窓から写した駅・列車 -7-

高山線の交換列車

関西からは近くも遠くもない高山線、しかし、撮影には行きづらい線区だった。蒸機の時代、旅客はC58、貨物は高山を境にして、南部はD51、北部は9600、富山口の区間旅客はC11も牽いていた。いずれも、特段の魅力を感じない機種だったことも起因しているのだろうか。

今でこそ、国鉄色に塗られたキハ40系が飛騨川沿いを行く写真などが発表されているが、当時は、発表された写真はあまり見かけなかった。そんな時、私がDRFCに入会した直後のB0Xのアルバムには、高山線の写真がベタベタ貼られていた。しかも、もっとも行きにくい猪谷付近の神通川沿いを行く列車で、よくぞ行ったものだと感心した。何でも、前年の新入生歓迎旅行が富山・猪谷方面だったとかで、DRFCの奥深さを、とくと感じたものだ。

私は、高校3年生の時、所属していたクラブの旅行で高山まで行き、初乗車している。しかし高山~猪谷は、ずっと未乗車区間として残っていたが、一昨年、青春18きっぷで同区間も乗車し、やっと全線乗車が果たせた。その高山線、全線が開業してから、今年が80周年で、いろいろなイベントが行なわれるそうだ。

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高山線 岐阜発富山行き831レ C58116〔山〕 渚 昭和42年7月 高山での撮影会を終え、急行「たかやま」に乗って京都へ帰る途中、海とは縁のない山のなかの渚駅で、C58の牽く旅客列車と交換した。起点から終点までを忠実に結ぶ、全線を走り通す列車。灼熱の窓130910 (312)syoの外なのに、風がないせいか、黒煙がまっすぐに上がっている。この撮影時点で、高山線にはDD51が投入されており、一部の旅客、貨物の牽引に当たっていた。       45年後の青春18きっぷの旅、同じ渚駅で「ワイドビューひだ」と交換する。

 

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2014年 遥かなる東欧の旅 Part25 バルカン諸国一人旅 ソフィアのトラム その2

前回Part24を投稿してから次の旅に出かけました。途中で続編を投稿予定でしたが、連日5時起床即行動開始、ホテルに戻るのは22時前後とハードな行程が続きました。ようやく時間が作れてましたが、今度は契約していますサーバー会社は、今年3月より海外からの不正アクセスを防ぐために、海外からのPHPプログラム(Wordpresなど)へのアクセスを遮断しているそうで、新規投稿不可です。以前は問題なく出来ていたので想定外でした。そんなこんなで中休みが長くになりまして申し訳ありませんでしたが、続編を投稿させていただきます。

第13日目 2月27日 その2
ソフィア18:45→8:10イスタンプール

35▲ 12:22 撮影地⑤ ソフィア中央駅から市内中心部に入る1,009㎜ゲージ路線と平面交差する1,435㎜ゲージ路線は狭い石畳を行きます。走ってくるのは、1994年にボンから譲渡されたDuewag T4、9編成が在籍します。

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三江線 全線復旧へ

昨年8月の豪雨で大きな被害を受け、現在代行バスが運行されている江津・浜原間は、7月19日に運転再開の運びとなり、陰陽連絡線が1本復活します。今朝の中国新聞の記事をご紹介します。

H26-6-12 中国新聞

H26-6-12 中国新聞

 窓から写した駅・列車 -6-

東海道線電車急行

今年は東海道新幹線開業から50年、と言っても、開業当時は、めったなことでは乗れなかった。料金だけでなく、世紀の新幹線に乗るような“ハレ”の場もなかった。しかも、東海道線には、特急こそ走らなくなったものの、電車急行が、新幹線開業後も残っていた。現在のように、新幹線が開業すると、在来線の全優等列車を廃止するようなことはしなかった。当時の旅行の主流である、均一周遊券なら、自由席にそのまま乗れる。じっさい、私が初めて東海道新幹線に乗ったのは、昭和45年のことで、開業後6年が経っていた。それまでは、全くの在来線ユーザーだった。

