先日も5200の旧特急色を載せましたが、今近鉄エリアキャンペーンとして、「室生・赤目・伊賀上野」が開催されています。旧特急色もその一環でしたが今回は車両ではありませんがスタンプラリーで獲得した「バッジ」を紹介します。奈良線100周年の時も同様なことがあり、全て獲得できなかったのですが、今回は地の利を活かして全てゲットしました。一つのニュースとしてご覧ください。車両4種類としまかぜ正面です。このバッジ何処に着けて行くかですね?
湘南色115系を撮る▲八木原駅を発車する水上発高崎行き726M、クハ115-1028ほかの7連。朝の光線のなかに湘南色の長編成がよく映えていた。
高崎で泊まって、翌日は上越線に向かった。上越線は夜行列車で通ったことはあるが、日中は、以前に準特急さんと八木原へ写しに行った程度で、ほとんど初めての乗車・訪問だった。北陸新幹線が開業すると、上越線も様変わりする。その前に一度は行っておきたかった。
さらに高崎~水上には湘南色の115系がまだ頑張っている。関西での113系湘南色車もほぼ絶えてしまったいま、ヘンな細工も何もない、手入れの行き届いた原色を堅持する高崎車両センターの115系は貴重な存在になってきた。同センターの115系は、3連、4連の固定編成に分れ、上越線をはじめ、高崎周辺の信越線、吾妻線、両毛線で使用されている。
▲ 今日は西安北からCRH(高速電車)に乗車して北京西に向かいます。赤線が乗車する高速鉄路の区間(営業距離:1,216キロ)です。
中国の高速鉄路は北京オリンピック直前の2008年8月1日に開業した京津城際鉄道(北京南~天津、116.907キロ)から始まりました。実質距離こそ違えてはいますが、日本の新幹線(東京~新大阪、515.4キロ)が東京オンピック直前の1964年10月1日に開業したのとよく似ています。
国家の威信をかけて建設されましたが、中国では大躍進の新規開業が相次ぎ、気が付けば10,000キロを超えて日本の新幹線(2,620.2キロ)の3倍を上回る距離で建設されています。今年中には4倍を越えようとしています。
なぜにこれほど計画通りスムーズに開業が相次いでいるのか、それは都市間移動短縮に伴う大きな経済効果があげられますが、中国では55もの少数民族を有しているがために日本とは違った事情があります。
最近では新疆ウィグル自治区に始まり、少数民族による反政府テロが発生しました。これを武力鎮圧するには短時間で大勢の軍隊を移動させなければなりません。外務省公式HPでは中国960k㎡、日本は38万k㎡と約25倍もの大差があって、もし有事があった場合には高速大量輸送が国策上で欠かせないためでもありました。
高速鉄路建設には最初に用地買収が必要ですが、土地は国の物であって使用権は認められているものの国策となれば転居は強制的に行われます。日本とは全く違った状況が早期の高速鉄路建設の前進を進めました。
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上信で夕陽を狙ってみる
▲上信電鉄南高崎~根小屋の烏川鉄橋で、上信に31年ぶり登場の新車7000形を流してみた。車内はセミクロスシーシになっていることが分かる。
深谷で廃線跡探索のあと、近代建築巡りにも時間を割いたため、想定外の長居となってしまった。高崎に着いたのは、もう陽が傾きかけていた。高崎で夕方となると、行くところは決まってくる。上信電鉄南高崎の先にある烏川鉄橋だ。上信高崎駅に行くと、沿線の富岡製糸場の世界遺産登録の号外が貼ってあったりで、世界遺産の恩恵は相当なもののようだ。烏川鉄橋の夕景は今回で3回目だが、なかなかいい夕陽に恵まれず、この日も昼間は青空だったものの、次第に雲が多くなってきた。失意のうちに電車に乗り込むと、発車のとたんに居眠りしてしまい、気がついた時は、くだんの烏川鉄橋を渡っているところだった。居眠りによる乗り過ごしはよくあることで、慌てることなく、つぎの根小屋で下車、オバチャン駅長に聞くと、撮影者はみんなこの駅から歩いて鉄橋まで行くとのこと、たしかに農道をたどっていくと、それほど時間も掛からず、鉄道橋の南に架かる、人・自転車専用の木橋に着くことができた。なお、南高崎~根小屋には新幹線高架の直下に佐野信号所があり、日中はここで列車交換を行なっているが、今年12月からは“佐野のわたし駅”として駅に昇格するとのこと、駅ができれば、烏川に最も近く、撮影は格段に便利になる。
▲ 今日も西安の回民街でグルメウォッチングです。その中でも愛想と威勢が良かったのは炭火でゆっくりと鶏を焙るおばちゃまです。
