大津線110周年ラッピング電車

京阪大津線は今年110年を迎え8月15日から記念のラッピング電車が走っています。京阪大津線の京津線前身の京津電気軌道は大正元年(1922年)8月15日三条大橋-札ノ辻間が開通し、(国鉄東海道線旧線との立体交差部分の工事が遅れ、当初はこの部分を徒歩連絡し、工事が完了したのは12月14日)石坂線前身の大津電車軌道は大正2年(1923年)3月1日に最初の大津(現在のびわ湖浜大津)-膳所間(現在の膳所本町)が開通しました。同じ年度にこの二線が開通し今年度が丁度110年となりました。これを記念して石坂線の600形(601,602)にラッピングとヘッドマークが、600形(603,604)にはヘッドマークが取り付けられています。また、京津線800形(801,802,815,816)にもヘッドマークが付けられています。↑ 石坂線600形には260形、京津線800形には京津1形の写真のヘッドマークがついています。

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保存蒸機とその現役時代(50)C551

前回京都鉄道博物館でC621の横に並んでいたのが同じくトップナンバーC551。昭和10(1935)年川崎車輛の製造で小樽築港、旭川、室蘭、旭川とずっと北海道内で活躍した。C55はC51→C54→C55と続くライトパシフィックの位置づけでスポーク動輪が最大の特徴であった。それまで二つあったコブも一つにまとめられそのスタイルはボックス動輪化されたC57に引き継がれていった。C57は完成された亜幹線用の旅客用機関車で貴婦人と呼ばれるようになったが同じライトパシフィック機ではC55の方が貴婦人だという人もいた。名古屋区の関西線や福知山、豊岡区の山陰線、福知山線、播但線等関西地区でも見られたが、転属、廃車で北海道、九州に集約されていった。蒸機ブームの始まるころにはC55、C57の姿を求めて若者は遠隔地を旅行したが、今はお爺さんになって同じような昔話に花を咲かせている。

京都鉄道博物館に静態保存中のC551 2011.4.23 ▼

1966.9.4 東室蘭のC551 この写真はプロ野球大洋、巨人で駿足好打の選手として活躍した屋敷要さんの「遥かなる鐡路」に掲載されたもの ▼

1966.9.4 東室蘭 同機のナンバープレート他 ▼

関連写真として台湾彰化で見た入れ替え作業中のC55形CT252 1968.3.23の撮影で台湾は国共内戦で台湾に逃れた蒋介石総統の時代で大陸は毛沢東であった。▼

駅名喫茶店(第16回:「学園」を含む駅名)

奈良県には、帝塚山学園に由来する「学園前」という駅名が存在します。他にも結構な数があるだろうと思い、今回は「学園」を含む駅名を調査しました。実は、調査自体はだいぶ前に済ませておりましたが、トップ画像を撮れていなかったため、遅れての投稿となりました。

駅名喫茶店のマスターはあくまで「副業」です。ご容赦くださいませ。

大阪難波駅で、ならしかトレインに遭遇しました。12月5日(月)にデビューしたばかりの列車です。この時間帯は、阪神線直通の快速急行でなく、東花園行きの普通運用でした。東花園到着後は回送となり、大和西大寺へ向かい、一旦車庫方面へ走っていくところまでは確認できました。

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お城と電車(12)熊本城

熊本城は慶長12(1607)年築城の名手と言われた加藤清正により建てられ、その後加藤氏改易後小倉から細川忠利が入城し細川家が幕末まで続いた。城は明治10(1877)年、日本の最後の内戦西南戦争の戦地となり、原因不明であるが焼失している。その後昭和35(1960)年に大小天守が復元された。平成28(2016)年の熊本地震により損傷を受けて現在は修理中である。熊本城は別名銀杏城と言われている。城内には宇土櫓という遺構が残存し小西行長の宇土城の移築と言われたが真相は不明である。有名な櫓であるが写真が見つからず割愛させていただいた。また、熊本城の石垣の勾配は見事で武者返しと言われているがこれも写真紛失で割愛した。どなたか特徴ある姿を撮っておられ追加していただければ幸いである。熊本城は江戸城は別格として大坂城、名古屋城とともに三名城と言われていることは前に述べたが、もう一つ規模的なことを考慮して三大名城というのがあるが、これは大坂、名古屋、姫路城であるがいろいろな説があり三名城自身も三大名城とも言われはっきりしない。

1988.5.1  昭和35(1960)年再建の大小天守 ▼

城内には西南戦争で西郷隆盛と戦った官軍熊本鎮台司令長官谷干城(たにたてき / たにかんじょう)の銅像があったが、現在は他の公園に移されている。▼

熊本市交通局の電車は皆さん何回かデジ青で発表されている。私は市電にあまり熱心ではなく、ついでに撮った数枚のみである。何れも1988.5.1熊本城前付近である。1032▼

