近鉄モト2710型

子供の頃、叔父が阪神の鳴尾から近鉄の久宝寺に引っ越したのを機に近鉄に乗る機会が増えました。家の前が電車線だったことから近鉄電車をよく撮りました。その時、荷物電車を撮した記憶があります。有蓋車と無蓋車が有りました。写真を探してみます。
近鉄モト2710_NEW

秋を愛でるー少しだけ紅葉そして冬を迎えるの巻

KAWANAKAです。
INUBUSE氏の柿が出てきたのですが今の時期紅葉が今盛り、というより間もなく終わりに近づています。それでこのシリーズを紅葉の巻にしようと思ったのですが、鉄路輝くを見渡してみると紅葉の写真が多い。どれも綺麗です。今更、紅葉を愛でるといっても、それなりの写真は大変であるし、似たよな綺麗写真になってしまいそうである。臍が曲がっている小生としては綺麗だけでは詰まらんのである。
それで、紅葉の次は何にする?冬を迎えるとするつもりであったが、それぞれ独立して載せるのはかなり編集としても難しい。何より白い季節がやって来るというニュースが聞こえて来るので、「少しだけ紅葉そして冬を迎える」にした。

それで、どんなものを撮りたいのかというと、真っ赤なツタの葉っぱなどが落ちていてそこに初雪がうっすらと積もりみぞれ状になった地面の向こうに列車が行く、というような写真!こんな風↓に(イメージ)。撮りたい

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「みんなでしあわせになるまつりin夷隅2015」

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10月11日、「ぶんしゅう旅日記」にお名前が出てくる丸谷洋一氏からお誘いを受け、いすみ市で開催された「みんなでしあわせになるまつりin夷隅2015」に行ってきたので報告する。
会場の最寄駅はいすみ鉄道の国吉駅である。
内容は、クラシックカーの展示、3台のボンネットバスのよる「ポッポの丘への送迎」、コンサート等であった。
いすみ鉄道への乗換駅大原は結構遠い。
京成金町駅5時13分発の1番電車で出発、早朝の割には乗客が多く座席が4割程埋まっていた。
高砂で乗り換えた5時24分発各駅停車成田空港行は、海外旅行に出かける乗客で座席が7割方塞がっており吃驚。この電車は上野5時3分発の一番電車である。 続きを読む

松村聡明君

「別子銅山と掛けてなんと解く?」
「破れたパンツと解く」
「その心は?」
「時々、金が出る!」
BOXの昼下がり、大爆笑が響き渡りました。
これは普段は冗談など言ったことが無い、松村君の名作です。彼の下宿にパンツの満艦飾があったことで、準特急氏達に「パンツ松村!」などとからかわれたことを受けての一言でした。

今日帰ってくると喪中ハガキが来ていました。
差出人は彼の奥さま、驚いて文面を読むと、十一月八日に亡くなったと書いてありました。数年前の総会に九州から出席をしてくれたのが彼との別れでした。
九州男児らしく、言葉が少ない彼でしたが忘れられない友との別れです。合掌

松村聡明君(左)昭和40年5月23日 和歌山線五條客貨車区

松村聡明君(左)昭和40年5月23日
和歌山線五條客貨車区

丸窓電車・小田急モハニ101

前回の琴電に乙訓の長老様からのコメントが付くと思い、次回記事を投稿せずに待っていたところ、家内の襲撃に遭って新聞を廃棄されました!これが以前クローバー会で行った名鉄岐阜市内線と谷汲線で活躍した丸窓電車だったのです。従って一回飛びました。

今回は小田急のモハニ101型です。

小田急モハニ101_NEW

温泉電車は2両で開業

先に紹介した同じ山形県内で開業(1926年12月26日)した三山電気鉄道は木造車3両を準備した。ところが3年後(1929年12月8日)開業した庄内電気鉄道は、庄内平野の中心である鶴岡市から日本海縁に一気に電化線を完成させた。ピクトリアル誌199号では会社設立にあたり親潟県人の出資を仰いだことが紹介されている。そして3年の時間差は半鋼製ボギー車2両を新造、5ケ月後更に1両増備した。同じ田園地帯を走る高畠鉄道とは大きな差がある。その根源は日本海を望む終着点に湯野浜温泉があったからだ。日本の民有鉄道は、昭和初期までに建設されたものは地域開発や利便性以外に神社仏閣や温泉へ連絡を目的としたものがあり、その一例とも言える。

