2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part6 復州湾塩田ナローを撮る その4

DSC_883618 ▲ 14:35 復州湾ナロー鉄路五島運輸站路線にはもう1つのハイライトがありました。14基の橋脚に支えられた鉄橋です。本土側から海の中道へは1992年に建築された比較的新しいコンクリート橋でした。中国鉄路を撮影してきていつも戦前か中華人民共和国建国後かを判断する1つの基準として、鉄橋は戦前の日本統治下または列強各国が建築したもの、コンクリート橋は建国後だろうと思っています、そう考えるとこの鉄橋は日本統治下時代に大日本塩業㈱によって建築されたと思われます。ここまで塩田開発が進んでいたとは驚きです。今のように機械化はなかったでしょうから数千人もの作業員が塩の採取、製塩作業に従事していたのでしょうね。
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保存蒸機とその現役時代(33)

11月11日米手作市様より広島の保存蒸機C11189についてお問い合わせの投稿があり、そう言えば最近保存機今昔が途絶えているので久しぶりにデジ青へ投稿させていただく。11月9日のホームカミングデイには現役生を交えてOB会クローバー会の総会・大宴会が開催され盛況のうちに終了したが、その翌日、宝塚市にある雲雀ケ丘学園に保存されているC56111を訪ねてみた。この機関車は当時の当会恒例行事である冬季狂化合宿に参加するため飯山線列車に乗車した際に途中駅で撮影したものである。併せて狂化合宿の一端もこの場を借りてご報告したい。

C56111  1937年 三菱 製番211

新製後、門司、木次に配属されたようであるが、1955年飯山機関区に配属されてからは雪深い飯山線で活躍し、1973年に九州吉松機関区に転属し翌1974年に廃車された。

説明板には当学園の創立25周年(昭和50年)を記念し宝塚市と国鉄のご好意で永久保存するとあり、僚機がタイ、マレーに90両送られたこと、大半を長野県下で過ごしたこと、宮崎植樹祭でお召予備機になったこと等適切に書かれている。また、貴重な文化遺産であるから大事に保存したい旨書かれており、保存状態は極めて良好であった。

雲雀ケ丘学園に保存されているC56111 2014.11.10 ▼s-14.11.10雲雀ケ丘C56111-1

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2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part5 復州湾塩田ナローを撮る その3

第3日目 10月12日 その2

DSC_85022310:26 食後は五島運輸站に戻りこれからの運行状況を聞きますが、まだ指示が来ていない様子で確認できません。

作業車編成を牽引していた06号機が単機で待っています。

DSC_850624▲ 10:35 撮影地① Google座標; 39.469295, 121.483682
ダイヤが分からずとあれば、仕方がありません、一路順風!さんが撮りたいが、今まで列車が来ず撮れなかったといわれる第5~7塩場への路線が俯瞰できる道路橋上に向かいました。道路脇に車を停めて、いつかは来るであろうソルトトレインをひたすら我慢の待ちです。
確かに第8塩場の海の中道を俯瞰できる小高い丘と同様に待つに値する絶景の撮影地です。強風を避けるために車の中でお昼寝しながら待機します。
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2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part4 復州湾塩田ナローを撮る その2

DSC_8450_1▲ 8:27 塩田から採取された塩山が連なる横を第8塩場へと向かう作業車編成。今朝は青空が見えていますが、風が半端ではありません。日本に上陸した台風の影響をこんな離れたところでも受けて、風速20m以上はあります。塩の海も荒れて、塩田には珍しい波の花が舞っています。今日は強風との戦いになりそうです。
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「中朝鉄路 写真紀行」のご紹介

日朝鉄路_小竹直人昨日、Amazonより予約しておいた1冊の本が届きました。
いつも訪中される時にはお誘いいただいております中国鉄路の第一人者の小竹直人先生の「中朝鉄路 写真紀行」です。

内容は題名の通り、日本統治下時代に中国と北朝鮮の間に架けられた国境の橋7本の紹介です。
長年に渡っての中国側から現地取材を重ねられた集大成が掲載されています。7本の鉄橋は1本、1本に分けて建設と目的、その後の経緯、そして現状が幅広い視点から書かれています。

