊地『道の駅 九頭竜湖』で起き上がり勝原駅を目指しました。回送列車なので運転ダイヤは公表されていませんので以前に客扱いで運行していたダイヤで大丈夫だろうと思っていました。
5:28 勝原駅に到着です。まだ暗いですが夜は明けてきています。D500に24~70㎜F2.8のレンズを装着して通過を待ちましたが来ません。ひょっとしたら昨夜の最終列車が2両編成で明日の始発列車用に1両が留め置きされたのかもと考えたりします。
待ちましたが来る走行音が聞こえてきませんので諦めて福井に向かう一番列車を待つ事にしました。
▲ 5:51 ホームで待つ乗客などいない中、一番列車の到着です。見えた乗客はわずか2名でした。
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2021年春 桜前線追っかけ旅 Part7 越美北線を撮る その1

第1日目 4月6日

長良川鉄道越美南線から帰ってより次は越美北線に再び行って見ようと決めていました。混み合う土日は避けて火曜日頃は桜も満開になるだろうと現地に電話をしてを開花情報をお聞きしますと、「今年は例年に比べるととても早くに満開を迎えました。今は散り始めていますよ。」と、思いがけない返答をいただきました。
それでも桜は散り始まった頃が一番良いと出掛けることにしました。
▲ 自宅からは名神高速、湖西バイパス、北陸自動車道と中部縦貫自動車道を経由しての164㌔、約3時間の行程です。
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2021年春 桜前線追っかけ旅 Part6 長良川鉄道を撮る その3

第3日目 4月1日

7:00 今日も車中泊地『道の駅 美並』からの出発です。途中のコンビニでコーヒーとサンドイッチを買い込んで朝食とするのも同じです。今日の最初の訪問地は昨日見て気になっていた大中~上万場の長良川堤防の桜の木です。

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2021年春 桜前線追っかけ旅 Part5 長良川鉄道を撮る その2

第2日目 3月31日 その1

6:00 車中泊をした『 道の駅 美並 』の駐車場で目覚めました。山間の夜は既に開けてきています。洗面を済ませた後に出発しました。
昨日行けなかった北濃へと向かいます。

途中のコンビニでサンドイッチとコーヒーを買い込んで朝食としました。
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2021年春 桜前線追っかけ旅 Part4 長良川鉄道を撮る その1

第1日目 3月30日

長良川鉄道にはかねてより見てみたい撮ってみたい、見事なしだれ桜が咲く駅があります。駅名は『大矢駅』、10日前には同じくしだれ桜を求めて天竜浜名湖鉄道に参りましたが満開は遅れ大雨強風になってくるために以降の撮影を諦めました。
次の訪問地、長良川鉄道にも電話を入れて開花状況を聞きますと大矢のしだれ桜は、まだ5分咲き程度ですと先週中頃に聞きました。家内の命日が過ぎる30日なら満開になっているだろうと旅支度を準備しました。天気予報も当分は快晴の春の日が続くようなので期待しての旅立ちでした。
▲ 自宅から大矢駅までは名神と東海北陸自動車道を乗り継いで約195㌔、所要時間は約2時間半と、そんなに遠くはありません。昨年秋には会津若松まで約700㌔を一気に行きましたので楽勝とは思いましたが油断は禁物、まずは安全最優先走行を心掛けることにしました。
簡単に朝食をとった7時過ぎに自宅を出発しましたが、朝のTVニュースでは大陸からの黄砂襲来予報が出ていました。名神は京都南ICから乗りましたが滋賀県に入ると空の色が天竜浜名湖鉄道に行った時と比べると遙かに違って真っ青とは言えません。
途中、養老SAで休憩をとって9時半過ぎには予定通りに大矢駅に到着です。期待を持ってホームに出ました。
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四国の鉄道

3月の終わり、某旅行会社がツアーで、国鉄復古塗装のキハ185と高松琴平電鉄に残る旧型電車120型+300型を走らせるのに合わせ、香川~徳島周辺でJR四国と高松琴平電鉄の撮影行を敢行した。3月27日、309D徳島行き、勝瑞―池谷

