【5060】1954年3月 北陸から長野、三重 その4


松本電鉄ハニフ1 国電の始祖とされ現在大宮の鉄道博物館で復元展示

先回が10月14日のアップだから、半月空いてしまったが、その4を続けさせて頂く。

ともかく寒かった長野でのステホは、高校生たる小生に、断固寝袋装備=そのためのアルバイトを決断させたが、その活用は1年後になる。3人はいかに少ない出費で空腹を満たすか談合し、味覚や栄養等を一切無視すれば、食パンが最もコストパフォーマンスに優れることで合意成立。1本を求めて1人が裸のまま小脇に抱え(袋に入れる習慣はまだなく、古新聞で包むのがせいぜい)、篠ノ井線列車で松本へ。先頭の木製客車に乗ったら、これが行商人専用車で、これから稼ぎに行く「ガンガン部隊」=元気で実にたくましい、モンペに地下足袋姿のおばさん・婆さんの意気盛んな一団が、お喋りと情報交換に精を出していて圧倒される。小さくなった3人は無言で食パンをちぎっては食べ、ちぎっては食べ。物理的に腹は満たされるが、バターもジャムもなく、空腹でも正直すこぶるを通り越した、実に不味いパンだった。おばさんの1人が、食パンのみをひたすら食べ続ける若者3人を見かね、確か塩コブか何かをくれたと記憶する。

松本ではまず松本電鉄新村へ。庫内に納まっているハニフ1がお目当てだったが、連結器が外してある。聞けば撮影にやってくる人が庫外に引き出しをせがむのがうるさくて、とのこと。致し方なくそのまま撮影。この車両はその後も保管され続け、半世紀後やっとJR東が引取って修復し、現在は大宮の鉄道博物館にある。

甲武鉄道が買収で鉄道院に引き継がれ、中央線で働いた後客車として佐久鉄道や三河鉄道、信濃鉄道に散っていった2軸電車の成れの果て。このハニフ1は信濃鉄道から1922年松本電鉄にやってきた2両のうちの1両で、甲武ハ9→院デ968→信濃ロハフ1が経歴である。電動車としては自重10.9t、45馬力×2、定員53(内座席32)人だった。写真の反対側妻には出窓様の運転手用窓(ベスチュビユールというのが一般的だが、これは日本での実務家・ファン独特の表現らしい)が残っている。車体は甲武鉄道飯田町工場製である。


松本電鉄デワ2 新村

デワ2は天野工場1918年製、伊那電気鉄道からの購入である。屋根の両端はかつては丸かったらしいが、改造でいかにも貨車、といわんばかりである。


松本電鉄クハ16

クハ16は国鉄クハ29013の購入で、信濃鉄道買収車モハ20003の電装解除・制御車化したもの。諸兄モハ20系というと、ビジネス特急「こだま」の一統か、あるいは阪和電鉄買収車を思い浮かべる方が多いと思うが、初代の20台は信濃鉄道買収車だったのである。

その後大糸南線を「ひと覗き」し北松本区へ。上記松本電鉄クハ16の仲間が一山、元気に働いていた。モハ20、モハユニ21、クハ29が買収後の型式だったが、1953年改番でモハ1100、モハユニ3100、クハ5100の型式になっている。モハユニ3100は後電装を解き、クハユニ7100に。


国鉄クハ5101 北松本

国鉄モハ1101 北松本
国鉄モハユニ3100+モハ1102+クハ5101 松本 1954.3.25 3型式全部が揃った編成 パンタはPS13に変っているが、原型を良く残す

なお前回コメントを2件忘れていた。どちらも北陸鉄道金沢市内線で、2003の方は、画面右側の鄙びた商家にパチンコの看板がある。この当時派手な看板のパチンコ屋もないではなかったが、大方はかような「質実剛健」ぶりで、出玉はオール15(それでも10から15になっていた)だった。勿論玉は自分の手で挿入し、自分で弾くのである。台の後ろには人間1人が通れる隙間があり、アウト玉を人力で台上部に戻していた。それを積み過ぎると台が傾いて玉が当り穴に入りにくくなるそうで、「コラッ、アウト下ろせ」と怒鳴ると、中から「空打ちせんといて!」とやり返す風景が至極当たり前に展開していた(とのことである)。

