企業シリーズ第2弾は、滋賀県民ならば誰でもご存知であろう(株)平和堂のアル・プラザです。何かと便利な商業施設ですよね。一部、駅から徒歩では厳しい店舗もありますが、駅からアクセスしやすいのがよいです。
あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~31~
ほぼ同月同日シリーズに戻ります。世間で言えば、年末年始の休暇に入っています。私の会社時代、年末は徹夜も厭わぬ猛烈な忙しさが続きましたが、それでも最終日は会社で終業式があって、全員で一献やって仕事終了、そのあと同僚と深夜まで打ち上げと、いかにも、その時代らしい年末でした。それでも翌日は、朝早くから撮影旅行に出かける年もあって、今では考えられないようなエネルギッシュな活動をしていたなと思います。同月同日シリーズ、年末年始の記録を探しました。
▲平成9(1997)年は青森まで出掛けた。新幹線は盛岡までで、盛岡~青森・函館の新幹線リレーに583系「はつかり」などが走り、年末は臨時も多い。隠れ581系ファンの私は逃す手はない。朝の青森駅には583系があふれ、在来線特急列車の最後のシーンを見せていた。
土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線のぞき見
魚梁瀬森林鉄道跡を訪ねるために、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線に初めて乗車しました。後免から安芸までの1往復乗車だけの記録ですから貧弱な内容ですが、これから訪ねようとされている方の参考になればと、ご紹介致します。
土讃線の後免駅で南風3号から降りたのは、我々夫婦の他には2~3人でした。くろしお鉄道の始発駅ですから、乗換え客を含めて多くの人が降りるのかと思っていましたが意外でした。ホームの端で出迎えてくれたのは「ごめんえきお君」でした。
癒しの島 台湾鉄道2023年初冬の旅 Part8 阿里山へ向かう
第7日目 12月4日
6:30 早めに起き上がってフロントでお兄さんが出勤するのを待ちます。
7:10 ようやくお兄さん起床で来られました。直ぐに止めてある駐車場へ行って出発です。
7:37 とても徒歩では難しい山道を走り石卓のバス停に着きました。近くの宿で泊まられたと思える方々がお待ちでした。お兄さんは近くのコンビニでまだバスが来ていない事を確認されます。これで安心、待つのみです。
7:44 待った阿里山行きのバスが到着です。
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親子で和歌山電鐵
お久しぶりです。1988年度生の「こぱんだの保護者」です。
うちの娘も中学生になり、一眼レフカメラを持ってあちこちに出かけています。
少年向けの鉄道マンガでネコの駅が取り上げられており、実際に行きたくなったとのことです。
癒しの島 台湾鉄道2023年初冬の旅 Part7 阿里山森林鉄道乗車で奮起湖へ
第6日目 12月3日
今日は私の75歳の誕生日です。昨夜は薬膳料理で前祝をしていただきましたので朝から元気よく目覚めました。6:20、嘉義駅へと徒歩でipadのGoogle地図を見ながら向かいますが予想通り客を乗せたtaxiすら通りません。
7:38 最短コースを歩き嘉義站に到着です。普段はスーパーへ買い出しに行く時ぐらいしか歩いていませんが旅に出てからは1日10,000歩以上は歩いてきましたので脚力が蘇ってきました。
嘉義站は1902年4月20日、- 台湾総督府鉄道の駅として開業、 阿里山森林鉄道阿里山線は、1910年10月1日 開業しています。現在の駅舎は日本統治時代の1933年(昭和8年)に建造された同時期に建てられた上野駅、台南駅に似た鉄筋コンクリート造りのクラッシックな駅舎ですが小樽駅によく似ていると言われています。ロータリー駅前広場の改修整備が終わったようです。
駅名喫茶店(第98回:樽見鉄道の駅名)
駅名喫茶店(第97回:三重の駅名)
都道府県シリーズ第3弾は三重県です。こんな形で47都道府県を制覇すれば、必ず全駅名を紹介できる訳ですが、さすがに大阪はしんどいです(泣)
西のC59・C62 全記録 (6)
初めての小屋浦へ 昭和43(1968)年3月▲朝、広島へ向かう呉線の列車は、客車12両でも満員で、何本も通り過ぎる。C62本来の目的ではないものの、あらたな働き場所を見つけたようだった。(以下、小屋浦~坂 昭和43年3月)