地図

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秋を愛でるーエキストラ版

KAWANAKAです。
ホームカミングデーに行けなかったので、ヤケクソいうのではありません。秋シリ ーズで、コスモス、ススキ、空気と来て紅葉のはずでしたが、総本家さんのコスモスが出てきたり柿の話題があったり、運用の話も出たりで、次のテーマの前にエキストラとして、道草することにしました。どうせ、次の紅葉なんて大した写真ではありません。堰を切ったように出てくるぶんしゅう氏、特派員、乙訓の老人の投稿もある中で今までの二番煎みたいな内容ですが、嫌がらずにつき合ってください。
写真は例によって昨年までのものです。容赦頂きたい。

柿といえば前回では小湊鐵道の川間駅付近の柿をお見せしたが、実は駅の反対側にもぱっとしない柿があります。駅から見えるので少しばかり歩いていくと、お婆さんが草を刈っていました。雑談をして田んぼの中に入らせてもらいます。この雑談が大事なのであって、この結果、田んぼに入ることができたり、柿でも食って行けと言ってもらったりすることが多い(今回はなかった)のです。なお、ぱっとしない柿とはまず葉っぱが残り過ぎて絵にならんこと、これが葉が落ちていたら申し分ないのでっすが。実はありすぎても少なすぎてもあかんのです。川間 続きを読む

電化は良いが、電車一両の高畠線

以前、老人は山形鉄道三山線を紹介した(デジ青44556)。続いて訪問した日の午前中に訪ねた高畠線を紹介する筈が、すっかり忘れてしまい今日に至っている。訪問したのは1959(昭34)年9月15日で、56年も前の話である。今回メモを整理し、足らぬ箇所をピクトリアル128号((昭37年刊行)を参考にして補ってみた。印象に残っているのは石造りの本社事務所で、京都から来たと言ったら事務所の方はびっくりされ、応接室に招き入れ図面その他の書類を閲覧させて頂いた。三山線では社員休憩室(空弁当箱があった)だっただけに思い出深い。京都の鉄道ファンがよくぞ尋ねてくれたと、感激されたのではないかと今も思っている。

奥羽線・糠の目を起点とする高畠線は、大正11(1923)年3月16日に高畠までを開業した。この時は蒸気鉄道で、二井宿迄延長されたのは大正13年8月31日、全線電化は昭和4年9月1日であった。電化と共に電気機関車1両、電車1両を購入している。これで質問させて頂いた。「電車故障の時はどうしていたのですか?」。「電気機関車がハフを引っ張って代用していた。両方ダメになった時や停電した時などは蒸気機関車の出番となった。」との話であった。なるほど、一日の運行回数が少ない鉄道ではそんなものかと思った。道理で国鉄糠の目から乗った列車(7時52分発二井宿行き)はデキ1牽引の混合列車で、客車代用のデハニ2の客は京都人を含めて10人位だったと思う。

図

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京の磁気カード(トラフィカ)が熱い!

関東ではICカードが一般化し磁気カードの凋落が激しいが、関西では磁気カードが健在だ。
特に京都では「トラフィカ」が、1000円で1100円、3000円で3300円分が乗れる割引特典があり、市バスと地下鉄を共通利用出来るので、使用する客も多い。
その中でも、2013年から登場した「萌えシリーズ」が、人気になっているらしい。
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信貴電と柿

 西村さんが投稿された「柿と鉄道」を見て、考えてみると意外と柿と一緒に撮った鉄道の写真が少ないのに気が付きました。民家と柿の写真や柿の木だけの写真はあるのですが・・・

