青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて-18-

街を縫って走る路面電車、街に灯が点いて、空が青くなる一瞬、絶好の撮影タイムに(岡山電軌 東山・おかでんミュージアム駅)。

ことしもあと一日。“デジ青”投稿も忙しさにかまけて、ご無沙汰状態が続いています。投稿テーマだけは沸々と湧いて来るのですが、そのあとの実行力が伴わず、いつもアイデア倒れに終わっています。年末ギリギリに当たっては、実行の伴わない新規投稿は先送りして、途中で積み残した案件を、まず片づけるべきとの思いで、Blue Momentを続けます。今回は路面電車編として、中国・四国の4都市を巡りました。

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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅   第3弾 Part5 旭川⇒網走

第2日目 12月13日

5:30 昨夜も早くに爆睡体制に入りましたので今朝も夜明け前に起きました。温泉がありますので早速朝風呂です。ゆっくりと入浴後は冷えたビールで朝酒、至福の時間でした。
朝飯ですが予約したのは安かったAgodaですが朝食(1,500円)が含まれていません。ミスりましたが美味しい朝食とのクチコミがありました。初めて泊まるホテルですので味あってみようと
朝食会場のある展望レストランへ参りました。

▲ 東横インのような簡素な朝食ではありませんがドーミーインにはとても及びません。スーパーホテルとの中間ぐらいです。地域色を出すために醤油味の旭川ラーメンがいただけました。
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マン鉄(マンホールと鉄道)の勧め(1)プロローグ

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初めての投稿となります。工(電気)ー1979年度 山下敬司です。
新しい投稿者が増えないとの話もあり、自分も投稿しないといけないなあと思い、先に投稿されております「お城と鉄道」シリーズに倣って「マンホールと鉄道」ということにしてみた次第です。

最近は鉄道ファンの中でも、いろいろと新しい分野の方々がその切り口を変えて鉄道の魅力を紹介してくれているので、底辺も広がって来ているように思う。
昔から聞くのは乗り鉄、撮り鉄だが、某N局で放映されている「飲み鉄」とか、「模型鉄」、「音鉄」などなど、次第に増えて来ている。
そもそも「鉄道ファン」という一括りではその趣味活動の範囲が広すぎて、自分が好む趣味範囲を互いに認識するために必然的に細分化してきたもののように思う。大抵の人は複数の分野に趣味を持っていることになるだろうが・・・

そして、今回小生が勝手に名付けてご紹介しようとしている「マン鉄」とは、「マンホール蓋」の図柄に登場する鉄道車両や鉄道関連の施設などを収集しようという趣味のことである。
例えばこのようなマンホール蓋があるのだ。
山口県山口市(旧小郡市)の下水マンホールの蓋のデザイン。

これは、旧小郡市の汚水用マンホールの蓋で、SLやまぐち号をモチーフに山口市指定の天然記念物「オゴオリザクラ」の花をあしらい、小郡に暮らした俳人、種田山頭火の句が添えられたものだ。現在は小郡市は山口市と合併したのだが、小郡区としてその地名は残存しているので、デザインの更新は行われていないようだ。

マンホールはある程度整備された町であれば、必ずあると言ってもいいくらい、どこにも見かけるものだ。

そもそも小生がマンホールに興味を持ち始めたのは2006年頃で、行ったところでマンホールの写真を撮るというだけの事だったのだが、その後2019年にTVで「マンホールカード」というものを紹介する番組があり、調べてみると全国に700種類以上のカードが発行されていることがわかり、しかもいくつかの自治体では鉄道車両が図柄に取り込まれたものがあるということで、鉄道趣味とマンホール蓋撮影の趣味が合体した。
ちなみに上述のマンホールカードとは、下記写真のような自治体などが発行しているトレーディングカードの一種で、発行している自治体の使用しているマンホール蓋の図柄とその図柄の関連や由来などの説明が書かれたものである。
例えば、先ほどの山口市の場合はこのようなカードが配布されている。