四国のキハ47とキハ40は、もともと小世帯だったが近年数を減らし21両しかない。運用も朝晩に限られているが、車体の内外装は比較的原型を留めており、エンジンも国鉄時代からのDMF15系列のままで深い味わいを残している。 続きを読む

2021年春 桜前線追っかけ旅 Part3 嵐電を撮る

京都にも桜前線がやってきました。3月26日、DRFC-OB会では緊急事態宣言解除後最初のイベントとして嵐電の桜の撮影と沿線の社寺の拝観をするツアーが開催されましたので行ってまいりました。このご報告をさせていただきます。
長良川鉄道はまだ満開に至っていないようなのでこの次とさせていただきます。
集合は四条大宮駅に13:00、参加者は7名と少なめですが3蜜回避にはちょうど良いかなとの会長さんからのご挨拶でした。肝心の天候は一面の青空です。
13:04発の嵐山行に乗車しました。帷子ノ辻で北野線に乗り換えて、宇多野を目指します。宇多野~清滝の桜のトンネルが第一撮影地です。

▲ 2008年4月13日の撮影です。狙いは桜吹雪でしたが、強風が吹いて吹雪になっている時には電車が来ません。この日は半日粘りましたが気に入るカットは撮れませんでした。この撮影場所は帷子ノ辻寄りの勝手踏切のような場所で正面から撮影できましたがこの後安全性に問題があったのか閉鎖廃止されました。
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2021年春 桜前線追っかけ旅 Part2 天竜浜名湖鉄道のしだれ桜を撮る

 

3月20日 6:00
宿泊地『風のマルシェ御前崎』、海から上がる朝日を見るために目覚めました。朝日を探しますが目の前の浜辺方向には見つかりません。場所を間違ったようです。

しばらくして左後方から朝日があがってきました。もっと岬の方まで行かなければ見えなかったのです。。 続きを読む

2021年春 桜前線追っかけ旅 Part1 天浜線へしだれ桜を求めて

2021年、ようやく桜開花となりました。このシーズンは毎年、桜と鉄道を求めて全国各地へと出かけていますが、今年は去年のリベンジがあります。天浜線に咲くしだれ桜です。去年は満開を過ぎて散っていました。今年は是非とも満開時に撮りたいと桜の開花情報を見続けました。そして直前の生情報は現地取材と思い3月16日、掛川市の観光課へ電話問い合わせをしますと観光協会に聞いてくださいです。観光協会に電話しますと近くに事務所がないので分からないとあっさりと、断わられました、
それではと、天竜浜名湖鉄道の営業課へ『毎年桜と鉄道を求めて撮りに参っております。今年も行きたいので開花状況を教えてください。場所は原谷~原田の鉄橋近くに咲くしだれ桜です。』と、問い合わせますと『分かりました。運転手に聞いてみましょう。電話番号を教えてください。分かり次第にご連絡します。』と、願ってもいなかった丁寧なお返事です。

電話を待つと3時間後には『運転手に見てもらいました。現在は5分咲き程度だそうです。気を付けてお越しください。』とのお返事をいただきました。ありがとうございます。
今が5分咲きなら好天が続いていますので3月20日辺りには満開になりそうです。後は、18きっぷを利用していくかマイカーの選択でしたが、3密を防ぐにはコロナ騒動で推奨されているマイカー利用が賢明と選択いたしました。現地までの走行距離は246㌔、所要予想時間は3時間30分です。

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 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ⑫

室蘭本線 室蘭~岩見沢のC57

前回も記しましたが、室蘭区のC57は、昭和44年10月改正で、全機が岩見沢区へ転属し、活動の場を、室蘭本線の北部、室蘭~苫小牧~岩見沢へ移します。苫小牧までは、札幌へ向かう優等列車に伍しての活躍が見られましたが、優等列車は千歳線に入るため、苫小牧~岩見沢は、当時からもローカル線の雰囲気がありました。ただ当時は、夕張方面からの石炭列車が数多く運転されて、石炭列車の合間を縫ってのC57の活躍が見られました。そんな、室蘭本線北部の活躍を見ていただきます。

