関西の蒸機を巡る ~草津線~  ④

貴生川

草津線は、貴生川を境に様相が変わります。草津方は人家も多く、当時から京都方面への通勤圏に入っていて乗降も多く見られましたが、いっぽうの柘植方はローカル色が強くなり、勾配区間もあって蒸機の奮闘が見られました。街道の東海道も、貴生川までは並行するものの、水口から鈴鹿の山あいに入って行くため、草津線は貴生川~柘植の比較的平坦なルートを選択しました。

地図を見ると、貴生川付近の集落は杣川の対岸にあって、駅側にはほとんど人家が見られませんが、草津線が開業する前日の明治33年12月28日に、近江鉄道が彦根から伸びて来ました。昭和8年には信楽線も開業して、貴生川は乗換駅としての機能を持つようになります。朝から降り続く雨のなか、機体をホームに映して、D51 841の牽く4791レが貴生川に到着する。駅の配線はその後も大きな変化はないものの、駅舎は橋上化されている。  昭和47年6月

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駅名喫茶店(第41回:鉄道むすめの名前の由来となった駅名)

TOMYTECの企画の一つである「鉄道むすめ」。ローカル鉄道を中心に、最近では数多くのキャラクターを目にすることができます。

私が興味を抱いたのは鉄道むすめの名前の由来です。なんと、その由来は駅名とのこと。「これは調べなくては。」と思い、TOMYTECのホームページを拝見しまとめてみました。https://tetsudou-musume.net/index.php

2023年3月17日(金)からは、デジタルスタンプラリーが始まるようで、少しホットな話題を今回提供させていただいた次第です。お孫さんを連れてのスタンプラリー、いかがでしょうか。【2023/10/6更新】

https://tetsudou-musume.net/contents/special/meguri2023/

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 関西の蒸機を巡る ~草津線~  ③

石部から 三雲、貴生川へ

今回は2つ目の駅、石部から始めます。石部は、東海道51番目の宿場に当たり、草津線の南側に並行する東海道沿いには、今でも宿場町の面影が残っています。京からは9里(約35キロ)の距離となり、京を出発した初日の宿泊地として「京立ち、石部泊まり」と言われて、宿場は賑わったと言います。

石部からさらに三雲方面に歩くと、当時は、家棟川、由良谷川、大砂川と3つの天井川が流れていて、草津線は下を潜っていました。草津線の電化に際して、家棟川、由良谷川は平地化されて、うち家棟川の跡地には、新しく甲西駅や湖南市役所が建てられました。現在、天井川で残るのは大砂川のみで、煉瓦積みポータルが古い歴史を伝えています。

夕方の柘植方面の客車列車は、逆光上で撮るのに最適。背後には、いかにも秋らしい雲が漂っていた。726レ D51 178 石部~三雲 昭和47年9月      

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駅名喫茶店(第40回:鉄印を入手できる駅名)

鉄印帳は、第三セクター鉄道等協議会に加盟、および関係する鉄道事業者が連携して、鉄道と地域の振興を目的としてはじめた企画です。(鉄印帳の前書きより)

https://tabiyomi.yomiuri-ryokou.co.jp/tetsuincho/

各鉄道会社の主たる駅に、鉄印帳と切符を持参し原則300円の記帳料を収めると、会社独自の鉄印がもらえる仕組みです。いわば御朱印帳の鉄道版です。鉄印帳の流れにのってか、最近では御船印帳なるものも登場したようです。

https://gosen-in.jp/

今回は、各鉄道会社において鉄印を入手できる駅名をまとめてみました。

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長良川鉄道イベントのご報告

一昨日行われた長良川鉄道イベントは好天に恵まれ15名の方が参加されました。3月18日のダイヤ改正でなくなるキハ85形「ひだ号」の乗車と長良川鉄道観光列車「ながら」で全線を乗ることが目的です。加えて美濃市で下車、旧名鉄美濃駅の見学と最終の岐阜では北口公園に保存されているライトアップされたモ513号も見ることにしました。
↑  岐阜駅で遭遇した臨時のひだ号、車内は満席でホームにも多くの人がいました。
この日はキハ85形の乗車を目的とした臨時列車も走っており沿線には多くの撮り鉄が集まっていました。美濃太田駅に集合し10時45分発「ながら1号」に乗車、2両編成で先頭車は我々が乗ったビュープラン「森号」、後ろにはランチプラン「鮎号」が連結されています。「森号」にはアテンダントさんが乗車していて沿線の案内をしてくれ、グッズの販売もあります。 続きを読む

