いよいよ実力診断テスト版はこれが最後です。
宮崎繁幹さんの判定は概ね良好というところでしょうか。
すでに私の元には次の「ムツカシイ写真」が届いております。私も見ましたがこれはムツカシイ!
その前に残っている作品を解いてください。
いよいよ実力診断テスト版はこれが最後です。
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その前に残っている作品を解いてください。
「大宮」といえば、埼玉の「大宮」でしょうが、奈良県民の一人として「新大宮」も外せません。果たして「大宮」は何駅名あるのでしょうか。
第4日目 1月25日
今日は終日、船と水牛が牽く車に乗っての鉄分のない旅です。
7:00 目覚めて外を見ますが、昨日からの寒風がまだ吹いています。朝のTV天気予報では一時的に雨も降る寒い一日になると報道されていました。長袖シャツにユニクロ製のダウンを着て防寒体制でホテルを出ました。
途中にあるFamilyMartによってサンドイッチとお茶を買って港ターミナルに向かいます。到着後は待合室のベンチに座って朝食を食べながら乗船手続き開始を待ちます。
8:00 昨日予約をした安栄観光のカウンターに行き乗船手続きです。観光船ツアーも全国旅行支援のクーポンが発券されますのでホテルチェックインと同様にワクチン接種証明書と身分証を提出して2,000円のクーポン券を受け取りました。ホテルと違って有効期限は今日1日のみです。
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最近は新しい試みとして、デジ青の予約投稿機能を活用しています。書きたいときに書いて、見せたいときに見せられる、なかなか使い勝手の良い機能だと思っています。
私の駅名データベースは未完成です。世界遺産のサグラダ・ファミリアは2026年に完成予定とのことですが、データベースはいつまで経っても完成しないことでしょう。誕生する駅名がある一方、廃駅により消滅する駅名もあるからです。
廃駅名とはいえ、駅名として存在していた事実は消えることはありません。世の乗換検索アプリからは消えた廃駅名を、データベースには残していきたいと思い、最近は廃駅名も少しずつ打ち込み始めています。
さて、今回は江若鉄道です。よろしくお願いいたします。 続きを読む
第3日目 1月24日
今日は那覇空港から「東京~大阪(約410km)」に相当する距離のある石垣島へ空路で向かいます。台湾とは270km程度しか離れていないそうでこちらの方が近いのですね。
6:00 起床後まだ夜明け前の外に出ましたが路面が濡れています。昨日と違って風もあり体感温度は低そうです。部屋に戻ってTV放送で天気予報を見ますと寒波襲来は沖縄まで届き強い寒風があるとの予報で晴れることはないようです。那覇の昨日の最低気温は18.4、最高気温は22.7℃とあって寒かった京都と比べるとルンルンでした。着ていた厚着は脱ぎ捨ててダンボールに入れて4日後にもう一度宿泊するホテルに預けました。ただもしもがあってはいけないとユニクロ製の薄めのダウンだけはリックの底に入れておきました。
7:40 朝食後ホテルを出発「ゆいモノレール」牧志駅へと向かいました。時間がありますのでゆいモノレールの終点近くまでは行ってみたい撮ってみたいと思いました。
① 牧志 7:51(ゆいレール)⇒8:03 首里
② 首里 8:25⇒8:55 那覇空港
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宮崎繁幹さんからの挑戦状は、まだ20枚ほどが残っています。
準特急さん、マルーンさん、気を抜くことなく、必死のパッチで応えてください。
今回は近鉄特急の停車駅をまとめてみました。ひのとり、アーバンライナー、しまかぜ、伊勢志摩ライナー、あをによし、さくらライナー、ビスタカー、青の交響曲、ACE、Ace、サニーカー等、多種多様な列車で構成される近鉄特急に惹かれた方は、私だけではないはずです。
第2日目 1月23日 後編
▲ 11:55 ネオパークを出ました。これから桜が咲き始めたという今帰仁城跡へと向かいますが、パーク前にはバス停はなく 一番近いのは約1.6㌔、約20分ほど歩いた大北二区バス停です。幸いにして下り道ですので高齢者にも問題なさそうです。途中に評判のそば屋があるのをチェックしておきましたのでここで休憩を兼ねて昼食を食べる予定です。