そして同年には会社を定年退職することになり、時間的な余裕ができたこともあり、出かける際に、そのついでというか、お城(日本百名城)を見て歩く趣味と、鉄道の乗りつぶしとマンホールカードとマンホール蓋の写真収集という3つの趣味を掛け持ちで行っている状態となっている。だから、どこかに出かけるのは事前調査と計画が大変である。(笑)

とは言え、コロナ禍で外出に制限が加えられていたり、カードの配布も中止されていたりということもあり、まだ進捗はこれからという所で、何度かに分けてこのテーマで書き進めていきたいと思う。

今回は初投稿ということもあり、とりあえずここまでとさせていただき、次回は近畿地方でのマン鉄活動の成果をお届けしたい

 

駅名喫茶店(第20回:ら行の駅名)

第14回で、わ行の駅名をまとめました。駅名喫茶店(第14回:わ行の駅名)

その後、継続して調べていると、ら行の駅名もそれほど数が多くないことが分かり、記念すべき第20回のタイミングでまとめてみることにしました。もっとも、ら行とわ行はそもそも単語自体が少ないですが。

では、ら行の駅名一覧です。

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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅   第3弾 Part4 留萌本線に乗るⅡ

第2日目 12月12日  後編

恵比島から1本早い列車に乗れましたので余裕ができました。もう一往復が可能だと折り返しの列車に乗って石狩沼田へと向かうことにしました。改札口に並んだ乗客は約20数名と往路とほぼ同じです。

③ 留萌 9:04(4924D) ⇒ 9:43 石狩沼田
▲ 9:43 石狩沼田に到着、下車したのは私一人でした。 続きを読む

梅田貨物線

12月9日に「はるか」などが走る梅田貨物線の供用開始が2月13日になると発表されました。これに伴い、旧梅田貨物駅跡地を走っていた地上線は廃止されます。廃止まで2か月となった12月11日に現地を見てきました。

↑ 中津陸橋から見た風景です。うめきた2期工事は2027年に全体開業し、手前側にはマンション、奥側は大きな公園とオフィスビル、商業施設が立ち並びます。ここはうめきた全体を見られる有名撮影地ですが、来たのはは初めてです。工事の進捗状況を定点撮影しておけば良かったのですが遅かったですね。

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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅   第3弾 Part3 留萌本線に乗る

第2日目 12月12日

5:30 昨夜は夕食後すぐに爆睡体制に入りましたので気持ちよく白い朝を迎えました。この宿は昼食が7:30からと遅いので、まずはゆっくりと幌新温泉の朝風呂に入りました。
泉質は単純硫黄冷鉱泉で、皮膚病・リュウマチ・神経痛・糖尿病などに効果的があるそうです。

今日は近くの旭川泊まりですのでゆったりとした行程です。廃線が迫りおそらく乗車するのは最後になるであろう50数年ぶりの留萌本線の乗り鉄旅を楽しみます。

7:30 朝食時間になりましたので昨夜の夕食会場と同じ1階食堂に降りました。高齢のバイキング朝食です。何か変った惣菜があるかなと思いましたが地元名物の特別なものはなかったですね。
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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅   第3弾 Part2 旅立ち

第1日目 12月11日

① 長岡天神 6:01(阪急・準急)⇒6:20 南茨木
② 南茨木 6:27(大阪モノレール)⇒6:52 大阪空港
③ 大阪(伊丹)空港 8:00(JL2001)⇒9:50 札幌(新千歳)空港

早朝のフライトです。遅れてはならないと気持ちが高まって一睡もできず夜明け前に自宅を出発して阪急長岡天神駅へと向かいました。

6:20 薄っすらと明るくなった伊丹空港に到着、チェックインを済ませてラウンジへと着きましたら前回とは違って朝からでも生ビールが飲めるようになっていました。

 