 関西の蒸機を巡る ~草津線~  ②

では草津から順に蒸機との出会いを巡って行きます。草津線の起点は柘植ですが、感覚的にはやはり草津です。明治期、官設の東海道線は、滋賀県下では琵琶湖の航路に代わって、中山道に沿って鉄路で建設されることになります。それに対抗して、東海道に沿って旧宿場町を巡り、草津から四日市へ至る、私設鉄道を建設する機運が起こります。草津~三雲が明治22年12月に開業、翌年には三雲-柘植-四日市の約63キロが一挙に開通しました。これが、関西私鉄の先駆けとなる名門、関西(かんせい)鉄道の出発点となったのです。関西鉄道と言えば、JR関西本線のイメージが強いのですが、現在の草津線から始まったのです。今でも草津線には、関西鉄道の社紋がある煉瓦積みのアーチ橋が残り、歴史の変転を見ることができます。東海道本線から分岐した直後のカーブ上で、亀山発京都行き725レを撮影する。D51 145の牽引。前項の草津線初撮影と同じ昭和44年3月の撮影。この時は、草津線と東海道本線は平面で分岐・合流していたが、東海道線の列車を支障することになり、昭和45年に、付け替えが行われ、現在のように上下線が分離、高架化された。

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駅名喫茶店(第A回:店主出張編【樽見鉄道乗車会】)

2023年3月11日(土)、DRFC若手会では樽見鉄道乗車会を実施いたしました。今回は伝言板でなく一般公開ページにて簡潔な報告です。

↑樽見にて

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福岡市政だより 3月15日号

久々の投稿です。標記の件、下記をご覧ください。福岡市営地下鉄七隈線天神南~博多駅間が3月27日に延伸開通します。これにより西鉄バスは路線の廃止、減便が実施されます。バスに頼ってきた市内の交通網がこれによって少しですが改善されます。福岡と博多が大きなパイプで結ばれます。

同じ号に福岡市内線廃線跡の記事も掲載されています。子供の頃慣れ親しんだ懐かしい思い出のひとこまです。人にやさしい路面電車、今からでも遅くありません。復活を・・と思うのですが・・

5月のイベントで少しですが皆さまにご案内できればと思います。事務局からの発信をお待ちください。

 関西の蒸機を巡る ~草津線~  ①

桜の開花も近いというのに、投稿はいっこうに進まず、デジ青の論戦にもついて行けません。体調も万全でなく、何をするにも“身体が資本”を改めて感じる毎日で、本日の長良川鉄道イベントも参加が叶わず、家で悶々としていましたが、地道に投稿を続けていきたいと思っています。

まずは古典ネタで入るのが高齢趣味者の定めと言うことで、しつこく蒸機ネタから始めます。1月の写真展「煙の記憶」、多くの皆さんに来場いただきましたが、改めて感じたのは「蒸機の時代は遠くなりにけり」です。現役蒸機の時代を知らない世代が、来場者の約半数でした。その方たちの眼は、北海道のC62重連や、九州の流麗なC57よりも、山陰本線京都~園部など身近な線区に注がれます。前回、本欄で小浜線のC58を連載した時も、予想外のコメントをもらいました。近郊の線区は、蒸機形式や沿線風景において、北海道、九州と較べると見劣りすると思うのは高齢者だけで、その時代を知らない世代にとって、そんなことは関係がなく、蒸機の時代と、現在の風景を対比して興味深くご覧になっていました。 やはり地元の写真を、きちんと載せて行くことが大事だと感じ、今回は草津線を採り上ることにしました。