次の2103の写真も右端に「帰国の皆様 お待ちしていました」との垂れ幕がある。1954年にもなれば、外地からの旧軍人引き上げ(帰国)はほぼ終わっており、残るのはソ連シベリア抑留者であった。日本敗戦のどさくさに、60万人といわれる軍人、民間人をシベリアに抑留し続け、過酷な労働と気候で6万人が死んだ。

これはロシア革命の際、列強各国がチェコ兵救出を名目にシベリアに出兵し、我国も参加。要は露骨な革命干渉だったのだが、わが国も1919~1925年の間に死傷者5,000人、戦費9億円を費やしながら、何一つ得るものはなかった、というのが「シベリア出兵」である。

我国の「シベリア出兵」を深く怨んだスターリンが、四半世紀後その報復に60万人を抑留した、とされている。「岸壁の母」もそうだが、舞鶴港にも、かなり遅くまでシベリア帰りの復員船が到達していた。その名残を伝える垂れ幕なのである。           


【5031】43年前の美祢線と大嶺線(1)

 デジタル青信号読者のみなさん、お久しぶりです。
 893-2さん、美祢線の写真をありがとうございます。お陰さまで刺激を受け、43年前を思い出し、投稿しました。小生のホームページに美祢線も掲載予定で、枠を設定しているのですが、現在は東北地方を作成中、それも最近は進捗ままならずの状態、中国地方にとどくのは一体いつ頃か皆目見当もつかない状況です。
 でも、タイムリーなことも必要かと、先にデジタル青信号に投稿することにしました。ご覧ください。

 撮影は、1966(昭和41)年 8月14日、43年前でした。フィルムは TRI-X と AGFA です。

  夏の朝6時前に厚保(あつ)駅から、松ヶ瀬信号所方向に徒歩で南下。線路と厚狭川と細い道路が一体で、奥畑地区まで約1km続く。奥畑に到着した頃、川面の霧がようやく晴れ、早速オール・セキの石灰石輸送列車が通過して行きました。
 先の貨物と、松ヶ瀬信号所で交換した、空車のやはりオール・セキ車、美祢行きが通過。早朝ゆえに蒸気が白い。D51のバック運転です。 
空車の轟音が耳をつんざくばかり。線路脇の狭い空間から風圧で飛ばされそう。       

 約30分後、やはりセキの一辺倒。空は曇り空、熱くなくて助かるがやはり青色でないと。   

 先の貨物と厚保駅で交換した、上り客車。長門市発です。美祢線の客車列車はたったの1往復しかありません。下り列車は夕方6時以降の運行、夏でも撮影は困難でしょう。

 間髪をいれずに、セキと無蓋・有蓋車の混合編成が通過。

ここで、厚保駅方向に戻る。見下ろせる高台を登ったり降りたり。厚狭川と山に挟まれた狭い空間に線路があり、なかなか広く見渡せるところが無い。二つのトンネルに挟まれた鉄橋で撮る。

 厚保駅手前、左のトンネルを越えるとすぐに駅。

駅手前で下り貨物を。  

厚保駅に戻る。藁ぶきの大きな屋根の民家が右に見える。

 戻ったのが丁度13時。この間の7時間で撮影した貨物は上下16本でした。なにしろ6時から18時までの12時間で30数本のセキ・ホキ貨物が通過する幹線です。少し見難いのですが、中国支社昭和41年10月1日改正、41年3月25日補訂のダイヤを掲載します。上下二段に編集ししています。拡大してご覧ください。 

 厚保から、729Dで南大嶺へ、さらに633レで大嶺に向かいました。次回は大嶺駅構内や、ボタ山の写真などをご覧ください。


【4967】DD91の取扱説明書

中学校時代 亀岡から通学していた友人が 時々遅刻するので理由を聞くと DD91が故障して列車が遅れたとのこと。DD91はC57と重連で運用されていたような印象があります。ところでこのDD91の取扱説明書の表紙をお目にかけます。残念ながら表紙しかなく、中身は持ち合わせていません。