9:50 快適なフライトで新千歳空港に到着、滑走路には降雪はありません。

④ 新千歳空港 10:06(快速エアポート101号)⇒10:43 札幌

10:43 定刻に札幌到着、前回の紀行記で井原さんから間違っているよとご指摘のあった駅そば屋の「蕎麦紀行」の場所確認です。
前回、「札幌駅柵外コンコースの駅そばです。改札口を出てやや右正面にあります。」と投稿しましたが井原さんのご指摘通り柵内コンコースの7・8番線ホームと9・10番線ホームの間にありました。ここに訂正させていただきます。

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駅名喫茶店(第19回:都道府県境に関わる駅名 奈良編)

車を走らせていると、都道府県境をまたいだときに「ポン♪ 大阪府にはいりました!」と軽快な声でカーナビ君が知らせてくれます。一方で鉄道を利用していると、いつの間にか大阪府に入っていた、といった経験はたくさんあるかと思います。

そこで今回は、皆様に鉄道路線での都道府県境またぎを意識していただくために、都道府県境の両サイドの最寄り駅名をまとめてみました。はじめは、奈良県編です。

高の原(近鉄京都線)

イオンモール高の原は、店内に奈良県と京都府との府県境の境界線があることで有名です。店内は撮影禁止なので写真はありませんが、その代わりとして、駐車場の写真をアップしました。駐車場にもしっかりと境界線が示されております。 続きを読む

『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅   第3弾 Part1 旅立ち前

前回、6月22日~30日8泊9日の旅を満喫できた『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅でしたが、今回は10月11日から「全国旅行支援」が開始され、また50%引きと超お得な6日間周遊パスが11月28日から再発売される事になりました。
宿は40%割引のうえ平日泊には3.000円のクーポンがいただけます。いつもは安いホテルを探して苦労をしていましたが、これなら高級宿屋で温泉と豪華な夕食を味会うことが可能です。北海道内の在来線全列車が乗車できるお得な鉄道きっぷも北海道運輸局への届出金額(24,000円)に「ぐるっと北海道・公共交通利用促進キャンペーン」の補助金を適用した50%割引の12,000円となります。こんなチャンスは中々ありません。行かなきゃ損と計画を練りました。
▲ 今年は既に2回訪道いたしておりますので今回は大雨運休で行けなかった留萌本線、平日運休の石北本線特急乗車、宿泊したことがない根室、前回行ったが温泉に入浴しなかった登別温泉へと行くことを中心に予定を組みました。
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準特急、準特急を撮る!

12月17日(土)ダイヤ改正で阪急電鉄に準特急が新設された。準特急は2001(平成13)年から今年3月まで21年間京王電鉄で使用されていた列車種別である。京王では当初、特急と準特急の違いは分倍河原、北野の停車であったが、その後その2駅に特急も停車するようになり、千歳烏山、笹塚の停車が違いとなっていたが、3月からはその違いもなくなり特急に一本化された。座席指定の京王ライナーの存在があったものと思われる。一方、阪急電鉄では京都線で快速急行→準特急へと変更があり午後を中心に土日祝、平日ともにかなりの準特急ができた。これに対し神戸線の準特急は極めて本数が少ない。ダイヤを検索されたし。

それでは12月17日土曜日改正初日からの撮影を順を追ってみる。この日は門真市のホテルを出て大阪モノレールで阪急京都線南茨木に向い、茨木市で目的の準特急京都河原町行きに乗り換えた。久しぶりに見慣れたネーミングの列車をみたがこの日は曇天で雨が降りそうな天気であった。8時2分準特急列車は9404を先頭に到着。▼

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 “デジ青”から 湯口 徹 さんのご活動をしのぶ

湯口さんへの思いは、日時が経るにつれて、より強く敬慕の念が募って来ます。ホームカミングデ-での含蓄のあるスピーチ、見学会での舌鋒鋭い解説など、湯口さんのクローバー会での活動の日々を改めて思い浮かべています。