草津線の蒸機を初めて撮ったのは意外に遅く、昭和44年2月のことだった。この時、DRFCで近江鉄道彦根車庫の見学があり(西村さんが、近江の白帯貨車を載せられていた)、早めに草津へ行って、駅で京都へ向かう蒸機を撮った。この時は亀山区のC58 240が牽いていた。駅構内は、50年後の今もそれほど変わっていないが、右手には関西鉄道由来の煉瓦庫がホームと隣り合っていて、駅前の再開発工事も途上だった。

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古い写真を見て思うこと

復刻カラーの私鉄電車撮影を楽しんでいたが趣味だからそれはそれでいいとして手元にある古い台湾や韓国の写真を取り出して思うことは日本はこれからどうなるかということである。ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮のミサイル連続発射に対して国連や日本は何もできない。気が付けば国産ジェット旅客機の撤退やH3ロケット打ち上げの失敗があり、経済的にも世界順位を落とし続けておりこの先どうなるか心配である。あまり政治的な話はこの会の趣旨に合わないのでコメント等は不要だが一人行く末を案じている昨今である。

1968.3.19 台湾の台北駅。国共内戦に敗れ台湾に逃れた蒋介石国民党は大陸反抗、実行三民主義のスローガンを掲げ、駅頭、車内、乗車券などにもそれが見られた。本省人(戦前から台湾に住む人)は今でもそうであるが、日本人に対して親切であったが、大陸からの外省人(主に国共内戦後に台湾に来た人)は日本語を喋らず全体に冷たい印象を持った。台湾鉄路などでは要職は外省人が占めていた印象である。下の写真の台北駅の左側屋上には光復大陸の文字が見られる。▼

台湾のディーゼル特急光華号はヘッドマークに中華民国の国旗と中国大陸の地図を掲げていた。1968.3.23台中の光華号▼

一方、客車特急の観光号全面のヘッドマークには少し見づらいが台湾の地図が掲載されていた。1968.3.23台中の南寄り1km付近のR63牽引の観光号▼

 

次に1971.4.26のソウル駅である。日本に比べて10年以上遅れた感じであった。朝鮮戦争を戦ったこともあり反共が強く反日意識も強かったと思う。台湾人程ではないが、親切な人も多く街には軍人も多く見られた。この頃はまだ夜間は外出禁止であった。▼

看板列車特急「セマウル号」に乗車したが、ディーゼル機関車牽引で客車の屋根には日本の151系こだまと同じようなクーラーを付けていた。ソウルから南へ直ぐの水原で撮ったPRボードで鉄道の将来計画のようであった。▼

その横には日本のブルートレインと貨物を牽くEF65500番台の写真があった。韓国語はわからないので内容は理解できないが、当時先を行っていた日本の鉄道のことを取り上げたのではないかと思われる。▼

丁度この時は韓国の大統領選挙が行われていた。ポスターは白黒で右端は朴槿恵のお父さんである朴正熙で、その隣が後に大統領となった若き日の金大中と思われる。最近日本の賃金があがらず停滞したままで韓国に抜かれたと聞いてショックを受けているが、このほか、造船、鉄鋼、IT関連、半導体などよくわからないが負けている分野も多いのではないか。ところが大統領が代われば政策がゴロっと変わるので徴用工や中国、北朝鮮問題など信用していいのか疑問である。▼

日本の総理の主義主張がはっきりせずフラフラした感じでも何とかなっているのはだらしない野党のせいでもある。いま、個人的には台湾有事が一番気がかりである。台湾が中華人民共和国台湾省にならないことを祈るばかりである。

 

京都市電 写真展を振り返る1

去る3月1日~8日まで、下京区の高瀬川・四季 AIRで開催されていた 佐々木秀隆 写真展 京都市電2系統が走った町並みは、8日間で200名を超えるご来場をいただき、ほんとにありがとうございました。OBの皆さんやデジ青をご覧の皆さんも多数ご来場をいただき、嬉しい限りです。当ギャラリーでの開催は4回目となりますが、総本家様プロデュースのもと、今回私が初めて内容を企画しました。