IMG_0015syu 急行「六甲」 浜松 昭和40年8月  東京~大阪の昼行急行電車は、新幹線開業後も「なにわ」「六甲」「いこま」「よど」が残り、とくに「なにわ」2往復は、昭和43年10月改正まで残った。上り「なにわ1号」を例にとると、大阪8時30分、京都9時10分、東京16時30分着と、最適な時間帯を走っていた。ただ、考えるのは誰でも同じで、結構混んでいた。とくに京都からの乗車では座席の保障がない。そこで奥の手を使うことになる。

確かに東京~大阪の昼行急行は限定されていたが、まだ東京~中京圏を結ぶ「東海」が昼行で4往復も残っていた。そのうち2本は大垣発だから、京都~大垣は普通列車で移動し、始発の「東海」にゆっくり座っていくと言う算段だった。直行の急行より多少時間は掛かるものの、この時代は準急だから料金も安く抑えられる。

前置きが長くなったが、その「東海2号」に乗って、浜松に着いたとき、ちょうど大阪へ向かう「六甲」と交換した。「六甲」は、撮影後すぐの昭和40年10月改正で廃止されている。どう言うこともない写真だが、積み上げられた手小荷物、台車、跨線橋、地上駅と、当時の幹線の主要駅の雰囲気が感じられる情景だと思っている。

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神足 早暁

梅雨入りし、早速大雨が来襲した今日この頃であるが、昨年のこの時期に総本家青信号特派員さんがデジ青に[34990]「梅雨の晴れ間は近場で撮る<2>」と題して地元長岡京付近をの早朝に走るスーパーレールカーゴ(SRC)を発表された。その際に私も当時は神足であった長岡京に住んでいたことがあり、夜明けの列車を撮ったことをコメントしたところ、それなら載せよと言われ、本日総本家さん投稿と同じ6月8日に拙作を投稿させていただいた。何れも神足(現長岡京)~山崎間での撮影である。

最も早い時間に撮影したのは富山21時40分発の寝台急行「金星」で大阪着は5時である。神足は4時半頃に通過、後部に3両の2等座席指定車を連結している。

1968.6.1 富山発504列車急行「金星」大阪行き EF5818[広島]▼s-68.6.1神足EF5818金星

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西武鉄道 モハ241に寄せて

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                         モハ134+クハ1217/ (42-7-22) 彦根
彦根のお寺でゼミの勉強会があり、始まる前に鉄鈍爺氏と北陸線の田村~坂田間で撮影し、その後彦根車庫を訪れた時に撮影した。

「昭和の電車」は、路面電車が6回続いた後、鶴見臨港鉄道の4扉車、国鉄クモハ32と続いたので4扉車が続くのかと思いきや予想に反して遠州鉄道モハ1が登場した。
その後は東武鉄道デハ5、今回の西武鉄道モハ241と続いているので、今後は戦前の古豪が順次登場するのかも知れない。いずれせよ今後の展開が楽しみである。

田野城会長が「近江鉄道に移籍してからの姿が見たい」と言われているので取り急ぎ記述した。
車両についての解説は、関 三平氏が記述されておられる通りであるが、少し補足すると昭和3年川崎造船所で新製され、当初の車号はデハ5561・5562、サハ5661・5662で、旧西武鉄道を吸収合併し、新西武鉄道発足後の改番でモハ241・242、クハ1241・1242となった。
以前紹介された近鉄モ5201形(旧吉野鉄道モハ201形)は、この車両の影響を強く受けている。
【19154】全鋼車 近鉄5201系 (https://drfc-ob.com/wp/archives/19154)
【19667】吉野鉄道モハ201形→近鉄モ5201形について(https://drfc-ob.com/wp/archives/19667)
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秀書紹介 和久田康雄さんの労作

鉄道ファンのための私鉄史研究資料

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老人は幼い頃から辞典を見るのが好きで、父親の書棚にあったものを引っ張り出し見ていた。ある日、富国房大辞典の中に「地図」と命名されたものを見付け開いてみると、大日本帝国鉄道全図と名付けられた折り畳みのものがあった。開いてみると当時(昭和一桁)の鉄道路線図があり、官設鉄道は黒、私鉄電化線は赤、私鉄非電化線は青で分類してあったと記憶するが鉄道名の記入はなかった。これでは片手落ちで、私鉄名のあらましを知ったのは中学生になってからであった。それは北大路通で始まった夜店に月遅れの交通公社時刻表が並んでおり、それを買って私鉄名と区間がノートに整理可能となった。高校生となり京都鉄道趣味同好会の一員に加えてもらい、奥野さんから年刊書「私鉄要覧」を教えて貰ったのは同志社入学の1957年で、購入すると共に電鉄の項に夢中になった。