では呉線のC59・C62に戻ります。前項(5)では、高校3年生の春休みの昭和43年3月に、北九州撮影旅行の途上、呉線に寄って、初めて走行中を撮ったことを記しましたが、その帰りにも、呉線に立ち寄っています。九州から夜行鈍行に乗って、早朝の広島に到着、呉線に乗り換えて、小屋浦へ向かいました。呉線を有名にしたひとつは、朝のラッシュ時に、広~呉~広島で運転されていた通勤列車を牽くC59・C62でした。これに広島行きの夜行列車も加わって、小屋浦で見ると、6~9時台に上下8本の蒸機列車が通りました。
駅名喫茶店(第96回:新幹線の駅名)
気が付けば、2023年も終わりですね。今年は私が好きだったJR東海車の車内メロディ「AMBITIOUS JAPAN !」が新メロディに置き換わった年でした。
以前に「のぞみ」が停車する駅名として東海道・山陽新幹線を取り上げましたが、意外にも新幹線特集が未投稿でした。
来年3月には北陸新幹線が敦賀まで延伸開業されます。と同時にハピラインふくいも誕生です。関西では北大阪急行延伸線も忘れてはなりません。2024年も楽しみです。
癒しの島 台湾鉄道2023年初冬の旅 Part6 旧友との再会
癒しの島 台湾鉄道2023年初冬の旅 Part5 台中の休日
第4日目 12月1日
前回9月の訪台旅は台風の直撃を受けて列車運休があり2日間は動けませんでした。そのため今回は年金暮らしで暇を持て余していますので10日間の余裕ある旅にしようと予定は白紙でその都度現地で考えようと決めて訪台していました。そして今日は台中に連泊しての間の白紙日で今後の行程はどうするかを検討する日として空けておきました。
前回は台中港線の貨物列車撮影日でしたのでそれも良いかなと思いましたが、今回の旅のメインは久しぶりの阿里山鉄道の乗車と12月4日に運行される予定のシェイ式蒸気機関車牽引の撮影です。出来ればこのイベント列車に乗車するのも良いかとWeb での参加申し込みをかなり前に行いましたが既に売切れ状態でかないませんでした。
それでも直前になればキャンセルも出ることがありますのでダメ元で諦めず行ってみようと考えました。
12月2日 嘉義 泊(予約済み)
3日 嘉義(阿里山森林鉄道・予約済み)⇒奮起湖 泊(予約済み)
4日 奮起湖⇒阿里山(未予約)⇒嘉義 泊(予約済み)
阿里山森林鉄路は予約はしていますがきっぷの受け取りをしておく必要がありますが台鉄のキップは何度も台鉄站の窓口で経験済みですので分かっていますが、阿里山は嘉義駅しか窓口はありません。フロントへ降りてお嬢さんにお聞き9しますと1階ロビースタッフを呼び寄せて説明します。
近くのセブンイレブンへ案内するので付いていくように言われました。
▲ ホテルのロビースタッフは店内にある端末機ibonのトップメニューから操作して簡単に切符が印刷されて出てきました。
慣れれば私でもできそうです。次回は挑戦してみましょう。
魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(補遺)
西村雅幸さんの記事から高知の森林鉄道跡(廃線)に興味を持たれた方への『オセッカイand煽り情報』です。
自宅でコタツに温もりながらWeb閲覧をされるのも良し、図書館や本屋で情報を漁ったり、一念発起、来年の探索計画を立てるのもアリでしょう。
【お知らせ】
以下の情報の取扱いは、貴方の自己責任でお願いします。
廃線跡調査では思わぬ怪我や、他人の土地への無断侵入でのトラブルなど、貴方の想定外の事が起こり得ます。地元の方から事前に情報を貰い、地域の方の迷惑にならない様に配慮願います。
また魚梁瀬などは産業遺構として文化財指定されています。遺構や遺物を破損したり落書き等は、ちょうど古刹への行為と同じ犯罪行為です。厳に謹んでください。
この情報は部分的に古いものも混じっています。
貴方に起こる不利益の類いを、当方は一切感知しません。
ご安全に、成果が得られます様に、お祈り申し上げます。
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この実物は表紙以下、こんな感じです。
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DF50の思い出写真(8)播但線
私の知る播但線DF50は列車牽引でなく補機運用であった。播但線は過去に生野峠のトンネル内で機関車の不幸な事故が起きた暗い過去もあったが、回送を兼ねたC57の3重連を生むなどファン向けのサービス運行もあった路線である。北陸本線の杉津峠のような印象的なシーンではないが播但線補機の数少ない記録である。