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6:00 沖縄に来て初めての朝を迎えました。ホテルの朝食は7時からです。その前に大浴場にも入れますが温泉でないので今回はパスしました。
7:00 朝食開始です。一般的な簡単バイキングですが、モズク入りのお味噌汁、フーチバーなる沖縄料理のお粥があったりで沖縄風のおもてなしがありました。
※ 写真はホテル紹介のHPからの転載です。2日間とも同様の献立が提供されました。
今日は名護市のテーマパーク「名護自然動植物公園ネオパークオキナワ」へ向かい、戦前の沖縄に路線網を張り巡らせていた沖縄軽便鉄道(沖縄県営鉄道)を模した復元鉄道を見学乗車します。その後は国内で一番に咲き始めた桜を見るために「今帰仁城跡」へ向かう予定です。
食後、名護市へ向かうために「ゆいレール牧志駅」から県庁前駅まで乗車、長距離バスに乗り換えます。
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山陰本線のC51・C54
「ヘッドマーク」から、第2章の「里を走り、川を渡って~山陰本線京都口の蒸機」に移ります。本展は4つのパートに分けて展示しましたが、それぞれ訴求対象が違います。「ヘッドマーク」は根っからの蒸機ファン向け、そして「里を走り、川を渡って」は、ご来場では最も多い地元、なかでも高齢の方々へ向けてのテーマでした。京都人の蒸機の思い出と言えば、やはり山陰本線だと、私も体感的に感じていました。さらに深耕するために、“二人展”のメリットを活かしました。すなわち、人間国宝さんが撮られた昭和30年代のC51・C54、私の撮った昭和40年代のC57と、異なる年代の二人展だからこそ、時代の幅が広がったのでした。山陰本線テーマは的中し、「保津峡へ来たら、窓を開けたり閉めたりしましたわ~」の感想が何度も聞かれました。▲会場へ入って、真正面に見える奥のコーナーから山陰本線を始めることになった。目立つところに、何を持ってくるか、やはりこれしかなかった。亀山区で最後まで残った原型C51として有名なC51 225だった。亀山区の印象が強い同機だが、昭和26年から10年間も梅小路区に配置されて、山陰本線の旅客を牽いていた。正面形式入りのナンバープレートは、同機ならではの魅力だ。
最近は若い世代の会員がちがった視点からの投稿をして下さっていて、活気が出てきたと嬉しく思っています。
一方、我ら老会員にはついて行けない話題もあって「古い話題」で対抗するつもりです。昭和40年代以前の世代、ガンバロウ!
宮崎繁幹さんは現役時代にアメリカでゴードン氏に出会い、友情をはぐくまれたご縁でこれらの貴重な画像を委託されたと聞きました。このご縁を大切にされていて、我々にも今回の企画が許されました。鉄道趣味とはこんなにもありがたく、楽しいものだとつくづく感謝する毎日です。宮崎さん、ありがとうございます。
では続けます。
城の立地するところは高台にあったりして天然の要塞のような場所が多く、敵から攻撃されにくい。現在各地にある城も築城以前にはそのような砦跡のようなものがあった事例は多い。宇和島城も、戦国時代に既にあった小規模な城塞を豊後の大友氏に攻められている。その後城づくりの名人藤堂高虎により本格的に着手された。元和元(1615)年仙台藩主伊達政宗の長子秀宗が入城し、寛文2(1662)年2代目藩主宗利により大改築された。以降、伊達氏歴代の居城となった。幕末の藩主宗城(むねなり)は松平春嶽、山内容堂、島津斉彬とともに幕末の四賢侯のひとりといわれ維新後も政府の要職に就いた。
1998.5.2 宇和島城残存天守 駅から少し高い所を登ったので平山城である。▼
1998.5.2 伊予市から途中伊予大洲城に立ち寄り昼前に宇和島駅到着。メモにはキハ326に乗車とあるが、宇和島駅の記録は1枚しかない。▼
宇和島は今でも遠いと思う。
望んではいなかった沖縄行きですが、一旦申し込むと日時・目的地の変更が出来ないのがJALの「どこかにマイル」のルールです。幸い沖縄にはまだ見たことも乗車したこともない「ゆいレール」や戦前には走行していた軽便鉄道の廃線跡も残ってはいますのでわずかながらも鉄分補給にはなるかなと出かけることにしました。暖かいであろう沖縄へは8回目の訪問です。