爆煙を上げて追分を発車した、岩見沢発室蘭行き232レ C57 57の牽引 まだ室蘭区の時代(昭和43年9月)

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 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ⑪

室蘭本線のC57

北海道のシリーズの最初に室蘭本線のC55を紹介しましたが、C55の活躍は昭和43年で終わり、私も一度切りの出会いとなりました。代わって活躍を始めたのが、室蘭区のC57でした。昭和44年には12両のC57が室蘭区に配置されて、おもに長万部~東室蘭~室蘭の室蘭本線の西部が働き場所でした。ところが、昭和45年になると、室蘭区は配置はゼロになり、機関区は存続したものの、乗務員のみの区となります。C57は、全機が岩見沢機関区へ転属となりました。運転区間も、長万部への入線はなくなり、室蘭~苫小牧~岩見沢の室蘭本線の北部に限定使用となります。次第にC57は数を減らしますが、この状態が、例の旅客蒸機最後となる、C57135の“さよなら運転”まで続くことになります。

朝の静狩、大カーブを行く243レ C57 197(昭和44年8月)

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 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ⑩ 

D52 室蘭本線を行く

最後のD52に参ります。実際、私もこれだけのD52を撮っていたとは、今回記事を書くまで分かりませんでした。北海道は、われわれの時代、どうしてもC62に引っ張られて、その後の思い起こしもC62が占めることになり、ほかの機が疎かになっていたことを痛感しました。しかし、山科の人間国宝さんは、ことあるごとに「いちばん好きな蒸機はデゴニです」と言っておられるように、私もD52が蒸機本来の魅力である力強さにあふれた蒸機であること、改めて思いました。今回は、そのD52が本領を発揮した、長万部~鷲別の室蘭本線での活躍です。まるで、かつての東海道・山陽本線を見るような、スケールの大きな舞台でした。

北海道へ渡って3日目、Kさんと快適な長万部ステーションホテルに泊り一番列車で静狩へ向かった。今日も快晴で、停車中のD51は全身に浴びて、光り輝いていた。安全弁の気忙しい音が、朝の冷気を伝って響き渡り、今にも発車しようとするなか、彼方から室蘭本線の雄、D52の牽く貨物がゆっくり姿を現した(「青信号」23号鉄道写真展作品集のコメントを再録) 右:252レ D52 136。(昭和44年9月)

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 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ⑨

D52の往くところ② ~噴火湾に沿って~

「北海道にもデゴニがいる」。これを知ったのは、小学校6年の時に読んだ「鉄道ファン」の初期号の北海道特集でした。D52は東海道・山陽本線の専用機とばかり思っていたのに、当代一の鉄道写真家のHさんがとらえた「噴火湾に沿って」タイトルの雪にまみれたD52の写真は、小学生には衝撃的でした。

前記の大沼を出た函館本線は二手に分かれ、大沼公園回りの本来の函館本線と、勾配緩和のために戦時中に設けられた、海岸回りの砂原線回りとなり、森で再び合流し、噴火湾に沿って、長万部に向かいます。今回は、大沼~森~長万部のD52の活躍を見てもらいます。

勇壮な煙を上げて長万部を発車する  D52 414 (昭和46年3月)

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 やっぱり蒸機が好き!《区名板》で巡る北海道の蒸機 ⑧

D52の往くところ① ~駒ヶ岳を見て~

北海道に渡った蒸機の撮影者が、まず訪れるのは、やはり大沼付近でしょう。函館から一時間足らずで到着でき、すべての列車がボトルネックのようになって、函館に向かいますから、何でもありの夢のような区間でした。しかも優れた風景が続き、なかでも大沼から国道沿いを歩いてすぐ、函館本線を見下ろす小高い丘の上から、正面に駒ヶ岳、左手には小沼と、絵葉書のような光景が広がっていて、私もクローバー会会員と一緒に訪れたものでした。D52の走るところ、まずは大沼付近から。