焼け出した鶏から出た油がジュウジュウと音を立てて炭火に落ちます。その度に香ばしい煙が立ち上がり、鶏を燻していきます。美味さを増してコンガリと焼き色が付いたところで1本いただきました。パリパリとした皮と、ほどよく火が通った食感、そして味付けは抜群で、大変美味しくいただきました。
今回のPart11には、鉄分が含まれておりません。ご承知、ご了解の上、ご覧ください。
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日本煉瓦製造の廃線巡りへ
東京に着いてから、まず秩父鉄道に向かった。三ケ尻線で貨物列車を撮るつもりで武川まで来たものの、なんとプラントの点検で貨物列車は本日まで運休、単機回送のみしか走らないとのこと。行く前から何やら悪い予感がしていたが、ピッタリ的中してしまった。即座にあきらめて、次善の策として計画していた日本煉瓦製造の廃線巡りに向かうべく、高崎線深谷へリターンした。埼玉県にも廃線跡は多いが、“煉瓦”と言う文言が以前から気になっていた廃線跡だった。電動自転車を借りて、深谷駅から続く廃線跡を利用した自転車。歩行者専用道へ入る。
▲日本煉瓦製造専用線の廃線跡で、いちばんの見所は、中間地点の福川と言う河川に架けられていた鉄橋だ。川のすぐ近くに「ブリッジパーク」として、ボックスガーダー(写真手前)と、プレートガーダー(写真向こう)が保存されている。ボックスガーダーは、洪水の際に線路の上流側に水が溜まらないように、水を下流側へ逃がす役目の避溢橋で。桁を四角に組み合わせ箱型の桁としたもの。プレートガーダーは、ポーナルの設計によるこの種の鉄橋としては最古のものと言われている。
私が仕事を辞めてから5年が経過し、目出度く前期高齢者の仲間入りも果たしました。5年の速さと、計画倒れの連続で、趣味活動に実績を残せなかったことに愕然としています。“時間がない”を連発されていると聞く当会先輩の気持ちが痛いほど分かる年齢になりました。とくに最近は、いろいろな事情で泊りがけの旅もほとんどできません。
仕事を辞めたときには、こんな鉄道の旅をしてみたいと“60の誓い”を立てたことがありました。
(1)旅に出るなら、人の少ないオフシーズンに行きたい。安く賢い切符を使って、気ままな一人旅を楽しみたい。
(2)撮影は、高価なカメラ・レンズ・三脚に囲まれる、お立ち台へは極力避ける。撮影地としては劣っていても、自分だけの撮影地へ行きたい。
(3)撮影だけではなく、“乗り鉄”にも時間を割く。今となっては値打ちがないことは承知のうえだが、JR全線乗車だけは果たしたい。
(4)道中、空いた時間を見つけては、蒸機時代の撮影地への再訪、廃線跡の探索、近代建築の見学など、自分の興味・テーマに合ったことにも使いたい。
この思いは5年後も生きています。10月のある日、誓いを実践すべく、ホントに久しぶりに、平日に限定して上越・只見・磐越西東・常磐線方面へ3日間の旅をしてきました。
▲“安く賢いきっぷ”として、選んだのが、JR東海がEX-IC会員限定で発売した「超・超IC早特きっぷ」、新大阪・京都~東京を一律5400円で発売するもので、通常料金より9050円も安い激安きっぷ、東海道新幹線開業時の東京~新大阪の一等の運賃・料金5030円とほぼ同額に設定したものだ。発売は1ヵ月前の午前10時、相当な激戦が予想される。1ヵ月半前ぐらいから、何度もネットでシミュレーションして、その日に備えた。発売当日、午前10時の時報とともに、エクスプレス予約にアクセス、ラッキーなことに往復とも希望の列車をGETできた。その直後に試してみると、もうすでに販売完了だった。販売席数は示されていないが、一列車20~30席ではないかと言われ、発売開始1、2分の勝負のプラチナチケットだった。これで、東京までのきっぷは確保できた。あとは、これまた鉄道の日の前後に限定発売の「秋の乗り放題きっぷ」を組み合わせての出発となった。
▲ 美しくライトアップされた高さ36mの西安鐘楼。外観上は3階建に見えますが、中から見ると2階建て。釘を一切使わず、継ぎ目のない一本柱様式の楼閣建築です。中国の都城ではでは鼓楼と対で造られることが多く、東に鐘楼、西に鼓楼を置き、早朝に鐘を鳴らし、夕べには鼓を撃って「晨鐘暮鼓(しんしょうぼこ)」と称したそうです。西安では明時代の約600年前に建築されました。晨鐘暮鼓とは、「悠揚たる鐘の音は新しい一年好運を運んでくる。仏教の中で更に鐘の音を聞くことは修行の智慧や煩悩を断つ「不二の法門」としている。」だ、そうです。
