2018年 日本海の春爛漫 Part6 木次線も寄って撮る

第4日目 4月1日 その2

① 潮温泉9:27⇒12:35三次駅
② 三次13:16⇒13:53道の駅「たかの」14:09⇒撮影地②⇒15:23撮影地①
③ 撮影地①16:10⇒撮影地②17:20⇒18:59鳥取東横イン

▲ 15:00 三次から松江自動車道を走る中で不銹鋼號さんより木次線も撮ってみたいなあと要望が出ました。木次線は昨年末と一昨年5月の新緑時に西村君と訪問しましたがスイッチバックの出雲坂根駅中心で木次周辺ではまだ撮った事がありません。今回はチャンスと思いました。調べていくと今日はトロッコ列車「奥出雲おろち号」が運行されています。時間も備後落合から木次へと下りてくる列車にピッタリと会えます。
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 いとしのDD51 -4-

お召列車を初めて牽引

つぎのDD51は、お召列車を牽いたDD51について触れてみます。これもちょうど50年前ですが、1968年(昭和43年)9月、北海道にお召列車が走りました。この年は、「北海道」と命名されてから百周年に当たり、札幌での記念祝典も含めた行幸に伴い、各線区でお召列車が運転されました。北海道ではまだ小樽~岩見沢が電化しているだけで、すべてDLが牽引しました。うち函館本線・千歳線・石北本線で牽いたのがDD51でした。これが、DD51にとっては最初のお召牽引となり、1号機新製後、7年目にしての栄誉となりました。
旭川~新旭川を行くDD51548〔旭〕牽引、旭川発上川行きのお召列車。以後、同機が単機でお召牽引に当たった(昭和43年9月3日)。

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ありがとう三江線 Part5 廃線1日目、三江線(口羽~長谷)の廃止駅訪問

第4日目 4月1日 その1

静かな朝を迎えました。連泊したバカンスハウスの近くに鉄路はありますが、今日からはもう走行音を聞くことはありません。昨日まで鉄ちゃんたちが群がっていた線路横の道路には人影はなく時折通る自動車のタイヤ音しか聞こえてきません。

8:00 コテージから大和荘へ行って朝食をとりながら地元紙朝刊を見ますと三江線廃線の記事で埋め尽くされています。朝のTVニュースも昨日の騒動をトップニュースで伝えていました。

9:27 宿泊した大和荘は新しく建て替えるために5月でいったん閉鎖されるそうです。リニューアルオープンするのは2年後になるそうですので支配人と再会できるのはその後です。今度は廃線跡がどうなったかを見に来ますと、言い残して大和荘を後にしました。
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 50年前の撮影地を歩く -25-

八瀬駅の今むかし

今からちょうど50年前の1968年(昭和43年)4月9日は土曜日でした。大学に入学した私は、入学時の手続きを終えて、キャンパスのオリエンテーションで、鉄道同好会の出店を見つけ、待望の鉄道同好会の一員となることができました。50年にわたって鉄道趣味を通じた交流の輪が続く原点となったことを思えば、私にとっては記念すべき一日でした。土曜日のため、午後からは用事がなく、入学早々にカメラ持参で来ていた私は、京福電鉄の出町柳駅から、終点の八瀬遊園へ向かいました。
現在の出町柳駅、ホームで待ち受ける人たちのカメラの放列のなか、デビューしたばかりの「ひえい」が到着した。先ごろ、全国ニュースでも紹介された「ひえい」のデビューだが、この眼で見るのは初めてだった。

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三江線口羽延伸時の写真に寄せて

三江線廃止から1週間となりました。最後はやはり大層な賑わいだったようで、TVのニュースでもよく見かけました。もう現地は静かになっていることでしょう。先日、人間国宝様撮影の貴重な口羽延伸開業時の写真を特派員様よりご披露(95174)いただき、興味深く拝見しました。これに応えて昨年夏に訪問した際の口羽の写真を紹介させていだきます。

三次から上り始発に乗れば、口羽で下り始発と交換、さらに30分近い停車時間があるのでゆったりと駅で過ごせます。

人間国宝様撮影の5点目と同じ建物をバックに口羽を後に三次へ向かう421D  建物は西念寺という寺院のようです。 続きを読む

 いとしのDD51 -3-

優等列車を牽引する

DD51が最も似合っていたのは、やはり長編成の急行・特急列車を牽く姿でしょう。本欄でも、米手さん、準特急さんから、昭和40年代初頭、東北本線に投入直後に特急を牽く貴重な写真が寄せられています。以来、つい最近の「北斗星」や「カシオペア」まで、50年に渡って優等列車を牽引していました。同一形式が50年も同じ任に就いていたのは、DD51以外には見当たらないでしょう。今回は、昭和40年代、各地で急行・特急を牽いたDD51にスポットを当てました。
奥羽本線白沢付近を行くDD51牽引「日本海」。昭和43年10月改正で、日本海縦貫線に待望の寝台特急列車が新設され、列車名は、急行「日本海」からスライド命名された。急行は「きたぐに」に変更されて残存した。あたかも今年はヨンサントウ改正から50年、特急が各地で新設・増発されたことに当時のダイヤ改正のパワーを感じる(昭和44年9月)。