【4952】飛鳥山公園モノレール

7月17日(金曜日)JR京浜東北線王子駅近くの飛鳥山山麓と山頂を結ぶモノレールが運行を開始した。

飛鳥山公園は八代将軍徳川吉宗が享保の改革の一環として桜を1270本植え、江戸の花見の名所とした所である。当時、上野公園等他の桜の名所で禁止されていた「酒宴」が容認されていたこともあり大いに賑わったといわれている。現在も桜の名所として多くの人が訪れ、桜と都電を撮影する人も多い。私も会社帰りに夜桜と都電の撮影を試みたが、露出不足で失敗した。

最寄駅はJR京浜東北線、東京メトロ南北線の王子駅か都電荒川線の飛鳥山停留所であるが、王子駅から歩くと公園が山頂付近にあるため急な階段を登ることになり、高齢者や小さな子供連れの人は大変であった。これらの人も気軽に公園を訪れることができるように東京都北区が国交省の「まちづくり交付金」を活用してモノレールが設置した。ちなみに飛鳥山電停からは階段少し上がるだけであるが、都電は王子駅前を出てJRのガードを潜ると急勾配で飛鳥山に向かう。

モノレールの概要は次の通りである。

(1) 運行者  東京都北区

(2) 形 式  自走式モノレール

(3) 延 長  レール延長48m(傾斜角度24度)

(4) 車両定員 16人乗(座席6人・立席10人)

(5) 走行区間 飛鳥山公園入り口~飛鳥山山頂

(6) 走行速度 30m/分(片道所要時間2分)

(7) 標高差  17.4m

(8) 運行方法 無人運転(押しボタン運転方式)

(9) 運転時間 10時~16時、第1木曜日10時~12時は点検のため運休。

(10)運 賃  無料

(11)メーカー 嘉穂製作所

(12)その他  防犯カメラ車内1基、乗り場2基設置。車いす、ベビーカーも利用可。乗り場にホームドア設置。

メーカーの嘉穂製作所は、7月24日投稿【3734】「1080見学記」で書いた、「1080号機のオーナー企業であった日鉄鉱業」の関連会社で、特殊モノレールのメーカーとして国内外で約150基の納入実績がある。五能線深浦駅近くの「ウエスパ椿山」、北九州市皿倉山展望台、天橋立ビューランド等は比較的有名で、国内のみならず韓国にも相当数が納入されている。

社名の「嘉穂」は本社所在地「福岡県嘉穂郡」から命名されたが、平成18年3月26日飯塚市との合併で消えてしまった。現在の住所は飯塚市大分567番地で、「大分」は「おおいた」ではなく「だいぶ」と読む。場所は篠栗線の筑前大分駅と筑豊本線の上穂波駅のほぼ中間地点である。「上穂波」といえば我々の年代の方にとっては懐かしい駅名ではないだろうか。

飛鳥山公園内には、D51853とかつて荒川線を走っていた6000形6080が保存されており、荒川線の撮影に来られた際には、これらの見学と併せてモノレールにもご乗車いただきたいと思う。

 

飛鳥山公園入り口駅と運転中のモノレール/全長僅か48mのため山頂駅が見えている。

営業案内

 都電を見下ろしながら登ってくるモノレール

間もなく山頂駅に到着

 

山頂駅に到着

 

公園入り口駅に比べるとシンプルな山頂駅

 

標高25.4mの飛鳥山山頂

 

都電6080

 

荒川線で現役時代の6080

 

D51853/角型ドームの戦時形D51であるが、都電共々ここまでの運搬はさぞ大変であったと思われる。


【4945】教えて!なんでも探偵団(その2)