いっぽう当「デジタル元祖青信号」でも、たくさんの記事投稿をしていただきました。ちなみにトップ「投稿者」のヘッダーから「湯口徹」を検索していただくと、実に多くの興味深いタイトルが並び、それは病に倒れられた2017年12月まで、連綿と続いています。湯口さんの記事・写真は、趣味誌・単行本に多く発表されていますが、“デジ青”でしか味わえない、滋味あふれる「あの話、この話」に満ちています。ぜひ、湯口さんの思いを感じていただければと思います。湯口さんは、定例的に行われる、クローバー会写真展「鉄路輝く」にも、必ず出展をいただいた。この時は、湯口さんが同志社在学中に撮られた京津線の電車を展示、トークショーで興味深いエピソードを披露していただいた。

また「旧掲示板」でも多く発表され、そのなかの「おじん二人ヨーロッパ軽便」は、2005年10月から始まって、途中で「おじん2人+1人」に変わってからも、延々と続き、2008年9月まで、実に約90回(正確なカウント不能)にも渡って長期連載されました。また2006年3月連載の「サンパチ豪雪横断記」は、「レイルマガジン」誌の特集記事にもなるなど、多くの素材が、出版・マスコミ界に生かされています。

ここでは、表記のように、湯口さんがクローバー会での活動の様子を、ほかの投稿者からの記事で数点挙げてみました。最後にリンク先を表示していますので、ぜひ記事もご覧ください。

2009年3月8日「とりあえず総会写真速報」 この年の総会は犬山市のホテルで行い、宿泊後、明治村を見学、保存されていた蒸気動車ホジ6014を見学、湯口さんは、たまたま「蒸気動車」の本を出版中で、床下までもぐって詳細な解説に、参加者は興味津々で聞き入っていました。とりあえず、総会写真速報 | DRFC-OB デジタル青信号

2009年8月10日「〈速報〉湯口さん「島秀雄記念優秀著作賞」祝賀会が行われる」 この年、湯口さんは、その「日本の蒸気動車」で、鉄道友の会「島秀雄優秀著作賞」を受賞されます。会で祝福することになり、その会場の様子が紹介されています。表彰状の類いは、小学校の皆勤賞以来60年ぶりとかで、湯口さんは名誉をある賞をいたく喜ばれるとともに、会の連帯を強く感じられたのでした。【速報】湯口さん「島秀雄記念優秀著作賞」祝賀会行われる | DRFC-OB デジタル青信号

2013年11月21日「オロナイン軟膏3個 今年のホームカミングデー」 この年のホームカミングデーは新装なった良心館で行われ、湯口さんに講演をお願いしました。テーマは「軌陸車」、いかにも湯口さんらしい、ニッチなテーマですが、貴重な資料、写真を駆使して発表をいただきました。湯口さんには出版計画もあったと聞きますが、ついに実現せずに終わりました。なお記事では、そのあとの懇親会の様子も紹介されていますが、記事の最後の写真、右から沖中忠順さん、湯口徹さん、奥山直秀さん、お三人とも鬼籍に入られてしまうとは、思いも寄らないことでした。オロナイン軟膏3個! 今年のホームカミングデー  | DRFC-OB デジタル青信号

2014年5月15日「北近畿タンゴ鉄道 あかまつ・あおまつに乗りに行こうツアー開催」春の一泊旅行は、新緑の北近畿タンゴ鉄道へ。宿泊後、チャーターバスで加悦SL広場へ。ここも保存された内燃動車の宝庫、湯口さんにマイクを付けていただき、解説をしていただきました。解散後、私は湯口さんと福知山市のポッポランド館を見学、展示されていた北丹鉄道の細かい資料を一点ずつ丹念にカメラで複写されていた姿が印象に残っています。一流の趣味人でも、地道な調査・研究が不可欠だと思いました。 クローバー会2014年春「北近畿タンゴ鉄道(KTR) あかまつ・あおまつに乗りに行こう」ツアー開催 次期会長公募について | DRFC-OB デジタル青信号