<2系統の特集 西大路通りの反応>
京都市電の特定の系統に中心を当てた企画はあまりなかったと思いますが、私が一番良く撮影した2系統は皆さんにお見せできる写真がたくさんあり、足りないところは総本家様の写真をお借りして、京都駅前から西大路九条まで48停留場の写真を揃えることができました。
2系統が走ったルートの中で西大路通りは地味な路線で、お客さまの反応を危惧していたのですが、西大路七条の変遷地図とともに、沿線にゆかりのある皆さんから「私の家内が勤めていた銀行や」「ここの会社が造った自転車に乗っていた」など身近で熱い感想が聞けて良かったです。

<よみがえった伝説の3系統>
今回2系統を取り上げる時に、2番と密接なつながりを持ち、早くに廃止された3系統を紹介したいと言う構想は最初から持っていました。総本家様のご尽力もあり鉄道友の会京都支部所蔵の、貴重な3番の写真が複数お借りできまして、2系統の展示の中に大きなスポットを作ることができました。厚く御礼申し上げます。
ほかの写真と明らかに違う年代の3番市電の姿に、皆さんは必ず歩みを止めて見入られました。私お手製の系統変遷図(1~4)も具体的な説明をするのに好評でした。

次回は鉄道と直接つながらない展示の話をします。 勘秀峰

 

 

白帯ワムのファン様へ

デジ青を色々な視点でご覧頂いている方がおられることを大変うれしく思っています。白帯を巻いた事業用貨車については、私も興味が無いわけではありませんが、白帯ワムファン様のようにそれをメインに追いかけたり調べたりしたことはなく、1881両もカウントされているとのことで、驚きとともに敬意を表したいと思います。

さて、1881両も調査されているなら、参考にはならないかと思いつつ、私がかつて撮っていた事業用貨車の写真をご紹介します。とは言え、ほとんどがメインの救援車の向こうにチラッと写っている程度のものが多く、車番や形式、常備駅などがわからないものが多いことをお許し下さい。

まずは昭和39年に梅小路機関区の扇形庫線で撮ったワム9965(あるいは9955)です。

S39 梅小路 ワム9965?

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西武2000系茶色で走行

散歩がてら西武を撮影中にいつもの黄色でなく茶系の電車を見た。車内の広告を見ると同社の創立110周年記念トレインとのことで前身の武蔵野鉄道デハ5560の復元カラーを2000系(2069-2070)に施したものである。この色は近鉄がこれも同社の前身大阪電気軌道のデボ1形の復元カラーに変更した5802Fと似た色である。個人的には阪神電車の旧型車の濃い茶色に近い感じがした。

2023.2.22 小手指-西所沢間を行く2070を先頭とする急行池袋行き ▼

次に2022.7.21 石切駅のトンネルに吸い込まれる準急西大寺行き近鉄5802F▼

南海電鉄でも復刻カラーがあった。同社創立130周年と7000系の引退を記念とした10004Fの旧グリーン塗装の復元で2015.6-2016.3と短いものであった。この写真は2015.11.9粉浜で撮影したもので住ノ江から難波に向う回送であるが、既に行先は和歌山市行きとなってる。「なーんなーん南海電車」の時代の色ではなかろうか▼

西武とともに復刻カラーのお好きな東武であるが最近伊勢崎線の特急200系(205F,209F)が1800系急行「りょうもう」に使われた復刻カラーに変更された。これは200系のデビュー30周年記念のリバイバルカラーで2021年8月から運行されている。2022.11.27福居-県間を行く特急「りょうもう24号」205-1赤城発浅草行き ▼

同じく東武動物公園-姫宮間の特急「りょうもう22号」赤城発浅草行き205-1▼

急行「りょうもう」の1800系時代に一度太田から乗車したことがある。日光、鬼怒川方面よりも伊勢崎、赤城方面の方が特急利用客は多いようである。東武の100系スペーシアには金色の徳川色の車両(103F、106F)に加えて1720系デラックスロマンスカー時代のリバイバルカラー(101F)が走り出したがまだお目にかかっていない。何れにしてもイベント的なものであるが、広告電車よりはましなので走っているとノコノコ出かけることが多くなった。本題の西武2000系や近鉄5802F復刻カラーは正に古い時代の色で濃い緑と共にあの時代はどこもあのような色であったのだろうと思う。

