2006年11月 初めて鹿島鉄道へ (1)
「あの日あの頃」も続けます。2006年に鹿島鉄道へ行っています。茨城県下には非電化の私鉄が多くありましたが、常総線や筑波線は、連れられて行ったことはあるものの、距離も短く、車両数も少ない鹿島鉄道は、訪問順位が低いものでした。鹿島鉄道がアテにしていた貨物輸送が無くなり、急に先が見え出した、この年の11月にやっと訪れることがてきました。これぞ“ニッポンの田舎”と言った、穏やかな風景、きれいに整備された車両と、すっかり魅入られました。
▲霞ケ浦の湖畔を走る。対岸も望めて、筑波山も霞んで見えている。玉造町~浜 キハ432 鹿島鉄道は石岡~鉾田27.2kmの非電化私鉄。1924年に鹿島参宮鉄道として石岡~常陸小川が開通し、1929年に石岡~鉾田が全線開通した。その後、1965年に取手~下館、土浦~岩瀬の常総筑波鉄道と合併し関東鉄道となり、石岡-鉾田は鉾田線、取手~下館は常総線、佐貫~竜ヶ崎は竜ヶ崎線、土浦~岩瀬は筑波線となった。常総線は都心に近く利用客が増加したが、鉾田線と筑波線は利用客が減少、同じ運賃では採算が合わなくなったことから、関東鉄道は鉾田線と筑波線を分社化させ、鉾田線は鹿島鉄道、筑波線は筑波鉄道に分社化された。