形式または車号が「26」の車両

明けましておめでとうございます。
今年も、チョット古い話と自宅周辺の話題を書込みしたいと思いますので、よろしくお願い致します。

平成26年に因み、形式または車号が「26」の車両を集めてみた。

旧国鉄車両
(1)電気機関車
ED26
初代と2代目があり、初代から解説する。

ED261 / (43-8-30) 西長岡
富山港線の前身富南鉄道のロコ2で、大正14年WH社製で昭和15年日本鉄道自動車で改造されたと言われている。
昭和32年にED261に改番され、引き続き富山港線で使用されていた。
昭和35年1500Ⅴ昇圧により廃車になり、越後交通に譲渡され長岡線、来迎寺線で使用されていた。
ED261 43-8-30
ED261-2 43-8-30
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あの頃の西山天王山付近2

準特急さんが西山天王山付近の作品を発表されましたが、私も少し撮影していますのでお目にかけます。
1978.8.12 現西山天王山駅北端付近

西山天王山駅北東側にプールがありました。いつの間にかなくなりましたが、線路沿いにスライダーがあり、調子八角交差点近くに豆腐屋の2階建てビルがあったので許可をもらって屋上から撮影しました。

プール1

プール2

1980.4.29 長岡天神-大山崎

場所の見当がつきにくい写真ですが、円明寺の住宅の南側、小泉川に合流する小さな川の大山崎寄りです。撮影していたら女の子がやってきて勝手にポーズをとってくれました。演出ではありません。帰り際、畦に立て看板があって、それには「マムシに注意!」と書いてあり慌てて逃げて帰ったことを憶えています。

れんげ

 

 

年の初めは 信貴電の不思議

新年あけましておめでとうございます。本年もお願いします。

 さて、「信貴電の不思議」でありますが、大和川橋梁の橋脚が継ぎ足されていることについて疑問に思っていました。いろいろ調べてもよくわかりませんでした。昨年のことですが、鉄橋のすぐ近くに「久度神社」があるので、そこの方に聞いたらなんらかの手がかりがあるのではないかと思って行ったのですが、どなたもおられませんでした。それでは正月であれば初詣の参拝する人が来るので、神社の方もおれれるのではということで1月2日に初詣を兼ねて久度神社にお参りをしました。さて、「久度神社」は「久度神」をお祀りをしています。しかし、平安遷都の時に平野神社へ「久度神」を遷座されました。ところが、名前は「久度神社」のままでした。再び、平野神社より「久度神」を勧進してお祀りしています。それは昭和になってからで遷座してから1175年という歳月が経っていました。鉄橋のことをお伺いした神主さんは氏子の方々が年に一度、平野神社へ正式参拝を行っていると言われていました。この「久度神」がカマドの神さんといわれている事について神主さんにお聞きしたら、カマドのことをクドということから、後の世になってから「久度神」がカマドの神さんと言われるようになったとおっしゃっていました。ところでカマドは「へっつい」とも言いますが、湯口先輩の名著『「へっつい」の系譜 -低重心超小型機関車の一族-』の冒頭に“おくどさん”という言葉が出てきます。大阪では“へっついさん”といっていましたので、私は“へっついさん”の方がなじみがあります。そういえば子供の頃、家には“へっついさん”がありました。

_MG_1957

   ↑ さわやかな境内の久度神社 

_MG_0958

 ↑ 右側の森が久度神社の神域です。(この写真は昨年の5月に撮ったものです。)

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12年ぶりの京阪電車初詣

息子が東京で結婚したので、翌年から12年途絶えた京阪電車初詣を2日にすることが出来た。連絡バスは、正月には昼間の京阪淀駅行きを増発するというので、混雑時間帯を狙って家を出た。西向日10:05発、西山天王山10:09着である。10:43発が定期便、臨時便は30分毎の10:13発にあるだろうと思っての行動であった。あると思ったのは大失敗で、停留所はガラーン、増発の挨拶ビラあっても運行時分の案内なし。最初からスカタンであった。止む無くサンドウイッチとヨーグルトで10時のおやつとする。10:30を廻ると三々五々、43分めがけて人が集まりだした。バスはJR長岡京から12人乗せて到着、19人乗車で定時発。途中、久貝で7人乗車、内1人は前方から手を上げて来た初老のおばちゃん。これで宮前橋を渡って淀駅定時到着。老人を加えると39人が対岸の初参りに参上したことになる。淀駅でこの39人を改札口で観察していると、34人が下り(大阪行)ホームへ、残る5人は上りホームで寒風にさらされながら普通電車を待つ。下りの初詣は石清水八幡宮だろう。上りは先ず4人が伏見稲荷、残る1人は老人で、毎年一族郎党を引き連れて下鴨神社に参拝の筈が、今年は南紀へ「みたらし団子は買っておいてね!」と言って行ってしまい、団子調達役となってしまった。役目を果たし転寝するうちに「パンダ可愛かったね」の声に目覚めた老人であった。