1965(昭和40)年春、鉄道ピクトリアル170号(1965年5月号)から【資料・日本の私鉄】の連載が始まった。執筆者は和久田康雄氏である。ピクトリアル誌を購読するようになったのは中学2年、1952年・通巻№.13号からだが、今回の執筆者の名前を誌上で認識したことがない。どのような経歴の持ち主なのだろうかと関心を抱いたまま毎号が楽しみになった。まえがきでは「過去にわが国にはどのような私鉄があったのかということは、これから研究をはじめようとする方や地方に住んで資料の入手の困難な方には、なかなか解り難いことと思われる」。と記されている。安楽マニアを決め込んだ老人にはもってこいの資料となり、日常生活に追われる中で有難く拝読させて頂いた。内容は日本の営業鉄道として馬車軌道から起され、人車軌道、蒸気軌道、内燃軌道、電気軌道、蒸気鉄道、そして内燃鉄道、電気鉄道、特殊鉄道の順であった。掲載は210号(1968年6月号)迄、この間20回に及んだ。

この労作は連載終了と共に冊子となり、【資料・日本の私鉄】と名付け鉄道図書刊行会から上梓された。老人は即座に飛びつきオーム社書店に申込んだ。奥付を見てびっくり、著者は1934年生まれ、運輸省の方で赤門鉄路クラブ会員とある。ありゃ「てっちゃん」ではないか、老人より4歳上のお兄さんで、どんな方だろうか、との思いを持つに至った。上梓された図書には第2部として都道府県別私鉄分布表、年度別私鉄増減表、50音順私鉄名称索引、地方別私鉄路線図、日本の私鉄参考文献が添えられており、中でも私鉄名称索引はとても嬉しかった。

1994年正月、恒例行事となっている老人の生家、京都市下鴨の実兄宅に新年の挨拶に出向いた。杯を重ねるうちに「君らの同好会も認知されたなあ……」と、兄は【私鉄史ハンドブック】を取り出した。「あれ、何処で仕入れてきたの?オーム社書店が店を閉めたのでピクに申し込もうと思っていた」。「暮に梅田の旭屋書店に立ち寄ったら、店頭にあったので買ってきた。知っていたのか?」。「ピク586号に郵便振込みの申込書があり、近く払い込む予定にしていた」。「19ページ冒頭に湯口徹「三菱鉱業美唄鉄道」(急電101)となっているぞ」。以下、湯口兄18、田口4、重沢兄2、沖中16鉄軌道で参考記事枠に名前を連ねていた。

この時のハンドブックは、先に和久田氏が上梓された【資料・日本の私鉄】を推敲されたもので、地方運輸局管内別に整理番号を付与され、当該私鉄の誕生からの経過を辿ったもので、1968年版を更に進化させたものであった。以来、この書は老人の座右の書となり、今日に至っている。また、老人は1988年に日本路面電車同好会に入会、和久田氏がこの会の重鎮である事を知った。

2000年早春、総本家こと福田君共にJTB Can Books「京都市電が走った街 今昔」を制作した。発売されるや和久田氏から来信があった。「27ページ、東山三条西入ルの耳鼻咽喉科は鶴岡医院と思われるがどのような関係なのか、そうであるなら縁類に当たるように思うが……」と。老人はびっくりした。従姉妹である鶴岡夫人に尋ねたら、和久田氏の奥さんが鶴岡先生と従兄弟関係になると教えられた。後に鶴岡先生の告別式で、実兄と共に挨拶に向った。ハンドブックについてはその後、内容についての正誤表、追補を2度に亘り和久田氏から頂戴している。