西安には世界遺産に登録されている兵馬俑をはじめとして多くの遺跡があります。古代から栄えた都で、かつては長安とも呼ばれ、平安京建設の際にはモデルとされました。今は京都と友好都市にもなっています。観光は以前に致しましたので、今回は久しぶりの街角散歩と2011年に開業した西安地下鉄と西安北站の見学です。
当ホームページにアップされました
このたび、現役の皆さんとともに開催しました第5回鉄道写真展「鉄路輝く」の作品が本ホームページにアップされました。トップページ上部の緑帯の「クローバー会」→「リンク」→「クローバー会写真展<鉄路輝く>」→「第五回写真展」で見ることができます。これを制作いただいたのがtsurukameさん、ご多忙のなか、素晴らしいデザインに中に展開していただきました。ありがとうございました。今後は、現役生の作品も追加して、そのすべてをご覧いただくことができます。ぜひご覧ください。
※ ご面倒な方は、こちらをクリックしてください。
当初は予定していなかった青藏鉄路の撮影は満足出来ましたが肝心の茶卡盐湖(チャカ塩湖)に走るナロー鉄路撮影は惨敗に終わりました。今日からは車窓と街角散歩を楽しみながらのゆっくり旅です。次の目的地は3度目の訪問となる西安です。
上の地図は西安までの軌跡です。西宁から兰州までの乗車はK622次、平均速度78.2km/h、表定速度80.9km/hで走破します。兰州からはK2630次に乗り継ぎます。山岳路線を行きますので、平均速度61.8km/h、表定速度65.1km/hとなっています。
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▲ チベット高原の青海湖畔で地面に穴を掘って住まいにしているオオスナネズミ君。
地面の穴の中は、安全であるだけでなく、冬は暖かく、夏は涼しいので、快適に暮らせるのだそうです。体調は手のひらぐらいで、とっても可愛いのですが繁殖力がおおせいで、放牧されている草原の羊や牛のえさの草木を食い荒らしますので、嫌われ者です。
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2014年10月5日デジ青投稿の[青春18忍耐区間]では熱海~浜松間を我慢の乗車区間として紹介した。それでは忍耐の反対の不忍耐区間はどこか。大阪(神戸でもよい)~名古屋間を挙げてみたい。不忍耐という言葉は恐らくないので我慢しなくてよいというよりももう少し積極的に楽しく乗車できるという意味で快適乗車区間とした。その理由は同区間は
①列車速度が速い。特に大阪~米原間は前回紹介した通り特別に速く快適である。
②クロスシート車両で旅の楽しみが倍増される。
③車窓からは多くの歴史的名所旧跡が見られる。例えば安土城址、彦根城、佐和山城址、稲葉山城、名古屋城、山崎天王山古戦場、関ヶ原古戦場等々。
④自然豊かな景色が展開される。例えば河川で言えば淀川、桂川、鴨川、瀬田川、揖斐川、長良川、木曽川等がそれで、山で言えば東山、比叡山、比良山、伊吹山、養老山系等が該当する。それに日本一の琵琶湖。
さらに個人的には
⑤車両基地が頻繁に見られ全く飽きることが無い。吹田、高槻、向日町、京都(梅小路)、野洲、米原、大垣、稲沢と車両を眺めるのに忙しいくらいで、とても本を読んだり、ゲームをする気にならない。
⑥私鉄との併走区間が比較的長く続いたり、複々線での追い抜き等の楽しみが多い。
⑦かつて撮影した場所を車窓から眺めその当時を思い起こすことができる。例えば、高槻~山崎~神足(現長岡京)、山科、瀬田川の鉄橋、近江長岡~柏原~関ヶ原等々。これは大阪~名古屋間に限ったことではないが「あのあたりで撮ったなー」と一瞬当時を思い出すことができる。
大阪~名古屋間は4~5時間かかったC59(小学生で機関車種別を認識できる能力はなかったが先達の記録からC59でまちがいない)の客車列車や電化して到達時間が半分近くに短縮された80系、153系の準急「比叡」等をよく利用した区間で強いて言うと当時は湖東平野が忍耐区間であった。そこで本題から少し脱線するが、快適区間で特に快適に感じた場所を紹介したい。
大阪を出た列車は淀川を渡りしばらく走ると進行左手に吹田操車場が見える。大操車場にはハンプという人工的につくった丘を利用した貨車の行く先別仕分けの施設がありキューロクあたりが貨車を押し上げている風景が見られた。広い操車場なので蒸機の煙も至る所で見られた。