井原鉄道 開業15周年

新年あけましておめでとうございます。今年も掲示板に中国地方のニュースを中心にお届け致しますので、よろしくお願い致します。またも新聞切り抜きで恐縮ですが、元旦の中国新聞に井原鉄道の記事が載りましたのでご紹介します。井原鉄道は平成11年1月11日に開業しました。あえて1並びの日を選んで開業したのが良かったのか、第三セクター鉄道のなかでは比較的好調に推移しているようです。なお大きい紙面を分割しましたので 見苦しくなっていますが悪しからず。

IMG_0005

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フキ500

12月16日【42376】「フロ50形54号」で米手作市様より「フキ」ついてのご質問があったので、私の知る範囲で回答する。

昭和3年1月16日天神橋~高槻町間開業時に電動車20両(101~120)、制御車10両(501~510)の30両が新製された。

昭和3年11月10日より昭和天皇後御大典が京都で執り行われることになり、これに間に合わせるべく同年11月1日高槻町~西院間を開業した。
この時電動車13両(121~133)、制御車11両(511~521)、付随車5両(522~516)と共に貴賓車として付随車500が新製された。

昭和4年6月貴賓用付随車は「フキ」と形式称号が制定され、「フキ500」となった。
京都寄りから随員室、客室扉、貴賓室、洗面所、化粧室、給仕室、給仕室扉と並び、貴賓室には6脚の豪華な1人掛けソファーが並んでいた。

稼働する機会は少なく、昭和24年2月一般車に改造され、貴賓室の大阪寄りに客室扉を増設、貴賓室の窓4個分に固定クロスを設置、その他はロングシートに改造されたが、天井、壁面はそのままであった。

昭和25年4月、神戸、宝塚線車両と車号重複を避けるため1500に改番された。

昭和34年7月車体更新が行われ、座席のロングシート化、天井、内装を他車並みに改装が行われ、貴賓車の面影は広い窓のみとなった。

一般車への改装以降、P-6の中間車として使用されたが、窓の高さがP-6と同じであったため、それほどの違和感はなかった。

京都寄り(元随員室、貴賓室側)/ (43-8-7) 吹田 続きを読む

あの頃の西山天王山駅付近

12月21日開業の阪急京都線西山天王山駅の初日の様子はぶんしゅうさんより[42503]「祝西山天王山駅開業」として詳細なレポートがあった。阪急電車の車両前面には開業のヘッドマークをつけた車両が神宝線でも見られ、高速道路との乗り継ぎ等新しいコンセプトを謳った新駅への意気込みが感じられた。

西山天王山から大山崎に向かうあたりは川向うの京阪電車淀~八幡市と共に昔から撮影名所であった。また、京都方面から乗車するとこのあたりから車窓に国鉄(現JR)が併走して近づいてくるのでワクワクしたものだ。この気持ちは今も変わっていない。

西山という地名からは乙訓のたけのこの産地が思い出される。また、天王山は摂津・山城の国境で天正10年の本能寺の変で備中高松から秀吉が全速力で戻り、信長を討った光秀と戦った場所として有名である。一度この山に登ってみたいと思いながら未だその機会がない。

さて、あの頃というのは45年くらい前のことで民家も今ほど多くなく、全体に撮影し易いいい場所であった。車両も新京阪時代からのデイ100が健在で6連(最終的には7連まであったと聞く)で急行運用にも入っており、元特急車の710も全車ロングシート化されたが急行や休日の「歌劇」号などにも見られた。これらの古豪に対し、主力は2300、2800、大阪市堺筋線乗り入れ用3300等で新旧の車両がこのあたりを疾走する姿は見ていて楽しかった。

 