 

 

 

駅名喫茶店(第38回:「ヶ」と「ケ」のどちらが多いのか)

以前から気になっていた「ヶ」か「ケ」のどちらで表記するか問題。今回は自作の駅名データベースのミスチェックも兼ねて、「ヶ」を含む駅名、と「ケ」を含む駅名をまとめてみました。

なお、調査中に鉄道要覧(もしくは、それ由来の出版物)と実際の駅名表記に違いがある例をいくつか確認しましたので、今回の調査は各鉄道会社の公式ホームページに記載の駅名をもとに行いました。さあ、デジ青読者の皆さん、どちらが多いか当ててみてください!

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駅名喫茶店(第37回:都道府県境に関わる駅名 東京編)

【2023/3/4加筆修正】

車を走らせていると、都道府県境をまたいだときに「ポン♪ 大阪府にはいりました!」と軽快な声でカーナビ君が知らせてくれます。一方で鉄道を利用していると、いつの間にか大阪府に入っていたといった経験はたくさんあるかと思います。

そこで、皆様に鉄道路線での都道府県境またぎを意識していただくために、都道府県境の両サイドの最寄り駅名をまとめてみました。3回目は、東京編です。

路線の数が多い東京都ですから、調査が面倒になるのは覚悟しました。東京都に関わる境界線の引き方は複雑で、境界線を辿っていくと何度も同じ路線を横切ることが分かりました。

掲載写真は準特急さんより頂戴しました。改めて御礼を申し上げます。

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お城と電車番外編和歌山城

先日弘前城を紹介した際に奈良の駅名研究家さんから、最近用事で和歌山に出かけることが多いこととかつて和歌山市電が存在したことを知ったとのコメントが寄せられた。お城と電車シリーズでは現在12ある残存天守の半数とその近くの電車を紹介してきた。和歌山城は残存天守ではないので今回番外編として発表させていただく。

和歌山城は天守曲輪(くるわ)を中心に一二三段式に曲輪と櫓を配備したさまが姫路城にも負けない堂々とした形をしていると言われている。五層でなく三層であることなどいろいろ事情があったようである。この城は豊臣系の築城から関ケ原で功のあった浅野幸長(よしなが)を経て家康の十男頼宜(よりのぶ)が紀州五十五万五千石の城主となって以来御三家のひとつとなった。また、童謡「鞠と殿様」で有名である。たまたま2009年9月26日に訪問する機会があったのでその時の雄姿を発表させていただく。

和歌山城は1945(昭和20)年の空襲で天守、小天守群を焼失し、1958(昭和33)年にコンクリ―ト造りで再建された。▼

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 「京都市電2系統」展 本日3/1から開催 !

本欄でもご案内しましたように、写真展「京都市電2系統が走った町並み」が、本日3月1日(水)から開催されています。昨日2月28日は、私も午後から会場に入り、主宰の勧秀峰さんと一緒に設営をしてきました。勧秀峰さんが練りに練った企画、入念な準備作業のお蔭で、作業は順調に進み、まだ明るいうちに作業は完了しました。いつもの私など、成り行き任せの進行で、陽もとっぷり暮れた頃にようやく終わるのとはエライ違いでした。会場は、お馴染み、高瀬川畔の「高瀬川・四季AIR」、私たちが毎年のように使わせていただき、これで4回目。早くも京町家の玄関はポスターで埋められた。

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どこかにマイルの旅 2023年 沖縄へ Part13  伊計島⇒帰宅

第9日目 1月30日

今回の旅は天候に恵まれず沖縄の美しい海のレジャーも楽しめませんでしたが知りたかった沖縄の鉄道の歴史や交通の現状についてはについては勉強できました。今日はまだ完乗出来ていない「ゆいレール」の終点までの乗車です。

① 伊計共同商店前11:00(町営バス)⇒11:46 JA沖縄与那城支店
② JA与那城前 11:52(沖縄バス)⇒13:30 県庁北口
▲ 朝から元気の出ますはなびえらの朝食です。
今日のフライトは18:05ですので十分に余裕があります。朝食後は民宿周りを散歩しました。

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