ホームカミングデーのあとの懇親会でも、会活動の指針となるスピーチをしていただいた。「趣味活動を長く続けるには三つの要素が不可欠、少しのカネ、自由に使える時間、そして語り合える仲間」と、よく湯口さんから示唆していただいた。「こうして懇親会で酒が飲めるのも、三つが満たされているからこそ、みんな実に幸せ者」と結ばれた。

沖中・湯口 両先輩を偲んで

1961(昭和36)年、浪人中だった私は、模型も写真もやめて趣味の鉄道は読書のみに縮小していました。11月下旬に鉄道ピクトリアルを買ってくると、同志社大学鉄道同好会による私鉄車両めぐり48・京阪電気鉄道が掲載されていました。戦時中に空襲をのがれ大阪市から先祖の地である京都府宇治市に疎開していて、京阪電車は幼いときから身近な電車だったのはさておき、こんな記事を掲載させる実力のある鉄道同好会があるんや!これは何がなんでも同志社大学に合格せんとあかんと年末年始も猛勉強して1962年度生として入学できました。入学式を終えるや鉄道同好会を探し回り無事入会できました。
京阪電車の記事の主筆、沖中先輩・湯口先輩は大学入学の恩人です。円山公園の長楽寺でのコンパをはじめ、同好会では鉄道を種に広く雑学なるものを学ばせてもらえ、その後の人生に少なからず役に立ったと思っています。早いもので入学してから60年余り、仲良くお二人、ご逝去の2022年は感慨深い年になりました。
沖中忠順さん湯口徹さん、本当にありがとうございました。

鉄道ピクトリアル 私鉄車両めぐり48 京阪電気鉄道の一頁目と編集後記です。難産のうえ、お二人を中心に4回にわたって掲載された大作であることが分かります。

 

 ありがとうございました。湯口 徹 さん

既報のとおり、クローバー会会員、湯口 徹 (ゆぐち とおる)さんが、去る12月11日に、お亡くなりになりました。享年86でした。当掲示板を通じて、会内外の皆様に、謹んでお知らせ申し上げます。

湯口さんは、昭和11(1936)年9月、佐賀県鳥栖市に生まれ、高校時代から京都市に居住、同志社大学経済学部に進学されました。在学中に、故・沖中忠順さんらとともに、鉄道同好会を設立され、初期段階に鉄道ピクトリアル誌上で私鉄車両めぐり「京阪電鉄」を発表され、斯界から注目を浴びました。OB会の設立後は、メンバーの中心として活躍され、当掲示板にも、多くの投稿をしていただき、会メンバーは多大な薫陶を受けるとともに、当会の名を広めていただきました。

活動は会だけに留まりませんでした。「一次資料しか信用しない」「他人の原稿も信用しない」、その強い意志で、数々の著書を発行され、鉄道趣味界、なかでも、内燃動車の研究においては第一人者の確固たる地位を築かれました。お上に汲みしない、歯に衣着せぬ明快な論理は、“湯口節”として、出版社や読者から信頼を得て、多くの湯口ファンも醸成されました。しかし、その影には、公文書館や図書館へ一週間続けて筆写に通うなど、地道な調査、ご自身の努力があったからこそ、なし得られた境地でした。

クローバー会にとっては、今年7月の沖中忠順さんに続いての悲報で、まさに“巨星墜つ”でした。謹んで、お悔やみ申し上げます。

ご逝去の報は、米手さんから第一報を入れていただきましたが、改めてご遺族の了解を頂いたうえ、掲示板でお知らせするものです。

追悼 湯口徹先輩が亡くなりました

以前から静養中だった湯口徹先輩が、12月11日に逝去されました。
脳梗塞の再発によるとのことです。心よりご冥福をお祈りすると共に、鉄道趣味界、同志社大学鉄道同好会OBクローバー会へのご尽力に感謝申し上げます。
2015年12月15日 広島電鉄1911号車内にて車内にて