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ありがとう三江線 Part4 惜別の桜満開の花道、廃線最終日

第3日目 3月31日

とうとう三江線に惜別の日が参りました。今日も悔いが残らないように最終列車まで撮ろうと早朝に起きて昨日は後から来て撮れなかった大和荘横の駐車場からカメラを構えました。
▲ 6:09 潮を出発した9421D(浜原⇒三次)、かつては1両で運用されていましたが、廃線が決まってからの乗客増で2両に増結されました。
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乙訓の老人 鉄道、つれづれ草 《富山地方鉄道のこと》


〔次に〕
富山駅中心に走っていた電車の話に移るが、老人の休日は晴れた日は富山で電車撮影、雨天の日は金沢で映画鑑賞にふけった。

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今年の桜撮影

毎年地球温暖化の影響なのか桜の開花は年々早くなるようで都心では4月の入学式の頃はほとんど散ってしまう状況である。さて今年も鉄道写真が大好きな皆さんも各地で満開の桜をバックにそれぞれが撮影を楽しまれたことと思う。私も日帰り圏で毎度同じような撮影であるが、拙作を報告させていただく。退屈しのぎにご覧いただければ幸いである。

最初は井の頭公園の1779である。3分咲き程度であったが早くもW大鉄研の御大にお会いした。 ▼ 18.03.23 京王井の頭線 井の頭公園~三鷹台 

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ご近所の桜

今年は晴天続きで、突然桜が咲き出したものの昨日(4/6)からの風と雨でほとんど散ってしまったようです。通勤途中で桜が見えているとじっとして居れなくなります。これまでは大阪線の桜を眺めていたのですが、今年は南大阪線へも出掛けました、奈良県中部もご近所です。特に川沿いの桜がきれいなのが「高田市駅」の近くで、「桜」には「さくらライナー」と思うのですが。

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ありがとう三江線 Part3 春爛漫の廃線前日

第2日目 3月30日

三江線廃線まで残された日は、今日を入れて2日間です。求めた桜は、京都が数日前に満開になりましたが、潮温泉辺りは寒くまだ満開には至ってはいない 5~7部咲きです。しかし昨日のような快晴、初夏のような陽気が続けば一気に咲いてくれる気配を感じます。2年前のクローバー会のイベント「見納めの”三江線”の桜を見に行こうツアー」の時も同じく一気に満開となって素晴らしいツアーになりました。廃線となる最終日には花道で送り出してやりたいものだと桜満開を祈りました。

今日の日の出時刻は5:58、
江津方向に移動するとまだ暗いので最初の撮影場所は潮温泉「大和荘」前にしました。最初に狙うは始発列車の浜原発三次行きの9421Dです。

▲ 6:08 大和荘の駐車場横からのカメラアングルとしましたが道路側の後方から、我々の姿がアングルに入るので遠慮して欲しいとの声があがりました。向こうの方が早くから来ておられます。撮影場所は先着優先が鉄ちゃんルールですので、仕方なく道路後方に移動しての撮影です。

撮影後は大和荘で朝食をとってから2年前にロケハンしましたが撮り逃がした沢谷に向かうことにしました。
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 いとしのDD51 -2-

完全電化直前の東北本線

試作機DD511の実績を活かして、第二次車として2~4号が昭和38年に製造され、車体形状はやや変わりました。1号機とともに盛岡区に配属され、東北本線の旅客・貨物を牽きました。初期故障はあったものの致命的な欠陥もなく、さらに第三次車5~19号、第四次車20~27と製造が続き、昭和41年には重連総括制御の500番台501~520が製造されるなど、DD51は、量産に次ぐ量産に入っていきます。
43-10改正直前の東北本線奥中山駅、すでに架線が張り巡らされ、電機の試運転も行なわれていたが、主役はDD51の重連だった。61レ DD51 565〔盛〕+DD51 518〔盛〕牽引、最後部にD51912〔尻〕が付いていた(昭和43年8月)。

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ありがとう三江線 Part2 潮温泉へ

今回の旅の相棒は、先日の台湾でもご一緒させていただいた関東から千住のヤスベイさん、不銹鋼號さん、NETさんの3名です。ヤスベイさんとNETさんは空路で広島空港に着かれてリムジンバスで三次に入られます。一方の不銹鋼號さんは青春18きっぷで東海道・山陽本線を乗り継がれて西条に寄られてEF67をご覧になられた後、翌日は三江線を往復乗車されてから潮温泉「大和荘」で合流されます。