1962.12.16和田山駅で待機する前補機DF5064[米子]+本務機C5523[豊岡]の貨物列車。DF50はピカピカの新車の感じで茶系の落ち着いた旧塗装であった。C5523は少し見づらいが流線形改造の面影が運転室付近に残っている。▼
196712.16生野駅の城崎発3606列車週末準急「ゆあみ」大阪行き。本務機C5562[豊岡]と前補機DF5064[米子]が側線に後退する姿。DF5064はこの日は補機専用の仕業であった。C5562はラストナンバーで姫路からはEF58交代して大阪に向った。▼
撮影とフィルム現像の失敗で申し訳ない写真であるが、1969.2.23生野付近で下ってくるDF50前補機+C57本務機の姫路方面に向う上り貨物列車。C57は既に絶気状態である。各列車こんな姿で和田山-生野間を走っていた。▼
癒しの島 台湾鉄道2023年初冬の旅 Part4 台中MRTに初乗車
次年度の幹部が決定しました

総会に行く道中、団体列車「楽」と遭遇
こんばんは、現役生会長です。
先週日曜日の総会にて、次年度の幹部が決定しました。1月より、新体制に移行します。
今年は、OBの皆さまをはじめ多くの方々からご支援を賜り、会誌『青信号』の復活や4年ぶりのクローバー祭出店をすることができました。また、JR西日本イノベーションズ様やガーネッシュ様、どうりん様のように、新しい交流も生まれました。DRFC65周年にふさわしい年となったのではないかと思います。私も、そのような年に会長を務めさせていただけたことを大変嬉しく思うと同時に、支えてくださった全ての方々に感謝しております。
皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。
阪神軌道線 北大阪線を偲ぶ ~路面電車あれこれ噺⑦
癒しの島 台湾鉄道2023年初冬の旅 Part3 内湾線も再訪
第2日目 11月29日 その2
① 十四張 11:15(MTR環状線)⇒11:24 板橋
② 板橋11:49(台鉄区間車)⇒11:57樹林12:00(区間快)⇒12:58 新竹
板橋站では来た電車に乗って移動しましたので2駅先では乗継です。
▲ MRTから台鉄へ乗り換えた板橋站前公園のクリスマスツリー側で三脚にスマホをセットしてダンスのレッスンをされているサンタミニドレス姿のお嬢さん、可愛い姿に思わずカメラを向けてシャッターを切りました。 続きを読む
魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その5) 馬路から田野へ
馬路温泉で1泊し、引き続き安田川に沿って南下します。さっそく県道脇にトンネルがありました。
⑰平瀬隧道 【重】 明治44年築造。他のトンネルと同じ構造で、全長70.6m。カーブしている。歩いて通り抜けられます。かつては道路として利用されていたのでしょうが、川沿いに広い道路が整備され、通る人はマニアだけでしょう。写真のように、南側坑口の山側には切石積みの立派な擁壁があります。
この先には釜ケ谷(かまがたに)橋【重】と釜ケ谷桟道【重、近】があるのですが、整備された県道の下部構造になっていて、気付かないまま通過してしまいました。
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魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その4)安田川線に沿って
林鉄は魚梁瀬よりさらに奥まで伸びていましたが、今回は魚梁瀬でUターンして安田川線方面に向かうことにしました。ダム湖の水位がかなり下がっていましたので、更に上流に向かえば、あるいは水没した線路跡や鉄橋跡などが姿を見せていたのかもしれません。急峻な谷が続く地だけに、冬場のこの時期は15時を過ぎると日当たりが悪くなりますので、明るいうちに馬路温泉まで行こうと下山を急ぎました。
⑩犬吠橋 【重】 魚梁瀬ダムを過ぎると、林鉄奈半利線と安田川線の分岐点釈迦ケ生です。この辺りに「井の谷橋」という上路式のトラス橋がある筈なのですが、見つけることが出来ずに諦めました。あとで調べると、村道(林道)に入り込まないと行けない地点だったようです。しばらく行くと工事中のう回路に出ました。犬吠橋です。上路式のトラス橋で県道も兼ねていたのですが、桁間が垂れ下がり崩落の恐れがあるため通行止めとなり、大掛かりな復旧工事中でした。
大正13年架橋ですから、99年前のものです。重要文化財に指定されていなければ、復旧工事せずに廃橋になっていたのかもしれません。