服装ですが、10年に一度の大寒波が来ていますので出る時は極暖ヒートテックにカシミヤタートルネックセーター、上着はダウンコートを着込みました。逆にリックには海水着やTシャツ類の夏用仕様を詰め込み、カメラはコンデジ1台と一眼レフはNikonD500に18~300㎜ズームレンズ1台だけにして軽装にしました。
第1日目 1月22日
① 長岡天神 13:03(阪急・特急)⇒13:28 十三 13:33(急行)⇒13:43 蛍池
② 蛍池 13:56(大阪モノレール)⇒13:59 大阪空港
③ 大阪空港 14:55(JL2087)⇒17:20 那覇空港
前回12月に北海道に行きました時は早朝8時の便でしたので遅れてはいけないと前夜就寝できず寝不足で困りました。今回は第1便を避けましたが大阪空港から那覇空港へのフライトは1日2便しかなく第2便は午後で到着は夕方になってしまいました。これではホテルにたどり着くのがやっとで当日はどこへも行けません。
デジ青へ多大なご協力を頂いている宮崎繁幹様から当探偵団に次のようなお手紙を頂きました。
《GordonDavis氏作品集として「思い出す日本の鉄道」という写真集を刊行して20年近く経ちますが、これは同氏が撮られた中から国鉄を主体としたものでした。続いて私鉄編を出す旨公表したのですが撮影場所不明なものが多く、出版にこぎ着けられませんでした。今回はデジ青探偵団のみなさまのご協力が得られそうなので期待しております》
宮崎さんは多くの鉄道研究家から信頼されて、その方々が撮られた写真を所蔵管理されています。しかし、撮影場所などデータ不足で日の目を見ないものも多いと聞きました。そこで私がお役に立てればと「エエカッコ」をしたのです。
ということで、当探偵団の実力拝見と、先ず関西中心の写真を送ってきて下さいました。私からは「全国津々浦々、鉄道ならば場所は特定できる!」と豪語した手前、サンプリングで躓くことがあってはなりません。
どうか諸探偵の皆さん、宮崎さんが「これならいける!」と評価下さればさらなるご依頼が見込めるので張り切って調査をお願いします。なお、写真には全く手を加えておりません。撮影場所、時期、車両に関してウンチクを傾けて下さい。
一月も終わりですね。毎年同じことですが、昼間の時間は徐々に長くなってきました。皆さんお元気のことと思います。迷図作家の関先生の高槻の中学、高校時代の同級生が私の先輩で今日軽い食事をしてちょっとした鉄道話をしました。愛称線の話を持ち出しましたところ東武鉄道のアーバンパークラインとスカイツリーラインの話をされました。お互いに古い人間であるからかもしれませんが、アーバンパークラインは野田線であり、JR琵琶湖線のような間違いは起こさないと思いますが、しっくりこないとのことです。パークラインは公園なので多分清水公園のこと指していると思います。沿線には大宮公園もあり、正解は分かりません。スカイツリーラインは伊勢崎線とありますが、ピンときません。そもそも東京スカイツリー駅(元は業平橋という伝統のある駅名でした)の近くの北千住駅まであたりだけのことと思っていましたら、伊勢崎線全部になるようです。ところで私個人は最近まで東武=日光というイメージから浅草-日光間を日光線と思っていましたが、東武動物公園-日光間が日光線だそうです。話は飛んで最近の市町村の合併の話が出て栃木県にさくら市というのがあるそうです。氏家町と喜連川が2005年3月28日に新設合併してできたそうで桜が売り物だそうです。当会にも千葉県の城下町佐倉にお住まいの方がおられますが、佐倉の方はどう思っておられるのでしょうか。また、群馬県には2006年3月27日に新田郡笠懸町、山田郡大間々町、勢多郡東村の2町1村の合併でみどり市という市ができたそうです。この様な例は日本全国まだまだあるでしょう。さらに旧駅名の話も出てDRFCの方なら都道府県をまたぐ駅で与瀬-浅川はご存知と思いますが有名なので今の駅名は指し控えましょう。もう奈良の駅名研究家さんから出たかもしれません。ここでアーバンパークラインの写真を貼り付けます。スカイツリーの写ったスカイツリーラインはどなたか撮られていれば貼り付けてください。
2013.9.19 大宮公園-大和田 柏行き61602 烏に邪魔された!