第1日目 3月29日

① 自宅 14:18⇒14:57 赤松 15:12⇒17:10 大佐 17:18⇒18:08 七塚原

14:18 私は自宅をぶんしゅう7号に乗車して出発、3月18日に高槻JCTと川西JCTがつながり時間短縮された中国路を三次へと向かいました。しばらく長距離ドライブをしていません。疲れてきたので約62㌔走った赤坂PA早め1回目の休憩停車です。
約15分休めば身体は復活、約234㌔先の大佐SAまではノンストップで約2時間を快走しました。約10分休んで走行再開、三次IC手前の七塚原SAで今回第1回目の給油、31.9㍑が入りました。リッター当たりの走行距離は8.36㌔、いつもなら10㌔/ℓぐらいは走るのですがエコ運転ができなかったようです。軽油価格は129円/ℓと、安い京都は107円/ℓですので、20円/ℓ程度高くつきました。

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JR吉備線のLRT化一歩前進 他

富山ライトレールに続いて全国で2番目となるLRTとして吉備線が具体化へ向けて動き出しました。

平成30年4月5日 中国新聞朝刊

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子連れで台湾 Part4 キティちゃんタロコ号

1988年度生のこぱんだの保護者 こと 山本 晃司です。
少し間が開きましたが、台湾旅行の続きです。

3月26日 高雄→台北→花蓮→台北

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ありがとう三江線 Part1 新聞記事(山陰中央新報・日本海新聞・朝日新聞・読売新聞)

まだ前回の旅の紀行記を書き終えていませんが、昨日まで行ってきました三江線と、日本海沿いの鉄路の桜追っかけを先に投稿させていただきます。
まずは西村さんが投稿いただいた中国新聞記事に加えてご当地、島根県の山陰中央新報、鳥取県の日本海新聞、そして全国紙の朝日新聞読売新聞をご紹介させていただきます。
▲ 最も多くのスペースで紹介されていたのは山陰中央新報です。1面はすべて三江線ラストランで占められていました。廃線翌日の4月1日にコンビニや三次駅へ掲載紙を買いに参ったのですが何処も三江線記事を求めて買われた方が多く、早朝から売り切ればかりでした。こうなったら新聞社に連絡して郵送してもらうしか方法はないなあと諦めかけていましたが、松江自動車道に入る三次東I.C近くのコンビニで見つかりました。

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保線工事用車両の走行

2018年度の新ダイヤに移行して初の闇鉄(やみてつ)行脚です。
お目当ての列車を待っていると、見慣れぬ車両が走ってきました。

編成の全景(3両編成)

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 いとしのDD51 -1-

DD51、という機関車、長かった活躍もそろそろ終わりそうで、歴史を閉じようとしています。蒸機世代にとっては、DD51は、嫌われ者、憎まれ者以外に、形容する言葉がありませんでした。蒸機牽引とばかり思っていたところに、凸型の赤い車体が姿を現し、それこそ石でも投げつけてやりたいことが、一度や二度ではありませんでした。以来50年、ついでに撮ることはあっても、DD51目的で撮ることはありませんでした。でも、DD51が鉄道近代化に果たした功績を思い、活躍が終わろうとする今ごろになって、急にDD51が愛おしくなってきたから不思議です。蒸機撮影の片手間に撮ったDD51も、かなりの数になりました。本シリーズでは、蒸機と共存しながら増備を続けていた、DD51の昭和40年代の活躍を採り上げてみました。DD51の全製造数は649両だから、1号機は、それなりの価値があるだろう。おもに秋田区を根城に、羽越本線、奥羽本線で客貨を牽いていた。1号機狙いで行ったことではないが、意外に出会うことがあった。写真は、酒田で憩うDD511、試作的な要素があり、そのスタイルは独自のものがある(昭和44年8月)。

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オハフ51 5002の事故

2017年12月7日【90965】で紹介したオハフ51 5002の事故について、少し調べたので補足する。
鉄道ピクトリアル675号1999年10月号p.72「7月のメモ帳」に「7月27日江差線で脱線事故」の記事があった。そこで図書館で『朝日新聞縮刷版』1999年7月を見ると、28日に下記のとおり記事があった。この記事の右横には、TBSの記者が調布市の民家に忍び込んで入浴中の女性をビデオカメラで撮影して逮捕されたという記事があった。それはともかく、台車が脱落した珍しい事故だったらしい。写真はオハフ51 5002の後位側である。車体裾にそれほど損傷がないのは、速度が速くなくて引き摺られた距離も短かったからではないか。事故現場は現在現車がある最寄り踏切より1つ函館寄りの踏切(41.696038, 140.454778)ではないかと推定する。

▼1999(平成11)年7月28日水曜日 朝日新聞朝刊31面

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三江線だより(17)

さっそく代替バスの記事が載りました。三次・江津間を乗り通すためのバスダイヤを調べてみようと思っていますが、とりあえず記事紹介のみです。

平成30年4月2日 中国新聞朝刊