春浅き小沼畔を行くD52の牽く下り貨物。これには後日譚があって、学鉄連の打ち合わせで交通科学館へ行って、図書室の西尾克三郎さんに、この写真を見せていたところへ、東京からマツケンさんが来られ、ちょうど編集中の豪華本「D52・D62・E10」にぜひ使いたいとなり、写真を差し上げた。後日、50年前の価格で4500円也の豪華本と写真料が送られて来た。一枚の写真で、おいしい目ができた、古き良き時代だった(昭和46年3月)。

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 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ⑦

ラストナンバー468    D52(2)

“3年持てばいい”のD52でしたが、製造から2年後に戦争は終わってしまい、製造計画は中断します。粗悪なうえに、整備不良も加わって、戦後はボイラー破裂などの事故を多発します。山科の大築堤状で大音響とともにボイラーが破裂したのを、身を持って体験されたのが、大築堤の近くにお住まいだった須磨の長老で、その様子は「青信号64号」に詳説されています。さて戦後になって、状態不良のD52は廃車を進め、良好なカマは、長期の使用を見越し、戦時設計から改良が加えられました。一部のカマは、従台車を2軸にしてD62に、ボイラーを利用して旅客用のC62に改造されました。いっぽう、北海道へは、東海道、山陽の電化の進展で、余剰が生じたD52が昭和35年から順次、転属しました。軌道強化された函館本線の函館~長万部、室蘭本線の長万部~鷲別で貨物列車、一部で旅客列車を牽くことになりました。今回は、最大15両を擁した五稜郭機関区のD52のなかで、現在では京都鉄道博物館に保存され、ラストナンバーに当たる468号にスポットを当てました。

D52 468は、昭和21年の製造だから、戦争が終わってからの就役だった。三菱三原製作所の製造で、もともと同所では、468~492を製造する予定だったが、結局468のみ製造して、以降は中止となり、たまたま468がラストナンバーとなった。国縫(昭和47年3月)

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 やっぱり蒸機が好き!《区名板》で巡る北海道の蒸機 ⑥

D52 五稜郭機関区 (1)

太平洋戦争のさなか、“3年持てばよい”の考えのもと、徹底した戦時設計で建造されたのがD52でした。当時、最重要資源の石炭輸送は、鉄路だけでなく、航路もありましたが、攻撃の標的になることが多く、鉄路による重量物の輸送に変更され、急遽、当時の主力D51を上回る牽引能力を持った貨物用機が製造されることになり、昭和18年から300両近くが製造されました。計画ではさらに、増備の予定でしたが、終戦とともに中止、最終ナンバーは468号ですが、183両の欠番があり、実質の製造は285両となりました。しかし戦争末期の資材不足の約2年間で300両近くの大型機を製造したことは驚きに値します。その強力パワーで、東海道・山陽の二大幹線がその中心でしたが、昭和40年代にも、五稜郭機関区に10両のD52が配属されていました。夜の五稜郭機関区、扇形線に顔を揃えたD52136 D52468、昭和40年代、同区には最大15両のD52が配属され、函館~長万部~鷲別で、貨物列車、一部では旅客列車も牽いていた(昭和47年3月)

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 やっぱり蒸機が好き! 《区名版》で巡る北海道の蒸機 ⑤

倶知安区 9600

北海道を代表する蒸機と言えば、スタイルは別としても9600でしょう。数こそD51より少ないものの、昭和43年時点では、北海道の蒸機の約3割、145両を占めていて、ほとんどの機関区に配属され、ローカル線の客貨牽引、入換えに活躍していました。デフの切り詰め、警戒色など、北海道らしい改造がされて、その好みは分かれるところですが、そのなかで最も特徴的なのは、倶知安区の二つ目の9600でしょう。

倶知安区9600の運用は、岩内線(倶知安~小沢~岩内)、胆振線(倶知安~伊達紋別)の貨物牽引、倶知安の入換用でした。二つ目は、カーブなど見通し不良区間での警戒のため、前照灯を二個にしたとの解釈が多いようですが、これは倶知安だけの理由とはならず、倶知安周辺では、冬期、前照灯に氷雪が付着して、前方の確認に支障があったと言います。そこで、風の流れができる、デフのステー上に前照灯を置くことによって、付着を防ぐ目的があったのではと言われています。

 

夕闇に二つ目が輝く倶知安区の79616

 

 

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