そして今回【鉄道ファンのための私鉄史研究資料】が電気車研究会から上梓された。氏から「1993年に刊行した【私鉄史ハンドブック】を全面的に書き改めたものであり、その前身は1968年に刊行した【資料・日本の鉄道】であります」、との書状が送られてきた。1968年に刊行された時、「東大在学中で大学図書館に保存されている書類を写し取ったのが最初だ」と、あとがきに記されていた。それから勘定すれば60年余取り組んでこられたことになる。書状には「私自身が今年80歳を迎えたことを祝う意味を込めて……」とも書き添えられている。

さて本書は1882 to 2012年の私鉄が取り上げられている。日本最初の私鉄は日本鉄道1883年3月28日開業で、区間は上野-熊谷(現JR東日本・高崎線)である。最新の開業区間は名古屋市(地下鉄)櫻通線(6号線)2011年3月27日開業で、区間は野並-徳重4.2kmである。関西では阪神電気鉄道(西大阪高速鉄道)2009年3月20日開業で、区間は大阪難波-西九条3.8kmである。これらは1887年の私設鉄道条例、1890年軌道条例に始まり、現今の1987年施行の鉄道事業法に括られた日本の鉄道事業のすべてを収録されたものである。当然のことながらJR旅客鉄道、日本貨物鉄道、第三セクタ-鉄道も含まれているが、JR旅客及び貨物の内容は(省略)となっている。参考文献も私鉄ごとに紹介されており、現今は勿論、後世に名を残す名著として皆さんに推薦させて頂く次第である。

発行所:(株)電気車研究会、定価:本体2,685円+税、書店にない時は申し込めば入手可能である。

老人は体調不良のため皆さんに紹介するのが1ヶ月遅れとなってしまった。乞うご容赦!

C58239 私も撮っていた1969年の勇姿

C58239の現役時代の写真が珍しいそうで、奥山さんとTsurukameさんが撮影された写真が「とれいん」6月号に掲載されて話題になっていますが、私も撮っていましたのでご覧にいれます。
C58239_1C58239_2

昭和44(1969)年8月18日、688列車を牽引するC58239を茂市-蟇目で撮影しました。
当時、鉄道同好会の同期に「三好茂助」という名前の男がいて、なんとなくついふらふらと茂市で降りてしまったのです。近辺をうろうろしても良い撮影場所がなくて、しょうがなく「C58ばっかりやな」と思いながら撮ったうちの1枚です。総本家青信号特派員さんのおっしゃる「もの好きな?人間」の、奥山さんTsurukameさんに続く3人目ということになります。
このあと、区界に移動し、松草-区界の草原に寝転びながら持参したラジオで第51回全国高等学校野球選手権大会決勝(松山商VS三沢)を聞きました。松山商の井上と三沢の太田との投げ合いで白熱した戦いになり、ついに延長18回0対0引き分け翌日再試合という球史に残る名勝負でした。終盤には、「どちらも点を入れるな、引き分けになれ」と思いながら最後まで聞いたら陽が傾きかけていました。

西武鉄道モハ241系

近江鉄道に移籍してからの姿が見たいですね。

西武モハ241_NEW 西武モハ241(文)_NEW

珍車 完成しました

最近はマイナーなDLを好んで製作しているのですが、DD10に続いて北海道拓殖鉄道のDR202CLが完成しました。北海道拓殖鉄道は根室本線で狩勝峠を越えた先の新得を起点に東瓜幕に至る35.0Kmの原野を走る鉄道で、昭和43年8月に廃止されています。私が初めて北海道に渡ったのはDRFC1年生の昭和44年2月なので、その時点ですでに過去の鉄道になっていました。その北海道厳冬期の旅のなかで 留萌本線のD61を撮影するため恵比島で下車したものの、豪雪のため駅から殆ど動けず、仕方なく構内にいた留萌鉄道の車両を写して退散したことを思い出します。その時に撮影した車両のなかにDR101CLという珍奇な機関車がいました。昭和33年 新潟鉄工所製のディーゼルロータリー機関車です。

留萌鉄道DR101CL 昭44-3-6 恵比島にて

留萌鉄道DR101CL 昭44-3-6 恵比島にて

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tsurukameさん・奥山さんのC58239 「とれいん」に載る