藤本先生、解説をありがとうございます。

少しずつ思い出しております。年代は間違えてないようでした。ただ時間に関しては記憶と誤差があります。ご覧のように西を向いている機関車の正面からの光線ですから午後、それも記憶では16時頃だったように思います。ご高察をお願いします。


【4940】教えて!なんでも探偵団(その2)

古い写真を整理していたらこんなモンが出てきよりました。

これはなんでっしゃろ?撮ったのは昭和も華やかなりし頃、そうや37、8年の初秋やったと思います。どなたかご存じでしたら教えてやっとくれやす。

福知山機関区の所属になっていた。

DD911 福知山機関区の所属になっていた。

京都駅山陰線ホーム機回し線

 


【4885】秋の中国一人旅 Paet10 鉄媒鉱務局 調兵山へ

9月25日 第9日目
今日も、モーニングコールより早く、4時に起きました。外はまだ真っ暗です。バスタブにゆっくりと浸かって、全身を目覚めさせました。

5:00に大明へ向けての、回送列車の始発があります。列車番号は、Hを頭につけたH111です。夜間撮影を試みましたが、前照灯が明るすぎて、ハレーションを起こしました。失敗です。真っ暗の中、出発していきました。

H111が出発後の静かなホーム

ようやく、薄明るくなりかけた、5:32に王千に向けての、YS1772牽引の、PC5両の回送列車H211。出発直前まで連結せず、入念な検査を続けていました。

構内では、YS1771号機が、発車準備の待機中でした。
構内撮影を撮り終えてから、駅前でタクシーに乗り、朝日が昇る風景の中、走行する列車を撮るのに最も素晴らしい、王千駅後方の山からの撮影場所を目指しました。しかし、街を出ると、辺り一面、濃霧です。昨日夕刻からの天候は、回復していません。仕方なく、王千手前で、霧の中での撮影になりました。

6:16、王千駅を出発する202列車。構内に転車台がないので、バック運転です。

その後、この202列車を追走し、大隆手前の築堤で、ボタ山バックでの撮影を試みましたが、ご覧のとおり、濃霧は晴れずじまいでした。

天候には、勝てません。遠景からの撮影は、諦めて、朝の3本の列車が発着する、三家子駅で、発車風景を撮る以外方法はありませんでした。しかし、SL3編成が揃う、朝の三家子駅は、鉄道マニアには、堪えきれない喜びで、一杯にさせてくれました。


約10分間、この光景が続きます。そして、1本、1本と汽笛を鳴らし、ドレインを吹き上げて出発していきます。各列車は、3方向に向かうので、出発してからも、いろんな方向から、汽笛が鳴り響いてくるのを、聞くことができます。

贅沢かも知れませんが、天気が良ければ、気温が低ければ、もっと、最高だったでしょうね。しかし、霧で遅れ始めたので、最後の列車が出るまで、いつもより長く、約30分間も、至福の時を楽しめました。


感激の余韻を味わっている時、暁南からでしょうか、東風5B-0039が単機で来ました。側線に入線して、そのまま止まりました。

次いで、三家子駅構内奥に休車状態で、置いてあると、思っていたゲテモノ編成が、動き出しました。

その後、ロケハンのため会譲駅を視察して、大明からの104列車が撮れる暁明付近に向かいました。

まずやってきたのは、東風4型7720単機です。少し霧が晴れてきたと、思いましたが・・・・。

反対側から、ゲテモノ編成が大明に向かって行きました。ここは、単線ですので、104列車が遅れることは間違いありません。


また、霧が流れ出し、約15分遅れで、YS1770牽引の104列車がきました。

会譲駅に戻ると、昨日単行運転を見た業務用DCが、クレーン車を連結して通過しました。まあ、飽きることなく、いろいろな車両を見せてくれます。側線で待機中は、東風5B-0038牽引のセメント列車です。何と、1車83トンを30両も連結しています。上遊型全盛期は、すごかったでしょうね。
ようやく、15分遅れで、大青からの308列車が到着したかと思ったら、反対側から、羊を連れたおじさんがやってきました。駅構内は、生活道路だけでなく、放牧地でもあります。線路に座って、草を食べるのを待っています。