取材旅行の何回かは私も同行させていただき、デジ青に掲載させていただきました。それだけに思い出すものが多く、一気に読み上げました。さすがプロです。私の掲載した記事とは一味も二味も違っての卓越したものがあって、また勉強になりました。

今年末からもご同行させていただき急激な変化を遂げていく中朝国境を結ぶ鉄路を訪問予定です。またご紹介させていただきますのでよろしくお願い申し上げます。
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2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part3 復州湾塩田ナローを撮る その1 五島運輸路線

DSC_82850915【復州湾塩場ナロー鉄路・大連塩化集団
大連からは車で約2時間余り、北約90キロにある遼東半島西岸の復州湾一帯は、温帯大陸性季節風気候に属し、年平均気温は10℃、平均年間降雨量は687mm、年間日照時間は2600時間、年間無霜期間は190日です。冬は厳寒がなく、夏も酷暑がなく、古くから汚染なしの海にめぐまれて品質が高い塩の産地で、広大な塩田が広がっている地域です。
日本統治下時代には大連は自由港であったため関税収入が見込めず代わりに塩税が関東州の財政を支えていたそうです。関東州も積極的に塩の生産拡大を図り、やがて塩田の90%以上は日本企業(大日本塩業㈱)の経営となり、ソーダ工業の原料用として内地に大量に輸出され、日本の化学工業を支えていました。
大日本塩業㈱は、天日製塩のために広大な塩田を造り、その輸送のために762㎜のナローゲージ鉄道を敷設しました。最盛期には総延長約100キロにもなったそうです。機関車は当初からDLで今も改造を受けながら現役使用されています。小さな木造トロッコを牽いて海を渡る姿はとても可愛いと、ナローファンが訪れる所となりました。
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C11、大川(阿賀野川)を渡る-半世紀前-

1965年5月の会津(滝ノ原)線です。
山間が少し開けた南会津の楢原から北に、弥五島、湯野上、桑原へと、大川(阿賀野川、国土地理院も四文字にしたり、阿賀川と三文字にしたり、いい加減)の橋梁を渡るC11を順に撮影しました。桑原まで凡そ13km、谷合の区間です。

この内、湯野上から少し北、桑原までの中間付近から舟子あたりまで、大川ダムの建設が進み(1988年運用開始)若郷湖となり、撮影した一部区間は水没してしまいました(後図参照)。先ずは弥五島の北、第五橋梁から。

▼第五大川橋梁 貨客混合332レ 機C11 弥五島間-湯野上間 1965.5.4       10421

10421次は湯野上の手前、第4大川橋梁です。天気は良くなかったのですが、日中8本程の旅客、貨客混合に貨物列車と結構な列車に会いました。左手が弥五島方向、右手が湯野上方向。
▼第四大川橋梁 客334レ 機C11 同上区間 同日     C1104

C1104 続きを読む

九州のたび(その2)

前回の投稿から2ヶ月も経ってしまいました。中途半端で終わるのも気持ちが悪いので、気を取り直して続けることにしました。しばしお付き合いください。
2日目は乗り鉄が中心、もう一度市電の写真を撮った後、9:40の鹿児島中央発日豊本線国分行きで隼人に向かいます。鹿児島を出ると錦江湾沿いを走り、あいにくの雨で山頂は雲に覆われていますが桜島が眺められます。SL時代の名所竜ヶ水を通り、隼人で吉松経由の都城行きに乗り換えます。吉松には11:42に到着、吉松はSL時代機関区があり、使われていないものの広い構内は当時交通の要地だったことをうかがわせます。隣のホームに次に乗車する「しんぺい2号」が停まっています。御存知の通り、JR九州にはユニークな特急、観光列車が走っていますが、「いさぶろう」「しんぺい」は地元の人も乗れる観光列車という位置づけで4人掛けと2人掛けの指定ボックス席のほか私の乗ったしんぺい2号には2号車に7席、3号車に6席の自由席があり、また各車両の中央部は展望スペースになっていて、ここも一応指定券無しでも自由に使えます。 続きを読む

2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part2 大連路面電車

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大連
は、日露戦争後の1905年、ポーツマス条約により日本の租借地である関東州に入りました。都市計画を進めるための路面電車建設については、南満州鉄道運輸部運輸課電気係が当初を担当しました。1909年9月25日に大桟橋(大栈桥)から電気遊園(电气游园)間、2.45キロ(DC750V、ゲージ1,435㎜)の路面軌道を開業したのが、大連路面電車(大连有轨电车)始まりです。
最初の電車は車体は米国製、台枠は英国製、電気部品はドイツ製と国際都市らしく、木造11車型電車37両が投入されました。会社名は、後に「満電鉄課」と改称され、1927年には営業路線も33.80キロに延伸、車両数も100数両となり、ピークを迎え市内ネットワークが完成しました。何度か替わった社名は、「大連都市交通」と再度改称されています。

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準特急さん、教えて下さい!