1093②健軍町行きと読める ▼

同じく9703 ▼

 

 

 青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて-17-

万葉線

万葉線の庄川口、青い空に待合室の照明が際立つ、向こうが万葉線の庄川橋梁で、右に国道415号の新庄川橋が並行している(2011年3月)。

北陸シリーズ、つぎは万葉線です。高岡駅前から越ノ潟まで、12.9キロを結ぶ軌道線と鉄道線に分かれる路線で、Blue Momentに最適な鉄橋が2ヵ所あります。一つは中新湊~東新湊にある立山連峰を望む内川橋梁、もう一つは六渡寺~庄川口にある長大な庄川橋梁です。何度か訪れて両方の鉄橋へ行ったことがあります。前者は、以前にクローバー会の写真展に出展されたInubuseさんの、青い空に満月が浮かぶなか、電車が渡って行くシーンが印象的でした。今回は、後者の庄川橋梁をご紹介して行きましょう。庄川橋梁は全長416mもある堂々とした鉄橋で、橋梁に並行して国道415号の新庄川橋があって、真横からの撮影も可能なうえ、この季節は、真向こうに陽が落ちるため、夕方から夜にかけてのさまざまな時間帯で、移りゆく空の変化を楽しめます。

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 青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて-16-

福井鉄道

福井鉄道の福武線は、越前武生と福井市の田原町を結ぶが、古くからの集落を縫うように走るから、意外に開けたところがない。唯一、三十八社の付近だけ、人家のない田園地帯が広がる。日没を遮る山もなく、ほぼ地平線に近いところで日没を迎える。天候に恵まれると、青から赤へのグラデーションとなる(2015年11月)。

北陸シリーズ、つぎは福井鉄道です。現存する中小私鉄のなかで、好きな私鉄のひとつです。いま復刻作業が行われている200形や、土日に特別運転している、シュツットガルトの「レトラム」(F10形)など、好ましい電車が揃っていました。沿線風景も変化が富んでいます。福井や武生、鯖江の市街地から、三十八社付近の田園地帯まで、さまざまに撮ることができます。

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 青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて-16-

「記念消印」は、しばらく休んで、また、もとのBlue Momentに参ります。まだまだ撮ってます。ここは氷見線の越中国分駅、氷見線が工場地帯を抜けて、富山湾を望む景勝の地へ飛び出たところにある駅。何の変哲もない無人駅だが、向こうに海が見えるのがポイントだ。

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駅名喫茶店(第14回:わ行の駅名)

9,000を超える駅名ですが、わ行となると65駅名しかございません(奈良の駅名研究家調べ、誤りがあればご指摘願います)。そこで今回は、その65駅名をすべてご紹介します。読者の皆様はこの中でいくつの駅を訪ねたことがあるでしょうか。

山陰本線には和知駅があります。

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迷惑な「瑞風」

2017年から運行が始まったJR西の豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス瑞風」はコロナ禍でも運行が続けられてきたように思います。私も何度か撮影に出向きましたが、乗るものではなく、見るもの、撮るものという高嶺の花です。昔風に言えば、電気式気動車ですが、電車風に言うと4M6Tです。寝台列車ですから寝台車にはエンジンを搭載せず静粛性を確保する代わりに、両先頭車(キイテ87)、ラウンジカー(キラ86)、食堂車(キシ86)の4両の床下に発電用のディーゼルエンジン(コマツ製SAD140HE-3)を2基ずつ搭載し、計8基のエンジンで発電機を駆動し、すべての電力をまかなっています。長時間停車時でも、空調などのために常時発電するため、エンジンを止めることはありません。撮影しやすい尾道駅での長時間停車を撮りに行った際に、その騒音の大きさに驚いたものです。案の定、夜間長時間停車の糸崎駅周辺住民からの苦情が新聞に載りました。

令和4年12月1日 中国新聞朝刊

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 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ⑦

釧路湿原のなか、車窓に釧路川を眺めながら、細岡に到着する。いかにも道東の駅らしい、ゆったりとして、きれいに掃き清められた駅だった。C58 127の牽く、網走行きの混合列車と交換する。

細岡 (ほそおか)

広大な釧路湿原を眺めて到着する。昭和2年の開設、駅名の由来は、鉄道建設の際に監督官の姓であるとする説もある。当時は二線の相対式の駅構造だった。通過する釧路発根室標津・小樽行き「大雪3号」。

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駅名喫茶店(第13回:名鉄の駅名)

今回は、デジ青ではあまり話題にあがることのない名鉄です。多種多様な路線を抱えており、近鉄にも負けない路線網を保有している会社であるといえます。その分、駅名も多いですね。