1968.10.6 長岡天神~現西山天王山 125を先頭とする大阪梅田行き急行

この時代、P-6の特徴であった正面の頑丈な幌枠は取り外されており、顔としては非常に物足りなさを感じていたが、豪快な走りっぷりは健在であった。 乗務員は詰め襟の学生服のようなスタイルで車掌アナウンスも「です調」ではなく「ございます調」であった。▼

68.10.6長岡天神125

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岡山電軌の話題

 駅前に市内電車の乗り場がある風景は旅情を誘うものです。西日本では鹿児島、熊本、長崎、広島、松山、高知、そして岡山でこの風景が楽しめます。今朝の中国新聞に 岡山電軌岡山駅前電停の利便性向上へ向けての動きが載っていましたので ご紹介します。

平成25年12月25日 中国新聞朝刊

平成25年12月25日 中国新聞朝刊

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フロ54 その後

29 40-10-21[ 
鼓滝駅を発車した妙見口行 28+29 / (40-10-21)

「昭和の電車」シリーズは「フロ54」で今年の締めくくりとなったが、同車のその後の経過等について述べてみたい。
昭和32年12月能勢電に譲渡され29となり、同時に譲渡された電動車28(元デロ28)とコンビを組んだ。
廃車直前に阪急からの借入車24+25と車号を振替え、41年9月30日付けで廃車になった。
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祝 西山天王山駅開業

記事の前に、本来は総本家青信号特派員書き出しの記事ですが、ご都合で当日は地元におられません。代わって、原住民の私が開業当日の様子をご報告させていただきます。

020512月21日、周辺の住民から開業が待たれていた「西山天王山駅」が開業なりました。開業式典が開催される時刻近くに行ってみますと、開業イベント「おもてなし物産展」も開催されてまして、びっくりするほどの人出です。

そもそもこの駅は、京都府住宅供給公社が、昭和41(1966)年に竹藪茂る天王山山麓を切り開いて建設した円明寺団地の前に走る阪急京都線に設置される予定でした。私がまだ高校生だった頃の47年も前の事です。
人口約8,000人の新しい街ができましたが、将来近いうちにできるであろう目の前の駅は、阪急電鉄は自社の不動産部門が開発したのではない、また費用対効果がないとの理由で設置を拒み続けました。
かといって、総人口約16,000人の大山崎町では住民の約半数が住む地であっても、建設負担金捻出は無理です。将来の利便性も考えて住宅購入されていた方々の中には、騙されたとの絶望感がありました。

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都電 「クリスマス号」

9001
クリスマス号/ (25-12-10) 荒川車庫前

西村雅幸さんより、11月26日【41625】で広島電鉄の「クリスマス電車」運行に関する報告があったが、都電荒川線でも12月10日~25日まで「クリスマス号」が運行される。

車両は9001号(平成19年アルナ車両製)で、車内にささやかなクリスマス装飾を施し、イルミネーションが点灯、窓や車内にサンタクロース等のステッカーが貼られている。

広島電鉄とは異なり、ダイヤは決まっていないが、交通局のH.P上の車両検索で現在の走行場所が判り、乗車、撮影には便利である。
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2013年 続々 秋の北陸路一人旅 Part1 福井鉄道

第1日目 11月17日

秋の北陸路一人旅は第1回目が10月12日~22日の11泊12日、第2回目が10月30日~11月4日の4泊5日でした。いずれも立山砂防軌道の乗車と撮影を目的に先乗りと追加でしたが、もう1つの目的だった秋の北陸路を撮るにはまだまだ満足が行かず、このままではいけないと鉄ちゃん魂がまだ燃えていました。折角、自由人となっていますし、体力はまだまだあります。今年は年内に海外に行く予定はありません。ストレスを溜めては身体に悪いと、じゃあ行くかと再びハンドルを握ってぶんしゅう7号のエンジンをかけることにしました。

【ルート】 自宅10:45→(給油)→京都南IC(高速)→11:20京都東IC→12:23道の駅マキノ追坂峠13:00→(敦賀~今庄は高速)→14:00福井鉄道越前武生駅(走行約144キロ、所要時間3時間15分(含む給油・昼食約45分))

01今回は費用対効果(時間短縮)が優れる京都南~京都東敦賀~今庄は高速道路を走り、最短で越前武生駅に着きました。
今日の撮影目標は、前回に撮れなかった旧型車両です。
前武生駅の留置線を見ますと201号だけがいますので202号203号は運用に付いているはずです。それではと線路沿いを並行する道路を走って、遭遇する機会を見つけることにしました。
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モニ13027