長編成のセメント列車が、ゆっくりと発車した後、放牧おじさんも羊たちを連れて、線路中央を駅に向かって行きました。結局、YS1772牽引の304列車は、25分遅れの発車となりました。

5分後には、東風5B-0052牽引の8両編成石炭列車が、追走していきました。

早朝から、調兵山→王千→大隆→三家子→会譲→暁明→会譲と、次々に撮影場所を移動し、撮りまくりましたが、運転者は、嫌な顔せず、むしろ協力的に、運転を続けてくれました。調兵山では、数多くのタクシーに乗車しましたが、彼が1番、道を知っていて、間違えなく、そして早く安全に、希望地まで行ってくれました。

何時から、運転しているのか聞くと、朝5時から、夕方5時までで、その後は、別の運転手に代わるといいます。一日の収入はと聞くと、300元と返事が返ってきました。即刻、チャーターを申し入れて、街に戻ったら、ホテルでしばらく休憩するが、昼には、電話をするので、ホテルまで来て欲しいとお願いしましたら、快く受けて下さいました。

見知らぬ土地で、地理を熟知したパートナーは、必要不可欠です。もし、皆様が調兵山での撮影をされる時は、彼に電話してあげて下さい。機動性は保障します。名前は、王強(ワン・ジァン)さん、携帯番号は、13591091498です。日本人で9月にSLを撮影に来た人からの紹介と言えば、熱烈歓迎してくれます。

ホテルに戻り、荷物を置いてから、繁華街を散歩すると、屋台が並んでいます。今日は、朝から何も食べていません。土地の、珍しい美味しい物を食するには、屋台が1番です。あちこちと、食べ歩きました。
お腹も膨れたので、昼からの撮影を控えて、部屋でしばしの休憩。窓から見ると、風が出てきたのか、霧も消えて、晴れてきました。

宿泊した宝平國際酒店の宿泊料は、128元(1664円)、瀋陽のホテルの3分の1です。SL撮影料を支払う、駅2階の旅行社で、予約できます。駅前で近いし、部屋もまずまずです。次からは、ここにしようと思いました。

昼からの撮影は、いつもと同様に、大明発12:58から始めます。


大明駅にて

霧もすっかり晴れて、晴天です。逆光ですが、ようやく遠くからの、撮影ができるようになりました。のんびりと、トウモロコシ畑の築堤を行く106列車。大明~三井間。

次に、三家子~無名駅へ向かいましたが、途中、人身交通事故発生で、救急車が来る間、大渋滞にあいました。生々しい現場を見ながら、運転手に安全運転してくださいと言わずにおられませんでした。

遅れましたので、撮影予定場所を変更して、三家子方面に向かいました。今回のみ、私が誘導しました。前日、徒歩での撮影が役にたちました。線路と交差する踏切で待ってもらい、徒歩で、三家子から調兵山へ向かう、登りカーブで待ち受けます。踏切が近くにあるので、列車が来るのが、警報機音で分ります。列車も警笛を鳴らしますので、撮影準備もできて、格好の場所です。

YS1771牽引、大明からの106列車。

YS1770牽引、暁南からの206列車。

調兵山方向に戻り、ここで、3本を待ちますが、踏切にいた工夫員が、小青機関区発の単機の回送が来ると言います。勿論、旅行社でもらった時刻表や、駅に表示してある時刻表には、記載ありません。これは、いい事を聞きました。

通常なら小青機関区を13:30に出て、調兵山には、14時頃に着くらしいです。逆走ですが、テンダ車に乗っている職員から手が振られました。これは、一度乗ってみたい、特等席ですね。

この調兵山~三家子間は、Paer9の早朝撮影で、ご紹介した場所ですが、折角天気もよくなったので、午後からの光線具合も見てみたかったので、同じシーンですが、撮ってみました。今日は、帰りのバスダイヤが分らないので、無理ですが、夕焼けが綺麗な時は、素晴らしい写真が撮れるのではないかと、期待している場所です。

