デキ1+デキ2 (43-4-6) 岳南江尾
HPを開けると飯田線119系に変わって、3月16日で運行を終了した岳南鉄道の電気機関車と貨物列車の名場面が表示されるようになった。
最後まで残った機関車は、元松本電鉄のED402、403、元上田温泉電軌→三河鉄道→名鉄のED501、休車の元豊川鉄道→国鉄のED291の4両である。製造年の新しいED402、403は工事用に残るかも知れないが、古いED501とED291は稼働する機会は少ないと思われるが、由緒ある機関車であり是非残していただきたい。
岳南鉄道に足跡を残した機関車を入線順に紹介する。但し、昭和24年11月、開業時に駿豆鉄道から譲り受けた元国鉄アプト式電機のED4012、ED4013と26年5月駿豆鉄道から譲り受けた木製電機デキ3は廃車時期が早く写真が無いため割愛した。
デキ1・2(形式デキ1)
昭和27年3月、国鉄から譲り受けた、昭和2年ドイツA.E.G社製のB型機。当初は宇部電気鉄道のデキ1、2として誕生し、宇部鉄道との合併により同社のデキ1、2、18年5月鉄道省に買収されたが車号は変わらなかった。44年9月架線電圧1500Ⅴ昇圧時に廃車となった。/上:(43-4-6) 岳南江尾、下:(44-8-30) 岳南富士岡
ED301(形式ED3000)
昭和28年帝国車両製の唯一の自社発注の新製機である。屋根の庇がデッキまで伸びた独特のスタイルであったが、出力が80KW×4と弱かったため、48年に廃車となった。当初はED3011を名乗っていたが、後日ED301に改番された。/(49-2-17) 岳南富士岡
ED291(形式ED29)
昭和34年、国鉄から譲り受けた。昭和2年日本車輌製(電気機器は東洋電機)で、飯田線豊橋~大海間の前身豊川鉄道デキ52として誕生。鉄道省買収後、27年の改番でED291となり、34年3月廃車となった。かなり以前から休車中であったが、昨年再塗装され、外観は綺麗になった。/上:(43-4-6) 比奈、下/(49-2-17 比奈)
ED321(形式ED32)
昭和35年国鉄から譲り受けた。昭和2年三菱電機製で、飯田線辰野~天竜峡間の前身伊那電気鉄道デキ10として誕生。鉄道省買収後、27年の改番でED321となり、35年廃車となった。昭和51年水害で岳南江尾に取り残されて以来、留置されたままであったが、63年10月廃車になり解体された。/(44-8-30) 比奈
ED311(形式ED31)
昭和42年3月、伊豆箱根鉄道から譲り受けた。書類上は昭和28年西武鉄道所沢工場製であるが、前歴を遡ると旧国鉄アプト式電機ED4011に辿り着く。22年伊豆箱根鉄道の前身の駿豆鉄道が譲り受け、28年西武鉄道所沢工場で大改造して、機器、台車を取り替え、普通のB-B型になり、アプト式時代の面影は僅かに車体に残るのみとなった。42年3月に入線したが、5年後の47年廃車になった。 /(43-4-6) 吉原
ED281(形式ED28)
昭和44年8月、小田急から譲り受けた。昭和5年川崎造船所製で元小田急101として作られ、東急合併後デキ1021に改番された。側面の丸窓が特徴で、戦前では吉野鉄道→近鉄デ51、52以外に例は無い。63年まで在籍したが、60年頃からは休車中であった。/上: (45-9-14) 西武鉄道所沢駅/西武所沢工場入場時、下:(60-8-11) 岳南富士岡
ED271(形式ED27)
昭和44年9月、国鉄から譲り受けた。昭和3年日立製作所製で元南武鉄道1000形(1001~1004)の1002号機として新製、昭和19年8月1日戦時買収により鉄道省になったが、車号はそのままであった。27年の改番でED34形(ED341~4)のED342となり、昭和31年の再改番でED27形(ED2711~14)のED2712となった。私鉄時代から引き続き南武線、青梅線で使用されていたが、昭和43年に11と12が廃車され、翌年12が岳南鉄道に譲渡された。国鉄時代に側面の乗務員室扉が埋め込まれ、正面の扉から出入りするようになっていたが再度復活した。48年に廃車となり、僅か4年の在籍であった。/上: (44-8-30) 国鉄から入線直後のED2712→ED271、下: (45-3-11) 吉原
ED501(形式ED50)
昭和45年3月名鉄から譲り受けた。昭和3年川崎造船所製で、貨物営業最終日まで現役で稼働していた。経歴は複雑で上田温泉電軌デロ301として新製。予想外に貨物が少なかったため15年三河鉄道に売却して同社のデキ501となり、昭和18年名鉄との合併により同社のデキ501となった。主に比奈駅の入れ替え、小運転に使用されていた。/上:パンタグラフ1個時代 (45-3-11) 、下:比奈 (49-2-17 比奈)
ED103(形式ED10)
昭和45年9月大井川鉄道から譲り受けた。昭和24年日立製作所製で、大井川鉄道電化時にE103として新製した。同時期のE101、E102が作られたが、こちらは三菱電機製であった。貨物量の減少により、岳南鉄道が譲り受け、本線貨物列車を牽いて活躍した。貨物量の減少により61年2月廃車になり、元の大井川鉄道に譲渡した。/上:大井川鉄道 E103 (43-4-6) 新金谷、下:
(49-2-17) 岳南富士岡
ED402、ED403
昭和47年1月に入線した元松本電鉄のED402、403で、東京電力の梓川3ダム(奈川渡、水殿、稲核の各ダム)建設工事の資材輸送用として、402が40年10月、403が41年5月日本車両で作られた。ダム建設の主体となるセメントは、八高線高麗川駅の日本セメント埼玉工場から出荷され、D51の重連で八王子まで行き、EF64の重連で南松本へ、南松本からは再度D51で南松本~松本~渚まで行き、ここで松本電鉄ED40にバトンタッチされ赤松(現在の新島々)行き、トラックに積み替えられ建設工事現場に運ばれた。ダム建設工事が終了すると、仕事がなくなり岳南入りして貨物列車の主力として活躍した。上: 松本電鉄時代 (45-3-18) 森口、下: (60-8-11) 比奈
【借入車】
44年8月30日に訪れた時、名鉄デキ401が入線していた。架線電圧1500V昇圧時に改造工事で一時的に機関車不足になるため、名鉄から借り入れたものと思われる。
名鉄デキ401は昭和5年日本車輌製(機器はウェスチングハウス)で現在も健在でバラスト輸送に使用されている。/ (44-8-30) 岳南富士岡
岳南鉄道は営業収入の中に占める貨物輸送により収入のウエイトが高かったため、地元富士市では早くも廃止問題が話題に上がってきたようである。営業距離が9.2㎞と短く、沿線に目ぼしい観光地があるわけでもないが、今後とも地元の足として頑張っていただき、最悪の事態にならないように祈る次第である。