先日発売された「とれいん」6月号のトップに、さきごろ釜石線「SL銀河」牽引用として、動態復元されたJR東日本のC58239の現役時代の写真が掲載されている。これら3点の写真は、ことし4月21日付けの当掲示板でも発表された、我らがクローバー会のtsurukameさん、奥山さんの撮影によるものである。詳しい内容は、その記事を見ていただくとして、Tsurukameさんの写真は、雪の山田線区界で貨物列車を牽く同機で、なんとカラー写真で撮られている。奥山さんの同機は、盛岡機関区で撮られたもので、独特の郡山工場式集煙装置の構造がよく分かる角度で撮られ、宮古機関区所属を示す「宮」の区名板も輝いている。いずれも昭和42年の撮影だが、両者は別の日に、それぞれが東北巡りの途中に撮影されたものである。

いかにして同誌に発表されたのか、その謎を解明すべく、私は大江戸線某駅より徒歩8分の編集部へ向かい、旧知の編集部Mさんから聞き取りを行なった。

IMGs誰も撮っていなかった現役時代のC58239の写真が掲載された。“写真発見!”と「!」つきでサブタイトルが付けられているように、その感激ぶりが伝わってくる。

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お知らせ

掲示板への高負荷により昨年末から閲覧数制限が入っていることが判明したため、レンタルサーバ企業に連絡し、昨日規制解除されました。
この度は気づくのが遅れた結果、掲示板利用者の方にご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありませんでした。     管理人 小西

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2014年 遥かなる東欧の旅 Part24 バルカン諸国一人旅 ソフィアのトラム その1

第13日目 2月27日 その1
ソフィア18:45→8:10イスタンプール

0404_カルタ9:52 ソフィア中央駅前の電停に着きました。まずは切符販売小屋にて、1日フリー切符の”カルタ”(4BGN=約280円)を購入します。
10:03 駅前は殺風景ですので直ぐに電停に来たトラムに乗って移動する事にしました。

upload.wikimedia.org/wik...4/Tram_map_of_Sofia.svg▲ ソフィアトラム路線図です。全路線は何と308キロもあり、平均速度12.56km/hで平日176Tram(2006年)が走行しています。京都市電の最盛期が76.8キロ、都電213キロだっとのとを比べると壮大さがお分かりと思います。開業は1901年1月1日で当初は23キロを1,000㎜ゲージで敷設されました。1901~1931年は欧州メーカーから車輛を購入していましたが、以降1991年までは自国製造に切り替えました。そのため周辺国とは違ってのトラムが走行しています。

注目すべきは、世界で唯一の1,009㎜ゲージ軌道(公称)であることです。ウィキペディアによると、「初期は 1,000 mm であった。第二次世界大戦時、戦場となったため、路面状況が悪化したが、この時、1,013mmに拡張された。それ以降1,009mmに狭められ、さらに1,000mmまで狭められたが、これらの変更は路盤のみで車両に影響はなかった。」そうです。3 ft 31116 inとは珍しい限りです。
そして1987年からの新線は1,435㎜に切り替えられ、現在2つの異なるゲージの軌道が存在し、1部は3線区間?となっています。

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鉄道同好会イベントのお知らせ

まずは吉報をお伝えせねばなりません。女性会長が誕生したことは既に申し上げた通りですが、今年も多くの新入会員に恵まれ、現時点で実質活動会員が40名を超えました。これは、現役会員の日々の努力が確実に結びついている証拠であります。
対外交流に積極的になったこと、各人が創会時からのDRFC精神を尊ぶこと、公式ホームページを整備したこと、様々な苦労と努力があり、ここまで来れたのだと私は確信しています。今後も引き続き、現役生の活動をOB皆様と見守っていきたく存じます。

さて、現役会員より一般来場者向けのイベントのお知らせがありましたので、告知させて頂きます。記事投稿が遅れたことに対し、お詫び申し上げます。

2014年5月24日(土)、5月25日(日) いずれも11時頃から16時頃まで
イオンシネマ高の原(最寄駅:近鉄京都線 高の原駅)にて
模型レイアウト展示、写真展示、その他、子ども向けイベントを開催します。映画「しんかんせんとわくわくでんしゃ大集合」をご覧の方は、当会員が扮する“鉄道博士”への質問や、鉄道模型の体験運転を行えます。