最初にやってきたのは、東風5B-0039牽引のわずか2両の石炭列車でした。ひょっとしたら、調兵山駅のSL用石炭置き場に、降ろしてきたのではと、勝手に思いました。

調兵山14:26発、大青行きの309列車 牽引員機は、先ほど回送されたYS1772
14:39発の大明行き105列車、YS1771牽引

14:51発の王千行きの205列車、YS1770牽引 

これから行く先は、朝霧で撮影を逸した、王千の丘陵地帯でのリベンジです。

まずは、途中で追い越し、ボタ山バックの撮影としました。

予定通りです。これから線路沿いを並走して、橋南駅。そして、折返し逆走行となる暁南近辺を目指しました。

ところが、交通事故で、今日2回目の大渋滞に遭遇です。20トン以上の石炭を積んだ大型トラックが、列をなして、数10台も止まっています。舗装されたまともな道は、この道路しかありません。運転手は、降りて、先を見に行きますが、横転していると言います。

折角の好天になったというのに、どうしようもありません。近辺の家に行って、迂回路を聞いています。見つかった道は、農道に毛の生えたような未舗装の凸凹道、おまけに石がゴロゴロしています。日本では、林道も通った経験がありますが、、これ以上無いような悪路です。

車が壊れるから、引き返そうかと、提案しましたが、意地でも走るとの言い方が返ってきました。後は、運転手の判断です。任せるしかありません。歩くスピードで、突破しました。

結局、大きく迂回して、王千駅近くまでは、たどり着きました。そして、線路際まで来た時に、汽笛が聞こえてきました。残念ながら、撮影には、絶好の光景が、広がる場所でしたが、駅手前でしか、撮れませんでした。

まだ、この路線のSLが消える事は、当分ありません。自分が元気なうちは、何度かは来る事ができます。次回に、楽しみは、とっておくことにしました。

運転手の勤務時間も近づきました。今日は、夕焼けが綺麗そうな夕刻でしたが、早朝から、よく頑張れたと、80%が1番の気持ちで、バスターミナルに向かいました。


【4849】西武トレインフェステバル2009in横瀬・秩父鉄道見学記

10月4日(日曜日)西武鉄道秩父線横瀬車両基地で「西武トレインフェステバル2009in横瀬」が開催され、昨年に続いて見学した。年に1度だけ横瀬車両基地に保存されている機関車を屋外で見学できるチャンスで、1度見れば良いというものではなく、良いものは何度見ても良い。機関車の並びは毎年変わり、昨年停車位置が悪かった車両が撮影できるチャンスでもある。今年は西武秩父線40周年ということで、西武秩父駅を第2会場としてE34+E32+E31を中線に展示し、旧塗装に復元したクモハ271-クモハ272の2連を横瀬~西武秩父間の臨時電車として9往復半運転された。昨年は初めての見学でもあり、見学・撮影に3時間以上費やしたが、今年は1時間半位にして秩父鉄道に行くことにした。

朝から国分寺まで出かける用事があり、会場には予定より少し遅れて10時40分頃到着した。途中武蔵丘信号所で「銀河鉄道999」のラッピング車と交換し、次の飯能発西武秩父行に充当されるので撮影することにした。会場では元特急車クハ5504が10000系、4000系、本日運転された臨時快速急行の241F+243F編成と並べられて展示されていた。構内は大変な賑わいで、子供や孫をデッキに乗せて撮影する人が多く中々撮影できない。E61のデッキで長電話をするおやじまで現れ、さすがにこれには撮影者の一人が降りてもらうよう頼みに行った。但し、12時前後の撮影タイム以外はデッキに上がってもかまわない。途中で先程のラッピング車を撮影のために駅に戻ったりしたが、時間が経つのを忘れてしまい、秩父鉄道の蒸機列車の撮影に間に合う電車に乗り遅れてしまった。臨電で西武秩父に行き、中線に停められていたE34+E32+E31を撮影した。