準特急さんは各地にある保存機関車を研究されていますのでお伺いします。
今から十数年前、まだ可部線が三段峡まで通じていた頃、親戚一行で墓参りをかねて観光に行きました。その時、駅前にC11が保存されていました。時間があったので一枚撮っておいた写真がこれです。
その後、可部線は寸断されて廃止されてしまいました。このC11はどうなってしまったでしょうか?もしご存じなればお教え下さい。
温井・三段峡10

2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part1 旅立ち 天津地下鉄、空港乗り入れなる

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2013年北満一人旅では初めて復州湾の塩田ナロー鉄路を訪問しました。しかし、塩運搬作業は終わっていて、作業員輸送車と金城運輸区でどこからか着いたソルトトレインを見ただけで走行するシーンは見る事も、撮る事も出来ませんでした。いつかはリベンジしたいと思っていましたが、チャカ塩湖にご一緒させていただいた一路順風!さんより、吉報が届きました。
「復州湾の塩田ナローの金城・五島ともに、やはり国慶節明けが最も頻繁に走ることが判明しました。前回の事もあります。ぶんしゅうさんのサポートをさせていただけます。」
中国ナロー鉄路の第1人者であられます一路順風!さんが2度目の惨敗をするわけはありません。満を持しての訪問とあれば乗らないわけにはいきません、即決で決めました。

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2014年 立山砂防軌道(国土交通省立山砂防工事専用軌道 ) 2年連続2回目の訪問

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いつも国内外の撮り鉄に行かれる折は声をかけていただいておりますクモハ73108東ウラ略;クモハ73106)さんより、チャカ塩湖に旅立つ直前の8月5日に立山カルデラ砂防体験学習会(国土交通省立山砂防工事専用軌道 )の個人応募を申し込むがまた行ってみないかとのお誘いを受けました。
ご存知の通り、立山砂防軌道は、稼働する雪解け5月初旬から降雪が始まる10月中旬までの間、一般客の視察を受け付けていますが、多くの申し込みが殺到し抽選で参加が決まります。今年の運試しはどうだろうかと賭けてみましたら帰国後の8月25日に「当たったよ」と連絡が来ました。倍率は何と5.5倍だったそうです。

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 秋は気ままに一人旅 -5-

ほくほく線列車を撮る

八木原から上越線の普通列車で北上する。明るいうちの乗車は初めてなので、窓外の景色に興味津々で、鉄道誌でよく見かける鉄橋を通るたびに、一人で歓声を上げる。新清水トンネルの中の湯檜曽・土合の地下駅の様子もよく理解できた。水上で乗り換えて下車したのが大沢、対向ホームだけの静かな小駅で、眼前には谷川岳など上越の峰々が連なっている。

越後湯沢で新幹線に接続し、ほくほく線経由で北陸本線方面へ向かう特急「はくたか」は、来年3月の北陸新幹線の開業で全廃がアナウンスされている。北陸・信越本線では、「はくたか」など485系狙いもあって賑わっているようだが、私はまず上越線からの始動となった。
141007_099syo大沢に着いてダイヤを確認する間もなく、やって来たのが北越急行683系、一瞬、「はくたか」と思ったが、ダイヤを調べてみると快速の831Mだった。「はくたか」の間合い利用で、こんな豪華で長編成の快速列車が走っているのだった。

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鹿児島市電と花電車

大津の86さんが9月にレポートされていました鹿児島に行ってきました。11月2,3日は「第63回おはら祭」で10月21日から11月3日まで花電車が運行されてました。花電車を中心に市電を写そうと出かけました。
横浜の10月末はあまり天気も良くなく朝夕は寒いくらいでしたが 10月29日の鹿児島は天気も良く快適でした。
鹿児島空港からバスで約40分鹿児島中央駅前は南国らしく花がたくさん咲き美しく整備されていました。