 それで近くの信貴電(近鉄生駒線)でちょっと撮ってみました。水彩タッチ 信貴電ー柿と電車-02

 踏切の向うにある民家に色づいた柿がたくさん実っている木がありました。柿の木は民家の庭に植えてあることが多く、うまく電車と一緒に取り入れるのは難しいものです。上の写真は事情があって、水彩画タッチに仕上げました。

柿と信貴電

 畑にあった立派な実がなった柿です。ところが木は低くて、幹は細いものです。アンバランスな柿ですが、これも立派な柿です。

 本日の出来立てのほやほやでした。

秋を愛でる-秋の空気の巻

KAWANAKAです。
秋を愛でる、ということで今回は秋の空気?にしました。
秋は光線の具合がきれいですが、先ずは田園の秋の雰囲気。秋は稲穂が垂れて稲刈りが済み、やがて田んぼは残り株一面の平面になり、白い霜が降ってくる。季節としては長いスパンだけれど、日本の秋の移ろいはそんなもんでしょう(偉そうに言いましたが)。
その前に1900生さまのコメントにもコスモスがありましたので、残り花というのではありませんが、同じなら秋らしく空が高い写真がええ、ということでひつこくもコスモスと高い空、欲張った風景を福知山線三田からお伝えします(あまり高くないかな。フロク!)。つ
いでに高い空ということでいつもの場所で恐縮でありますが拙宅の線路を挟んで反対側の田んぼから空を撮りました。バックの拙宅のある丘が写ってしまい愛嬌です。もっとワイドで接近すれば空が抜けるのでええのですが、田んぼへの進入許可をとってないので入れないことと、湿っているところに腹ばいにはなれません。この位で勘弁してや
ろうというところです。↓空(掲載)

 

さて、前回でお分かりのように拙宅の近所は周りが田んぼなので田んぼを入れた写真は山ほど、否、田んぼほど?撮れます。稲刈りを待つ田んぼを桃太郎が先を急ぎます。場所はススキで撮った所と同じです。雰囲気は違いますけどね。ここからは真昼間でもよく流しを撮ってしまいます。線路の反対側は鉄がよく居ます。1日2往復しかなくてもチャレンジしたくなる、そんな雰囲気です。桃

念のため、場所をマップに書いておきましょう。 続きを読む

秋を愛でるーススキの巻

KAWANAKAです。秋を愛でるの2弾は、ススキです。
考えてみれば、ススキのある鉄道風景は如何にも秋であるけど、まあ気がつけば写っているし、意識的に写すと言うものではないかもしれない。力が入った意欲的な写真も勿論多い。
しかし、ここでの写真はユルいけど、風情が感じらるものでありたい、それでええとまあ勝手に決めてしまったものである。ので、ガサガサと(デジタルでガサガサの音はカチャカチャとキーボードの音に変わったかもしれないが)探すことにした。小生は揺れ枕が不安定であるので、最近ロケには出ていない、それでお見せするのは賞味期限の切れた写真ばかりであるが、もともとニュース性を出さないので、ええことにしましょう。前回は僅かに1900生さまがそれなりの評価をされたので、ありがたく感謝し、頭(図)に乗ってススキの巻とします。

例によって拙宅の近所から。拙宅にこだわっているのは、わざわざ金を払い或いは油を焚いてCO2を増やして行くことはない、ここでも一級の景色ではないが秋の風情を味わえるではないか、という理由によります。
それで、先ずはススキの向こうから桃太郎EF210がこんにちはと出てくるところ。前回のコスモスを撮った場所と同じで角度を少し変えたもの。今度は2時間後、場所は同じで機関車の形式が違う。線路脇のススキが列車の風でユラッと揺れて、秋の雰囲気(と言いたいけどススキと上り線の間に下り線があってススキを揺らさずに通り抜けていく)。

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41年前の三江南線0番線と車窓風景

 三江線の廃止が検討されているということで、いま、デジ青で話題となっています。私の見る限り、朝日新聞や毎日新聞のネット版とNHKオンラインなどで報道されていました。NHKでは廃止されると本州で初めて100㎞を越える路線の廃線となると伝えています。