西武秩父線車両の並び

 かつての特急「レッドアロー号」クハ5505

ED102/昨年は停車位置がやや悪かったが今年は広い場所で撮影できた。国鉄時代の塗装と車号に戻されているが、個人的には西武時代のままでもよかったと思う。他の電機は旧掲示板【617】を参照いただきたい。

 

モハ505/昭和29年西武所沢工場製の17m車である。その後クモハ355に改番され、平成2年多摩湖線を最後に廃車された。旧車号、旧塗装に戻されて保存されている。昨年は停車位置が悪く全姿が撮影できなかった。この場所は架線がないためパンタを上げられないのが残念である。

 

モハ505の台車

「銀河鉄道999」のラッピング車で、上からクハ3011、クハ3012、モハ3211、モハ3212

 

横瀬~西武秩父間の臨時電車/クモハ272+クモハ271

 

クモハ271とE34の並び

 

E32+E31+E34

秩父鉄道お花畑駅に行き、12時30分発の電車を待っていると、入線時の塗装に変更後、昨日から営業運転を開始したばかりの1007編成が来た。途中浦山口と武州日野で上り電車と交換し、三峰口に13時3分に到着した。5月4日に準特急氏、ロギング太郎氏、シグマ太郎氏、デカンショまつり号氏とご一緒した時と同じ時間帯の電車である。三峰口到着後、乗客が降りるとすぐに留置線に引き上げ、蒸機列車と西武の4000系に挟まれた位置に停められてしまった。蒸機列車を白久で撮影後、再度三峰口に戻れば撮影できるので、上り電車に乗り白久で下車。場所探しが面倒なのと曇天のため、5月4日と同様、駅から徒歩30秒の所で撮影したが、線路脇の草は綺麗に刈られていた。三峰口には先程蒸機列車が停車していた3番線に到着したため、またしても撮影は不可能であったが、今回は天候が良くないので蒸機諦め、14時56分発羽生行で出庫する1007編成を撮影することにした。撮影後15時2分発西武4000系の池袋行快速急行で帰途に就いた。横瀬車両基地ではD16が展示車両を庫内に入れる作業をしており、来年も是非見学したいと思った。秩父鉄道は旧塗装に変更した1002編成こそ撮れなかったが、1007編成が撮れたので大満足であった。

 

ターンテーブルを出るC58363/ターンテーブルの周りには柵があり、方向転換を見学することが可能である。

 

白久駅徒歩30秒の踏切/線路際の雑草は綺麗に刈られていた。

 

下り向き先頭デハはダブルパンタになりイメージが変わったが、上り向きクハは原形のイメージに近い。中間車は冷房改造されていないので原形のままである。上からクハ1211+デハ1111+デハ1011 ・ クハ1201+デハ1101+デハ1001 ・ デハ1101

 

 西武クハ4011とデハ1007の並び

 

入換中の1007編成


【4796】秋の中国一人旅 Part9 再び、鉄媒鉱務局 調兵山へ

9月24日 第8日目
旅も終わりに近づくと、ようやく緊張感が出てきました。遅すぎた感がありますが、5時のモーニングコールよりも早く起きられました。2日後に同じホテルに宿泊しますので、荷物は預けて、最小限の荷物を持って、チェックアウトしました。

6時30分発、調兵山行きのバスは、発車を待っていましたので、急いで、屋台の朝食を買い込んで、乗車しました。さすが、この時間に渋滞はありません。運賃は、25元(325円)、タクシーの10分の1以下です。

この中型バスですが、最後部右座席前の席が、撤去してあり、広々とした特等席があります。乗車される方は、お薦めします。8:10には、調兵山駅から少し離れた、長距離バスターミナルに着きました。所要時間1時間40分です。

嶺と同様タイプの、綺麗な調兵山バスターミナルです。

宿泊した駅前ホテルの部屋から見た調兵山駅です。地平線には、ボタ山も見えます。


この時間ですと、大明・王千・大青から到着する列車3本を撮れます。タクシーで、駅に向かいました。まず、駅2階の旅行社で、2日分の撮影料を支払い、許可証を受け取りました。