駅名喫茶店(第18回:東海道五十三次の駅名)

皆様のお陰で、駅名喫茶店も第18回を迎えました。年内には第20回まで書けたらよいですね。当初はネタで困るかと思っていましたが、皆様からたくさんのリクエストを頂戴し、むしろネタが多く、執筆の優先順位をつけるのが難しい今日です。

さて、今回は東海道五十三次の駅名をまとめてみました。宿の名は果たして駅名として、どれほど残っているのでしょうか。まとめてみました。

今回の執筆にあたり、準特急様の温かいご支援を賜りました。改めて御礼を申し上げます。 続きを読む

広島から新聞ネタ3題

令和4年も余すところ2週間となりました。コロナはじわじわと増え始めており、5度目のワクチン接種は済ませたものの、やはり出控える日々が続いています。さて、ここ数日、中国新聞紙面に鉄道ネタが続いて掲載されたので、ご紹介します。先に投稿しました「迷惑な瑞風」と「スカイレール廃止」の続報などです。

まずは「瑞風」から。

令和4年12月17日 中国新聞朝刊より

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お城と電車(13)甲府城

甲斐の国と言えば武田信玄であり、その城は甲府城ではなくもう少し北にある躑躅ケ崎館である。甲府城は武田氏滅亡後将軍家に最も近い親藩の城となった。築城は1583(天正11)年とも1585(天正15)年とも言われ家康が建てたとの説が有力である。三橋美智也の武田節には「人は石垣、人は城」とあるがこの石垣はどこのものなのだろうか。関東には石垣があるのは江戸城、小田原城、甲府城、沼田城(山梨県は、天気予報やニュースなど関東、甲信越と一括りになっている)くらいだと聞いたことがある。幕末の戊辰戦争の末期には幕府から新選組組長近藤勇に甲陽鎮撫を命ぜられたが、目指す甲府城に行きつかず板垣退助に敗れ敗走し最後は板橋で処刑されている。明治の廃城の後に現在のJR中央本線が開通しており城は分断されている。

写真の左部分にも再建の城建物があるが下手な撮影で右の櫓のみ 2018.4.8 17:25身延線ホームより撮影 ▼

50年前の大和川検車区

一昨日は奈良の駅名研究家さんが計画された阪堺電軌161形の乗車会に行ってきました。天王寺駅前から浜寺公園までの乗車で、途中我孫子道でトイレ休憩という計画でした。我孫子道では車庫の方に入りそこで下車となりました。降りたあたりで撮影していると同乗していた係員の方から奥まで来てもらっても結構ですよと言われ、車庫内も見学させてもらいました。ここは我孫子道車庫とも言われていますが正式には大和川検車区で、すべての車両が配属されています。私のDRFC現役時代に見学会で来たことがあり、今回2回目の車庫見学となりました。乗車会についてはまた報告していただくとして、昔の見学会を振り返ってみることにしました。↑ 当時主力のモ250形の前での記念撮影です。50年も経っていて、皆さん大分お変わりになっておられるのでそのまま出させてもらいました。 続きを読む

駅名喫茶店(第17回:漢字表記が1字である駅名)

以前の回 駅名喫茶店(第14回:わ行の駅名)で「蕨」に触れたところ、漢字一字の駅名に関するコメントを頂戴いたしました。これならば、すぐにリストアップできるだろうと思い、調査を始めましたが、結構多かったですね。

リストをスクロールしながら探していく作業は困難を極めました。おそらく、抜け落ちがあろうかと思いますので、その際は遠慮なくお知らせくださいませ。

では、いきましょう。漢字表記が1字である駅名一覧です。

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