↓ 鹿児島中央駅前電停 9500形9502号 2系統郡元行き 左はJRの駅です。鹿児島2014DSC_0013

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2014年 天空の鏡 チャカ塩湖に走るナローへの旅 Part14 北京⇒天津 帰国

北京_天津路線図_03

▲ 今日は北京から天津に向かいますがルートとしては京津城际鉄路(北京南~天津、120キロ、33分)に乗車するのが一般的です。列車本数も多く、天津は在来線との併用站です。繁華街からは離れていますが、地鉄のネットワークが出来たので便利になりました。他にも上海への京沪高速鉄路(北京南~天津南、122キロ、36分)で途中下車する事も出来ます。また旧来の在来線(京山線)も時間を気にしなければ選択肢に入ります。ただ今日は北京西站すぐのホテルに宿泊しているので、北京南站まで地鉄で行こうとすると乗換2回があって50~60分は見ておかないといけません。荷物を持っての階段の上り下りの乗換は老人には辛いものがあります。
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阪堺線の京阪特急色?

乙訓の老人さま 【52971】のコメントありがとうございました。その中であびこ車庫で見かけられた700形707号の写真がありましたので報告させていただきます。
確かに京阪特急色に似た色だと思われます。
広告電車としての塗色のようです。

↓ 2014年7月4日 天王寺駅前から「阿倍野ハルカス」を背にして走る707号我孫子道行き
阪堺線707 20140704-3

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近鉄鉄道まつり

11月1~2日と「きんてつ鉄道まつり」が五位堂と高安でありました。残念ながら2日とも天候には恵まれませんでしたが本日午前中に五位堂まで足を運びました。小学生以下の子供達が押し寄せており大変なお祭り騒ぎでした。そのなかで乙訓の老人様が待っておられます「デボ1形塗装色の5800とど派手なラッピングの車両が目をひきました。5800は朝の臨時急行で五位堂まで来たのをそのまま展示しているようです(多分昨日も)。ラッピング車両は2022・2021・2111で名古屋線用で、いかにも名古屋らしい(?)と思われます。五位堂1五位堂2

提携先のカラー電車によせて(嵐電)

準特急先輩から嵐電の江ノ電色のご要望がありましたので 報告させていただきます。
モボ631形631号がこれにあたり専用のヘッドマークが付けられています。
提携5周年記念の2014年10月14日からはヘッドマークのデザインが変わり側面に江ノ電のキャラクターが追加されたようです。江ノ電も嵐電号の色が9月16日より京紫色に変更されているようです。近いうちに写さなければと思っています。

↓ 2013年5月11日 太秦広隆寺ー帷子ノ辻間にて
嵐電631 20130511

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2014年 天空の鏡 チャカ塩湖に走るナローへの旅 Part13 北京市郊鉄S2線、和諧長城号、中国鉄路の父「詹天佑記念館」

北京地下鉄路線図_1985▲ 2014年末には世界第2位(第1位は上海)の18路線総延長527キロに達しようとする北京地下鉄、初めて開業なったのは1969年10月1日の国慶節、复兴门~建国门16.1キロでした。中国では初めての地下鉄の誕生で、その後延伸工事が行われ、私が初めて訪中した1985年には上記の路線39.7キロが完成していました。今は1日約870万人の利用客を誇り、2015年には1,000万人を突破するであろうと言われていますが、当時は1日約10万人とわずかでした。まだ車内や町中には人民服を着た人を多く見かけました。
北京地鉄※ この路線図は車内に掲示されていたものです。
仕事で視察に訪れた際に案内していただいた地鉄職員からいただきました。今となっては貴重なものになりました。

左は当時の車両です。

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近鉄エリアキャンペーン

先日も5200の旧特急色を載せましたが、今近鉄エリアキャンペーンとして、「室生・赤目・伊賀上野」が開催されています。旧特急色もその一環でしたが今回は車両ではありませんがスタンプラリーで獲得した「バッジ」を紹介します。奈良線100周年の時も同様なことがあり、全て獲得できなかったのですが、今回は地の利を活かして全てゲットしました。一つのニュースとしてご覧ください。車両4種類としまかぜ正面です。このバッジ何処に着けて行くかですね?バッジ