「昭和の電車」シリーズは、京阪、近鉄、東武の「ガラクタ編成」が続き、南海モニ1045、国鉄モニ13027と荷電が続いている。

国電に興味をお持ちの方は、今回の解説文を読んで「?」と思われたに違いない。
関さんや新聞社には既に訂正依頼が届いているかも知れないが、誤り部分を中心に解説したい。
最後の段落「この後、鋼体化改造されて他の仲間と同じ平凡なロクサンスタイルの荷電となり」とあるが、ここまではその通りである。(細かいことにこだわる方から見れば、この車は乗務員扉の上までヘッダーがあったので他の車とは違いまっせ、と言われるかも知れないが、そこまで言う必要はない)

その次からが間違いの部分で「阪和線に転じたのも束の間、再度改造されて中間部が切り開かれ無蓋化され、凹形の転用車となり中部圏に転じていった。」とあるが、これはイラストの「モニ13027」ではなく全く別の「モニ13027」のことである。

国電ファン以外の方は「何のこっちゃ」と思われるだろが、「モニ13027」は初代と2代目が存在し、関さんはこの部分を混同されておられる。

具体的に解説すると、初代モニ13027(関 三平さんのイラスト)は大正15年日本車輌製のモハ10110が昭和16年3月吹田工場で荷電に改造されて宮原区に配置。27年7月鋼体化改造でモニ53023に改番。28年6月の改番でモニ13023となり53年6月に廃車になった。ずっと本線筋で使用され阪和線に転属したことや他形式に改造された事実はない。
車号の変遷は次の通りである。
デハ63208→モハ10110→モニ13027→モニ53027→モニ13023→クモニ13023

2代目モニ13027は、大正12年汽車会社製のモハ10153が28年1月日本車輌で鋼体化改造され品川区に配置。2月に鳳区に転属して阪和線で使用。36年6月豊橋区に転属。同年10月豊川分工場で配給車クモル23050に改造され60年2月に廃車になった。
車号の変遷は次の通りである。
デハ63253→モハ10153→モニ13027(2代目)→クモニ13027→クモル23050

 初代モニ13027→モニ53023→クモニ13023/ (38-11-23) 大阪
この車とクモニ13022は吹田工場で鋼体化改造され、乗務員扉の上までヘッダーがあるのが特徴である。
クモニ13023 38-11-23
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原鉄道模型博物館に行って

期限が切れそうなJALのマイレージ特典航空券を使って、日帰りで東京方面に出かけ、横浜の原鉄道模型博物館に行って来ました。原鉄道模型博物館は、昨年の7月にオープン、すでに行かれた方も多くあるのではと思いますが、原信太郎氏が製作・所蔵している膨大な鉄道模型を中心に、鉄道関係の写真、収集した希少なコレクションを集めて公開したものです。館内は撮影禁止でしたが、この11月からストロボ、三脚を使わない写真の撮影が解禁となりましたので、写真を交えて少し紹介させて頂きます。横浜駅から歩いても5分くらい、横浜三井ビルという高層ビルの2Fにこの博物館があります。ビルの玄関正面に専用のエスカレーターがあり、これを登ると展示室です。

博物館の入り口

博物館の入り口

全部で12のコーナーがあって、模型の展示、氏の鉄道の旅の一端を紹介したコーナー、一番切符、時刻表のコレクションも紹介されています。 続きを読む

国鉄モニ13027号

韓国では美女は整形で作られているが、この電車は改造なのになんでこうもブサイクなんだろうか?改造するにも何か意味があるデザインなのだろうか?
こうなると、最後に書いてある前面傾斜二枚窓の凹型への再改造後のスタイルも是非とも見たいものだ。
国鉄モニ13027号(文)_NEW 国鉄モニ13027号_NEW

 

保存蒸機とその現役時代(24)

48640 1921年(大正10年) 汽車 製番519

2012.6.25 弘南鉄道弘南線新里駅構内 ▼

s-12.6.25弘南鉄道新崎48640

1969.3.31 川部駅 クモハ73106東ウラ氏撮影 ▼

s-48640 S44.3.31 川部

C5096 1929年(昭和4年) 日車 製番240

2013.1.5 静岡県焼津市小石川公園 ▼

s-130105焼津C5096

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