2014年6月7日(土)、6月8日(日) 10:00~17:00
第六回レールエキスポ京都
ボークスホビースクエア京都 エントランスホール 7階(最寄駅:西大路駅)にて
鉄道模型の展示走行・無料運転体験、写真展示、青信号69号(2012年度会誌)の販売を行う予定です。

ぜひ、ご家族・ご友人をお誘いの上、ご来場くださいませ。
なお、詳しくは、当会の公式ホームページ(http://drfc.web.fc2.com/)または各々のイベントのホームページをご覧ください。この際に非常に華やかになった当会ホームページを一度ご覧頂けると幸いです。

2014年 遥かなる東欧の旅 Part23 バルカン諸国一人旅 ベオグラードからソフィアへの国際寝台列車 ソフィア中央駅

第12・13日目 2月26、27日
ベオグラード21:50→8:13ソフィア

18:00 ホテルに預けた荷物を受取りに戻ります。夜行列車までは、たっぷり時間がありますのでゆっくりできる場所が必要です。フロントでレストランではWifiができるかを聞くと、OKです。 01久しくまともな夕食はとっていなかったので、今夜は奮発しました。美味しいビールを飲んで、肉のミックスを注文してゆっくりとしました。ビール2杯とのお勘定は、1,120RSD(約1,350円)でした。パンは写していませんが、注文に付いています。日本の半額程度ですね。 ちなみに昼食のマクドは、270RSD(約324円)。こちらは世界共通の値段設定です。 01地図昨夜はソフィアまでの夜行列車の切符を買いましたが、これも当初調べていた段階ではベオグラードを朝に出て24時間走り、翌朝イスタンプールに着くという直行列車がありました。しかし、サラエボ~ベオグラードと同様に運休中で、中間のブルガリアソフィアまでしか列車はありませんでした。 続きを読む

東武鉄道デハ5

以前、デハ1400を投稿しましたが似てますね。東武デハ5_NEW 東武デハ5(文)_NEW

2014年 遥かなる東欧の旅 Part22 バルカン諸国一人旅 ベオグラードのトラム その2

第12日目 2月26日 その3
ベオグラード21:50→8:13ソフィア

00_トラム路線図0511:20 総延長が127キロもあるベオグラードのトラムです。終点まで行きたいのですが、どの系統に乗っても、往復約2時間以上はかかると思われますのでNGです。近場で良さそうな所はないかと、地球の歩き方を見ますとカレメグダン公園が良さそうに掲載されてありましたので2系統に乗車して向かう事にしました。

01_2系統▲ 2系統は環状ラインを走行します。電停には停車するトラムの路線と電停名がハッキリと記載されています。 続きを読む

2014年 遥かなる東欧の旅 Part21 バルカン諸国一人旅 ベオグラード本駅

第12日目 2月26日 その2
ベオグラード21:50→8:13ソフィア

09国際列車の出るベオグラード本駅は、欧米からのバックパッカーが多い駅です。私も今夜ソフィアへ向けて乗車する駅を明るいうちに見てみたいので、入って見ました。
40▲ 駅舎横に展示されているJŽ 11-022号機です。ハンガリーのブタベストで1947年に製造されています。説明書きはペンキが剥がれて読めませんが、ネットで調べてみますと、動輪周1,600㎜、全長21,039㎜、軸配置2D+4、出力1,320w、最高速度90km/hです。
http://www.miniaturna-zeleznica.com/SZ_vlaki/11.php
セルビア鉄道の公式HPは、こちらへ http://www.zeleznicesrbije.com/

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2014年 遥かなる東欧の旅 Part20 バルカン諸国一人旅 ベオグラードのトラム その1

第12日目 2月26日 その1
ベオグラード21:50→8:13ソフィア

今日は、バルカン諸国乗り鉄旅で初めての夜行列車でソフィアへと向かいます。きっぷは昨夜に購入できましたので安心の熟睡でした。一日たっぷりと時間がありますので、ベオグラードのトラムの乗り鉄と撮り鉄を楽しむことにしました。 00_トラム路線図04【 ベオグラードのトラム 】 1892年、馬車軌道により開業なりました。1894年から電化が始まり1905年に完了、1,000㎜ゲージの現在の路線総延長は127.3キロ、12系統が走行しています。地図は自作です。ご自由にお使いください。

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