2013.11.20 釣り人も見られる古利根川 春日部-藤の牛島間の柏行き8410
2020.8.8 新柏-増尾 船橋行き8464の車体には東武アーバンパークラインの文字が入っている。私鉄一形式で最大両数を誇った経済車8000形も支線を除くと少なくなってきた。
車を走らせていると、都道府県境をまたいだときに「ポン♪ 大阪府にはいりました!」と軽快な声でカーナビ君が知らせてくれます。一方で鉄道を利用していると、いつの間にか大阪府に入っていたといった経験はたくさんあるかと思います。
そこで、皆様に鉄道路線での都道府県境またぎを意識していただくために、都道府県境の両サイドの最寄り駅名をまとめてみました。2回目は、和歌山県編です。
24日(火)晩からの“最強寒波”、京都付近のJRトラブルばかりが耳目を集めましたが、私も写真展片付け後は、危うく難を逃れました。電車内に閉じ込められた方から見ると、不届き者以外の何物でもないのですが、私はワクワクして翌日を迎えました。目を覚ますと約15センチの積雪、もう行くところは叡電に決まっています。このタイトル「雪が降ったら‥」は、2017年の投稿にも同じように使っていました。やることに、全く進歩がありませんが、私の家から30分で終点に到達できるのですから、これが京都の良いところです。他人様の写真ばかりを紹介して得々とするなと言われそうですので、今回は「現役老人」を示すためも、久しぶりの雪中撮影をご紹介します。▲フリーキップ「ええ、きっぷ」を握りしめて、まず着いたのが八瀬比叡山口駅、ちょうど、ほぼ同時発着の「ノスタルジック」731号と、「ひえい」の並びが見られた。これは2番線から発車がある場合のみに見られる、数少ないシーン。
蒸機の“顔”も展示
山科の人間国宝さんが撮られたヘッドマーク付きの蒸機には、前回の走行写真だけでなく、形式写真、蒸機の正面、ヘッドマークのみもあり、意識してヘッドマークをテーマに撮り続けられていたことが分かります。本展示では、蒸機の正面に絞って、A4サイズで展示し、全体の流れのなかでアクセントとなるようにしました。たしかに正面写真は、いちばん車両の特徴が表れた、まさに“顔”とも言うべき部位で、写材としても最適でした。以前の鉄道雑誌にも「電車の顔」と言ったタイトルで、正面ばかりをカタログ的に並べた企画があって、その個性を楽しんだものでした。
▲やはり注目を浴びたのはヘッドマークを付けたC51だった。年寄りにしか反応はないかと思ったが、意外にも若い人たちからも「これは貴重ですね」という声を多く聞いた。写真は、いずれも快速時代の「いずも」の牽引に当たった化粧煙突のC51で、左は若番号のC51 3[米]米子区、右はC51 122[米]浜田区(既出)、いずれも昭和29年10月
本欄でも紹介済ですが、1月18日(水)~24日(火)の7日間、山科の人間国宝さんとご一緒に、写真展「煙の記憶」を行なっていました。クローバー会の皆さんはもちろん、コメントを頂戴している外部の皆さん、「デジ青を見て新幹線で飛んで来ました」と初対面の方が来られたりと、地元から遠方まで、老いも若きも、男も女も、多くの皆さんと対話ができる貴重な体験をさせていただきました。ありがとうございました。
写真展が終わって何らかの報告をと思ったのですが、手前味噌なことを書くのも気が引けますので、ここでは、展示写真のなかから、山科の人間国宝さんの許可もいただいて、とくにポイントとなる写真をピックアップしてご紹介したいと思います。
▲会場のエレベータが開いて、ギャラリーの全体がパッと眼に飛び込んだ時の“ワクワク感”を大事にした。そのため、真っ先に持って来たのが、テーマ1「栄光の証し、輝かせ」だった。すべて山科の人間国宝が撮られた、昭和30年代、蒸機に掲げられたヘッドマーク(愛称板)だった。山科の人間国宝は、山科の大築堤を行く、ヘッドマークを掲げた「つばめ」「はと」に感激し、蒸機に限らずヘッドマークを掲げた列車を撮るため全国を巡られた。