天気も上々です。今日は、調兵山から、出きる限り徒歩で行こうと、線路沿いを歩き始めました。

まず、やってきたのは、YS1770牽引の、大明から8:34着の104列車。


続いて、バック運転ながら、YS1771牽引の、王千から8:45着の204列車。日本では、こんな場所からの撮影は、今はできません。ここでは、線路=生活道路でもあります。機関手も慣れたもので、手を振ってくれます。気持ちよく撮影できるのが、鉄媒鉱務局線のいいところです。ただ、遅れたり、ダイヤの分らない貨物や業務車両も走行していますので、十分な注意が必要です。

この後、調兵山~三家子間にホームもあり、全列車停車するのに駅無の無い駅に着くと、撫順炭鉱線で見たのと同じような業務用DCが走行してきました。

大青からの308列車は、東風4型7721が、5両のPCを牽引してきました。

一服後は、調兵山から、大明・王千へ向けて、走ってくるのを待ち受けます。朝のこの区間は、直線で、やや斜めからの順光で、バッチリですが、今日は、天気は良すぎて、温度が高く、SLは出発後には、直ぐに力行を止めてしまいますので、肝心の煙が出ません。やはり、冬場が良さそうです。

調兵山~三家子間の無名駅を出発する、YS1770牽引の、王千行きの203列車


次発のYS1771牽引の、大明行きの103列車

調兵山駅にも近いお薦め撮影地です。約3キロ、徒歩で40分程度です。邪魔もにもなく、直線が続いています。



その後、三家子から大隆まで2キロを歩きました。大隆では、東風5B型0039牽引の石炭貨物がいました。客車列車だけでなく、DL牽引ですが貨物列車も結構走行しています。

ここで、一旦、バスで調兵山に戻り、ホテルにチェックイン後、余分な荷物を置いて、しばし、休憩しました。昼食後にタクシーで、暁南駅に向かい、13:22発車の206列車を狙いました。

ここでは、朝に大青から308列車を牽引していた東風4型7721が、単行で来ていて、206列車の10分前に発車しました。 


この7721号機は、大隆から14:45に橋南を通過して、暁南に戻りました。そして、15:40に15両の石炭貨物を牽引して、橋南から大隆へと向かいましたので、多分、大隆からは、渡り線を圣由して、中国鉄路の大青操作場へと行ったと想像できます。

これが、この機関車の運用なら、もし308列車が、SLの場合、貨物牽引も有りかも知れません。もう少し、機関車の運用を調べる必要が、ありそうです。


暁南駅を発車して、築堤を行く、YS1770牽引の206列車


この後、線路沿いを橋南駅方面に約4キロを歩きました。途中で、朝見た業務用のDC1両が走ってきたので、トウモロコシ畑の中を走行するシーンをおさめました。


ボタ山をバックに撮りたかったのですが、この頃より、雲天模様となり、霞がかってきました。夕焼けの中を走行するシーンも、期待できなくなっていました。
仕方なく、ホームの無い橋南駅で、17:20発の調兵山行き208列車を待ちました。

17:36三家子で下車。28分間停車です。大明からの列車が、着いているはずでしたが、遅れていました。この時間は、調兵山から大青行きの列車も三家子駅に着きます。列車が、3本も停車する、夕刻のゴールデンタイムです。しかし、刻々と夕闇が近づいてきます。調兵山の日没は早いのです。

三家子~調兵山間の無名駅での発車も撮ってみたかったので、先に発車売る列車に乗換えて、向かいました。しかし、夜間撮影を試みましたが、デジカメでは初めてです。3列車を撮りましたが、停車時間も短く、お見せできるような写真は、撮れませんでした。未熟です。



闇世の中を調兵山駅に向かって歩き、ここで、夜間撮影の練習に励みました。帰国したら、福田大先生に教授してもらわないといけません。

明朝も、撮影チャンスは、たくさんあります。今日は、歩きまくって疲れました。明日は、タクシーをチャーターして、ピックアップした撮影地と、撮影時刻を再確認して、早めの睡眠としました。