 さて、その三江線ですが「2年後に三江線廃止?」にコメントしたように私は41年前の1974年3月13日にまだ三江南線と言っていた頃、三次駅から口羽駅まで往復しました。この時もはっきり覚えていないのですが、三次で泊まったような気がします。そうしないと乗れなかったようです。いま、三江線乗車を考えてみるとどうしても沿線のどこかで泊まらないといけないようです。無理して宿泊なしにしても、どこかで夜行バスに乗る必要があります。以前であれば夜行列車があったのですが、今はないので夜行バスのお世話になる必要があるのです。

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2010年 大井川鉄道詣では 終焉を迎えた筈が 

1994年GW、就職した息子が配置された上尾に始めての訪問は、その帰途が2度目の大井川鉄道訪問となった。この年の5月下旬、所属していた海外鉄道研究会20周年行事が大井川鉄道中心に挙行されるにあたり、関西支部幹事の一員として下見を兼ねて立ち寄った。本心は白井さんに京阪特急の運転予定日を聞くことであったが、来年の「もみじシーズンには間に合わせたい」との返事を得た。この日は新金谷駅留置線で先に紹介した改造前の京阪特急を撮り、千頭往復を終えたSL急行が新金谷から回送され、C11を外したところをキャッチした。アンパンマン列車が走ったのは1998年で、2000年のJR四国より大井川の方が2年早い。

 

SL急行での運用者車のほんどはオハ35、47系である。

SL急行での運用車のほんどはオハ35、47系である。

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秋を愛でる

KAWANAKAです。

夏を休んでいたので久し振りの投稿です。夏の風物は色々あるのですが、そもそもロケする気力も体力もオマケに今年は脚力もないので予定とおりパスして秋に移りたいと思います。それで、秋を迎えるくらいにしようかと思ったのですが、彼岸花はきつくて群生していると列車が負けるとか勝手な理屈をつけてイヨイヨ秋という時点から秋を投稿しようと思います。例によってニュース性も話題性もまったくありません、がこれで季節を愛で(←「めで」です。字足らずであいして、ではありません)鉄道の醸し出す季節の雰囲気を感じることができれば、この国の四季はええなあ、となります。そうなれば成功。

という訳で、秋が秋らしくなるのは先ずコスモスが咲いてくる頃、になると思います。その後だんだん秋の色が深くなってススキになり紅葉、雪を迎えることになっていきます。夕暮れの景色もロマンチックやないでしょうかね。1回目はそのコスモスです。コスモスは列車の前面にワーッと咲いていてその向こうを列車がいると言うのが定番です。難点は季節が進むと同じ向きに茎が傾いて行き気が付けば野分のようにみえること、風が思わぬ方向から吹くと花の位置が変わってしまうということでしょうかね。例によって、小生軸重制限痛んでおりますので今年は出場できていません。それで昨年までのを中心にUPします。場所は拙宅の近所xαです。


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SL急行・かわね号、アプトをよじ登るせっそ号

電車の話に終始したのでは大井川鐡道元副社長・白井昭さんに申し訳ないので、少し宣伝させて頂く。このところ各地でSLブームとなっているが、その根端となったのは名古屋鉄道から大井川鐡道に派遣された白井昭さんのご努力の賜物である。その白井さんとの縁を作ってくれたのが京阪3000系特急車であった。3000系を追いかけている道中では蒸機牽引列車を無視していたわけでなく、随時カメラを向けていた。蒸機牽引旅客列車を復活運転させたのは1976(昭51)年夏だと伺った。国鉄が蒸気機関車の運転を終えたのは1975年12月で、山口線で不定期列車【山口号】を走らせたのが1979年8月と言うから大井川鐡道の方が早い。この時の苦労話はパソコンで【大井川鉄道の鉄道保存を顧みて・白井昭】を打ち込んでいただくと該当サイトに繋がる。

最初はこの位置で京阪特急を、と思っていたが、SL牽引列車の登場となった。

最初はこの位置で京阪特急を、と思っていたが、SL牽引列車の登場となった。

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