難読駅名もいくつかあります。

今は廃駅の「西中金」をどこで切って読むか分からず、「さいちゅうきん」と読んだことは、今でも反省しております。

では参りましょう。

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保存蒸機とその現役時代(49)C621

昔の乗り物絵本には大抵C62の「つばめ」や「はと」が出ていた。それを写真に実現した山科の鉄道写真界の人間国宝佐竹先輩には毎度のことながら羨ましき限りである。もっとも今の若い方には撮れただけでもええやないかと言われそうであるが今回はそのC62のトップナンバーである。私の撮影時(1963-1964年)の山陽本線は架線が張り巡らされていたが走るホテルと言われた20系ブルートレインは何れもC62牽引で、撮影可能な下り1列車「さくら」、7列車「みずほ」が広島運転所(旧広島第二区)、3列車「あさかぜ」、5列車「はやぶさ」は下関区の担当であった。また、その他の急行列車もC62若しくはC59が牽引し、正しく夢のような時代であった。この様な中でトップナンバーC621は一度も優等列車牽引に巡り合わなかったのは残念である。しかし、トップナンバー故なのか広島で保存の後に梅小路の京都鉄道博物館に静態で保存されている。訪問した日は何れも雨だった。

C621略歴:1948(昭和23)年 1月 日立製作所笠戸工場にて落成 製造番号1921

新製後広島第二区に配属、1950(昭和25)年8月から1957(昭和32)年9月のおよそ7年間は宮原区で特急「つばめ」、「はと」など主力列車を牽引したが、再び広島に配属され1967(昭和42)年7月に同区で廃車となった。

1963(昭和38)年3月27日 下関 221列車柳井発門司行きを牽引後機関区へ向かう▼

1964(昭和39)年7月23日 横川-己斐(現西広島)229列車大阪発門司行き ▼

1968(昭和38)年3月27日 下関 C621ナンバープレート▼

2011年4月23日 小雨煙る中、屋外展示中のC621 ▼

2022年11月13 日 ホームカミングデイ総会の直前に撮影 北海道にいたC551と庫に並んで展示中 ▼

 

 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ⑥

標茶に到着したC58 127の牽く釧路発網走行き630レ、標茶からは標津線が分岐し、中標津を経て根室標津までの69.4キロと、中標津から根室本線の厚床まで47.5キロ、計100キロ余りが標津線だった。写真のように多くの乗り換え客で賑わっていた(1969年9月)。

標茶 (しべちゃ)

昭和2年の開設、昭和の時代は根室標津方面への標津線が分岐していたが、平成元年に廃止された。駅前には「道東鉄道発祥の地」の碑があると言う。これは、釧網本線の開業より、もっと早く、明治20年に釧路鉄道が、硫黄の積み出しで釧路川の河港の標茶まで開通している。また標茶町営簡易軌道が各方面に延びていたが、昭和46年に廃止されている。

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お城と電車(11)江戸城

江戸城と言えば太田道灌が築城(1457年長禄元年)したと習った記憶がある。その後、徳川の本城として家康、秀忠、家光三代が改修、各地の諸大名を総動員(こきつかった)して広大な城郭をつくりあげた。天守は1607年慶長7年)につくられたが明暦の大火等で現存していない。過去にNHKブラタモリでも江戸城が放映されたが敷地は日本一でどこまで続いていたのかのかよくわからない。

2003.5.1 西の丸のシンボル伏見二重櫓と続き多聞櫓 ▼

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 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ⑤

緑 (みどり)

昭和6年の開設、当時の駅名は上札鶴だった。上斜里村が、清里町に改称された際に、行政地名も、上札弦から「緑町」に改称され、駅名も昭和31年4月に同時に改称された。「緑」にとくに由来はなく、佳字であることから選ばれたのだろう。「色」に由来する駅名なら第一に選ばれるはずだ。これも調査は、奈良の駅名研究家さんに任せたい。

初めて訪れた昭和43年、緑で交換するDE10の牽く貨物列車、当時、客貨混合はすべてC58牽引、逆に貨物はDE10化されていた。

緑郵便局の記念消印、こちらも駅舎が描かれている。

 

 

 

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 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ④

なかなか連日更新とは行きませんが、釧網本線の駅めぐり、続けます。

清里町 (きよさとちょう)

昭和4年の開設で、当初は村名に合わせた上斜里だった。昭和30年に町制を敷き清里町となり、駅名も改称した。本来なら「清里」のはずだが、小海線の清里と区別のため、「町」を付した駅名とした。北海道で「町」や「市」を付した駅名は比較的少ないと思われるが、奈良の駅名研究家さんの報告を待ちたい。

清里町50年間の定点対比、カーブした対向式のホームは変わらない。ホームの待合室や樹木は無くなってしまった。何よりも、50年前には、これだけの男女高校生の乗降があったのには驚く。

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